第三章:VS努力チートのお仕事
「はぁ〜〜〜〜」
電話を終えたイカレ課長が、怒鳴っているのかと思う程の大きな溜息をついた。
それを見たアラシは尋ねた。
「誰からの電話だったんですか?」
「はぁ〜〜〜〜」
もう一度溜息、いや息というよりも明確に声になっている。
「イカレ課長! 誰からの電話だったんですか!」
「もう! 聞こえてるわよ! 部長からよ、部長!」
「へぇ、俺たちに部長なんて居たんですね」
「アラシくん、私たちの組織をなんだと思ってるの!?」
「あまりにも役立たずなので総務省の組織図から完全に除外されてるのかと思ってました。東京の地図で言えば沖ノ鳥島みたいな……」
「失礼ね! 沖ノ鳥島にも失礼だわ!」
「すいません……」
「そもそも組織図に乗ってないわ! 帰宅部が部活動一覧に乗ってないのと同じよ!」
「現実って悲しいなぁ……」
アラシは嘆息した。
「そうよ……悲しいけどこれが現実の組織なのよ。馬鹿に居場所はないのよ。おろろ……」
「馬鹿というより究極のナマケモノですけどね」
「あら、ありがとう!」
「褒めてない! ナマケモノって可愛いよね! とかそういう意味じゃないです!」
「なんだぁ……」
今度はイカレ課長が嘆息した。
「で、部長は何て言ってたんですか?」
「それがね、どうやらさっきの課金ゲームの件でチートが他の人にバレちゃったみたいなの」
「まぁ、かなり派手にやりましたからね」
「それで、次回はチート禁止だって!」
「え〜! そもそもチートありだから仕事引き受けたんじゃないですか! チート禁止なら俺、もう働きませんよ! いやだぁ〜〜 いやだぁ〜〜」
アラシは地団駄を踏んでごねている。
「そう言われても――」
「……そうだ! じゃあバレないようにやりましょうよ! バレなきゃ有罪じゃない、法治国家である我が国の大原則です。それに、観測できないのであれば事実は確定しない、量子論の原則にも沿っています!」
課長は「う〜〜ん」と唸りながらしばらく考えた。
「はぁ……屁理屈だけど仕方ない……分かった、それでいくわ。なんとかしてみる」
「それじゃ、案も決まったところで今日はもう帰りましょう。俺、初めての残業なんで疲れちゃいましたよ。まぁ、そもそもちゃんと仕事したのも初めてでしたけど」
彼が仕事とは何かを知ることはないだろう。
「そうね、残業は死に至ることもある猛毒よ! 青酸カリより怖いの! 早く帰りましょう!」
「お〜、怖い、怖い」
そんなことを言いながら二人は帰宅した。
◇ ◆ ◇
次の日の朝……
「……おはようございます……」
消え入りそうな、か細い声で挨拶をしながらアラシが事務所に入ってきた。
「どうしたのアラシくん、元気がないわよ」
「それが……体がだるくて……」
肩が落ち、背中が丸まっている。
「はっ! やっぱり残業したのがまずかったのかしら!」
「なんかこう、地に足がつかないし、体が重いんです……」
「裏の部室に来て! 診察してあげるわ!」
「……やっぱあそこ『部室』なんですね」
二人はロッカーを開けて部室に入った。アラシが椅子に座って、その対面に課長が座った。
「はい。口開けて〜」
「あ〜ん」
アラシの口の中を課長が覗く。
「う〜ん、虫歯はなさそうね」
「歯が何か関係あるんですかね」
「知らんけどね」
「ほんとに診る気あるんですか!?」
「仕方ないじゃない! 医者じゃないんだから――」
「じゃあ、病院に行かせてくれないですかね……」
「だめよ! 私たち保険に入れてもらってないんだから。お金がかかるじゃない」
「……公務員なのにそんなことあり得るのかなぁ……」
「ちなみに年金も入ってないの」
「……」
「はい、じゃあ服脱いで〜」
イカレ課長はどこからか聴診器を取り出していた。
「……少し心拍数が高いわね」
「さすがに裸を見られてるんで、ちょっとドキドキしてるかもですね」
「……」
「……」
「……おめでとうございます。男の子ですね」
「突っ込みづらいなぁ……」
「はい。じゃあ次は目を診ますね〜。眩しいけどちょっと我慢して下さいね〜」
「待って待って! それレーザーポインター、マジで危ない!」
「え〜、じゃあこっちにするかぁ」
「普通の懐中電灯じゃないですか」
「これしかないのよ。……うーん……瞳孔が開き気味ね」
「朝からちょっと目の焦点も合い辛いんですよね」
「あっ!」
「えっ! えっ! どうしました!?」
「瞳の中に私がいる!」
「……」
そうして、イカレ課長はアラシの体をしばらく弄り回した。
「はい。終わりました! 総合的かつ多面的かつ包括的に診断しますと……」
「全部同じ意味なんじゃ……」
「VR痛ね!」
課長が、どこから取り出したのかカルテ風にしたバインダーノートに文字を書きながら言う。
「……VR痛? なんですかそれ?」
「筋肉痛のVRバージョンよ。昨日のゲームでハリキリすぎたのね」
「……信じて良いんですかね?」
「モチロンよ。じゃ、とりあえず酔い止め出しときま〜す!」
「……」
突っ込むのを諦めアラシは天を仰いで目をつむった。
課長はそんなアラシの状況を特に気にせず張り切っている。
「さぁ! それ飲んだら仕事よ!」
「え〜、また明日にしましょうよ」
「昨日部長に怒られちゃったからからねぇ……。挽回しないと。それに今回は……じゃ〜ん!!」
「うおっ、VRデバイスがもう一個」
「今回は私も遊び――いえ、働こうかなと思って」
「でも、チートはどうするんですか、チートは」
「VRの中から、チートコードを入力できるように改造済みなの!」
「そんなところは、無駄に熱心ですね」
「暇だからね! さぁ行きましょう!」
「へいへい……」
二人はVRデバイスの電源を入れた。
◇ ◆ ◇
二人が到着したのは中世風の街の中だった。
「さ〜て、今回も異世界風VRMMOよ!」
「課長はこっちでも白衣なんですね」
「白衣は何にでも合うからね! 魔道士風にアレンジしてみました!」
イカレ課長がバサッと一回転してコスチュームを見せびらかした。白衣がはためいて――
「お、おおっ。見え――」
「ミニスカよん♪」
「うおお。やる気でてきた!」
アラシくんは単純だ。
一通りコスプレ的な何かを楽しんだあと、イカレ課長が提案する。
「前回の反省を踏まえて、まずはチート無しでゲームの雰囲気を理解しましょう!」
「……うーん……面倒くさいけど……まぁ、仕方ないっすね」
「そういうことでチュートリアルから行くわ!」
二人は「初心者の家」と書かれた家へ飛び込んでいく。
いきなり目の前にモンスターがあらわれた。
「一戦目はスライムか。楽勝ですね!」
アラシの攻撃。
「とう!」「だあ!」「えい!」
――ヒラリ――スライムは全てをかわした。
スライムの攻撃。
スライムは火をふいた。
「あちぃ!」
「GAME OVER!!」
アラシは死んだ。
いきなり初心者の家から追い出された。
「……いやいや、スライムなのに強すぎじゃないですか?」
「アラシくん古いわね〜。最近じゃ、スライムは強いモンスターってことで有名なんだから」
「そういえばそんな風潮ありますね。これも『なろう』の影響かな?」
「でも、このゲームでは負けても経験値が溜まるの。つまりプレイ時間が強さに直結するシステム。チュートリアル一戦目から負けイベントだったのよ。負けずには強くなれないわ」
「なるほど前回のゲームと真逆ってわけですか。しかしまぁ、なんでVRに来てまでそんなマゾゲーやんなきゃいけないんですかね。もっとスパッと強くなりたいじゃないですか」
「現実世界だと頑張っても給料が上がらないからね……。頑張れば確実に強くなれるゲームということで一部に人気なのよ」
「……また世知辛い現実を思い知らされるなぁ……」
課長が人差し指を立ててアラシの注意を引く。
「アラシくん、舐めてはいけないわ。これは、ある意味で前回より中毒性が高い凶悪なゲームなのよ。今回の対象者の場合、一年以上もうずっとログインしっぱなしらしいわ」
「トイレとかご飯とかどうしてるんでしょう?」
「どうやってるのか分からないんだけど、VRにログインしたまま全てを済ましてるらしいわ」
「いやいや、ほんとにどうやってるんだ……」
「人はそんな彼を『努力チーター』あるいは『眠らない男』と呼ぶ。彼の座右の銘は『努力・努力・勝利』よ」
「割と孤独なんですね……」
アラシが別の質問をする。
「それはそうと、どうやってバレずにレベル上げするんですか?」
「敵から得られる経験値を少し上昇させるわ。いわゆる成長チートね、これなら直接ステータスをいじらないからバレづらい」
「ほんとかなぁ?」
「それと、経験値の高いレアモンスターに遭遇しやすくする。いわゆる乱数調整ね」
「努力には運ってわけですね」
「……といっても、彼のレベルに追いつくには一週間は必要」
「え〜、一週間あったら長編マンガ十作品は読めますよ。時間がもったいないなぁ」
アラシは不満げな表情だ。
「まぁ、敵は一人に対して、こちらは二人。多少のレベル差は何とかなるかもね。それに秘策もあるわ」
「秘策?」
「あとのお楽しみに取っておいて」
「……嫌な予感しかしない……」
「それじゃ、レベル上げに行きましょう!」
ついてこい、と言わんばかりに課長が踵を返して歩き出した。
すぐに目的地についたようだ。二人は山のエリアを歩いていた。
山の中腹で課長が突然立ち止まる。
「ヘックチョン!」
「VRの中でくしゃみって新鮮ですね」
「乱数調整よ。くしゃみをしてから次の一歩までの時間で乱数テーブルが決定されるの」
「誰が考えたんだ……」
イカレ課長がタイミングを図って一歩を踏み出す。
「えい! ……よし、成功したわ。これで次の敵はレアキャラよ」
「毎回、これ繰り返すのかぁ……」
「ほら、早速出たわ。レアモンスターのテルル。あの小さな人型のテラテラした茶色のやつ」
「レアモンスターになのにキラキラしてないですね」
「テルルは毒持ちなの。そのせいで他のモンスターからも人間からも迫害されて、ひっそりとレアキャラになってしまったという設定なのよ」
「……なんか、それ聞くと戦いたくなるなぁ」
「だめよ。他人のやりたがらない仕事をするのが、評価上げの基本なのよ」
「んじゃ、課長と一緒に働いている俺の評価はうなぎ登りですね」
「……どういう意味かしら?」
「すいません……まぁそもそも窓際族に評価制度なんて無いですしね」
「いえ、一応あるのよ。私が毎回の査定であなたの上司として評価をしてるの」
「え〜、そうだったんですか!? てか仕事ないのに何を評価するんですか?」
「暇つぶしの技術、バリエーションね。それしか評価することないしね」
「……んで、結果は?」
「当然、毎回一番上のSをつけてるわ。あなたの暇つぶし力は大したものよ。だけど……」
「だけど……?」
「部長からの私の評価が一番下のFだから、意味ないのよね!」
「……まぁ予想はしてました」
いつのまにか「テルルル!」と鳴きながらテルルが二人に近づいていた。
「おわっ! びっくりした! レアなのに向こうから近づいてきましたよ!」
「どうも私たちの会話を聞いて親近感を覚えたみたいね」
「……戦い辛さがマックスになりました……」
「はっ! アラシくん! まずいわ! 毒が!」
「へ……?」
テルルの周囲に漂っている毒に二人は侵された。
二人は死に、リスタート地点であるエリア外に飛ばされていた。
「……死にましたね」
「……まぁ、これで良いわ。とりあえず経験値が入るもの」
「しばらくこれを繰り返しますか……」
「……そうね。レベル上がらないとテルルも倒せないしね」
そうして、二人はテルルに遭遇しては殺されるという工程を数え切れないほど繰り返した――
「やった! ついにテルルを倒しましたよ!」
「やったわね!」
「昼ごはん抜きで働くなんて、俺たちもう立派な社畜ですね!」
「ついにクラスチェンジしたのね私たち!」
「おろろろ」「およよよ」
二人は歓喜の涙を流しながら抱き合った。
「じゃぁ、このままテルル退治を続けるってことですかね」
「そうね。悲しいけどこれ、レベル上げなのよね」
そうして、二人がテルル虐殺に励んでいると、周りに人が集まってきた。
「なんであの人たちの周りには、あんなにテルルが集まっているの?」
「あまりにもあの二人が寂しすぎて、テルルが彼らを友達だと思ってるとか」
「んなことあるか〜?」
「課長、まずいですよ。このままだとチートがバレます!」
「くっ! 今日は一旦引くしかないかしら」
二人がそんな相談をしていると――
「待たれよ!!」
武道家の格好をした男が現れた。
「アラシくん、あいつが今回の対象者よ!」
「向こうからくるとは……」
「そこの二人。テルルにあれだけ遭遇するとはいくらなんでも幸運すぎるのではないですか。何か良からぬ事をしているのではあるまいな?」
武道家の男が仰々しく疑義を唱えた。
「完全に疑われてますよ、課長」
「……仕方ない。この際、ここで片づけちゃいましょう……」
「ええ〜、大丈夫なんですか!?」
アラシを無視して、イカレ課長が男の前に立ちはだかる。
「あなたが『眠らずの男』ね? 国家の行いに疑いを持つとは不敬にも程があるわ!」
「何だと?」
「私たちは幸運の星の下に生まれてきているの。あなたのような、おみくじで中吉以上をとったこともないような凡運の凡人とは違うのよ」
「貴様、俺が最も気にしていることを……」
「幸運の前には努力など無意味。報われない努力もあるということを私たちが教えてあげるわ!」
「そんなことはないんだ! 眠らずに努力を続けていればきっと報われるんだ!」
「それは違うわ! 人間にとって睡眠は大切なのよ。あなたの睡眠時間は、厚生労働省の推奨時間をはるかに下回っている。これは国家反逆罪でもある!」
周りの人間たちが反応する。
「そんな馬鹿なぁ」
「厚労省ってそんなホワイトなの?」
「んなことあるか〜?」
眠らずの男も反論する。
「うるさい! 俺の努力を否定する奴は、例え内閣総理大臣だと許さねぇ」
「課長、課長! なんだかわけ分かんないことになってませんか?」
アラシはいきり立っているイカレ課長に声をかけた。
「そうね……あいつは睡眠不足でハイになってるし、私もお腹がへってもう限界! 今回は最初から全力でいきましょう!」
「全力って言ってもなぁ……あいつの攻撃食らったら俺たち一撃でやられますよ」
「だけど、あたらなければどうということはないわ! 秘策スイッチON!」
そういって、イカレ課長は右手を高々と突き上げた。
「課長、なにを……。うっ!」
質問をしようとしたアライだったが、ドクンと心臓が脈打ち、その場に手をつく。
「体が……熱い……何を……」
「理研の知り合いから手に入れた開発中のナノマシンよ。酔い止めの中に入れておいたの」
「な……なんてことを……イカレ課長……」
「神経伝達物質を刺激し、反応速度を常人の3.141592倍まで引き上げてドーパミンおよびアドレナリンの意図的な過剰分泌により強制的にバーサク状態にするの」
「……そ……そん……がぁ……はぁ」
「言ってみればプレイヤースキルチート!」
「ぐぅぉお!」
「大丈夫、危険手当はつけておくから!」
「がぁっ! うおぉぉ! ぎぃいい!」
「どうやら、既に人の域を超えたようね。行きなさい、アラシくん!」
「うゔぉぉぁぉん!」
アラシが人間のものとは思えない唸り声を上げなら敵に向かっていく。
「なんだこいつは!? 近づくな! くそ!」
――シュッ、シュッ
アラシは全ての攻撃をかわしている。
「しょせん人間が多少努力した所でケモノのスピードにはかなわないのよ」
「ち、ちくしょおお!」
「それに、あなたは完全な寝不足。寝不足は判断を鈍らせるの」
「なんで、あたらねぇえんだよぉ!」
――シュッ、シュッ
眠らない男の周りをアラシが飛び回る。
男はアラシを追うのに夢中で、周りの状況が見えていないようだ。
「うゔぉぉぁぉ!」
「くそっ! くそっ!」
――ピコンピコン
「はっ、まずいわ。アラシくんの生命維持が危険なレベルに――」
「ゔぉぉおい!」
アラシの咆哮は何か文句を言っているようにも聞こえる。
「そろそろ決着を付けるわ! 闇之消明!」
「目がぁ!」
「あなたの光を奪ったわ!」
「こんなもので! 貴様のレベルで俺にダメージを与えるのは不可能だ」
「続いて、音聴遮断!」
「な、なんだ音が……」
「あなたの音を奪ったわ!」
「……ぐっ……何も見えない……何も聞こえない……」
「……」
男の体から力が抜けていくのを課長は眺めている。
しばらくすると、
「すぅ……すぅ……」
男は寝息を立てて地面に突っ伏した。
イカレ課長が遠い目をして呟く。
「……終わったわね……快適な睡眠環境に誘われ、眠ってしまったわ」
周りの人間たちが反応している。
「見ろ! 指を噛みながら寝てる! あいつ最後まで起きてたかったんだな……」
「いい話だな〜」
「んなことあるか〜?」
イカレ課長は男に対して最後に優しく語りかけた。
「……今は好きなだけ眠りなさい。安らかにね……」
◇ ◆ ◇
「はっ……俺は何を……」
現実世界でアラシが気を取り戻した。
「お疲れ様、アラシくん!」
「お疲れ様です……なんか後半の記憶がないんですけど……」
「大丈夫よ、それはもう立派に戦ってたわ! 事件は無事解決しました!」
「そうですか……」
「排出剤も打ったし、とりあえず今日はもう帰っていいわよ」
「……排出剤? はて? まぁ、ありがとうございました……」
ふらふらとアラシは帰宅の途に着いた。
「さぁて、私はご飯食べてからもう少し働いてくかぁ……」
課長は背伸びをしてから、次の仕事の事を考えていた。