474.イグドゥラシャ国の王太子〜ギディアスside
「……ああ、来たのか」
薄暗い室内のベッドの上で力なく呟く男。
記憶にあった艶のあった真紅の髪は、今はくすんでパサついている。
私やバルトスと同じ背丈と鍛えていた体躯は、萎れてしまったかのようだ。
「久しぶりだね、ナグベルガム=イグドゥラシャ。
いや、まだナグと呼んでもいいかな?
最後に会ったのは、確か私とスティリカ第1王女との婚約解消の時だったよね。
あの頃から比べると、随分と痩せてしまったかな」
「ああ、そうしてくれ、ハァ……ギディ。
このままなら、もう長くは……ハァ、ない、だろう」
這々の体で話すも、途中で疲れたような息を吐くナグは、言わずと知れたイグドゥラシャ国の王太子だ。
__シャ、シャ、シャ。
共に転移したバルトスが、この部屋を薄暗くしていた重厚なカーテンを開き、陽の光を招く。
うわ、まさかの開けっ放しだったとはね。
いつからかわからないけど、窓付近には雨水の入りこんだ跡がしっかりと残っている。
唯一の救いは、ベッドが部屋の真ん中に位置していた事かな。
風はともかく、雨は入らないから。
ベッドの脇に立ち、陽に照らされた彼の顔を、ダークグリーンの目を改めて覗きこむ。
久々の陽の光だったのかな?
彼は眩しそうに目を細めている。
けれどそこに宿る意志の強さを窺わせる光を見出して、安堵した。
振り返り、カーテンだけでなく、全ての窓を開放したバルトスに向かって頷けば、部屋全体を魔法で浄化してくれた。
そろそろ交代する予定だったとはいえ、王太子の部屋とは、いや、王族の部屋とすら思えない埃っぽさが消える。
もちろんそれだけじゃない。
決して人の、ましてや病人の寝起きする部屋になどあってはならない、体内の魔力を狂わせる類の魔法陣も綺麗さっぱりと消えた。
「ナグ、まだ諦めていないね?」
「ふ、当然だ」
「こんな状態で、こんな扱いなのに?」
「このままなら、と言った……ハァ。
それに人払いする、必要もない、ハァ……だろう?
そなたが来たのなら、何か打開策があるのではないか」
確信したかのような言葉に、思わず苦笑してしまう。
「どうやら正気を取り戻したのかな。
最後に会った時は、どこかぼうっとしていたから」
「ああ……そなたがあの者との、婚約解消に訪れた際、ハァ、渡してくれた魔具。
あの魔法を無効化する、魔具のお陰だ」
「今はもっと性能の良い魔具がごく一部の者の間で普及しているけどね」
「ふ……見目はどうかと、ハァ、思うぞ」
そう言ってくたびれた寝衣の袖から、見た目は間違いなく髑髏にしか見えない、呪いの効果でも付与されているかのようなブローチを見せる。
肌身離さず身につけていたようで、何よりだ。
「ふん、素晴らしい蝶に文句をつけるとはな。
しかし俺の試作品はそこにあったのか。
だから俺の可愛い天使にちょっかいをかけれていたんだな」
その言葉に、思わずぎょっとした。
言葉からもわかる通り、それはバルトスから渡された物だ。
確か渡されたのは、彼の可愛い天使が誘拐され、生死の境を彷徨った数ヶ月後だったかな。
「まさかバルトス……」
あの時期の天使は、グレインビル領から遠く離れたアビニシア領の城に長く滞在していて、暇を見つけては会いに行っていたんだけど……。
「ふん、俺の天使に興味を示したお前が悪い。
俺の許可なく天使に触れればその手が凍りつくように細工していた」
「何て物を……それじゃあ魔法の無効化を付与したと言うのは……」
「もちろんそれをカモフラージュする為だ」
「バルトス……何て代物を……」
思わず脱力して項垂れてしまった。
カモフラージュする対象と、実際の効果がアンバランスすぎる。
「その者は、確か王宮魔法師では、なかったのか……ハァ。
いや、それより……蝶?」
「あー、まあ、バルトスはグレインビルだからね」
ナグの戸惑う気持ちは心から、本当に痛いほどわかる。
わかるけれど、今は呑気に話している時間もない。
「ああ、あの……ハァ。
まあ、助かった……天使とやらも、いなくて、ハァ」
それはナグもわかっているみたいだ。
でもグレインビルだからで他国の人間が納得する家柄って、今更だけどどうなのかな。
何て少し自国の悪魔達の家系に想いを馳せていれば、ナグはすぐに本題を話し始めた。