460.堕ちた魔族〜ゲドグルside
「そもそも薬の原材料が本当にあるのかも怪しいのだから」
その怪しい情報で、この女にとって大事な局面である、イグドゥラシャ国王太子が亡くなりかけている今、遠く離れたこの国の、それもこんな辺鄙な教会に来たのでしょうに。
『あの令息につまらない痕跡を残すなら、さっさと来い。
ウチュウジンを燃やしちゃうぞ、って言っておいて』
この女の後ろに控えているベルヌは、かの令嬢の言葉をそのまま伝えたようです。
ウチュウジンが何なのかは、この女もわからなかったようですが、まあそこはかの令嬢の言葉ですからね。
きっと架空の言葉を作り出した上で、隠語として使ったのでしょう。
その証拠に、この女は長らく探していた薬草にアテを付け、ここまで呼び出せたのですから。
そして同時にその薬草が無ければ、この女の身が危うくなると、本人に行動させる事で私やベルヌに暗に知らしめている。
あの時を戻す魔具をもってしても、この女の悠久とも思える命の時間に限りがあると、ベルヌも気づいたでしょう。
この女が気づかないよう、ベルヌの隣で侍るジルコを見やります。
ベルヌは気づいているのでしょうか。
彼女にかけられた魔法は、魅了ではないと。
随分と厄介であり、この女に長年抱き続けたある種の懸念が現実となってしまいましたね。
ジルコは魅縛されています。
私が魔人属であり、長年失われた魔法を興味本位で研究していたからこそ、知っています。
この女は、間違いなく魔族。
それも同族から人界へと追放された、堕ちた魔族。
私達魔人属は、自らの祖が魔族の中でも極端に弱体化した魔族だと、同じ魔人属から口伝として聞かされています。
口伝となっているのは、魔族でも人族でもある私達が、しかしどちらでもないとして排除されないようにする為。
魔族ならともかく、人族がそれをすれば、魔人属が人族を滅ぼそうとする場合もあるからです。
魔人属は人族の中でも数が極端に少ない。
しかしそうできてしまえる可能性は、完全に否定できないのですよ。
魔力や身体機能は、人族の中でも随一ですからねえ。
もちろんほぼ全ての魔人属が、それを望みはしないでしょう。
それによって数で均衡をとれなくなれば、次の敵は自分達よりずっと力のある魔族となるかもしれませんから。
魔族と人族が、いつから棲み分けをしているのかは知りませんし、魔族が人族に直接害を与えたがる性質かどうかも、わかりませんけれどね。
それはともかく、魔族は何らかの禁忌を犯すと、彼らの王である魔王によって、咎人の烙印を焼きつけられるそうです。
それによって弱体化させられ、人界へと堕とす。
そんな魔族から派生したのが、ロストマジックに識別される魅縛魔法です。
そして魔族の血を引くからこそ、本能的に察してしまうのです。
この毒々しい赤い魔力で以てジルコを魅縛しているのは、魔族固有の魔力であり、人族の魔力とは質が異なると。
ロストマジックだからこそ見えるのでしょうね。
それ以外の魔法を使用している時には気づきませんでした。
とはいえ口伝がどこまで本当かも、私の推察が果たして正しいのかもわかりません。
堕ちた魔族も、この女くらいしか私は知りませんし。
「それにあっても正しい作り方を知っているなんて事は、あり得ないのよ」
「それでも貴女は、グレインビル嬢の言葉を受けて、こうして来たじゃありませんか。
あると思うからこそでは?」
そう、どちらにせよ、この女が焦っているのは確かです。
もちろん私がそこに気づいている事は、秘密です。
魅縛魔法は興味がありますが、いくら私でも長らく行動を共にしてきた彼女に、それを使ったのは、不快に感じているのですよ?
だってその魔法はあまりに醜悪です。
もし解除する前に、この女が死ねば、一生魅縛されたまま、絶望に苛まれて生きるかもしれませんからねえ。
いつも私を叱り飛ばしたり、まるでウジ虫でも見るかのような目で私を見やる存在がいなくなるのは、存外寂しいものですからねえ。