451.救い〜ニーアside
『……あ……』
ポタポタと滴る赤い血を見て、小さく声を漏らす。
怒りに染まる感情の中に、しまった、と取り返しのつかない事をしでかしたという思考が生まれ、冷静になる。
しかし幼女は痛む素振りも見せず、相変わらず淡々と話を続けた。
『本来なら孤王だけでも、どうとでもなるんだ。
ただ僕がイレギュラーな状況に陥って、古王の卵すらもなかなか生まれないし、孵化しても君みたいに上手く目覚めきれない。
そういう状況に陥るのは、想定外なんだけど』
そんな感じの事をボソボソ喋っていた気がする。
『でもまあ次代の孤王が生まれるまで、君達は僕と違って肉体が死んでも、古王として転生を繰り返すんだったかな。
そう聞いてる。
だから今が辛くて死にたいと望むなら、死んでもこの世界には大きく影響しないし、それもいいんじゃない。
僕の魔力が世界に循環して、完全に定着しきるまでの時間が長くなってしまうと、僕の方が苦しむ時間が長くなっちゃうけど。
そうだね、世界視点で見れば、それだけだ。
それに今の君の状況なら、死にたくなるのも仕方ないし、止める権利なんて本当は誰にもないよね』
後から思い起こせば、随分と軽い口調で、重い事をサラリと言っていた。
けれど……。
姉は最期、私に生きろと言い遺した。
それがつらかった。
でもそんな私に、幼女は私が死を望むのは、仕方ないと言ってくれた。
それがどうしようもなく、嬉しかった。
生きろだなんて、今でも偽善的で綺麗事にしか思えない。
それをあんなタイミングで否定されたのが……とにかく私には、救いだった。
本能的に、この幼女の側にいようと決める。
竜人の性がこの幼女と共に生きろと囁く。
そうだ__どうせ生きろという、姉の遺言に従う事になるのだから。
その後すぐ、金髪で翡翠色の目をした少年が転移してきた。
血だらけのお嬢様を見て、私がやったと告げた。
『そうか』
ただ一言だけそう言って、まったく同じように、同じだけの傷をつけられた。
躊躇いなど無かった。
『バルトス兄様……』
これまでずっと無表情だったお嬢様は、初めて人間らしい表情を見せる。
それが困ったような表情だったとしても、自分には向けられなかった人間らしい顔で……それまで姉にすら抱いた事のない、ほの暗い嫉妬を覚えた。
そうしてお嬢様は、少年に縦抱きにされる。
『俺の可愛い天使。
我慢しなくていいから、ちゃんと吐き出せ。
服なんかどうとでもなるから、気にしなくていいんだよ』
私に向ける、極寒の声音からは考えられない程に、甘く優しげな声音だった。
我慢?
吐き出す?
何をだろうかと思う間もなく、小さな口から、コポリと喀血が溢れる。
ずっと押し留めていたのか、暫くむせながら血を吐き出し続ける。
少年は胸元にかかる鮮赤を、魔法で定期的に綺麗にしながら、片腕に乗せて背中をトントンと優しく叩く。
あの幼い体は、ずっと悲鳴を上げ続けていた。
本当は立って話すのも、気力で持ち堪えている状態だったのだと、この時悟った。
私はお嬢様が気を失う直前、連れ帰って側で世話をさせるように、と少年__バルトス様へ進言してくれた事で、グレインビル邸へ招かれた。
ずっと抱えていた姉の骸があったので、食べ物だけ渡されて、迎えは翌日。
現在のバルトス様なら、まとめて転移できたけれど、この頃はそうはいかなかった。
この後1日ぶりに目にしたお嬢様は、高熱と呼吸困難で生死の縁を彷徨っていて、初めて定めた主の変わり果てた姿に、気が狂いそうになった。
姉の骸はバルトス様によって1度氷漬けにしてもらい、お嬢様が出歩けるようになってから、埋葬した。
主ができたからか、氷漬けになった姉との静かな時間を得られたからか、お嬢様とお馬のポニーちゃんしか知らないらしい、グレインビルの山中の、ある場所で荼毘に付す頃には、気持ちに整理がついていた。
ちなみにその場を墓にしたものの、年々、周囲に奇怪な食虫植物が増えているのが、ちょっと悩ましい。
もちろんお嬢様の、嘘偽りない真心のこもった贈り物だから、黙して語らずを鋼の精神で貫いている。
私はお嬢様に人生で初めての名を授けられ、グレインビル領でお嬢様の専属侍女として、新たな人生を得た。
その称号をお嬢様から得るまでに、1年程お嬢様を追いかけ回したのは、良い想い出だ。