18.その邂逅は救いか、地獄への道のりか
「そんで? おめぇ、ユウロン。だから俺のところに来たってかぁ? ええ?」
「うるさいな、じじい。あんたなら知ってるだろ? 解呪方法くらい」
その言葉に低く笑った、相変わらず獣のように唸って笑う。ばりばりと浮き出た肋骨を掻いて、人が無い金をかき集めて買った酒を飲み干す。
(くそったれ。安くは無いのに。水のように飲みやがるな、このじじいは)
手元の杯を見つめて考え込む。自分が出来ることは何か、少しでもあの五人の幸せを守れるのかどうか。ぷんと脂が染み込んだような匂いと薬草の匂いが漂った。
座っているむしろはぼろぼろで、見ているだけで体が痒くなってくる。ぷはっと酒が入り混じった吐息を吐いて、鋭い灰色の瞳で射抜いてきた。
「冥土に片足を突っ込んだジジイに何を頼みやがる、お前は。ええ? ユウロン、お前は昔っからそうだ。女難の相が出ていた、ひひひっ」
「いいから爺さん。金は払う、道具も必要ならこちらで手配する。高い酒もやった、後は何が必要だ?」
「そうさねぇ~、つまみぐらいかねぇ~? ユウロン、お前さんは抜け目がある。ひっ、ひひひ」
その言葉に深く溜め息を吐いた。あまりこの爺さんに関わりたくはなかったんだが。手元のぼろい杯を握り締めて考え込む。ひびだらけの安物だった。
「爺さん。……頼む。俺があんたに頼むってことは。緊急事態だ、分かるだろう?」
「頭まで下げるのか、ユウロン? その女に果たしてそこまでの価値があるのかぁ~? ええ?」
「ある。少なくとも俺にはある。散々苦しんだんだ、もういいだろう?」
唐紅の襦裙を纏った少女、この手で呪具にしてしまった少女。憐憫とも恋心とも言えるものがふつふつと湧き上がってくるのは、本当はこの手で救いたかったから。
向かいで灰色の衣を着た爺さんが笑う、黄ばんだ歯が所々抜け落ちてる。白髪混じりの黒髪はざっくばらんに纏めて結い上げ、鋭い目元には一本の刀傷が刻まれていた。
昔に女を取り合った際に出来た傷だとか何とか言っているが信用していない。この男を信用するだけ無駄だ、あっという間に奈落へと突き落とされる。
(だが、いける。大丈夫だ)
一つ確信していることがある、それは。
「爺さん。あんたなら絶対にグエンのことを気に入る筈だ。死んで蘇った男で年齢は三十五歳」
「ははぁ。てめぇのケツも拭けねぇような年齢の男じゃないなぁ? こんな老いぼれの力なぞいらんだろう、へへっ」
そこであえて低く笑う。この男の矜持をくすぐって協力させる。手に持っていた杯を呷って飲み干す、目の前がちかちかと点滅して喉がかっと熱くなった。
「十八歳で死んで、二十四歳で蘇ったからか外見は酷く若い。そんでもってその心も純粋かつ真面目、頭のおかしい少年に執着されている。そしてあのショウリンの息子だ。しかも死霊使いまでしている」
「けったくそ悪い。あの女の息子だぁ~? ならどーせろくでもない男に決まっている! あれもろくでも無かった、俺なんかおぼこい小娘にしか過ぎねぇや、あいつの前に出るとな?」
この爺さんをもってしてこんなことを言わせるとは。思わず冷や汗を掻く。
「一体どんな人物だったんだ? 今はその。子供も産んである程度丸くなっているとは思うが。死んでるし」
「あ? 死んだのか? あの女は。信じられねぇや、殺したのは一体どこのどいつだ? ええ?」
そこでふと思う。あれは本当に死んでいる内に入るのかと。
「いや……俺は腕を切られたし。若返っているし、どうも黄泉から戻ってきたみたいで」
「うへぇっ!! そりゃあただおっ死んだのよりおっかねぇや!! あの女に任せとけばいいだろう? 解呪ぐらい」
「ところがそう言う訳にも行かないんだよねぇ~、爺さん」
「うげっ!? 出たっ!! ばけもんだっ!!」
「ショウリン様」
だんっとがたついた扉を蹴り飛ばして、もうもうと粉塵と埃が舞い上がる。艶めく黒髪をたなびかせたショウリンがにっと、青い瞳で少年のように笑う。
黒い肩に薙刀を担いで、ぎっと木の扉を踏みしめた。
「あんた、ギエム。いい年こいた爺さんがうじうじと恥らっていないでさっさと解呪をするんだね、ええ? あたししゃあ何かと制約が多いんだよ、何せあの閻魔大王の手下だからねぇ~」
「へっ、ばばあが。またとんでもねぇ化け物になって蘇ったもんだなぁ? だがしかし。何で若返ってやがる? おかしいだろう? なぁ?」
ショウリンがふうっと深い溜め息を吐いて、その長い睫を伏せる。腰に手を当てて薙刀を持っていなければ、華奢な美少女と呼んでも差し支えないのだが。
「閻魔大王の趣味だよ。詳しくは知らん。何でもこの外見が好みだそうだ」
「そりゃあ糞じゃねぇかよ、ええ? ショウリン?」
「その点についてはあたしも同感さね、ギエム。そんじゃあユウロン? これからはあんたがこの爺さんを見張ってるんだよ? 何が何でも屋敷に連れて行くように。分かったね?」
命の恩人に逆らえる筈もなく頭を下げる。この人のお陰で母も救い出せたのだ、忠実に働くしかない。
「仰せのままに、ショウリン様。後は?」
「無い。あんたもあんたで好きに過ごしな、ユウロン。金はやる」
欲が無いのかぽんと金が入った袋を投げられ、慌ててそれを両手で受け取った。金と聞いてギエムの目がぎらりと光る。盗まれないよう気をつけなくては。
「ああ、そうだそうだ。この一件が片付いたらスオウの所で働きな。あっこはあっこで万年人不足なんだよ、たまにゃああたしもスオウに優しくしてやらなくっちゃね」
「っおい! 糞ババア!? 一体何を勝手に決めてやがるんだよ!? ユウロン! おいっ、てめぇ! てめぇもてめぇで解呪方法を知っているんだろうが、何故俺を使う必要がある!?」
痛い所を突かれた、深い溜め息を吐く。
「解呪に必要だった道具を跡形も無く壊された、それを新調するだけの材料も調達出来なかった。これで満足か? それに加えて道具を使った解呪方法以外知らないんだ、俺は」
「へっ、道具なんぞに頼っているからだよ。このアホ糞ボケ弟子が」
「へいへい。出来の悪い弟子でごめんよっと、ギエム爺さん?」
その軽い言葉に低く笑って、猛禽類のような灰色の目が鋭い光を放つ。
「おめぇ、ユウロン? 俺が絶対気に入る筈だと豪語したことを後悔するなよぅ~? 糞つまらねぇ男のようなら絶対に解呪はしない。くたばっちまおうが天寿をまっとうしようがどうだっていいんだからな?」
今度はショウリンが喉を鳴らして笑う。その笑い声はどこか猫を連想させる。
「大丈夫だよ、あの子は昔から気に入られやすいんだ。特に男にはね?」
ぎしぎしと蹴り飛ばした扉を踏みしめて歩いて、上機嫌のショウリンが背を向ける。
「期待してな、糞じじい。何せあの子はあたしの一人息子なんだ、怪我でもさせたらあんたの両目をくり抜き出して、そのふさふさの頭皮をひっぺ剥がして、逆さ吊りにしてやるからね? そんじゃあまぁ、行くとするかね。あばよ、ユウロン。いい子にしてな」
さっと青ざめたギエムが自分の頭を押さえて、こちらを見つめてきた。その怯えた表情をふんと鼻で笑ってやり、にっこりと甘い微笑みを浮かべてみる。
「そんじゃあ、行きましょうか? お師匠様。屋敷でグエン様とリーファ様が待ち侘びています。颯爽と現れて解呪して下さる人をね?」
「うへぇ~、ユウロン。おめぇ、暫く見ねぇ内に。とんでもない糞ガキになったなぁ~。あ~あ、けったくそ悪ぃ」
「グエン様! ここにいらしたのですね?」
「わっ!? リーファ様!? すみません、今すぐ下に降りますね!? ちょっと待ってて下さい!」
枝葉が陽に揺らぐ中でまどろんでいると、ふいに下の方から可愛らしい声が聞こえてくる。俺の腹の上で昼寝をしていたファファがぴんと、白い耳を立てて下を見つめた。
そしてふわふわと後ろ足を動かして起き上がると、一目散に駆け下りてゆく。
「っおい、ファファー? お前っ、怪我するなよー?」
「にゃうん」
分かっているのか分かっていないのか、一声鳴いてあっという間に消えてしまう。やれやれと溜め息を吐いてから俺も起き上がって、木の枝に足を置いて飛び降りた。
「っとと、リーファ様。どうかしましたか? すみません、ついうっかり寝入ってしまっていて」
「ふふっ、グエン様。頭に葉っぱが付いていますよ? じっとしてて下さいね?」
「あっ、はい。リーファ様。好きです!」
「ふふっ、もう。グエン様ったら」
いそいそと体を屈めると、嬉しそうな笑顔の彼女が葉を摘まみ上げてくれる。今日は淡い水色の襦裙を纏っていて、桃の花の簪を挿していた。いつもの黒髪が透けて光り輝いて、きらきらとした黒い両瞳がこちらを見上げている。
にっこりと優しい微笑みを湛えた彼女に見惚れていた、ざぁっと夏の風が吹き渡る。
「髪も随分と伸びてきましたね、グエン様。少しだけ切ろうかしら、どうしようかしら?」
「任せますよ、リーファ様。あまり俺に切って欲しくないんでしょう?」
面白がって聞いてみると照れ臭そうに笑って、そっと上目遣いで見つめてくる。しかもきゅっとこちらの黒い袖を引っ張ってきた。好き、天女。
「だってグエン様の、その。お顔立ちがあらわになるから。嫌です、私以外の人には見せないで欲しいです。もう」
「かっ、可愛い~。可愛い~、は~、可愛い。可愛すぎて涙が出そう、好き!!」
その言葉に優しく笑って、俺の襟を掴んで引き寄せてくちびるにちゅっと口付けてくる。きらきらと光り輝く夏の陽射しに照らされた彼女は美しかった、黒い瞳はどこまでも優しい。
思わず腕を伸ばして、彼女の白い首筋に手を添えていた。
「リーファ様……可愛いです、何かもう。それ以外で表現が出来ないんですけど」
「ふふっ、駄目ですよ? ちゃんと私のことを。好きだって言ってくれなきゃ嫌です! ねっ?」
「っぐ……!! 国宝なのでは!? 全人類の宝!! それはちょっとやだけど! 俺だけの宝石でいて欲しいけど!!」
「相変わらずですね、グエン殿は」
「うおおっ!? ユウロン!? えっ!? 何で!?」
思わずリーファ様を背に隠して、見知らぬ爺さんを連れた呆れ顔のユウロンをきっと睨みつけると。以前に会った時と同じ黒衣を着たユウロンが、お手上げだと言わんばかりに両手を上げる。
「俺は別にもう敵なんかじゃありませんよ、グエン殿? その証拠に妖魔の襲撃も減ったでしょう? まぁ、トアン様が。お二人の蜜月を邪魔したくってしょうがなくって、続々と送り込んでいるみたいですけどね?」
「ああ? てめぇ、ユウロン。誰がそんな言葉を信じると思ってんだ?」
「あのうっ、ユウロンさん? この間はそのっ」
おずおずとした様子で顔を覗かせたリーファ様が、きゅっと俺にしがみついて話しかける。
(あっ!! この様子は絶対! 前方に立った方が絶対に可愛く見えるやつ! くっそ、瞬間移動がしたい!!)
美しいリーファ様が顔を出したことで、前に立っていたろくでもなさそうな爺が下卑た笑みを浮かべる。殺してやる。
「きっ、気絶させてしまって大変申し訳ありませんでした……!! あの後は大丈夫でしたか? 火には巻き込まれませんでしたか? お腹もまだ痛いようなら私が医者を呼んで、」
「ええっ!? 初耳ですよ、リーファ様!? 一体いつ俺に隠れてユウロンを気絶させたんですか!? 羨ましい、まさかの浮気ですか!?」
「人を気絶させるのが浮気だと思っているのなら。その認識は即刻改めて頂きたいところですね、グエン殿?」
やけにかしこまった口調のユウロンにぞっとして、ひとまず明らかに堅気ではない爺さんを強く睨みつけておく。爺さんは飄々とした様子で、白髪混じりの黒髭を生やした顎をざりざりと撫でていた。
そしてにやにやと笑ってこちらを眺め回し、明らかに品定めをしてくる。
ぱりっとした灰色の上衣と裤を履いていることから浮浪者ではないと思うのだが、いかんせん目元に入った刀傷とおちょくってくるような灰色の瞳に警戒してしまう。
「はぁ~、お前があのショウリンの息子ねぇ? 確かにとんだ美男子だがまぁ、」
「まっ、待って下さい!!」
「リーファ様!? えっ? あの」
慌ててリーファ様が飛び出してきて、両腕をばっと広げて俺の前に立つ。何故守られているのだろう、嬉しいから別にいいけど。
「ぐっ、グエン様はこのところ! 色んな殿方に優しくしているのでっ! またこのお爺さんにも優しくするつもりでしょう!? 私っ、そんなのは絶対に嫌です! だってこの方もかなりお年を召した方で、」
「っぶはははは! あーあ、おかしい。嫉妬かね? お嬢様?」
「はっ、はい。嫉妬です。だってグエン様は、誰彼構わず優しくするから……!! あのトアンにでさえも」
最後の呟きは頼りなくて消えてしまいそうだった。痛みが滲んだその声に申し訳なく思う。
「リーファ様。俺は大丈夫ですよ? それにもう誰にも優しくしたりしません。いや、そもそもの話。俺は別に心優しい性格ではないし誰かに優しくした覚えも、」
「だっ! だからグエン様はっ! トアンなんかに執着されてしまうんです!! 悲しいです、私」
「おわっ!? えっ? リーファ様?」
彼女がぼすんと抱きついてきて受け止めたものの、あまりのことに戸惑ってしまう。彼女は人前でべたべたするのを嫌う性格なのだが。俺は好きでいちゃいちゃしてたいけど。
「えっ、えーっと? よく分からんがユウロンに……えーっと、そこのいつまで経ってもくたばりそうにないジジイ。上がって茶ぁでも飲んでいくか?」
「誰がくたばりそこないのジジイだよ、ああ? 流石はショウリンの息子なだけあるなぁ、ったくよー」
「ほら、そうやって得体の知れない人にも優しくするから悲しいの。も~、まったく」
「えっ? ええっ? でも可愛い、永遠に嫉妬されていたい……!! 好き!!」
この間から彼女が嫉妬深くて可愛い。
「これはもしや。神様が日頃から頑張っている俺へ贈り物をしてくれたのでは……?」
「何をまた訳の分からないことを……師匠。どこへ行くつもりですか? 逃がしませんよ?」
「っち、めざとくなったな? ユウロン」
どうもユウロンの師匠らしきジジイとユウロンがぎゃあぎゃあと険悪な雰囲気になっていたがどうでもいい、俺の眼球は常にリーファ様だけを追い続ける。
「リーファ様? ご機嫌を直してくださいよ、ほらっ? 俺はリーファ様一筋だし、貴女にこの一生を捧げるつもりで生きて、」
「でも。嫌なんです……グエン様のことが大好きだから。ごめんなさい、嫉妬深くて」
びっくりした、あまりの可愛さに「っぐ!!」と呻いて喉の奥を傷めてしまった。辛い。後で薬湯でも飲もう、そうしよう。
不貞腐れている彼女をぎゅうっと抱き締めて、その手触りの良い黒髪と花のような芳香を堪能する。
「はー、好き!! 俺も好きですよ? リーファ様! でもとりあえずこのジジイどもが何の用でやって来たのかを尋ねるので。本当は離れて欲しくないけど離れて貰えませんか?」
「はい……ごめんなさい、その。グエン様。ついうっかり、私が取り乱してしまって」
しゅんとした様子で彼女が俯く、そのあまりにも可愛い仕草にひゅっと息が止まる。
「っお前ら!! 今すぐに帰ってくれないか!? 俺はリーファ様とイチャイチャがしたいんだよ!! 当て馬はどっか行ってくれ、頼む!!」
「おいおいおいおい……折角お前。リンファの解呪をしようと思っているのに。いいんだな!? 俺達が本当に帰っても!?」
「えっ!? リンファの呪いを!? 解いて下さるのですか!?」
俺と彼女の甘い時間は終わりを告げ、ばっとユウロンに駆け寄っていた。悲しい。何故かたじろいで顔を赤くしたユウロンに殺気立ってしまう。
ずっとずっとこの腕に、彼女を閉じ込めておくことが出来たらいいのに。
「とっ、解きますよ? ここのギエム爺さんが」
「よろしくな、お嬢様。だがそのグエンとやらが。今いち気に食わんからの~、どうしようかの~」
すっとぼけて口笛を吹き始めた爺さんに苛立ってしまうが、人の良い彼女はそうではなかったらしく。
「あっ、あの! きちんとお金も支払いますっ! 何ならお酒もご馳走も手配するのでどうか解呪を、」
「いんや。腹は膨れているよ、嬢ちゃん。今の俺が欲しいのは血の匂いと剣だ、おい。そこのグエンとやら?」
嫌な予感がして睨みつけてやると、にたぁっと黄色い歯を剝き出しにして獰猛に笑う。
「一度俺と手合わせをしてみねぇか? なぁに傷は付けねぇよ、お嬢ちゃん。そう睨むんじゃねぇや。見事俺をぎゃふんと言わせることが出来たなら。解呪してやってもいいぞ、どうするね?」
「んなもん。決まってんだろ?」
首筋をぽりぽりと掻いて、不敵に笑っている爺さんを睨みつける。どうもこういう人間は気に食わない。それに先程からリーファ様をじろじろと舐め回すように眺めていた。
「受けて立つよ、爺さん。あんたに勝てる気はあんまりしないけど。まぁ、どうにかなるだろう。やるしかない」
「決まったな、グエン。よしよし、お前さんならそう言うと思ったよ。ひっ、ひひひ。後悔しても知らねぇからな? おい」




