俺と時を進める勇気14
手の中のかき氷は半分くらい水になってしまっていた。これを持って帰ってもみんな納得してくれないよねと言って、どこか吹っ切れたように風子は微笑んだ。俺達は近くの階段に腰掛けて、溶けてしまったかき氷を食べた。
「悠葵ちゃんが心配してるかも」
「そうかもな」
「花火が全部終わる前に戻らないとね」
「ああ」
夜空を彩り続けている花火を見上げながら呟く。今はそんなことを考えている暇はなくて、ただただまったりと時間が流れていた。
「わたし、今人生で一番楽しいよ」
「そんなことないだろ」
「そんなことあるよ」
「子供の頃、家族でここに来たときよりも?」
「……うん。今日の花火の方がキレイだよ」
風子は膝に肘をついて頬杖をついた。小さく長いため息が終わるまで俺は黙って待っていた。
「昨日までは、家族でお出かけした日が一番素敵な日だと思ってた。でも、今日みんなでここに来たおかげでこの先にもっと楽しいことが待ってるって気がついたよ」
俺は風子の横顔を眺めた。頬を包む指の先に短く切り揃えた爪がついている。水祈はよく爪を切り忘れていたな。
「前に進まなきゃだめだね。生きてるんだもんね、わたし達。子供の頃の思い出に縋ってたらこれから来るどんな日もきっと楽しめない。お兄ちゃんとも本当の言葉で喋れるようになるよ、近い未来でいつか。もしかしたらお父さんとお母さんとも仲良く暮らせる日がくるかもしれない。だってまだ生きてるんだもん、どんな可能性だってあるんだよね」
風子の横顔から目を逸らせなかった。きっと逸らしたらもうだめだ。忘れてくれって言ってるように聞こえる。いやだ、俺は忘れたくない。いなかったことになんてしたくない。
「だからね、和輝君。わたしこの先の人生を楽しみに生きるね。きっと今日よりももっともっと素敵な日が待ってる」
風子はこちらを向いて微笑んだ。
「もっと成長できるはずだから」
夜空に花火が咲いて風子の輪郭を照らした。彼女の瞳はまたキラキラと炎を含んていた。
「風子、俺は……」
言い淀んだ俺に風子は不思議そうな目を向けた。悩んだが、口から出かかった勢いのまま吐き出す。
「俺は先に進みたくない」
風子は言葉を理解するごとにゆっくりと目を見開いた。
「どうして?」
「……去年、俺の大事な人が死んだ。忘れたくないんだ」
俺の答えを聞いて、風子は間を埋めるように無意識に右手の甲をさすった。俺は彼女の顔を見ていることができず徐々に俯いたが、次の言葉で顔を上げる。
「和輝君、やっと弱音を言ってくれたね」
驚いて顔を上げると、困ったように笑う風子と目が合った。彼女は「えっと……」と口ごもってから補足した。
「わたしなんていつも弱音ばっかりでみんなを困らせてたけど、和輝君って全然そういうこと言わないから、強い人なんだと思ってた」
「……そんなことねーよ」
「ほんとだね。そんなことなかったんだね」
それから、「ちょっと安心した」と目を細めた。
「悪いな。せっかく前向きになったところだったのに、水差して」
「そんなことないよ。和輝君にはいつも元気づけてもらってるから、今日はわたしが元気づけてあげる!」
風子は立ち上がると俺に手を差し出した。
「行こう!」
まごつく俺の手を握って、ぐいぐいと引っ張った。俺達は空になったかき氷のカップをゴミ箱に捨てると人の波を縫って歩き出す。
「みんな花火を見てるから、屋台で遊ぶなら今のうちだよ。ほら、射的も空いてる!」
風子が指差す射的の屋台は、客が撃ち終わってちょうど無人になったところだった。店番のおっちゃんに小銭をわたし、二人並んで銃を構える。
俺も風子もけっこう真剣に狙ったが、弾丸が景品を捕らえることはなかった。こうして的を狙って引き金に指をかけると、前に怪しい武器商店でエアガンの練習をしたことを思い出す。あの時買った銃は机の鍵がかかる引き出しに入れたままだ。
「はっはっはっ、二人とも残念だったな。またおいで」
陽気な店番のおっちゃんはそう言って俺達に参加賞の飴玉を一つずつ手渡した。
「難しいね、射的って」
「ああ。もっと簡単に当たるもんと思ってた」
俺と風子は貰った飴玉を頬の中で転がしながらそう話した。
道なりに進みながら屋台を覗いて回る。金魚すくいでは二人ともすぐにポイが破れて笑い、おまけで金魚を一匹ずつ貰った。輪投げでは俺も風子もお菓子をゲットし、ヨーヨー釣りでは千切れそうなこよりでどうにか一つ釣り上げた。
俺が釣った黄色いヨーヨーを手で突きながら、風子はフィナーレを迎えた花火を見上げた。
「花火、もう終わっちゃうね」
「そうだな」
この場所にいる全員が今空を見上げていた。花火はとめどなく次々に打ち上がり、まるで夜明けのように周囲を明るく染めている。
「和輝君、今日楽しかったね」
花火が燃える爆音の中で、振り返った風子の声だけがやけにクリアに聞こえた。
「わたしは楽しかったよ。和輝君も同じだったら嬉しいな」
祈りのような言葉に、俺は配慮でも強迫衝動でもなく「俺も楽しかった」と答えた。
「これからもっともっと楽しい日が続くといいね」
「そうだな」
俺の声にはきっと自信がなかった。
フッと全ての音が止み、直後に歓声と拍手が辺りを埋め尽くす。暗くなりゆく空を背に俺を見据えた風子の黄色い瞳に、パチパチと弾ける光を見た。
「手を離せばわたし達も浮けるかもしれないもん」
どういう意味だろうか。想い出は重りだと言いたいのか?それとも、天使達が翼を手に入れた方法を知っているのだろうか。




