悪戯で気まぐれで饒舌な、ある女の子の雑談 その2
窓を見ると霜が降りて白く曇っていた。雪が降っている。制服の隙間から忍び込んでくる冷気に体の芯が冷える。昼休みの喧騒を階下に聞きながら、俺は人気のない廊下を歩いていた。たんなる散歩だ。毎日というわけではないので日課というわけでもないが、まあ習慣の一種である。そして、ここ半年くらいは、散歩にもう一つの目的が加わった。ある人物の探索である。
廊下の奥、一番端の教室。準備室、と書かれた札を見ながら、教室を覗き込む。確信はあった。ここのところ、あいつがどこにいるか、予想がつくようになってきた。
「やあ、トワ君、待ってたよ」
はたして予想通り、その教室の真ん中には新荷が座っていた。そして、にやにやといつもの笑みを浮かべてそう言った。予想通りだったのは俺だけではなかったらしい。
「ずいぶん寒そうだね、トワ君」
見透かしたような態度で声をかける新荷に、俺はわざとらしくため息をついて見せた。探していた人物を見つけ出したはずなのに、実際こうして会うたびに、なぜだろう、呆れるような気持ちがわいてくる。相変わらずだ、と。
ともあれ、俺は手近な机に腰を下ろした。品がない、と非難するような人間はこの教室にはいない。
「もう冬だからな。だが俺としては女子の制服の方が見ていて寒そうでならん。足は出てるし、首元も詰まっていないしな」
教室も、誰も使用していないとなると冷える。俺は身を縮めながら答えた。新荷は、肩をすくめる。
「まあ、制服だからね。字義通り制限された服さ。寒くなれば寒いし、暑くなれば暑い。対処のしようがないよ。実際のところ難儀な代物でね。毎日服を選ぶ面倒から解放されるのだ、と主張する一団には、ぜひとも、寒暖の差への柔軟性の低さについて論じたいもんだね。そもそも、衣服を制限するならばまず、住環境を改善すべきだと思う。この校舎を建て替えたのはつい最近なんだから、それくらいの配慮はあってしかるべきなんだろうけどね。昔と変わらず、廊下や空き教室は冷えるようだ」
「建て替え前にはお前いなかったろう」
したり顔で苦言を弄する新荷に思わず突っ込みを入れた。校舎の建て替えは十年以上も前の話だ。いくら中高一貫校といえ、そんな前から在籍できるはずがない。何歳だよ。
「細かいことじゃないか、気にしない気にしない。そんなことばかり気にしてちゃそのうちにはげるぜ?」
ビシ、と俺の額を指さして、にやりと笑う新荷。俺が憮然とした顔をするのを見て、新荷は満足そうにうなずいて、続ける。
「ま、なにはともあれ、だ。おとつい昨日に続けて今日もとは、ずいぶん熱心だね。そんなに私に会いたかったのかい」
くっくっく、と底意地悪く告げる新荷に、俺は肩をすくめる。
「散歩のついでだよ。それを言うならオマエだってそうだろうが。まるで俺を待ってたみたいだったじゃないか」
軽いジャブを入れるものの、新荷は平然としたもので、まったく引っかからず、馬鹿だねえ、と俺を揶揄した。
「そんなもの、気配で分かるよ。この階の廊下はひと気がないんだ。この教室からでも、君の足音が近づくのくらい聞こえる。とぼとぼと君がさびしそうに歩いているのがよく聞こえたよ。ところで、独りでいる時、人はさびしそうに見える、というのはある漫画の中の話題だけど、実際のところそう思うことは多いな。普段にぎやかな人も、たいてい一人にすれば静かなものだ。というより独りでうるさい人を多分世間的には変人扱いするんだろうけどね。さらに言うなら、独りでいると、ついついくだらないことや余計なことばかり考えてしまう。世にある怪談の多くが、独りでいるときに怪異に遭遇する話であることは、この辺りと関係があるのかもしれないね。枯れ尾花と知ってなお、幽霊かもしれないという不安が、それを幽霊に見せるのさ。夜中だとか、宵闇とかだとなおいいね。見えるものが見えなくなり、見えもしないものが見えるようになる時間だ。黄昏、も、『誰そ彼』から来たというし、世界把握の大部分を視覚に頼っている人間にとっては、見えないこと、見えにくいことがイコール不安につながるというわけだね。幽霊も妖怪もお化けも、たいがいが夜の住人なのがそのいい証拠さ。例外はいるがね」
昼に妖怪なんか出たっけか。のっぺらぼう、は夕方だった気がする。なんだろう、もったいないお化けとかだろうか。
「そしてお化けや妖怪といえば、よく出る場所というものがあってね。病院や学校は定番なんだが、江戸時代とかだと、これがお城だったらしい。街の中央、普段人の多い場所は、夜中人気がなくなると、異界になるという感覚かな。ヨーロッパの方では、夜中の城には幽霊が徘徊しているという共通認識があるらしいし、案外、人類共通の認識なのかもしれないな。過去、あるいは昼間に人気の多いところは、寂れたり夜になったりして人気が減るとそのぶん異界化するというわけだ。昼間や過去の喧噪の気配がそういう幻想を抱かせるんだろうね」
「ふうん、相変わらず博識だな」
「君が無知なのさ」
適当な相槌を打ったら即答で鋭いカウンターが返ってきた。
「ふん、じゃあ、それを教えてもらった俺は多少は賢くなったな」
「ソクラテスには程遠いように思うがね」
「お前今日特にひどくないか?!」
からかうにしても言葉が強すぎる。俺何か悪いことしたか?
「被害妄想の強い男だね。単なる楽しい漫才じゃないか、そう本気になることもあるまいに。関西人だろ君。ウェットに富んだ会話を楽しみたまえ」
「濡れてどうするよ、あほの子かお前は」
「くっくっく、そうだ、その言葉が聞きたかった」
「あほの子って言われて悦ぶとか」
「あれ、これ褒め言葉だったと思うが違うのかな」
「どこの業界での?!」
新荷が遠くの国の住人だった。
「冗談だよ、イッツアジョーク。あめりかんじょーく」
新荷はエセ外人のように肩をすくめた。
「ユーモアのセンスがないトワ君には、高尚すぎたかな。日本伝統のボケとツッコミの芸能の奥深さは伝わらないか」
「アメリカンジョークっていったろ今さっき」
「記憶にございませんってね。もうすぐ予鈴が鳴るよ。急がないと君、次は移動教室じゃなかったかな」
政治家かお前、と突っ込みかけて、新荷の言葉にはっとした。教室を見回すが、使っていない教室には時計が備え付けられてない。廊下の時計を見ようと身を乗り出したその時に、チャイムが鳴った。やば。
「やべ、もう行くわ。じゃあな」
「ああ、バイバイ」
にやにや笑いながら手をひらひらと振る新荷を背に、俺は教室を飛び出した。
2話目も無事投稿できました。飽きずについてきていただけると嬉しいです。