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原という先生

作者: かよまな

 あれはもう20年以上前、俺が小学3年生だったころの話だ。

 小学1、2年生は担任の先生もやさしかった事もあり、学校が楽しく、俺も能天気に過ごしていた。

 3年生になると担任の先生が、原という先生になった。


 その先生は、とてつもない暴力教師だった。


 体罰は当たりまえ、児童を脅し、児童の親を騙す、なんでもござれだった。

 体罰に関しては、もちろん俺だけにじゃなくて、全ての児童に体罰を与えた。


 よく授業で先生が児童にこう聞くだろう?


「この問題分かる人~」


 当たり前の事だが、分からない人は手を挙げない。いや、むしろわかっていても、率先して手を挙げる奴っていたか?俺の時代にはそんな奴はほとんどいなかった。

 手を挙げて発言する奴は、ガリベンか聖女のような女子だけだ。


 だが原先生が初めての授業で、「この問題分かる人~」と言い放った。

 数名手を上げたがやはり分からない人は手を上げていない。


 そうすると、教団の前の席にいた手を上げていない女の子の髪の毛を思いっきり掴んでその場で振り回した。髪の毛を掴まれて振り回されたその子は、イスに座りながら、上半身がグワングワンとその振り回す方向にうねる。

 

 一瞬。


 俺もそうなのだが、みんな何が起こったのかわからなかったと思う。

 何も言わずに、突然髪の毛を掴んで、女の子を振り回している原という先生が目の前にいる。


 鬼の形相でまだ振り回している。ちなみに振り回されている子は髪の毛が長い。女の子はたぶん痛かったんだろうけど、声すら出ないくらい振り回されていたのだ。

 女の子のかけていた分厚い牛乳瓶のようなメガネが、振り回された勢いで吹っ飛んだ。


 それを見やると、原先生はその手を離しこう言った。


「おまえら何で全員手を挙げないんだよ」





「わからなくてもいいんだよ!手を上げる事に意味があるんだろ」


「次手を上げなかったら、全員こうなるからな」


 女の子の髪を掴み、俺たちにそれを見せ、吐き捨てるようにそう言ったんだよ。

 今でも夢に出てくるくらい覚えてるんだな、この時の事は。

 

 まぁ、毎日、こんな感じの理由で体罰が行われた。


 他に手短に例を上げるとだな……。覚えてる限りでは答えを間違えたら「内腿」をつねられる。これは原先生が俺らに自慢げに言った事がある。


「『内腿』はな、ちょっとつねっただけで半端ない痛みなんだよ」

「しかもどんだけつねって青く腫れあがろうが、裸になっても目立たないんだよな」


 ひでぇ話だよな。


 あぁ、思い出した。

 朝の会って言ってわかるだろうか?

 朝礼みたいなもので、グループごとに朝の会の担当が決まっている。一人一言朝のニュースとかいうのを発表しないといけない掟があった。

「今日朝通学途中で、小鳥の雛を見ました、どんな親鳥になるか毎日が楽しみです」

 みたいな感じだよ。

 その一人一言ニュース自体は、大人になった今考えると、素晴らしい事だったと思うよ。人前で自分の考えた事を自分の言葉で発表する。ディスカッションやスピーチの本当に軽い予行演習だな。


 まあ、それでも子供なんて、そんな事いつも考えて日々過ごしているわけじゃないし。

 毎日毎日やってると、ネタがなくなるんだよ。


 そのネタがなくて、話す事がありませんとか、今日はニュースがありませんと言うと、耳をちぎられると思うくらいひっぱりあげられて振り回される。

 振り回すのが好きだったんだな、この先生は。


 絵的には、磯野カツオ状態だな。もっとひどい状況だけど。




 ある日、俺は宿題を忘れてしまった時があった。

 忘れた俺が悪いよな、そりゃ。

 だが、体罰はひどくないか?


 原先生は常に、カレンダーをすごく細く巻いた棒を持っていたんだが、それが固いのなんのって……それでケツをめくられて30発叩かれるのよ。

 「いっぱーつ!にはーつ!宿題を忘れてきた奴はだれだー?さんぱーつ!」

 そんな具合にな。


 ここで、細くしたカレンダーをケツに……突っ込まれるのか!?と思った奴は、ちょっとそっち系の漫画やライトノベルを読みすぎじゃないか?自重しとけよ。


 毎日、怖くて怖くて怖くてしかたなかった。

 みんなもそうだろう。


 3年生になって1カ月もたたないうちに、教室中が恐怖に包まれたよ。教室のドアは宛ら地獄の入口のようだったな。

 なんで親に言わないんだろうって不思議に思った奴はいないか?

 既に1カ月もたたないうちに、俺達は洗脳されてたんだよ。


 『親にもしもチクろうもんなら、どんな体罰が待っているか』


 ってそう思わせるようにね。


 とにかく原先生は、自分が正しい、おまえらが悪いから叩かれるんだと、強制的にマインドコントロールしていった。

 だから俺を含めみんな親に話すことはできなかったんじゃないかな。



 さてさて、そんな親たちはどうだったかと言うとだな。

 

 授業参観日がある。


 普段から授業中に私語をするような奴がいようなら、髪の毛を掴んで振り回されるような体罰が待っている日常で、授業参観日だってもちろん、私語をするやつなど一人もいない。


 俺の親が当時を振り返ってこう言った事がある。


 「今思えば授業参観日の雰囲気は何か異常な感じだったよ、小学3年生で誰もおしゃべりしないし、先生の質問に対して、端から端までの子が全員手を上げる。当時は、なんとなく違和感を覚えたけど、原先生の教育はすごいんだなあって、関心した方が大きかったなぁ」


 さて、とりあえず。

 まずひとつ、衝撃の事実を伝えておこうか。


 原先生は女である。


 年齢は45歳くらいかな、当時、先生の年齢など正確にはわからんから、記憶のみで推測したわけだが。20代では絶対ないし、30代でもなさそう、だが50はいってなさそうだなっていうイメージだ。


 今はもうお婆ちゃんになってんだろうな。会ってみたい気もするが……。

 

 すまん、話をもどす。児童の親たちは授業の雰囲気や、活発に発言したり、まじめに授業を受けている自分の子達をみて、とても安心したようだし。

 (当たり前のことだが)原先生は個人面談などの親の前では普通だそうだ。



 ところで、俺は変なところに潔癖症だった。おまえら、小学生の頃って覚えているか?学校の勉強机の引き出しの前、雑巾を掛けるところがあるだろ?

 そこに掃除で使い終わった、洗って濡れた雑巾を干すだろう?俺がしっかり洗わなかったのか、もうずっと同じ雑巾を使っていたのか、干した次の日、使う頃には相当臭くなっているんだよ。

 俺は、それを使うのが本当に嫌だった。すげぇ臭ぇんだもんよ、臭いのが嫌いなんだよな。ちなみに今でも俺は臭いのが嫌いだ、納豆とか人の食べ物じゃないと思ってるからな。


 だから当時の俺は拭き掃除をどんなに怒られてもしなかった。


 そりゃ、怒られたよ、原先生に。怒られたってもんじゃない、体罰につぐ体罰だな。

 

 「拭き掃除をしないんだったら、お前はこれが埃がでないくらいまで綺麗にしやがれ!」

 

 と黒板消しを俺の顔面に何度も何度も叩きつけてきた。

 だが俺は、拭き掃除は絶対にしなかった。頑なな姿勢に原先生はなぜ拭き掃除をしないか、めずらしく体罰なしで俺に聞いてきたのだ。


 俺は泣きながら理由を言った。

 

 次の日、原先生は新しい雑巾を10枚ほど持ってきて、新しいのなら臭くないこれを使えと俺に渡してきた。臭くないなら拭き掃除をしない理由がない。

 俺は拭き掃除をするようになった。

 

 新しい雑巾は、机の雑巾がけには干さず、原先生に渡した。

 原先生が俺から渡され干したであろう、ボイラーの前にかかっている雑巾はいつもいい匂いだった。あとから知るのだが、それは毎日原先生が洗剤で雑巾を洗って干してくれていたからだった。


 今のエピソードを聞いて、「お、良い先生じゃん」って思った人は多いかもしれない。ただ、今思い返してみても、俺自身そうは思わないんだよな。ただ、良いエピソードってのは、まったく無かったっていうわけではない。

 つまり、なんだかわからん先生だった。


 給食を少しでも残したら、無理やり口の中に突っ込んで食わせたり、集会などで私語をしたら、手の甲をありえないくらいつねられた。手の甲自分でつねってみろよ、ちょっとつねっただけで激痛だぞ?

 だが、好きなスポーツはなんだと聞かれ、誰かが卓球と答えると、体育の時間は卓球になったり、転んでジャージの膝がやぶけると、ワッペン?か何かをで縫ってくれたりした。




 ある日大事件が起こった。


 小学生の中で一番起こってはいけない事件だ。一生ものの事件だ、おまえらならわかるか?


 ある日、俺のお腹は調子が悪かった。確実な下痢気味だ。風邪か、お腹を冷やしたか、原因は忘れたがとにかく調子が悪かった。

 もう今はどうなんだろう?小学生って休み時間とかに大便器は入ってもイジられないのかな?

 女子は大丈夫だろう、個室しかないんだから。男子が個室に入ったら、そりゃもう大変だぜ。1週間はイジめられるし、イジめられ体質の奴がやっちまったら、そのままずっとイジめられるからな。


 2時間目


 奴は確実に訪れた。

 「ツッタカター、ツッタカター」

 俺には腸の中で、バイキンまん見たいな格好のウ○コちゃんが、そう言って行進している風景が見えたんだ。


 必死になりながらも、俺は昔の事を思い出した。

 授業中に「先生、トイレに行きたいです」と言った奴がいた、そうすると、原先生が「休み時間にすませろといつも言っているだろうが」と髪の毛をつかんで振り回すのだ。

 さらに、いつもならその体罰を可哀想な目でみてくれる他の友達たちも、理由がトイレというだけで「くすくす」笑いながら見ていたのだ。

 トイレは悪なのだ!とにかく俺達小学生にとってはトイレは悪なんだ!


 俺は体罰を受けるのはもちろん嫌だが、くすくす友達から笑われるのはもっと嫌だった。

 一応俺にも好きな人がいた。その子には笑われたくなかった。

 俺は我慢した、そう我慢したさ、何度でも言うよ、できうる限り我慢を続けたさ。何度となく越える事ができるか不安になりそうな山を越えた。辛い山を越えると、楽な下りが待っているように、ふとアレが引っ込む時がある。


 2時間目は無事乗り越える事ができた。


 休み時間


 俺はトイレに行くか行かないか迷った。先にも語ったことだが、大便器に入る事は、それから数日間イジメられる事を意味している。

 その上、原先生の体罰のストレスからか、クラスには陰湿なイジメがあった。心の弱い奴らは、ストレス発散にターゲットを常に探しているんだろう……。

 結局俺は、休み時間を机に座って過ごした。


 さぁ3時間目だ。


 体育だ。この壁を超える事が俺にはできるだろうか。

 何度も何度もトイレに行こうか迷った。だが、先生に話しかけるのにも勇気がいるんだよ、気に食わなかったらぶんなぐる先生だからな。


「あいつ大便器に入った」「う●こまんだ」

「休み時間にトイレにいけっていってるだろうがよ!!!」

「ツッタカター、ツッタカター」


 もう俺は発狂寸前だ。

 今日の体育は何をするんだ?ドッチボールか?体操か?バレーボールか?

 お腹に負担はあるのか?

 種目はなんだ!!!


 バスケットボールだった。


 鮮明に覚えている。バスケットボールの授業、前半。パス練習からだ。

 バスケットのパス、2人1組になって女の子シュートみたいな感じのパスするやつ。両手でやるやつだな、「バスケットのパス」で画像検索したらあったわ。どんなのかわからなかったら、おまえらも調べてみろよ。


 何回しただろうな、パスのキャッチボールを。

 力を入れてボールを放り投げて、力を入れてボールを受け止めて。

 何回しただろうな!!

 さぁ、その時、もう越えられない山がきた。

 富士山級ではない、登った事はないんだが、エベレスト級の。まあ、どっちにしろ富士山にも登ったことはないんだが……。つまり今までとは比べようがないほどの山がきたんだよ。察してくれよ。


 パスをした瞬間、力んだと同時にでたよ。


「とぅるるるる」


 って。


 下痢だからな。

「とぅるるる~~~」

 って感じだ。


 あぁ、ここからは何か食べながら読むのは、おまえらの為にもやめておいた方がいい。あ、もう遅いか?この時点でブラウザバックをクリックしたり、ホームボタンやバックボタンをタップしないでくれよ?大丈夫だからさ。


 一度出ると不思議なんだが。「あ~もうどうでもいいや~」という気持ちと同時に「気持ちがいい」という思ってしまうんだな。


 そりゃそうだろう?ずっと我慢してたんだから気持ちがいいはずだ。

 もうそこからは、立ったまま出しっぱなしだ。


 俺はその時の服装もきっちり覚えてる。あの頃の小学生はみんなダサかったからな、ジャージだよ、なんていうか、裾がゴムになっててキュってなってるやつ。わかるかな?


 パンツはブリーフじゃないんだ、いっちょまえにトランクスだった。下痢はトランクスの隙間を伝って両足の裾に溜っていた。太ももに伝わる生温かい感覚は、次第に冷たくなり、動けば動くほどジャージのポリエステルの肌触りが非常に悪くなる。

 若干ではあるが、ジャージの色が水に濡れたように乾いている部分よりも深みがある色になっているわけだ。


 やっぱ体育館は広いからな、こんな状態でもまだバレてないんだよ。

 くせーだろうけど、みんな「なんか臭いなぁ~」くらいだったんじゃないかな。




「ねねー、なんか体育館臭かったよな~(笑)」

「え、うん そうだね……」


 水飲み場で友達が俺に話しかけてきたのが最後だった。


「あんたちょっと来なさい」


 原先生が俺を廊下の端まで連れ去った。

 廊下の端で俺はなぜか安心した、『解放された』とにかく何かから解放された気がした。ふとみんながいる水飲み場の方を見ると、数人の女子がこっちを見てヒソヒソしている。


 「あーあいつらがきっと発見してくれて原先生にチクってくれたんだなー」


 ある意味、感謝の気落ちがあったのを覚えている。

 原先生は怒らずに俺にこう言った。


「今から帰えりなさい」


 よかった帰れる。

 とにかく帰れる。


 「それと、きちんと洗ってきたあと、もう一度学校に戻ってきなさい」

 「絶対に学校に、今日、戻ってきなさい」


 そう言われた。


 俺は学校を出た。そのままの格好だ。この2年後5年生になって、友達が(大を)漏らしてしまうんだが保健室に着替えがあるらしく、着替えてそのまま授業を受けてたな。なぜ俺は着替えさせてくれなかったんだろうか。

 そう言えば、今は安全上というか、防犯の理由から早退は児童一人では帰してくれないらしいな。だが当時は違っていて、普通に担任の先生が早退を決める事ができ、児童一人で帰らせる事ができたらしい。


 当然のごとく、そのまま原先生の言うとおり帰った。


 季節は寒い時期で、風が吹いて下痢で濡れているジャージがモモやふくらはぎに当たると、凄く冷たいんだ。冷たくて俺は泣いた。泣きながら歩いた。

 何もかもが終わりのような気がして、歩く速度はとにかく遅かった。

 なんで原先生は「今日」学校に戻ってこいって言ったんだろう。戻るのが嫌だった。でも原先生に「戻れ」と言われたからには、戻らない事はできない。

 どんな体罰が待っているか、他の友達にイジめられるより、体罰を受けるのが嫌だった。


 家に着いた。俺のオカンは何事かと思ったらしい、先生は親には連絡をしていなかったみたいだ。これも今のご時世ならあり得ない話だ。一人で早退させて、もし帰宅途中に何かがあったらどう責任を取るんだろう。

 色々と杜撰だったんだな。


 ところで、俺の家庭は小学校時代、激しく貧乏だったらしい。らしいと言うのは、実感がないからだ。

 俺にとっちゃ、たいして辛くなかったし、自分が貧乏だなんてこれっぽっちも思ってなかった。全ての物事が当たり前だったからな、俺が当時住んでいた家は2階建てアパートの2階、2DKのような感じだ。

 そこに弟を含め家族4人で暮らしていた。

 

 家には風呂が無かった、だから銭湯通いだったのだが、ウ●コまみれで帰ってきた俺を見て、オカンは何があったのかと聞いてきた。

 俺はお腹が急に痛くなってトイレに急いだけど間に合わなかったと嘘をついた。

 実際はトイレに行く余裕はあったんだ、でもイジメや原先生の恐怖、様々なことで漏らしたなんて言えなかった。


 オカンは何も言わず、俺をトイレに連れて行った。

 トイレは洋式ではない、ボットンではないが、和式の狭いトイレだ。


 「ここで待ってなさい」


 そう言うと台所に行き、洗面器にお湯を汲み、雑巾を片手に戻ってきた。

 何も言わず俺の尻から足まで、拭いてくれた。


 お湯で濡らした雑巾は温かく、ウ●コまみれのジャージで、何十分も冷たい風の当たる外を歩いてきた俺の足にとって、それはもう温かくて温かくて温かくて。


 「おかあさーん」って何度も叫びながら泣いた。


 オカンは何も言わず、全て綺麗に拭き取ってくれた。


「今日は学校戻らないでうちにいなさい」


 優しく声を掛けてくれたが「どうしても戻らなきゃいけない」と言ってズボンを着替えるとすぐに学校に向かった。

 そうなんだよ、原先生に「戻れ」と言われているからなんだ。


 ゆっくりと歩いた。行きたくない行きたくないって気持ちでいっぱいだった。でもそれ以上に強かったのは、原先生の体罰が恐ろしかった。行かなきゃ殺されるんじゃないか?

 漏らしたのがバレた時怒らなかったのは、怒りを貯めてるのじゃないか?

 俺らにとって原先生は絶対的な存在だった、そういう存在だったのだ。


 学校に着いた。


 本当に俺は教室に入れるのか?心臓がバクバクだ。俺がなぜ家に帰ったか、何が起きたのか、クラスの全員がもう既に知っているはずだ。もちろん俺の好きな子だってそれを知っているはずだ。


 教室のドアの前でそんな事を考えながら、動けずにいた。


 おまえらなら入れるか?この地獄へと続くドアを。

 おまえらなら入れるか?クラスのみんなからのイジメの始まりのドアを。

 おまえらなら入れるか?原先生からの体罰が待っているであろうドアを。


 だが俺は、なぜだろう?何を考えながらだろう?自らドアを開けたんだ。


 ドアを開けると、原先生は鬼の形相で俺を見ていた。クラスのみんなも席につきながら俺を見ていた。俺はクラス全体を見渡した。


 すると。


 一人女の子が席で起立している、俺の方を見ながら。


 しばらく、俺が教室のドアを開けた事による沈黙が、どのくらいあったかわからないが、原先生が言った。


「席に座りなさい」


 原先生の言うとおり、俺は席についた。原先生が「はい、続けて」と言いだした。俺には何が何だか分からないが、普通に授業の続きか何かだと思った。


「まこと君下痢だったので、しょうがないと思います。あの時はバスケットの時で、どうしても間に合わなかった状態だったんだと思います」


 は?


 原先生が言った。

「そうですね、他に意見がある方手を上げてください」


 全員が手を上げた。


「じゃ、林くん」


 林くんはクラスの中心人物的存在だ。イジメもこいつにターゲットにされたら終わりな感じの奴だ。林くんが起立して言った。


「まこと君はバスケットの時に、してしまったのに、教室に帰ったら、坂さんと藤本さんがまことくんのイスを嗅いで臭いと言っていました。それはおかしいと思います。まことくんは体育館から直接家に帰って、教室には戻ってないからです」


「そうですね」


 そういうと原先生は、坂さんと藤本さんを黒板の前に連れ出し、右手で坂さん、左手で藤本さんの髪を掴み振り回した。上半身がグワングワンうねるほど振り回し、坂さんのかけていたメガネが吹っ飛んだ。

 俺はその時、黒板に書かれた文字を初めて読んだ。


「まこと君が体育館で下痢をもらしてしまったことについて」


 そう、俺が帰ってから今まで原先生は俺がウ●コ漏らした事についての学級会を開いていたのだ。まことっていうのはわかっていると思うが俺の事だ。


「他に意見がある人」


 全員が手を上げる。ちなみにすごいのは、普段の授業もそうだったのだが、一度答えた人も絶対手を上げなければならない。


「では、佐古田さん」


 おい……。



 俺の好きな人ですその人。



 やめてくれ……もうやめてくれ……。



 佐古田さんは静かに話し始めた。


「まこと君は下痢だったので仕方がないと思います、私も一度カキフライを食べた時に下痢になりました。その時は辛かったです。だからまこと君も辛かったのだと思います。それに男子は大きい方のトイレに入ると上から水をかけられたり、ドアを叩かれたりするって聞きました。なかなかトイレに入るのは大変だったのではないかと思います。しょうがないことかもしれないけど、辛いのにまこと君が帰ってきたのはすごいと思います」


 「そうですね」


 俺は途中から頭が真っ白になって、友達が何を言ったのがイマイチ覚えていない。でもみんな「しょうがなかった」「悪くない」「すごいと思う」という意見だけだった。

 坂さんと藤本さんも「ごめんなさい、私たちはふざけて臭いと言ってしまいました」とずいぶん謝っていた気がする。


 原先生は、俺に言った。「おまえはなぜ手を上げない?次はお前だ意見を言ってみろ」


 俺は急いで手を上げた。

「はい。まこと君」


----


 僕は、もっと早く先生にトイレに行きたいと言えば良かったと思います

 友達にイジメられるのが怖くてなかなか言えませんでした

 ごめんなさい


 これからは、きちんと自分の伝えたい事はしっかりと手を上げて伝えます

 みんなに迷惑をかけてごめんなさい


----


 ちょっと言葉は違うと思うが、そんなような事を言った。原先生に普段から強制的に何かを発言する、考えて意見を言う、という事をさせられているため、クラスのみんなはこういう時でさえ、きっちりと意見を言えたんだと。今になって思ったりした。

 まぁやり方がやり方だから、素晴らしいとは言えないんだが。


 そして原先生が、話をまとめた。

 下痢の時の辛さや、大便器の方のトイレに入ってもいいじゃないかということ。色々話していたような気がする、この辺は記憶があいまいだが、最後に原先生は言った。


「この事について、今後グチグチと言う奴がいたら、誰でもいいから先生に報告しなさい。報告しない奴も悪い、イジめするやつも悪い、よく覚えておきなさい」


 学級会が終わった後、そうは言ってもイジメられるんだろうと思っていた。佇んでいる俺に友達が話しかけてきた、そう、水飲み場で「臭かったよね(笑)」って言ってたやつと、クラスの中心人物林くんの二人だ。


「まこと、大丈夫?お腹痛いんだろ?」

「いや、実はさ、坂と藤本がお前の雑巾でも言ってたんだよ臭いって」

「あいつらまじ殴りに行こうぜ」


 不思議だが、必然なのか、原先生の体罰が怖いのか……俺はいじめられる事はなかった。

 すごくね?ウ●コ漏らして、しかも下痢で、公開処刑されたあげく、イジメられないんだぜ。


 まだまだあの大事件からそんなに月日は流れていない時、誰もが頭の片隅には俺を見るたびに思い出しているんだろう、だが誰もそれを言う事もなかった。そんな中の、学校の帰り道。

 佐古田さんが道のわきに入っていくのを俺は見た。

 俺は佐古田さんとあまり話した事はないし、緊張であまり話せなかったが、やっぱり好きな子だったから、どこに行くんだろうと、ちょっと後を付いて行った。完全にストーカー行為だが、あの頃は普通だったぜ?そうだろう?好きな女の子のあとをつけて、どこに住んでいるのか調べたり、普段誰と遊んでいるのか調べたり、普通だろ?SNSどころか、携帯すらない時代なんだから。


 佐古田さんを追うと、一匹のきたねぇ犬と、それをかわいがる佐古田さんがいた。俺は勇気を持って声をかけた。


「佐古田、何してるの?」


「あ、まこと君。この犬かわいいでしょ」

「え、あ、うん」


 でもその犬が汚いのは、自分の糞を身体で塗って遊んでいるからだと俺はわかった。文字通りくっそきたない犬だった。


 佐古田さんは犬を触っているから、もう汚いんだが。でも好きな子だし、せっかく喋れるチャンスだし。その上、俺は人のクソがどうの言える立場じゃなかったし。

 あ、人のクソじゃなくて犬のクソか。 すまん、また汚い話になってきたな。


 俺は給食のパンが大嫌いだった、でも残すと原先生の体罰が待っている。

 だから毎日給食のパンを家に持って帰っていた、その日も給食のパンがカバンの中に入ってた。

 それを思い出して「これ、上げてみようか?」と佐古田さんに提案する。


「わぁ!パン食べるかな!?」


 すごくいい感じで会話できた。


 パンと犬のおかげで、俺と佐古田さんはある程度仲良くなれた。でも当時の小学生は、「付き合う」とか「彼女」「彼氏」とかそんな考え方自体なかった。「両想い」というのが辛うじてあっただろうか?

 今はまったく違うんだってな。小学生であんな事、こんな事を経験しているのも普通にいるらしい。おい、おまえら、小学生に先を越されてるんじゃないのか?しっかりしろよ?


 俺は佐古田さんと仲良くなった。

 時は流れその年の冬の事だ。学校の帰りに数人で雪合戦をしていた、俺と佐古田さん、林くんと坂さん、数人の男子などでだ。たまたま俺が投げた雪が佐古田さんに当たった。

 佐古田さんは怒って、俺にも雪玉を投げてきた。俺はまた雪を作って投げた。


 佐古田さんは走って逃げた。


 横断歩道に向かって走った佐古田さんが、急に目の前から消えた。



 激しい音とともに車にひかれたのだ。 



 目の前は騒然だった。一緒に雪合戦をしていた林くんは、ひきつった顔で俺にこう言った。


「おまえが最後に雪玉投げたんだから、おまえのせいだぞ、俺は関係ねー」


 ほかのみんなも口ぐちとそう言った。


 俺は。

 

 俺のせいだと思った。



 救急車が来た、くたっとなっている佐古田さんを乗せて、救急車は走っていった。俺はとんでもない事したんだと思った、お願いだから佐古田さん死なないで!って心底思った。


 次の日、佐古田さんの席は、朝の会が始まっても空席だった。原先生が朝のニュースが終わった後に、切り出した。


「昨日、佐古田さんは交通事故にあいましたが、命に別条がないようです。お医者さんの話ですがぶつかる直前に持っていた傘が開きそれがクッションになって、ほとんど怪我がなかったのではないかという事です」


 俺はうれしくて泣いた。


 その日から俺は林くんやその友達からイジメられた。


「殺人未遂犯め!殺人未遂犯!」

「こっち来るな!こっち来るな!」


 俺はイジメられて当然だと思った、死ななかったし怪我はないにしろ、佐古田さんは死にかけたんだ。俺が殺しかけたんだ。

 そして1週間が過ぎた頃、佐古田さんが事故後初めて登校してきた。

 頭にメロンをかぶせるアミアミのようなガーゼをつけて。


 (怪我が無かったなんてうそじゃん)


 大けがさせてしまった……!俺はそう思った。謝りたかった、でも話しかけれない。なんでだろう……。


 林くん達は、俺をイジメまくった。


「見ろ!おまえのせいで佐古田は怪我したんだぞ」


 俺には反論する術がなかった、その状況を佐古田さんが見ていた。俺は俺の方を見ている佐古田さんの目を見た。


「ざまーみろ」「当然よ」「可哀想とは思わない」


 そんな風に言っているように感じた。


 4時間目


 緊急学級会が開かれた。

 議題は「佐古田さんの交通事故について」


 佐古田さんは、俺がイジめられているのを見て、原先生に言ったらしい。原先生はとてつもない形相で、交通事故の経緯を説明した。実際俺をイジめていた子達の大半は、その時の状況を見ていない、知らない人たちばっかりだ。

 知っていたのは林くんと佐古田さんと、その他2、3人だ。

 道路脇での雪合戦、それに参加していた全員に非があるという事は、内心みんな思っていた。

 俺は違うが……。


「佐古田さんが交通事故に合ったのはまこと君のせいなのでしょうか?みなさん意見を出して下さい」


 原先生が言った。

 当然のごとく「はい!はい!はい!」とみんなが手を上げる。


「では、佐古田さん」


「雪合戦で道路でしていたみんなのせいです。最後に雪を投げたまこと君だけのせいではありません」


 それを聞いたあと、原先生は無言で雪合戦をしていた子(佐古田さん含め)全員をカレンダーの細い棒で殴った。


「おまえらが道で雪合戦なんかしてるから、交通事故に合ったんだ。帰り道は遊んで帰るなとあれほど言ってるっだろうが!そんなに雪合戦がしたいなら、思う存分やってこい!!」


 そういうと、雪合戦をしていた全員(佐古田さん以外)を校庭に連れ出して。


「ほら、雪合戦をしろ」

「やりたいだろ?ほら、しろ!」


 と俺達を雪の中に押しだした。

 そのあとはあまり覚えていないが、俺はイジメられなくなった。ただ、佐古田さんとはそれ以来話す事ができなかった。たぶん俺の負い目からだろう。誰にどうこう言われても、あの事故は俺のせいだと思ったからだ。


 なあ、おまえらは、原という先生をどう思う?

 どう感じた?

 とにかく、こんな先生は今じゃなかなかいないと思う。それが、良いかどうかは別にして……。




 なんだか、締りのない終わり方になってしまうようなんだが、これで、「原という先生」の話は終わりだ。


 でも原先生が担任だった小学校3、4年の間たくさん学級会をした。俺が議題になったのはこの二つだけだがね。

 他にもいくつか原先生の思い出はある。細かい事からちょっと長い話まで…、俺の小学校3、4年の記憶が薄れてしまわないように、覚えている分だけおまえらに伝えたいと思っているが、とりあえず、今回は……。


 おしまい。という事で。

 この物語はもうずいぶん前に私がとある掲示板に投稿したものを手直しをしたものです。

 一応お話的にはまだ続きはあるのですが、ここまでが区切りがいいので、この形で終わらせたいと思いました。

 もしご要望があれば、お気軽にお問い合わせくださいませ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] まず、面白かった。そして、読みやすく話に引き込まれました。語り口が一貫しているのでとてもまとまりがよく読み込みやすかったとおもいます。 先生の考えがどういうものだったのか知りたくなります。…
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