13.死霊使いの体調不良と婚約者の懸念
「今更なぁ。食事会なんてなぁ。する意味あんのかねぇ~」
「いいじゃないの、しましょうよ」
向かいで包子を頬張りつつ、義妹になる予定のシャオリンが話す。朝から元気いっぱいのこいつは何故か俺の部屋で食うと言い出して、今は食後の甘味を食べている最中だ。
愛しのリーファ様によく似た、しかし生意気そうな顔立ちのシャオリンがこちらの様子を見て不満を覚えたのか、口いっぱいに頬張りながらも話す。
「んぐ。いいひゃないの、もう。折角お母様も。貴方に会いたいって言ってるのに」
「へー、へー。そりゃあ。結構なこって」
「もー、何よ!? その態度は!?」
そこでちりんと鈴が鳴って、白い毛並みに青い瞳の子猫がやって来る。ファファはシャオリンの黄色い裳裾にじゃれついて「んにゃあ」と可愛らしく甘え始めた。
途端にでれれと、シャオリンが頬を緩める。
「可愛い~! お姉様の猫だと言っていたけど。お前が飼っているの?」
「あー、うん。まぁな」
最初は彼女の部屋で飼う予定だったのだが。以前に立て続けて猫の死体を放り込まれたりと、嫌なことがあったので、あの美しい顔を歪めて「どうしよう? ファファも。私のせいで死んでしまったら」と呟いていたのだ。
「そう、そんな訳で。忠実なる愛の僕である俺は。二つ返事で了承し、こうして猫を飼っているという訳だ……」
「悦に浸っているところ。悪いけど。ちっとも意味が分からないわ、お義兄様?」
「いいんだよ、それでな。俺が愛に生きる男だってことを。お前がよく理解していればな!」
呆れた表情のシャオリンが「意味分かんないわ、それ」と呟いて、ファファを抱き上げていた。少しだけ成長した子猫がふすんと、満足げに鼻を鳴らしている。それを見てつい笑ってしまって。
「あーあ。ファファもファファで、お前に甘えてらぁ」
「……グエン、貴方」
「んぁ? 何? 飯食ったらどっかに行けよ? 俺はこのあと用事があるんだから」
何故か不満そうにむくれて、白い子猫をぎゅっと抱き締める。
「いつもそんな風に笑ってればいいのよ、お前は。それに何? また顔色が悪くなってるじゃない」
「あー、それ。最近よく言われるんだよなぁ。大丈夫かなぁ」
「他人事でどうするのよ、自分の体なのに!」
「んお~……まぁな」
母さんの術に、綻びがあったとは思えないが。
(んん。どうもなぁ、なんかなぁ。眠いな、やけに)
薔薇色の耳飾りに触れて欠伸をして、眠たい目でシャオリンを見つめてみる。テーブルの上の皿はとっくの昔に空となっていて。
「んで? 食ったのなら。早々に立ち去って欲しいんだけど?」
「話はまだ終わってないわよ、グエン! お義兄様!」
「取って付けたように言うの、本当にやめてくんない? 食事会のことなら」
椅子へともたれてぞんざいに器を掴んで、杏仁豆腐を掬い上げて食う。蒸し暑い部屋にてつるりんと冷たく、滑らかな口どけの杏仁豆腐を楽しんでいた。
「俺に拒否権は無いだろうし。行くよ、食事会。んぐ」
「そう。それを聞いて安心したわ。お母様も心配していたもの」
「へいへい……はーあ」
お母様の心配とやらにぞっとして、黙り込んで杏仁豆腐を掬い上げていた。
(あーあ。また、言い寄る? 言い寄られたのか? あれは。まぁ、いいや。言い寄られないといいけどなぁ~)
何もかもが億劫だが仕方が無い。また眠気が襲ってきて、やたらと重たい自分の体に苛立ってしまう。
「んー、リーファ様。リーファ様に早く。会いたいなぁ」
「私が呼んできてあげましょうか? グエン。……ちょっと?」
それまで掴んでいた匙と器を置いて、ぐったりと突っ伏していると。体を揺さぶられ、不安そうな声で「私。お姉様を呼んで来るわね。待ってて」と呟く。
その呟きを聞いても、体は全く動かなかった。
(ああ、しまったな。連日の疲れが出ているのかも。あーあ、彼女に心配をかけてしまうなぁ。どうしよう)
愛しい愛しいリーファ様には出来るだけ、笑っていて欲しいのに。
(どうにも。上手くいかないなぁ。……くそっ)
そこでゆるゆると意識が途切れてしまって、深い深い眠りへと落ちていった。
「ねぇ、リンファ? ……私。私のせいでグエン様が。こんなことになっているんじゃないかって」
「そんなことは無いわよ、姉さん。考えすぎよ、ねっ?」
妹のリンファはそう言って、私のことを慰めてくれるけど。
(どうにも不安が拭えない。嫌な予感がする。怖い)
じわじわと、こちらを薄闇が取り囲むみたいに。
(少しずつ、少しずつ。侵食されていって)
いつかはこの寝台の上で眠る、愛しい婚約者の命が奪われたらどうしようかと。考えるだけで胸が狭くなる。
(こんなにも恐ろしい。もう嫌だ、誰も。傷付かないで)
侍女も動物も何もかも私のせいで。傷付いて死んでしまうのにまだ、その温もりを求めては彷徨っている。彼の手を握り締めて考え込む。
「ねぇ、リンファ? …………私。本当は、一人になるべきなのよ。それか叔母様と、」
「何を言っているのよ、姉さんは!? 大丈夫だから! 絶対にそんなことはしないで頂戴!」
不安そうな表情のリンファに揺すられ、戸惑ってしまう。今日のリンファは私と同じく、透き通るような緑色の襦裙を着ていた。
「私。私がお父様に言って。叔母様の居所を教えて貰って、それで」
「っ駄目! 一番してはいけないことだわ、姉さん!」
「その通りですよ、リーファ様」
「グエン様! 大丈夫ですか!?」
いつの間にか起き上がって、こちらへと腕を伸ばして青い瞳を細めて笑う。その少しだけ良くなった顔色を見つめて、ほっとして体から力が抜け落ちてしまった。
彼の手を握り締め、溜め息を吐く。
「グエン様……良かった、本当に。目を覚まして」
「大丈夫ですよ、リーファ様。死んでませんから。ねっ?」
「まったくもう、姉さんときたら。まぁいいわ」
ほっとしたようにリンファが悪戯っぽく微笑む。
「二人きりにしてあげるわ、グエン。早く良くなりなさいよ? あまり姉さんに心配をかけるんじゃない!」
「分かってらぁ、そんなこと! ったく。相変わらず気の強いこって」
その文句を聞いてひらひらと手を振りつつリンファが立ち去って、部屋の扉がぱたんと閉まって静寂が訪れる。何となく顔が赤くなってしまって、その扉を見つめていた。
「あ、あの。グエン様? その、調子のほうは……?」
「貴女がこちらを、見てくれれば。もう少し良くなる気がするんですけどね?」
胸元を押さえて振り返ってみると、甘い微笑みを浮かべていた。その青い瞳に心臓が鳴って、そわそわとする胸を押さえつつ先程座っていた椅子へと腰を下ろす。
「あ、あの。その。私のせいでグエン様が、」
「リーファ様のせいじゃありませんよ。近頃は暑いし。きっとそのせいでしょう」
「でも、私は……」
腕が伸びてきてそっと、胸の上の手を握り締められる。自分とは違うごつごつとした手にまた、心臓が跳ね上がってしまって。
ばくばくと鳴り響く中で額に汗を掻いて、その手元を眺めていた。いつまで経ってもどうにもあまり慣れないのだ。
「ごっ、ごめんなさい。グエン様。そのっ、手を離して頂けませんか?」
「えっ!? 嫌でした!? 俺に触られるの、嫌でした!?」
「い、いえ。違うのです、これは」
ますます強く握り締められて汗ばんでしまって、どうにも恥ずかしくなってしまう。彼の顔が見れなくて俯いていた。
「その、グエン様の。手に触れていると。ええっとこうして握り締められていると」
「えっ? きっ、気持ち悪いんですか!? 大丈夫ですか!? 不安で死にそうなんですけど、俺!!」
「ぐ、グエン様……? どうぞ落ち着いて下さいませ」
彼が言葉通り青ざめて、ふるふると子犬のように震えている。その表情を見て微笑んでしまい、不安そうな彼がまたこちらの手を強く握り締める。
繋いだ手の温度に、愛おしさが雪のように降り積もっていった。
私の大事な大事な愛しい婚約者に、この気持ちが伝わりますようにと願って微笑んで、彼の手を胸元で握り締める。
「私。こうしてグエン様の手を握っていると、その。どうしても恥ずかしくって、嬉しくて。そわそわと、落ち着かない気分になってしまうんです。だから、わぁっ!?」
「っ今の台詞で絶対に死んだ!! 可愛い!!」
勢い良く抱きつかれて、体勢を崩してしまってそのまま彼の体にしがみつく。
「ぐっ、グエン様? あのっ、近いです!!」
「可愛い~!! もう無理です。俺って今、体調不良なんで!! 元気無いんです、全然!」
「えっ? だっ、大丈夫ですか!? でも、今の動きは……?」
「瀕死状態のあれです。最後まで力を振り絞ったあれです。あ~、可愛い! 好きっ! 天女様!」
ぎゅうぎゅうと抱き締められて、黒い胸元を握り締めて首を傾げてしまう。
「よく分からないのですが。大丈夫ですか? お体は」
「大丈夫じゃないでぇ~す、俺。もうあちこち辛くって、重たくって」
「まぁ、もう。グエン様ったら、ふふっ。でも私に何か、出来ることがあれば何でも言って下さいね?」
その言葉にぴたりと動きを止めて、こちらから体を離して何故だか不満そうな表情で見下ろしてくる。
「駄目ですよ、リーファ様? 男にそんなことを言っちゃ」
「でも、私。グエン様が元気になるのなら。どんなことだってしたいんです」
「あっ、可愛い。もう無理。今の表情と仕草で、俺の寿命は尽きてしまった……!!」
こちらから離れて、寝台の上でもぞもぞと体を丸めて黒い背中を震わせていた。
「グエン様? 大丈夫ですか? やはりまだ、調子が悪いのでは」
「っぐ、リーファ様が。可愛すぎて死んでしまいそうです……!! つらい!」
愛情に満ちた弱々しい声にふと、穏やかな微笑みが浮かんでくる。
(グエン様はいつだってこうして。私のことを好きでいてくれるから)
堪らなく嬉しいし、私だってその分だけの愛情を返したいと思うのに。その背中に手を添えて、優しく擦ってみる。
「グエン様。ねぇ? 好きですよ。グエン様は? 好きですか、私のこと?」
「もっ! もっ、もももも勿論です! 好きです、リーファ様!!」
「ふふっ、元気そうで良かった」
凄まじい勢いで起き上がって、きらきらとした青い瞳でこちらの手を優しく握り締めてくれる。その動きを見て元気そうだなと思って、ようやく深く息が吸い込めるような気がした。
それなのに彼は途端に顔を曇らせる。
「ああっ、でも俺。まだもう少し。元気が出ないかもしれない……!! 吐き気がする!」
「もう、グエン様ったら。そのように仮病を使わずとも。きちんと私が傍にいますから。ねっ?」
「あっ、可愛い。天女。悪化しそう、好き!!」
その真っ赤になった彼を見つめてふと、悪戯心が生まれた。
「ねぇ、グエン様? ちょっと。いいですか?」
「何ですか? リーファ様」
不思議そうに顔を寄せてきた彼の黒い襟を掴んで引っ張って、そのまま口付けてみると離れた途端にぼんっと顔を赤くさせて。泣き出しそうな表情にまた、愛おしさが募ってゆく。
「たっ、たまに。リーファ様は。とんでもないことをしてきますよね!?」
「ふふっ、申し訳ありません。つい、グエン様が。可愛らしくって」
「ええ~? え~、つらい。可愛いのは。リーファ様だと思いますけどねぇ、俺は」
照れてしまったのかもぞもぞと寝台の中に潜り込んで、じっとりとした青い瞳でこちらを見上げてくるものだから。ついうっかり笑ってしまうとその後、お返しと言わんばかりに袖を引っ張られて激しい口付けをされてしまった。
私の心臓が死にそうになったのは言うまでもないことで。
「ぐ、グエン様。ごめんなさい。確かに私。グエン様を、からかいすぎたのかもしれません……!!」
「いいえ、貴女は。何も悪くないですよ?」
こちらのくちびるを優しくなぞって、恍惚と青い瞳を細めてグエン様が妖艶に笑う。
「貴女がどうあれ、いつかは。襲うつもりでしたから。ねっ?」
「っふ、ちょっと。私も今ので。限界を迎えてしまったかもしれません……!!」
やはり彼にはちっとも敵わないような気がして。ぱったりと倒れこむと低く笑って、こちらの黒髪を優しく優しく手で梳かしてくれる。
(良かった。今日もグエン様が。私の傍にいてくださる)
だからもう少し頑張らないと。
(何も思いつかないけど、でも。……今夜辺り、お父様と話してみようか?)
このまどろっこしい状況を何とか変えたくて。
(もう誰も。失いたくは無いから。何も、諦めたくは無いから)
動いてみよう、ほんの少しでも。より良い未来を手にするためにも。
「なるほど、それでお前は。こうして僕のところにやって来たという訳だね?」
「お父様。単刀直入に言います。もう少し護衛を雇うか。叔母様の住所を教えて下さい」
こればかりはどうにもならないのだ、私でさえも。以前から再三、護衛を増やしてくれと頼んでいるのにも関わらず父は「必要無いだろう」と言って、優しく微笑むばかりで。
緊張に手を震わせ、目の前で手紙を眺めている父親を強く強く睨みつけていた。薄闇に浸された部屋は相変わらず、ごてごてと飾り立てられどうにも好きにはなれない。
頭上には華美なシャンデリアが輝いていた。
目の前の父親は小鳥と薔薇柄のガウンを羽織って、穏やかな微笑みを浮かべてぞっとするような暗い瞳でこちらを眺めている。
「何度も言っているが。グエン君がお前の護衛だよ? 婚約者も兼任しているけどね」
「ですが、彼は。もうそろそろ限界のようです。お父様だってご存知でしょう? 連日の騒ぎを」
確かにお父様は彼に多額の給金を払っているが。私が言いたいのは何も、そういうことではないのだ。
「ズハンからも。報告が上がっている筈です。妖魔も人間も、連日屋敷に侵入しては。こちらへと襲いかかってくる」
「ふぅん。まぁ、相手も。妖術を使っているみたいだからねぇ~。警備の問題ではないね、それは」
どうにも話が噛み合わない。どこまでも言葉が滑っていって、まるで透明な壁に隔てられているかのようで。
(だから苦手なのよ。あまり話は。したくなかったんだけど)
テーブルに頬杖を突いて、虚ろな黒い瞳でひたすらに手元の手紙を眺めている。
「人を増やしたところで。金の無駄遣いじゃないか? 現に今はこうして、お前も生きていることだし?」
「では、せめて。叔母様の居所を教えて下さい。お父様は。絶対に知っているでしょう?」
「お前とこうして話すのは。本当に久しぶりだね、リーファ」
こちらの声が届いていないみたいにぼんやりと、甘く微笑みかけてくる。一見すると優しい父親のように見えるが。額に汗を掻いて、軽く睨みつけてやる。
「お父様。もう一度言います。叔母様と話がしたいんです、私は」
「話して一体どうなる? ……あの子は。スイランは」
「それでも。会ってみないと。何も始まらないでしょう!?」
思わず声を荒げてその手紙を奪い取ってやろうと手を伸ばすと、途端に豹変してその手紙をばっと隠して、こちらを凄まじい形相でぎりぎりと睨みつけてくる。
その頭のおかしい睨み方にたじろいで慄いて、後ろへと一歩下がった。
「分かった。お前がそこまで言うのなら。会わせてやろうじゃないか」
「お父様。その。……ありがとうございます。これで何か少しは、」
「ただ、一つだけ条件がある」
「何でしょうか?」
嫌な予感がひたりと、背中に落ちてきて。じっとりと蒸し暑い夏の夜の部屋にて、薄っすらと甘く微笑んでいる父親の顔を眺める。
「食事会と一緒にしてみようか。スイランも参加したいと言っていたし。お前の従兄弟も」
「従兄弟? ……私に、その。従兄弟がいるのですか?」
初耳だ、そんなことは。
(確か叔母様は。お父様の子を身籠って堕ろした後に。嫁がされたと、そう。聞いていたけど)
数年経ってからその夫も死んでしまって、そこから行方が分からなくなっていると。そう聞いていたのだが。得体の知れない不安が這いずり回って、思わず自分の二の腕を掴んでいた。
「いるよ、お前によく似て。優しい良い子だよ。確か今年で。何歳になるんだっけなぁ~?」
「食事会に、叔母様も。……参加するのですね?」
「嫌かい? 婚約者を見せるのは」
私のせいでグエン様に何かあったらどうしよう。胸元を握り締めて、その不安を優しく宥める。
(大丈夫よ、リーファ。きっといざとなったら。……お義母様が助けてくれる筈だから)
そう思って自分を励まして、この提案を飲み込むしかない。凛々しく前を向いたリーファに、父親が優しい微笑みを浮かべていた。
しかしその黒い瞳には、ぞっとするような冷たい何かが潜んでいる。
「よし。それじゃあ決まりだね? 僕も久しぶりに会うからね。ああ、楽しみだ」
「お父様……貴方という、人は。本当に」
言っても仕方が無い言葉を、何とか飲み干していた。でも本当は「どうしてそこまで狂っているのですか? 私の父親の筈なのに」と恨み言をぶつけてやりたかった。
理性で何とかそれを、苦しく押さえていたのだ。その代わりにぎゅうっと自分の拳を握り締め、強く強く睨みつけてやった。
「それでは。そのつもりでいますね? お父様。今更、やめるなどとは。言い出しませんよね?」
「勿論。約束ならまた別だけど。僕がしたいって言い出したんだ。約束は決して違えないさ」
最後まで今いち会話が噛み合わないまま。その日の夜はそこで終わって、くたくたに疲れきって父の部屋を後にした。
(これで何か少しは。動くと、いいんだけど……)




