19.お願いだから歪んでいると言わないで
ああ、ちょっと失敗したかもしれない。
「おいおいおい……あの爺さん、一体何者なんだよ? っと」
ぎちぎちと植物の蔦が巻き付いてくる。瑞々しい緑の茎は太く、先程からこちらの手足を締め上げてくる。全身を締め上げられながらも考えていた、はたして植物をこんな風に操れるものなのかと。
ぎっちりと全身に巻き付いた蔦はしゅるしゅると音を立てて、まるで蛇のように蠢いてこちらの目元を覆ってくる。
その蔦に目元を覆われながら、ざわざわと締め上げられながら考え込んでいた。
「これ、多分幻覚だよな? ってことはこの辺か?」
強く締め上げてくる蔦ごとがっと腕を持ち上げて、目の前の空中を掴む。途端にばっと視界が開けて、驚いた表情のギエムが飛び込んでくる。
「やっぱりか! 爺さん、あんたとんだ幻術使いだな!?」
「あーあ、流石はショウリンの息子だよ、嫌だなぁ!」
ギエムの頭をわし掴みにしているとばぁっと風と土の匂いが広がって、遠く離れた場所には驚いた表情のリーファ様とズハンがいた。
そうだ、ここはいつもの屋敷の庭園だ。
(危なかった、思考が鈍っている。風の匂いと土の匂い。そうだ、俺は。あんな暗いところでぐるぐる巻きにされてなんかいねぇ)
俊敏な動きでがっと腹を蹴り飛ばされて、思わず舌打ちをして剣を持ち直して、迫り来る短刀の軌道を変える。ぎゃりっと滑ってまた煌いて、ギエムがその体を低くして迫ってきた。
(っ早い! 何だ、この爺さんは)
冷や汗を掻いて頭上から剣を振り下ろし、それもまた簡単に受け流されて、地面に手を突いたギエムがにっと笑う。
「やはり息子とは言えども、ショウリンには遠く及ばねぇなぁ!」
「俺はあの人の息子なんかじゃない、俺の本当の母は別にいるんでねっ! っと!」
鋭く迫ってきた短刀を受け流して、一瞬たりとも息が吸えないまま黄色い歯を眺めていた、ギエムがにっと笑う。
「馬鹿を言え、あの女とそっくり同じお綺麗な顔立ちをして。何を言いやがるんだ、お前さんは?」
「っ気持ちの問題だよ、爺さん! 俺はあの人のことを師匠だと認めてはいるが、母だとは認めてねぇんだよ! っと!」
「おっとあぶねぇ、あぶねぇ。殺す気かよ、俺のことをさ?」
手加減をしていたら殺されそうだ。いや、腕の一本や二本を切り落とされるかもしれない。
「っ嫌だ! それは!! 俺はずっとずっとリーファ様のことを抱きしめて生きていくと決めているんだよ、この糞ジジイが!」
「ああん!? 戦っている最中に惚気かよ!?」
思いっきり飛んで剣を振り下ろして、流石にまずいと思ったのか短刀で受け流した後、ギエムが転がるように横へと移動して、またその短刀で鋭く突いてきて、何とかその刃先を逸らす。
(っぐ! 強い、早い! でも殺意は見当たらない)
まるで二人でごっこ遊びでもしているかのようだ、その短刀の使い方も何もかも滅茶苦茶だ。
「要するにお前を納得させたらいいんだろう!? 爺さん!?」
「無理だとは思うがな! やってみな、坊主!! ショウリンの息子!」
「だから違うって言ってんだろ!? この石頭の頭でっかちめ!!」
ああ、何度願ったことだろう。早く帰ってきて欲しいと。
『ごめんね、グエン。こんなことなら私がショウリンにもっとちゃんと言い聞かせとけば良かった、ごめんね……』
奥様、あなたが謝る必要なんて無いんだ。過去を思い出すと苦いものが口の中に広がってゆく、淋しくて膝を抱えていた夜が何度も何度もあった。
「だがやはり憎めなかった、俺は母のことを」
「ああん? 何だぁ、急に?」
「あんたが聞いてきたんだろうが、俺達の親子関係をさ!?」
「っぐ!?」
年寄りだろうと何だろうと手加減はしない、痩せこけた腹を蹴り飛ばす。
「あの人は何も悪い人じゃない。だからこそ憎みきれなくてもどかしかった、ある程度の愛情はあったんだよ、お互いにな?」
「へっ、そりゃあ結構なこって」
尻餅をついて見上げてくるギエムに眉を顰め、目線を合わせるためにしゃがみ込む。
「なぁ、頼む。解呪をしてくれないか? リンファの」
「……お前。さっきも言ったが元々は部外者だろう?」
深く溜め息を吐いて懐を探って、ぽんと酒が入った筒を投げてやる。途端にさっと目の色を変えて了承も取らずに蓋を開け、ぐびぐびと飲み始めた。その飢えた獣のような爺さんを見て考え込む。
(これは。無理かもしれないなぁ……)
戦いの前に「あんたなら爺さんに気に入られるだろう、グエン」と言われたが絶対に無理だ。お手上げだ。
「あー、空が青い。爺さん、それを飲んだら帰ってくれ。邪魔だから」
「あ? 解呪はどうしたんだ、解呪は」
「いざとなったら俺がリンファを殺す。たとえどんなに彼女に恨まれたとしてもだ」
呪具であるリンファは彼女の傍にいたがる。現になるべく離れていろというのにちょくちょく会いに来ては、ひっそりと彼女を抱き締めている。
「何とか引き離すことも考えたが。ありゃあ無理そうだ、何よりもリーファ様が嫌がる。大事な妹だからってね」
「ああん? それなのに殺しちまうのか? その婚約者の大事な妹とやらを?」
「ああ、殺す。どんなに恨まれても殺す」
俺は彼女のことが一番大事なんだ。
「リーファ様が二十歳になる前に。俺がリンファを殺す。だから爺さん、あんたはもう帰れ。山で隠遁暮らしをしているところ、引き摺り出して悪かったな」
ギエムがぽかんと、間抜けな顔をして黄色い歯を覗かせていた。思ったよりもしっかりとした灰色の瞳を見て、実年齢より老けて見えるだけで年寄りではないのかもしれないな、と。そう感じて何故か笑ってしまう。
「おいおい……結婚話が破談になるぞ? いいのか?」
「別にいい。彼女が生きて、幸せになってくれるのならそれで」
他の男と結婚する彼女を想像したら胸が苦しくなった、でも。
「彼女が死ぬより何億倍もましだ。彼女がいないこの世なんて考えられない。俺はいざとなったら自殺する。だからどんなに恨まれてもリンファを殺す。なるべく苦しませない方法で」
手をぎゅっと握り締めて、熱く燃え滾る思いを飲み干す。ああ、そうだ。俺は。
「彼女の為なら何だってしてみせるよ、俺は……だけど爺さん。あんただって本調子じゃないんだろう? 呪いに関することは。恐ろしく気力と体力を削られる」
「……昔からの不摂生ってやつでね。まぁ、そう悪くはない。ある程度病魔どもがこの体に巣食っているのかもしれんがねぇ~」
その言葉を聞いて深く溜め息を吐く。浮き出たあばらにぱさついた白髪混じりの黒髪、灰色の瞳は落ち窪んでいてクマが浮かんでいる。
「いい、病人に無理をさせるつもりはない。まぁ、出来たらそりゃあ。解呪して欲しいってところが本音だけど、」
「そんじゃあ。してやろうじゃねぇかよ、坊主。んん~?」
「あ? いきなり素直になられても気持ち悪ぃよ、さっさと帰れ。糞ジジイ」
先程地面へと放り投げた鞘を拾って、かちゃんと剣を納めていると。目の前に座り込んでいたギエムが腹を抱えて笑い出した、怖い。
(どうにも俺の周りにいる人間って。癖が強いよなぁ~……)
ギエムが皺の入った目元を拭って、愉快そうな灰色の瞳で見上げてくる。
「俺ぁ、やるなと言われたことはやりたくなる性分でねぇ。やってやるよ、解呪。どうだい? 嬉しいだろう?」
「いや、ちっとも嬉しくなんかない。俺はリーファ様と今すぐイチャイチャしたいんだ、居座ってないでとっとと帰れ」
「へっ、素直じゃねぇなぁ。もう。そうだ」
ギエムがすっくと立ち上がり、鋭い灰色の瞳できょろきょろと辺りを見回す。
「さっきの。お前さんの足元にいた若い猫はどこにいる?」
「ファファのことか? ちょっと待っててくれ、彼女とイチャイチャしてくるから」
「お前さんの頭にはそのことしか無いのかよ……? ったく、しゃあねぇな。俺の若い頃を思い出すぜ。ふふっ」
背後でふっと気取って顎を撫でている爺さんは無視して、心配そうな表情で駆け寄ってきたリーファ様を抱き締める。
「っグエン様! 大丈夫でしたか!? そのっ、お怪我は!?」
「ありませんよ、リーファ様。申し訳ありませんでした。そして戦って俺が勝った結果。どうも納得して解呪をして下さるようで」
「おいおい、いい性格してんじゃねぇか、ああ? ショウリンの息子が」
「そうなんです! グエン様はとっても優しくて良い人なんです!」
彼女がにこにこと笑って俺の腕にしがみついて、嫌そうに顔を顰めているギエムを見つめていた。そして隣に立っていたユウロンが笑い出し、彼女の護衛をしていたズハンが真顔でこくりと頷く。
「お嬢様は天真爛漫なんです。可愛らしいでしょう?」
「あぁ~……ズハンといったか? どうも駄目だ、こりゃあ。俺はこの手の人間に遭遇すると、ケツやら背中がむず痒くっていけねぇや、けっ」
「おいおい、どこに手を突っ込んでぼりぼりと掻いているんだよ!? リーファ様の目が穢れるだろうが、ただちにやめろ!!」
自分の股に手を突っ込んでばりばりと掻き始めたギエムを見て、それまで腕にしがみついていたリーファ様が「きゃっ」と小さく声を上げて、耳まで真っ赤になって顔を埋めてきた。可愛い。可愛いが過ぎるよ、まったくもう。
「でっ、でも。その、解呪はして下さるんでしょう? リンファはとっても大事な妹なんです。その、やはり、貴方にはご負担でしょうか……?」
彼女の潤んだ黒い瞳を見て、ギエムは死んだ魚の目をして突っ立っていた。くくくと忍び笑いを漏らすユウロンを睨みつけてから、渋々といった様子で溜め息を吐く。
「ああ、まぁ。いいや、それじゃあ。ここで解呪しないだなんて言い出したら。お天道様に会わせる顔がねぇや、へっ」
「元から無いでしょう? そんな顔。師匠には」
「ああ? てめぇ、ユウロン。覚えておけよ? 後でしこたま飯と酒を奢ってもらうからな?」
「ええ、そのつもりですよ。覚悟しています」
ユウロンが溜め息を吐いた後、ギエムは低く笑ってぐーんと体を伸ばした。
「そんじゃあ解呪をしに行くかねぇ、その呪具の嬢ちゃんとやらはどこにいるんだい?」
何だろう、この爺さんは。目の前でにこにこと笑っている男は明らかに胡散臭く、白髪混じりの黒髪を結んで灰色の衣を着ていた。そして一本の刀傷が入った灰色の目元でにやりと笑い、隣に座ったユウロンがそれを小突く。
「怖がっているじゃないですか、師匠。もうちょっと愛想良く出来ませんかね?」
「ああ? 何だぁ、ユウロン。十分愛想良くしているじゃねぇか、俺はよ?」
そこでまたぎゃあぎゃあと言い争いを始め、湯飲みを持ったまま戸口のグエンを振り返ってみると。こちらに気がついて困ったように笑う。そんな顔をしていると三十五歳の男に見える。
「悪いな、リンファ。この爺さんは中々に信用出来ないやつだが。お前の解呪をしてくださるそうだ」
「ほんで? おめぇは何でそこでぼーっと突っ立ってんだよ?」
「爺さんとユウロンを見張るためだよ。まだ俺はあんたらのことを信用しちゃいないからな?」
ぼりぼりと黒髪頭を掻いて呟く。その端正な横顔をじっと見つめていると、困ったような青い瞳で見つめ返してきた。
「まぁ、なんかあったら俺が助けるから。リンファ、悪いが受け入れてくれ」
「大丈夫、願っても無いことだから」
そう返してお茶を啜っていると、向かいに座ったユウロンが苦虫を噛み潰したような顔となる。
「……何? 私の顔に何かついているの? さっきからじろじろと見てきちゃって」
「いや。……いい、まぁ、後で謝るから」
「なんだぁ? おめぇ、この嬢ちゃんに首ったけだろうにそんな、」
「殺しますよ、師匠? いい加減に黙っていてください」
「っうえ!? てめぇ、師匠といいながら小突くんじゃない!! この糞野郎が!」
「いいですか!? 大体ですね、俺はですね」
またそこでぎゃいぎゃいと言い争いを始めたので、仲の悪い師弟の頭にグエンがごごんっと拳を振り下ろす。
「いいからさっさと解呪をしろよ!? 延々とじゃれあっている場合か!? なぁっ!?」
「ったくよー、はーあ。こいつが悪ぃんだ、こいつがよぅ~」
「ちっ、いいからさっさと解呪をしろよ。糞ジジイが」
ユウロンが吐き捨てるように呟いた後、またこちらを苦しそうな瞳で見つめてくる。
(何なの? 訳が分かんない。私の首を絞めて殺そうとしたくせに)
いや、だが。明確な殺意というものは無かった、この男に。終始苦しそうな顔をしていた。しかし、今ここでそれを考えていても仕方が無い。
「それじゃあ解呪をしてくれる? ギエム爺さん?」
「あー、しゃあねぇなぁ。分かった分かった、はーあ」
おもむろに椅子から立ち上がってこちらへとやって来たので、たじろいでしまう。しかしギエムは真剣な灰色の瞳で「こりゃあ、悪趣味な」と呟き、こちらの腕を掴んで赤い袖を捲って、ぐっと爪を立てて握り締める。
するとざわざわと、蛇やきつねの形をした黒い影が蠢いて、私の腕を這いずり回って「ケキャケキャ」と奇妙な鳴き声を上げてはふっと掻き消える。
「っひ、なに。今の……?」
「俺が施した呪いだ。……悪かった、本当に」
「いいわよ、別に。あんたを責めるのはお門違いだわ。どーせあの頭のおかしな女に脅されて強制されたんでしょう? 見ていれば分かる」
そんな言葉を聞いて泣き出しそうな顔をして、蚊の鳴くような声で「ありがとう、リンファ」と呟く。
(どうにも調子が狂うわね、この男ときたら。まったくもう)
私の腕を握っていたギエムが灰色の瞳を伏せて、顎に手を添えている。そうしていると随分と若く見えるし、男前だと言っても差し支えなかった。
「こりゃあ、いくつもの道具と手順が必要になる訳だ……だが」
ぶつぶつと口の中で何かを呟き、その途端ぶわぁっと黒い霧が立ち込める。
あっという間に視界が暗く閉ざされてしまい、怯えて身を固くしていると黒い霧の向こうから「おいっ、大丈夫か!?」というグエンの声と、ユウロンの「いいからじっとしておけ! 大丈夫だ、俺達を信用しろ!」という声が聞こえてくる。
(わっ、これ。何だろう?)
ふいに柔らかな記憶が蘇ってきた、穏やかな田園風景と汗にまみれた父と母の顔が見える。
「お父さん、お母さん。お父さん、お母さん……!!」
「記憶まで封じられていたんだなぁ、おめぇ。なんだぁ? どこかでかどわされて売られでもしたのかぁ?」
「分かんない、でも。見えてくる」
秋の青空を飛び交う鳥と虫の美しさ、泥の混じった匂いに米が蒸し上がる匂い、幼い兄妹の手足にぼろぼろの家屋に、畑から帰ってきた父の顔が何故か泥で汚れていて────────…………。
「お父さん、お母さん。怖い、怖いよ。何で? 何でこんなことになっちゃったのかなぁ? 私」
「っ大丈夫だ、リンファ。俺が連れてってやる。奴隷商人からある程度村の地名やら何やらを聞いておいたんだ、帰ろう。一緒に帰ろう、俺がお前を連れてってやるからな?」
ごつごつとした温かい手のひらが、こちらの震える片手をぎゅっと握り締めてくれる。ひんやりとした黒い霧が立ち込めている中でほっとして握り返していた、涙がとめどなく溢れ出てきた。
でもこれは二歳頃の記憶だ。父と母はまだ生きているのだろうか、年の近い兄弟達は?
「帰るの、私。色んなところを旅したいの……自由に、なりたいの」
「大丈夫だぜ、嬢ちゃん。と言ってやりたい所だがなぁ」
そんな声と共にふっと体が軽くなって、黒い霧が除々に薄れてきて、疲れた表情のギエムとユウロンの顔が飛び込んでくる。
「どう、どうなったの? 私の解呪は」
「半分成功して半分失敗した。解呪を妨げる為の呪いがかけられてやがる。へっ、けったくそ悪ぃな。もう」
「トアン……トアン様の仕業か?」
「どういうことだ? 半分失敗って」
「グエン」
心配そうな表情のグエンが駆け寄ってきて、こちらの腕と顔をじろじろと見てくるものだから苛立ってしまう。
「何とか三十五歳までは伸ばせた。が、生気を奪うのはそのまんまだ。おめぇの愛するリーファ様とやらが二十歳で死ぬことは無い。おそろしく生気を奪うことも無い。が」
「生気を奪うのはそのまんまってことかよ……しかも三十五歳になったら。彼女は生気を全て吸い取られて死ぬんだな?」
「ああ、その通りだよ。まさしくな」
疲れたように自分の目元を揉んで、ギエムはそれっきり黙り込んでしまった。それよりも何よりも一体いつ、私は呪いをかけられたのだろう?
(嫌だ。まさか真夜中に忍び込んできてとか? 怖い)
にしたって近頃はよくファファと眠っているのだから、怪しい人物が来たらファファがふーっと鳴いて起こしてくれる筈だ。
「……グエン、あの子猫は一体どこだ?」
「あ? 何だ、いきなり。ユウロン」
ユウロンはどこか青ざめていて真剣な顔をしていた、それに驚いたグエンが青い瞳を瞠っている。
「もうとっくの昔にトアン様はこのことを見通していたんだ。だからこんなふざけた呪いを秘密裏に重ねがけしていた。そんで非常に申し訳ないが今すぐあのファファとかいう名前の子猫を、」
そこで「にゃあ」と鳴いてファファが現れた。いきなり扉の隙間から入ってきたファファを見つめて、グエンが目尻を下げる。
「どうした? お腹でも空いたのか?」
「いや、そんな呑気なことを言っている場合じゃなくって」
何故か焦っているユウロンを無視して、グエンがやって来た白い子猫をひょいっと抱き上げる。
「ん~? リーファ様はどうした? お傍にいたんじゃないのか?」
「にゅっ、にゅう」
子猫とは言えどもかなり大きくなってきた。青ざめたユウロンが椅子から立ち上がって、その腕を伸ばした瞬間。
「ああ、ユウロン。まさかお前が解呪手段を見つけてくるだなんて。思ってもみなかったよ、しぶといなぁ~、ふふっ」
「トアン様」
ふわふわの白い毛並みに青い瞳の子猫が喋っている。いや、子猫の口からトアンの低い声が漏れている。
グエンの腕に抱えられたファファは不思議そうに首を傾げ、まるで「この声はどこから聞こえてくるんだろう?」とでも言わんばかりにきょろきょろと辺りを見回す。
「ふふふふっ、リンファ。完壁に解呪して欲しくば。グエンさんに頼みこむことだ、そうだね? グエンさん、貴方が俺の玩具になってくれるのなら。足元で跪いて一生傍にいてくれるのならば。解呪してあげようっかなぁ~? どうしようっかなぁ~? はははっ」
「トアン、お前。まさか」
グエンが青い瞳を瞠って、腕の中のファファを見下ろしていた。ファファも困ったようにグエンを見つめ返していた。
「ふっ、ふふふふ。だから言ったのに、俺は。殺して下さいよって貴方様に。あ~あ、そういう貴方の甘い所が好きなんだ、俺は。散々嬲って滅茶苦茶に穢して追い詰めたくなる。噛み切ってやりたくなる」
「トアン、お前……俺達に一体、何の恨みがあるんだよ!?」
取り乱したグエンを見てまずいと思った。その反応は相手の執着をより煽るだけだ。思った通りファファの口から「ひゃあっ!!」と歓喜の声が上がる。
いつまでもずっとずっと、壊れたような笑い声が響いてくる。
「っああ、グエンさん! いいなぁ、やっぱり好きですよ! 貴方のことは! 愛しています、グエンさん! 俺は貴方のことを愛しています!!」
「答えになっちゃいねぇよ、トアン!? なぁっ!? 一体全体リーファ様とリンファが何をしたって言うんだよ、お前にさ!?」
「あはははっ、あーあ。おかしいなぁ、愛おしい。可愛い! グエンさん!」
また子猫がくすくすと笑って、グエンが青い瞳を歪めていた。表情まで操ることにしたのか、ファファの青い瞳がいやらしく細められる。
「トアン……」
「解呪をして欲しくば。俺に会いに来てくださいよ、グエンさん? 待っていますから、ねっ? その呪いは一層特別で俺にしか解けないものだから、」
「へっ、気味が悪ぃや。こんなもの」
そこで舌打ちをしたギエムが子猫の首根っこを捕まえ、どんどんと白い背中を叩いてどちゃっと、ムカデの死体が吐き出される。
「っひ!? やだ、何これ!?」
「大丈夫だ、リンファ。俺が踏み潰しておくから。なっ?」
やたらとなれなれしいユウロンがこちらの肩に手を回して、唾液まみれのムカデの死体を踏み潰した。じゅわっと黒い煙が上がって、腐った泥水のような匂いが漂って、その場にいた全員はあまりの臭さに「おえっ」と言って顔を顰める。
「まぁ、もう。……とりあえず寿命は伸びたんだし。今日のところはこれで諦めるしかないか」
全員くたくたに疲れきっていたので、グエンの意見に賛成だった。それに子猫が狂ったように笑い出した様子も不気味だったので、精神的にもかなり限界だった。
「とりあえず。飯でも食っていけよ、ユウロンに爺さん……」
「ああ、まぁ、そうすっかねぇ~」
「悪い、馳走になるな……」
普通は二歳の頃の記憶はありませんが、解呪作業の途中で出てきました。ユウロンとギエムは仲が悪いので、ユウロンが二歳のリンファに呪いをかけて記憶を消したことを知りません。
ユウロンは当時のリンファが両親を恋しがって泣くので記憶を封じてから呪いをかけ、リーファが住む屋敷に連れて行って放置しました。そこで呪い発動→のちに叔母からの手紙で呪具だということが知らされました。




