27 嵐の匂い
学校に行きたい。
そう言いだしたミーティアの姿が、シエルに与えた衝撃は大きかった。
(かわわわわわわわっ!)
ミーティア様がかわいい。
前々から天使みたいだと思っていたが、これはもう私が認識できる感覚の総量を遥かに超える愛らしさだし、もしすべてを記述しようとすればこの余白では足らなくなってしまう。
さながら、古の数学者のような顔で手帳に愛しさの最終定理を書き込むシエルに、ヴィンセントが言った。
「選ばれてしまいましたね。そこだけは避けてほしかったからこそ、一番下に置いていたのですが」
「ミーティア様は向上心が高くて根が真面目ですからね。口では楽したいと言いながらも、やっぱり一番良い環境で勉強がしたかったんだと思います」
「ですが、魔法国最難関のSランク校というのは……あの学園に入れるのは各地で神童と呼ばれていた子供の中でも一握り。並み居る名家の子息に加えて、王子殿下まで在籍しています。今からでも、考えを変えてもらえないか提案するべきでは」
深刻な顔のヴィンセントに、シエルは首を振った。
「ミーティア様が挑戦したいと言うのであれば、それを見守るのが母としての私の使命です。危険から守るのも大切ですが、やりたいことをさせてあげなくて、それで本当に親の務めが果たせていると言えるでしょうか」
「貴方はミーティア様の母親ではないですよ」
「ちょっと何を言っているのかわからないですね」
不思議そうに首を傾けて言うシエル。
(やはり完全に正気を失っている)
息を呑むヴィンセントだったが、彼女の気持ちがまったくわからないというわけではなかった。
むしろ、自分の中に極めて近い何かがあるのを彼は感じている。
不憫な生い立ちでも、前向きに真っ直ぐに生きているミーティアの持つ魔性の娘力。
子供なのに気遣いを欠かさず、尊敬と愛を持って接してくれるその姿には、気を抜くと実の娘なのではないかと錯覚してしまう驚異的な愛らしさがある。
(いけない……私はプロフェッショナル……自分を制御しないと)
思いだしただけであふれそうになる父性。
皇国のエージェントだった頃に訓練した、感情を制御する技法でヴィンセントは心を落ち着ける。
「問題はミーティア様が入学試験に合格できるかです。魔法国の入学試験は春に行われますが、季節は既に秋。入学するためには編入試験を受けることになります。その難易度は通常のそれよりさらに高くなる」
「落ちてもいいじゃないですか。それも良い経験になりますし、学校に入れなくてもミーティア様の価値はまったく変わりません。もちろん、良い学校を出てくれるとうれしいものではありますが、不登校でも無職でも、二階の床をドンしてごはんを要求するようなひきこもりになっても、私にとってのミーティア様は世界一かわいい愛娘なので」
「たしかにそれはその通りですが、しかしミーティア様は普通の子供とは違う問題を抱えています」
「普通の子供とは違う問題?」
「通常魔法の適性が無いことがわかれば、魔法国全土から冷たい目を向けられることになる。魔法適性こそが人間の価値とされているこの国で、要職に就くことはまず不可能になります」
「たしかに、それは問題ですね……ミーティア様は将来この国を変える資質を持った方ですし、将来の可能性を狭めるわけには」
考え込む二人。
部屋を沈黙が浸す。
「あるいは、ミーティア様は我々を試しているのかもしれません」
不意にヴィンセントは言った。
「試している?」
「あえて厳しい状況に身を置く中で、自分を守ってみせろと言っている。これはミーティア様から我々への挑戦であり、同時に我々にも自身のパートナーとしてさらに高みを目指すよう要求されている可能性もあるのではないかと」
「間違いありませんね。ミーティア様は向上心の高いお方ですから。畑で農作業しているときも、いつもより美味しい野菜を目指して研究しておられますし」
「で、あるならばどんな手を使っても我々は期待に応えなければならない」
ヴィンセントは静かに息を吐いてから言った。
「魔法国一の名門校。王室関係者も在学されている厳重な警備態勢をかいくぐり、陰からミーティア様を守り抜く」
決意に満ちた目で窓の外を見つめて続けた。
「我々の存在意義を示すときです」
◇ ◇ ◇
魔法国唯一のSランク魔法学園入学に向けて勉強を始めた私に、ヴィンセントは「試験問題を入手いたしましょうか?」と言った。
仕事ができすぎるがゆえに、うっかり本物の凄腕エージェントと勘違いしそうになる精度でエージェントなりきりをしているヴィンセントは、あらかじめ学園に潜入し出題される試験内容を入手することも可能だと言う。
(なんというなりきりの精度……!)
息を呑む私だったけれど、その申し出は遠慮しておくことにした。
試験問題をこっそり入手して答えを暗記するのは卑怯な感じがするし、私の目指すかっこいい悪とは違う感じがする。
何より、私が受験するのはこの国で他を圧倒してお馬鹿な学園なのだ。
試験内容は、名前さえ書ければ受かるレベルだろうし、わざわざ対策をする必要もない。
一方で、最高にかっこいい悪女を目指す私は、簡単なテストだろうと手を抜くつもりはなかった。
(みんながびっくりするような点を取って、私が新しいボスだということをわからせてやるのよ!)
そして迎えた編入試験当日。
魔法国の王都にあるアルカディア魔法学園は、王様の住むお城みたいに豪奢で威圧感のある外観をしていた。
智恵の女神様があしらわれた大きな門の先には庭園が広がり、季節の花が咲き誇っている。
芝は美しく刈りそろえられ、噴水が小さな虹を作っていた。
(お、思っていたよりも綺麗な学校ね)
想像をはるかに超えるきらびやかな外観に戸惑う。
もっとしょぼくて小さい学校だと思っていたのに。
(魔法国最底辺校でこんな設備なんて。どれだけ教育に力を入れてるのよ……)
どうやら、魔法国貴族たちの教育に対する関心は私が想定していたよりもずっと強いものであるらしい。
試験会場は、学園の中心に位置する時計塔の一室だった。
教室で一人、試験の開始を待つ。
先生らしい三人の男性がむっつりした顔で試験監督をしている。
合図と共に試験問題を開いて――私は息を飲んだ。
(なに、この問題……)
まるで、大学を卒業した大人が受ける専門試験のような難易度。
子供が受けるレベルとは到底思えない。
(もしかして、魔法国の学力レベルってめちゃくちゃ高い……?)
最底辺校の試験なのに、全然わからなくて頭が真っ白になる。
(楽してずるしてどころか……やばい、全然まったくこれっぽっちもわからない……)
思い返してみると、同世代の子たちとほとんど接することなく育ってきた私だ。
お母様や周囲の侍女たちは「すごく頭が良い」と言ってくれていたけど、それも優しさから来るもので本当は普通以下のレベルだったのかもしれない。
(終わった……)
あまりの難易度にくじけそうになる。
あきらめそうになる。
声が聞こえる。
『それでいいの?』
答えは決まっている。
(いいわけない)
折角二度目の人生を生きることができているのだ。
私はこの人生を全力で生き抜かないといけない。
苦しいこともある。
でも、だからこそ楽しいことがもっと楽しくなる。
(負けてたまるか……!)
何より、大好きな悪女様は苦しい状況でも決してあきらめない人だから。
くじけそうなところから一歩踏み出す。
そんな心の強さがどんな宝石よりも美しく気高いことを私は知っている。
――私は絶対に楽してのんびり悪女をするんだ。
強い思いを胸に羽根ペンを握り、問題をにらみつける。
解けない問題に何度も心を折られそうになりながら戦い続けた私が気づいたのは、この問題がそもそも解けるように作られていないということだった。
どういう理由かはわからないけれど、試験問題の中に絶対に解けない問題がいくつか混じっている。
(とりあえず、解ける問題だけ全力で解いて……!)
試験時間である120分の間に、できることはやりきったけれど、それでも半分以上の答案が白紙のままだった。
(傲っていたわね。帰ってもう一度最初から勉強をしないと)
背筋を伸ばし、凜とした足取りで会場を後にする。
負けたときだって、美しく気高く。
こんな試験ができなかったくらいで、私たちの価値は少しも損なわれたりはしないのだから。
(そ、そうよ。たとえ国一番の最底辺校のテストができなかったとしても、全然関係ないし。余裕だし)
心の声がふるえてしまった。
さすがに、悲しいものがあった。
しかし、負けっぱなしで終わるわけにはいかない。
(こうなったらもっと勉強して、絶対に学校で悪女してやるんだから)
強く決意しつつ、学園を後にする私だった。
◆ ◆ ◆
アルカディア魔法学園にある時計塔の一室。
試験監督を務めた三人の男がミーティアが解答した問題を前に黙り込んでいる。
「……どうします?」
「私のミスだ。公表しよう。責任は取らせてもらう」
初老の男の言葉に、向かいにいた大柄な男が首を振る。
「いけません。先生は創立当時からこの学園を支えてこられた方。このようなことで経歴に傷をつけるわけには」
「用意した試験問題を取り違え、一級魔術師試験問題を渡したのは私だ。この試験に向け、懸命に努力してきた彼女を裏切る結果になってしまった。簡単に片付けていい問題ではない」
「しかし、先生のお名前はこの学園の評価にも密接に結びついています。我々全教員、そして学園に大切な子供を預けている貴族の方々からの評価にも関わってくる」
「だったらどうするというのだね」
「なかったことにしましょう。試験を受けたのは少女一人。リュミオール家の娘であることは厄介ですが、もみ消すことは可能です。先生は取り違えたのではなく、用意していた試験を彼女に渡した。彼女は解けなかった。誰も疑いを持つことはありません」
初老の男は静かに提案を聞いていた。
何度かうなずいてから言った。
「時に、君は他者からの評価について、どう考える?」
「どう考える、とは?」
「それは価値のあるものだろうか」
「もちろん価値のあるものです。どのように評価されるかが、その人の価値にもつながります」
「たしかにそういう側面もあるだろう。しかし、その価値はどこに結びついているのだろう? 評価する者がどう思うかが重要なのだろうか」
初老の男は言う。
「私は、相手がどう思うかに重きを置く必要はないと考えている。なぜなら、人間の考えというのは狭量で偏見に満ちており、その日の気分によって変わる山の空模様のようなものだからだ。重要なのは外部の評価ではない。その根底にある心の気高さにその人の本当の価値があると私は考える」
「しかし、正直者が馬鹿を見るのがこの世の常ですし」
「だったら馬鹿を見れば良い。偽りの栄誉は必ず失われる。自分が正しいことをしたという自負はそんなものよりずっと価値がある」
「変わりませんね、先生は」
大柄の男は深く息を吐いてから言った。
「わかりました。公表して再試験を受けてもらいましょう」
「ああ。そうしてくれ」
「では、今回の答案は廃棄しますね」
大柄の男が言ったそのときだった。
「待ってください」
三人目の背の低い男が言う。
メガネをかけた気弱そうな彼の声は上ずり、かすかにふるえていた。
「どうした?」
「この設問、答えが正しいように見えるのですが」
「は?」
大柄の男は不快そうに眉根を寄せて言った。
「二週間後に行われる一級魔術師試験の問題だぞ。大学院生でも合格率は十パーセント以下。十一歳の子供に解けるわけがない」
「疲れているのかもしれません。先生もチェックをお願いします」
背の低い男は、大柄な男に答案を渡す。
いぶかしげな顔で視線を落とした大柄な男は、そのまま押し黙った。
真剣な顔でそこに書かれた少女の思考を追う。
何度も念入りに読み返す。
「なんで……どうして……」
力ない声が漏れた。
「こんなこと、あるわけが……」
呆然とする男の隣で、答案をのぞき見た初老の男がつぶやいた。
「天才、か」
物憂げに窓の外の学園を見つめて続けた。
「嵐の匂いがするな」






