【書籍版発売記念SS】ミーティア、子猫を拾う
それは私が一流の農業従事者として、手配した馬車に葉物野菜を積み込んだ後のことだった。
か細くささやかな隙間風のような響きが聞こえて、首をかしげる。
何の音だろう?
気のせいかと思ったけれど、たしかにその音はどこかから聞こえている。
あたりを見回し、注意深く点検する。耳を澄ませて、音の聞こえる方角を確認する。
(こっちの方かしら?)
農具を収納している小屋の軒下だった。
柱の陰で茶色の子猫が鳴いていた。
私を見上げて、不安そうに瞳を揺らす。
くるりと大きな黒目が射し込んだ光を反射していた。
聡明な頭脳を持つ華麗なる悪女である私なので、怯えた子猫を見ても心を動かされたりはしない。
かわいそうだとも思わないし、ましてかわいいなんてまったく思わない。
興味もないので、とりあえず家に連れて帰ることにした。
書庫で猫の食べ物を調べた。
ミルクをあげるのはあまりよくないということを知った。
家の戸棚からこっそり干した小魚を盗みだし、喉に詰まらないよう小さく砕いて食べさせた。
子猫は夢中で小魚を食べた。
お腹が空いていたらしい。
ざらざらした舌が私の指に触れた。
特に何も思わなかったが、私は追加の小魚を盗みだしてまた小さく砕いて食べさせた。
身体が汚れていたので、拭いてあげた。
茶色と白の縞模様の子猫だった。
悪女っぽい黒猫だったらもっと高得点を上げたのに。
やっぱり興味が持てないわね、と思いつつ木箱に入れて家の中に入れた。
自室のベッドの下に隠した。
子猫は喉が渇いていたらしく小皿に入れた水を熱心に飲んでいた。
身体はやわらかく熱を持っていた。
毛並みはふわふわで香ばしい香りがした。
小さな命がそこにあるのを感じた。
転んで潰したら死んでしまうかもしれない小さな生き物。
クールで現実主義者な私なので、感情移入をすることはまったくなかったけれど、この子の存在をヴィンセントとシエルに伝えるかどうかについてはかなり悩むことになった。
ダメと言われてしまうかもしれない。
しかし、一人で隠れて育てるのは明らかに限界がある。
『野良猫が入り込んでいたので外に逃がしておきました』
そんな風にヴィンセントに言われたら、涙目で一晩中この子のことを探す羽目になってしまうかもしれない。
(懐柔しやすい方を味方につけましょう)
私は戦略を考えた。
冷静なパートナーという感じのヴィンセントに比べ、シエルは私のカリスマに心酔している部分があるように感じられる。
悪の色気と危ない雰囲気に心を奪われてしまっているのだろう。
無理もないことだ。
シエルの方を攻略することに決める。
「少し相談したいことがあるのだけど」
と袖を引く。
「え、尊い」
とシエルはよくわからないことを言う。
子猫のことを話す。自室の木箱を見せる。
不安そうに見上げるくりんとした大きな黒目にシエルの顔が映る。
「な、なんというかわいさ」とたじろぐ。「これは飼うしかありませんね」攻略は一瞬で完了する。
二対一という有利な状況を作ってから、ヴィンセントに相談した。
「では、飼いましょう」ヴィンセントはあっさり受け入れてくれる。
三人で猫の飼い方を勉強しつつ、トイレの躾や喜ぶなで方を学ぶ。
猫トイレの掃除をするときもヴィンセントの所作は優雅だった。
熟練のソムリエがワインボトルに触れているときみたいな手つきだった。
すごい、と素直に感心する。
こうして、子猫との新しい日常が過ぎていく。
しかし、一週間が過ぎたときある噂が私の耳に届く。
隣町で八歳の女の子と家族が子猫を探していると言う。
配っているビラを見せてくれる。その特徴はうちの子猫に似ている。
いなくなった日も私が拾った日と一致している。
おそらく、野菜を出荷するために出入りしている馬車に間違えて紛れ込んでしまったのだろう。
私は一日考える。子猫は私を見上げている。
やわらかい背中を撫でる。小さな額に頬を擦り付ける。ふわふわの毛に鼻をおしつけ、香ばしい匂いを嗅ぐ。
それから、子猫を返しに行くことに決める。
小さな民家を訪れる。
勘違いだったらいいと思う。
だけど、子猫は「知ってるところ!」と言わんばかりに尻尾を振っている。
呼び鈴を鳴らす。
出てきた女の子は子猫を見て固まる。
信じられないみたいに瞳を揺らす。
そこには『夢なんじゃないか』『こんな都合の良いことがあっていいのだろうか』という逡巡がある。
私は腕の中の子猫を抱きしめる。
もっとこうしていたいと思う。
ずっとこうしていたいと思う。
女の子が不思議そうに私を見る。
私は抱える手の力をゆるめる。
それから、彼女に子猫を渡す。
果てしなく距離のある一歩を超えて、子猫が女の子の腕に飛び込む。
幸せそうな二人を見て、よかったなと思う。
帰り道で目玉焼きのせハンバーグが食べたいと私はシエルとヴィンセントに言う。
二人が作ってくれたそれを食べる。
私はハンバーグをおかわりする。
お腹がぽっこり出るくらいたくさん食べる。
子猫と過ごした時間を私は愛しく思う。
短い間だったけど、その小さなぬくもりは私の中にたしかに息づいている。
大人になったら猫を飼おうと思う。あの子に似たとびっきりかわいい猫を。
世界一かわいい大好きなあの子に。
段ボールの中で鳴いてたあの日から十五年、ずっと癒やしと元気をくれて本当にありがとう。
「貴方なんていなくても生きていけますけど?」とツンとしたところと、真夜中に寂しくなって撫でてもらいにくる寂しがりなところが大好きでした。
思いを込めて書きました。何か届くものがあったらいいなと願っています。
そしてそして、『華麗なる悪女になりたいわ!』書籍版が本日8月7日に発売します。
書き下ろし番外編が二本追加されています。
『執事の品格』
ヴィンセント視点。
葉月はかなり好きな一本。
このお話のためにこの作品あったんじゃないかなって。
『有限で微少なプリン』
ミーティアがプリンを作るべく行動するお話。
やさしくゆるい家族のお話です。
また、公式サイトにて書き下ろしSSが公開されています。
ミーティアの自称華麗なる一日のお話。
残念かわいいゆるめなお話です。
葉月の好きをいっぱい込めて書きました。
よかったら、楽しんでいただけるとうれしいです!






