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饒舌 饒舌シリーズep1  作者: 八束天音
6/6

悪戯で気まぐれで饒舌な、ある女の子の雑談 その6

いつもとちょっと違った舞台で。

 待ち合わせ場所の、空き教室に姿を現した俺を見て、新荷は何を言うよりもまず、呆れかえったようにため息をついた。


「トワ君、それは一体どういう冗談だい」


「それって?」


「その服装さ。こんな時間の外出でも、制服を着るとは、律儀というより異常だぜ」


 呆れたままの視線で俺を見返し、そう答える新荷。言われて自分の服装――学校指定の制服(冬服)を見下ろす。


「これか。だって新荷、お前、部活動だって言ったじゃないか。部活なら制服だろ。それに、こんな時間に学校に行こうと思ったら、制服が一番ぐだぐだ言われないで済むんだ。にしても、もっと早くに言っておいてくれれば、それなりの準備もしたが、いきなり言っていきなり今晩、は正直ほんとなら無理だったんだからな」


 新荷の言葉に、俺は思わず口をへの字に曲げて答えた。こっちもそれなりに苦労してるんだぞ。それなりのいたわりってもんが……いや、こいつにそんなものを期待する方が間違いか。


「で? とにかく言うとおり来てやったぞ、新荷。おまえが『何も聞かずにとにかく来て』って言ったから、その通りにな。……一体全体、何の用事なんだよ。こんな時間に」


 俺は腕組みをして、新荷を睨みつける。睨みつけられた新荷は、にやっといたずらっぽく笑った。


 こんな時間――今は時刻は宵の口、と言うらしい。新荷が一方的に言ったのは「いつもの場所で、宵の口に」というなんとも大雑把な待ち合わせの指示だけだった。そもそもヨイノクチってなんだよ。俺はその日家に帰った後、大急ぎで辞書を引く羽目になった。こんな時間に学校に行くということは、それだけリスクもあるのだが、新荷の方はその点、全く意に介した様子はない。反論しても無駄なのが分かっていたので、俺は余計な言葉を挟むことなく承諾したのだが。


「何の用事、か。夜中にこんな真っ暗な場所で男女が密会する、その目的かい? ふふ、決まっているだろう」


 口の端を上げ俺に一歩近づいて、その身長差から俺を少し見上げる形になった新荷は、くすくすと笑った。忍び込んだ手前、電気をつけるわけにいかなくてだから教室の中は真っ暗だった。しかし、窓の外には満月が浮かんでいて、その光が教室を、新荷をぼんやりと照らしだしている。強い巻き毛の黒髪が、月光を浴びてうっすらと光を帯びていた。俺はその光景に、ぎくりとして、思わず後ずさる。


 新荷の手が、退がった俺の身体を追うように伸ばされ――俺の眼前で、ぴっと人差し指を立てた。


「天体観測だよ!」


…………。


「はぁ?!」



*      *      *


「くっくっく、さっきのトワ君の顔と言ったら。傑作傑作、実に愉快だ。カメラでも持ってくるんだった。写真で見返せば1年は笑って暮らせるレベルだったのに、いやいや、実に惜しいことをした。そう思わないかい、トワ君」


「……突っ込みたいところは色々あるが、とりあえず、それを俺自身に聞くのは間違っている」


 上機嫌で階段をずんずん昇っていく新荷のあとを、馬鹿みたいに重い天体望遠鏡を担いだ俺はやっとのことでついて行く。望遠鏡は、新荷が地学準備室からくすねてきたらしい。鍵と良い、望遠鏡と良い、本と良い、新荷にとって学校の備品は自分のもの同然らしい。常識ある俺は当然そんなことに加担する気はないが、しかし新荷に運べと言われたら運ぶしかない。新荷が運ぼうとすれば平面移動ならともかく、10センチとして持ち上がることはないだろう。屋上まで運びあげるのは夢のまた夢だ。さて、この場合俺は共犯者なのか、強要されたから被害者なのか。


「遅いぞ、トワ君。ほら、ここで最後だ、頑張りたまえ。星空まであと少し、ふぁいとふぁいと」


 まったくもって誠意の感じられない応援の声を聞きながら、俺は望遠鏡を担いだまま5階分という距離をなんとか昇り切った。屋上に出るための鉄製のドアは開いており、ドアの向こう、星のきらめく夜空が見えた。


 屋上に、新荷が待っていた。屋上の真ん中に、ただ立ってこっちを見ていた。高所だからだろうか、強い風が吹いていて、新荷の長い巻き毛やスカートを存分にはためかせている。その表情は暗くて見えないが、しかし分かる。いつも通りのにやにや顔だ。俺は横から吹き付ける風に耐えて、新荷の元まで望遠鏡を運んだ。


「っと、ここでいいのか」


「うむ。御苦労、トワ君」


 いつも通りの尊大な態度で、新荷はうなずいた。俺はそこに望遠鏡を下ろし、やっとのことで一息ついた。そしてそのまま大の字に寝転がる。汚いだろうが構うものか。多少汚れたとしても、この一時の休息の方がよっぽど大事だ。大きく息をついて、そして目を開いた。


「ぅぉ……」


 思わず息が漏れた。



 ――なんて、星の量だ。


 視界いっぱい全てが空だった。空いっぱいに、敷き詰めるように、星がきらめいていた。きらきら、きらきらと、何千何万という数の光が、視界いっぱいに広がっていた。



「どうだい、見事なもんだろう。ここらへんは、知っての通り田舎で、しかも周りは田んぼと山だけだ。夜になってしまえば光源なんかほとんどないから、これだけの星が見えるのさ」


 寝転がった俺のすぐ横で声がして、ぎょっと横を見た。


 新荷が俺のすぐ横に寝転がっていた。距離で言えば、お互いが腕を横に伸ばしたら頬を引っ張り合えそうな、そんな距離だ。新荷は俺の視線に気づかないで、空を嬉しそうに見あげていたが、俺が新荷を見つめていたのに気がついて、こっちを向いた。目が合い、そしてその目がニヤリという感じに細められる。


「おやおや、何をそんなに見つめているのかい。この光景にもう飽きたのか? それとも、そもそも感動すらできなかったのかな? だとしたらかわいそうにねえ。感受性というものがトワ君には決定的に足りないという結論を出さなければならないな。それとも、トワ君、こんな光景見慣れているのかな?」


「俺の家が田舎だと言いたいのか? 自分で言うならいいが他人に言われるとむかつくぞ、それは。いや、それより、」


 俺は上半身を起こした。


「俺は別にどうでも良いが、新荷、服汚れるぞ、良いのか」


「心配してくれるのか、優しいこと。くっく、しかし心配ご無用だ。そんなことより、ほら、望遠鏡。それであの星を見てごらん。面白いものが見えるよ」


 と寝転がったまま、偉そうに指さしで指示を出す新荷。俺は指示に従って、望遠鏡をその方向に向けて、レンズを覗き込んだ。レンズ越しに見ると、区切られた空間で切り取られた星空が見える。このなかから『あの星』を見つけろということらしい。しかし、どれも同じに見える。


「あの星ってどの星だよ」


「ほら、その、一番大きな星さ」


「わかんねぇよ、こっちか」


「違う違う、ああ、不器用だな。貸して」


 いきなり横合いから望遠鏡を奪われた。いつの間にか立ち上がっていた新荷は、俺を押しのけるようにして望遠鏡のレンズを覗き込むと、すこしのあいだ微調整してから、


「これで良し、ほら、覗いてごらん」


 と改めて俺にレンズを返した。めんどくせぇなあ、と思うが、一言でも文句をつければ10倍になって返ってくるのが目に見えているので、しかたなく黙って望遠鏡のレンズを覗きこむ。


 視界の真ん中に、綺麗な球状の天体があった。その周りには、はっきりとリングが見えた。


「これ、土星か?」


「ご名答」


 新荷の面白がるような声。「トワ君でも、土星ならわかるかと思ってね」というからかいの言葉は、そうだな、珍しいものを見せてくれたお礼だ、聞かなかったことにしておこう。



*     *     *


 俺と新荷はもう一度、二人して屋上に大の字になった。降ってくるような星空、そのなかに自分が落ちていくような、不思議な浮遊感。ともすればいっそ不安になりそうな、その感覚を、隣で寝転がっている新荷の饒舌がつなぎとめる。俺はそれを、ときどき相槌を打ちながら聞いている。話す内容はいつも通りのくだらない、世間話、雑談だ。それも、そのほとんどが新荷が一方的にしゃべるだけの。そうして直上にあった星がすっかり傾いた頃、新荷が体を起こした。


「さ、そろそろ帰る時間だ。でないと終電がなくなってしまうよ。くっく、それとも、学校に泊まっていくかい」


 俺も体を起こす。


「いや、それは遠慮しておく。帰るよ。じゃあな、新荷」


 天体望遠鏡を担ぎあげ、よたよたと校舎のドアへ向かう俺の背中に、新荷の声が追いついた。


「またね、トワ君」


 振り返る余裕はないが、きっと手の一つでも振っているのだろう。気楽なものだ。俺はこれから天体望遠鏡を返すために費やすエネルギーのことを考えて、内心うんざりしながら、屋上を後にした。

去った後の事を考えてみる。

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