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9.彼女の妹と嫉妬心

 













「ルイー、リーファ様は?」

「先程、ズハンと共にお庭を歩いていましたけど? ああ、そうだ」

「んあ? 何?」



 ルイがぽっこりと腹を膨らませた子猫を押し付けてきて、満腹で眠たそうなファファを受け取る。



「えーっと? ルイ? これは、一体……?」

「今日はお天気がいいでしょう? ファファちゃんはお腹がいっぱいになった後。リーファ様の部屋近くの回廊の、少しだけ日が当たっている場所にこの毛布を敷いてお昼寝をするのが、」

「分かった、分かった。猫なんぞ、どこへでも行って昼寝するだろ? なっ?」




 黒衣に毛が付きそうで嫌だなと思いつつ、満腹で眠たそうなファファの頭を撫でてやった。俺と同じく黒衣を纏ったルイがその茶色い瞳を細めて、胸元に手を添えて解説し始める。




「分かってませんね! グエン様は! まったく! あんな固い床で眠ったら! ファファちゃんが可哀想でしょうっ!? 折角お腹もいっぱいになっていて、ねむねむたんなのに」

「ねむねむたん…………? お前、よく分からないよな。本当に」

「とにかく!」




 ファファのことになると、ルイは非常に頑固だ。子猫を甘やかし、尽くすことが自分の生きる意味だと言わんばかりに、主人である俺にあれやこれやと言いつけ全てにおいて子猫が優先される。




(寝台に。小便をされたのは。嫌だったなー、あれ)




 こちらがうんざりとした顔をしているのに、お構い無しにルイは続ける。




「いいからグエン様は! ファファちゃんをいつものお昼寝場所へと連れてってあげてください! あとこの毛布なんですが。ファファちゃんはこっちの柔らかい端っこを、ふみふみちゅっちゅして眠るのが好きなので」

「ふみふみ、ちゅっちゅ……?」

「そうです、こう」




 さも当然のような顔をして、ルイが自分の手を猫の前足のように構える。そして「ふみふみちゅっちゅ」とやらの動作を再現し始めた。




「こうやって毛布をふみふみして、ちゅっちゅってするんです。ねっ? 可愛いでしょう?」

「ああ、そうだな……」



 どっと疲労感が押し寄せてくる。



「そんなに可愛いのか? この子猫が……?」

「まったく! ちゃんと名前で呼んであげてくださいよ!? 白いのとかじゃあ、駄目ですよ!?」

「あー、はいはい。分かったから、も~……」



 ルイが「まったく!」と言って、憤慨した様子で毛布を敷き詰めた籠を持ち上げる。あれは子猫専用の寝台で、これから干して洗濯をしてとするのだろう。




(これ以上。何かぐだぐだと言われる前に。立ち去るかぁ。はーあ)




 ふくふくと温かい子猫を腕に抱えながら、リーファ様の下へ向かう。




(相変わらずこの屋敷は広いよなー、にしても。ここが離れだからか、人の気配が全くと言っていいほどしない……)




 黒い床に朱塗りの柱の廊下を歩く。所々にテーブルが置かれ、ルイが「この屋敷は何かと暗いから」と言って飾っていた花々が虚ろに現れる。




(何だろうなぁ? この。忍び寄るような不穏さは)




 ひたひたと、静かに不幸がやって来るような。重苦しい屋敷の雰囲気に嫌気が差して、すぐさまその不吉な想像をやめた。



 そこで腕の中のファファが青い瞳を開いて、じっと見上げてくる。




「んー? どうしたんだ? ファファ。一緒に。リーファ様の所に行こうなー?」




 ファファは何も言わずにまた、もぞもぞと体勢を変えて眠り始める。その温かな毛の塊を堪能しつつ、愛しい婚約者の下へ向かう。




「リーファ様は何か、こっちにいそう! こっちに!! 芳しい花の香りが、風に乗って漂ってきている……!! そんな気がするっ!」




























「グエン様! 丁度良かった。今、ズハンと一緒にお茶をしていた所なんですよ?」

「ズハン! ずるい、ずるい! 妬ましい! ずるいっ」

「これからお呼びするところでしたよ、グエン殿。はい」

「おう。ありがとう」




 熱い茶を差し出され、ファファを腕に抱えつつ片手で受け取る。そこで座っているリーファ様がくすりと笑って、手を伸ばして腕の中の子猫を撫でた。



 今日は少し暑いからか、その黒髪を纏めて白い首筋をさらけ出している。淡い水色の襦裙(じゅくん)を着ていて、その白い絹の胸元と帯の銀色の刺繍が目に涼しい。黒髪に挿した、銀色と翡翠の簪も美しかった。



 俺が贈ったものである。そのことにじーんと感動してしまう。





(はーっ! 清らか! 可愛い! 河の精みたい。この簪も。最高によく似合ってる…………!!)




 ここは庭園の東屋で、広大な池と蓮の花の美しい景色が広がっていた。空は淡い薄曇りで少しだけ蒸し暑い。



 子猫を抱え、朱塗りの欄干からぼんやりと池を眺めていると。不意にくいくいっと袖を引かれる。振り返ると、困ったような表情のリーファ様が佇んでいた。可愛い。好き。





「グエン様? ……一体、どうなさったのですか?」

「ああ、何でもありません。ぼうっとしていただけですよ、リーファ様。今日も麗しいですね?」





 彼女の白い手を取って優しく微笑みかけると、たちまちその顔が赤くなって嬉しそうな微笑みを浮かべる。その黒い瞳は潤んでいて、どこか熱っぽい。自然と口元が綻んでしまう。





「本当に。俺のことを好きになってくれたんですね、リーファ様……!!」

「はっ、はい。グエン様。だから、その。一緒にお茶ができたらなぁって」

「はーっ! 可愛い! 死んでしまいそう!! あっ、でも。ちょっとだけ待っててくださいね、リーファ様」

「どうなさったのですか? グエン様」



 すっかり眠りこけている、ファファの頭を撫でてやる。




「こいつを。いつものお昼寝場所とやらに設置しないと、俺がルイに叱られてしまうんです。だから物凄く離れるのは嫌だし、淋しいんですが……!!」

「ちょっと行って帰ってくるだけでしょう? ちょっと行って帰ってくるだけ」

「ズハン、うるさい。ちょっと黙っててくんない?」

「ふふっ、もう」




 そこでリーファ様が笑ってこちらの腕に手を添えて、爪先立ちをして、ふにっとこちらの頬に口付けてくれる。





「りっ、リーファ様……!?」

「ふふっ、行ってらっしゃいませ。グエン様。お待ちしていますから。ねっ?」

「はっ、はい! 好きっ……!!」

「いいから、早く。行ってきて下さいよ、グエン殿」

「今ちょっと。リーファ様から離れると死んじゃう病に罹ってるから……!!」





 両手が使えないことがこんなにも、もどかしくて辛い。リーファ様の尊い手を両手で握り締めることが出来なくて辛い。




「そんな病は存在しませんよ? グエン殿?」

「いいや! 存在するね! 恋の病に罹っているんだよ、俺は!!」

「ふふっ、もう。グエン様ったら」

「あ~、離れたくない! 好きっ!!」

「はー…………」




 本当に渋々、後ろ髪を引かれる思いで。東屋の(きざはし)を降りて、こちらに手を振ってくれる笑顔のリーファ様に手を振り返して。




「待っててくださいねー! リーファ様! すぐにこんな! 子猫なんか! 毛布に設置して貴女の下へ馳せ参じますからねー!!」

「ふふっ、待ってまーす。グエン様ー」

「あー、可愛い! 死にそう!!」




 淡い水色の襦裙を纏って、嬉しそうな笑顔で手を振るリーファ様は。




(まるで。天女が俺に手を振っていてくれているかのよう…………!! あー、可愛いっ! どうしようっ! もう一度だけ死んでしまいそう! 浚われてしまいそうで怖いなぁ)




 こんなに幸せでいいのかと、そう考えてしまう。




(呪いも。どうにかしなきゃなぁ。でもリンファの呪いを解いて、人間に戻したところで)




 また叔母とやらの、呪いが降りかかってきそうで。




(ユウロンとやらの話では。用済みになったからいらないと。そう命じられて殺しに来たそうだが)





 やはり彼女に対する殺意が無い。




(でも食事に毒は盛る。殺鼠剤や下剤も、何もかも。叔母のスイラン様とやらの指示で、ユウロンがひっそりと盛ったものらしいが…………)




 どうしてこんなにちまちまと、みみっちい嫌がらせを?





(理解が出来ん! 何故呪った? ユウロンの話によるとスイラン様とやらは、彼女のことを愛しているらしいが)





 気の狂った人間のすることに、理由など無いのだろうか?




(理由を探すほうが馬鹿なのかもしれない。はーあ、せめて。人相とか。特徴がもう少し分かるといいんだがなぁ~)




 延々と考え事をしつつ、庭園を歩いて白い回廊に辿り着く。折角眠っていたのにとでも言いたげな子猫のファファを降ろすと、もにもにと毛布を踏みしめながら眠り始める。



 それを見たグエンは自分の手を構えて、もにもにと動かしてみる。




「あ~。もにもにちゅっちゅって。こういうことかぁ~、はぁ~」

「そこで何をしているの? 貴方は?」

「んぁ? ……どなたでしょうか?」





 思わず丁寧な口調になってしまったのは、彼女によく似ていたから。愛しい愛しいリーファ様にそっくりな少女は明るい萌黄色の襦裙を着て、勝ち誇ったような表情で近寄ってくる。


 年は十五か、十四か。ざかざかと近付いてきて、遠慮なくじろじろと眺め始める。




「ねぇ? お前。リーファお姉様の婚約者でしょう? だってお母様がそう言っていたもの。美しい、冬の海のような青い瞳を持つ男だって」

「……ああ。申し遅れました。俺はリン家のグエンと申します」




 礼をとって自己紹介をすれば。勝気な美少女はむっとした顔になり、その表情を見て思わず笑ってしまう。




(リーファ様をもう少しだけ幼くして。色気と清らかさも取って、勝気にしたらこんな感じだろうか?)




 こちらの微笑みを見て何を思ったのか、白い頬を膨らませてずずいっと近寄ってくる。




「お前。私よりも年上でしょう? 一体いくつなの?」

「……にじゅう、いや。三十五歳です、シャオリン様」

「三十五!? 見えないわね、おじさんじゃないの! ってそれに」





 やけにずけずけと物を言う小娘だなと思って、口元を引き攣らせていたが。ぐっと耐えて、にっこりと愛想の良い笑顔を浮かべる。





「私の名前を知っていたのね? でも、どうして分かったの? こっそり覗いていたの?」

「まさか。そんな。特徴を聞いていただけですよ。春の小鳥のように、賑やかで明るい妹がいると。彼女から、そう」

「まぁ。……お姉様ったら」




 少しだけ淋しそうにシャオリンが呟く。グエンは青い瞳を細め、その様子を観察していた。




(あの男。お義父さんの話によると。この娘も不義の子で、彼女とは半分しか血が繫がっていない。いわば、異父姉妹な訳だが…………)




 本人はそのことに気が付いていないだろう。年端もいかぬこの少女に。



(そうした裏事情を、囁く使用人がいないとも限らないが。まぁ、知らないだろうな。多分)




 あの麗しくも清らかな、リーファ様と半分しか血が繫がっていないとは。何とも可哀想なことだが致し方ない。




(いや、しかし。彼女は実際には血が繫がっていると思っているのだから。完璧に。幸せと言えば幸せか)




 ぽかぽかと日の当たる回廊近くの庭園にて、愛しい彼女へ思いを馳せていたのだが。




「ねぇ! ちょっと! 聞いているの!? グエンとやらは!」

「聞いていますよ。一体。どうしたんですか、シャオリン様は?」

「その言い方。嫌だわ、何だか慇懃無礼で」

「……はぁ。そんじゃあ、まぁ」




 ぼりぼりと自分の黒髪頭を掻いて、一つ欠伸をする。目の前の少女がぽかんと、口を開けてこちらを見ていた。




「ざっくばらんに。砕けた言い方に変えますね? シャオリンちゃん」

「なっ、何も! ちゃん付けしなくって、いいわよ、もう……!!」




 そこで何故か、顔を赤くしてそっぽを向く。




(参ったな。このぐらいの年の子と。普段、あんまり話す機会が無いもんだから。どう扱っていいのかよく分かんねぇぞ、これ……)



 二の腕を組んで考え込む。



「俺は一刻も早く、愛おしいリーファ様の下へ行きたいんだが……?」

「じゃあ私も連れて行きなさいよ、グエン!」

「っはぁ!? シャオリンなんか連れてったら、いや、シャオリンちゃんを連れてったら」

「いいじゃないのよ、もうっ! 私だって、その。リーファお姉様に会いたいんだもの!」




 そこでぐいっとこちらの腕を取ってそのまま何故か腕を組んで、むすっとした顔つきで歩き始める。我が儘なシャオリンに引っ張られながらも、幼い弟妹を思い出して笑ってしまう。





「あー、はいはい。そんじゃあ行きましょうか、一緒に。リーファ様の下へ」

「何よ。随分と聞き分けがいいのね? お前」

「そこは優しいって言ってくれませんかね? お嬢様」

「シャオリン。あー、シャオリンちゃんでいいわよ、もう。あと敬語も無しで!」

「分かった、分かった。そんじゃあ、シャオリンちゃん?」




 特に悪い気もしないまま笑う。彼女だって妹には会いたいだろうし。




「俺と一緒に行くかぁ。ズハンがお前の分の茶も、淹れてくれるといいなぁ~」

「ズハンは。護衛だからそんなことはしないわよ。私の侍女にさせるからいい」

「……左様で」




 リーファ様に侍女はいないのだ。




(呪われたお嬢様に。好き好んで近付くものはいない。それに)




 雇っていた侍女が相次いで不審死を遂げたことで、辛くなってしまったリーファ様は新しく雇われた侍女も遠ざけ、自分で身支度をするようになったそうだ。




(可哀想に。あの心優しい彼女が。それまで仲の良かった侍女の亡骸を見てしまって、どれほど。傷付いたことだろう……)





 この腕は無力だ。過去の愛しい、彼女を救うことが出来ない。




(もっと色んなことが出来るようになりたい。彼女を、救いたい。幸せにしたい)




 いくらどんなに願っても、彼女がこの手からすり抜けていってしまいそうで恐ろしい。




(ああ。嫌な予感が付き纏う。俺の。嫌な予感は。当たるから嫌だなぁ)




 深く溜め息を吐いて、隣のシャオリンを見つめる。嬉しそうな笑顔を浮かべて、その黒い瞳をきらきらと輝かせていた。それを見て意外な気持ちになる。



(おかしいな。普段はろくに交流が無いと、そう聞いていたが)




 あの頭のおかしい母親が交流を阻んでいるかもしれない。そこまでを考えたら涙が出てきた。目元の涙を拭い取って話しかける。




「そうだよな! お前も。美しい美しい、リーファ様にお会いしたいよな……!!」

「えっ? それはそうだけどでも、」

「なっ? 大丈夫だ。俺が連れてってあげるから。リーファ様の下へ! 好きっ! 早く会いたい!」

「毎日会っているんじゃないの? お姉様と」

「足りない。死にそう。淋しくて死んじゃう」

「そう……変な男」
























「グエン様? 一体。どうしてシャオリンと……?」

「お姉様っ!」

「わっ?」





 それまで俺の腕にしがみついていた、シャオリンが嬉しそうに飛びつく。肩が凝ったような気がして自分の肩を揉んでいると、ズハンがこちらを物言いたげな目で見つめていた。





「んあ? 何だ? ズハン。子猫ならちゃんといつものお昼寝場所とやらに、」

「いえ、グエン殿は。ちっともよく分かっちゃいませんよね、女心を」

「はっ、はぁ!? いきなり何を言い出すんだよ、お前は!?」




 そこでふいっと、ズハンが顔を背ける。そして「お茶のお代わり。持って来ますね、リーファ様」と声をかけ、嬉しそうな妹にぎゅうぎゅうと抱き締められている、リーファ様が戸惑ったように頷く。



 椅子に腰掛けて先程の茶を啜って、向かいで仲良く腰掛けている姉妹を見つめて苦々しい思いで考え込む。




(何だよ? ズハンの奴。そりゃあ俺だって。彼女と二人きりでお茶がしたかったよ、ったく)




 まぁ、どうせ。




(すぐに帰るだろう、こいつも。あーあ。その後は彼女と二人きりで、何でも好きなようにすれば)




 いかがわしい妄想を繰り広げながら、真面目な顔で茶を啜っていると。向かいに座ったリーファ様が、遠慮がちにおずおずと話しかけてくる。




「あっ、あのう? どうしてグエン様。シャオリンとその。歩いて、こちらに……?」

「ごめんなさい、お姉様! 私がグエンにお願いしたの。ねっ?」

「ああ。シャオリンちゃん。まぁ、確かに。俺も彼女とは二人きりで過ごしたかったけど」





 そこで彼女が「シャオリンちゃん」と、困ったように呟く。




(あれ? 変だったかな? 三十五のおじさんが。こんな少女を。ちゃん付けで呼ぶと。変態感が出てしまうか……!?)




 しかし、本人がそう呼んで欲しいと言ったのだ。シャオリンに目配せをすると、偉そうに頷いてリーファ様をじっと見上げる。



「ねっ? お姉様。私が無理を言ったのよ。お姉様に会わせて欲しいって!」

「そうなの……それは別に。構わないのだけど」




 憂鬱そうな表情で彼女が呟いた。




(あれ? 一体、何が駄目だったんだろう? 本当は妹と仲が悪いとか?)




 久しぶりに見る、彼女の沈んだ表情に。落ち着かない気持ちとなって焦って、口を開きかけたが────…………。




「リーファ様、シャオリン様。お待たせしました。甘味とお代わりのお茶です」

「ありがとう、ズハン! ああ、メイメイ。先にお姉様にお渡しして。私のは別に、後でもいいから」

「かしこまりました、お嬢様」




 そこでシャオリンの侍女らしき女性がうやうやしく、甘味を乗せたお盆を持って横を通り過ぎて、ちらりと意味ありげな視線を送ってくる。




(あー。まぁ。呪われたお嬢様の。婚約者だもんな~)




 ここは愛想良くしておこうと考えて、にっこりと微笑みかけておく。薄緑色の襦裙を着た侍女はその顔を赤くさせて、焦ったように皿を置く。



 そんな慌ただしい侍女の給仕の仕方を見て、向かいに座ったリーファ様が何やら変な顔をしている。




(えっ……!? あんな表情は。初めて見るな? 困ってる? いや、でもなんか)




 怒っている、気がする。




(心当たりが無い…………!! えっ? あれかな? 妹を連れてきたのがそんなに。駄目だったのかなぁ~)





 彼女が不貞腐れたような、拗ねたような黒い瞳でこちらを見つめてきたので、優しく笑いかけてみるとつんとそっぽを向かれてしまった。心が砕けそう、泣きそう。




(えーっ!? 何で!? どうして!? あーっ、やめれば良かった! このガキ、連れてくんの!!)




 俺が知らないだけで仲が悪いのかもしれない。




(ああっ、どうしよう!? 嫌われでもしたら! あとで謝らなくては! はー、悲しい。辛い!!)




 つるつるとした仙草(せんそう)ゼリーを掬い上げて、じんわりとした黒蜜の甘さを楽しんで熱い茶を啜って、どこか虚ろな気持ちで話していた。



 こちらの気持ちも知らずに、向かいに座ったシャオリンは彼女の腕にしがみついてぴーちくぱーちくと話している。それを見てまた、思わず笑ってしまう。




「リーファ様が春の小鳥のようだって、そう。シャオリンちゃんを例えていたのがよく分かるような気がします。可愛い」

「えっ? そうっ、そうかしら?」




 そこで顔が赤くなって、ぱっと嬉しそうな笑顔を浮かべる。単純だなと思って微笑ましく眺めていたら、リーファ様がすっと無表情になっていた。思わずごくりと唾を飲み込んでしまう。




「り、リーファ様? どう、どうなさいましたか……?」

「……いいえ」




 震える声で問いかけると、彼女がふっと当たり障りの無い微笑みを浮かべる。




「何でもありませんよ、グエン様。分かって頂けて何よりです。そう。シャオリンもまた、私の大事な可愛い妹なんです」

「お姉様……!!」




 慈愛に満ちた微笑みを浮かべて、妹の頭を優しく撫でている。




(あれ? 今の無表情は。ひょっとして目の錯覚だった……?)




 そう思うぐらい、にこやかな表情だ。何が何だかよく分からんが、まぁ。




(どうも怒っている訳ではないらしい。あー、良かった。ほっとした)




 少しだけ安心しつつ、今度こそ和やかに会話を楽しんで解散する。




「それじゃあ、お姉様! そのっ。邪魔しちゃってごめんなさい! あの、出来れば。あのまた」

「大丈夫よ、シャオリンちゃん」




 彼女が優しい微笑みを浮かべ、シャオリンの白い頬に手を添えた。




(あーっ! 羨ましいっ! 俺もちゃん付けで呼ばれたいっ! やっぱいいや、それは。グエン様でいいや)





 あまりの清らかさと可憐さに、思考が混乱していた。リーファ様が照れ臭そうなシャオリンを抱き締めてやって、その背中を見送る。



 嬉しそうな笑顔で手を振ってくるシャオリンに、俺も手を振り返して笑う。そこでついと黒い袖を引かれてしまい、何やら不穏なものを感じて振り返ってみると。



 そこにはにっこりと、綺麗な微笑みを浮かべたリーファ様が佇んでいた。




「えっ? あのっ? リーファ様? そのう……?」

「ズハン。グエン様と、二人きりにしてくれるかしら?」

「かしこまりました、お嬢様。それでは私は。これで」

「えっ? あのっ? ズハン? おーい…………?」




 俺の声が虚しく、東屋に響き渡る。ズハンは振り返りもせずに、すたすたと赤い階を降りてしまう。




(えーっ!? いやっ、えーっ!?)




 腕を伸ばして、その後ろ姿を見つめていた。




(どうしよう? 何でだろう? 彼女の顔が、見れない…………!!)




 前代未聞だ。こんなことは初めてだ。彼女がきゅっと、こちらの腕にしがみついてくる。ふと見下ろせばやはり、その黒い瞳にはちらちらと怒りの炎が浮かんでいるような気がした。




「あっ、あのう。リーファ様……?」

「お話が。あるんです。グエン様」

「は、はい。すみませんでした……」




 とりあえず謝っておこう、そうしよう。そして再び、向かい合わせで座ることとなった。


























 向かいで彼女が茶を啜っている。いつになくお上品な所作がよりこちらの恐怖を煽る。縮こまって、テーブルの上を眺めていた。



「あの。リーファ様。俺」

「私。実はグエン様が思っているような女じゃないんです」

「えっ? それは。どういう……?」




 そこで彼女が恥じ入るように顔を伏せて、くちびるをきゅっと噛み締める。その辛そうな表情を見て胸がきゅんとしていた、今すぐ襲ってしまいたい。




「ごめんなさい、私。その、嫉妬深くて」

「嫉妬。深くて……?」

「はい、その」




 彼女に当てはまらないような言葉に驚いてしまう。リーファ様が潤んだ黒い瞳で、こちらを見つめていた。




「嫉妬。してしまって……駄目ですね、私は。グエン様があの侍女に笑いかけていたのも。シャオリンと腕を組んで歩いていたのも。思い出す度に、どろどろとした醜い感情が湧いてきて、」

「そっ、そんな! 俺にそんなつもりは無かったんですよ!? それにっ」





 がたんと椅子から立ち上がって、彼女の下へ駆け寄る。弾けんばかりの喜びがこの胸を満たしていた。




(ああ、何だろう。これ。上手く言えないな……!!)




 愛おしくて愛おしくて、堪らない気持ちとなって。思わず彼女を抱き締めていた。




「ぐっ、グエン様? あの」

「すみません、俺が鈍くって。ようやくズハンが、言っていた。言葉の意味が理解できました」




 立ったまま彼女を抱き締めていると、椅子に座った彼女がおずおずとこちらの背中に手を回してくる。




「っごめんなさい、私。くだらないことで。些細なことで、嫉妬して拗ねてしまって。あんなの愛想笑いなのに、でも」

「いや、俺が悪かったんです。無神経でした。すみません」




 彼女の細い指先がきゅっと、黒い衣を握り締めている。そして弱々しい声で囁いた。



「私にだけ、笑いかけていて欲しいって。その、優しい笑顔を。独り占めにしたいだなんて、私」

「あーっ!! 可愛いっ! 死にそうっ! 大丈夫ですよ、リーファ様! 嬉しいです、嫉妬してくださって! 嫉妬してくださって!!」

「ぐっ、グエン様……?」




 俺ばかりが彼女のことを好きだと思っていたから。心からほっとして体を離して、優しく優しく笑いかけてみる。彼女がその頬を赤くしていた。




「嬉しいです、本当に。全然。どろどろなんかしていません。むしろ清らかで可愛らしい……」

「グエン様、その」




 ぎゅうっと俺の手首を握り締めて俯いて、耳まで真っ赤にしてまた、こちらを潤んだ黒い瞳で見上げてくる。





「昨日みたいにまた。その。口付けを。して欲しいです……」

「あっ。死にそうになった、今ので。つらい、泣いてしまいそう」





 あまりの可愛さに涙ぐみながらも、真っ赤な顔でおねだりをされたので覚悟を決める。




(ああ、怖いな。失いたくない…………大事に、したい)




 穢してしまうような罪悪感と共に彼女の白い頬に手を添えて、この胸の痛みに途方に暮れつつ。彼女の柔らかなくちびるにくちびるを重ね、離れてみるとリーファ様が頬を膨らませる。




「足りないです、グエン様。もっと欲しいです……」

「あーっ、死ぬっ、死んでしまう、あーっ」




 そこで胸元を押さえて本気でよろめいて、ぜいぜいと息を吸って吐いてとしながらまた彼女の頬に手を添える。するといつになく積極的な彼女が、こちらの首に腕を回してきて。




「んっ、リーファ様……!?」

「グエン様はちょっと。私のことを大事にし過ぎです。もっと、大人の女性として扱って欲しい」

「リーファ様、俺は、んっ」




 そのままくちびるを塞がれて、くらくらと眩暈がしそうな気持ちでそれを受け入れていた。彼女の舌と甘い匂いに酔って、この幸せを失くしたくないと苦しいほどに願って抱き締める。





(ああ。どうかどうか。少しでも長く。この時間が続きますように……)





 彼女が明日も笑っていてくれますように。健やかな笑顔でこちらを見て、俺の名前を呼んで。明日もそうやってまた、呪いと悪意に損なわれず傍にいてくれますようにと。



 願って、何とか引き剥がして床に蹲っていた。




「ねぇ? グエン様。物足りないです、もっとください!」

「あのっ、リーファ様? ちょっと今は。本当にまずいんで触らないでください……!!」

「グエン様? そんなに嫌ですか? その。私に触れるのは?」

「ちっ、違うんですよ。リーファ様。違うんですよ~……」




 膝を抱えて蹲って、何も知らない彼女が無邪気にこちらの背中を揺すって、心配そうな表情で覗き込んでくる。




「ねぇ、グエン様? 大丈夫ですか? お腹でも痛いんですか?」

「すみません。ちょっとだけ。そっとしておいてください、俺のことは…………!!」




 とりあえずまだまだ、時間はたっぷりあるので。




(ゆっくりと進んでいこう。そうしよう)




 と決意をして、不満げな表情の彼女を見上げてときめいていた。この恋心が一方通行ではなくて、心の底から安堵していた。



 彼女が俺に触れたいと触れられたいと、そう思っていてくれて。力が抜けるぐらい、ほっとして嬉しかった。











これからの展開でリーファ(ヒロイン)が物凄く辛い目にあったり、鬱展開になることはありません!!たまに「作者。登場人物に恨みでもあるんか??」的な展開の小説がありますが。


そういったものは苦手なんで鬱展開ないです。王道大好き人間です・・・・・・。

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