285.天使に荒療治〜ヘルトside
「それでは魔法誓約書を見せてもらおう」
「ここに」
そう言って国王と大公夫妻の魔法誓約書を差し出す。
全てにそれぞれの祝福名込みの名前と血判がなされている。
手術に関する秘密保持の誓約書だ。
胸ポケットから万年筆を取り出し、私の名前を署名して風魔法で人差し指の先を少し切って血判をその書類全てに押して了承の言葉と共に誓約を締結させる。
レイヤードの方にスライドさせると、私の意を汲んで自分の腰に下げたマジックバックに収納した。
「ん····」
不意に腕に抱えた可愛い娘が身じろぎする。
切った指を治して血を洗浄魔法で同時に消す。
その手で再び背中をとんとんしてやれば、ふにゃりと年相応の微笑みを浮かべて胸に頬をすり寄せ、再び微睡み始めた。
可愛すぎてうちの子、やっぱりもう天使で確定だな。
顔立ちも優しげで将来絶対美人になるし、面倒見も良い方だ。
天使として申し分ない。
しかし父親だからわかってもいる。
この子の本性は何かしらの心を寄せない限り本来は情がなく、冷たい。
他者との利害関係は己の中で明確にあり、息をするように他者を駒として扱う。
しかし冷たいが、根は素直で他者にも最低限の優しさを持とうとはしている。
それが誰の為なのかは知らないが、娘にとって大切な誰かの為なのだろう。
ココが亡くなってからこの子はミレーネ以外を心の内側には絶対に招き入れない。
いや、かなりすんなりと最初から義妹を妹として受け入れていたバルトスに対しては少しばかり違うか。
ホームシックが過ぎて泣きついたのがバルトスだったのはショックだったが、納得もしている。
それは、まあいい。
上手く使い分けて簡単にはわからないようにしているが、どこかで私達を義父、義兄と線引きしているふしがあり、恐らくそれは息子達も気づいている。
共に長く家族として生きている。
わからないはずもない。
私達に心を砕くのはミレーネの夫と息子だからだ。
それでも私達がこの子の中で特別な位置づけなのも間違いない。
そしてココの死後、護衛を兼ねる専属侍女を側に置くのだけは断固として拒絶し続けた。
無理に置けば一切の食を放棄して命をかけて無言の抵抗をし続けたくらい頑固だ。
たまたまうっかり娘が拾ってきた竜人のニーアが私達もドン引きするくらい娘につき纏い、拾った以上最後まで世話をしなさいと家族総出で諭してようやく娘が折れ、専属侍女の座を獲得するまでそれは続いた。
私達の家柄か、私の立場上か性格上か、それとも娘の体質上か、もしくはその全ての理由のせいで狙われる娘を前に3、4歳の幼児が頑固過ぎないかと、あの頃は本気で頭を悩ませた。
しかも愛馬のポニーちゃんを贈ってからは更に活動範囲が広がったものだから、流石に胃が重くなった。
しかし最愛の妻にしてこの子の母親であるミレーネだけは、昔から傷つきやすくて筋金入りの頑固者だから仕方ないわと懐かしそうに笑っていた。
出会った頃から彼女にとって特別な名前なのだと聞いていたアリリアにちなんだ名前。
私の妻、ミレーネは実の娘にも名づけなかったそれをいくら調べても素性がわからなかった捨て子らしき子供に与え、人によっては不気味に思うだろう魔力0で当時は感情も表情も乏しかったこの子の事を妙に理解していた。
そこには私も入りこめない何かしらの絆がこの2人に見え隠れしたが、不思議と嫌ではなかった。
ちなみにルナチェリアの名はミレーネからルナという文字を入れて欲しいとの願いも考慮して私が名付けている。
祝福名はビーナスカイ。
ルナチェリア=ビーナスカイ=グレインビル。
あまりにも幼くして亡くした愛娘の正式な名だ。
ルナの眠る墓の周りは色とりどりの花が絶えず咲いている。
ミレーネがそこで眠るようになってからも花が絶えた事はない。
全てアリアチェリーナの、私のもう1人の愛娘が何かしらの花を植えたり、生けたりするからだ。
時々新種の花で人面ぽいのや昆虫を取り込むのが混ざっているが、見なかった事にしている。
だがあの懐中時計がこの子の手元に来た時から、娘は胸の内の何かしらの葛藤にどこか苛ついていた。
冷たいが、根は素直だった部分が少なからず歪になり、他者への最低限の優しさを持つ事にどこか罪悪感を感じつつあるように見えた。
それは息子達も感じていたようで、王宮魔術師団の寮で過ごすバルトスも、学校を卒業して冒険者となったレイヤードも時間を見つけては妹の顔を見に帰っていた。
それでも懐中時計を手にぼんやりする事が増えてきたのは、中の人工精霊石の寿命が間近に迫っていたからだろう。
娘にとってその精霊石に宿る人工精霊はずっと探している何者かと繋がっているらしく、そのどちらもがいつ消えてしまうかわからないだけに、気が気ではなかったようだ。
子供らしからぬほどに感情の波が少ないこの子が少しずつ歪んで不安定になっていく。
その様を見ているのは私達家族も落ち着かず、ほんの僅かでも娘の心が救われるきっかけはないものかと考えていた。
その矢先だ。
目の前のこの男がロリコンの求婚の書状を持ってやって来たのは。
もちろん中をチラ見した瞬間に燃やした。
ココの死に関わった1人である大公、正確にはヒュイルグ国王達だが、娘が明確な嫌悪を表に出すのは3歳のあの頃と変わらなかった。
そしてこいつがわざわざうちの邸で倒れ、娘の気を引く為に連れてきていたらしいチビ害獣達がうちの娘に泣きながら助けを求め、その様子を見た時に思いついた。
そうだ、天使に荒療治をしてみよう。
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