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26.それは救済、人は狂気と呼ぶけれど

軽い流血描写があります、ご注意ください。

 







(う、うーん…………心配! どうしよう? リーファ様の身にもし万が一のことがあったらどうしよう? 怖いな~、怖いな~)



 しかし俺の心配とは裏腹に、彼女は凛々しい顔つきで文を読んでいた。長い睫が影を落とし、いつもの黒い瞳には真剣な光が宿ってきらりと輝いている。



 彼女がゆったりと口元に弧を描いて笑う。ここは真夜中の寝室で、彼女と俺は白い夜着姿だった。先程送られてきた文を二人で読もうと、寝台に腰掛けているのだが。




「確かに叔母様は単純ね。…………いえ、私が何も出来ぬ小娘だと。そう侮っているのやもしれません」

「ああ、それは言えてますね……でも」




 彼女の黒髪を耳の後ろへとかけ、その不思議そうな顔を見つめる。彼女は最近、少女というよりも女性になった。まるで柔らかな地面から芽が生えてくるかのようにどんどん、しなやかで瑞々しい女性へと変化してゆく。



「貴女は芯の強い人なのに。……俺なんかよりも余程しっかりしていますよね、リーファ様は」

「ふふっ、私にとって頼れる人はグエン様だけなのに? グエン様がいつだって私のことを可愛いと言って甘やかして下さるから。だから強く在れるんです、私」

「えっ可愛い、好き。…………えっ、可愛い…………好き」



 もはやそれしか言えない。彼女はなんて清らかで美しいんだろう。



「リーファ様…………心配です、俺。本当に行くんですか?」

「私、トアンの時だって同じくらい不安だったんですよ?」

「うっ、すっ、すみませんでした…………!!」



 まだ本調子じゃない。肩が痛い。念の為薬草を貼って包帯を巻いている肩が、ずきりと鈍く痛む。そんな俺を見て彼女がふっと、困ったように笑った。



「グエン様……大丈夫です、私。怪我なんかもしないで帰ってきますから。ねっ?」

「はっ、はい……まぁ、俺が。何か言えるような立場じゃないし、むっ!?」



 いつになく積極的な彼女にくちびるを奪われ、そのまま抱き締め返して楽しむ。ああ、恐ろしい。どうか奪われてしまいませんように、彼女がずっとずっとこうして俺の傍にいてくれますように。



「っは、グエン様。私なら大丈夫ですから。ねっ?」

「は、はい。リーファ様……大人しく待ってます、俺」




 ああ、彼女には敵わない。




(ああ、今回俺は。屋敷で留守番か…………)















「そんな訳無いでしょう、グエン様。貴方も私と一緒に屋敷に忍び込んで一網打尽にしますよ。向こうも護衛を雇っているんですし? 本当にお嬢様は囮ですよ、囮」

「えっ? あっ、ああ。そうだよな……」




 それ以外何も言えずに茶を啜った。トアンは父親と出かけている最中らしい。俺の部屋にて、黒い胡服姿のセイランと話し込む。




「まぁ、でも良かった。夜半に一人で来いと言うのは陰湿だなと思いますけど。流石は妖狐。何を考えているんだか分からない」

「仮にも主人の妻に向かって酷い言い草だな……」

「グエン様は甘いですよね、本当。だからまぁ、トアン様も落ち着いて暮らせている訳ですが。愛の力ですね、愛の力」

「やめてくれよ、本当。弟として可愛がっているだけだから。頼むからセイラン、お前。リーファ様の前でそれを言うなよ……?」




 げんなりとして窘めると、セイランは黙ってにっこりと微笑むだけだった。一見、優しげな男に見えるが何かと食えない男である。



 セイランが串で団子を刺し、それを口元へ運んでぱくりと食べる。頬を動かして咀嚼しながらも、黒い瞳を細めて笑った。




「……グエン様は本当。お嬢様を愛しておられますね。もしも私が混乱に乗じて貴方を浚ったりだとか。スイラン様の味方になるって言ったらどうしますか?」

「どうもしない。そもそも、俺はお前の主人じゃない。好きにしたらいいさ、何でも」




 妖魔の特性なのか、する気もないことを口にする。スオウもそうだった、大抵は低く笑って「冗談ですよ、今のは。可愛いですねぇ」と軽く言い放つ。それなので俺も団子を食いつつ、涼しげな顔立ちのセイランをじっと見つめた。




「それに、意味の無いことはしない性格だろ。お前。そんなことして一体何の得があるんだよ?」

「いえね、トアン様が貴方様に恋焦がれている理由がほんの少し。分かったような気がして」

「気紛れだよな、お前らは。……すぐそうやって心にも無いことを口にする」




 いちいち真に受けていると切りが無い。妖魔はいつだって残酷だ。




(んん? でもリーファ様も。妖狐の血を引いているんだよな? どうしよう? 大丈夫かな、捨てられないかな……)




 もちゃもちゃと団子を食いつつ考え込んでいると、ふと向かいに座っていたセイランが立ち上がる。その黒い瞳には何かが揺れていて、背筋がぞっとしてしまった。そのままセイランが真剣な表情でこちらへとやって来て、体を屈めて甘く囁きかけてくる。




「私は本気ですよ、グエン様。貴方の為だったら何だってします。でも、そうですね? まずは手始めに……」

「こら、駄目だよ。セイラン。グエン君が困っているじゃないか」

「あ、トアンの父さん……こんにちは」




 セイランが舌打ちをした後、何故かこちらの指先を掬い上げてちゅっと口付ける。呆然としてその光景を見つめていると、フェイランがこちらへとやって来た。今日は薄紅色と黒の羽織りを纏っており、優しげな顔立ちに笑みが浮かぶ。



「失敗したね、お前には不向きだったか。うん、今からでも代えようかな?」

「フェイラン様、申し訳ありません。私は」

「うん、分かっているよ。仕方が無い、お前は。美青年が好みなんだし?」

「美青年……」



 それ以外、何も言えない。ちらりとセイランを見上げると、静かな表情で佇んでいた。その黒い瞳は凪いだ海のように静まり返っていて、背筋がひやりとする。フェイランはそんな視線を受けても動じずに、いつもの気弱そうな微笑みを浮かべるだけだった。




「君は長く仕えてくれているからね。そろそろ解放されたいんだろう。いや、そもそもの話。グエン君に仕えたいと思ったのかな? 君は何かとスオウさんを敵視しているようだし?」



 その言葉を聞いて、セイランが深い溜め息を吐く。ゆるりと黒髪頭を振って、そっとこちらの手を握ってきた。




「だって心配じゃないですか、フェイラン様。貴方は何だかんだ言って死にそうにない顔をしているし?」

「えっ、ええっ? そんな、臆病者で怖がりな俺を捕まえて……きっと早死にしちゃうよ、俺。長生き出来ないと思う」

「まぁ、どこからどう見ても。気弱で病弱そうな……」




 素直な感想を口にしただけなのに、途端にセイランが生温かい微笑みを浮かべる。やっぱり嫌いだ、こいつ。こうしてよく俺のことを馬鹿にしてくるから。




「ありがとう、グエン君。……ん? お礼を言うべき所ではなかったかな? まっ、いいや。俺も団子を一つ貰おうかな?」

「厨に行って取ってきます、ついでにお茶も。ぬるめにして貰いますね」

「うん、ありがとう。セイラン、よろしく。ああ、あとそれと」

「はい? まだ何か?」



 椅子を引いて座ったフェイランがにっこりと微笑み、黒い瞳を細めた。



「グエン君がお前を欲しがるのなら手放そう。自分で頑張って口説き落とすといい。だから妙な真似はするなよ? 分かった?」

「……分かりました、それでは。これで」

「ん、よろしく」



 去り際にセイランが、にやりと歪んだ笑みを浮かべる。なんだ、あれは。どうして俺はいつも妖魔に執着されるんだ?



「トアンから聞いたよ。……君は一度死んで蘇ったんだって? そのせいだろうね、おそらくは」

「っだから……俺。いや、何でもないです。すみません。ええっと、そうだ。トアンは? 今はどこに?」



 眉毛を下げて気弱そうな笑みを浮かべると、自分の手元を見下ろした。



「あの子は体が弱くてね。今は屋敷で眠っている最中だよ。大丈夫、ちゃんと。昔あの子をみていた乳母が付いているから。心細くは無いだろう。それに、彼女もトアンに会えて喜んでいた」

「あっ、ああ…………それなら良かったです。トアンも何と言うかまぁ、幸せそうで」



 良い父親がいて良かった。やはり家族といるのが一番だ。あんな山奥の、薄暗い屋敷にいる必要なんて無かったのに。どこにも。



「ありがとう、グエン君。あの子のことを気遣ってくれて。ああ、そうだそうだ。スイランの屋敷に忍びこむ件についてだけどね? 俺も一緒に行くことにしたよ、あの子を捕まえる」

「んぐ、戦えるんれふか?」

「勿論、ちゃんと。俺の味方をしてくれる妖魔も多いんだよ? こう見えてもね?」

「へー……そりゃ有難いです。彼女に怪我して欲しくないから…………」



 フェイランがふっと黒い瞳を瞠って、微笑ましげな表情となる。何なんだ、一体。どいつもこいつも。




「……うん、そうだね。良かった、グエン君が。素直な優しい子で」

「俺としちゃ、捻くれてると思いますがね。そんなに言うほど素直でも何でもない……」

「持ってきましたよ、フェイラン様。ああ、あと。本気で私のことを雇ってみませんか? グエン様」

「無理、必要ない。あとリーファ様から死霊使いをやめてくれって言われてるし。俺」

「えっ!? そんな!!」

「そうなのかい? グエン君」



 不思議そうな顔で問いかけられ、団子をくわえたまま頷く。



「だからまぁ、そんなに死霊も捕まえてなかったけど。全員解放して、ウシガエルのヨウリンも野に放つ予定です。んで、結婚して二人で農園でも営んでいこうと思いまして、ぐっ!?」

「じゃあ私も働きますよ、グエン様!!」

「ちょっと待ちなさい、セイラン。グエン君の首が折れそうになっているから……!!」




 ああ、どうしてこんなことになってしまうんだろう。いつもいつも。




(それでも……それでも。あの時よりかはましだな、うん)




 セイランの腕に手を添えて、ひっそりと笑う。随分と俺の周辺は賑やかになった。…………生きていてもいいのかと、そう自問自答することもない。



「ありがとう、セイラン。気持ちだけ貰っておくよ。そんでたまに遊びに来たらいいだろ、お前。トアンも連れてさ? 護衛とか従者とかそんな感じに、」

「淋しいなぁ、もう! すっかりこれから先のことを考えているじゃないですか! お願いだからあの糞水魔を家に連れ込まないでくださいよ!? 分かりましたか!?」

「いや、お前。そもそもの話俺とは会ったばかりで、ぐえっ」

「セイラン……はーあ、引き離すか。やれやれ」





















 ひたひたと、過去の薄暗い記憶が蘇ってくる。それは真夜中の海面が揺らぐかのように、私の記憶の底でゆらりゆらりと揺らぎ続けている。



『馬鹿な女だ。…………愛したことなど。今まで一度も無かったというのに』



 凍てつくような眼差しで母の死体を見下ろし、白い頬に散った鮮血を拭う。明日は婚礼、私の婚礼。明日は私の婚礼で、家族で過ごす最後の夜だった────…………。




『スイラン、お前のこともそうだ。愛したことなどただの一度たりともなかった。だが妹だ、お前は俺の。大事な妹だからな…………』




 だから殺しはしないよ、といつもの優しい眼差しで笑う。手の中にあった筈の杯が滑り落ちて、私の膝をぐっしょりと濡らしてゆく。




『そんな、お兄様。だってあんなにも貴方は私を求めて…………』

『ああ、馬鹿で単純なスイラン。…………お前はきっと、これからも人に騙され続けて生きていくんだろうね』




 違う、違う。私は騙されたりなどしない、違う違う。お兄様がまた笑う、血塗れの短刀を持って笑う。笑って、狂気に満ちた眼差しでこちらを見下ろしている。黒曜石よりも鋭い、肌が裂けて真っ赤な血が溢れ出してしまいそうだ。



『いいや、お前はきっとずっとそうだよ。死ぬまで。誰もお前のことなんか見やしない、顔の美しさなど何の役にも立たない。お前にはあの男がお似合いだよ、スイラン…………馬鹿で可愛い妹。俺の妹』




 ああ、違う。絶対に騙されたりなどしない、私は、私は…………。




「っは、は、トアン。トアン…………」




 スイランは寝台から飛び起きて、青白い顔で自分の胸元を押さえる。そして、血が滲み出るくらいくちびるを噛み締めた。



「トアン。お前もきっとどうせ騙されているんだわ。だって私の息子だもの、あの男と私の…………」




 始めは浮気しているのかと思った。やたらと豪勢な屋敷に上手くいっていない商売。毎日愛を囁いてはうんざりする程の贈り物を持ってやって来る。



『大丈夫だよ、俺は貴女の味方だから。…………可哀想に、こんなに美しい人を。殴ったりして。ああ、痣が出来ている…………』



 優しかった頃のお兄様とよく似た微笑みを浮かべ、こちらの傷を手当てしてくれた。あのまま呆然と嫁いで、兄と関係を持っていたことを知った夫に殴られた。何をどうしていいのかよく分からなかった。



『お兄様、私の赤ちゃんは…………』

『スイラン、お前の為だよ。こうするしかなかった。お前が無事に嫁ぐ為にもそう…………』



 楽しみにしていた我が子を奪われ、涙に暮れた。それでも産みたかったのにと言って泣けば、お兄様は困ったように笑って頭を撫でてくれた。だからようやく、ほんの少しずつ残酷な痛みから立ち直れたのに。



 自分の赤子を奪われたという、半身をもがれるような苦しみから立ち直ろうとしていたと言うのに。




『馬鹿なスイラン。馬鹿で単純なスイラン。…………俺の子をお前が産むなど。考えただけで吐き気がする。けがらわしい』




 そう吐き捨て、私を残して去っていった。明日は私の婚礼、明日は私の婚礼で。家族と過ごす最後の夜で…………。



『…………お母様? お母様。嘘でしょう、お母様。嘘でしょう?』



 応答は無い、当然だ。血の海の中で呆然と座り込んでいた。お母様、お母様。狐のお母様。




『もう、もう誰も信じない。騙されたりもするものか、お兄様。お兄様』



 全部全部嘘だった。恋人のように過ごした夜も、兄として優しい微笑みを浮かべていたのも。凍えるような眼差しでこちらを見下ろし、血に濡れた短刀を握り締めている。



『馬鹿なスイラン。単純で馬鹿なスイラン…………お前はずっとずっとそうやって騙され続けるんだ。そうやってずっとずっと人から騙され続けて。惨めに野垂れ死んで生を終えることだろう………………』



 ああ、違う。私は騙されたりなどしない。絶対に。もう二度と誰も何も信じたりなどしない。



『大丈夫、俺は貴女の味方だからね? ……辛かっただろう、可哀想に』



 お兄様とよく似た眼差しで笑う。でも凍えるような冷たさが見当たらない。春の陽射しのような柔らかさが目の奥にあって、それだけは本物だと信じていたのに。




『ねぇ? …………どこに行くの? こんなに遅くに』

『ああ、起こしてしまったか。ごめんね、スイラン。…………ちょっと行ってくるね。朝までには帰ってくるから』



 そう言ってぎこちなく笑う。商売が上手くいかなくなると、赤字が出ると頻繁に出かけるようになった。




『ねぇ、貴方。どこに行くの? 最近、夜に出かけてばかりで…………』

『何も無いよ。…………何も無いよ、スイラン。大丈夫。寝て待っていてくれ。朝までには帰ってくるから』




 何度問いかけても同じ言葉の繰り返しで。こっそりと後をつけてみると、朽ち果てた屋敷の中で妖魔を殺していた。ああ、あの時の場面が蘇る。お兄様が血塗れで頬を拭って、凍てつくような眼差しで振り返って────……。




『ああ、スイラン? …………ばれてしまったのなら仕方が無い。俺は…………』




 血塗れで困ったように笑う。嘘だった、嘘だった全部。足元には狐が転がっている、化け狐。お母様の眷属だった、妖狐に付き従う化け狐…………。



『ああ、哀れなスイラン。可哀想なスイラン。馬鹿で単純だ、お前はそうやってずっとずっと騙され続けて…………お前なぞ誰も愛さない、顔の美しさなど何の役にも立たない』




 お兄様の声が蘇る。ああ、私はなんて馬鹿だったんだろう。私はなんて。




「っ信じない、信じない。トアン、お前も騙されているんだ。トアン、信じない、信じない。あの男の言うことなど、信じられるものか…………!!」




 あの優しい日々が全部、嘘だと知ってしまったから。



(お兄様とよく似た人を好きになった。馬鹿だ、馬鹿だ…………)



 取り戻せない、何もかも。赤ちゃんも優しかった日々も。トアンも何もかも。




「グエン、グエン。お前さえいなければ。グエン、グエン」




 真っ直ぐな青い瞳で射抜いてくる。私を悪だと断じて射抜いてくる。お前さえ、お前さえいなければ。何も知らぬような顔をして罵ってくる。そうだ、そうだ。



「リーファ、私が貴女を守ってあげる。何もお前まで、あの男に騙される必要は無いの…………殺して、殺してしまわなくては…………っは、ふふ、ふふふふふ」












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