悪戯で気まぐれで饒舌な、ある女の子の雑談 その1(挿し絵つけました)
饒舌な女の子が、饒舌に雑談をする話です。
日常系(?)
「おやおや、こんばんは。トワ君。昨日ぶりだね。ずいぶん熱心なこと」
新荷は俺の姿を見るなり、くすくす笑いながらそう言った。新荷は、椅子に逆向きに座っている。背もたれに腕を絡ませて顎を乗せ、脚をぐいと開いて背もたれを挟む、あまり上品とは言えない座り方だ。背もたれが邪魔して見えたらだめなところは見えないのがせめてもの救いか。見たくないし。
「熱心と言うか、単に暇なんだよ。ここのところ宿題も少なくてな」
俺はため息をついていつも通り適当に流し、新荷のそばの机に体をもたれさせる。
「暇だからと言ってわざわざ会いに来てくれるなんて、ツンドラなこと」
くっくっく、と新荷は笑いつつそう言うが、ツンドラじゃ永久凍土だ。おれは年中氷点下か。
「ま、おかげで饒舌たる私にも聞き手ができてうれしい限りだ。トワ君は宿題がなくて勉強の習慣がなくなり学力低下になるだろうが、そんなことは私の知ったことじゃないからな。なに、心配することはない。世の中、勉強よりも大事なことはいくらでもある。思う存分私に付き合うがいいよ。その方が少なくとも私にとってはずっと価値のあることだ。たとえ宿題が出てもそんなもの無視して、どんどん通って私の相手をするがいい」
驚きの自己中発言。まあ、今に始まった話でないのでここは聞き流そう 。
「宿題は自分のためにするものだ、会話は他者のためにするものだ。同じ行動なら、人のためになることをする方がずっといい。小学校でもそう習っただろう。他者のために自己を犠牲にすることの尊さを身をもって体現するといいよ。マザーテレサの再来だ。私は腕を広げて歓迎しよう。なにしろ私の方に損害がないからな。否定する理由も拒否する利益もない、実に有意義な奉仕というわけだ」
「お前にとって一方的にな」
「うふ。それがどうした、奉仕とは元来そういうものだろう。ボランティアしかり、メイドさんしかりだ」
「メイドさんは報酬をもらってるだろ」
「それは事実だが、その場合、その報酬は対価として同等なのかという議論に移らねばならないな。行動の価値を通貨に換算した場合、それがはたして等価交換たりえるのかという問題だ。通貨は流動的で、そして行動は刹那的だからね。刹那の瞬間における価値は固定されてしかるべきで、流動するものではない。円高円安、ドル高ドル安、多国間における通貨の差異を取り上げるまでもなく、そもそも卵一個の値段すら、日々微妙に変化しているのだ。いわんや給与額をや、ってね。トワ君は聞いたことがあるかな、家事労働を金額換算した場合に予想外に――まあこれは一部の人間には予想外だった、と言った方がより正しいが――とにかく予想外に高い給与になったという笑い話がある。時給がいくらになって就業時間がどれほどあるか、専門性の可否、それに各家庭の状況、といった評価項目は山ほどあるから一概にこれだという一律の金額を提示するわけにはいくまいと私なんかは思ったものだが。トワ君はどう思う?」
「歩合制とかじゃないのか」
「そうなのかい? いや、私も寡聞にして知らないんだ。だがしかし、それはこの問いに対する明確な答えたりえないと思うんだが。つまり等価交換の等価は等価なりえない、ということだ。歩合にだって差分は出る。ふふ、エルリック兄弟も大変だ。等価とは何か。価値というものには根本的に貨幣の存在が含まれる。貨幣とはその流通文化における価値に左右される。時代によって、場所によって大いに変動するものなのだ。日本じゃ水は蛇口から出るが、砂漠じゃ掘っても出てこない。実に不公平かつ不平等なのだよ、何事もな」
「物々交換とかあっただろ、歴史で習った」
「物々交換こそ、不平等の代表だ。牛半頭分の価値の米俵をどうやって等価に交換するというのだ。その場でまさかりかついで真っ二つか? 金太郎じゃあるまいし」
「金太郎はそんな残酷な話じゃないぞ……」
「何を言うかな、トワ君は。金太郎は熊を投げとばしている。これぞ動物虐待も良いところじゃないか。動物愛護団体からいつクレームが来て発禁処分にならないか、常に崖っぷちな危険図書だぜ。図書隊の早急な対応を要請しなくちゃならない作品だ。差別用語に暴力表現、非合法行為。まったくもってPTAの怨敵さ。古い作品ほどそれらが氾濫してしまうのは、まさに時代が故にだろうね。『昔はよかった』なんてしたり顔で語るリョウシキあるオトナにお尋ね申し上げたいものだ。貴方がたの時代は一体どれだけ現在よりもすばらしかったのかい、とね。昔なら常識的にやってたようなことも現代となっては非合法行為さ」
「違法ってことはないだろう」
「何を言うんだ、トワ君。よくよく考えてみたまえ。ならば君、聞くが、カエルのお尻にストロー指して膨らませてパン! なんて残虐行為が当たり前に行われ、親が見たとしてもなんのおとがめもない時代、それが昔だが、トワ君はこれをどう思う。嘆かわしいとは思わないのかな。動物愛護の精神のかけらもない、残酷な行為なのは誰が見ても明らかだ。今もしそんなことを道の往来でしている子どもがいたら、下手したらニュースになって社会批判学者の皆様がご高説を並べ立て始めること請け合いだ。彼ら評論家の皆さんは小さな子供のおかげでおまんまが食えるって寸法だね。社会の仕組みのなんと不思議なことか。なんであれ、仕事になり、なんであれ、誰かがそれを請け負っている。世界全部で請負人って感じだね。事実は小説より奇なり。ゆえに、少年よ、書を捨てよ、社会へ出でよ」
「最後、なんかいろいろ混ざってるぞ」
「細かいことを気にするなよ、大きくなれないぞ。元が小さいからと言って人物まで小さくなる必要はないじゃない。むしろ小さいからこそ大きくなる努力をしていくべきだと私は思うね」
「人格の器のサイズの話なんだよな?」
思わず割り込んで突っ込んでしまう。なんていうか個人攻撃に聞こえてきたせいだが、気のせいだと思いたい。
新荷は愉快げに、くっく、と含み笑いを浮かべ、「一般論さ」と肩をすくめた。
「そうさな、まあ例えるなら、『最近の若者はダメだ』っていう落書きが、何百年も前のローマだかの遺跡の壁に書いてあったという笑い話のようなことだよ。過去は別に素晴らしいと限らないし、現代の人類は別に退化したりしてない。いつだって懐古は美しくなり、そして現在を悲観する、それが人間という奴だってことだね。それがまあ、向上心とかにつながっているのだから、あってしかるべき感覚なのかもしれないな。もしくは、それこそが人類を人類せしめる精神構造だ、と言い変えてもいい。現在を否定しても、それは改良の意志であるという見方もできる。むしろ現在を甘受し、拘泥することは、進歩を否定することだともいえるね。どうだい、トワ君、君は、現状に満足しているのかな?」
「ものすごくいやなタイミングでの質問だな……」
にやにや笑いで俺を見上げる新荷を見返し、しかし、ふぅむ、としばし考え込んだ。
「……まあ、だけど、不満はないよ。おまえとこうしてしゃべっているのは、別に、嫌じゃない。そういう意味では、俺は進歩を否定する人間だってことになるか」
我ながらなかなかいい返しをしたな、と思ったが、新荷はしかし、途端に不機嫌そうに唇を尖らせた。
「しれっとよくもまあ。トワ君、君はそういう歯の浮くセリフを言う自分を冷静に分析したことはあるかい? けっこう間抜けだぜ?」
予想以上のカウンターが来た。間抜けと来たか。
「いや、別に、歯を浮かせたつもりはみじんもないが……」
「無自覚と来たか。ますます重症だね。ちょうどいい、もうすぐチャイムの鳴る時間だ。その足で病院にかかることをオススメするよ。お大事にね」
ぱたぱたと手を振る新荷。その仕草は、犬を追い出す『しっしっ』に見えなくもない。とはいえ、もうすぐチャイムということは、電車の時間を考えるとけっこうヤバい。
「じゃあな、新荷。また明日」
俺はすぐさま踵を返した。早足どころか駆け足でないとまずいレベルの時間だ。いつものことながら、新荷との別れはこうやって俺が慌てて帰ることになる。俺は新荷が慌てて帰るのをまだ見たことがない。本人は大雑把な性格のくせに、時間感覚は鋭く、腕時計の類をしていないにもかかわらず、これまで間違った時間を言ったことがない。「あぁ、また明日、トワ君」という新荷の声を背中に聞きながら、俺は振り返らずにそのまま学校を出た。もちろん、病院なんか寄らずに、まっすぐ家に。
読んでいただき、ありがとうございました。
この話は、まだ続きます。
彼女と彼の話も、まだ続きます。