109.おまじない
「王妃様、王子殿下。
それでは私達は先に参ります」
リュドガミド公爵が優雅に一礼した後、他の4人も一礼し、三大筆頭公爵家一同が転移魔具へと消えていく。
一礼の後、公爵の優しげな目と合った気がした。
王妃様と王子は、彼らを悠然と見送る。
····僕と共に。
どうしてこうなった?!
あの後、案内に従って僕達は、転移魔具を設置してある、広いホールに入ったんだ。
僕はどういうわけか王子のエスコートで、最後尾から2番目に並んでぞろぞろ歩いたよ。
最後尾は護衛で狼獣人のシルヴァイト、通称シル様だ。
もちろんそれ以外の護衛は、広い回廊に等間隔で配置されてるから、何かあっても安心だね。
ホールに入ると、ロイヤル仕様の微笑みを浮かべる王妃様と、その後ろで護衛を務める軍服姿の凛々しいバルトス義兄様にご対面。
思わずにこにこしちゃうのは、仕方ない。
義兄様は一瞬王子を一瞥しただけで、お仕事モードの顔をしてた。
僕の手を握る王子が一瞬ビクッとしたけど、お仕事モードだから、いつもの優しい雰囲気が成りを潜めて、びっくりしちゃうのも仕方ないよね。
「あらあら。
グレインビル侯爵令嬢、私も少しだけお話しをしたいから、私達と共に参りましょうね」
え、またこのパターン?!
もう本当に嫌なんだけど。
なんて思いながらも、お顔は淑女スマイル。
「ふぐぅっ」
何か隣斜め上から笑いが洩れた気がするけど、無視。
握った手から小刻みな振動を感じるけど、やっぱり断固無視だ。
にしてもこのホール、何か寒いね。
あ、バルトス義兄様、また護衛らしからぬ顔になってるよ。
護衛に疲れてきたのかな?
大丈夫?
王妃様、今は後ろ向いちゃダメ。
「さあ、こちらにいらして」
仕方ないよね。
僕は王子のエスコートから、王妃様に差し出された手を取って、そのまま王妃様の後ろに控えるようにエスコートをされる。
義兄様と目が合ったから、思わず微笑んじゃった。
義兄様も目尻が少しだけ下がったね。
あ、ちょうど義兄様の真正面に背を向ける形だから後ろに義兄様の気配があって安心する!
王子もそのまま王妃様の隣に並び、シル様は義兄様の隣に並び立った。
で、さっきの三大筆頭公爵家の面々が、こっちに待機してたバトラーさん達に、コートやケープを羽織らせてもらうのを眺めた後、何故だか僕も王族達とお見送り。
王妃様がゆっくり振り返ると、僕と後ろの2人を残し、近くにいた護衛達は少し下がる。
多分私的なお話をするのかな?
「驚かせてごめんなさいね」
「とんでもないことでございます」
僕は一礼しようとして、止められた。
「堅苦しい挨拶は必要ないわ。
私がどうしても親友の、ミレーネの娘であるあなたと、お話ししてみたかったの」
うん、大迷惑。
「ミレーネから私の事は聞いていて?」
「学園時代、とても良くしていただいたと、お聞きしております」
「ふふ、今は私的な場だから取り繕う必要もないのよ。
私達は親友で、今でも宝物のような時間を過ごせたと思う程、仲がよかったの」
王妃様は顔を僕の耳元に近づける。
「恋バナするくらい」
囁いて耳元から離れた王妃様を、思わず見やる。
「ふふ、聞いてたみたいね」
「はい、色々と」
悪戯っ子のように微笑む王妃に、僕も笑い返す。
義母様の話題になると自然に笑みが溢れちゃう。
王妃様はそっと手を伸ばし、僕の頭をぽんぽんと撫でる。
どうでも良いけど、公爵に王子に王妃様まで大人気だね、僕の頭。
気持ちいいの?
「とても体の弱い、魔力のない子供を養女に迎えたと聞いて、ずっと心配だったわ。
貴女のお姉様に続き、もしもの事があれば、親友がどれほど傷つくかわからなかったから」
「母を止めようとは、思われなかったのですか?」
ふと疑問に思った事を口にすると、きょとんとした顔をした後、ふふふ、と笑う。
「あなたの名前を最初に聞いたわ。
だからそんな気持ちは、全く起きなかったの。
あなたが彼女の、特別な子供だとわかったから。
それに今日、あなたが刺繍したハンカチを見て、それが正しかったと思えたもの。
あなたは姉であるルナチェリアも含めて、家族を大事にしているのでしょう」
そっか。
義母様は、親友にちゃんと話してたんだね。
僕はまた笑みを溢して、頷いた。
すると王妃様は僕の両手をそっと手に取って、この国の母親が、我が子の小さい時によくするおまじないをしてくれた。
「健やかに」
握った両手を額に当てながら、健やかな成長を願うおまじないだけど、僕が最後にして貰ったのは義母様が意識を失って倒れる少し前だ。
言葉と同時に、ちょっぴりお疲れの体が、少しだけ軽くなる。
回復魔法をかけてくれたんだね。
「ありがとうございます」
「何か困った事があれば頼りなさい。
親友に何度も助けられた恩は、娘であるあなたに返すわ」
その目に嘘や偽りは感じない。
「その時は是非」
王妃様とのやり取りなのに、義母様を思い出す。
僕は胸の奥が温かくなるのを感じた。
「さあ、それでは移動しましょうか。
ルドルフ、ご令嬢のエスコートは最後までなさいね」
「喜んで」
前言撤回。
僕の胸の奥は、急速冷凍されそうだ。
王妃様は王子の返事に満足そうに頷くと、言いたい事言って清々しくなったのか、一瞬母親の顔を王子に向ける。
用意されたコートを羽織って、そのまま王妃様は背後にバルトス義兄様を伴い、魔具へと入って行った。
そうして僕はバトラーさんが用意してた、白いふわふわのケープを羽織る。
ケープには赤色の石をあしらった、ピンブローチをアクセントで付けているんだ。
可愛いでしょう。
そうして重く感じる手を、再び差し出された手に重ねた。
「俺達も行こう」
「····はい」
「くっ····」
何だろう?
僕の淑女スマイルって、そんなに笑いを誘うのかな。
僕の専属侍女でできる女のニーアからは、完璧ですって、お墨付きを貰ったはずなのに。
こうして僕と王子、背後をぴったりとついてくるシル様は、待機役の逞しい警備兵達に見送られ、魔具へと向かう。
入る直前、シル様が僕達から少し離れた。
魔具の横枠に装飾の一部のように埋没され、赤く灯る魔石に手を触れてから、すぐに僕達の背後に戻る。
この魔具は最後に入る人が、入る前にこっちの魔具に魔力を通し、あっちに出た時、あちら側の魔具にも魔力を通して一時的に鍵を掛ける仕組みだよ。
起動させっぱなしにすると、地味に魔力を消費しちゃうんだ。
ただ完全に遮断すると、次に起動させるのに魔術師が20人くらいで魔力を通さないと、起動しないんだって。
だから一時的に鍵を掛けて、一時停止状態にしとくんだ。
再び足を進めた王子が魔具に入る直前、魔石の雰囲気が変わった気がした。
だけどエスコートで進んだ上に、背後にシル様もいて止まれなかった。
そしてそのまま足を踏み入れた結果、足元の床がグニャリと歪んで落下するような浮遊感を僕達全員が体感する事となる。