行き遅れの私に分不相応な結婚話は、幸福を運んでくるのでしょうか?
新緑の風薫る五月。城塞都市との間に、たゆたう川の流れを挟んで広がる貧しい農村。
小さな教会を中心に、三十戸ばかりの家が寄り添う。村には、共同の牛舎や納屋などがあり、それぞれ役割をもって共同生活を送っていた。
私は、ここ三年ほど村に姿を見せるようになった商家の青年、マリウス様の横に立っていた。
彼は細身で私よりだいぶ背が高く、顔を見るには見上げるようにする必要がある。
少し面長で鼻筋の通った顔には、切れ長の、全てを透徹するような輝く藤色の瞳。
無造作に肩まで伸びた癖のある淡い金髪が、風になぶられ波打つ。
それは、逆光に照らされて、収穫期の小麦畑を想わせた。
素直に美しいと思った。
きちんと手入れされているのもあるんだろうけど……。
二人の眼前に広がるのは、手塩にかけて育てた大麦。それも、ウイスキー醸造専用に育てたものだ。
見たことはないが、マリウス様は蒸留所を運営し、蒸留酒を専門に商いしているらしい。
「どうですか? マリウス様」
彼は、作業着に腕組みをしていた。
満足げに目を細め、夕暮れの赤い陽の光に輝く眼前に広がる麦畑を眺めている。
徐々に落ちていく夕陽が、低くたなびく雲を真っ赤に染め上げ徐々に深みを増す。
深緑に色づいた大麦の穂が、浅い角度で正面から差し込む陽光に照らされる。
細かな穂先の隙間から漏れる陽光とシルエットのコントラストが、幻想的な美しさを奏でる。
「ああ、今年もいい出来だ。これなら、極上のウイスキーになりそうだ。レーヌの丁寧な仕事のお陰だな」
「レーヌには、いつも世話になるな」
「いいえぇ、マリウス様こそ、いつも良くしていただいて、なんとお礼を申し上げて良いやら……」
マリウス様は村の畑で取れる大麦を気に入ってくれて、高値で指名買いしてくれていた。
お陰で以前に比べて生活は楽になった。
「俺もそろそろ身を固めようかと思ってるんだ……」
「あら、いいじゃありませんか。もう、お酒を浴びるように飲むのは飽きたんですね。変なお店に遊びに行っちゃだめですよ?」
「おいおい、見て来たみたいに言うじゃないか。それは、村長達の話の受け売りだろ?」
「何言ってるんですか。酔っ払って納屋で寝てたのは一回じゃないですよね?」
「ああ……。だが、いまは飲んでないぞ、今は!」
「それでお相手は、どこかの貴族様ですか? まあ、私が聞いてもわかりませんけどね、ふふふ」
「いや、俺の隣にいる人さ」
「お隣さんですか、近くていいですねぇ」
実家が遠くだと大変だものね。
「そうじゃない! 君だよ、レーヌ。一緒になってくれないか?」
えっ?
何を言っているの?
私?
そんなわけないじゃない!
「やだ、マリウス様ったら……。冗談ばっかり! そんな話があるわけないじゃないですか。私、もう十九ですよ?」
この歳で結婚していないのは、完全に売れ残りの行き遅れ。十三歳から結婚が可能になって、だいたいは十六歳くらいまでに結婚していく。
私は家庭の事情もあったが、仕事ばかりに精を出し、色恋沙汰に疎すぎた。
「真剣に考えておいてくれ。俺なりに考えた結論なんだ」
と、マリウスは私に向き直ると、瞳をまっすぐ見つめて言った。
時が止まってしまう!
青天の霹靂とは、まさにこのこと。
今まで、そんな気持ちで接してきたわけじゃないのに……。急にそんなことを言われても……。
ドキッとして、そっと視線を逸らす。
顔は紅潮しているに違いない……。
気恥ずかしい。
「レーヌ!」
遠くから、呼ぶ声が聞こえる。
うら若い二人の娘が、豊満な姿態を揺らし、こっちに駆け寄ってくるのが見えた。
村一番の美人姉妹。
「レーヌ! こんなところにいたっ! サボってないで、仕事しなさいよ! 牛舎の掃除がまだでしょ?!」
艶のある声だが、険を含んでいた。
「それは……。わかりました。では、マリウス様、失礼します」
私の仕事じゃない、と言おうとして飲み込む。
兄のことで村に迷惑をかけた負い目もある。
「ああ、またな」
マリウス様は心配そうに、こちらを見た。
後ろ髪を引かれる思いだが、荒れた道を急いで帰る。
もう日が暮れる。
さっさとすることをして、帰らなければ。
「ねぇ、マリウス様! あんな子ほっといて……、私と納屋でいいことしましょ?」
「ちょっと、ずるいよお姉ちゃん!」
遠くで、そんな声が聞こえた。
牛舎の掃除をできるところまでして、父と母の待つ家に急ぐ。
数年前に兄を失った家は、それでもまだ狭かった。
薄暗く、ほこりっぽい部屋で、松明が煤をちりりと上げる。
「おかえり、遅かったな」
父の心配そうな声に、胸がずきりと痛む。
「ご飯にしましょう」
「ああ……、手伝うね」
母は、オート麦の牛乳がゆを準備していた。私が小さかった頃は、毎日ご飯を食べるなんて夢のようだった。
大麦をつくってはいるが、高値で売れるため口に入ることは滅多にない。
かわりに安いオート麦を買って食べるのだ。
粥をすすりながら、さっきのマリウス様の言葉をぼうっと反芻していた。
「どうしたんだ? 元気ないじゃないか?」
父に要らぬ心配をかけてしまったようだ。
「あ、ううん、なんでもない。マリウス様がね……」
「マリウス様がどうかした?」
今度は母がいぶかしむ。
「冗談だと思うんだけど……、私と結婚したいって……」
それを聞いた父は、一気にむせかえってしまった。
ちょっと大丈夫? と、母が背中をさする。
「ああ、大丈夫だ。……レーヌ。だけど、マリウス様がどこの誰だか知ってるのか? あの人は……。兄のようにならないためには、さりげなく断った方が無難だと思う。ありがたい話かもしれんがな」
兄は、以前小領主の娘と恋仲になり、戦争に徴発されたときに殺されたと聞く。もちろん、表向きは戦死だ。
そのあと、村の税は重くされ、生活に困窮するようになった。
「そうだね。ところで、マリウス様って、結局どこのどんな人なの?」
「知らないのか?」
いや、そんなに驚かれても困る。別に知らなくても生活できるし……。
「商人なのは知ってるけど?」
「ただの商人じゃない。泣く子も黙るフィーデス商会の御曹司だ。あそこに逆らって酷い目に遭った貴族はいくつもあるらしいぞ」
「そうなんだ……。そんなふうには見えないけど」
「とにかく、厄介なことになったな……。他を探すと言っても、お前の器量では……」
「そうねぇ。自分でも不思議。こんな不細工な私の、なにが良かったのかな? ひょっとして、小間使いに欲しかっただけだったりして?」
自分で自分の姿を見ることなんてないからよくわからないけど、美人でないことは周囲の反応からわかる。
父は、自分で言ったにも拘わらず、私が認めると不機嫌そうになった。
「まあ、マリウス様は平民とは言っても、そこらの貴族よりお金もあるし、きっと貴族の令嬢との縁談がいっぱいあるはずよ? お母さんとして、こんなこと言いたくないけど、礼儀とか文字とか全然知らないし……困ったことになるんじゃないかしら?」
「そうだね」
うん、きっとそうだ。
よし、断ろう!
分不相応な縁談は、嫉妬や妬みを呼んで、不幸になるだけだ。
だが、そのことがあって以来、マリウス様と顔を合わすと、つい意識してしまって態度が所在なげになってしまう。
なんだろう、この感じ……。
五月も半ば以降になると、薔薇の花摘みの仕事が待っていた。
満開の薔薇園は、木立性の強香種の薔薇が満開だった。我が世の春とばかりに咲狂う姿は、儚くも力強い。
マリウス様は、生業の酒造の片手間に、薔薇のエッセンスを作っていると聞いたことがある。
日々力強さを増す陽光の中、甘い香りに包まれて、荷車に乗せた木箱いっぱいに薔薇の花を摘み取ると、荷馬車に積みに行く。
薔薇の入った木箱を乗せるのはマリウス様が手伝ってくれた。
「それで、レーヌ。例の話は、どう? 同意してくれるなら領主のところに行って掛け合いたいんだが……」
一人になるのを見計らって、声をかけられる。
結婚は、村の土地を管轄する領主が許可する必要があるんだよね。
初夜権なんて呼ばれることもあるけど、お金もかかる。
「ああ、それでしたらもったいないことですが、お断りします。住む世界が違いすぎますよ。マリウス様には、もっと綺麗な貴族の御令嬢の方がお似合いです」
「俺が嫌いか?」
はっ、とする!
思わず作業の手が止まってしまった。
「そんなこと……ありません。マリウス様は素敵な人です。ちょっと、危なっかしいですけど」
「じゃあ、どうして?」
「さっきも言いましたけど、私じゃ釣り合いがとれないと思うんです。もっと綺麗で高貴な人と一緒になって欲しいですし……」
「身分も美醜も関係ないさ。俺はずっと農場で君の働く姿を見てきた。レーヌの心はとっても綺麗だし、それは見かけにも漏れ出ていると思う……」
マリウスの手が顎にかけられ、引きあげられた刹那。
そっと唇が重ねられた。
「!」
思わず目を閉じた。
腰に腕をまわされ、ぐっと抱き寄せられる。
心臓が早鐘を打ち、所在なげだった手をマリウス様の腰にまわすと、体の力が抜けていく。
そよ風が、マリウスの吐息と薔薇芳香を運ぶ。
一瞬一瞬が、永遠に続くかと思われたときのこと。
ふと、荷車を転がす音に我に返る。
マリウス様も気づいたようで、寄せあっていた体のあいだに隙間が作られた。
ひときわ大きな音を立てて、木箱が置かれる。
運んできた豊満な胸を揺らした女に、鋭い目つきで睨まれてしまった。
見られた! よね……。
全身から冷や汗が流れ、血の気が引くのを感じる。
「七月の麦の収穫の時に家に行くよ。必ず説得してみせるから」
え? あの、それって……。
ちょっと、強引すぎませんか? って……。
それからの二ヶ月。
それはもう、針のむしろ……。
マリウス様との抱擁は、しっかりと目撃されていた。最初は、泥棒猫扱いだったけど、いつのまにか当て馬扱いにされていてなぜか安堵するという。
本当のお目当ては別にいて、その子の気をひくために私をダシにしたんじゃないか……と。
みんなそんなにマリウス様が気になるなら、自分でアピールしに行けばいいのに……。
時折、唇の感触を確かめるように指で触れてみる……。
マリウス様……。
七月。
大麦の収穫とともに、私の運命も収穫のときを迎える。
こぎれいな村長の家に、両親と私、それに村長でマリウス様と面会。
面倒事はさっさと終わらせたいとばかりに、村長が切り出した。
「それで、今日はどのような?」
「最初に確認して起きたいことがあるんだ。レーヌ……」
正装をしたマリウス様に見つめられ、ドキドキする。目線を外したいが、呪いのように彼の目に縫い付けられて離せない。
「はい」
「私と一緒になりたいか、否か。率直な想いが知りたい」
率直な想い……?
「私は……」
周囲の目が、否定しろと言ってくる。
それはもう、すごい圧力で……。
や、やめて、そんなジト目で見るのは……。
で、でも、どんなふうに言ったらいいのだろう?
「マリウス様のことは、す、好きです。でも、お嫁さんとしてふさわしくないと思います」
マリウス様を傷つけないように、否定できただろうか?
「なら、大丈夫だね」
なぜか、マリウス様は安堵の表情。
「え?」
「ふさわしいかどうかは、私の問題であって君の問題じゃない。じゃあ、本題に入ろう」
え? 私、今断りましたよね? 両親を見遣ると、暗い、なんとも言えない複雑な感情が表情から窺えた。
私、何かやらかしたのっ?!
「実は、小領主のところへ行って、結婚について話をしてきたんだが、がめついオッサンでね。金貨二千枚をふっかけてきやがったんだ……」
「に、二千枚!?」 (注:約二億円相当)
私を除く、その場にいた全員が凍り付く。
私には、金貨二千枚と言われても『たくさん』としか理解できなかったので、よくわからなかった。
「ああ……」
「では、やはりこの話はなかったことに……」
父が、残念とも安心ともとれる声で、なんとか話を続ける。
「いや、あんまり腹が立ったので『払う』と言ってやった! ……んだけど。さすがにすぐは無理かな、はは」
マリウス様は、申し訳なさそうに頭をかき、作り笑顔で会話を続けた。
「と言うわけで、金策をするのでしばらく待って欲しい。そうだな、年明けぐらいまでには、なんとかするよ」
「なんとかって……」
村長の信じられないといった目が、マリウス様に向けられる。
「幸い、兄が王都で両替商をしているから、あてにしてる。でも、いきなり現物で揃えるのは無理だからね」
やがて季節は巡り、年の瀬が迫る。
村の男達は来年のための植え付けが終わると、なにやら小領主様に徴発されて行った。どこかで、戦争があるんだろう。
昨日のことだ。
みんな無事で帰ってくるといいけど……。
「ちょっと種の様子を見てくる」
そういうと、私は外套をはおり、長靴をはいて曇天の麦畑に出かけた。
凜然とした空気の中、枯れ草の朝露を蹴散らしながら荒れ野を歩く。
遠くを見ると、朝靄の中に行軍する人達の列が小さく見えた。
「どこまで歩いて行くんだろう?」
麦の種は、まだ何の変化もない。ただ、鳥に食べられたり、荒らされたりしてないか確認したかっただけ。
というのは、口実か……。
ここ一月ほど、マリウス様の姿を見ていない。
どうしてるんだろう?
ふらっと、来たりしないかな?
そんな、期待があって、たいした用もないのに外に出たくなる。
来るわけないか……。
村では、金貨二千枚の話が一人歩きし、ほとんど誰も私の結婚について話題にしなくなった。どう考えても無理だろう……。それが、衆目の一致するところだった。
そこへきて、マリウス様があまり顔を出さなくなり、これはいよいよ立ち消えだね……という雰囲気になったのだ。
他の村娘たちは、安堵とともに希望も失ってしまった。
寂しい……。
やっぱりそんな夢みたいな話は起きっこないんだ……。
そりゃそうだよね。
……。
よしっ! 仕事仕事っ!
あとは、牛舎によって行こう!
冬の間の干し草を補充しなくては。
昼過ぎのことだった。
牛たちが騒ぐので、再び牛舎へ向かう。
草が腐ってたのかな?
干し草用のピッチフォークを握りしめ、ひっくり返してみる。が、特に異常はない……。むしろ、草のいい匂いがする。
はて?
「こんなところにいやがったぜ」
ん? 牛舎の入り口には、男が二人立っていた。
「どうかしました?」
男達は、口角をひきつらせ、悪辣な笑みを浮かべてこっちをなめ回すように見てくる。
なに?
「どうする? やる前に楽しんどくか?」
「そうだな……。こんなでも、一応女だしな」
うっ……まさか?! 田舎の村でもよくある話ではあるけども……。
思わず、ピッチフォークを両手で構える。
「おっ? やる気なのか? 痛い目に遭いたくなかったら、大人しくした方がいいぜ、へへ」
にじり寄る男達。
私は後ずさると、木桶が脚に引っかかって尻餅をついてしまった……!
「いたっ!」
次の瞬間! ドクンっと、名状し難い恐怖を感じる。
なにこれ?
死ぬってこと?!
怖いのに、男達から目が離せない。
男達も、変な恐怖を感じたようで驚いた様子だった。
「レーヌっ!!」
遠くでマリウス様の声と馬の足音がした。
来てくれたっ!!
「お? 獲物があっちから来てくれたみたいだ」
彼等は、牛舎から出て、下衆な笑い声をあげながらマリウス様の声のしたほうに向かって歩いて行ってしまった。
しまった! マリウス様っ!!
危険を知らせなくてはっ!
あわてて、牛舎から飛び出す。
そこでは、既に剣を構えた二人の男とマリウス様が対峙していた。
「レーヌ! 無事だったか?!」
「ふっ! 二対一で敵うと思ったか? しかも、俺達ゃ軍人だ」
「そうかい、よかったな。ま、俺は家族の中では一番弱いんだが……。流石に農民上がりの三下にゃ負けねぇと思うが?」
そういうと、腰のものを抜き放ち、構えた。
その体躯は、普段のような線の細い感じではなく、隆々とした筋肉が獣のように覆う戦士のものだった。
こんな姿、今まで見たことないっ!
眼光鋭く、男達を見据えると、一人に斬りかかる。
斬撃は、受け流されたがそれは見越したように、斜め下から返す切っ先。
一瞬のうちに、片方の男は肋骨ごと斬られ地面にうずくまった。
すかさず、もう一人が斬りかかってくるが、なんなく剣で受け止め足で蹴り飛ばす。
「お前も死にたければ、来いよ?」
片割れの男は実力差を悟ったのか、ひゃーっと、奇声をあげながら這々の体で逃げていった。
すごいっ! こんなに強かったなんて……。
鮮やかな剣さばき。
ふと気付くと、汗ばんだ手で力いっぱいピッチフォークを握りしめていた。
もうこれは必要ないだろう。
ポイと放す。
「さて」
と、マリウス様は怪我をした男の剣を蹴り飛ばすと、近寄って問う。
「誰に指示された? 領主か?」
「けっ」
どうやら、まともに答える気はないようだ。
「そうか。その忠誠心は認めてやろう」
それだけ言うと、おもむろに立ち上がったマリウス様は、男に剣でとどめを刺そうと振りかぶる。
私は両手で顔を覆った。
男の断末魔の声が耳から入り、恐怖を掻き立てた。。
戦場ではよくあること、だろう。
でも、とてもじゃないが、正視できない。
家々の影から、事の成り行きを見守っていた村人達が、姿をあらわす。
「レーヌ、大丈夫?」
マリウス様が剣を放り出し、私を心配して声をかけてくれる。
「ええ、なんとか……」
「見てごらん」
そういうと、川向こうの丘の上を指さした。
丘の上を兵士達がこっちの方に向かって走っているのが見える。
「領主がフェリアの自分の街を襲わせたんだよ。今頃返り討ちに遭ってると思うけど……」
「村の男の人達は? 無事なのかな?」
「ああぁ、そうだな。あの様子なら、そんなに死者は出てないんじゃないかな? それより、さっきの奴等は君を狙ってきたと思うんだ。間に合って良かったよ」
油断していたら、急にひしっと抱きしめられた。
う、嬉しいけど、みんな見てますって!!
「そ、そういえばご家族の方々は大丈夫なのですか?」
「ウチか? あの程度じゃ、殺したって死なないだろ!」
ああ、マリウス様。
どうして、そんなに冷静でいられるのでしょう?
こんなに強いマリウス様が、一番弱いなんて……。
他の人は熊みたいな人達なのかな?
なんだか怖いかも……?
「マリウス様、これは一体……」
村長は、ゆっくりと歩きながら、遠くに兵の遁走を眺めて言った。
「ああ、大丈夫さ。気にしなくていい。近々、領主が交代するだろうけど……。俺にとっちゃ、どうでもいい話さ。それより……」
あたりを見回して続ける。
「男達がフェリアの街から略奪品を持ってくるだろうから、宴の準備でもしてくれ。村長、とっておきがあるんだろ?」
「咎めないんで?」
眉を寄せ、意外そうな顔でマリウス様を見る村長。
「俺の仕事じゃないしな」
それからしばらくして、男達は全員帰ってきた。
けど、略奪品は持っておらず、逆にマリウス様になんで持ってこないのかと叱責された。
どうやら男衆は、街に入る前に逃げ帰ってきたらしい……。
何しに行ったんだろ?
結局、村長が隠し持っていた酒を供出させ、一晩騒ぐことになったのだった。
あれから二ヶ月。
ついに結婚式を迎えてしまった。
朝から修道女の方が来てくれていた。
「まあ、お綺麗ですよ!」
えっ? 綺麗? 私がっ?
「あ、あ……、ありがとうございます」
初めてかけられる言葉に違和感を感じつつも、身悶えしてしまうほど嬉しい。
修道女の方は、私の髪をざぶざぶ洗い、風の出る変な器械を使って乾かしてくれた。
そのあと、丁寧に梳いて結い上げ、大人の女に相応しい髪型がつくられた。そして、高価そうな薬みたいなものをいろいろ持ってきて、私の顔に絵を描くようなことをしてくれた。
きっと、そのお陰。
マリウス様からは、生地たっぷりの真っ白なドレスが届いた。
真っ白です、真っ白! 眩しいほどの白! どうやって、こんなに白くするんでしょう? 見たこともないほどの白!
「綺麗よ、レーヌ」
「ああ、本当に……綺麗になって……」
お母さんもお父さんも、涙声になってる。
「おおーっ、これはこれは……」
村長まで来てくれた。
「しかし、一時はどうなるかと思いましたが、まさかマリウス様のお兄様が領主になってしまわれるとは……、いやはや……」
「そ、そうですな……」
お父さんは、そのことがわかって以来ずっと緊張するらしい。そりゃそうだ、急に領主様の親戚になってしまうのだから……。
「おかげで、上納金の件も相場の金額で落ち着いたみたいで……。いやー、よかったですなぁ」
いやいや、待て待て。あんなに嫌がってたじゃない?
まあ、別にいいですけど。
「それにしても、列席者の名前がもう伝説級で……。村として恥ずかしくないように全力を挙げますが……」
フェリアの英雄こと、お爺様のヘロン様。
夜の悪魔、お母様のマリー様。
領主のお兄様、フェルナンド伯爵。
司祭の弟様、マルセル様。
そして、王国のメシア、聖女ナスターシア様。
……ありえませんっ!!
昨日は、お目もじした折に、失神してしまいました……。
恥ずかしい……。
そして、不釣り合い。
「とにかく畏れ多いですね……。私もちょっと怖いです」
その後、マリウス様達が到着され、無事に結婚式が挙行された。
もう、緊張であまりよく覚えてない……。
だだ、最後に誓いの口づけができずに、感動に打ち震えたのは覚えているけど、あれはあれで良かったのかな?
翌月。
春になり、暖かな日差しの中、小鳥が元気にさえずる。
私は、天蓋付きの寝台で目覚めた。横には、マリウス様がまどろんでいる。
今は村からほど近い、フェリアという街にマリウス様と二人で住んでいた。
貴族街に建てた、小振りでシンプルなお屋敷。
でも、まるでお姫様になったような気分。
私としては、商人のお嫁さんになるつもりだったんだけど……。
式では、マリウス様の兄弟で三男のマルセル様が司祭をして、末っ子のナスターシア様が祝福を……。いえ、あの方は国の救世主となった方なのに……私なんかのためにわざわざ足を運んで下さって……。
思い出しても感涙を我慢できなくなりそう。
普通なら見ることすら叶わないようなお方の登場に、村は大騒ぎだった。
失礼がなかったらいいけど……。
数ヶ月前まで、農奴だったのに……。
あれよあれよという間に、領主様の弟君の妻になっているなんて……。
「おはようございます、マリウス様」
「ああ、おはよう。水をもらえるかな」
体を起こして寝台に腰掛けると、寝台の横に置いてある水差しから、木杯に水を注いで渡す。
横にあるガラス窓からは、朝日が眩しく差し込んでいた。
ガラスなんて、ここに来るまで見たこともなかった。不思議な透明の板。
「ありがとう」
真新しい寝台を見て、新婚初夜を思い出す。
マリウス様の女性経験が豊かだったお陰で、されるがままに任せていただけだったけど、流石に苦痛がまったくないという訳ではなかった……。
でも、気を使ってゆっくり緊張をときほぐし、なるべく痛くないようにしてくれるマリウス様に応えたくて、頑張ったな、私。
それからは、マリウス様が酔いつぶれてないときは、必ずといっていいほどだった。
昨晩は、でも、激しかった……。あんなに激しく愛してもらうなんて……結婚前は想像もしてなかった。
「どうした? 顔が赤いぞ? 熱か?」
「な、なんでもありません……」
考えていることが、伝わってしまいそうで赤面する。
「ねぇ、マリウス様。私、ずっと気になっているんですけど」
「なに?」
「私の何がそんなに良かったんですか? 他にも女の人は沢山いるでしょう?」
マリウス様は、呵々と笑って答えた。
「実はね。私がアブサンを飲み過ぎて、カニカニって騒いだことがあったろ? あのとき、真剣に私を心配して、高価なアブサンを捨てた上、ひっぱたいたじゃない? 覚えてる?」
となりに腰掛けて、腰に腕を回される。
「ああ、覚えてます。あのときは酷かったですね、ふふ。それにカニが何か、未だにわかりません」
「あのとき、カニの幻覚を見ながら、この人と添い遂げろってお告げがあったんだよ」
「えっ? ホントですか?」
「嘘、はははは」
「もうっ、真剣に聞いてるのに……」
「まあ、ただ真面目に働いていたら縁が転がり込んで来ましたってのも、アリなんじゃない? 実際、何でも一生懸命なレーヌが好きだから……」
不意に、マリウス様の顔が近づいたと思うと、唇を奪われた。
「レーヌは可愛いし」
マリウス様は立ち上がると、照れくさそうにボサボサの頭を手ぐしで整えながら、水浴びに向かった。
「今日は茶会だよ、沐浴したらドレスに着替えてね」
「どのドレスを着るか、一緒に選んでくれませんか?」
「わかった。後でね」
クローゼットに並ぶ、色とりどりのドレス。それでも、マリウス様はたまに野良着を着て村に出かけている。
ふと、窓の外に目をやると、新緑の眩しい落葉樹に小鳥が数羽群がって枝で遊んでいた。
寝衣のまま、窓を開けてみた。
春の心地よい晨風が、部屋に吹き込む。
嗚呼、神様なんていなと思ってた……。でも、本当はいるのかも?
もし、いたら、私感謝を伝えたい。
だって、私。
今、最高に幸せだから……。
改稿中ですが、手を入れる度に長くなるので別に短期連載にする予定です。
……長過ぎてすいません。