覇我鬼神・雷轟衛
/0.
二〇〇X年、五月二十七日。地球は、宇宙からの侵略によって壊滅状態に陥った。
だが、今。巨人を見上げる少女は、恐れていない。
星天月下。夜空の下、彼女は口を開く。
「――うん」
静かな声が、巨人へと向かう。
「私は、傍にいるよ。ずっと、いつまでも、離れずに――」
そう、と彼女は思う。絶対に忘れず、そして、
「――いつだって、あなたの名を呼ぶから」
……夏の只中、七夕の季節。これは、そんな時期の話だ。
/1.
扉の前に立ち、ノックを一つ、失礼しますと一声。返事を待たず、扉を開く。扉は、自衛隊の駐屯地になった母校、その保健室のものだ。
自衛隊は駐屯地にいるべき――とは思う。けれど、この場合は全く仕方ない。駐屯地があった場所は、丸ごとクレーターになっている。地球外生命体――侵略者。誰がというわけでもなく、『イブマ』と呼ばれるようになった彼らの攻撃で、だ。
技術レベルが違いすぎるのは勿論のコト、即席の全世界連合軍なんて機能するはずもなく、全世界で惨敗が続いた。そしてそれは、私の住む日本においても同じ、……かと、思いきや。
まったく馬鹿らしいことに、日本――主に北海道北東部――はわりと平気だった。
「――何故ならば。巨大なロボットが、この街を守っているからなのだった」
なんてね、と思いながら、保健室に踏み入った。
三つのベッドと、そのしきりであるカーテン、壁一面に並んだ薬棚や身長計体重計――と、それは変わっていない。
けれど今は、ごちゃごちゃと何かが書かれたホワイトボードや床を覆いつくすような資料の山があり、一月前、とは印象が一変している。
「やぁ、よく来てくれたね前餅君。歓迎する。まあ、かけてくれたまえ」
……しかし、相変わらず、と言うべきだろう。
そこにいるのは、侵略される前―― 数ヶ月前と変わらない、保健教員、祭中<さいなか>先生だ。男子生徒にはナンバーワンの人気で、それも分かろうってくらいに彼女は魅力を振りまいている。なにせ、白衣で眼鏡で美人で巨乳。私が見ても色っぽい。
しばらく見ていなかったが、浮かぶ笑みは、やはり胡散臭いと言うべきものだった。男に言わせると魅惑的とか底が見えないとかそんな評価に早変わりするような笑みだ。
その左手はマグにかかり、右手は優雅に木机を示している。
頷きを返し歩み寄り、……そこで、しきりに隠れた背中を見つけた。
その背中は、ずっと昔から見てきたそれだ。今更のようにその背が驚きを見せ、振り返る。
「……前餅、だと?」
見えた顔も、やはり、ずっと昔から見てきたそれだった。
「洋巻……? ひ、ひさしぶり」
幼馴染であり、背ばかりがむやみに高い少年――樫家・洋巻。
今や全人類の希望の担い手たる彼が、そこに座ってコーヒーを飲んでいた。
「おや、てっきりこっそり会っているのだと思っていたが……ふむ」
祭中先生は、その笑みの胡散臭さを別のベクトルに変えつつ言う。
彼女はポットからお湯を出してコーヒーを淹れて、机に置いた。
私――前餅・杏子は、洋巻と顔を見合わせて、お互い変な表情をしている事を確認した。
彼の方は、幼馴染である私がなんでこんな所に呼ばれたのか、と。
私の方は、世界で唯一あの宇宙人と戦える戦力の操縦者が、なんでこんな所にいるのか、と。
……あまり長い間立っているのも失礼か、と私は椅子に座る。
「祭中先生。何の御用でしょうか?」
「来てもらったのは他でもない、樫家君が駆る巨大人型兵器――雷轟衛の弱点について話そうと思ってね」
白衣を翻し、祭中先生はホワイトボードにガシガシと板書していく。
ホワイトボードに連ねられていく文字は、乱雑ながらもきびきびとしたものだ。右半分には問題点が、左半分には雷轟衛の模式図だろうか、簡略な人型が描かれる。
「第一に、単体であること。確かに、宇宙人――『イブマ』達に対して、雷轟衛の武装は効果的だ。しかし、単体であるが故に、物量作戦を取られた場合、雷轟衛の対抗手段は、雷雲形成からの広域大出力雷撃――樫家君。技名は付けたかね。以前付けるようにと言った筈だが」
「つけてませんが」
即答に対し、祭中先生は大げさにふらつく。
「……ああ、なんて勿体無い。せっかくの広範囲大火力武装――つまりは必殺武器だというのにな。明日までの宿題だ。考えておくように」
はい、と犬のように素直に頷く馬鹿。乳がいいのか、と思いつつ、視線を祭中先生に戻す。
「仕方ない。それまでは仮に轟雷カッコ仮カッコ閉じとでも呼んでおこう。……話を戻すが、軍勢に対抗する手段は、轟雷(仮)に限られる。しかし轟雷は、雷雲を生み出す最中、雷轟衛が無防備状態になる。自衛隊も部隊を出しているが、質も量も負けている。一時的な足止めにしかならん。以前の戦闘のように、犠牲も多く出る」
横目で馬鹿を見ると、少しだけ泣きそうな顔になっていた。
……そりゃあそうだろう、と思う。ちょっと前だって、あの――轟雷(仮)を撃つために――
「こら。二人とも、こっちを向きなさい。追悼の意を捧げるのは悪いことじゃないが、今はこっちだ」
「……はい」
本当、犬みたいな男だ。そんなに巨乳がいいのか。疑問は尽きない。
「これについては、私達も『持ち前の根性でどうにかしろ』としか言えん。今のところはな。よって、次の問題点に移る」
ため息を吐いて、授業――と言うのもおかしいか。とにかく、話を聞く。
「第二に、固定武装が主に近距離用であること。第三に、高機動空中戦ができないことだ。固定武装は両腕に剣と、背部の雷雲/雷撃発生装置。肩に電磁ワイヤー。背、腰には加速器があるが、主に短距離加速用であり、長時間飛行や空中戦闘には向かない」
祭中先生は、よくもまあこれで敵機編隊を落せたものだ、とため息を吐く。
当たるまで殴るを地で行ったのは馬鹿以外の何者でもない。素直に根性系――その辺もなんだか犬みたいだ。
「さて。この二つの問題だが、――我々の方で対処可能だ」
そう言って、先生は何かをホワイトボードに書き足し、
「敵が我々の砲弾を無効化するのは、小型機は弾道予測、大型機はその構造による衝撃吸収だ。つまり、雷轟衛にそれを補う高弾速かつ大威力の武器を取り付ければいい。飛行能力についても、目処はついている」
そして、ホワイトボードを叩く。こうすればいい、と。
左半分に、L字型の何かと、翼らしきものが描き込まれた。銃と追加の加速器だろうか。単純な発想と言えばそうだが、それ以上と言うのも中々出しがたい。
「レールガンを持たせ、追加加速器を背負わせる。改造に多少の時間はかかるが、肝心の動力については問題ないのが救いだな。……そんな目で睨むな、力が今すぐ必要というのはよく分かる。だが、時間も物資もない。しばらくは粗悪な試作品、改造品で我慢してくれ。当面は、米軍基地からガメてきた戦闘機を背負ってもらうことになる」
……もうちょっとブッ飛んでいた。戦闘機を背負わせるだなんて無茶、普通の人は考えない気がする。
「はい」
目の前の女性に何を言っても、事態は改善されないことぐらいは分かっているらしい。さらに素直に頷いて、彼は耳を傾ける。
「そして、第四の問題だが――前餅君。きみ、ガンダムだとかエヴァンゲリオンだとか、ロボットアニメを見たことがあるか?」
「は、はい?」
唐突に、話が飛んでくる。
困惑していると、先生は勝手に納得して話を進め始めた。
「その様子では見たことがないようだね。解説しよう。知っての通り、これらはロボットアニメだ。主人公は、ロボットの操縦者になる事を強いられる。彼ら以外では無理だ、と。そして、その重圧に耐えられず逃げ出してしまう。……もちろんそのままでは話が進まないので、戻ったり、連れ戻されたりするんだが」
「は、はぁ……それで、先生。それがなんで第四の――」
そこで、あ、と気付く。現状とロボットアニメの共通点を。
彼女は頷き、答え合わせをするように言葉を発する。
「第四の問題点は、操者が彼しかいないことだ。暗殺や逃亡、病気、怪我……これらの問題が、致命的な問題になる。……とは言っても、私たちの方でも彼をガードするし、体の不調なら、根性でどうにかできる。しかし、その根性の源である心が折れてはどうしようもないんだ」
馬鹿は黙って聞いている。
その通りだ、と思っているのかどうかは分からない。俺の心は折れなんかしない、とか、そんな熱血はしていないようだけど。
「今のところ分かっている雷轟衛の問題点はこんなところだな。では、第四の問題点の対策を今から伝える」
「……その前に、あの。一つ聞いていいでしょうか。なんで私を呼んだんですか?」
「そう。それだ。ちょうど、今から説明するところなんだ」
ぴっ、とマニキュアのまの字すらないきれいな指先が私に向けられる。
「物理的、身体的な対策は、先ほども言ったとおり、我々である程度対策可能だ。きみのような近しい人――家族や友人にはこちらでカバーするし、怪我や病気も最優先で治療しよう。だが、先ほども言ったように、心までは手を出せない。君も知っているだろうが、人はモチベーション次第で業績が上がったり下がったりするものだ。そして、この仕事は常に最高の結果を求め続けねばならない」
そこで彼女はコーヒーを一口。白い喉がコクリと動く。
「カウンセリングでは足りない。もっと直接的なものが必要なのだよ」
「……あ、あの、やな予感がするので帰っていいですか?」
「却下だ」
祭中先生は今日初めて、胡散臭さのない笑顔を見せる。
とびっきりだ。
とびっきりの――最悪な顔だ。
「古来から、オトコが頑張る状況というのは決まっているんだ――女を守る時さ」
横でド馬鹿が首をかしげている。そうなのか、と。
ああもう馬鹿は本当に単純でいい。私はいつも苦労する……!
「そういうわけだ。前餅君、協力を――」
「全力でお断りしますっ!!!!」
立ち上がった勢いで椅子が一瞬空を飛び、落着後も勢いのまま滑って薬品棚にぶつかる。派手な音が立つが、それで怒りが収まるわけがない。
「おい杏子、んな怒鳴るコト――」
「うっさいこのよーかん!!!」
「よ、よーかん!? 和菓子か!?」
「黙れ糖分!」
「あーこらきみ、そんな風に言ってはいけないよ」
「誰のせいですか、誰の!!」
「……んー……」
首をかしげ、口元に手、天井の一点を見つめて動かない目――総合して言うと、演技にしか見えない考え込み。それがどこに触れたかと言えば、堪忍袋の尾だ。
帰ろう、と思った瞬間。指差されたのは私だった。
「きみかな?」
――色々とブチ切れる音が聞こえたが、そこで殴りかかるほど子供でもない。
殴りかかったら、先生、その事をモトに強請ってくるかも知れないし、と。冷静な計算が働いた部分もある。
「失礼します。コーヒーご馳走様でした!」
それでも、言動に冷静さを出すことはできない。背に何か言う二人を完全に無視して、大股で歩いていく。
/2.
……学校を出た後で、コーヒー飲んでないな、と、そんなくだらないことに気が付いた。
交通機関が麻痺しているから、基本的に移動は人力だ。
普段はバスを使う道程を自転車で往復するには、ちょっとばかり普段の運動が足りなかったらしい。へとへとになりながらも家の前まで戻ってきた私は、しかし家に入らずそのまま通過した。あの先生のことだから、両親に根回ししているかもしれない。
先生の言いたいことは分かる。よく分かる。なりふり構っていられないのが現状で、余裕なんて実際にない筈なのだ。
「こうやって自転車に乗っていられるのもあいつのおかげ、かぁ……」
ため息を吐いて、夕焼けの空を見上げた。青森と北海道の境界――津軽海峡を渡れずに亡くなった人もいるのに、と。
雷轟衛の加速器では、日本全域どころか北海道全域のカバーすら不可能だ。
だからと言って罪悪感を抱くのは、間違いだろうか。
――昔。平和な日本という国にいて、地球の裏側で起こっている紛争なんて気にもしなかったのに。
「……状況が違うのは、言い訳にならないよね……」
山の坂道に差し掛かった。今の体力ではとても昇りきれないので、自転車から降りて押していく。この山の頂上には、雷轟衛が眠っていたらしい神社がある。しかし、そこまで行く気にはなれない。第一、雷轟衛が出現したときに壊してしまったと聞くし。
目指すのは、山を蛇行しつつ登っていく坂道の途中、夕陽の見える場所だ。
もう、夏の盛りだ。夕方になって涼しくなってきているとは言え、空気はまだ熱を持っている。荒く息を吐き、汗だくになりながら、ゆっくりと坂道を登っていく。
「…………」
登坂の単純作業に慣れれば、脳は悩みを思い出す。祭中先生の話だ。
……なんだって私が、と歯噛みする。
「そんな役目。先生がやればいいじゃないですか」
私がアイツの――
「――女になれって、言うんですか……」
理由がない。全くない。全然ないし、存在しない。ありえない。ありえる筈がない。
夕陽が妙に眩しい。目がくらんで、視界がにじんでしまった。
……最悪だ。本当に、最悪だ。
「嫌われたかな……嫌ってるって、勘違いされたかな……」
人は人の言葉の裏を読む。
私が逃げ出したあと、あの羊羹野郎は――『せんせーせんせー。結局第四の問題点の対策ってなんですかよ?』『ははは簡単サ。前餅君にきみの彼女にするのサ!』――などと会話するだろう。あんな勢いで拒否したんだ、立場が逆なら、私だって理由は一つか二つしか思いつかない。
嫌いか、他に好きな人でもいるのか。
「……そんなわけ、ないじゃないか」
山の中腹。ちょうど木々が開けて、夕陽がキレイに見えるその場所に、到達した。
自転車をガードレールに立てかけて、自らも腰掛ける。
「……あーあ」
夕陽。影になり、鳥の編隊が行く。こんな所にくる人なんて、そうそういない。……一区切りも付いたことだし、吐き出すことにしようか、と。我慢をやめたら、編隊が光ににじんで消えた。へたり込んで、それをしばらく眺めていた。
……と、異音。
「うぅ……っ!?」
ぎり・ギぎりり・ぎりギ・ぎりり、と、脳を直接かき回すような、不快な多重音。聞き覚えがあるどころの話じゃない――つい数日前も聞いたばかりの、悪夢の開始を告げる音。
これは、空間が歪む音だ。
「『イブマ』が来る……!?」
茜色の空が砕け、銀色が滴り落ちてくる。
どろどろとしたソレは、透明な容器に収まって行くかのように、その形を確定させていく。
『オオオオオオォォォォォォム…………!』
「……っ!」
空間が閉じきるのと、ソレが完成するのはほぼ同時。遠吠えで山が一気にざわめき、鳥たちが羽ばたき逃げていく。その姿は、まるで昔の巨大ヒーローモノに出てくる怪獣だ。恐竜を模した総銀のその身体は、大量のナノマシンで構成されている。戦車の砲弾も、戦闘機の機銃も爆弾もほとんど通じない――そんな化物だ。
だけど、私たちにも対抗の手はある。
学校、その校庭で轟音がする。音の原因は、天より飛来した稲妻だ。
――全高およそ四十五メートル、黒と黄色の二色仕立て。装甲を鎧い、放熱索をなびかせ、紫電を纏い、鬼の如き一本角を光らせ、八本の雷雲発生器を背負い、守護のために彼は動き出す。
――その名を雷轟衛。樫家・洋巻駆る、機械仕掛けの雷神だ。
「洋巻……!」
目を袖で拭い、目を凝らして、少しぎこちなく動き出す彼を見る。
雷轟衛は、一度胸の前で腕を交叉させ、一気に振り下ろした。
『ウゥウウラァア――――!!』
咆哮。
前腕から、収納されていた刃が飛び出す。同時に発生するのは、背中、展開される八本の角からの紫電。
――『イブマ』を構成するナノマシンは、技術レベルこそ高いものの、基本的には私たちの使うコンピューターと大して変わらない。ブロックこそされているが、強力な電撃を受ければ、焼き切れて機能を停止する。それが、雷轟衛が彼らを倒せる理由だ。
『ヲォオオオオ…………ム!』
二つの巨体が雄叫びを上げ、――戦闘が、開始される。
先手は銀の巨獣。走り出し、自らの身体を砲弾に変え、雷轟衛へと投射する。
しかし雷轟衛はそれを避けず、背からの雷撃で迎撃した。
「わっ……!」
雷。
巨獣は射抜かれその足を止め、――そこに、雷轟衛は吶喊する。
前傾し、重量感ある動きで右足を前に。放熱索が僅かに遅れて動きをトレースしていく。
『ウゥウラァア――――!!』
雄たけびと同時、雷轟衛の腰から一瞬燐光が灯り、――一気に、そして圧倒的に、光が噴出する。加速の光が、だ。
吶喊は突貫を。加速の結果は、瞬間と言う時間での肉薄だ。
突撃の先端、右腕の刃は雷撃を纏う。右足での制動によって、全ての加速は右腕へと伝わっていく。
『ド・ラ・ァ・ア・ア・アアア――――!!!』
アッパーのような打ち抜きで、雷轟衛は刃を巨獣に叩き込んだ。放電が大気を裂き、ナノマシンを焼き散らしていく。
『ヌヲォオオオオオ…………!!』
ナノマシンが結合を失い、どろどろと巨獣が溶け、鋭角的であった角や爪が落ちていく。しかし、溶解がいつもより遅い。なんで、と思う前に、巨獣が動いた。
牙だ。
『ガァアアアアア――――!』
強靭な顎によって、雷轟衛の肩部装甲が砕ける。離脱しようと雷轟衛がもがくが、剣が抜けず動けない。
「あ、」
稲妻はいまだ、巨獣を貫いている。しかし巨獣も倒れず、雷轟衛の装甲を砕き続けている。考えてみれば、当然だ。攻撃に施す対策、電撃に対する防御を高めてくるなんて。防ぎきれてはいないけれど、確実に、先日のそれより電撃の効果が薄い。
負ける、と、弱音が来た。今は大丈夫かもしれない。それでもいつか、確実に彼は負ける、と。
「……ひぁ」
視界が、再度歪んだ瞬間だ。
背後から、こつ、こつとハイヒールの足音が聞こえてきた。
「……やあ。見つけたよ、前餅君」
振り返ることができない。
涙を見せたくないから。顔を見せたくないから。何より――あの戦いから、目をそらしたくないから。
「さっき言った、第四の問題点、その解決手段。これは、諸刃の剣でもあるんだ。たとえばきみ、小さい頃、親しい人から嫌いと言われて落ち込んだことがあるだろう? 恋人とケンカしたら、誰だって落ち込むものさ」
そこで彼女は言葉を切る。代わりに聞こえたのは、きん、と火花が散る音だ。タバコだろうか。このご時世では結構貴重品だろうに、先生は味わう様子もなく言葉を続ける。
「しかし、きみなら――と、思ったんだがね」
「っ、そ、そうで、しょうか」
「そうだよ。きみが去った後の彼の顔と言ったら、もう、この世の終わりのようだったね。フォローが大変だったさ」
くつくつ、と、祭中先生は笑う。
にじむ視界の先では、いまだに戦闘が続いている。叫び、荒れ狂うように、しかし足元に気をつけながら。被害を出さぬように、時には地をかばうような動作をしながら、だ。
……そうかも、しれませんけど、と。胸にある信頼が――もう少し夢見がちな言い方をすれば、『絆』が――言う。
『ウルァアアアアアアア――――!!』
雷轟衛が、右剣を砕き抜く。崩れた体勢でのバックステップは、その巨大さからすれば微々たる距離しかその身を離さない。しかし、雷轟衛にはそれで十分だった。
再度の燐光、加速、そして、動かぬ左腕を右腕で固定しての貫徹。その対電限界を超えたのか、巨獣が盛大に溶け始める。
『ヲヲヲ……ォ……オ…………』
「……どうやら終わったようだな。今回は実験か」
ふ、と息を吐く音が聞こえた。
「そもそもこの侵略自体が実験じみたところがあるが……まあ、次回はそれなりに戦力を用意してくるだろう」
「……大丈夫でしょうか」
「どうだろうかなと言いたいところだが、今の雷轟衛――」
雷轟衛は、ボロボロだ。
格闘戦の結果、左腕は動かず、右腕の剣は折れた。背中の雷雲発生器も、数本折れてしまっている。
「――否。樫家君では、おそらく次の戦闘では勝てん。生き残るとしても、雷轟衛はしばらく動かせなくなるだろう。……それでは、我々の負けだ。今回も自衛隊はほとんど活躍していないしな」
祭中先生は、事実を語る。間違いのない未来図を。
一息。彼女はタバコを吸い、唐突に話を変える。口調は独り言に近いもので、声量も呟きに似る。
「彼のカウンセリング――まあ、心理テストの類なんだが、それは私が行なったんだ」
それがどうしたのか、と思う間に、祭中先生は言葉を紡いでいく。
「結果、彼は正義感やら責任感やらが薄い、ということが分かった。もちろん、心理テストの類に全幅の信頼を置いてもいないが、それでも少しはアテになる。そして、その彼が、こんな重圧の中、逃げ出しもせずにいる。――なぜだろうね?」
問いかけとほぼ同時、こつこつと小気味いい足音を立てて、先生はどこかへと歩いていく。
「きみも早く家に帰りなさい。この辺り、治安は比較的マシな方だけど、何があるか分からないからね」
「…………」
返事を返さず、私は雷轟衛を見続ける。
街を守るためにボロボロになった――はずの、雷轟衛を。
/3.
……夜。私は、あらゆる明かりを消して、寝転がっていた。
発電所を壊されたりしているので、もう深夜に電気は使えない。それでも習慣――普段からの夜更かし――というものは恐ろしく、『イブマ』が来てからも眠れない日々が続いている。贅沢だ、とは思う。貧困な想像力でも、この国――否、北海道以外で、単純に夜更かしができる余裕はないだろうと分かる。
月明かりが、部屋に入ってきている。以前と変わらぬ、冷たい光が。
このまま寝転がっていても寝れなさそうなので、立ち上がり、窓から外を見た。
北海道だ。二階程度の中途半端な高さでも、地平線を望むことができる。隣の家までの距離も百メートルほどあり、月と星の明かりでは、その家を視認できない。
街灯もついてないし、元々まばらだけど、と。わずかに笑い、窓を開ける。
風が来る。冷たく冴えた、静かな夜気が。
「ん……」
目を細めて、すこし、それを浴び続けた。最近は水で流すことしかできない髪が流れ、さわさわと音がする。机の上に載ったままのプリントが、風で落ちた。……モノクロに近い色彩の風景を見続けていたせいだろうか。その人影に気づいたのは、家まで十数メートル、といった段階だった。
「洋巻――?」
呟きだ。この距離で聞こえるはずはないのに、彼は右手を上げて挨拶をした。手の形は自然形。だらしない、と思うのは、少し乱暴だろうか。
「む」
とりあえずこちらはズビシとばかりに勢いよく右手を上げる。窓枠にぶつかってガツンと酷い音がした。さっきとは違う理由で目が細くなる。ぶっちゃけ泣きそうだった。
「…………!」
「…………」
HAHAHAと呵呵大笑する仕草の馬鹿が見えたので、近場にあった目覚まし時計を投げた。命中した。
「…………!」
あっはっは、と、仕草のみ、無音で笑う。
ひとしきり笑ってから、一階へと足音を忍ばせて降りる。両親は、多分眠っている。それを起こすのは、二重の意味で寝覚めが悪い。
何を話しに来たんだろうか、と思う。
「何を話すにしても――」
部屋を出て階段を降りて玄関へ。とりあえず、サンダル代わりのゲタをつっかける。
扉を開く前に、一呼吸を入れる。
「――あいつが来たんだったら、普段どおりにしてあげないと――」
……今日会ったのも、本当に久しぶりだった。
アイツは、私たち――家族や友達、知り合いに近づかないようにしているフシがある。家に帰らず、学校に寝泊りしてまで、だ。
家族を。近所の人たちを。家を。風景を。雰囲気を。未来のために、きっとある未来のために、戻れるかどうかも分からない未来のために、彼は必死で守っている。
――その背の影には、きっと、私も入っている。
確信とともに、扉を開く。
月光の下。背がむやみに高い馬鹿が――樫家・洋巻が立っている。
「……よう。手、大丈夫か?」
「大丈夫。そっちは?」
「昼、大分やられたからな。そっちの方が痛い」
そう言って、ホレ、と目覚まし時計を渡してくる。文字板のプラスチックが砕け、針が二本取れ、残る秒針も同じ場所を行ったり来たりする時計を。
「うわ壊れてるじゃないこの石頭!」
「ここで俺のせいにするのかお前は!?」
「アンタがあんな風に笑うから!」
「適度に力抜いとけ馬鹿!」
「うっさい馬鹿!」
もう一度、至近距離から時計をブン投げる。またも命中した。
「の」
気まずい声と同時、頭を先端に彼は背後へと倒れかけ、……しかし踏みとどまった。
「……っお前何するんだ!」
「馬鹿って馬鹿が言うからでしょ馬鹿!」
ひとしきり怒鳴った後、洋巻の表情が固まるのが、淡い光の下でもよく見えた。
「誰かいるのか? 杏子?」
原因は背後。がろがろとベランダの窓を開く音だ。
「ひ」
ぇ、と、何故か叫びが出そうになった。
声は父さんのもので、別に驚きはしても、怯える必要は――
「静かにっ」
――と、急激なGがかかる。強い手が、私を土手の下へと持って行く。
「んむっ……!」
「バレるだろ、静かにしろっ……!」
手が口にかかる。鼻も押さえつけられていて、少し苦しい。顔が近くて、草のにおいが濃くて、息ができなくて、引っ張られたせいか頭がぐらぐらとした。だからだろうか、素直に思考が言語になる。
――なんで、こんなに――恥ずかしい、とか思ってるんだろうか――
感覚に近い思考を自分で理解すると、手の暖かさとか、タコの硬さだとか、腕の重さだとかがごっちゃになってやってくる。
「っ……!」
「うわ馬鹿黙れぇ……!」
暴れたせいだろうか。
父さんの足音が近づいて来る。ベランダ際に置きっぱなしのサンダルの足音が。
逃げるか。出て行くって方法もあるし、誤魔化す手もありそうな気がしないでもない。
「あ、」
私が迷っているうちに、馬鹿は裏声を出した。
「あなタが落とシたのはきれいな杏子ですカ? そレともダーてィな杏子ですか?」
「何言ってやがんだド馬鹿ぁ――!」
怒声と打撃音、夢の競演だった。正確に言えば、夢に吹っ飛ばす感じのミラクル強打撃だった。
「……ここはそんな風に人を殴るダーティ杏子ちゃんと言っておこう」
マトモに答える馬鹿父親。むしろ今夢だよねと聞きたいところだ。
夢に吹っ飛ばされたはずの馬鹿は、しかし裏声を崩さずしゃべり続ける。
「ざンねんキレイな杏子なんて存在しねェよ――!」
「ぬああ夢だからオーケーかと思ったんだがチクショー!」
緩んだ腕からずざっ、と逃げる。
土手を駆け上り、
「おお、いるじゃないかキレイな杏子が――!」
勢いのまま飛んで、笑顔の父親を夢の世界まで蹴り飛ばした。
●
「で」
「おう、なんだ」
「いや、アンタは何をしにこんな深夜に」
「……お前と、話にだ」
父親の頬に残るサンダル痕と土を軽く拭いて、窓から放り込んで。星と月と夜の下を、ゆっくりと歩きながらの会話だ。
「誰に言われて?」
「…………」
ああ、やっぱり誰かに言われてなんだ、と、その沈黙で理解する。
……足の向く方向は、神社。雷轟衛が出現し、全壊してしまった神社。昔、秘密基地を作った神社。
「さっき言ってたけど……今日、大丈夫だった?」
「今ピンピンしてるだろうが。雷轟衛も、自己修復で戦闘はできるくらいになってる。昼言ってた飛行ユニットも、徹夜改造でもうすぐらしい」
背中も壊れたんで、その自己修復にかみ合わせて強化するんだってよ、と。内部事情をべらべら喋って、彼は静かになる。
「ん、そうじゃなくて――その、苦戦してたじゃない」
答える気配はない。だから、少し言いたくない気持ちを、続けて言葉にしていく。
「だから、その、大丈夫だったのかな、って。精神的に」
「……平気じゃない。正直逃げたい。『イブマ』だって人類皆殺しにしようって気はないみたいだし、裏切りでもすれば日本くらいくれるかもしれない」
くはー、と息を吐いて、洋巻はちょっと前を歩いていく。
「けど、それじゃ駄目だろ。その状態でフツーに暮らすなんて無理だろ」
「……無理じゃないかもよ。ほら、改造手術で記憶を消すとか」
「馬鹿、そんなことできん。俺はあいつらを信用できない。お前らを人質に取るかもしれないし、俺があいつらの尖兵になるかもしれない。お前らをあいつらに預けることもできない」
後ろ歩きになりながら、洋巻は、どこか楽しそうに言葉を続けていく。
「そもそも言葉が通じるのか、意志の疎通ができるのか、って問題もあるしな。研究はしてるだろうとは思うが、専門の言語学者がどれだけ生き残ってるのかも分からない」
「……ああ。そりゃ、無理よね――」
きっと考えたんだろうな、と思う。彼が語ったことは、難しい想像じゃない。それでも、考えておかなくてはこうもすらすらとは出てこない。
『――彼は正義感やら責任感やらが薄い――』
先生の言葉が蘇る。ただ事実を淡々と言っていたあの声が。
割れたアスファルトを、向かい合うだなんて奇妙な様相で歩きながら、私たちは言葉を連ねていく。
「……ところでだけど、神社、壊れたんだよね?」
「ああ、雷轟衛出たときに踏んじまった」
決してわざとじゃないぞ、と、申し訳なさそうな、悪びれるような、そんな複雑な表情をして、洋巻は肩をすくめた。
「しかし、お前も物好きだよな。そんな神社に行こうなんてさ」
「アンタも反対しなかったじゃない」
「ヒマだからな」
「ヒマねぇ……雷轟衛の近くにいなくて平気なの? 呼んだら来るの?」
「来る。俺の声である程度自律行動するから、無線で呼べば」
そう言って、彼はポケットから小型の無線機を取り出す。表情を見るに、どうやら本当らしい。
「来るんだ。……無線なんだ」
「無線なんだよ。本当は操縦席に入って機動核に言わないと駄目なんだが、無線機置いといたら取り込んで融合しやがって、それ以来できるようになったんだ」
「へぇ……」
「戦闘機背負わせるってアイディアも、この辺から来てるって話だったな」
……そうこうしているうちに、神社が見えてくる。
踏まれ、砕け、しかしその雰囲気を残す神社が。
「懐かしい場所――」
「――そうだな」
静かな同意の声。何の話でもできそうで、しかし何の話も必要なさそうな空気がある。だから一瞬、どうするべきか迷った。そして、その一瞬で、全てのタイミングを逃した。
――急に空が暗くなる。ぎり・ギ・ギギぎリ・ぎりリ・ぎリギリ・ぎリギギり・ぎり、と金属を引き裂いていくような音がする。月食のような穴が、空に開いている。視認と同時、穴から銀色が漏れ始めた。多い。今日の昼来たあの巨獣を二桁単位で作れそうな量が、空中で凝り固まっている。
「空中型……!?」
『樫家! 樫家・洋巻君!』
祭中先生の声が無線機から響き、同時、巨大な空中戦艦が、そこに顕現した。
『既に空中戦は可能だ。我々が食い止めている間に雷轟衛を呼べ!』
「分かった、死ぬなよ先生……!」
「洋巻!」
「いいか杏子、お前はここから動くな!」
洋巻は、一歩、走り出すように前に出て、……止まった。
「……確認できて、安心した」
一言、彼が言葉を漏らす。
「実は、ずっと怖かった。逃げ出したいと思っていた。どうして俺が、と考えた」
それは、響き始めた戦闘機の爆音にかき消されるほどの声量だ。
「けれど、今まで戦ってこれた。なんでか、分からなかった」
それでも、その決意は――何者にも消されはしない。
「俺は、俺のままだった。変わってなんかいない、大切なもののためなら、どんな時でも、どんな場所でも、どんな敵でも、――俺は、戦える!」
無骨で黒い無線機に、彼は詔を叫ぶ。
「己が覇者! 意思砕けぬ我に応じよ鬼神!」
――天が。全天が、帯電する黒雲に飲み込まれていく。
「我が天に馳せ参じよ鬼鎧! 覇我鬼神ッ! 雷・轟・衛――――!!!」
雷撃。そして轟音。
学校、その校庭に立っていた雷轟衛が、空を駆けた。
●
稲妻が空中戦艦を穿つ。
昼の巨獣と同じく耐電仕様。しかし、ダメージは確実にある。
主砲を、副砲を、艦橋を、打ち出される小型戦闘機を、雷撃は射抜いていく。
強い。
銀色の戦嵐は、雷神の機体を捉えきれない。
●
……ふと、祭中先生の言葉、その続きが、蘇ってくる。
『その彼が逃げ出しもせずにいる』
逃げ出したい、と考えているのに。――その理由は。
『――なぜだろうね?』
「なぜだろうね……」
その意味が、分かる気がした。
●
銀の空中戦艦は、その形を大幅に変える。
前後に長く、まるで艦自身を砲身とするように。
しかし雷轟衛は退かず、加速器を全開する。連続する燐光は、長大な尾と化して天を分断し止まらない。
背面、雷撃発生器が唸りをあげる。五本と常よりも少ない、しかし、普段に倍する量の稲妻を束ねる角が。
雷雲が凝縮されていく。雷轟衛はそれを右手で掴み取り、そして天雷を鎧う。
『ウ・ウ・ウ――』
神雷が奔る。直下へ、稲妻をまとい、紫電を振りまいて、左刃に雷撃を秘めて、――貫徹を行う――!
『――ラ・ァ・ア・ア・ア・アアア――――!!!』
止まらない。雷轟衛はその身を槍として、戦艦を貫く。
中心を失った空中戦艦は、身悶えるように揺れ、そして大気の圧に砕かれていく。
●
銀の戦艦が溶け落ちていく。雷轟衛はと言えば、翼の操作で辛うじて地面への衝突を回避し、今は溶け落ちる戦艦の真上に滞空している。
――と。ざりざりと、何か砂をかむような音がした。
『――杏子』
発生源を探してみれば、黒く無骨な無線機だった。雷轟衛を呼んだ、洋巻の無線機だ。持って行かなかったのは、私に何かを言うためだろう、と、都合のいい思考をする。
使い方はよく分からない。だから、拾って持つ。全ての言葉を聞き逃さないよう、耳を傾ける。
『――杏子。』
呼びかけは二度。
息を一つ吸う音が聞こえた。
『俺はきっと、お前がいるかぎり、戦っていける。俺はきっと、お前がいなくちゃ、戦っていけない』
だから、と彼は言う。
『杏子。俺のそばにいてくれ』
……直球だった。顔を見合わせていたら、勢いで、うん、と言ってしまいそうなくらいに。
だけど私たちは、電波を介していた。それは、とても大きな差だった。故に、私の返事は――――
/4.
……なんてことがあったのが、一月前のことだった。今はもう、北海道式の七夕が近い時期。蝉がうるさい季節だ。
あの後、私の返事はと言えば、――無言だった。
正確に言えば、使い方が分からないので、発言ができなかった。今にして考えると、しなくて良かった、と言うべきだろう。
洋巻の馬鹿は、全帯域――オープンチャンネルであの恥っずかしい直球台詞を言っていたのだ。だから、目の前にある扉の向こう、祭中先生なんかは、ことあるごとに私たちをからかいの対象にしてくれやがったりする。今聞こえてくるように。
「ははは面と向かって言えばいいものを慣れない策を使うから悪いのだ」
「ぬああ我が人生最大の羞恥再び――! ええいおのれこうなれば仕方ない! 己が覇者! 意思砕けそーな俺に応じよ鬼神! 我が元に馳せ参じろ鬼鎧! 覇我鬼神ッ! 雷・ご――「なに雷轟衛呼んどるかーっ!」
とりあえず扉を開けた先に後頭部があったので飛び膝蹴りを入れておいた。うなじの上辺りに入って、洋巻がちょっと悶絶する。
「きみの格闘センスには目を見張るものがあるね……わざわざそんなところに入れるだなんて」
「あっはっは。先生がいいんですよ。さすがベテラン自衛官、教えるのも上手くて」
「きみのような生徒であれば、教えがいもあるだろう」
くつくつ、と祭中先生は笑う。思い出したように続けられた言葉は、好奇心本位の問いかけだ。
「そう言えば、はっきりとした理由を聞いてなかったね。きみがこの駐屯地に住まうようになった理由も、できることを探し始めた理由も」
「予想はついてるんでしょう? 言いませんよ、先生のポケットに録音機が入ってる間は」
「はははそれは残念だ。編集して部隊内に回そうと思ってたのに。きみたち、微笑ましいのと妬ましいのとで大人気でな」
「あっはっはいくら先生でも人間としての尊厳まで犯していいとは思いませんよ」
先生の目は笑っていなかった。多分私も笑っていないと思う。
「……それじゃあ、そろそろご飯なので、馬鹿<洋巻>連れて行きますね」
悶絶する洋巻の頬をぺしぺし叩きながら言う。が、洋巻が起きない。少しキレイに入れすぎただろうか。次から頭と首はやめようと思いながら、わきの下に頭を入れるようにして、支える。
「うん、いってらっしゃい。食事は精神的余裕の根源だからな、しっかりと食べさせなさい」
「はい」
それでは、と一礼。笑みを返して、私は歩いていく。
目覚めた洋巻が、体重を己で支え、ゆっくりと私の手を取った。
鼻腔をくすぐるのは、夏の空気だ。
来年の夏も、きっと暑い。まばゆい太陽が、その確信をくれる。
――そばにいるために。
私たちは、歩いていく。
/
二〇〇X年五月二十七日。世界は宇宙人に侵略された。
人類の戦力がボロボロになって、世界中で絶望が蔓延していく。
けれど、それでも私は希望を失わない。
――何故ならば。頼りになる私の幼馴染が、この街を守っているから――。
End.




