俺と時を進める勇気5
家に帰ってくると、珍しく江戸川は留守だった。いや、最近江戸川は精力的に想い出探しをしている。何で急にやる気が出てきたのかは知らないが。盆が近いからだろうか。……関係ないか。
バイトに行く時もそもそもラクな格好をしていたのだが、多少汗もかいたのでさっさと部屋着に着替える。あの死神と話したせいか疲れを感じたのでゴロンとベッドに横になった。江戸川がいないからベッドが広く空いているのもある。
そろそろ母親が夕飯はいるかと聞きに来る頃合いだ。それまで目を閉じてゆっくりしよう。今日は死神と話して精神的にも疲れたし、店が忙しくて体力的にも疲れた。
クーラーが効いてきてうとうとし始めたとき、すぐ近くで衣擦れの音が聞こえた気がした。
「朝波氏」
と思ったら、よすがの声がそっと耳に滑り込んできた。なんだこいつかと思いながら、面倒臭さが押し勝って目を開けれずにいた。どうせ江戸川がいるか見に来ただけだろうし、このまま寝たふりをしていればすぐにどっか行くだろう。何せ今日は疲れた。
「寝ているんですか?」
確かめるようにもう一度声がかかる。それも無視すると、おそらく踵を返したのだろう先程より大きな衣擦れの音がした。そこで俺はガバッと勢い良く上体を起こす。
「あ、ちょっと待て!」
「ひゃっ!」
完全に虚を突かれたよすがは上半身を壁の外に突っ込んだ間抜けな姿で間抜けな声を上げた。
「お、起きてるなら言ってくださいよ!」
「すまん。ちょっと聞きたいことあるんだけど」
「何ですか。江戸川様がいないならここに用はないのですが」
よすがはぶつくさ言いながらこちらに来て床に正座をした。先程の間抜けな反応をからかうと機嫌が悪くなりそうなので、さっさと本題に入る。
「お前さ、まぁ若いうちに死んだわけじゃん。何か未練とかってある?」
単刀直入に聞くと、よすがの表情が強張った。無表情なやつだと思っていたが、こういう些細な表情の変化がわかるようになると、よくぞここまで打ち解けたものだと改めて思った。
「……何故です?」
「いや、なんか……気になって」
「そんなに急に気になるものでもないでしょう。それに、聞いてどうするんです」
「江戸川は生前の未練あるだろ。お前はどう思ってるのかなと」
「だからそれを、聞いてどうするんです」
俺は今日の邂逅を話すか話すまいか悩んだが、結局話すことにした。まぁ喋ったところでどうということはないだろう。
「実は今日、この間の死神にたまたま会って。ちょっと話したんだよ」
「花韮野次郎ですか?」
「そう。それで死んだ人間は生前のことなんて気にしてないから忘れろって言われて」
「そうですか……。淡白そうな方ですものね」
「そんでお前はどうなのかなって思っただけ」
よすがは視線を左右に一往復だけさせると、「私ですか……」と呟いた。この反応を見るに、もしかしたら聞かない方がよかったのかもしれない。あまり楽しい人生ではなかったのだろうか。
「私に未練などありませんよ。今の生活の方が余程充実していますから」
そう言って、切りそろえた毛先をほんの少し揺らした。そのせいでわずかに俯いたのだと気付いた。
「この解答で満足しましたか?」
「ああ。幽霊って思ってたより生前に未練がないものなんだな」
「そうですよ。死後新しい人生が始まりますから」
よすがは一度だけ膝先を払うと立ち上がった。
「江戸川様もいらっしゃらないので、もう行きますね」
「あいつ最近急に頑張ってるよな。天国が恋しくなったのかもしれねーぞ」
よすがは返事に悩むようにちょっと首を傾げたが、すぐにこちらを向いてこう言った。
「そうだと嬉しいんですけどね」
それから迷わず俺に背を向けて、「では」とだけ言うと壁の向こうに姿を消した。俺はしばらくそちらを眺めていたが、やがて先程と同じように横になった。クーラーが効き過ぎているのが肌寒さを感じ、もそもそと布団に潜り込む。
江戸川が一生懸命未練に縋っているからだろうか。花韮やよすがの意見を聞いて、なんてあっさりした奴らなんだろうと思う。でも、もしかしたらそれが普通なのかもしれないとも思う。
この解答で満足しましたかだと?するわけがない。死ぬ前の人生に未練があります、できればあの頃に戻りたいですと言ってほしかった。そう言ってくれればどれだけ安心できたことか。
天国が恋しくなっただと?そんな戯言を信じろというのか。あの言葉に一パーセントも俺の本心は含まれていない。ずっと想い出を探し回ったらいい。天国なんて忘れたらいい。何が一番大事なのか教えてほしい。
俺はまだ夢をみていたい。




