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16.こんなにも俺は恋焦がれているのに、確かな愛情なのに

気持ちの悪い描写と少しだけ血が出ています、ご注意ください。

 





「お姫様を守りつつ戦うってのは。性に合わないと、てっきりそう思ってたんだがねぇ~」

「っこの化け物が! くそったれ!!」

「あ~、やだやだ。あんたみたいな頭のおかしな坊やに罵られたくないってもんだよ、本当」




 真っ赤な炎が渦巻く中でショウリンが黒衣を翻して、いつもの薙刀でムカデを蹴散らしていた。黒髪が長くたなびいては炎の熱気に煽られ、時を忘れてその煌きに見入ってしまう。



(凄い。何て綺麗なんだろう、美しい)



 武芸に秀でた人の動きは無駄が無く、背筋がぞっとする程に優雅で美しい。二の腕に鳥肌が立ち、その逞しい後ろ姿を木の上で見守っていた。どうも無数の小さなムカデを出していたのはあの、家屋をゆうに越える大きさのムカデらしく。




 今はショウリンに胴体を斬られ、燃え盛る炎の中で「ぎいぎい」と耳障りな声を上げ、手下である小さなムカデを出す余裕も無いらしい。一方の術者であるトアンも余裕が無いらしく、こちらを見ることさえしない。



「わぁ、凄い。お義母様。でも」



 本当にこれで勝てるのだろうかという疑問が過ぎって、こちらの胸中を暗くしてゆく。深緑色の胸元を押さえて、じくじくとした熱を放つ指輪に心底怯えていた。



(動かなくては。きっと、守られているだけでは駄目だ。それに)



 私としてもトアンのことは許せそうに無い、いくら彼のことが好きだからってあんなことを。



(少しぐらいは。仕返ししてやるべきだわ。……でも、彼も彼できっと、苦しいのでしょうね)




 あの叔母であるスイランに育てられたのだからきっと、計り知れない苦労もあるのだろう。



(大好きなグエン様だって私の婚約者だし。でも)



 彼がトアンに優しくしていた、何も知らずに頭を撫でて抱き締めていた。



(っう、それに。叔母様にも見惚れていたし。……綺麗だもの、叔母様もトアンも)




 スイランがグエンに惹かれてもしも、誘惑でもしたら? 彼がそんな誘惑に負けるとは思えないがそれでも。リーファはきっと前を向いて、ひとまずこの木の上から降りることにした。



 涙ぐんで燃え盛る炎を見下ろして、義母が生み出した炎について「リーファちゃんを燃やすことはないからね~、安心してくれな?」と言っていたことを思い出す。



(だったら。この炎は使える筈だ、そうだ)



 こっそりと後ろから忍び寄ってトアンの頭でも殴ろうか、それともグエンの下へ向かおうか。



(ちょっと待って私。きっとお義母様の邪魔をしてしまうから。でも少しぐらい。仕返ししても許される筈だわ)




 彼は私を孕ませると宣言していて、あのグエン様に恋心を寄せている少年だ。



(よし、少しぐらい。仕返しをしましょう、そうしましょう)



 慣れない足さばきで枝に乗って、いくつもの小枝に黒髪を引っ掛けつつ、何とか降りることが出来た。しかし二人はごうごうと燃え盛る炎の向こう側で戦っており、その姿は見えない。そしてやはり、自分の愚かな考えを改める。



(っよし! 行こう。やっぱりお義母様の邪魔をするべきではないわ。私が今しなくてはならないことは、)



 そこでばさりと、一羽のカラスがこちらへとやって来た。どこからともなく現れたそれはふわっと、私の肩に乗ってくる。



「わぁっ!? えっ!? どうしたの? カラスさん。でもこれは、」

「そう、お察しの通り。俺の式神だよ、お嬢さん」

「貴方、ユウロンね? ……まさか」




 前に会った時よりも随分と顔色の悪いユウロンが、ぼろぼろの黒衣を着て佇んでいた。静かな庭園を背にして、虚ろな黒い瞳で見つめてくる。その手には血のついた剣を提げていて、途端に嫌な想像が駆け巡ってしまう。



「貴方、その、血は……?」

「ああ、大丈夫だ。俺のだから」

「貴方の……? 一体それはどういう、」

「悪いがお嬢様。俺に捕まってくれないかね? スイラン様がお怒りなんだよ、ここの炎は屋敷の方からも見えて、」

「たぁっ!!」

「っぐ!?」




 やけに顔色も悪くふらふらとしているから、頑張って飛んで蹴りつけてみたのだが。いとも簡単に倒れてくれたのでその拍子に、お腹の上にでも乗って弾もうかと思ったところ、肩の上のカラスが慌てたように「ギャアギャア」と鳴き始める。




「あっ、そうよね? ご主人様だもの、心配よね? でも」

「くそっ! 貴女まで俺を煩わせるつもりか!? 悪いことは言わないから早く、」

「ごっ! ごめんなさい! 本当に! ごめんなさい!!」

「っはぁ!? ちょっ、まっ、ぐえっ!?」




 本当に本当に申し訳無くて胸が痛んでしまうが、私とて守るべき人がいる。それなので両目をぎゅっとつむって、地面に尻餅をついていたユウロンの上に飛び乗って、お腹の上で数回だけ弾んでみた。



「っぐ、てめぇ!」

「ああああああっ、気絶しない!? えいっ! もうちょっとだけ! 本当にごめんなさいっ!!」

「っが!? ちょっと待って、うあっ!?」

「わああああっ、ごめんなさい! 本当にごめんなさい!!」




 必死に謝って弾んでいると、じきにぐるりと目を剝いて気絶してくれた。慌てて腹の上から降りて頭をぺこりと下げて、式神であるカラスもぷしゅんと消えてゆく。




「っご、ごめんなさい。ユウロンさん……ああ、でもここじゃあ。燃えてしまうかもしれないから。ええっと」




 ひとます気絶した彼をずるずると引き摺って、その黒い袂を探ってみると丁度良く縄が出てきたので、それをうんしょと引っ張り出して微笑む。




「うん! やっぱりあった! きっとこれも、私を拘束する為のものよね? えーっと、えーっと、どうやったらいいのかしら? 人を縛るのなんて。したことがないからよく分からない……」




 彼やショウリンならばきっと上手く縛れたのだろうが、生憎とその手の知識がとんと無い。とても悩んだ末にぐるぐると縄を巻いて、木の根元に縛り付けておく。



「っよし! グエン様の下に行こう、そうしよう! 急がなくっちゃ……!!」


























 カエルと蜘蛛ではどちらに軍配が上がるのだろう、そもそもの話決着はつくのか。



(私らしくもない、たかだかこんな蜘蛛ごときに負ける想像をするだなんて)



 死霊使いとしても妖魔使いとしても最高の腕を持った、主人の母であるショウリンに呼ばれて戦っているものの。



(やはり調子が出ない。ご主人様が、グエン様の意識があったら。もう少し上手く戦えるんでしょうけど)




 相手の蜘蛛姫が妖艶に笑って、無数の白い糸を放って縛り上げようとしてくる。それを炎で燃やしてやり足元の子蜘蛛たちを踏み潰して、ざわりと自分の黒髪が変化した。



「ふふふっ、もうあれかい? ヨウリン。人型も保てないんじゃないかい?」

「まさか! 炎ですら操るカエルを舐めるんじゃないよ、蜘蛛姫! このっ、高慢ちきの変態が!!」

「ふふっ、よく言うわ。そんなこと。元気がよろしくて結構よ、貴女」



 奥の寝台では真っ白な蜘蛛の糸に包まれ、顔色の悪いグエンが横たわっている。蜘蛛の糸は徐々にグエンを包み込んでいて、そのことに焦った瞬間、がくんと体勢を崩してしまう。



 見ると目の前には女の体に、下半身は蜘蛛といった気色の悪い蜘蛛姫が佇んで嘲笑っていた。



「ふふふっ、誰も。恐怖と心配に駆られて、まともに戦えるものではないわ、ヨウリン?」

「っち、だから嫌なのよ。女の妖魔は。意地が悪いから」

「あら、お前だって女じゃないの。さてと、お前のようなウシガエルはどんな風にして、」

「グエン様!! ってきゃああああっ!? 蜘蛛がいっぱいいる! 大きい! すごく怖い!!」

「リーファ様!? 一体どうしてここに!?」



 驚いた表情のヨウリンが振り返って、自身も蜘蛛の糸に絡め取られているというのに「早くお逃げください! グエン様は何とか助け出してみせますから!」と叫んでいる。



 その向こうには黒髪黒目の美女が佇んでおり、一糸纏わぬ半裸姿だったので思わず顔が赤くなってしまう。とは言っても彼女の下半身は蜘蛛で、部屋には白い糸と無数の蜘蛛が這っているが。



 そのどれもが大きくわさわさと動いていたものの、しかし先程のムカデよりはましだった。



「待ってて、ヨウリン! 私がグエン様も貴女も助け出してみせるから!! っとと!」

「無茶ですよ!? リーファ様!?」

「大丈夫! やるだけやってみるからー!」




 何も考えないようにして足元を見ないようにして全速力で駆け抜けて、奥の寝台へと辿り着く。背後の蜘蛛姫が慌てて「まぁ、好都合っちゃあ。好都合なんだけど!」と声を張り上げ、何らかの術を行使しようとしたので、こちらも慌てて彼を揺すってみる。




「っグエン様! グエン様、起きて下さい! グエン様!?」

「ああっと、お嬢様? 起こさないで眠らせてあげなさいよ、ふふっ。可哀想でしょう?」

「リーファ様!!」

「っう、ぐえっ、グエン様!!」




 後ろから蜘蛛の糸が巻き付いてきて、首をぎりぎりと締め上げられてしまう。何とか彼の耳元から薔薇色の耳飾りを奪って、その冷たい手を握り締めて強く祈った。


 その瞬間、左手の薬指に嵌めた指輪がぴかりと光り輝いて熱く共鳴し出す。



「っグエン様! お願い!! 起きて、助けて…………!!」

「りーふぁ、さま?」

「ありがとう、お嬢様。これで私もようやく本来の力が出せる」




 満足げなヨウリンの声が響いてきて、背後でかっと真っ赤な光が炸裂する。途端に先程までの蜘蛛の糸も掻き消え、蜘蛛姫が「ぎゃああああああっ!?」と絶叫してふっと首が軽くなった。




「っは、グエン、グエン様……!!」

「リーファ様!? しっかりなさってください! 一体、これはどういう……!?」



 倒れこんだ私の背中を擦りつつ彼が「スイラン様と、叔母様と話をしに行ったんじゃあ……?」と首を傾げている。彼の深緑色の衣をぎゅうっと握り締め、泣き出したい気持ちをぐっと堪える。




 まだ、まだ甘える時ではないのだ。彼も私も安全ではない。




「お義母様が。今、トアンと戦っています。そしてヨウリンがトアンの式神である蜘蛛姫と戦い、貴方は記憶を消される所でした」

「えっ、ええっ!? 何が何だかよく分からないけど、とりあえず」



 彼がむくりと寝台から起き上がって、私の肩を抱き寄せてヨウリンと戦っている蜘蛛姫を見つめた。そして黒い懐からぴっと、一枚の白い紙を取り出す。



「あの蜘蛛姫とやらを倒して、母さんの下に行けばいいのかな? あっ、勿論! リーファ様もお守りしますからね!? 何か色々とすみませんでした!!」

「っう、グエン様……!! 好きです、大好きですっ!」

「えっ!? 可愛い、俺も好き!! 天女!! やっぱり今日は大安吉日の人生最良最高の日なのでは!?」























「う~ん、申し訳無いけど。相手が悪かったねぇ、何故だか知らないけど。助けに来た筈のユウロン? だっけ。それも木の根元で縛られているし?」

「ああ、分かっていたよ。最初から。こうなることは」



 目の前で女が首を傾げて、疑問に満ちた青い瞳で見下ろしてくる。トアンは大の字に寝転がって、やたらと青い空を眺めていた。辺りの庭園は静まり返り小鳥の鳴く声が聞こえる、しかし地面にはムカデの死体がごろごろと転がっていた。



 使役していた巨大なムカデも切り刻まれ、ちぎれた足が黒焦げとなって僅かに散乱している。



「知っていたよ、負けるってことは。でも嫌がらせだった、嫌がらせのようなものだった」

「あれかい? その、あたしの息子に恋しているからかい?」



 先程まで狂ったように笑ってこちらを蹴り飛ばしていたくせに、心配そうな表情で座り込んで覗き込んでくる。その透き通った青い眼差しを見て笑って、彼のそれとはまるで違うことに気が付く。



「ああ、うん。彼女は、リーファは。グエン様に愛されていたから。それでかな?」

「一つ訂正させて貰うけどねぇ? 愛されていたんじゃなくて、愛しているんだよ。お互いにね?」

「何だ、案外。細かいなぁ……」



 頬についた煤を拭い取って、殴られて切れたくちびるの血を舐め取っていた。眼前に広がっている青空は美しく、白い雲がゆったりと長閑(のどか)に通り過ぎてゆく。




「うーん、どうしようっかな? 欲しいのに、彼が。見たいのに、絶望する表情が」

「うーん、歪んでいるねぇ。坊や。指輪を作ったスオウといい、あんたといい。どうして男どもはあたしの息子に執着するんだろうねぇ~、可哀想に。グエンも」




 そう言う割には妖艶に笑って、血のついた薙刀を担いでいた。その顔立ちは端正で凛々しく、青い瞳と黒髪は吸い込まれるような色合いをしている。



「あんたも。執着されそうだね、誰かに」

「馬鹿をいいな、坊や。そんな奴は殺してきたさ、全員。それにあたしは縛る側だよ、縛られる側じゃなくってね?」



 煩わしそうに立ち上がって、ぱんぱんと黒い衣をはたく。てっきり殺されるかと思っていたので意外だ、それをぼんやりと寝転がって見つめていた。



「殺さないの? 俺のこと」

「閻魔大王から。人殺しだけは絶対にするなと、そう禁じられているもんでね。死者が、殺しちゃいけないんだよ。生者をね?」

「死者……凄いな、あんたは」



 その賞賛に低く笑って、こちらに背を向けてぼそりと呟いた。



「あんたのことはグエンに任せるよ、トアン。煮られるなり焼かれるなり好きにしたらいい。ああ、それと」

「何? 伝言?」

「そう、リーファちゃんにごめんねって。そんであたしの愛する馬鹿息子兼弟子に。今度会ったら殴り飛ばしてやるからって。そう伝えといてくれるかい? 忙しいんだ、あたしは」

「そんなの、自分で伝えれば……あ、消えた」




 ふわりとその後ろ姿が掻き消えて、やれやれと溜め息を吐く。



(グエンさんが。来るのか、ふぅん)



 それとなく身なりを整えて、すっかり何もかもやる気を失くした体で座り込む。片膝を立てて、彼と同じ黒衣を纏ってみた自分の体を見つめたあと。首が痛くなるほど青空を見上げて、長閑に通り過ぎてゆく雲を眺めていた。




「ああ、俺が欲しかったのは。彼だったのに」



 従姉妹のリーファが言っていた、彼が現れてから自分も変わったのだと。ファファだとかいう子猫の目を通じて、彼女が目を輝かせるのを見つめていた。



『あのね? ファファちゃん? 今日はね、グエン様がね……』



 いわく彼はうっとりとするような美男子でとても優しく、今日は手を繋いで庭を歩いただの、街へ出かけてお揃いの耳飾りを買っただの、悪夢を見て泣いていたら見つけ出して慰めてくれただの。



 些細なことばかりを喜んで照れ臭そうに子猫を抱えて、延々と話していた。



『あのね? グエン様がね? 本当に優しいの、誰にでも。ちょっと冷たいかな? って思うような言葉遣いの時は。実は照れ隠しでちょっぴり不器用で、少しだけ抜けていて、笑うと青い瞳が本当に優しく細まって────────…………』




 果たして、そんな男が実在するんだろうか? その男に興味を持って会いに行ってみた、彼はいとも簡単に俺を助け起こした。


 見知らぬ少年に飯を奢って、はぐれぬよう手を繋いでやって、しきりに足の痛みと顔色を心配して屋敷まで送ってくれたのだ。



『トアン? 大丈夫か、お前? ちょっとはしゃぎ過ぎたんじゃないのか?』

『あはは、大丈夫ですよ。グエンさん。心配性って、よく言われませんか?』



 その言葉にこほんと一つだけ、咳払いをして。ばつの悪そうな表情で少しだけ顔を赤くさせて、こちらを青い瞳できっと睨みつけてくる。その顔立ちは確かに美しく、まるでよく出来た蝋人形のようだった。



『よく言われる。でも、心配なんだよ。悪いか?』

『……悪くないですけど、でも』

『このところ弟と妹に会えてないからな、俺も俺で淋しいんだよ。悪いな、鬱陶しいだろう? 俺が気にかけてばかりで』



 そう言って手を繋いで歩いて、今している善行は自分の我が儘なのだと言い切る。彼いわく『自分が淋しいからしていることであって、お前には迷惑極まりないことだろう』ということで、どこまでも俺のことを心配して甘やかしてくれる。



『ああ、分かる気がするなぁ。婚約者さんが貴方のことを。好きだっていう理由が』

『そっ、そうか? でもリーファ様には。今いち好かれていないからなぁ、俺』

『大事にされていないんですか、グエン様?』



 何故か彼女に苛立った、俺ならこの上なく彼を大事にするのにと。グエンが照れ臭そうに、でも淋しそうに微笑んでこちらを振り返った。ごった返す人混みの中で彼だけが美しく光り輝いている。



『いいんだよ、それで。俺がぐいぐい行き過ぎなんだよ、それに』

『それに? 何ですか?』

『彼女が俺のことを好きだって言ってくれるし。それだけで十分幸せなんだよ、初めての恋が成就したから。もう嬉しくってさ』



 大の大人が随分と無邪気なことを言って笑って、こちらの手をぐいっと引っ張って『ああ、ほら? あれなんか。お前が好きそうなやつじゃねぇか』と言って話を終わらせてしまう。



 多分俺は、あの瞬間に恋に落ちたのだ。



 ぶっきらぼうな口調に滲む優しさと、ふとした拍子に出る純粋な言葉に。一言で言うと彼は、少しだけ抜けていた。しっかりしているように見えてわりと、ドジも踏んでいて。



 冬の海のような青い瞳が覗き込んできてこちらを窺っていた。




「トアン? お前、大丈夫か? ぼんやりしてっけど。母さんに随分とまぁ、やられたもんだな?」

「グエン様…………違うでしょう?」

「あっ、はい。すみません、リーファ様!! 今のはですね!? ええっと」



 彼が慌てて謝って、それに笑って地面から立ち上がる。懐からおもむろに短刀を取り出すと、さっとグエンが青ざめてリーファを背に隠した。



「トアン…………お前、本当に?」

「ああ、グエンさん」




 貴方という人はここへきて、酷く傷付いた表情を浮かべる。その青い瞳がこちらを射抜いていて、俺だけを見つめていて嬉しくなってしまう。



 ああ、そうだ。彼が欲しい、何が何でも。彼が欲しい。



「俺をこの短刀で。殺してくれませんか、グエンさん?」

「トアン? お前は一体。何を言っているんだよ!?」

「グエン様……トアン」



 優しげな顔を曇らせたリーファが、こちらを心配そうに見つめていた。



(ああ、でも違う。俺が欲しいのはもっともっと)



 見ていて欲しい、注目して欲しい、グエンさんに俺だけを見ていて欲しい、彼の意識と視線を支配したい、こちらだけを見ていて欲しい、ありとあらゆるどんな表情だって網膜に焼き付けて見ていたい。



「好きなんですよ、グエンさん。どうします? 俺を殺すか、ずっと一生俺に執着されるか。今ここで選んで下さいよ、グエンさん」

「トアン、お前」



 ああ、分かっている。分かりきっているとも、彼は。



「絶対に貴方は俺のことを殺せない。そうでしょう? まだまだ遊びましょうね、グエンさん。今日のところは俺も帰りますが。でも」

「でも……?」




 不安そうな彼の表情に嬉しくなって、心臓がばくばくと跳ねていた。喜びが全身を駆け巡って、甘い快楽がどくどくとこちらの体を満たしていた。



 ああ、そうだ。やはり彼は。



 少しだけ困っている表情が一番美しい、一番美しくて抉り出して大事に閉じ込めておきたいんだ、この腕に抱えていたい、ずっとずっと永遠に。



(せっかく蜘蛛姫に。洗脳して貰おうと思っていたのに、ああ、抱きたかった彼を。その体を好きなようにしたかった、辛いなぁ、苦しいなぁ、恋しいなぁ)



 この感情を恋だと言わずして何と言うのだろうか、ずっとずっと彼に恋焦がれている、俺はこんなにも彼のことを愛しているのにちっとも振り向いては貰えない。



 憎くて途轍もなく淋しい、グエン様グエン様グエン様。



「貴方が俺を殺してくれないのならば。リーファさんを殺して俺も死にます。さようなら、グエン様。また次に会う時まで。どうかお元気で。ふふっ、ふ」





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