第六十三話 ラバウルの貴公子
笹井醇一は唐突に眼をあけた。
頭の内部で夢の断片が舞っている。
窓から差し込む陽射しがピンスポットとなっている。
笹井は奇妙な気持ちで深呼吸を繰り返した。
まだ意識はがらんどうのままだ。
「(一体…俺に何が起こったのだ?ここはどこだ?」
笹井は当惑しながらベッドから起き上がろうとした。
ズキッ!!
が、まるっきり身体に力が入らず、しかも、頭の芯がずきずきと痛んだ。
手をやると頭全体が包帯でぐるぐる巻きにされていることがわかった。
笹井は身体を起こすことを諦め、かるく眼を閉じた。
身体の最も奥深いところに痺れるような戦慄がはしる。
身体の様子からすると物凄いダメージを受けたに違いない。
家は木で作られている。おそらくは手製だろう。
部屋に調度と呼ばれるようなものはないが、清潔な雰囲気がある。
窓際においてある花がほほえましい。……何の花かは分からないが。
ガチャッ。
しばらくすると、ドアの開く音がした。
笹井が眼をあける。
そこには二人の白人の娘が立っている。
一人は水色のワンピースを着て、ロングの髪型。もう一人は白いタンクトップを着て、ショートカットの髪型。
『あ(お)ッ!!気付いたのね(のか)ッ!!』
しかも、二人とも日本語で喋った。
「やぁ」
笹井は手をあげて笑いかけた。
笹井は相手が日本語で話したので日本語で話す。(本当は英語で話すつもりだった)
「どうやら俺は君達に助けられたようだね。ありがとう」
すると、二人がはにかむように微笑んだ。
二人の蒼い眼は不思議なくらいキラキラに光っている。
笹井はそれにしても眩しいほど可憐な二人だと思った。
まだ二人は二十までいっていないとまで思われる。
ショートカットの娘が口を開く。
「何だ?お前何にも覚えていないのか?」
ショートカットの娘はいたずらっぽく瞳を動かした。
相変わらずの綺麗な日本語だ。
「残念だが覚えてないんだ」
すると、ロングの娘が口を開いた。
「火が噴いた戦闘機が森の中落ちたの」
娘が窓を指差した。
「貴方は操縦席から這い出してきて、たまたま五メートル程後ろにあった木にもたれ掛かったわ。五分程経ったくらいに戦闘機は爆発したわ。あたし達が近寄ってみると、貴方は気を失っていたの。顔が血で真っ赤だったわ」
「そうかい。命があったのは幸運の女神が助けてくれたのかもしれないな」
笹井が微笑した。
笹井は思い出した。あの時、対空機銃に撃たれ、森に突っ込んだのだ。助かったのは奇跡に近い。
「俺はどのくらい眠っていたんだい?」
「五日だったな」
ショートカットの娘が笹井に教えた。
「でも、貴方は死なないと思ったわ。だって、あたし達が口移しでミルクを飲ませたのよ。貴方は赤子みたいによく飲んだわ」
二人は顔を真っ赤にして笑った。
「(この二人が幸運の女神だったようだな)」
笹井は苦そうに最近生えてきた無精髭のあごを撫であげた。
しばらくして、笹井は眠気がさしてきた。
笹井は、うとうとしては眼が覚まし、すぐにうとうとした。
意識が夢と現実のはざまをさ迷っているのだろう。
翌朝。
美味そうな匂いが笹井の睡魔を追い払った。
笹井は猛烈な空腹感を覚えた。
頭の痛みはずいぶんやわらいでいる。
傷が順調に治り、それにともなって体力が回復し始めたようだ。
しばらくして、ロングの娘が木で作ったお椀によそったシチューを運んできた。
「昨日のシチューを温めなおしたの」
ロングの娘が起き上がっている笹井にお椀を渡す。
笹井は飢えた野良犬のようにがつがつとシチューをかきこんだ。
笹井は物足りなかったが二杯目をもらわなかった。
胃は衰弱しきっているはずた。食欲に任せて詰め込めば、悪くすると命とりになる。
「美味しかった?」
ロングの娘が微笑みかけた。
「最高だよ。こんなに美味い食事は初めてさ」
笹井が快活に笑った。
「ショートの子はどうしたんだ?」
「今、貴方が落ちた森で狩猟をしてるわ」
すると、ショートの娘がうさぎを持って入ってきた。
「うさぎを二匹、捕まえたぜ」
小銃を持って笹井にニヤリッと笑った。
笹井も苦笑する。
「君達はここに二人で住んでいるのか?」
「そうよ」
ロングの娘が頷く。
「名前は?」
「俺はルドルフ・アイリスだ」
ショートの娘が応える。
「あたしはラルフ・サラミンよ」
ロングの娘が応える。
「いい名前だ。俺は笹井醇一だ」
「日本の戦闘機乗りよね」
「そうだ」
「そうだ、これ」
サラミンが差し出したのは敷島とマッチだ。(実際、史実で笹井醇一がタバコを吸っていたのかは知りません。この世界では吸っています)
「貴方の飛行服のポケットに入ってたの」
「すまない」
笹井は敷島に火をつけた。一服すると、頭がくらくらした。初めてタバコを吸った時のような気分だ。(作者は吸っていません。父親が初めて吸った時の状況を書いただけですので)
「(それにしても)」
笹井は心の中でいぶかしんだ。
ここはインドだ。まして、コーチンに近い。しかも、二人は白人だ。
それなのに、二人は笹井の事を通報しない。それどころか傷ついて虫の息の俺を家に運び、献身的な看護してくれた。
なにか、理由がありそうだ。
だが、笹井は疑問を口にしなかった。
二人から喋るのを待っているのだ。
笹井は急速に回復していった。やはり、鍛えぬいた躯はタフなのだ。
意識を取り戻して三日目に小刀でヒゲを剃った。
小刀は笹井の着ていた飛行服に入っていたものだ。
飛行服は二人がちゃんと保管していてくれた。
九ミリ自動拳銃もちゃんとある。
ヒゲの剃りあとの青々とした笹井の顔を見て、二人は「ハンサムッ!!素敵だ(ね)ッ!!」と瞳を輝かせてはしゃいだ。
―――夜―――
降るような星空だ。
日本で見るより綺麗かもしれない。
三人は小屋の前に並んで腰をおろしている。
いくらか潮の匂いをはらんだ風が誘うように吹いている。
海に近いのだろう。
不意に笹井が軽い調子で口を開いた。
「野暮な口を利くようだが、どうして俺を助けてくれたんだい?」
「日本が好きなんだ」
アイリスが笹井に言う。
「あたし達は元々、戦争が始まる前は日本の神戸にいたんだ。アイリスの父親とあたしの父親はドイツから派遣された会社員なの」
サラミンが言う。
「サラミンとは家が隣でさ、何回も近所の子供達と遊んだんだ」
「それに父親達は元パイロットでね。何回か大阪の海軍航空隊を見に行っていたんだぜ。最初、航空隊の人達は怪訝な顔してたけど、親父達が飛行機の話しすると意気投合してたぜ」
アイリスが言う。
「でも、戦争が始まる直前に本国からの帰還催促がきて船でシンガポールまで行ったんだけど、あたし達の親がマラリアにかかったの」
「んで、四人はそのまま帰らぬ人になっちまった。俺とサラミンは残ったカネで何とかこのコーチンまでたどり着いたってわけさ」
「着いたのはいいけどお金もないし、郊外の森……貴方が墜落した森から五キロ離れたここに家を建てたのよ。そして、今に至るわけよ」
「そうだったのか…」
アイリスとサラミンの話しに笹井は頭を抱える。
幸い、ここはコーチンからあまり離れていない。
「それと、墜落した場所に日本の軍隊が来てさ。あんたのこと探してたぜ。身柄を渡そうかと思ったけど、辺りはイギリスやインドの残存兵がゲリラ化となっているから渡せなかったんだ」
アイリスが申し訳なさそうに言う。
「いや、いいんだ。二人の女神を見れずに戻らされるのは嫌だからな」
笹井の言葉に二人は顔を真っ赤にした。
「……なぁ」
笹井が口を開く。
「二人とも日本軍に来ないか?」
笹井の案に二人は驚く。
「どうしても俺は君達を見捨てられない。どうだろう?」
二人は少し悩んだ顔で考えてたが、やがてコクりと頷いた。
「ありがとう。出発は明日にしよう」
その日は三人は別々の部屋で寝た。
―――翌朝―――
「醇一。これに乗れよ」
朝食を済み、コーチンへ行く準備の最中にアイリスが笹井にあるものを見せた。
「……これはソードフィッシュ?」
笹井の目の前にはイギリス三座乗りの雷撃機ソードフィッシュがあった。
「前にソードフィッシュがこの辺に不時着したんだ。パイロット達はこいつを放棄して帰ったけどひそかに回収して修理してたんだ。日本に戻りたくてな、少しずつ修理したんだぜ。コーチンの基地から部品を貰ったりして本当に苦労したぜ。ほとんどサラミン任せでさ」
アイリスが苦笑する。
「(よくイギリス兵は承諾したな…f^_^;)燃料はあるのか?」
「あぁ、三百キロは飛べる。コーチンの基地で貰う時に不審な顔されたけどな」
そこへ荷物を持ったサラミンが来た。
「アイリス。エンジンは?」
「見たけどバッチリだッ!!」
「それじゃあ行きましょうか」
二人が乗り込むが笹井はふと近くの茂みを見た。
「ーーーッ!!」
パァンッ!!パァンッ!!
アイリスが銃声に機銃席から出て来る。
「ーーーッ!!」
そこには肩から血を流している笹井と頭を撃ち抜かれたイギリス兵がいた。
「醇一ッ!!大丈夫かッ!!」
「何とかな。早く逃げるぞ。こいつ無線機で俺達を知らせてた」
「分かった。俺が操縦するから醇一は機銃席に」
「操縦出来るのか?」
笹井は驚く。
「航空隊の奴らが操縦の仕方を教えてくれたんだ」
アイリスがニヤリッと笑う。
笹井は教えてくれた航空隊の奴らに感謝した。
「だが、駄目だ。直接空母に着艦する。幸い、着艦フックはついてるからな」
笹井はアイリスを説得して操縦席に乗り込み、アイリスに合図をする。
アイリスはプロペラを思いっきり回した。
バラン…バラン…バランバランバランッバババババッ!!
アイリスが急いで機銃席に乗り込む。
『醇一。左へ向かって。草原よ』
サラミンからの指示に笹井は従う。
草原につき、ゆっくりとソードフィッシュが速度を増していく。
その時だ。
『醇一ッ!!後方から十数人のイギリス兵接近ッ!!』
アイリスが悲鳴なような報告をする。
「アイリス。機銃掃射だッ!!」
アイリスがイギリス兵に向けて七.七ミリ機銃を撃つ。
タタタタタタタタタッ!!
軽快な音が響き、イギリス兵達を襲う。
イギリス兵達はたまらんとばかりに慌てて逃げ出す。
『追っ払ったぜッ!!』
アイリスの言葉を聞いて、笹井はホッとしながら離陸した。
ソードフィッシュは高度百、速度二百キロでわずか数キロ先のコーチンに向かう。
だが、これは電探で探知されていた。
空母瑞鶴より零戦三機が発艦する。
「たった一機で偵察機ネ?」
発艦したのは由華梨の小隊である。
「叩き落とすネッ!!」
由華梨が反航戦で機銃を撃とうとした時、急にソードフィッシュが激しくバンクをした。
『小隊長。どうしますか?』
列機が由華梨に尋ねる。
「あたしが近づいてみるネ。二人は周囲を警戒ネ」
『了解ッ!!』
由華梨は速度を落としてソードフィッシュに近づく。
「??」
ソードフィッシュの操縦席に日本の飛行服を着た搭乗員がいる。
「どういう事ネ?」
すると、操縦席の男は瑞鶴に着艦したいとゼスチャーを由華梨に送る。
由華梨は敵の脱走兵だと思い、瑞鶴に連絡をして指示を待った。
五分後、着艦よろしの旗が振られ、由華梨がソードフィッシュに合図をする。
ソードフィッシュはゆっくりと瑞鶴に着艦した。
―――飛行甲板―――
チャキッ!!
小銃を持った整備員達がソードフィッシュを囲む。むろん将斗達も集まって拳銃をソードフィッシュに向けている。
「待てッ!!撃つなッ!!」
『えッ?!』
中から日本語が聞こえた。
突然、操縦席から日本軍の飛行服を着た男が出てきた。(実際、ソードフィッシュからどうやって出るのは知りません)
将斗達はその男に見覚えがあった。
『笹井(大尉)ッ!!』
「ただ今戻りました」
笹井が、将斗に敬礼する。
「生きていたんやな」
将斗も返礼する。
「はい、あの人達に助けられました」
笹井がソードフィッシュを見る。
すると、ソードフィッシュからアイリスとサラミンが出てくる。
「親日のドイツ人です。彼女達の献身的な看護のおかげです」
将斗が二人に近づく。二人は身を固くする。
「……笹井を助けてくれてありがとうな。感謝する」
将斗は見事な二人に敬礼をした。
二人はガチガチしながらも敬礼する。
「司令官。実は……」
笹井が将斗に話し掛ける。
「どないした?」
「二人を……海軍軍人にしてくださいッ!!」
これにはその場にいた者、全員がア然とした。
そして、笹井はその理由を説明した。
「ふむ、既に二人は敵だと相手に判断されてんねんな?」
「はい」
笹井が頷く。
「……山口長官。どうしますか?」
将斗は山口に判断を促す。
「……構わん。認めてもいいだろう」
「山口長官、ありがとうございますッ!!」
笹井が山口に敬礼をする。
「よーしッ!!今日は笹井の生存祝いと新しい仲間の祝いで宴会やッ!!」
翡翠がはしゃぐ。既に整備員達は賛成とばかりに喜んでいる。
その日の夕方。第二機動艦隊から連合艦隊にある電文が送られてきた。
内容は。
『戦死ト思ワレテタ、笹井醇一大尉ヲ発見ス。笹井醇一ノ戦死報告書ハ破棄ヲ要請ス』
この電文を読んだ山本五十六は喜びながら笹井醇一の戦死報告書を破り捨てた。
御意見や御感想等お待ちしていますm(__)m




