金魚鉢の中で笑う女
格安というほど安くはないが、決して高くはない家賃のアパートの一人暮らし。
そんな俺の部屋にある金魚鉢には一人の女が住んでいる。
飼っていた三匹の金魚がぷかんと腹を上にして浮かび上がったまま、いつの間にかしなびて消えていった。
それらの死因はわからない。餌をやらなかったからか、はたまた何か邪悪なものにでも殺されたのか。
「それにしても金魚の死体は人間と違って水に溶けるものなんだなぁ」
独り言を漏らしながら、俺は仕事の支度のために部屋の壁に立てかけてある鏡――否、鏡の向こう、金魚鉢に映るものに目をやる。
にたにた。にたにた。
気味の悪い笑顔を貼り付けて、俺を睨む女の顔面が見えた。
ぽってりと赤い唇。血の気の失せた土気色の顔。今にもこぼれ落ちそうなほどに飛び出した、底冷えするように冷たい濁った瞳。
それが俺の望まざる同居人だった。
『ネエ、コッチヲ、見テ。コッチヲ見テ。コッチヲ、コッチヲ、コッチヲ――』
背筋が凍りつくような声が聞こえてきたところで恐ろしくも何ともない。きっと金魚鉢を直視すれば何かが起こるに違いないが、それならば直視しなければいいだけの話だ。
不気味に笑う女に、俺はただただ無視を貫く。
まったく……あの女は生前から何も変わらない。生きていても死んでいてもつくづく迷惑な奴め。
一週間前に首を絞めてから部屋の押し入れにぶち込んで、これでようやく静かになったと思ったのにと溜息を吐く。
まだ俺が二人暮らしをしていた時も、こっちを見ろ、他の女に目を向けるなと捲し立ててうるさいことこの上なかった。
一つ変わった点があるとすれば、可愛く思えた頃もある笑顔が死者らしく醜くなってしまったことくらいか。
俺の手によって亡霊にされてもなお俺から離れられないとは、なんとも哀れで滑稽な女だ。
あの女はいつまでここにいるつもりだろうか?
そのうちにたにたするだけにも飽きて、成仏してくれるとは思うが。
そう考える俺は、あえて気づかないふりをする。
金魚鉢の中から伸びる女の腐った掌が日に日にこちらに迫り、俺を狙っているという確かな事実に。
『行ッテラッシャイ。気ヲツケテ、ワタシノトコロニ戻ッテ来テネ?』
にたにた。にたにた。にたにたにたにたにたにたにたにた。
鏡から視線を外してしまえば視界に入らないのに、女の笑顔はまるで呪いのように脳裏にこびりついて離れない。
出かける俺の背中を見届ける女が、とても愉しげに手を振っているような気がした。