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Who Fighters

・これだけ頑張ってルビとか振り直しましたけどこれ直したら心が折れました。

―1―

小公女(リトルプリンセス)級航空戦艦『常若大地(ネバーランド)艦橋(ブリッジ)


 探知機(レーダー)に所属不明機の感あり、と報告が上がったのは、進空式の最中だった。

 小公女(リトルプリンセス)級航空戦艦は、女王が世継ぎを産んだ記念に造られる航空戦艦だ。故に、小公女級航空戦艦は、予算に糸目をつけず、ただ一隻、時代の旗艦(フラッグシップ)となるべく製造される。

 一番艦『小公女(リトルプリンセス)』は当時世界最強と呼ばれた大火力艦。

 二番艦『小聖女(リトルマリア)』は『小公女』の設計思想を受け継いだ後継艦。

 そしてこの三番館『常若大地(ネバーランド)』は、それまでの航空戦艦とは異なり、砲や銃座などの直接戦闘能力をほとんど持っていない。搭載した重火力制空機『小妖精(ティンカーベル)』でその代わりを果たす、後に最初の空母と呼ばれるようになる戦艦だった。

 ――ただし。最初の空母、と言う名には、悲劇の、と枕が付く。


「早い……!? 通常の機の数倍、音速の一.五倍近い速度です――!」


 探知手が悲鳴じみた報告を続けた。

 まさか、と、艦長は思考する。


「もう一度確認しろ、そんなものはありえん。サーカスの連中が何か馬鹿をやったのではないか?」


 現在主流の回転翼(プロペラ)式では、音速を突破する事は難しい。回転翼の速度が一定を超えると、その効率が著しく減衰するためだ。

 そもそも音速突破を確認したことすら近年であり、音速突破機は各国で研究されているものだ。

 それに、突破を可能とする機種でも、と、艦長は思考する。

 ……発生する衝撃波で機体制御もままならず、空中分解もありうるため、ただ『突破できる』と、それだけのはずだ。

 しかしその思考は、探知手の叫びで打ち消される。


「か、艦長ッ! やはり、音速を超えています!」


 ここでありえぬとまだ切り捨てるのは、馬鹿の思考だ、と艦長は考える。

 もし違えば笑い話。もちろん探知手は全力で処罰するが。しかし違わなければこの艦に降りかかる災厄だ。


「――警告の後、撃ち落せ! 全『小妖精』は即時発進!」


 高速が迫る。

 『常若大地』にある射出機(カタパルト)は二つ、それも、連続発射には向かぬ火薬式。

 艦載機の発進は、最接近までに六機が発進できるかどうか。

 現在までに発進している機、そして戦闘中にも発進する機を含めても――十、十二。

 数の優位は絶対だ。

 だが、と艦長は思う。

 この『常若大地』は、それまでの『戦闘艦』としての能力を全て艦載機『小妖精』に依存している。故に、艦載機で対抗できぬ相手は、


「ク……!」


 直感する。足りない、と。どうしようもなく遅い、と。

 女教陛下より預かった艦が堕ちる――それも、己の指揮で。重圧(プレッシャー)を感じながら、艦長は指示を飛ばしていく。

 想像だ。

 今の段階では、あくまでも想像だ。

 だが、それは確固たる現実として、彼の眼には見えていた。



 ……悲劇の空母『常若大地』は、直下の街に落着し、数百人規模の被害を出した。

 表向きは、艦の設計失敗による機関の暴走とされ、その事実は、後々まで隠蔽されることになる――。







/







―2―

スナイル国首都クーリス、第二教導院


 わぁわぁ、と歓声が聞こえる。

 その歓声と、距離と、風防(キャノピー)と、飛行帽と、集中力と――全てを抜いて、放送席の調子のいい声が届く。

 その声は、拡声器(マイク)を握ると性格が変わる友人の声だ。

 放送席に座るのは、確か放送部が独自に選ぶ人材ということだったが――決してエイミー・クルースクにはするな、と言っておいた筈なのだが。


≪さぁ――今年度六教導院合同祭! その最後を飾る、各校選抜六人による大・空・中・戦! いよいよそれも佳境! その誰もが大本命! 天も照覧、スナイル国学生撃墜王(トップエース)の三つ巴だァ!!!≫


 既に空戦が開始されてから二十分ほどか。

 その間、解説の声にエイミーではない要素を見つけることはできなかった。女性にしては少ししゃがれた声は、しかし拡声器に乗って良く通る。


≪第五教導院のアダ花、シェーン・マクブリッジッッッ! 第三教導院の神速、シャクジャク・シェパーレンッッッ!!! そして我らが第二教導院の決闘王、アルベルト・エアムドッッッ!≫


 ……誰が決闘王だ、と思うが、実際、自分の決闘回数は中々のものだ。 自分には人を怒らせる才能があるらしい、と自嘲しながら、エイミーを少し羨んだ。

 僕は、他人を楽しませる才能には乏しい。そして今のエイミーは、どうやら輝いているようだ。


「まったく……」


 苦笑しながら、シェパーレンの弾丸を避けていく。

 射撃が甘い。そもそも、真後ろから狙ってそうそう当たるものでもない。角度をつけねば、その範囲は非常に狭くなる。

 あるいは、その性能だけで勝っていたのか――しかし、神速と呼ばれるだけはある。その機の速度だけは認めよう。


≪さァて、機数も半分になったところで、解説のマリア・パイロットさんに、三人の機体を解説してもらおうかと思いますっ! マリア、拡声器(マイク)パぁース!≫


 一瞬の雑音。

 次に聞こえてくるのは、エイミーとは違う、どこか遠慮がちな、落ち着いた声だ。


≪……拡声器代わりました、マリア・パイロットであります。引っ張られて来たのでありますが、そうである以上、役目は果たさねばならないのであります。それでは、解説に――≫


 いいぞ、と思う。マリアよ、二度と拡声器を返すな、と。

 機首をわずかに上げ、速度を落とし、さらに機体をひねりこむ。

 樽の内側をなぞる(バレル)ような機動(ロール)だ。

 結果は、シェパーレン機をすり抜けるような動きの背面飛行。神速の機体を、くつくつと笑いながら見送る。

 角度もあるので、射撃面積は広い。操縦桿の安全装置を手袋に包まれた手で弾き、その下にあるボタンを瞬時に押し込む。


「七面鳥撃ちだな」


 翼下、外接された追加砲塔(ガンポッド)に装填されているのは着色(ペイント)弾だ。

 着色弾は弱装で初速も遅いが、法律問題上、実弾よりもこちらの方に慣れがある。

 数十発の弾丸は、その半分ほどを地平線へと外しつつも、シェパーレンの機体を青色に染め上げていく。


≪……あ≫


 と、エイミーの気の抜けた声を、拡声器が拾った。しかしすぐに、冷静なマリアの声でフォローが入った。


≪シェパーレン氏、撃墜であります。トトカルチョの券は捨てずにお持ちいただきたいのであります。トトカルチョには参加賞がありますので。 ――それでは、今度こそ解説に入りたいと思うでのあります≫


 にわかに激しくなる歓声を耳にしながら、マクブリッジは、と周囲を見回すと――いた。

 高空へ、天へと一直線に昇っている。


≪マクブリッジ女史の駆る機体は、型式番号OFAkua-3501『ジルガーン号』。クァッド社が初めて製造した、単品製造(オーダー)格闘機(ファイター)・Aクラスであります。三十五年製造と若干旧式ながら、その性能は現在の一線級機体になんら劣らないものであります。特筆すべきは、回転翼を後ろに置いたその美しい外観。これは空気抵抗を抑え、急降下攻撃に特化するための形状であり、マクブリッジ女史の操縦技術と相まって、その評判は、ここ、クーリス都の反対側である第二教導院に届くほどであります。私が語る以上のことを、皆さんは知っておられるでありましょう≫


 そこで彼女は一息を入れる。

 ゆっくりとした声音の間に、マクブリッジのジルガーン号は攻撃態勢に入りつつあった。


≪エアムド氏が駆る機体は、型式番号OFAkru-3989『エアムド三世号』。ジルガーン号と同じくOFAナンバーであり、航空機製造の老舗であるクルースク社の製造であります。ランデル国との技術提携により、新規技術が多く盛り込まれたのでありますが、その分、機体安定性が若干悪く、取り回しは難しい機体に仕上がっております。しかし、その性能は高く、やはりAクラスと名乗るに相応しい機体でありましょう。そして、乗者たるエアムド氏は――≫


 ――急降下が来る。

 マリアが語ったとおり、その速度は段違いだ。

 翼下追加砲塔と機首、計四門の機関砲から、着色弾がバラまかれる。それを紙一重で回避しつつ、マリアの声を聞き続ける。


≪――アルベルトは、私のお父様に鍛えられたのであります。マクブリッジ女史の操縦技術に劣るところは寸分もない、と、私は信仰しているのであります≫


 くつくつ、と笑う。

 大胆だ、と。マリアにしては、中々大胆だ。

 解説も終わった。エイミーに再度拡声器も渡るだろうし、余裕もあまりない。ならば、これから僕の腕と技術提携の成果を見せてやるべきだろう。

 マクブリッジは、急降下から急上昇へ。打撃即離脱(ヒットアンドアウェイ)と呼ばれる戦法だ。


≪はーいお惚気頂戴ありがとうございましたァ! ≪エイミー、私は惚気てなど――や、やめるのであります、エイミーっ!≫ ああこのおっぱいはもみ応えがあっていいですねチクショー! ――思えば決戦前夜ッ! あれほど白熱したトトカルチョ会場はありましたでしょうか!? 六名の操縦技術! 機体! 気性! 戦跡! 伝説! そして教導院内でのファンの数ッ!! 正直、その浅ましさには切なくなるものが――ああっ、悪意はないので物は投げないでいただきたいっ! 私もあっさましい人物の一人でありますっ!!≫


 早い、と思ったのは二重だ。

 余裕は、やはりない。先ほどのような単純な手ではやられてくれないだろう、とだけ結論を出し、―― 一気に横旋回をした。

 機の腹を、着色弾がかすっていく。

 エイミーが何かを叫んでいるが聞き流して、機体を捻り急降下の動きに変えていく。


「ク、」


 加速による加重が全身に来る。それを、肺に空気を張ることで耐え、急降下を一気に急上昇へと持っていく。

 エアムド三世号の特性は、機体重量と推力の比が大きいことだ。

 ランデル国技術によって機関の性能が向上したこと、機構自体が軽くなったこと、形状の洗練により、断面積も従来の機体と大きく違う。

 急上昇と急降下。交差する軌道は、勝敗の道程と等しい。

 太陽を背負う分、マクブリッジの方が有利ではある。

 だが――


「――負けはしない」


 加速はもはや全力だ。機関は高い唸りを上げ、機体が僅かな軋みを上げている。だが、この機体にはもう一段の加速がある。クルースク社がランデル国の技術を利用して作り上げた、埒外、枠外――常軌を逸した加速器が。

 その発動は、操縦桿から左へと裏拳を出した位置、そこに存在するボタンを押し込むことによってなされる。

 名を、|亜酸化窒素噴射式加速機構ナイトラス・オキサイド・システム――機関内部における燃焼促進を促し、おおよそ五割増の出力を叩き出す特殊装置だ。

 裏拳。

 機関が焼け付く直前まで出力を上げていき、――瞬間。回転翼の速度が跳ね上がった。


≪おおーっと! エアムド三世号、超過駆動(フルドライブ)入ります!!! アルベルトは切り札を切った! マクブリッジ女史はぁーッッッ!!!≫


 ジルガーン号が、その流麗な機体に隠された鬼札を切る。機体表面が、瞬間と言う時間で剥離。その下にあるのは、無数の砲門だ。

 弾数は一斉射分、機体強度も危ういだろうが、アレは一瞬で大型爆撃機すら落としうる火力だ。

 双方、これを使えば後がない――その虎の子を出した。

 ――弾丸の雨が来る。前方六十度ほどを占める、円錐状の射界だ。

 避けきれるか、と言う不安が来るが、――それすらも速度の彼方、敵に向かい、ただ意識が先鋭化する。


「――負けるがいいさ、シェーン・マクブリッジ。君は落ちる。僕は昇っていく。その運命を読みきれなかった君に、勝てる要因などない」


 それに、と。順接の言葉と同時に行なうのは、操縦桿に設置されたボタンの押し込み。四門の砲塔が、着色弾を吐き出す。


「僕に負けたと言うのなら、言い訳も立つのだから……!」


 ――交錯した。











 第二教導院はクーリス市の郊外にある。その庭先とでも言うべき運動場は広大であり、六教導院随一である。

 とは言え、六教導院のほぼ全員が集まり、そしてその大半が多重の円を作って踊っていれば、狭くも感じる。

 夜闇の中、屋外臨時舞踊会場は、にぎやかな祭りの場となっている。

 すり鉢のようにくぼんだ競技場の中心にはかがり火があり、観客席には僕のようにはぐれた者が座り、その外には屋台があり、さらにその外には林がある。

 混沌としていながら、住み分けのなされた、ある種清冽な空間がここにあった。

 つい二時間ほど前まで飛んでいた空には星。かがり火から昇っていく火の粉が、星のように輝いて消えていく。


≪回れ、回れー! 倒れたヤツは踏め、屍を乗り越えろォー!≫


 賑やかに回る円陣。騒ぎは止まる様子もなく、円陣らしく円環していく。

 そして僕はと言えば、空戦中の高揚からは既に抜け出して、ゆったりと紅茶を飲んでいる。


「……野蛮だなぁ」


 特に、円の中心、かがり火の前に立つお立ち台で拡声器を握る馬鹿(エイミー)が野蛮だ。

 終わりがけとは言え、確かに今は夏だ。だが、あんなに汗だくになっている。普段から少ししゃがれた声も枯れかけてさらに酷くなっているし、……早い話が馬鹿。


「楽しそうでいいと思うのであります、アルベルト」

「楽しさは免罪符にならないよ、マリア。もっとも、僕の父親のように仕事人間になってしまってはお終いだが」


 隣を見ると、マリアがいる。

 マリア・パイロット――東南国の血を引くためか、闇に沈む黒髪と、夜に霞む褐色の肌を持つ少女だ。

 その眉は今僅かにひそめられ、黒い目には非難の色が浮かんでいる。


「お父様をそんな風に悪く言うのは……」

「分かっているよ、マリア。父はきちんと仕事をしている。だから恨みを買い、決闘になるわけだ。僕らが行なうそれとは違う、名誉のみならず、利益までもが乗った決闘に」


 僕とは雲泥の差だ、と、わずかに苦笑する。勝手に父親の伝手を使って己の機体(エアムド三世号)を手に入れ、そして決闘王などと呼ばれる僕とは。

 紅茶を注ぎなおそうと、横手の魔法瓶を手に取る。はぁ、とため息を吐きながら、マリアが首を振るのが見えた。長い黒髪が、下草にすれてわずかな音を立てる。


「アルベルト。反省してるように見えて、まったくしないのは、直したほうがいいと思うのであります」

「ああ、分かったよマリア。全力で努力しよう。なるようにしかならないが」

「そう。そういう部分を直すべきなのであります。私の目には、反省の色が全く見えないのであります」

「分かった、善処しよう。……ああ、今日も紅茶が美味しいね」

「私にも注いで欲しいのでありま――ではなく」


 じゃあ何だと言うのか、などと雑談をしていたら、――背後に殺気が来た。


「…………!」


 紅茶を手に持った状態で、しかも座り、意識は弛緩していた。

 心静かに、決断をする。

 ……諦めよう。

 思うと同時、後頭部に衝撃が来た。


「ぐぉっ」


 飛ぶコップ。こぼれる紅茶。吹っ飛ぶ僕。ついでに、反動が予想以上に少なかったために着地姿勢が取れない馬鹿。

 僕の回転は一度で止まったが、馬鹿は観客席だった土手をごろごろと転がって、下まで落ちていく。

 まったく、いつの間に背後に回ったのか。これが決闘中だったなら、僕は死んでいたかもしれない。


「あ、アルベルト!?」

「問題ないよ、マリア。ただ、コップは替えなくてはならないし、馬鹿には十六倍返しをしてやらねばならないが」

「それは流石にひどい倍率設定だと思うのでありますが」

「マリア。君も一年間エイミーと過ごしたなら分かるだろう。――馬鹿は死んでも直らん」

「誰が馬鹿だっ、アルベルト・エアムド!」


 元気な馬鹿が登って来たので、無視してマリアに講釈を垂れる。


「マリア。この言葉にもあるように、世の中には決して覆せぬもの――真実がある。それは例えば師匠の技術であったり、神であったり、君の淹れた紅茶は冷めても美味いということであったり、だ」


 後頭部の髪をつかまれ引っ張られたが、何が何でも無視する。


「いいか? そのうちの一つに、エイミーはかわいそうな頭の――ぐおお」


 背後から、頭を前後に激しく振られた。

 仕方がないので、エイミーの腕を押さえながら、依頼の声を出す。


「エイミー。放してくれたまえ」

「おーまーえーはー。さっきあたしの馬鹿が直らないとか言ってたけど、お前の傲慢さもきっと一生直らないと賭けてやんよっ!」

「傲慢か。僕は誰より謙虚だよ。何故なら、僕は僕が傲慢だと知っているからな」

「なお悪いわぁっ!」


 マリアはと見れば、曖昧な表情を浮かべている。

 エイミーと付き合っていれば、誰でもこんな表情になる。

 可哀想に、と頷いて、髪を放すようエイミーに視線を送る。


「用件は何だ? エイミー」

「いや、今日の空中戦の件だ」


 頭を挟んでいた手が移動し、頭頂で組まれ、そしてあごが乗る。

 仮に知り合いでもない者が行なったなら決闘ものだが、マリアやエイミーなら問題はあまりない。若干頭が痛くなり、すこしうざったいだけだ。


「どうかしたのか」

「いや、最後ちょっと苦戦しただろ?」


 む、と思う。

 結局、あの弾幕を無傷で抜けるのは不可能だった。

 致命弾と判定されるような弾丸は避けきり、マクブリッジ機の片翼を青に染め上げたわけだが、相打ちかどうか、と地上に降りてから判定があった。

 優勝はしたし、当然だと納得もしたが、それでも、勝った、と何の躊躇もなく言えるような結果ではなかった。


「そこで、あんな弾幕くらいラクショーで避けれる感じの、あたしが設計した実験機の、試乗員(テストパイロット)に――」

「断る」


 だが、それとこれとは話が別だ。


「エイミー。君の設計した機体は、僕にとってはあまりに先進的だ。僕は馬鹿だから、飛行機に衝角(ラム)を付けようとする天才思想は理解できないな」

「衝角じゃない、穿孔角(ドリル)だ! 男の浪漫だろう!? ってか自分を貶めてまで皮肉るか!?」

「色々無視して言うが、僕は『エアムド三世』を気に入っている。変な機体に乗れと言われても、困る」

「それでもだな、エアムド三世が作られてからもう五年だ。ランデル国との戦争も終わって、技術提携で機関や空力特性についての研究は日進月歩なんだ。性能向上のために、休み期間中、ウチの工房に入れて大改装を――」

「エイミー」


 と、そこでマリアの声が入る。

 その目は、彼女の父親と同じく、誇りに燃えている。


「戦闘は、性能のみで行うものではないのであります。今日も見たでありましょう、シェパーレン氏の落ち様を」


 見たけど、と、エイミーは口を尖らせる。


「エイミー。そういうことだよ。僕は、君のお父さんが開発設計してくれたエアムド三世号が好きだ。あと十年ほど修行するか、……せめて奇抜な発想を盛り込まない機ならば、試乗員も勤めよう」

「つまらないだろうが!」


 言った。

 ついに本音が出た。

 彼女の傲慢さも中々のものだと思う。


「――エイミー。そこに直れ。十六倍返しだ、いつもの十六倍の密度で人の道について説いてやろう」

「短剣抜きながら言う台詞じゃないだろ馬鹿!」

「ははは大丈夫だよエイミー。僕が、逃げようとしたら首根っこをつかんで眉毛を全剃りするような人間に見えるか?」

「あたしには逃げようとしたら首根っこをつかんで眉毛どころか『勢い余ってしまったなぁははは』とか言って顔の毛全てを全剃りするような人間にしか見えないなぁ!」

「安心するがいいさ、エイミー。逃げないのなら、いつもの二倍の時間に僕とマリアでさらに倍、祭りの中で説教ということで倍、内容的にいつもの倍で許してやる」


 うぎゃあ、と悲鳴を上げて逃げかけるエイミーの首根っこをつかみ、


「今夜は寝かせないぞ、マリア」

「わかったのであります、アルベルト。今年度最後でありますし、たっぷりと言い聞かせるのであります」


 見えたマリアの顔には、穏やかな、今を楽しむ笑みがある。

 僕は友人に恵まれた、と。思いながら、更けていく夜を惜しんだ。







/







―3―

(場所、不明)


 ……暗い。

 闇の中だ。

 あるのは静かな蝋燭の明かりのみであり、わだかまる闇を押しのけるにはあまりに弱い。


「……『XF-4405-2』――『神誓(テスタメント)号』の進捗状況を報告いたします」


 枯れた声が、闇を裂いた。

「現在、最高速は音速の一.五倍程度――航行距離も、専用増槽の開発により大きく向上しています。搭乗者も、操作感覚に殆ど問題はない、と」


「…………」

「要求性能は――達成しました」


 続く言葉に、影が、わずかに動く。


「後は、『太陽』の完成次第――か」

「は。『太陽』さえ完成すれば、この計画は行動段階に入ります」

「……急がせるように言おう。もうすぐ小公女級艦『常若大地』が就航する」


 ――落とさねばならない、と彼は言う。我らが王のために、と。


「……御意に」


 枯れた声の主が、踵を返す。

 その背中に、影からの声が刺さる。


「性能をさらに引き上げろ、凶鳥(まがどり)の産み手よ。三号機――『神判(ジャッジメント)号』のために」






/






―4―

スナイル国、クルースク社クーリス分工房


 ……結局。あの説教が今年度最後の説教などではなかった。


「エイミー。僕は君の父親に、エアムド三世号について聞きたいと言われたから、来たつもりだったんだが」

「大丈夫大丈夫、ホラさっき聞かれただろ、『エアムド三世号の調子はどうか』って」

「ああ、その言葉の前に『やあアルベルト君、久しぶりだな』とついていなければ、僕もこうして疑問を確信には変えなかったかもしれないな」

「細かいこと気にするなよアルベルトォ!」

「君が大雑把すぎるんだ、エイミー・クルースク!」


 軽めの説教を一発カマしつつ、周囲を見回す。

 八月下旬――学年の狭間である秋休みの前半だ。仕事の方も年度末と言うことであまり入っていないのか、人の姿があまり見えない。

 クルースク社は、北東国に本社を置く、優秀な基礎設計をすることで知られる老舗の航空機メーカーだ。

 先代――エイミーの父親、アレクサンドル・クルースク――からこのスナイル国に進出を果たし、つい先年、軍制式採用機の座を射止めている。

 僕の機、エアムド三世号はこのクルースク社の製造で、採算を度外視した単一生産機オーダーワンオフモデルの専用機となっている。

 本来ならエイミーはスナイル国ではなく北東国の学校に籍を置く筈だが、母親が亡くなったため、スナイル国で営業に励んでいたアレクサンドル氏に呼びつけられている。


「……とにかく、人を虚偽の用事で呼び出すんじゃない。僕はマリアじゃない、工房に呼びつけられても、未熟な搭乗者としてしか意見を言うことはできないんだ。分かったか、エイミー?」

「ううう……マリアがいないから静止役が……」

「分かったか、と聞いたぞ、エイミー・クルースク」

「分かった分かった、分かりましたよぅ、アルベルト……」


 ならばよし、と。肩を落とし落ち込み始めたエイミーを背に、塗装が終わっていなかったり、骨組み状態だったりと、総じて作りかけである機の間を縫って、マリアを探す。


「マリア。マリアー。どこにいるーっ」

「あ、アルベルト様ー! こっちです!」


 ……マリアの返事はないが、男性の呼びかけは聞こえてきた。

 それとほぼ同時に、マリアの、静かな、しかし地獄の底から聞こえてくるような、ほの暗い声がした。


「それでこの液冷式機関はどの程度の出力が――」

「答えなくていいぞ、作業員君! クルースク社にも機密はあるだろう!」


 走り出しながら口を挟んだが、マリアは意に介さず、言葉を続けていく。


「私の見立てでは、空力的に考えて出力は落ちても速度は前以上のものと――」

「うわ、当てられましたよアルベルト様!」

「だから答えるな!」


 ……まったく、いい友人に恵まれたものだ。

 機を避けて進み、呼びかけの場所を覗き込むと、作業員風の男――三十路に入るか入らないか、といった年頃で、東国風の顔立ちをしている――と、なにやらこわい笑みを貼り付けたマリアの姿が見えた。

 マリアは機構部がむき出しの機にかぶりつくような姿勢であり、その後ろに作業員風の男が立っている。


「マリア。飛行機狂いは大概にするんだ」

「アルベルト、これは、エアムド三世号によく似て……いえ、エアムド三世号を量産用に……? 削られていそうな機能もありますが、エアムド三世号に勝る部分も存在しているのであります」


 特に扱いやすさとか急降下性能とか、と、マリアは言葉を続けていく。

 ……飛行機を前にすると、マリアはこうなる。

 ため息を吐き、作業員風の男と視線を交わす。


「……悪いが、機密に触れぬ範囲で、彼女の好きにさせてやってくれないだろうか」

「かまいませんよ。パイロット氏の娘なら、私たちにとってはエイミーお嬢様よりも立場は上だ」

「すまない」


 作業員風の男はわずかに笑って、機体へと向き直り、


「『MFBkru-45』となる筈の機体です。恐らく、エアムド四世号が作られるのならば、この機体を基にするものかと」

大量生産(マスプロダクト)でランクBでありますか……やはり、液冷式だからでありましょうか?」

「今の機関は空冷式が主だからな……」


 そう言えば、年度末祭で空戦をしたシャクジャク・シェパーレンの機体は、液冷式の試作として作られた、とマリアに聞いた気がする。

 だが、それ以外に液冷式機関の機体はほとんど見たことがない。


「空冷式は、効率よく空気を取り込むために機関を円状に配置しなければならないのですが、液冷式にすることで、機関を胴体に細く収めることができるようになるんです。とは言っても、機構が複雑化したり、機体重量が増えたりして、空冷とどちらが良いかはいまだ研究を待つところですが……これが量産されるのは、空戦の力関係を崩すような出来事になるかもしれません。……まあ、まだ試作段階なので、本当にBランクが付くかどうか分かりませんし、『MFBkru』の後に付く数字も分かりませんが」


 そう言って、彼は笑う。


「いつの日か、この機を超え、エアムド三世号すら超え、音速の世界へと日常のように足を踏み入れる機が登場するのでしょうね……」

「……少なくとも、今はないさ。つい先年、やっと音速突破が観測されたばかりだ」

「ええ、機体強度の問題もありますが、回転翼では限界があるのです。回転速度が上がりすぎると、効率が極端に減衰します。それをどうにかして打破しようと、我々も研究し、そしてその一端を――」


 と。

 彼の言葉が、急に止まった。

 原因は僕の背後。視線は、僕の頭一つ先を行く。


「アルベルト君」

「その声は――」


 野太く、それでいて知的な声だ。

 僕はこの声を知っている。無線機の雑音(ノイズ)混じりによく聞いた声だ。

 振り向き、褐色の肌と禿頭、高い背を持つその男に、親愛の意を込めた声を出す。


「師匠……!」

「半年振りである、アルベルト君。そして我が娘」


 ……マリアは、排気管が機種側から横一直線に並んだ機関を見て、うっとりとした顔をしたままだ。

 師匠――ムハマド・パイロット氏は、その額に手を当て首を振り、


「……アルベルト君。後で、娘を連れて私の部屋に来てくれないであろうか。それまでに、茶を用意しておくのである。迷いやすいから、気をつけるように」

「分かりました」


 師匠はため息を吐き、工房の奥、事務所へと歩いていく。

 全く、マリアもエイミーも、どうにかなってほしいところ、だった。


「……しかし、それ以外の方法、か」

「はい、申し訳ありません、そこは、さすがに、企業秘密で……」

「いいさ。そこまで聞こうとは思わないし、僕は、エアムド三世号がいい。腕で覆せぬ性能差などはないさ」


 ――少なくとも今はまだ、と、脳裏で呟き、僕はマリアの肩に手をかける。


「マリア。エイミーのところに戻ろう」

「もう少しだけ待つのであります、アルベルト! 質問し終わるまでとは言わないのであります、せめてあと一日……!」

 梃子でも動きそうにない。


 苦笑を浮かべながら言うのは、代理謝罪の一言だ。


「迷惑をかけたね、君。マリアは昔からこうなんだ」

 いえ、と作業員風の男は苦笑する。

 その笑みは、過去の苦労を思い浮かべてなのか、首根っこを掴まれて不服そうな顔をするマリアを見たからなのか。どちらだったのかは、判断しないことにした。



 ムハマド・パイロット氏は、十数年前のスナイル国とランデル国の戦争の時代、活躍した軍人だ。

 その戦闘軌道は鷹のように鋭く、彼専用に徹底改造が加えられた機は、戦時中ただ一度しか被弾しなかったと言う。

 その一度。僕の父親によって被弾させられたその一度で彼はスナイル国の捕虜になり、後に帰化した。

 彼は元味方の国に対して多大な戦果を上げ、女教陛下から『汝こそわが国を守護する機士である』と、操縦者、と言う意味の名を与えられている。

 そして今は、僕の父親に申し込まれた決闘を代理で受ける代理決闘士として暮らし、父が資本主(スポンサー)をつとめるこのクルースク社に出向している。

 僕の飛行技術の師であり、マリアの父であり、エイミーの憧れであり、そして我が国スナイルの英雄である。

 彼に師事したことは、僕にとっては一生の誇りだ。


「アルベルト」


 と、誇らしい気分になっていたら、穏やかな声が現実へと僕を引き戻した。


「なんだ、マリア」

「父上の部屋を通り過ぎてしまったようなのでありますが」


 む、と思うと同時、頬に熱が来る。

 確かに、周囲を見回せば、少々奥の方まで来てしまったようだった。窓から外を見ても、暗くなりつつある曇り空と、どこか不吉な風に揺れる草原しか見えず、方角の頼りにはなりそうもない。

 ごく冷静に頷き、踵を返す。


「そうか。ならば戻ろう」

「そうするのが自然なのであります、アルベルト。――私も、航空機に関しては見境がなくなる欠点を持っているのでありますが」


 と、マリアは深々とため息を吐き、


「あなたは、父上を、いささか尊敬しすぎているきらいがあるようであります」

「マリアも、年度末の空戦では、僕が父に師事したから負けぬ、と言ったじゃないか」


 それも衆人の前で、と続けようとした瞬間に、即座の返答が来る。

 それは、厳然たる事実――のような口調で語られた、単なる親自慢だった。


「本当のことだからであります」


 お互いに笑みを浮かべながら、気安い会話を続けていく。

 教導院では、マリアの肌色や性格関連で陰口を言う愚か者がいるが、

 ……その点、エイミーは馬鹿だが愚かではないよな。

 会話の切れ目で頷いた瞬間、どこか言いにくそうな雰囲気をかもし出しながら、しかしはっきりとした口調でマリアが言う。


「――ところで」

「なんだ、マリア」

「……私たちは、いったいどこに進んでいるのでありますか」

「……君の父上の部屋だが」

「戻った、のでありましたよね? 私は、どうしても、先ほどとは違う道を歩んでいるようにしか――」


 ……周囲を見回す。

 窓から見える景色は、やはり、見覚えのないものだった。


「……困ったな」


 エイミーに反省を促しすぎるべきではなかったな、と思う。初めて来る場所なのだから、案内は必要だった。

 だが、ここまで複雑な構造だと、この建物――工房事務所自体にに文句を言いたくなってくるところだ。


「しらみつぶしに歩こう。さっき通り過ぎたのなら、きっとまた見つかるだろう」


 頷きを送ってくるマリアだが、その目は少々冷たい。


「アルベルト。自信がないことも、自信ありげに言うのは、いつか己の身を滅ぼすことになると思うのであります」

「……善処しよう」



 喉が少し渇くぐらいに歩き回ると、大体の構造を理解できた。


「つまり、入り口が少なくとも五つあって、左右対称の箇所もあり、非対称の箇所もあり」

「工房の二階にも繋がっていて、しかも通路によっては地下に潜るようなものもあり」

「その反対側にも似たような建物があって、そこも同じように複雑な構造で」

「そして今、こうして探検を続けているわけでありますか」

「ああ、そのとおりだマリア。……しかし、物事は正直に言うべきだと思う」

「まだ迷っているわけでありますか……」


 ああ、と頷いて、周囲を改めて見渡した。

 窓の外は既に夕闇の中に落ち、この廊下には人通りがない。

 これは先ほどから考えていた最終手段を取るべきだろうか。


「マリア。ここで待っていてくれないか」

「どうしたのでありますか」

「窓から出て工房に行く。エイミーはいなくとも、誰かに頼めば案内くらいはしてくれるだろう」

「……私もついていくのであります」

「ん? ……窓から降りるのは、ちょっとはしたないぞ」

「こちらの棟は、……いえ。なんでもないのであります」


 はっきり、すっぱりと物事を言うマリアにしては、おかしな物言いだった。


「どうしたマリア。君らしくない言い方だ」

「常の私はそうあるよう振舞っているつもりでありますが、しかし、失言というものは私にも存在するのであります」


 今度は、どこか意固地な言い方になる。


「分かった。一緒に行こう」


 マリアは頷き、窓を開く。

 夏の風が来る。その終わりを感じさせる、冷えた風が、だ。


「……そろそろ涼しいが、マリア。師匠のところに行けばきっと、お茶を――」


 ――と。窓の外から、人の声が来た。


「それ――――約――速度――」

「――だ、――が――となった――しかし――――」

「いや、それ――――なので、――である」

「確かに。――――ではな――か?」


 師匠と、少ししゃがれた誰かの声。――これは、アレクサンドル氏の声だろうか。

 そしてその声音は潜められている。内緒話の類、だ。


「む」


 しゃがみこんで、口の前に指を立て、静かに、とマリアに合図を送る。

 マリアは無言でしゃがみこみ、


「?」


 と、首を傾げてきた。

 僕は肩をすくめ、分からない、と意を送る。

 そうこうするうちに、足音が近づいてくる。それと同時に聞こえたのは、断ずるような師匠の言葉だ。


「――結論から言えば、『神誓(テスタメント)』ならば『妖精(フェアリー)』を落とし得るのである」

「ふむ。『妖精』を落とせるのならば、当然、国境を抜ける事も可能だろうな。『太陽』を叩き込むには十分だろう」


 神誓号。妖精。太陽。

 何のことなのか、と思うと同時、足音が最接近する。

 息を極限まで緩くし、気配を消す。


「いや、『神判(ジャッジメント)』は判断しかねるのである。現状で言うならば、『神誓(テスタメント)』とは機体重量の差があり、『神判(ジャッジメント)』の方がむしろ有利なのであるが……」

「爆装するとなると、お前でも分からない、と?」

「うむ。あれは予定では一トン半程度になるそうであるが、……いくら出力が増大したとは言え、それだけの質量を抱えるとなるとまともに戦闘などできないであろう。よほど腕に差があるか、それとも、予知能力でも備えるかせねばならぬ」

「やはりか」


 うむ、と頷く穏やかな声。

 アレクサンドル氏はため息を吐き、


「まあ、分かりきっていた事ではある。改めて確認できた、それで良しだ」


 オーケー、と、アレクサンドル氏は言う。


「それじゃあ、今日は最終テストだ。しっかりやってくれよ、守護騎士殿」

「……その名は使わないでいただきたいのである」

「いい加減慣れろよ、英雄よ……」


 はは、と笑い声が遠ざかる。

 足音が聞こえなくなるのを待ってから、僕はマリアに問いかけた。


「どう思う? マリア」


 彼女は、ん、と少し考え込み、慎重な意見を言う。


「……判断材料がいささか少ないのであります。憶測に過ぎないことは、口にするべきではないのであります」

「そうだな。僕もそう思う」


 判断自体は保留。――だが、保留であることこそ、何よりの答えでもある。


「マリア」

「分かっております、アルベルト。ここでは何も聞かなかった、と」


 頷き、開け放してあった窓から外へ出る。

 二人が歩き去っていった方向には、草原と飛行場しかない。

 とにかくどちらかに行けば何かあるだろうが、師匠たちが行った方向へ向かうのは良くない。


「……やはり、ここは、不吉であります」


 と、背後から、マリアの呟きが聞こえた。

 空を見上げれば、風に散らされた雲がある。赤黒く染まった雲が、だ。


「まるで」


 まるで――と、思う。(ほむら)のようだ、と。






/






―5―

スナイル国工業都市エナリア


 そうして、二週間が経過した。

 既に新年度に入り、もうすぐ教導院が再開する――の、だが。


「……ぬ」


 背後からの衝撃でバランスを崩しかけたが、右足で踏み込んで耐えた。

 その衝撃元は、背嚢にぶつかった肩だ。

 人が多い。

 荷物を多数抱えた身では、避けるのは不可能だ。

 振り返った二人が、それぞれの声を出す。


「大丈夫でありますか、アルベルト」

「おいおい転ぶなよ。割れ物も入ってんだからな」

「無論だ。課された役目は果たそう」


 肩がギシギシと鳴る。天頂に達するにはまだ早い太陽だが、それでも僕は汗だくだった。

 背嚢には、遥か北の果て、赤道を越えた国から伝来した壷が入っており、その中にもさまざまなガラクタ(としか僕には形容できない)が収まっている。


「だが、僕にはこの土産の趣味は理解できないんだが……」

「クーリス工房の社員の趣味に合わせた土産選択だ。押しかけてきたんだから文句は言わせないぞ」

「それについては納得済みだ。僕はただ、理解できない、と言っている」


 この街、エナリアはスナイル国における南部最大の城塞工業都市だ。

 人口こそ首都クーリスに譲るものの、こと動く金額となれば話は別。王家による認可を受けた、国内最大手の航空機製造企業『ブロックマン社』の存在もあり、ここ三十年の発達は目覚しいものがある。

 当然その発達に城壁が追いつけるはずはない。僕らが歩いているのは城壁の一番外側、歪な形に発展した市外のさらに外、非公式ながら黙認される定期市の会場だ。


「……あ。アルベルト、上を」


 僅かに陽がかげる。

 原因は、航空機、その後部から出る色煙(スモーク)だ。僕らの頭上、ちょうど太陽光を遮る位置に、煙の軌跡が残っている。


「いい腕だな」


 航空サーカスだろうか。若干旧式の機体が、何かの図形を描いている。


「……ん?」


 全て旧式か、と思ったが、一機、特異な姿があった。胴体が他の機体の倍近く大きい機体だ。


「小型飛空艇か……?」


 流線型で形作られた、エイのような見知らぬ機体だ。

 貨物系の飛空艇ではないな、と。そう判断したところで、マリアが何かを呟いた。


「……あの図形は、ハミンスキー・サーカスでありましょうか……」


 マリアは東国風の名を呟く。その名はどこかで聞いた気がするが、よく思い出せない。


「マリア? なんだその、ハミなんたらサーカスって」

「エイミー、あなたの出身地である東国者中心に作られたサーカス団であります。十数年前の戦争において手柄を立てた傭兵部隊が軍からの恩賞を元手に起こしたもので、一糸乱れぬ連携と正確無比の機動が特徴であります。おそらく明日の就航式の前座を務めるのでありましょう。スナイル国の空軍に、あれほど見事な腕前の部隊は存在しないのであります」


 ……エイミーの迂闊な質問には、静かに、しかし心の底からわきあがる歓喜に酔うマリアの声が返る。


「特に団長のハミンスキー氏は十数年前の戦争において三十四機を撃墜した凄腕でありますが、彼ら――」


 と、さらに続く声を、エイミーが遮った。


「き、今日のところは帰ろうマリア! ホラ、お前も今言ったろ明日は大事な日だってさ!」

「……そうでありますが、しかし……」

「僕もこの大荷物を置きたい。午後も何かあるだろうし、何より、祭りの当日に疲れて動けないだなんて、無様に過ぎると思わないか?」


 む、と、マリアは眉をひそめ、僅かな逡巡の後頷いた。


「よし帰ろうなら帰ろう今すぐ帰ろうッ!」


 その肩をエイミーが掴む。半ば引きずるように行く足取りは早く、大荷物を背負った状態では幾分厳しい。だが、僕はこの町に不案内だ。一人で宿まで戻る自信はない――と、言うのに。


「エイミー! 待て、エイミー!」


 二人はどんどん遠ざかっていく。曲がり角を三つも曲がる頃には、二人の姿は見えなくなっていた。

 人ごみでごった返す道は、エイミーとマリアを見つけ出すことを諦めさせるには十分だった。


「……参ったな」


 一人になると、壷の重みが肩に来た。

 ため息を吐いて空を見上げると、既に図形は風で崩れ、太陽がその姿を見せている。


 ●


 九月一日――新年度初日。

 春休みも半ばとなり、あと十日ほどで教導院が再開する時期だ。

 学生寮の自室から見える景色も、春を感じさせるものに変化している。ぬるんできた川と、つぼみを開こうとしている木々。徐々に軽くなっていく道行く人々の装いと、徐々に強くなりつつある太陽――それら全てが、外の日々を象徴するかのようだ。

 僕は窓際に肘をついて、朗らかな陽気を浴びる。


「……春か……」


 珍しいくらい穏やかな気分で、僕は紅茶を飲み下した。

 思うのは、新年度、また、それ以後のことだ。

 教導院の卒業資格には今年で足りるだろうが、まだ学びたいことは多い。もう一年在学するのも悪くないし、なにより卒業後どうするのかという問題もある。


「父の元で働きたくはないが……」


 決めた結論と言えば、感情八割での方針のみだ。マリアやエイミーはどうするのだろうか、とは思うが、


「……まあ、どうにかできるだろう」


 頷き、紅茶を飲み干した。

 世界はこんなにも晴れやかで、空はこんなにも青い。未来がどうなるかは知らないが、きっと、幸いへと向かっていくだろう。

 まだ魔法瓶に紅茶は残っていたかな、と。そう思い肘を上げた瞬間、視界の端、窓の外に人影が見えた。


「……む」


 その人影は走っていて、そして、どこかで見覚えのある姿をしていた。

 珍しいな、と思うのは二重。

 一つは、彼女がこの寮に来ること。もう一つは、彼女が走ること、だ。

 とにかく、こんな適当に淹れた紅茶では、彼女に失礼だろう。彼女ならばきっと、誰かが淹れてくれたというだけで感謝するのだろうが、


「だからと言って、適当に済ませたい相手ではないな」


 頷き、彼女から聞いた紅茶の淹れ方を思いだし、実行していく。


「時計はどこにあったかな……」


 蒸らしの時間を正確にするとより美味しい――少なくともマリアのそれは最適の時間と僕は思う――ので、懐中時計を、


「――アルベルト! アルベルト!」


 と、騒々しいノックの音。

 珍しいというならば、おそらくこれが最も珍しい。エイミーでもここまで激しく叩きはしない。

 何かあったのだろうか、と思いながら、時計探しを中断、扉を開く。

 そこにいるのは、息を切らしたマリアだ。

 今日の装いは、暖色のロングスカートに薄手のカーディガン、と、春の訪れを感じさせるものだ。

 浅黒い肌は、走ってきたためか、僅かに紅潮している。


「どうした、マリア? そんなに急いで」

「これを読んでいただきたいのであります、アルベルト!」

「これ――?」


 そう言って押し付けられたのは、クセの強い字で書かれた手紙だ。

 名は、エイミー・クルースクとある。

 疑念を抱きながらもその裏面を見れば、やはりクセの強い字で、よう、と、気安い挨拶の言葉がある。


『よう。マリア。元気かな? アルベルトの馬鹿は相変わらず馬鹿か? と言っても、つい二日前(これが届く頃には五日か六日くらい前になってるのかな)には会ってたんだけどさ。

 あたしは今、エナリアにいてさ、ホラ、『小公女』の妹艦になる『常若大地』の見物で。

 知ってるとは思うが、アレ、うちのライバル会社が作りやがったもんで、オヤジたちアレが気に食わないそうで、『見物してきていいかー』って言ったらヒデェ顔されたんだよな。写真機渡してきて、『アレが落ちる所撮ってこい』だってさ。

 まあ、テキトーに写真撮ってくるから、楽しみに待ってなよ、マニアさん?

 ――エイミー・クルースク』


 読み終えて、頷き一つ。


「……これがどうかしたのか? 僕には、ただ自慢を書き連ねた手紙にしか見えないが」

「どうもこうもないのでありますっ!!!!」


 一歩の踏み込みで、マリアは僕の胸元に入ってくる。

 その表情は本気の怒りで、恐ろしい、と素直に思ってしまうような迫力がある。


「エナリア市の宿は、私がこの情報を知った時点でほぼ満杯っ! 泣く泣く諦めた見物であったものを、エイミーが再度の機会をくれたのでありますっ!!! ならば! 行かねばなりませんっ!」

「わ、わかったマリア! だ、だが、どう行くんだ!? エナリアまでは、車を使ってもっ、」


 狼狽しながらの言葉は、胸倉を掴み前後に揺らすマリアのせいで続かない。


「アルベルトはもしかしてホントに馬鹿なのでありますか!? あなたにはっ! 翼がっ! あるでっ! ありましょうがぁあっっっ!!!」


 いかん、と思う。マリアのタガが完璧に外れてしまっている、と。僕の翼――エアムド三世号を出さねば、きっと――殺される。


「分かった! 分かったから落ち着け、マリア! エナリア市までは、僕が送りとどけようっ!」


 言質をとったマリアが飛び出そうとするのを、僕は準備のため遅らせ――


 ●


「……そして、今に至る、か……」


 夜間飛行と、その後の夜店めぐり、そして早朝からの市めぐりで、僕の疲労はピークに達していた。

 宿の部屋に押しかけられたエイミーも不幸だと思うが、どちらがより不幸かと問うならば、きっと僕に軍配が上がるだろう。

 きっと今のマリアは、体力が尽きても精神力だけで動き続けるのだろうな、と思う。


「ふぅ……」


 ため息を吐いて、路傍、積み上げられたレンガに腰を下ろ――


「お」

「ぬ」


 ツボによって極めて悪くなった背面視界――ツボが、誰かにぶつかったようだ。

 その声は、どうしてか、ここで聞くはずがない、としか言えぬ声だった。


「痛いだろう、君、何を……ん?」

「失礼をした。急ぐのでこれで」


 声を聴いた瞬間の脊髄反射。僕は一足で彼の間合いであるはずの距離から離れ、


「ああ、待てよ君。どうしてか、ここで会うのは素晴らしい偶然のような気がするのだが?」


 ……ようとしたが、ツボをしっかり掴まれ二歩目が踏み出せない。

 流石は元軍人、と思いながら、振り返らず返答する。


「いや、そんなことはない。あなたの気のせいだろう」

「そうか、そうか。ならばそれでいいんだ我が息子。大方ムハマド君の娘の足にされたんだろう?」

「僕はあなたの息子ではない。人違いだ」

「そうかそうか。――くだらん問答はいい、諦めろ我が息子。諦めが悪いのはいいが、私はお前より諦めが悪いぞ」


 舌打ちでもしたい気分だが、それはこの男の予想通りのことだ。……こう考えることすらこの男には見透かされているのだろうが、どちらでも同じなら僕は無様ではない方を選ぶ。


「……三年ぶりか、僕の父親」

「そうだな。お前が叩き落されて重傷を負ったとき以来か」

「相変わらず不愉快な人間だな僕の父親。……目的がないなら、ここで別れよう。お互い不愉快になることもないだろうに」

「そうだな。我が息子にしてはいいことを言う。……ところで我が息子、この町に来たのはいつだ?」

「深夜の、……一時頃だったが」

「そうか。ならばこの街を案内しろ、我が息子。私よりはこの街に慣れているだろう」

「大差ないぞ、僕の父親。何故なら僕は引っ張り回されていただけだからだ」

「そうか。ならば二人で迷うか。積もる話もある」

「僕はそんな不毛な話をする気はないぞ、僕の父親」

「少しは建設的な話だ。だから諦めろ我が息子」


 そう言って、僕の父親は僕の横に並ぶ。

 三年ぶりに視界に入った父親は、僕よりも僅かに背が低い。追い抜いたのだな、と、少しだけ達成感じみた感情が湧き上がる。

 首を向け、父親を直視する。父親は、三年前と変わらず自信に満ち溢れ、そして、三年前より僅かに老けていた。将来僕もこうなるのだろうか、と、僅かに未来を思ってから、口を開く。


「建設的な話、か。本当にそうであることを願うが――」


 言葉と同時、太陽を見上げる。

 その位置と時刻から大まかな方角を割り出し、父親に話しかける。


「僕の父親。話があるならそれでいい。しかし、僕は僕の宿へと帰らねばならない」

「回りくどいな我が息子。逃がさんよ、どの道、私は途方にくれている」


 ……途方にくれている、などと、そんな言葉をここまで自信満々に言う人間のことを、僕はこの男しか知らない。

 ツボの位置を直し、適当な方向に歩き出す。


「……ひとまず、大きな通りに出よう」


 妥当だな、と、一々偉そうな父親を置き去りにするように、大股の一歩を踏み出す。


「僕の父親。それで、話とは?」

「ああ。遺書についてだ」

「……なんだと?」


 早々に立ち止まりかけるが、父は構わず歩き出している。

 結果、僅かに僕が遅れる形、父を追う形となる。


「正確には、遺書の概要のようなものだが」

「……すまないが、もう一度言ってもらえないだろうか、僕の父親。僕の父親はそんなことは考えぬ倣岸不遜な人物であったように思うのだが」

「覚えておけ、我が息子。私ももうそんな年だ、と」

「……ますます不自然にしか思えないな。僕の父親が? 年齢を気にする? 悪い冗談だ。それを言うならあと二十年ほど後にしてくれ」

「……そうも言っていられんのでな。私にも色々ある。十年ほど前と同じくらいには、身辺が危険だ」

「それは僕も危険ということか?」

「そうだな。そうなる」

「……さすが僕の父親だな。傍若無人だ」


 ため息を吐くと同時に、大きな通りに入った。


「これは危険分散の手でもある。万が一私が死んでも、我が息子、お前が生きていれば会社は傾かん」


 その程度の社員教育はしてきた、と。彼はそう言って、懐から手紙を抜いた。

 おそらくそれが遺書なのだろう。封は赤い蝋と、父の経営する会社の印によるものだ。


「いいか、我が息子。お前は私に似ず捻くれた性格になったが――」

「どの口が言う、僕の父親。認めたくはないが、他に僕が似える人物はいない。――僕は、僕の父親の言動を見て育ったよ」

「……フン。話は最後まで聞け、我が息子、アルベルト・エアムド」

「ああ、聞こう、我が父、ヤンステン・エアムド」

「……私に似ず、捻くれた性格にはなったし、口答えもする大馬鹿者ではあるが」


 ――決して、妻の生を汚す愚か者には育たなかった、と。そう言って、僕の父親は遺書を僕に押し付けた。


「さて、宿まで案内をしろ、我が息子。なるべく早く、だ」

「……分かったよ、僕の父親」

 ため息を吐き、僕たちは歩んでいく。







/







―6―

スナイル国工業都市エナリア郊外、空港


「アルベルト、今は何時でありましょうか」


 マリアは双眼鏡を覗き込んだまま言ってくる。


「八時四十分といったところだよ、マリア。……二、三分おきに聞くのはやめてくれないか。この懐中時計の精度はそう高くないし、君なら双眼鏡がなくとも工廠が見えるだろう?」


 僕らがいるのは、エナリアの東にある空港だ。元は畑だったというここは、エナリアよりも少し高い位置にある。台のように盛り上がった平らな土地だ。

 祭りの中心は街にある。外れにあるこの空港は、穴場といえる場所だった。

 昨日で人ごみに懲りた僕は、代わりにここを提案した。マリアは街、直下で見たいと言ったのだが、さすがに悪いと思っているのか、それとも街中での光景は写真でも見られると思ったのか、予想よりは楽に説得ができた。

 人は、地元の人間がちらほらといる程度。資産家たちの個人所有だろうか、飛行艇が発着準備を始めているが、風光明媚で、腰を落ち着けて見るにはちょうどいい場所と言える。

 僕らがいるのは台地の端だ。崖と言えるほどの傾斜ではなく、しかし歩き降りるには急な斜面の下にはエナリアの街が。その向こうには湖があり、その中央には人工の浮島がある。

 人工の浮島は鋼。紫の式幕で覆われたそこでは今、『常若大地(ネバーランド)』の着艦式が行われているはずだ。慶事であり、僕らがこの街に来た目的であるそれが。

 ――『常若大地(ネバーランド)』。

 小公女級とされているが、その実、とても同型艦とは呼べぬものだ、と聞く。


「エイミーが言うには、大火力ではあるが、艦自体はほぼ非武装……か」


 矛盾しているが、エイミーもこれ以上のことを語らなかった。もったいぶっていたのか、それとも本当に知らなかったのか。

 ため息を吐いて、僕は空を見上げる。

 晴天だ。


「……まだでありましょうか」

「九時に浮上とある以上、まだ工廠での出港式の最中だろう。君はもう少し落ち着くべきだ、マリア」

「私は落ち着いているのであります」


 マリアの自称を笑って聞き流し、僕も双眼鏡を取り出す。

 見るのは、湖ではなく都市の上空だ。

 そこでは、祭りの一環として、航空サーカス団が飛び回っているのが見える。

 ぱ、と時折空に響くのは、花火の音だろうか。街は遠く、眼下にある。


「……それにしても、エイミーはまだ戻らないのでありましょうか……」

「そうだな。忘れ物をした、と言っていたが……」


 エナリアの街門から空港に至る道までを双眼鏡で覗く。流し見る限りではエイミーの姿を発見することはできなかったが、まだもう少し暇な時間がある。


「まあ、エイミーのことだ。祭に参加しているのかもしれないな」

「確かに。きっと、お土産も抱えきれないくらい持ってくるのであります」

「そうだな。あれで気配りを忘れないのがエイミーだ」


 気配りと言うよりは、エイミーの気性、気質によるものだろうか。彼女は、楽しい時は他人も楽しむべき、と思っている節がある。

 好ましいよな、と思っていたら、風が来た。

 原因は背後、滑走路を走る航空機。昨日見た、ハミンスキー・サーカスの大型機だ。

 機体が重いのだろう。速度は既にかなり出ているが、十分な揚力はまだ得られていないようだ。


「……何かを積み込んでいるようだが……」


 と、機体が浮き上がった。重さを感じさせる鈍重さで、ゆっくりと上昇していく。

 あんな機体でサーカス機動は不可能だ。となれば、昨日のように宣伝の役でも担うのか――と考えたところで、大型機はエナリアとは反対の方角へと方向を転換する。

 あの機体は宣伝のための借用機だったのだろうか。どちらにせよ、去っていくなら何かあるか、何かあったかしたのだろう。

 頷き、視点を街へと戻す――と、マリアが静かな声を出した。


「……アルベルト。私は、あなたに感謝しているのであります」

「突然どうした、マリア」


 マリアは双眼鏡に目をつけたままだ。僕の疑問に答えるように、彼女は言葉を続けていく。


「言えることは言えるうちに言っておくべきであります。……申し訳なかったのであります、アルベルト」

「気にすることはないよ、マリア。確かにひどい目にあってはいるが、エイミーよりはずっとマシだ」

「……エイミーは今関係ないのであります」


 どこか憮然とした声でマリアは言い、双眼鏡から目を外す。


「紅茶と軽食を用意しておりますが、どうでありますか、アルベルト」

「紅茶だけ貰おう」

「了解であります。欲しくなったらいつでも言ってほしいのであります」

「分かった」


 マリアは頷き、バスケットから魔法瓶を取り出した。……が、視線は湖の方にあり、手元が危なっかしい。


「マリア。工廠は僕が見ているから、手元に集中したほうがいい」

「……了解であります」


 苦笑を浮かべ、僕は双眼鏡を覗き込む。

 街の中央を走る道路では、パレードが行われている。しかしそこに一番人がいるかといえばそうでもなく、街の外周部分の方に人が集まっているように見える。


「……外周部の方が、出店の登録費が安い、とのことだったか……」


 紅茶を受け取り、まだ熱いそれを一口。

 一息付いた所で、空港へと走る車が見えた。


「あの車は――」

「……エイミーが乗っているのであります。運転席の男性は、確か彼女の父の部下だったと記憶しているのであります」

「そうか」


 時計を見る。時刻は、八時五十分を回ろうとしている。


「……やれやれ。間に合うかな、エイミーは」

「間に合うといいのでありますが……」


 言外にあるのは、間に合わないだろうな、という予想だ。空港、滑走路内は車での移動を禁じられている。合流まではもうしばらくかかるだろう。

 ……と。風に乗って、わずかにラッパの音が届く。

 同時、マリアが声を上げた。


「アルベルト! 工廠が……!」


 見れば、工廠の天井が開いていく。ずれて落ちるようにゆっくりと、しかし確実に、その空間は開いていく。


「…………!」


 双眼鏡を目に当てる。

 陽光が、工廠の切れ目から入る。光を反射するのは、平らな天板だ。


「いよいよか……!」


 マリアが頷く気配がする。……静かにした方がいいかもしれない。これからのマリアは、邪魔をされた瞬間修羅になるだろう。

 口をつぐみ、勿体をつけるかのように天井を開いていく工廠を凝視する。

 花火の音が大きくなる。少しだけ視線をずらしてエナリアの上空を見れば、浮上を知らせるためだろうか、多数の大型機が幕を引いて飛んでいる。


「……おお、おお、おおおおっ、すごい、すごいっ、格好いいであります……!」


 マリアの興奮は盛り上がる一方だ。恐らく声が漏れていることも気づいていない。

 だが、今は僕も大差ない。マリアに引きずられるように、心臓の鼓動が高鳴っていく。

 工廠の天井が満開に。

 僅かに突き出た可動回転翼が上向き、上昇のため起動、回転する。

 工廠の式幕が激しくはためき、湖面が漣を起こし、次第に大波へと変わる。

 巨大な回転翼は、巨大な船体を意外なほどの速度で持ち上げていく。

 ――浮上する。漆黒の姿を、陽光の下へと露にしていく。


「あれが、『常若大地(ネバーランド)』か……!」


 思わず感嘆の声が出る。

 八つの可動回転翼と四つの固定回転翼、平らな天板を持つ、鋼の飛行船だ。

 完全に工廠から抜け出た艦は、エナリアの上空へと、ゆっくりと飛んでいく。

 船体が巻き込む風の勢いが、ここまで来るかのようだ。

 エイミーが語るとおり、砲塔らしきものはほとんどない。僅かに見える対空機銃も、防衛用のそれだ。

 大火力艦の代名詞たる『小公女』級の名には相応しくないのでは、と思った瞬間、天板の端、艦首側から煙が揺らめいた。

 なんだ、と思った瞬間には、その疑問が氷解する。

 黒い影が二つ同時、平行に天板を駆け、飛び立った。


射出機(カタパルト)であります、アルベルト!」

「ああ、そうらしいな!」


 『常若大地』は、どうやら空を進む空港とでも呼ぶべきものらしい。

 なるほど、大火力ではあるが、艦自体はほぼ非武装、だ。

 冷静な分析はそこで途絶える。

 非常に幼稚に、そして素直に感想を言えば、――格好いい。そう、これは、師匠や父が航空戦を初めて僕に見せてくれた時と同じだ。

 子供のようにはしゃぎたくなってくる。恋心のような胸の高鳴りは、きっとマリアも同じだろう。


「あ、次がっ!」


 ば、と、飛び立つ機体がまた二機。


「凄い、凄い! グレート! ブラボー! ハラショーっ!」

「確かに! ああくそ、本物だ、確かに『小公女』級! 認めざるを得ない!」


 と、ばしゃり、と水音。同時に、マリアの悲鳴。


「あ、っ、つ!」

「マリア!?」


 横を見ると、双眼鏡を放り出し、スカートをばさばさとするマリアが見えた。

 僕もズボンに僅かな熱さを感じた。どうやら僕が置いた紅茶を、マリアが零してしまったらしい。失敗した、と思うが、今はこの事態の収拾が必要だ。


「わ、わ、あつっ、あつっ、タオル、タオルっ」

「大丈夫か!? ――バスケットか!?」


 わたわたと慌てるマリアを軽く押しのけ、バスケットを手に。中を開けば、紅茶の魔法瓶と、サンドイッチか何かを包んだ袋、それに、数枚のタオルがあった。


「マリア、タオルだ」


 スカートを広げるように持ちながら涙目になっているマリアに、タオルを渡す。


「あ、ありがとうであります、アルベルト、……あ。できれば向こうを向くか、『常若大地』でも――」


 と、渡すその瞬間、影が僕らの頭上を横切った。

 低空だ。一瞬遅れて風が来て、マリアが片手で広げていたスカートが翻った。


「あ」

「お」


 気まずい沈黙が来る前に、僕はマリアの双肩に手を置き、口を開く。


「マリア。大丈夫だ。安心したまえ。何も心配することはないし、全く問題はない」

「……ひぅ」


 涙目の勢いに乗ってか、マリアの目じりに涙がたまっていく。

 そして、馬鹿はこんなところにやってくるものだ。


「……しましまだったか? 私はよく見えなかったけど」


 横、空港側を見ると、エイミーの姿があった。

 その手には黒光りする写真機がある。あれが忘れ物だったのか、それ以外に荷物はない。

 ……横の視線が痛い。


「見たのでありますか、アルベルト」

「マリア。マリア・パイロット。いいか、よく聞け。――故意ではない」

「……見たのでありますか。アルベルト」

「だからな、マリア。その、……すまない」

「いいじゃんマリア、減らないぞ?」

「私の怒りの臨界点までの距離が減ったでありますっ!」

「いいじゃないかお前ら、小さいころ一緒に海とか行ったって聞いたぞ?」

「それとこれとは話が別でありますっ!」

「一緒じゃないか?」

「エイミーは繊細さというものがなさすぎるのでありますっ!」

「そりゃあ、ウチ工房でホント男一家だったからなぁ」


 ……とりあえず僕からは矛先が外れたようなので、空を見上げる。

 風の原因は、先ほどの大型機だったようだ。

 はた迷惑な、と思、


「……何?」


 その、大型機の、外板が外れた。同時に、後部から火が吹き出す。


「む」


 事故か、と思った瞬間、エイミーやマリアの困惑した声が聞こえてきた。


「何がっ……!?」

「いや、待て! ……なぜ後部から火が!?」


 あの大型機の機関は、両翼に二つづつ、四基。

 なぜ、中央、貨物部分からあれほどの火が出るのか。そして、火の勢いが激しすぎる。

 あれは、そう。爆発や火災ではなく、例えば火炎放射器のような何か。


「……ま、まさか……そんな!?」


 エイミーが叫ぶ中、大型機が完全に断裂し、――そして、光が飛び抜けた。

 白雲が空に境界線を作る。

 この距離だから追える速度。速い、と素直に驚嘆する。

 飛行機雲の先端にあるのは、銀色だ。銀色の機体が、火を吐きながら飛んでいる。

 ……そして僕は、この段に至って、ようやく直感し理解する。

 あれが大型であった理由や、火を噴いていた理由を。


「あれは……火を吐いて飛ぶのか!」


 この進空式の演出なのか、と暢気な可能性を感じる部分がある。

 だが違う。

 あの機動は、戦闘のためのものだ。

 そして――


「……あ、アル、ベルト」

「ああ」


 頷き、ズボンのポケットに手を入れる。そこにあるのは、エアムド三世号の鍵だ。

 この空港に降り立ち、そして保管もこの空港。弱装弾ではあるが、弾丸も搭載してある。


「どうやら、デモンストレーションなどではないらしい」


 確認。そして次に行うのは疾走の開始だ。


「エイミー、空港に滑走路使用許可を! 僕はエアムド三世号の発進準備をする!」

「分かった、許可が事後になって怒られる覚悟くらいしとけよ!」

「勿論だっ!」

「アルベルト!?」

「大丈夫だマリア! 僕は君の父に鍛えられた、問題ない!」


 今日は進空式。恐らく『常若大地』の艦載機は武器弾薬をほとんど積み込んでいないだろう。

 最寄の軍基地はどこだったかは覚えていないが、恐らく間に合う距離にはない。


「ならば、僕が出るしかあるまいよ……!」


 それに、マリアが航空機を見たときのような、エイミーがマイクを握った時のような――僕にもそんな時がある。

 ――そう。我が翼、エアムド三世号と共にある時だ。


 ●


 空がある。

 身がある。

 翼がある。

 行ける。

 行く。

 目的のために、一直線に。

 行けるところまで。


 ●


 飛び上がって思う。機関の調子が良くないな、と。

 長距離飛行のせいだろうか。普段ならば対処できるが、


「……あの機体相手には、少し苦しいだろうか」


 地上と空、その距離を隔てていたからこそ、先ほどは眼で追えた。だが、実際戦闘を行うとなればどうか。

 と、通信機に反応があった。


≪アルベルト!≫

「なんだ、エイミー!」


 叫びつつ、機関の出力を最大に。

 ――視線の先。『常若大地』のある空で、赤い華が咲く。

 撃墜の焔だ。


≪……っ、気をつけろよ!≫

「ああ!」


 加速。高度の利をとっている暇はない。一直線に、戦闘空域へと入る。

 通信を全帯域に開き、叫ぶ。


「『常若大地』! 味方する!」


 それだけを叫んで、更に加速を追加する。

 叫んだ矢先に、またも焔が咲いた。

 弾薬を搭載していないのだろう。体当たりを仕掛け、そして回避され、撃ち落された。

 無様。滑稽とすら言える姿だ。

 だが、


「許さん」


 左の裏拳。

 |亜酸化窒素噴射式加速機構ナイトラス・オキサイド・システムが発動する。

 超過駆動(フルドライブ)

 加速による加重が全身を背もたれに押し付ける。

 元々使用後は入念な整備を必要とする機構だ。

 何分持ってくれるか。あの銀色の機体を倒すまで、持ってくれるのか。


「愚問だ」


 確かに、速度こそ劣る。この加速機構を用いても、速度は遠く及ばない。だが、空戦とはそれだけでは決まらない。

 銀色の機体の操者も中々の腕前のようだが、この僕とこの機体には及ぶまい。

 感情と理性が一致する。

 落としにいく、と。

 銀の機体の鼻先がこちらを向いた。

 全帯域に開いたのは、あの機体への宣戦布告もかねていたからだ。


≪――――≫


 ……と。

 通信機から、何かが聞こえた。


≪……退け≫

「退くものか!」


 加速は既に最高潮。

 銀の機体とエアムド三世号は一瞬で交錯を終え、


「な、」


 に、と間抜けな声が出る。

 右翼が貫かれている。


「く!」


 揚力が失われる。

 自動的とでも言うべき動きで機体を制御しながら、目は銀の機体を探している。

 飛行機雲は交錯の後、天へと向かっている。

 大きな宙返りの軌道だ。

 反射の動きで回避運動を。

 機体を傾け地面と垂直にし、ひねるように落下する。

 先ほどまで機体が存在した箇所を、銀の機体が通過する。

 もはや声も出ない。

 回避運動。

 しかし左の翼を打ち抜かれた。

 揚力のバランスが左右のマイナスによって安定する。

 ぬ、と、一言思う。

 強い、と。

 しかしそれ以上に、そしてそれ故に、思うものがある。

 通信機に手を伸ばし、波長を変えた。

 その波長とは、


「――師匠!」

≪――……≫


 息遣いが来る。

 それは聞き覚えのあるものだ。


「師匠だろう! 僕以上のその機動は!」


 無言は肯定に近い。

 高速の軌跡を目で追いながら、叫びを続行する。


「師匠! 何故こんな真似をする!」

≪……退くがいい≫


 雑音交じりのそれに、叫びを返す。


「答えろ、師匠! ――師匠!」


 返って来るのは息遣いと、


「っくぁあああっ!」


 攻撃。

 機関横、外板を銃弾で剥がされながらも、僕はのたうつような機動で銀の機体へと追いすがる。


「答えねば、」


 不安がある。

 僕らしくもない。

 打ち払うように、僕は更なる叫びを送る。


「答えねば、貴方を落とす!」

≪…………≫


 返事は返ってこない。

 しかしそれは何より雄弁な決別の言葉だ。

 飛燕の如き機動が、僕とエアムド三世号を襲うが、師匠のクセは分かっている。

 ならばかわせる。かわして見せる。

 そして、


「貴方には、全てを答えてもらう……!!」


 機関が異音を立てる。

 翼が軋む。

 冷静な部分が、勝てぬ、と嘆いた。

 だがそれを全ておき去るように、僕は行く。

 正対した。


「行くぞ、――行くぞ、師匠! ムハマド・パイロット……!」

≪来い、――来い、我が弟子、アルベルト・エアムド……!≫


 再度の交錯もまた一瞬。

 背後、はっきりと小爆発の音が聞こえたが、しかし、


「く、ぉおおおッ……!」


 機関が炎上する。

 翼の外板がはがれ、制御を失う。

 最早飛べない。

 ただ落ちるだけだ。

 銀の機体は、更に速度を追加し、『常若大地』へと向かっていく。







/






―7―

スナイル国首都クーリス、第二教導院宿舎


 ……ノックの音が聞こえた。落ち着いた、静かな音が、だ。


「アルベルト。マリアであります」

「…………」

「……アルベルト。入ってもよろしいでありましょうか」

「…………ああ」


 入ってきたマリアは、静かな足取りで入ってくる。


「エイミーは、今日来れないとのことでありました」

「……そうか……」


 深くため息を吐く……。


「……新聞を買ってきたのであります、アルベルト。あの事件について、載っているものを」


 手渡されたそれを読む。

 そこに踊るのは、事故の文字だ。


「設計の失敗、――か」


 そういうことにされた。

 『常若大地』は、ただ単機に落とされたというのに。

 骨折した左腕を吊る包帯の座りが悪かったので、わずかに左腕を持ち上げ下ろす。

 補正されたそれに僅かな満足感を得ながら、来るマリアの言葉を聴く。


「おそらく後の世には、本当に事故として落ちたことになるのでありましょう。根回しなども済んでいるようだ、とエイミーが」

「……そうか」

「これで、クルースク社製の航空機が若干有利になった、と、そういうべきでありましょうか」


 マリアに視線を送る。

 沈んでいる、と思う。


「……マリア。君の父と、君は無関係だ。だから、そう落ち込むことはない」

「……そうで、ありましょうか」


 どうして、と思う。

 どうして僕は、彼女を慰めているのだろうか、と。

 キツい、という自覚がある。

 なのに、他人に関わっている。

 彼女も、僕に関わってくれている。

 有り難いと思うし、ありがたいと思う。

 と、静かなノックが来た。

 エイミーではない。

 あいつは、病人や弱った人物に容赦するような馬鹿ではない。

 だから別人だ、と、そう思う。


「どうぞ」


 故に許可を送る。

 扉を開いて現れたのは、この宿舎の管理人だ。


「エアムド君、お友達から電話が――」

「分かりました。―ーすまないがマリア、少し待っていてくれ」


 エイミーが何か馬鹿でもやったのか、それともこれからするのか。

 どちらにしろ、有り難いと思うし、ありがたいと思った。


 ●


 玄関口にある電話。それに、耳を付けた。

 予測に従い、エイミー用の言葉を送る。


「電話代わったぞ、アルベルト・エアムドだ。崇めろ」

≪アルベルト!≫


 来た声はエイミーのもので、それは叫びとも呼べる声量だった。

 調子の悪い僕には、少し、響く。


「……どうしたんだ、エイミー。エイミー・クルースク」


 背後で扉の開く気配がした。

 が、振り返る余裕は無い。

 言葉と、その裏で、激しい感情の揺れ動きがあった。


≪ああ、お前、くそ、いいかお前、マリアを連れてウチの、工房――ああ、ああ、くそ、くそぉっ!! どうすりゃいいんだよ、くそぉおおおおッ!!≫

「エイミー? どうした? ……泣いて、いるのか?」


 声には震えがあり、そして吐息が荒い。

 くそ、くそ、と言う声は、なにかすがるものを探すような心細さだ。

 エイミーが泣いている。

 扉を開き来た人物が、管理人の案内により上階に上っていくのを知覚しつつ、思う。

 危険――それに近い予感が、背筋を上ってきているな、と。


「エイミー。エイミー・クルースク。落ち着け。――何があった?」

≪おっ、おまえ、くそ、聞けよ、聞いてないのかよ!! 知れよ!≫

「無茶を言うな。何だ? 何があった?」


 固い唾液を飲み込む。

 決定的な一言が来る予感があった。

 そして、その予感は外れなかった。

 言葉が来る。


≪――親父が! お前の親父も! マリアの親父も! みんな、みんな――≫


 ……上階で、悲鳴が聞こえた。

 マリアの悲鳴だった。


≪皆、死んじまったって、よぅ……!!!≫


 愕然とする僕の背後.駆け出して行くマリアの気配があった。


「――マリア!」

≪追え、――追えよ、アルベルト! 逃がすな! そして捕まえろ!≫


 返事を言う間も惜しい。

 走り出す。

 だが、その速度は、


「く……!」


 飛行と比べれば、なんと遅い。

 飛び出した外では、雨が降りだしていた。


「――待て、マリア!」


 空は明るい。通り雨のようなもので、道には、突然の雨に追われる人々がいる。


「邪魔だ!」


 押しのけ、直線で追っていく。

 と、


「ぐっ!?」


 左から来た男にぶつかった。

 左腕を吊っているために、押しのけが遅れたのだ。

 その間に、マリアは走り去る。


「待て、マリア!」


 叫びすら追いつかない。


「マリア……!」


 マリアは、全てから逃げ去っていく。






/






 ……ざあざあと雨が降っている。

 深夜だ。

 通り雨かと思った雨は、風を呼び雲を生み、大雨と呼ぶべきそれになっている。

 と、正面に人影。

 走り回り弱った足腰は、それを避けようとして、バランスを崩した。

 人影はそんな僕を抱きとめ、支えてくれた。


「くっ、お、おい、大丈夫か!?」

「……すまない。迷惑をかけた。急ぐので失礼する」


 突き飛ばすように人影を押しのけると、それだけで僕の膝は笑う。

 疾走できるほどの体力はないと、事実として理解する。それを歯がゆく思いながら、僕は僕は倒れこむように歩みを再開する。


「おい、アルベルトっ! しっかりしろ、どうした!? あたしがわかんないのか!?」

「すまないが、人を探して――エイミー?」 

「そうだよ、エイミーだ! どうしたんだよお前、ぼろぼろじゃないか……!」

「エイミー、身なりなど気にする場合か今は」

「違う、お前、鏡見ろよ! 死にそうだぞ!? ギブスも砕いて……!」


 煩わしい。

 素直にそう思ったので、口にした。


「……黙れ、エイミー」


 その一言で、ぶち、と血管が切れる音が聞こえた。


「誰が黙るかっ!」


 胸倉をつかまれ、長らく麻痺していた左腕が痛んだ。

 ぐ、と息が詰まる。


「いいか!? 今のお前は意地ゼロ気合ゼロ根性ゼロ! みっともなさだけ最高値だ! だからあたしの言うことを聞いて休め馬鹿!」

「――黙れ!」


 その手を打ち払い、叫び返した。


「その口を閉じろ、エイミー・クルースクッ!!! 閉じねば、僕は貴様を邪魔者と認識する!」


 叫び返しには、更に強い言葉が来た。


「テ・メ・エ・が・閉・じ・ろっ!! いいか、アルベルト! アルベルト・エアムド!」


 その名呼びは僕のお家芸だ、と思う。

 だが、それに叫び返す息と意気が胸に残っていなかった。

 消耗している、と、そう思う。


「あたしはっ! あたしは、あたしは、だ! マリアが好きだっ! だけど、お前も好きなんだよ! だから、そんな、そんな、」


 エイミーの口調が、尻すぼみになる。

 続く言葉は、最早雨にかき消されそうなほどに小さい。


「そんな、ぼろぼろに、ならないでくれよ……」


 ……見れば、エイミーの靴は片方なかった。

 石畳のこの町において、裸足でいることは辛い。

 僕ですら、靴は脱げれば取りに戻っていた。


「……エイミー」


 雨で冷えている身と、冷えて行く脳を自覚する。


「……分かったよ、エイミー、エイミー・クルースク」


 一息を吐き、


「話してくれないか。父上や、師匠、君の父の、死を」


 ●


 馬鹿はホットミルクを一息で飲み下して舌を火傷した。

 説教をしようとして、僅かに自分の調子が戻ってきている事に気づく。

 有り難く、ありがたい。

 実感しながら、僕はホットミルクをいれ直して、座る。

 自室だ。

 僕の普段の空気がある。

 だから、僕も普段の僕に近づいていく。


「……親父、な」


 舌の火傷から復帰したのか、エイミーが話し出す。


「お前が、マリアの親父と戦ったって聞いて、親父の動向なんかにも注意して、……いつか証拠掴んでブチ殺してやるって思ってたんだ」


 でも、


「親父たちが一緒にどこかに出かけるってんで、追ってたら、……夕方、連絡あったんだ。爆発が工房であって、それで、三人とも、巻き込まれて死んだって」


 そして、


「別口で、マリアに使いが行って、……こうなったんだろうな」


 そうか、と僕は言う。


「……マリアを探そう」

「ああ」

「探して、見つけて、……そしたら、」


 言って、エイミーはホットミルクを飲み下し、


「……どあちゃぁ――! もうちょい冷ませ馬鹿!」

「一気に飲んだお前が馬鹿だ。――さてエイミー、僕はもう寝るが、どうする」

「あ? あたしも寝るよ」

「どこでだ。ちなみにベッドは僕が使うし、他に寝床はないが」

「お前が床に寝ろよ、レディーファーストだ」

「どの口が言うんだ猿。僕は怪我人だぞ?」

「あたしも今ハートに深い傷負ってるなぁ」

「僕もだ馬鹿者。……まあいい。ソファーがあるからな。僕はそちらで寝よう」


 正直、今晩のエイミーは有り難く、ありがたい。

 そのくらいの恩義は、返すべきだと思った。

 着替える元気はなかったので、上着を脱ぎ捨て、毛布をベッドから奪ってソファーに寝転がる。

 灯を、エイミーが消した。


「おやすみ、アルベルト」

「ああ、おやすみだ、エイミー、エイミー・クルースク」


 目を閉じる。

 来るのは、マリアの後姿と、


「……父、か」


 腹立たしいことに、さまざまな悪意への復讐も出来ぬまま、彼は死んだ。

 悲しみよりも、怒りが先に立つ。

 腹立たしい。

 勝手に死んで、僕に超えられぬまま死んで、謎を残したまま死んで、……苛立たしい。

 もう一度死ね、と思う。

 でなければ生き返り、僕の前に現れ、そして死ね、と。

 泣きはしない。

 だが、心が軋んだ。

 実感はまだないが、それでも、軋んだ。


「――く」


 息を吐く。

 父は、おそらく、『常若大地』に関わっていたのだろう。

 それはエイミーの父や師匠も同じで、だから、きっと、殺されたのだろう。

 明日エイミーに詳しく聞こうと思いながら、僕は身に入った力を緩めていく。

 家族ではなかった、と思う。特に、母が死んでからは。

 だが、それでも、軋むような、痛みが来た。


「……アルベルト」

「……なんだ」


 半分眠っているような声が来た。

 エイミーも走り回っている。

 暗闇に慣れた目で彼女を見れば、はみ出た足には包帯がある。

 治療跡、だ。


「マリア、見つけたらさ……あたし、きちんと、泣いていいかな」

「……ああ」


 その声は震えている。

 父との関係は良好だったのだろうな、と思う。

 目標であり、指針であり、向かっていくべきものだったのだろうな、と。


「その時は……おまえの胸、借りるけど、いいかな」

「……ああ」


 その返答を境に、エイミーの息が緩くなる。

 眠ったのだろうか。


「……僕も眠ろう」


 エアムド三世号はない。

 僕の翼は失われた。

 だが、それでも、僕には両の足がある。

 頼りなくはあるが。

 それでも、僕を支えるものがある。

 ならば、彼女を探すことだってできる。

 思い、息を穏やかにしていく。

 疲れがあった。

 明日、最大効率を得るために、……僕は、眠った。







/








 まだ太陽も上らぬ街を行く。

 教導院にも行かずに何をやっているのかと思う反面、こうしなければ僕の生活はなりたたない、と思う。

 僕の生活は、有り難く、ありがたい人たちによって支えられている。

 代わりなど、見つかるはずがない。

 その間、エイミーから聞いた話を、早足で歩きながら頭でまとめていく。

 ……僕が落ちた後。

 銀の機体は、その腹に格納していた爆弾を、速度に乗せて『常若大地』に投下。

 通常爆弾であったものの、機関に直撃したそれは大規模火災を巻き起こし、そして『常若大地』は墜落して四散。

 大打撃。

 そして、クルースク氏、そして恐らく父上は権益を得、……暗殺された。そういうことだろう。

 だが、経緯などどうでもいい。

 重要なのは結果。

 今だ。

 マリアがいない。その今だ。

 エイミーから聞いた情報によれば、父上たちが死んだ工房の地下には、何かを作っていた跡があり、


「……二機分の場所があった、か」


 そして銀の機体は、その工房内で破壊されているのが確認された。

 エイミーは、暫定工房長として父の仕事の引継ぎを行いながら、部下を使って町全体に捜索の範囲を広げてくれている。

 何かが続いている、という感触が有る。

 それは父や師匠が死んでも続く何かだ。

 あるいは、続く、どころではなく、もっと大きな何かが。


「…………」


 マリアは、師匠の、ムハマド・パイロットの娘だ。

 何もなければいい、と思う。

 続く道に、僕らは無関係であるのだから、と。

 が、


「――エアムド君!」


 叫びが、背後から追ってきた。

 男だ。

 見覚えがあった。

 確か、マリアとともに飛行機を見たときの整備員だ。

 一礼する。


「ああ、見つかってよかった……」


 彼は、は、と息を吐き、そして言う。


「お嬢様が、――工房長が、お呼びです……!」


 ●


「アルベルト、……マリア、見つかったかもしれない」


 第一声が、それだった。

 エイミーには疲れが有る。

 引継ぎのあいさつ回りのためだろう、整えられた身なりは、しかし疲労で崩れている。

 父の遺したものを潰したくないのだろうな、と思う。


「親父のノート見てたら、色々記述あってな。見つけたよ」


 そう言って渡されるのは、彼女の直筆メモだ。

 だが、


「――読めん」

「読め」


 命令されたので、仕方なく判読を試みる。

 崩れた筆記体だ。

 エイミーのクセや、疲労から来る震えで非常に読みにくい。


「『え、え、エミイーモメひるま――』」

「貸せ」


 妙に不機嫌に奪取された。

 そして彼女はすらすらと読み始める。


「『エイミーメモ(マル秘)

 1、親父たちについて。

  陰謀バカスカやってた臭い。

  正直腹立つ』」

「メモに何を書いているんだ馬鹿者」

「うっせぇ黙れ。

『2、親父たちについて(2)。

  クーデター狙いくさい。そりゃ殺される。

 3、飛行機について。

  名は『神誓(テスタメント)号』。

  そして、『神判(ジャッジメント)号』。

  親父たちの秘密兵器。ヤバいブツを搭載する予定だったが、ギリギリ間に合わず大威力爆弾で代用したらしい。』」


 分かるか、と、エイミーは問うて来た。


「機体はもう一機あり、ヤバいブツと機体はなく、そしてパイロットもいない」

「分かるさ。いない、は、いなかった、となっているのだろうな」

「ああ。そして、――ことは成されるんだ」


 なに、と思う。

 そして突き出されたのは電報で、


「――センセン フコク……」


 宣戦布告を、ランデルへ、スナイルが向けている。

 その日付は今日であり、あと数時間の後に迫るものだ。


「情報は分かってる。だったら、あたしたちはそれを阻止しに、――マリアを止めに行かなきゃならない」


 呼ばれたわけとはそれだ。

 だが、


「……僕に、もう翼はないよ、エイミー。エイミー・クルースク」


 ああそうだな、と彼女は言う。

 そして、だから、と言葉を続けた。


「だから、あたしが翼を与えるよ、アルベルト」


 昔のように、と、懐かしいことを彼女は言う。


「まさか、……あるのか」


 翼が。

 エアムド三世号をも超える、君の翼が。


「いや、違うな、アルベルト。アルベルト・エアムド」


 どういうことだ、と疑問を作った表情に対する返事は、歩き出しだ。


「付いてこいよ、アルベルト。――アルベルト・エアムド!」


 ●


 ――そこには、蒼銀の機体があった。


「これは……なんだ……?」


 それは、今までの機体とは何もかもが異なっていた。

 その中でも目に付く点は三つだ。

 一つ。回転翼がなく、先端が先鋭化している。

 二つ。翼が尖り、後ろに傾いている。

 三つ。垂直尾翼まで機体が至っても細くならず、筒を突き出させている。

 その異質さは、あの『神誓号』に似る。

 理解できない、と、それ以外に僕はこの機体を評することはできないが、しかし、機体全てが、速度のために捧げられていることだけは理解できる。

 これは、翼だ。

 翼が、ここにある。


「この機なら、『神判号』にだって対抗できるはずだ。……さあ、急げよ、アルベルト!」


 背後から、けしかけるような声が来る。

 彼女は僕を追い抜き、操縦席(コックピット)に梯子をかける。

 その背が、どうしてか、とても物悲しいものに見えた。


「――エイミー」

「……いいか。あたしがこれを造ったのは、アルベルト、お前に、あたしの造った機にずっと乗って貰うためだ。だから、」

「分かっている」


 僕はただ一言、鋳造者たる彼女に、礼を送る。


「エイミー。エイミー・クルースク。この礼は、彼女との帰還で果たす」

「――そう、か」


 彼女はくるりと振り返る。その顔には、笑みがある。見たこともない、静かな笑みが。


「加速装置の配置が少し違うが、その他、操縦方法自体は、基本的にエアムド三世号とほぼ一緒だ」


 飛んでるうちに慣れろ、と彼女は言う。


「乱暴だな」


 素直な感想には、諧謔じみた声が返ってきた。いつものエイミーに限りなく近い、しかし、常と同じではない声音で、だ。


「あたしは馬鹿で野蛮で乱暴なんだぞ? 知らなかったのか?」


 それはきっと、僕を送り出すための励ましだ。

 ならば僕も常どおりであらねばならない。……そう。いつものように、間違えていることは正さねばならないだろう。


「――いや。君は野蛮で乱暴だったが、馬鹿ではなかった」

「なに?」

「それに、君は僕の生活を支える確かな一員であり、愉快な友人だった。君といると楽しかったよ、エイミー・クルースク」

「……ナニ過去形で語ってんだ? そういうトコ、嫌味であたしはだいっ嫌いだったぞ、アルベルト」


 その声は、どこか寂しげな笑いに乗る。

 梯子を昇って操縦席に入る。

 一見したところでは、エアムド三世号と配置(レイアウト)は変わらない。

 探知機が増設され、計器も若干増えているだろうか。

 そして顔を上げて気づいたのは、視界の変化だ。


「……広い?」


 機関が後ろに回されたためか、前方に死角が少ない。

 そして、まだ開いたままの風防には鏡がある。背後と斜め下を見るためのものだろうか。

 座席の形状にも少し違和感がある。僕の体格に合うよう特注したのか、座りやすい。

 また、操縦桿も動きが軽い。油がさしてあるのではなく、おそらく操縦の補助としてより軽い力で動かせるような機構があるのだろう。

 ひとまずの居住性・操作性には是非も無し。

 は、と息を吐き、開いていく倉庫の扉を見る。

 眩しい、と思ったのも一瞬だ。

 始動。

 機関に火が入り、振動が背から伝わってくる。

 回転翼が見えないのには若干の違和感があるが、背から来る力には寒気すら覚える。

 車輪の制動装置(ブレーキ)を外せば動き出すような状態だ。


「――アルベルト!」


 高くなりゆく爆音を抜く言葉と同時に投げ込まれたのは、飛行帽とジャケット、それに、


「……マフラー?」


 真っ白な地のそれは、端に何か縫いこまれた図柄がある。

 それは、


「――フ」


 外へと笑みだけを見せ、制動装置を解除。

 なんだその笑い方、と、サルのように怒る野蛮なエイミーを無視して、風防を閉じる。

 有り難く、ありがたい友人に感謝を。

 向くのは前だ。


「……待っていろ、マリア」


 機関を本格始動。

 操縦桿を傾けるなどをして、各部の動作を確認。

 倉庫から、機体が出る。

 光がある。

 外は既に、払暁を迎えている。


「――アルベルト・エアムド、――出る!」



「……飛べてるか? アルベルト」


 ――そうして、彼女は空を見上げた。

 空を駆けていくのは、蒼銀の機体だ。

 彼女の右手には、それと繋がる、黒く無骨な無線機がある。


≪ああ、快適だ。若干機動が重いが、――悪くない。君も真面目にこんな風に造ってくれていれば、僕も試乗員(テストパイロット)を断りもしなかったというのにな≫


 無線から来るのは、雑音(ノイズ)交じりの声だ。エイミーは、こちらの声も雑音交じりなんだろうな、と思いながら、演技過剰な安堵の声を出す。


「ああ、なら良かった」


 双方、声には笑みが乗る。

 頷きとともに、エイミーは言葉を続けていく。


「アルベルト。座席の左側にあるレバーを引くと、車輪が仕舞える。その下にあるボタンを押すと、翼下追加砲塔(ガンポッド)が外れるから、撃ち尽くしたら外しちまえ。他、詳しいこととかは、座席右側にメモを用意したから、後で読めよ」

≪分かった≫

「それと、そいつの加速装置。メモ読みゃ分かるが言っとくぞ。始動は右裏拳だ。機体構造的に、そこにしか付けれなくてな」

≪右だな? ……これか≫

「ああ。今押すなよ、ただでさえそいつの機関壊れやすそーな上に燃料消費激しいんだから」

≪壊れやす――そう、だと?≫

「そう、壊れやすそう。機関は、『神誓号』のをかっぱらって来たやつだから、あまり精度良くなさそうなんだよなぁ」

≪まったく、君は……無事飛んだからいいものの、もしかしたら僕は爆死していたかもしれないわけか≫

「もし機体が爆発したら、背裏に落下傘(パラシュート)あるからそれ使えな? 予備も座席下にある」


 エイミーは思う。そろそろ雑音多くなってきたな、と。


「ところでアルベルト。そいつに名を与えてくれないか」

≪付けていなかったのか≫

「考えるヒマなかったんだよな。エアムド四世、と名づけるには基本構造が違いすぎたしな」


 そもそも、とエイミーは思う。アレは親父の機体の名だ、と。

 感傷が胸を締め付けるが、それを無線機は拾わない。それを、エイミーは僅かに感謝する。


≪そうか。そうだな――≫


 そう言って、彼は僅かに逡巡する。


「こういう時は、フ、と浮かんだのが一番いいんだよ、アルベルト。……っても、一つしかないか」

≪ああ、確かに≫


 アルベルトは、どこか納得するように言う。


≪――『聖母(マリア)号』≫


 よく分かってるじゃないか、と、エイミーは思う。聖母号は、マリアのための翼だ、と。


「……アルベルト」


 呼びかけの返事は、僅かに途切れて伝わってきた。


≪な――だ、エイミー≫


 これ以上無理して話すこともないか、と。伝わったかどうか悩むのは己の色ではない、と、エイミーは思う。

 故に、これから言うのは真実伝えたい一言だ。


「絶対、マリア連れ戻してこいよ。白黒つけなくちゃいけないんだからな」

≪? 何――、勝負でも――≫

「秘密だよ。幸運を(グッドラック)、アルベルト」


 その言葉を最後に、エイミーは無線機の電源を落とした。

 ――目線の先。昇る曙光を、飛行機雲(ヴェイパートレイル)が貫いて行く。 

 見上げるエイミーの目尻には、光るものがある。

 行っちまうんだな、と彼女は思う。もしもあたしがマリアの立場でも、お前は来るだろうか、と。


「……まあ、お前もきっちり馬鹿だし、来るんだろうなぁ」


 はは、と彼女は笑う。大きく身体を曲げ、涙を風に飛ばしながら、叫ぶように、だ。


「――行けよ!」


 顔を上げる。その顔には、晴れ晴れとした強さがある。

 強さは叫びとなり、大気へと叩き込まれていく。

 それは、届くはずのない言葉だ。

 しかし、必ず届くと彼女は信仰する。何故なら、彼は己の翼に抱かれているのだから、と。


「行けよ、我が翼の担い手、アルベルト・エアムド! 行って、彼女を連れ戻してこい――!」






/






――The last flight.


 太陽が、静かにその角度を上げていく。

 ……暁、と、そう呼べる時間でありますか。

 早朝。朝焼けが見え、そろそろ目標側も起き出す時間だ。

 急がねば、と思うが、邪魔も見えず、あるのは無人の一路。突破できる、と、マリアは現状を理解した。

 だが、――フ、と、彼女は振り返る。

 右後方の彼方より感じたのは悪寒。見える先は雲ばかりであり、父から受け継いだ鷹の眼でさえも、その先までは見通せない。

 だが、肌で感じる。彼が止めに来る、と。

 『神判号』には、『神誓号』ほどの速度はない。それは、腹に一つの爆弾を抱えるが故だ。

 『太陽』の名で呼ばれた新型の爆弾――この機は、それを抱えるために大型化し、高速化した。

 だが、と思う。

 ……このままでは危ういのであります。

 危険な予感が、行動を警戒へと向かわせる。

 故に燃料計を確認。頭に叩き込んだ地図や、この機の性能から概算するに――


「――片道分には、十分であります」


 頷いて、追加燃料槽を脱落させる。

 残っていた燃料分機体が軽くなり、速度がさらに上昇する。

 高速だ。『神誓号』が失われた現段階では最高、故に追いつける機は存在しない――と言うのに。悪寒は一切遠ざかることはない。

 それどころか、


「近づいて来ているのでありますか……?」


 位置は国境直前、山脈に至る高原だ。

 この国において、空を航空機が駆けるのは珍しいことではない。その上、軍基地が遠く、そもそも通信手段があるとも思えない場所だ。妨害は在りえない。

 戦場とするには、申し分のない場所――と、マリアはそう結論する。

 だが、と彼女は思考する。

 彼女が目的を達成するためには、彼女自身が彼を堕とさねばならない。

 ……私は、彼を落とせるのでありましょうか。

 覚悟が足りない。

 だが、彼は来る。

 マリア・パイロットを止めに、アルベルト・エアムドは来る。


 ●


 雲を抜ける。

 探知機が、二時の方向に『神判号』を感知する。

 近い――が、予想より遠い。


「――まだ速度が上がるか!」


 こちらの機関も出力は全開だ。それでいて速度が上がるのだから、何かがある。

 だが、その何かを考えることはしない。単純に速度が上がったのなら、それはそれだけで結果だ。

 ただ僕は、目的を果たすために行く。

 無線機のスイッチを入れ、


「――――」


 しかし、かける言葉を持たないことに今更気づく。

 止めるためには、僕は、この手と翼を用いるしかない。


「……マリア、」


 呼びかけに言葉が続かない。


「マリア……!」


 軋む声だけが、電波に乗る。


 ●


「っ…………!」


 無線からの声は、何よりも甘い誘惑だ。

 しかし遠い。

 そして、


「……無理であります、アルベルト」


 機体にはもう乗ってしまった。もう後には戻れず、そして、


「……私は、この機体に誓ったのであります」


 誰に誓った? 己に誓った。神判(ジャッジメント)――審判と断罪を下すと、誓約したのだ。

 この瞬間にも、復讐の翼は進む。進んでいく。大気を貫徹し止まらない。

 故に行なえるのは、無線での呼びかけのみだ。


「――アルベルト。」


 ●


≪――アルベルト・エアムドでありますか≫


 無線の声は、僅かに雑音混じりだ。

 遠い。だが、その姿は目視できる。

 一瞬の逡巡。しかし僕は、無言の肯定を選ばない。


「そうだ。アルベルト・エアムドだ」


 ●


≪――マリア。君を止めに来た≫


 無線の雑音が少なくなって来ている。

 背後を確認すると、己の機体にも似た姿が見えて来ている。


「そうでありますか」


 息を吸い込み、


「しかし私も、ここで止まる気はないのであります」


 ●


≪故に、これ以上追いすがってくるのなら、私は貴方を落とさねばならないのであります≫

「いいさ」


 即答する。

 マリアの声には震えがある。

 接近するまでに、僕も覚悟を定めねばならない。

 彼女と戦うこと――即ち、彼女を殺してしまうかもしれないことを。


「マリア。僕は君の邪魔者だ。邪魔は排除するべきだろう」


 ●


≪故に、気兼ねなどする必要はない。落とすがいいさ≫


 ……何故アルベルトは、このような物言いが出来るのでありますか。

 疑問を抱くが、しかしその答えは来ない。

 怖い、と思う。今初めて彼のことが、理解も納得も出来ぬ、と。

 だから、それを素直に口にした。


「……アルベルト。あなたは、死ぬのが怖くないのでありますか……?」


 ●


≪私は、とても怖くて、怖くて、だから、あなたも死ぬのは怖いのだろう、と、考えていたのであります≫


 それに、と彼女は言葉を続ける。


≪父が死んだとき、私は、自分が死ぬときにはこんな感情を抱くだろうと考えていた物の何万倍もの感情を味わったのであります≫


 彼女の声は、昂ぶり、震え、そして激しくなっていく。


≪だから、私は、あなたを脅かすかもしれないものは、壊したいのであります! 私が何度エアムド三世号を壊そうとしたか、決闘の相手を襲おうとしたか、エイミーを殺そうとしたか、あなたには分かるのでありますか!? この心が、この怖さが!≫


 あ、と声が聞こえる。

 泣き声だ。

 反射的に叫んでいた。

 止めるための言葉ではない。ぶつけるのは、子供の我が侭じみた感情だ。


 ●


≪――マリア!≫


 聞こえてきた声は、常のような響きではない。

 自信に溢れ、強い。形容するのは同じ言葉であるのに、その方向の違いが恐ろしい。

 糾弾が、無線によって彼女の耳へと届く。


≪いいかマリア、まずは生きてから考えろ、自ら死ぬな! 父が死んだ、それがどうした!? 君はまだ生きている! 死にに行くな、死人なんぞに引っ張られるな愚か者!≫


 だが、その強さの裏には、常と同じものがある。


≪いいかマリア聞けマリア耳を塞ぐなマリア! 僕は君の行動を独善として嘲り偽悪として唾棄し開き直りとして侮蔑する!≫


 それは、


≪マリア。――聞こえているか、マリア・パイロット! 僕は君を家に連れて帰る、それ以外の結末(エンディング)など迎えてやるものか! 君の死(デッドエンド)なんて悪しき終末(バッドエンド)、僕は認めない!≫


 意志だ。


 ●


 ――『神判号』が反転する。

 その軌道は高速による大円弧。

 飛行機雲を軌跡として残しながら、『聖母号』と正対(ヘッドオン)


≪あ・あ・あ・あああああああああああああああああああああッッッ!!≫


 叫びが無線機から来る。

 最早叩きつける言葉もない。どちらも常軌を逸した高速機同士、交錯は瞬間で終わる。

 飛燕。蒼銀の『聖母号』と白銀の『神判号』は、互いに数発の弾丸を受ける。


「ク……!」

≪ああああああッ!≫


 瞬時の動きで上昇に入る。

 身体に染み付いた癖は宙返りの機動を。それと同時に、眼が『神判号』を見出している。

 場所は頭上、その動きは、鏡合わせの如き急上昇。腹に爆弾を抱えているために、『聖母号』のそれよりも遅い、しかしそれでも高速の――!


「しまっ、」

≪うわああああああああああああッッッ!≫


 背後を取られた、と、癖を見抜かれている、と――そう思った瞬間には、回避行動を本能で行なっている。

 だが、それにも彼女は着いてくる。反射による機動は、予知じみた予測による機動に絡め取られていく。

 風防を砕かれる。

 追加砲塔を撃ち抜かれる。

 尾翼を千切られる。

 飛行機雲が入り混じっていくが、――逃げられない。


「くぁ……!」


 マフラーが激しい風に煽られる。風防の破片での出血を吸い、赤くなったそれが。

 そしてとうとう、その瞬間が来る。

 原因は千切られた尾翼。

 結果は機動の遅延。

 衝撃が来た。


 ●


 撃った、と彼女は思う。撃ててしまった、と。


「あ……!」 


 『聖母号』が落ちていく。

 なぜ、と思う。


「なぜ落ちるのでありますか、アルベルト!」


 納得が来ない。己の指が、機銃弾を彼に打ち込んだのだ、と。その感触が、現実味を帯びない。


「だって、あなたは、」


 あなたは、と、口に出した瞬間、ようやく彼女は己の行動を理解する。今、私は、なにをしたいのか、と。


「あなたは、私を、私の、私とッ……!」


 ……ようやく理解する。

 覚悟なんて、決まるはずがない。

 甘えだった。

 どうしようもない甘えだった。


「私は、」


 ――アルベルトに、止めて欲しかった。

 だがもう駄目だ。撃ち落してしまった。

 終末(デッドエンド)が。

 結末(バッドエンド)が。

 既に、彼を捕らえてしまっている。

 だが、その瞬間だ。


 ●


 ……ゆっくりと、目を開く。

 ああ、と思う。地面が近いな、と。


「マリ、ア……」


 全身には痛みがある。血が目に入っているのか、よく目が見えない。

 だが、手も足も、まだ動いた。


「『聖母号』」


 行なうのは呼びかけだ。

 それを二回繰り返して、問いかける。


「君の名を持つ彼女は、どんな表情をしていると思う」


 答えはない。


「分からないか」


 機関の振動なのかそれとも砕けた機体の空気抵抗なのか、機体が激しく揺れている。


「僕もだ」


 静かな声は、無線機に届かない。


「だから、僕は、彼女の顔を見に行こうと思う」


 しかし、彼を抱く翼は、それに応える。

 右手で虚空を掌握。握りこんだ拳を左肩へ。


「――行くぞ、『聖母号』。彼女を迎えに、僕と共に……!」


 そして彼は打撃する。

 衝撃と同時、機関が黄泉還る。

 再燃焼式加速機構(アフターバーナー)と名付けられたそれは、機関出力を通常時の五割増へと位階を跳ね上げさせ、


 ●


 そして、加速が音の壁を貫徹する。


 ●


 ……音が遠い。

 視界の先、飛行機雲が逃げていく。

 だが、追いつける。

 目視によって正確な距離が理解できる。

 大気の流れを読める。

 この大空全てが僕の味方だ。

 ――そう。こと空戦に限っては、今の僕に不可能はない。

 だが、この聖母は翼端以外からも煙を引いている。

 それは機関から漏れ出るものであり、背からくる衝撃の不規則さがその重大さを自覚させる。

 穿たれた場所から、聖母は崩れていく。

 だがいい。

 この機は――『聖母号』は、最後まで僕の思いに応え続けてくれる、と、その確信がある。


「悪いが、マリア」


 あと五百。あと四百。あと三百。あと二百五十。

 指運は最早自動的。右親指で覆いを弾くように開き、そして押し込む。


「その機体、破壊させてもらう――!」

≪あ――≫


 翼下、追加砲塔が、


≪――る、≫


 神判を下す翼を、打ち砕いた。

 背後から入った機銃弾は、正確に『神判号』の機関を打ち抜き、その機動を停止させる。

 推進力がなくなればどうなるか――それは当然にして自明の理。

 落ちていく。地へと、神の裁きの名を冠する機体が。


 ●


 あ、と思った瞬間には、機体を連続で撃ち抜かれていた。


「あ、あああああっ!?」


 計器がでたらめな数値を示した後、あるものは沈黙し、あるものははじけ飛んだ。

 風防が砕け割れて、空へと散っていく。

 補助翼を操る鋼線が断ち切られ、姿勢制御もままならない。

 激震する機体は、錐揉みの落下に入る。

 めまぐるしく変幻する地平線の位置。砕けた風防からは、容赦なく鋭い風が入ってくる。

 そして、風の音よりも高く、皮が裂ける音がマリアの耳に入る。

 見れば、身体を固定していた帯、その根元の縫合がほつれている。

 砕けた風防によるものでありますか、と無意味な思考をした瞬間、糸が完全に千切れ、そして、


「!」


 身体が浮いた。錐揉み回転による遠心力で彼女の身体は風防の支えてあった鉄骨にぶち当たり、そして、


「あっ――」


 投げ出された。

 直後に迫ってくるのは、回転する『神判号』の翼だ。

 一蓮托生。逃がさぬ、と、無機物の意志すら感じられるそれは、しかし、轟音によって撃ち砕かれた。

 機銃だ。

 風が来る。落ちる『神判号』を追い抜く、強い風が。

 風の名を、『聖母号』。『神判号』と同等――否、それ以上に、航空機としての体裁を保っていない。

 銃弾に打ち抜かれ、無理な機動を行い、そして今、音速すら突破した航行によって、自らの身を砕いている。

 だが、聖母は落ちない。飛んでいる。

 投げ出され、錐揉みよりもなお回転する視界の中で、マリアはその姿を見続ける。

 『聖母号』は、地上近くにまで一気に至り、そして急上昇、大きく円を描くような機動をとる。円の機動は、マリアを拾う軌道だ。

 相対速度合わせ。上から包むように、『聖母号』は飛ぶ。

 速度はある。だが、それは彼女を基点としたとき、極めて小さいものだ。

 風防が開く。

 激しい風が、風防の蝶番を軋ませている。

 白いマフラーは、既に朱に染まりきっている。

 そしてその目は、ただマリアを見据えている。

 徐々に。徐々に、『聖母号』はマリアに近づいていく。


「――――!」


 叫びが、僅かに聞こえた。

 マリアは手を伸ばし、それに応える。


「アル、ベルト――!」


 アルベルトの手には、赤く染まったマフラーが巻かれている。マリアはそれを捕まえ、手繰るように身体を寄せ、――そして二人は、手を握り合う。


「ふっ!」


 アルベルトは、腕だけでなく、座席に引っ掛けた足など全身を使ってマリアを引き込む。

 勢いは強い。勢いあまって、マリアはアルベルトに抱かれる形になる。

 一息。

 機首を持ち上げ、マリアの背に手を置きながら、アルベルトは言う。

 常のように、自信満々で、それでいて、これ以上なく穏やかに、だ。


「――マリア。君を、迎えに来た」


 ん、とマリアは返事をする。

 その胸に顔をうずめ、嗚咽を漏らしながら。

 ……と。そんな時。

 『聖母号』の機関が、咳き込むように停止した。

 あ、と、二人は声を揃える。

 出力系の数字がみるみるゼロの値へと近似していき、そして、


「「…………うわああああああ。」」


 落ちていく。聖母の名を冠する機体が、こう、無様に。


 ●


 そして、朝日が昇る。

 また、新たなる一日が始まる――。






/






――Who Fighters


「……結局さ。アンタたちは、『常若大地』を落として、で、何をしたかったのか、ってことなんだよな」


 ため息交じりの声は、エイミーのものだ。


「『小妖精』を建造したのは、この国の王室御用達工房で、次の量産機も、そこが造る事がほとんど確定的だった。親父は、どうしてもこの国の中枢に食い込みたくて、そこで造ったものよりも良いものを造れるぞ、と、女王派じゃない誰か――例えば王弟派かな。その辺りに売り込み、そして、それを任され、やってのけた。第一の賭けには勝ったんだ。……まあ、マリアの親父さんの腕もあるんだろうが。とにもかくにも、親父たちは第二の賭けに入る。『太陽』――超大型の爆弾、って認識でいいのかな。アレを首都に落とし、国を割るような無謀な策だ。……だけど、ここで親父たちはしくじった。女王派に襲われて、殺されちまったんだよな。そしてマリアは、復讐に走る。矛先を曲げられた復讐にな。で、アルベルトがそれを追って、で、今は行方不明――と」


 で、と彼女は言う。


「答え合わせしてくれるか、アルベルトの親父さん」

「正解だよ、クルースクの娘。よくそこまで知ったものだ」

「親父の手記見てズルしたからな」

「く」


 陰鬱な笑い声が、エイミーの気を逆立てる。


「エイミー。エイミー・クルースク。それで、君はどうすると言う? 私を弾劾するか? ムハマドの娘をそそのかした私を。王弟をそそのかした私を」

「……アンタみたいな半死人をどうこうしようって気はないさ。……アンタ、物言いはアルベルトにそっくりだけどさ、性格は正反対だよな」

「私を反面教師としたのだ。当たり前だろう」

「へぇへ、」


 と、そこで彼女はノックの音に気づく。


「お嬢ー、電話来てますがー」

「おー、今行くー」


 彼女はゆっくりと立ち上がり、


「……それでもま、アンタはアルベルトの親父だし。それに、あのアルベルトが死んだとは思えないしな。一応恩は売っておくよ」

「それはありがたいね。私は今文字通り半死人だからな」

「……前言撤回する。自信満々なところは、アイツと共通だ」

「褒め言葉か。ありがとう」


 フン、と。エイミーは鼻を鳴らして部屋を出る。

 待っていた男の表情から、電話の相手はなかなか厳しそうだなー、と検討をつける。

 電話部屋へと走り出しながら呟くのは、呪詛に近い恨み節だ。


「……勝手に死にやがって、クソ親父め」


 だがまあ、死んでしまったからにはどうしようもない。自分の力で、やれるところまでやるだけだ、と。ただ、そう思う。


「……アルベルトもそんなこと言ってたっけなぁ」


 ふと思い出して、自分の思考は彼の影響が大きいのか、と少し自問する。

 ため息を吐きながら、電話部屋へと立ち入って、机に置かれたままの受話器を手に取る。

 咳払いをひとつ。普段の少ししゃがれた声から、余所行き用の少女らしい声へと変えて、もしもし、と呼びかける。


「お電話変わりました、エイミー・クルースクですが――」


 ――そして。受話器から聞こえてきた声は、泣きたくなるくらいに、待ち望んでいた声だった。


≪やあ、エイミー。エイミー・クルースク。――元気か?≫


 ●


「まず一つ、謝らねばならないことがある」


 と、受話器へと話しかける。

 この村唯一だという電話機は、音質があまり良くない。

 が、エイミーの戸惑ったような声はよく聞こえた。


≪え、――ええ? アルベルト? アルベルトか? おい本物か!? 違ったらはっ倒すぞテメェ!≫

「本物だよ。アルベルト・エアムドだ。ちなみに言うと、マリアもきちんと無事だぞ」

≪お、おう。そいつぁ良かった。――で、謝ることって何だよ≫

「なに。『聖母号』が大破して粉々になったということだよ」

≪…………ハァ!?≫

「すまないね。機関を撃ち抜かれた上で加速機構を使ったものだから、こう、地面に落ちてどっかーんと。幸い、落下傘で命は助かったが」


 ははは、と笑って、興味深そうに電話機を観察するマリアの頭を撫でる。まだ血液の赤さを残すマフラーの端、そこに縫いこんである文字を眺めて苦笑しながら、彼女は撫でられるままだ。


≪ば、おま、え、アレ、――うぇええええええ!? もしかしてそれあたしの最新鋭ブチ壊したって報告か!? 殺意が今すくすくと健康的に育ったぞ殺していいかお前を!?≫

「はははさっき謝っただろう許せ。僕が頭を下げるなんて珍しいことだろう、エイミー」

「……アルベルト。色々とまとめて言うのでありますが、嘘をつくのは良くないのであります」

≪マリアの声聞こえたぞこっちで今ァ! 許さん、絶対に許さん! ――ああもう、だから、さっさと帰ってこいよ、アルベルト! マリア!≫

「ああ、勿論だ、エイミー」


 撫でていた手が、ゆるく握られる。

 それを握り返しながら、ゆっくりと目を閉じる。


「僕らは、家に帰るよ――」


 ●


 時間は移り変わるし、風はとまらない。

 きっと僕らもいつか別れていく。

 それを懐かしんで振り返ることもあるだろう。

 弱さを嘆き、怒りを抱くこともあるだろう。

 それでも、見上げれば空はあり、空には風がある。

 これからの時間に思いをはせる。

 賑やかな季節の足音はもう近くに。穏やかな毎日の始まりを、風が高らかに謳う。

 ……この日々は、まだまだ続いていく。

 今はただ、風とともに、この奇跡(ひび)の幸いを刻みこんでいこうと思う――――。











The End.

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