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マダオの田中 中学三年生  作者: やまいも
4/5

漢・田中

 11月。生徒会を引退し後輩に託した東谷。受験が迫る。その冬の手前。3年生はマラソン大会がない代わりに1500m走があった。


「東谷、見ていてくれ。今日俺は、宮本に勝つ」

「おいおい。そりゃあ2位になるってことじゃねえか」


 長距離走で、最初考えなしに突っ走って、すぐに息切れ。最下位に転落。そんな人、たまにいないだろうか。田中はまさにそういうやつだった。

 対して、宮本はアスリート。休み時間にいつもサッカーをしている体力の塊。マラソンはいつも学年2位。田中に勝てるはずがない。ちなみに1位は寺門である。


「ま、意気込みは買ってやるよ。やれるだけやってみろ」

「意気込み? 買って?」

「あー、そのー。頑張れってことだよ」

「うん! 頑張る!」


 両腕を握り締める田中。いつになく真剣な表情。その顔は宮本に向いている。彼に起こった変化。それは宮本が田中をKOした日から始まっていたのだろう。田中は強い男になるべきだと言った宮本。その言葉の通りだ。

 東谷では田中に起こせなかった変化。それを、あっさり起こしてしまっていたわけだ。嫉妬してしまう。天才の多才さに。よりによって、自分が一番身近であるはずの田中についてでさえ、自分よりも上手に接することができるのだろうか。


「はっ」


 そこで気付く。自分が宮本に感じていた怒りの理由。田中を奪われるという寂しさが、あったのかもしれない。あの時、田中の目が、自分ではなく宮本に向いていた。朝、自分に絡んでこなくなり、孤独を感じていた。その嫉妬、寂しさで、宮本に当たっていたのかもしれない。恥ずかしくて誰にも言えないが。


「ひゅーっ。熱いねえ。同姓のカップルはー」


 と、久しぶりに井上が茶化してくる。だが、相変わらず誰も同調しない。こうなっては哀れなものだ


「お前は大丈夫なのか? 勉強ばっかりしていて。マラソンは」

「おいおい、俺を舐めるなよ。天才様だぞ。少なくとも田中には負けねえわ。真ん中より上は、余裕かな。勉強ばっかりというか、ゲームばっかりしてるんだけどな。ふははははっ」


 相変わらず、自慢ばかりの井上。


「何つまんねえ自慢してんだ。バカじゃねえの」

「こいつ、強がってゲームばっかりとか言ってるんだぜ。どうせこういうタイプは、影でマラソンの練習してるんだ。本当最低なやつだぜ」

「卑劣、卑屈。嫌味なやつだよな。井上」


 クラスメイトから、矢継ぎ早に出てくる悪口。笑みを浮かべていた井上の眉が、スッと緩む。そこに浮かんでいたのは恐怖。


「はあ、はあ、はあ」


 乱れる呼吸。


「すー、はー、すー、はー。ふんっ。笑いの分からんやつらめ」


 だが、井上は、強がった。一人孤独に、スタートラインに着く。


「よーいっ、どん!」


 そして、1500m走が始まる。最初に飛び出したのは寺門と宮本。そして田中。


「うぉおおおおおおおおおおお!」


 叫ぶ田中。一時的に一位へ。


「バカ田中! 声を出すな! 体力がもったいないだろ!」


 東谷の声が聞こえたからかどうか。田中はすっと力を抜く。そして、ややスピードを落とし、宮本に並ぶ。そのまま、同時に並走を始めた。

 100m地点。ここまで走れるのはふつうだ。よくある短距離。200m地点。ここも、可能ではあろう。短距離と言える距離。400m。陸上選手にとっては短距離。ふつうの中学生にとっては、中距離。だが田中は、宮本についていっていた。

 あの運動ができない田中が、なぜ。多くの生徒が、頭に疑問を浮かべる。田中は顔を真っ赤にして、粘り続ける。

 宮本に勝つ。強い自分を東谷に見せる。自分をバカにし、そして自分から東谷を奪おうとした宮本。彼に、一泡吹かせなければ、すべてを失ってしまう気がするから―――。


「なあ父ちゃん。どうすれば強い男になれる?」


 あの日、田中は父親に尋ねていた。宮本に勝てる男になり、東谷に認めて貰えるように。


「そうだな。とりあえず、スポーツだな。毎朝、ランニングでもしてみたらどうだ?」


 父はそう答えた。その日から、田中は毎日欠かさず、2kmのランニングをしていたのだ。今日、その成果を見せる時―――。


「くそっ、くそっ、くそっ」


 だが、それも500mが限界だった。徐々に宮本に突き放される田中。もともと運動能力にも才能にも違いがあったのだ。それに、田中が走っている間に、宮本もそれ以上の距離を走っている。宮本は休み時間にサッカーをしているし、勉強の合間に個人的に鍛えてもいた。田中が勝てるわけがない相手だった。


「ぜえ、はあ、ぜえ、はあ」


 600m地点。3位、4位、5位と、どんどん後退していく。

 1000m地点。とうとう、東谷と並ぶ。東谷の運動能力は、上位である。1000mで並ぶというのは、田中にとって快挙であった。


「田中、あと少しだぞ。頑張れ」

「ひがし、たに…。ぜえ、はあ」


 東谷は、田中と共に走ることに決めた。そして応援するのだ。彼が最高のパフォーマンスを発揮できるように。田中を気遣い、自分の全力を出さなかった場合、先生に叱られるだろう。模範的な生徒会長の姿ではない。だが、ここまで田中が頑張ったのだ。ちょっとくらい、先生に逆らってでも、田中をねぎらってやりたかった。もうすぐ、お別れということもある。頑張った彼の姿を、思い出として共有したかった。


「ぜえ、はあ、ぜえ、はあ。うぉおおおおおおおお」

「おい田中。だから声は出すなって。体力がもったいないだろ」


 叫ぶ田中。咎める東谷。だが、田中の体力は、叫び声に呼応するように、もう一度活力を取り戻す。


「ぜえ、ぜえ、ぜえ、ぜえ」

「おめでとう! 田中くん! 30位! すごいことだよ! 東谷君も! 31位!」


 受験シーズンで、他の生徒が体力を減らしていたこともあるだろう。しかし、30位というのは、東谷がいつも取っている順位。上位の成績。それを、スポーツがからっきしの田中が、成し遂げたのだ。東谷の心は、感動に包まれていた。


「くそっ! くそぉうっ!」


 当の田中は、宮本に負けたことで、悔しがっていた。本気で勝つつもりだったのだろう。そんな姿も、東谷には眩しく見えた。


「強くなったな、田中」

「えっ、東谷…?」


 田中に駆け寄り、頭を撫でる東谷。その表情は、涙でボロボロだった。


「お、おいおい東谷。何、泣いてるんだよ」

「いや、その…。何というか…。自分の子どもが立派になる姿を見るって言うのかな」

「わけ分かんねえ。なんでそれで、泣くんだよ!」

「バカっ。うれしいってことだよ!」


 照れて、恥ずかしそうに言う東谷。田中は、嬉しいと言われて、喜びがありつつも、困惑してしまう。うれしいと言っているのに、なぜ泣いているのか、分からないからだ。

 この時、2人を見る担任の先生も、泣いていた。若い女性である。あの田中が、ここまで走れるようになるなんて、思わなかった。無我夢中、がむしゃらに走る姿。これは、走るだけの問題ではない。心が、変わったということ。努力をし、何かに打ち込めるようになったということ。この変化が、すばらしいのだ。

 東谷もよく頑張った。彼がいたからこそ、田中は殻を破ることができた。今の田中ならば、中学を卒業しても、何とかやっていけるだろう。そう思えた。そして、この最高の瞬間に立ち会えた自分。幸せに身を包まれているようだ。

 担任の先生が、東谷と田中に近づいていく。


「あっ、すみません先生。田中についていっちゃって。自分で走るべきでしたよね」


 先生に気付いて、頭を下げる東谷。先生は、その東谷を、田中ごと、抱きしめた。


「バカね! そんなこと、気にしなくていいのよ! ありがとう! 東谷君、田中君! あなた達、最高よ!」


 笑顔で、涙を流しながら言う先生。それに釣られて、何人かの生徒も顔をほころばせる。


「すごいじゃないか! 田中!」

「負けたぜ! まさかお前がここまでやるとはな!」

「見直すって言葉、今日ほど使いたいと思ったことはない! 見直したぜ、田中!」


 今までの言動が嘘のように、田中を褒め称えるクラスメイト達。女生徒も、賛辞の拍手を送っている。

 その当の本人。田中は、呆然としていた。このような形で褒められたことがないのだ。頭が追い付かない。うれしいのは分かるが、そのうれしさをどう表現していいか分からない。固まってしまう。そうして固まったまま、ゆっくりと涙を流した。


「なんで!? 俺が一位なのに! 最大のライバルであり心の友であるミヤーに勝ったのに! なんで30位なんてしょべえ田中に群がるんだ! 俺を褒めろよ! お前達! おかしいだろ!」


 例外は、一位の寺門。彼は、ギャーギャー喚いていた。自分が一番目立てるはずなのに、田中に取られてしまったからだ。認めがたかった。こういうスポーツでしか、自分は輝けないのに。この日は主役でいられるはずだったのに。


「俺は認めてやるよ。お前はすごかった。お前が一番すごかった」

「あっ、いや、うん。ありがとう心の友よ! だけどさあ!」

「まあいいじゃないか。ああいうのも」

「いやよくねえよ! こっちは一位だぞ一位! 俺が一番頑張っただろ!」


 宮本だけが、寺門を褒め続けていた。


「ぜえ、はあ、ぜえ、はあ。ううっ。んんっ。んっ」


 なお、井上は、走っている途中で過呼吸を起こした。皆に敵視される恐怖。精神の不安定さが、呼吸の乱れにつながったのだ。1000m近くで、うずくまって動けなくなった。1500m走はもちろん棄権。そのまま、病院に搬送された。

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