俺と自分を好きになるための一歩2
「ねぇ、朝波」
三時間目が終わった直後だった。教師が教室を出て行ったのと同時に、背後の大名から声をかけられる。俺は仕方なく振り返った。
「何だ」
「栗生風子って女の子知ってる?」
「知らん。どこのクラスだ?」
俺の咄嗟の判断力を褒めてほしい。顔色一つ変えずに「どこのクラスだ?」とおとぼけまでしてみせたぞ。
大名は「そう」とだけ言うと口を噤んだ。会話は終わりかとホッとして身体の向きを戻そうと思った瞬間、大名がまた口を開いた。
「昨日、訪ねてきたの。よすがの友達なんだって」
「へぇ、よすがの。あいつこっちに友達なんていたんだな」
普段なら大名と喋るだなんて地獄だが、今はちょうどいい。大名が風子のことをどう感じているのか調査しといてやろう。
「そうよね、驚きよね。二人で海に行ってたんだって」
「海なんて行くキャラには思えなかったが。その栗生って人は相当陽気な奴なんだな」
「それがすごく大人しい子なのよ」
「っていうことは、泳ぎに行ったわけじゃなくてただ眺めに行ってたのか?海を」
俺と大名の攻防を、幽霊が隣でハラハラしながら見守っている。安心しろ、ボロは出さん。
「ううん、泳ぎに行っていたんですって。風子の髪、海水でパシパシになってたから本当に泳いでいたんだと思う。でもよすがには泳いだ様子は無いのよ。どういうことだと思う?」
「どういうことかと聞かれても」
「ちなみに、朝波は昨日何してた?」
俺は即答することができなくて、わざとひと呼吸置いてから「ずっと家にいたけど」と絞り出した。
「そうなの。じゃああの江戸川って天使と行ったのかしら」
「何でだよ。二人で行ったって本人達が言ってるんだろ?」
「絶対嘘よ。よすがは確かに水着を持って行っていたみたいだけれど、濡れてなかった。風子のはちゃんと海に入った形跡があった。私が洗濯機を回したからわかる。二人で行って片方だけ海に入るなんて、そんな遊び方ある?何人かで行ってよすがは荷物番をしていたと考える方がしっくりくるわ」
「お前は刑事か何かかよ」
だが言っていることは至極真っ当だ。これは覆せない。どうする。
「でも本人達が二人で行ったって言ってるんならそれでいいんじゃねぇの?何がそんなに気になるんだよ」
「誰と行ったかが気になってるのよ。そういえば、こんなのも見つけたわ」
大名はそう言うとスマホの画面を俺に突きつけた。そこには栗生除霊霊媒事務所のホームページが映っていた。
「……これは?」
「風子は家出した理由を兄と喧嘩したからだって言ってたわ」
「へぇ、家出」
「栗生って珍しい名字じゃない?家も泉町って言ってたし、この所長の栗生恭也って人がお兄さんよ、きっと」
「まぁ仮にそうだったとして、それを突き止めてどうするんだよ」
大名はスマホの画面を伏せてパタンと机に置いた。大名の目的が掴めないせいでやりづらい。俺は何を誤魔化せばいいんだ?
「よすがは、風子をバイト先の花屋の常連客だと説明したわ」
「まぁ、よすがが人間と出会う機会なんてそれくらいしかないだろうからな」
「よすががお風呂に入っている間に、風子に聞いたの。二人の出会いは?って。ちゃんとよく行く花屋の店員さんだと答えたわ」
「何が気になってるんだ?」
「でも、何故家が泉町なのにわざわざ野洲の花屋に通うのか、花屋の正確な場所はどこか、それには答えられなかった」
「…………」
俺は何も言えずに黙った。隣の幽霊は顔を真っ青にして両手で口を覆っている。
「風子には幽霊が見えるのよ。だからよすがと知り合えた。それはいいの。私にはどうでもいいことだし。問題は、何故それを私に隠したのかよ」
「……お前は何故だと思ってる?」
大名は一旦口を閉じて考えた。俺はジリジリと皮膚が焦げるような緊張を味わう。
「あなたか、江戸川か、あるいはその両方と知り合いだから」
「何故」
「私はそれが知りたいの。どうしてわざわざ隠したの?私に気を遣ったつもり?これは誰が言い出したこと?」
「言っている意味がわからん」
「なら江戸川を呼んで。どうせすぐ近くにいるんでしょ?」
そう言って大名は俺の頭上を見上げた。その視線の先に幽霊はいなかったが、奴は怯えた顔でスススッと後ろに下がった。
「いねぇよ。四六時中俺の側にいるわけじゃない」
「どこに行ったの?」
「さぁ。散歩だろ。あいつ学校とかねぇし」
「今日放課後ここに付き合ってほしい」
大名は画面が伏せられたスマホを人差し指でトントンと叩いた。
「ここって?」
「栗生除霊霊媒事務所」
俺は思わず自分のスマホで時刻を確認した。四時間目が始まるまであと二分。あと二分凌げばとりあえず考える時間を作れる。
「なんの為にそこに行くんだよ……」
「風子のお兄さんの説得って名目はどう?あの子は家出をしてるんだから」
奇遇だな、俺も今日全く同じ理由で同じ場所に行く予定をしてるんだよ。
「あなたと風子を会わせて風子の反応を見る方が早いと思わない?」
「確かにそれは手っ取り早そうだ」
俺は机の横に立つ幽霊の表情をチラリと窺った。幽霊は「仕方がない」という文字を顔に貼り付けながら、神妙に頷いた。
「降参だよ、大名。言っておくが、よすががお前を思いやっての嘘だからな」
「優しい嘘って言いたいの?まぁ、そういうことにしてあげる」
大名は先程俺が視線を向けた辺りを見上げた。目が合った幽霊は縮こまりながら横にスライドする。
「で?江戸川はいるの?」
「いるかいないかと言われたら、いるな」
「やっぱりね。すぐバレる嘘はつかない方がいいわ。優しい嘘程相手に失礼なものって無いもの」
俺が何て言い返そうか悩んでいると、四時間目の開始を告げるチャイムが鳴った。それと同時に教師が駆け込んでくる。助かった、俺は何も返事をせずに前に向き直った。大名は特に何も言わなかった。