207.可愛い義兄様と狐の専属侍女
「アリー」
「兄様お帰りなさい!」
突然かけられた声に驚く事もなく振り向きざまに胸に飛び込む。
もちろんしっかり抱きとめてくれるよ。
外から転移してきたんだろうね。
レイヤード義兄様だけがひんやりしてる。
このお城にいる間だけ僕付きの侍女をしてくれてる少し年配の女性も突然の義兄様には慣れたのか、無言で奥に下がる。
「ただいま」
そう言いながら革手袋を外して僕のお顔や首筋をペタペタ触る。
「んひゃあああああ!
つ、冷たぁぁぁぁぁ!」
「あははは、ごめん、ごめん」
日も沈んで外は極寒だものね!
仕方ないよね!
不意打ちペタペタに叫んじゃったけど、いいよ!
お顔ちょっと火照ってたからね!
かっこいい手が温まるなら喜んでぇぇぇぇぇ?!
嬉しそうな義兄様の極寒地仕様のもこもこ帽子に埋もれたお顔も素敵だよ。
「うん、少し顔の火照りも引いたね」
はぁはぁと涙目になって肩で息をする僕の手を引いてお部屋のテーブルに座らせてから、自分も帽子を脱いで向かいに座って膝に置く。
こういう時のエスコートは流れるような動作で貴族の子息そのもので格好いい。
奥に行ってた侍女さんはテーブルにささっとティーセットと小さな砂時計を置いて義兄様から帽子を預かってくれる。
「「ありがとう」」
「滅相もございません」
僕達の言葉に優しく微笑んで静かに部屋を出て行った。
ここに来て何ヶ月にもなるから、自然と阿吽の呼吸が出来上がったみたい。
「ルドとはもう会ったの?」
「うん。
1年ぶりだったけど、随分成長してたよ」
「そう。
ちゃんと気づいた?」
「どうかな?
僕との交流とお目付け役をさせようとしてるのはすぐに気づいたと思うよ?」
「そう。
王太子には向かないよね」
「人には得意、不得意があるもの」
だけど少し時間が経てば本当の目的に気づくんじゃないかな?
第2王子を守る為の親善外交だって。
何から守るのかな?
砂時計の砂が落ちる。
僕は青いコバルトブルーで花が描かれた真っ白な陶器のポットを手に取って同じ絵柄のカップに注ぐ。
黄金色の紅茶と中のコリンの芳醇な香りが合わさる。
最近お気に入りの紅茶なんだ。
「良い香りだ。
それにコリンのほのかな甘みが今日は特に美味しく感じるね」
「やっぱりここはグレインビルより寒いから、いつもより疲れちゃった?
甘いの苦手な義兄様もこれなら飲めるものね。
しばらく携帯食だったから、足りないビタミンはフルーツで補ってね」
「ふふ、僕の可愛いアリーは優しくて物知りだね」
優しく微笑んでくれる義兄様はいつもと違って否定しないから、思った通り少しお疲れなんだろうね。
僕はずっとお部屋にいるからわからないけど、グレインビルより北に位置するこの国の寒さは義兄様にもきつかったんだろうな。
ふふ、体が温まって気が抜けたみたい。
眠そうなお顔が可愛い。
暖炉の薪がパチパチとなる音。
何日かぶりの兄妹水入らずの時間は穏やかで、癒やされちゃう。
「兄様、あっちのお部屋で眠る?」
「····そう、だね。
そうだ、これ」
立ち上がって腰のマジックバックから色々取り出してはテーブルに置いて行く。
「ニーアが寂しがってたよ」
義兄様は最後に僕の頭をぽんぽんしてから奥の寝室に向かう。
その背を見送ってから、テーブルに視線を移した。
「ニーア····」
今回この国に来る時に僕のできる専属侍女、ニーアはお留守番してもらう事にした。
ものっ凄く嫌がられたけど。
ごめんね。
どうしてもこの国には連れて来たく無かったんだ。
思い出すのは狐のお耳と尻尾。
ニーアの前の、ちょっぴり雑な専属侍女。
『アリー様、これからよろしくお願いします!
お世話もお護りも任せて下さいね!』
初めて会った時に彼女は可愛い笑顔でそう言い切った。
小さな僕と目を合わせるように膝を床について。
そして最期まで有言実行してくれた。
まだ幼児の体に慣れない彼女は時々僕の体を滑らせて浴槽に沈めてくれたり、食べさせようとする食事が幼児的には熱かったり、むしろ冷たかったり、寝かしつけようとして自分が寝てしまったりと侍女的には雑だったけど。
でも僕はグレインビル家を敵視する何者かからすると格好の餌だと思われてて、ちょくちょく狙われては彼女の戦闘力で事なきを得ていた。
それにいつも優しい手で撫でたり、抱き上げてくれたりしてくれたんだ。
まだ僕の表情が乏しい、非力な幼児としては致命的じゃないかと思う時期から、ずっとニコニコと笑いかけてくれていた。
なのに····。
僕の彼女との最後の記憶は、真っ白い雪の中で朱に染めて一部を欠損させた頭部。
なのに····。
僕はまたかと思ってしまった。
あの時の僕の目からは予想通り、涙も出なかった。
そんな自分がもどかしくて、腹が立って仕方なかった。
胸の中でぐるぐると何かが渦巻く。
不愉快だ。
命懸けで守ってくれた侍女の死を悲しむより、悼むより、怒りが先にくるなんて····酷いよね。
そう思い直して雪が降り始める中、自分を包んでいたシーツを被せてそっと小さくなった彼女を抱きしめた。
今まで彼女が僕にしてくれたように。
これ以上冷たくならないように。
そして彼女を荼毘に付した日。
僕がアリアチェリーナ=グレインビルになって初めて、怒りを消化する為だけに持てる力を使って動いた。
「アリアチェリーナ様、国王陛下がいらっしゃいました」
ふと、侍女さんの声に意識が浮上する。
ああ、今は会いたくなかったのに。
「かまわないわ。
お通しして」
返事をすると直ぐに彼は入ってきた。
「よぉ」
僕の専属侍女を殺した発端。