悪戯で気まぐれで饒舌な、ある女の子の雑談 その5
「そういえばトワ君は、部活には入っていないんだったね」
空き教室で窓の外に目を向けていた新荷は、ふと、というように振り返った。
おそらくグランドで練習している野球部員でも見たのだろう。
唐突な話題転換はいつもの事なので、俺は特に考えることなく答える。
「ああ、そうだな。もし入ってたら今頃こんな所にはいないだろ」
新荷は俺の答えににやにやと笑みを浮かべる。
「くっくっく、まあそうか。君がグランドでぐるぐる回ってる連中のように叫び声を上げるところも、どこぞの実験室でフラスコを傾ける姿も全く想像がつかんね。かといって一番イメージしがたいのが君が勉学に励む姿だが」
「俺はこれでもちゃんと毎日学校に来て授業を受けている」
お前がそれを知らないはずがないだろう、とまでは口にはしないが、当然のように新荷は俺が言わなかったセリフに返事をした。
いや、そう見えるだけか。
「知っているさ、もちろん。言ってみただけだよ、くっくっく。部活に入る気もないのかい」
「誰かとつるんでまでしたいような趣味はないからな」
「無趣味はむしろ教養の無さを露呈しているに等しいよ。ここは嘘でも適当な趣味をでっちあげるべき場面だな。と言っても、読書が趣味と言って漫画を含むのはご法度だから気をつけるように」
「……漫画も書物だろ」
「書というものの重みを知らない輩はこれだから。確かに書と言えば本という形態それ自体を表わすものだから、漫画もまたそれに含まれるのだけどもね。一般の用法からすれば、字義の通りではないのだよ。図書館戦争を読んだことはないのかい」
「さんざん書物とか言って映画じゃねーか……」
一時期あちこちで見かけたポスターを思い出し、俺は呆れて突っ込んだ。
主演男優がたしか有名なアクション俳優だった、と思う多分。
うろ覚えだからはっきりしないが、そいつが軍服のようなものを着てこちらを睨む、というわかりやすいデザインだった。
すると新荷は「おいおいトワ君」と呆れたというような口調で言った。
掌を額に当て、天を仰ぐ、という大仰な仕草と共に。
「それは本気で言ってるのかい? 嘆かわしいとはこのことだ。あのね、図書館戦争は小説が原作だ。というより小説が有名になったから映画化したんだ。映画の出来について観れない私はなにも言える立場にないが、いわゆる悪名高い『実写化』ってやつだね。世に言う、嫌な予感しかしない言葉ワーストスリーに入る単語だよ。ちなみに残り二つは『個人差があります』と『殺人鬼と一緒の部屋になんていられるか、俺は自分の部屋にこもる!』だ」
なんだ特に二つ目の。
使用状況が恐ろしく限られたセリフに俺は呆れて言葉が出ない。
「まあ、このセリフがないと、連続殺人も起きなくなってしまうからね、必要悪というべきかもしれないが。なにしろ連続殺人事件を未然に防いでしまっては、解決する探偵の出番も無くなってしまうからね」
「未然に防ぐのは解決のうちじゃないのか」
「誰も死なない事件を解決して誰が喜ぶんだい。推理小説の楽しみは、探偵の解決編だ。そして解決編の高揚感は、それ以前の陰惨さや理不尽さ、不可解さという深さによって得られるものだよ。起きもしない事件に深みはない。したがって解決しても高揚できないだろう」
「誰も死なない推理小説くらいあるだろ」
「そりゃあるがね、やはり死の重みというのはそれだけで価値がある。死ぬはずだったけど死ななかった被害者を並べて、はたして犯人は自白をするかい。自分の動機を切々と語るかい。実行できなかった犯罪じゃ、自首もできない。犯人の自供は、東尋坊の崖の上でこそ映えるってもんさ。裏路地や交番で語る殺害動機はただただ地味なだけだ」
独自すぎる美意識に、正直言って俺は半分くらいしかついていけない。
というかお前が死の重みがどうとか言うなよ。
先ほどとはまた違う意味で呆れつつ、一応自分の見解を示しておく。
「解決編や犯人の動機よりも、事件の方が面白いって読者もいるんじゃないか」
「ふむん、それはまあ確かにそうだね。本の読み方など人それぞれだ。だからまあ、他人の読み方をあれこれ言うつもりは私もない。だけども、そうならばやはり同等に、私の読み方を誰かにとやかく言われる筋合いもまたないよ」
にやにやと得意げに笑いながらそう語る新荷。俺は「やれやれ」と肩をすくめたくなる。
「誰もお前の読み方をとやかく言ったりしないさ」
「そうあって欲しいものだね。そして読書歴ついでに私としては、君の今まで読んだ推理小説の題名でも聞いてみたいな。綾辻や島田は読んだことあるかな。それとももしかして森博嗣は読むかい。京極や宮部でもいい。軽めなら赤川や東川もあるが」
知らない名前の羅列に、ぽかんとしてしまう俺。新荷はそこにさらに身を乗り出す様にして言い募る。
「反応が鈍いね、トワ君。じゃああれはどうだ。江戸川乱歩。その由来のエドガーアランポーでもいいが。日本のものはあまり読まないならドイルはどうだ。アガサやカーは」
ぐいぐいとかつてないほど近づいてくる新荷の顔に、もっと言うならその目に圧されて、俺は身をのけぞらせる。
瞳がらんらんと光って見えるのは気のせいだと信じたい。
「おい、あらたに、近い……!」
俺はたまらず、両手の平を顔の前に広げ、新荷を制止した。
新荷は、ハッと目を瞬かせ、
「お、っと、これは、失敬」
と素早く身を引いてくれた。
ふう、やれやれ。
「すまないね、ついつい。こういう話はどうも、身が入ってしまう」
気まずいのだろう、目を反らし気味の新荷。
その横顔に俺の方もなんとなく気まずくなってしまって、こちらはついぶっきらぼうな口調になる。
「人の読書歴なんか、知ってどうなるってわけでもないだろ」
新荷は、ふっ、と小さく息を吐いた。
「読書歴ほど、その人の人となりを表わすものはない。特に私みたいな本の虫はね。トワ君の場合はどうか知らないが、それでも、トワ君がどんな人か、想像くらいはできるじゃないか」
新荷のそのいつものにやにや笑いが、いつもと違う感情を内側に隠している気がして、俺は内心が乱れるのを感じたが、それを振り払った。
「……俺は、俺だ。新荷が知ってる俺が、多分正解だよ。今さらあれこれ想像する必要なんかない。お前ほどなんでも見透かしたやつはいないんだ、俺より俺の事を知っているだろう」
「これはこれは、ずいぶんな買い被りだね。なにか裏でもあるんじゃないかと疑いたくなっちゃうな。その心は?」
新荷の茶化すような声。
だから俺も続ける言葉を冗談めかして言うことができた。
なんのことはない、俺は新荷の事を何も知らないが、それでも――
「だって、俺の親友じゃないか」
新荷は、俺の返事に、驚いたように、こちらをまじまじと見つめ、そしてすぐに、にやり、と笑んだ。
「親友か。くっくっく、その通りだ、まさしくその通りだね。実にありがたく嬉しい言葉を有難う、親友。くっくっく」
新荷は愉快げに肩を震わせた。
「……いちいち笑うならやめろよ」
自分で言っておいてなんだが、気恥ずかしいセリフを吐いてしまったものだ。
それも、相手に一度ならず繰り返されるといやでも突き付けられる気がする。
といってやめろと言ってやめる新荷ではもちろんないから、この文句、言うだけ無駄だろうが。
「はっはっは、恥ずかしがるない、親友。いい言葉じゃないか。君みたいに友達が少ない人間ならなおさらだろう」
ドヤ顔で言う新荷。
これはいよいよ言うだけ無駄のようだ。
肩を落とす俺に、新荷は続ける。
「そして、何を隠そう私みたいな存在にとってはもっとそうだ」
そりゃそうだろうが、という言葉は飲み込んだ。
言っても意味がないことだ。
「そして親友、残念ながらそろそろ時間も遅いようだが、帰らなくて大丈夫かい」
新荷の言葉に、窓の外を見れば、グランドはおろか、校庭脇の並木も見えないような暗さになっていた。
もうこんな時間になっていたのか。
「ああ、もう帰らないとな。じゃあな、新荷」
床に置いていた荷物を手に立ち上がる。
この時期は日が落ちるのが速いので、暗さの割にまだ時間は深夜というわけではないが、そろそろ急いだ方が良いだろう。
挨拶だけして教室を出る。
「ああ、またね、トワ君」
くっくっく、という笑い声を含みながら、新荷はひらひらと手を振った。