DearDayDream
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勝敗は既に決していた。
味方の軍勢は普く荒野に倒れ伏し、血のこびりついた剣やら折れた槍やらで地面に縫い付けられている者もいた。
かく言う俺も、現在進行形で武器と一体化してこそいないものの、全身に傷を負い、特に腹部からの出血が酷くて、これでも意識を保っているのがやっとだった。革の軽鎧じゃやっぱ心許なかったか。
死ぬのかなあ、死ぬんだろうなあ、とぼんやり考えて、ああもう眠ってしまおうか、なんて。
砂塵は舞っても頭上の太陽は憎らしいまでに眩しくて、せめてとそれに手を伸ばし、光を遮ろうとして。
その手を何かに、ふわりと掴まれた。
「まだ息がある方がいらっしゃったんですね。……大丈夫ですか?」
今度は俺の身体が光を帯びる。
それはほぼ蘇生魔法に近い、高度な回復魔法だったらしい。それと判った時には、俺の負った傷は完全に塞がり、血も完全に止まっていた。
さっきの死に目が嘘のようで、上体を起こしても痛まない。そうなって俺は改めて、恩人と思しきそいつの顔を見た。
その時、俺は不覚にも驚いたんだ。想像もしてなかった顔が、其処にあったからな。
アルトの声音から、女かと思っていたが違ったらしい。まだ幼さの抜け切らない童顔ではあるが、優しげでありながら整った顔立ちの少年だった。心根の穏やかさが雰囲気から滲み出ている。
……自分でも可笑しくなる話だが、俺はこの時ほぼ一目惚れで初恋に落ちたらしい。
この白昼夢のようなシチュエーションで、だ。
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あの後、俺は少年と彼の連れてきた援軍と共に、勝利を確信し悠々と戦場に背を向けていた敵総大将を討ち取った。勿論奴の背後には守備部隊も存在していたが、奴が油断して最低限の人数に留まっていた事、それと、長くなるから詳しくは後にするが、俺の能力が統率の取れた集団戦向きだったので、少年の部隊が本当によく動いてくれたのもあって。
晴れて俺は一介の貧乏傭兵から、一国にお仕えする身になったって事さ。
有難い事にこの国では能力が全てだ。まあ確かに大抵は能力があってもコネが無ければお偉いさんに会う事も出来ないが、この国に関して言えば、コネが無くとも能力に自信があるなら、俺のように傭兵に志願して手柄を立てれば良い。それでお偉いさんの目に留まる事が出来るからな。
まあ俺はどっちかと言うと当時は地位より金が……食い扶持繋ぐ為とは言えそれはそれでセコいな。
おっと、自己紹介が遅れたな。
俺は今や神聖ハスワー皇国の将軍。皆にはレオって呼ばれてる。
皇国に仕えて、まずは小隊の長を務めてからめきめき頭角を表し、今じゃ天皇陛下に進言も出来る立場になった。まあ、三年は掛かったけどな。
あの時まだ19の若造だった俺も、もう22だ。まあ、まだ若いって言われるけどな。
で、今の俺には副将がついてる。魔導兵のアレクことアレクシス。何を隠そうあの時の少年だ。今やこいつもあの時の俺の歳になると言うのに見た目が全然変わってない。化け物か何かだろうか。
……あれ以来ずっと片想いしてる相手に対して、我ながら酷い言い種だとは思うが事実である。だって普通、個人差はあるだろうが数年も立てば顔立ち変わるだろ。
彼は天皇の腹違いの弟らしい。権力争いを避ける為に、実力はありながら色々な将軍の元で副将を務めるに留まっていたとの事。
で、今は俺の副将をやっている。本人曰く今まで仕えた中で一番相性が良く、何より俺が天皇筋の子だと特別扱いしないから居心地が良くて長続きしているのだとか。
俺にしてみれば天皇筋だろうが子供は子供なんだよな。……別に彼以外の少年にときめくわけではないので、ショタコンではないと思いたい。
それに子供とは言え、明らかに俺より頭良さそうだし雑務手伝ってくれても良い気がするんだが。
「報告書と進言書は今日の夕方までに提出しないと、明後日の内政会議で議題にすら上がらなくなりますよ。急いでくださいね」
ほぼ彼の私物と化している、執務室の蔵書の整理をしながら、アレクは聖人のような微笑を浮かべてきっぱりと言い放ってくれやがった。取りつく島も無い。
自分で言うのもなんだが、俺は頭は悪くないと思う。
俺はこれでも昔、魔法剣士を目指してたから、親に高い金払って貰って学校にも通ってた。成績も優秀とまではいかなかったけど、まあ中の上だったな。
でも途中で妹が家の金盗んで駆け落ち、お袋がショックで自殺、以来親父も猜疑心の塊みたくなっちまって、あんまり金出してくれなくなった。
で、魔法科に進むだけの学費が足りなくてだな。仕方なくもう少し安い魔曲科に進んで、今は『魔曲剣士』ってかなりマイナーな生業してるわけだ。
『魔法』が炎やら雷やらでの攻撃や、光やらでの回復っていう、直接対象に働き掛けるものの総称であるのに対し、『魔曲』は歌や演奏によって敵の士気を下げたり味方を鼓舞するものが殆どだ。統率の取れた集団戦向きってのはこういう事だ。
味方に周囲を抑えて貰いつつ、俺自身は消耗を抑えて敵将の首を取りに行くって戦い方をするのがベストなわけさ。だから寄せ集めで、誰もが手柄を上げるのだと息巻いてるあの集団の中ではあんまり俺の力は生きなかった事になる。
マイナーな理由の大部分だな。尤も、将軍になった今じゃあかなりの適材適所でもあるわけだが。
因みに俺の武器はちょっと変わっている。剣なんだが、柄の上に小型の竪琴がついてるのさ。
と、話が逸れたが、そんなわけだから俺は頭は悪くない筈なんだ。だけど、さっきも言ったように頭が良い、とも言い切れない……と言うか、勉強が、と言うより頭使う事そのものが好きじゃない。
ぶっちゃけ兵法書や魔導書、譜面を読むなら兎も角、書くのは面倒でしかなかったし、勉強らしい勉強も、テスト前だけに猛勉強してる感じだったから。
なんで、報告書に関しては、事実をそのまま文章に起こせば良いだけなので内容を考えるのは別に苦にはならない。が、書く事そのものはやっぱり面倒なので、途中で眠くなる。
もっと厄介なのが進言書の方で、兵補充してくれとか、敵国との戦線の前線にある城の修繕してくれとかは偶に書くんだが、内政に関しては正直あんまり得意じゃない。独学で最低限の知識だけは身に付けたものの、元々俺は政治や経済の流れを見るのが苦手らしい。
で、俺よりそういうの得意そうなアレクは手伝うどころか知恵を貸してもくれないし。
それどころか助けを求める暇があれば手を動かせと、更に催促される事が殆どである。基本的にこいつは真面目すぎるんだよな。
「眠そうですね。手が止まってますよ」
「実際眠いんだよ。昼寝させろ」
「今寝たら絶対間に合わないじゃないですか」
「……」
思わず舌打ちしてしまった。アレクの言う事が間違ってないから、余計に気が沈んだのもある。
仕方なしに俺は改めてまだ三分の一程度しか白紙でない部分がない報告書に視線を落とした。見れば見るほど気が重い。
くるくると羽根ペンを回して逃避していると、アレクがこっちに歩いてくる気配がした。お説教だろうか。
さて、こうなると面倒なので無視を決め込むかと俺は割と本気で考え始めたが、意外にもアレクは別の目的で寄ってきたらしかった。
アレクが徐に、耳を隠すように伸びている俺の髪に指を通す。
「……レオ、最近髪の手入れしてないでしょう。折角金糸みたいで綺麗なのに、指通り悪いですよ」
一瞬面喰らった俺は間抜けにも目を丸くしてアレクの顔を見上げてしまったが、言葉の意味を理解したら冷静になれたので、すぐに仏頂面を作り直した。で、これで引き下がるのも癪なんで、しっかり反論させて貰う事にする。
「失敬だな、ちゃんと洗ってるぞ」
「汚いとは言ってませんよ。洗っても碌に乾かさないどころか櫛も通さないからです」
「汗や汚れでギトギトになってなきゃ良いんだよ。別に誰かに触らせる為に伸ばしてるわけじゃないんだからさ」
「今僕が触ってますけど」
「お前は駄目だっつっても聞かないから諦めた」
溜息を吐かれた。まあ普通はそうなんだろうなとは思う。俺が頓着しなさ過ぎなのだ。今更改める気も無いんだが。
アレクもこれ以上言っても無駄だと判断したようで、右向け右といった感じで向きを変えた。俺はその時はすぐにまた報告書に視線を落としたので、蔵書整理に戻るんだろうなと勘違いしていた。
が、気付いた時には背後にアレクの気配があった。気配を探るのは、戦場に立つ将兵として当たり前のように癖になっている。だから、特に今みたいに背後に立たれる事には敏感になってしまっていた。未だに気配を察しただけで身構えてしまう事すらある。
何をする気だこいつ、と思いながら、僅かに固くなりつつも、まあアレクだからと放置していたら、今度は両手で本格的に人の髪を梳き始めた。男にしては柔らかい指をしている事に改めて気付く。
「今の内にその空白、少しでも多く埋めてしまってくださいね。でないと今日の執務が終わりませんよ」
「おい」
アレクは人の制止も気にせず、丁寧は丁寧だがそれにしてはのんびりゆっくりと手櫛で髪を解している。
「アレク、くすぐったい」
「自分で手入れしなかったツケが回ってきたんだと思いなさいね」
止める気は微塵も無いらしい。人の気も知らんでこいつは。
どっちかって言うと刺激より理性の方が危ないんだっつうの。しまいにゃ襲うぞ、アレク少年。
……いや、襲ったら襲ったで逆に何も出来ないように縛り上げられそうではあるんだが。
魔導兵と魔曲剣士。アレクと俺の肩書き。似て非なるもの。こうして職業名だけ並べてみれば、職業的には仮にも剣士の肩書きがある俺の方が筋力はありそうに見える。
……が、それ以前にアレクだって男なのだ。童顔だし細身だし変声すらまだしてないが、身長で言うなら俺を頭ひとつ分近く抜いている。
武器を取って一対一でガチで戦ったらどうなるか判らんが、其処までマジな殺り合いをする気はないので、純粋な筋力と体格差を比べるとまず俺が負けるだろうなってのは目に見えてる。
……まあ、生まれついちまったものは仕方ない。アレクに関しての目下の悩みは別にある。
最近俺は、アレクが判らない。
偶にこんな風に何を考えてるんだか、判らない言動をする時がある。それが始まったのは、本当に最近だ。
文句言いながら許してる俺も俺だが、他人の髪を触るなんて事はよっぽど親しい相手じゃないとしない事だと、少なくとも俺は思ってる。
アレクは、どう思ってるんだろうか。何を思って、こんな事をしているのか。
アレクもアレクで、少しはこっちを意識してくれているのか。それとも三年も一緒にいて、互いが家族か何かみたいなものだと、感覚が麻痺しているのか。
……いや、前者はないな。後者だな。
それにしても、だ。
一応、恐らく俺を意識してない、と言うかもうすぐ成人すると言うのに恋愛感情がよく判ってないと思しきアレクが気まずくならないようにと、俺は俺なりに気を付けている。三年経っても全く風化する事のないアレクへの想いは、隠し通せている自信がある。
だが、ほんの一瞬でも、油断せずに、僅かな動揺すら、隠し切れているかと問われれば、はっきりとは頷けない。気付かれていないと、言い切れない。
アレクは聡明だ。……惚れた色眼鏡は掛けてない筈だと主張しておく。
だから、きっと俺の、隠し切れない分の、僅かな動揺には、気付いてる。何で動揺するのかは、上手く誤魔化してるつもりだが。
だけどさっきのように、俺の反応を楽しんでいる節もある。今だっていつの間にか鼻歌なんか歌ってる。
アレクは、俺をどう思ってるんだろう。俺に何を、望んでるんだろう。
それが俺には判らない。
判らないよ、アレク。
●
「……レオ」
アレクに名前を呼ばれて、俺は我に返った。ついぼんやりしていたらしい。
「……ああ、アレク。……何?」
「やっぱり、途中から聞いてなかったんですね……レオが出した進言書、少数の反対意見があったものの、賛成多数で問題無く通りましたよ」
「ああ……そうだったのか。今回はちょっと重要度は低いかなと思ったんだが、案外言ってみるもんだ」
「ね、間に合わせて良かったでしょう。出し損ねてたら通るものも通らないんですから」
どうやら内政会議も概ね恙無く終わったらしい。俺と違ってアレクはちゃんと話聞いてて記録も取ってるんだもんな、年下ながら尊敬するよ。
さて、この後は確か予定を入れてなかった筈だ。久々に何処かへ出掛けようか。
「あ、そう言えば」
「うん?」
「今週末には兄さ……天皇陛下の婚約者の、隣国の王女が来るのは知ってますよね」
「ああ、確かそんな話してたな」
「それで、まず天皇陛下と、王女の身内だけを集めて、食事会を開くそうです。……これは、レオだけでなく僕も出られないんですが」
「……やっぱりアレクも、出たかったのか?」
「いえ。興味はありますが、離れてる時間が長すぎるからかな。今更寂しいとは殆ど思わないんですよ。……それで、本当は予定にはなかったんですが、数日前、王女の希望で急遽舞踏会を開く事が決まったみたいなんです」
「へえ、それは初耳だ。本当に急だな」
それはまあ国のご令嬢達が喜びそうな話だ。
しかし俺には無縁の世界だなと、ぼんやり思う。実家は元々はそこそこ金持ちだったとは言え、商家の成り上がりだったらしいからな。
「これはある程度の身分……貴族は勿論ですが、城に執務室や自室を持っている人間でも参加出来るそうですよ」
「……アレク、何が言いたい」
何となく嫌な予感がして、俺はぎこちなくアレクの顔を見た。
アレクはいつも通りの澄まし顔だった。そして矢張りその顔でとんでもない事を口走――ろうとしたようだった。
「レオ、折角ですし」
「嫌だ」
聞くまでもなくアレクが次に何を言うのかが判ってしまったので、そうはさせるかと先回りしておいた。口に出させてたまるか。
「まだ何も言ってませんよ」
「言わなくても判るわ嫌なもんは嫌だ」
まずあの華やかで煌びやかな如何にも高級感のあるあの雰囲気が苦手なのだ。
「でもこんな機会滅多に無いですし。偶には良いんじゃないですか」
「ああ、楽団に混じって演奏するか歌うかくらいなら」
「何でそっちなんですか」
「ダンスなんて出来ないし、何より『そういう』正装持ってないし、仮に持ってたとしても、俺は着る気は無い」
「……」
アレクは何か言いたげに口を開いたようだったけど、結局何も言わずに口を閉じた。
何を言う気だったのか問い質してやりたい気分にもなったが、嫌われるのも嫌なので俺も何も言わない事にする。……本当に俺は、何だかんだ言ってつくづくアレクに甘い。
「……レオ」
「何だよ」
「もしかしてまさか」
「……?」
「……」
またしてもアレクは何か言い掛けたものの、結局黙りを決め込んでしまう。
人を翻弄してみたかと思えば、年相応に遊びたがったり拗ねてみたり。
俺の事で万華鏡のように、無邪気に、くるくる、ころころ。色んな感情を、顔を見せてくれたりするのは、嬉しい反面、少し複雑だ。
こいつの事は誰よりも判っててやりたい、理解してやりたい。実の兄にすら顧みて貰えないからこそ、俺が。俺も肉親関係で碌な目に遭っていないから。似たような境遇だからこそ、一番の理解者でいてやりたいと、思うのに。
俺は、本当に最近、こいつを理解してやれて、ない。
アレクは、副将として戦場でも人一倍の働きをして、政治面でも積極的に提案したり議論したりで、より良い国の為に粉骨砕身している。その為に自分を押し殺しても気付かれないように、心を砕いている。年相応の自分を、誰にも見せられないくらいに、誰よりも努力してる。時々見てて痛々しいくらい健気に、頑張ってるのを俺は知ってる。
だと言うのに、俺は気が利かない。これでも一応、自覚はしてるんだ。
不甲斐ない自分が、ひどく歯痒い。
こいつの望む通りに、一緒に舞踏会に出てやれば、少しは気も晴れるんだろうか。……いやいや、悪いけど流石にそれは御免被りたい。
ただ、それ以外の事で俺に出来る事、何かしてやれないものかと、考える。それですぐに答えなんてでちまったら、こんな風に悩んでないし苦労もしてないとは判るんだが、それでも考えずにいられない。
だけど結局、答えは出ない。答えが出ないから、余計に不安になって、それが苦しくて、悔しくて、どうしようもないくらいに、歯痒くなる。
自己満足だと判っても、自分の頭より高い位置にあるアレクの頭をぽふぽふと軽く叩いてから、俺はいつの間にか着いていた執務室、もとい自室の扉を開けた。
●
結局あの後、アレクは読書に没頭し、俺は俺で兵士達の稽古場に顔を出していたから、一言も言葉を交わさずにいた。食事も別々に摂ったほどだ。
今回ばかりはあんな事があった後で、互いに気まずかったんだろう。
掛ける言葉を互いに探して。でも見つけられなくて、このままずるずるこんな時間まで引き摺っちまった。
もう、月が結構高くまで昇ってる。寝てる奴もいるような時間。
今日は早く眠って、忘れよう。寝て、風化させてしまえば、またいつもの俺達だ。
問題の先送りかも知れない。でも、答えを見つけられない情けない年上の俺は、こうするしかない。頼りないのは、痛いほど判ってる。
(「……いつもごめんな、アレク」)
胸中であいつに短く謝りながら、俺は寝間着代わりの裾長のシャツに着替えて、ソファーの前のローテーブルに置いたランプを消そうとして、手を止めた。
部屋の扉を、ノックしてる奴がいる。
「……レオ?」
アレクだ。
俺が今いる自室は、俺の執務室の奥の扉から行ける。因みにアレクの自室は俺の執務室の隣だが、扉で繋がってはいない。ともあれ、その俺の執務室の鍵を持っているのが、他でもない俺とアレクだ。で、俺の部屋の鍵は俺だけが持っている。となると、俺の執務室には入れるが、俺の自室には許可無く入れない人間、となるとアレクしかいない事になる。尤も、俺の場合は其処まで推理しなくても声で判るんだが。
とは言っても、今回は鍵を掛けるのを忘れていたようだ。それに気付いて俺は、扉の向こうにいるであろうアレクに声を掛ける。
「鍵開いてるから、入って良いぞ」
その言葉を聞いたアレクが、軽く頭を下げながら入ってくる。表情が窺いにくいと思ったら、そう言えば灯りをランプだけにしていたから部屋が薄暗かった。
「悪いな、暗くしてて。もう少し明るくするか?」
「いえ、少し聞きたい事があるだけなので、このままで大丈夫です」
そう言って、アレクは俺と隣り合う形でソファーに腰を下ろした。真面目なこいつが面と向き合ってではなく、こうして隣り合って話をしようとするのは珍しい。
「何だ、聞きたい事って」
「……」
アレクは、すぐには口を開かなかった。何かを、逡巡しているように見える。
さっきも、そうだったな。アレクは、一体俺に何を聞きたいのだろう。
「……レオは」
ようやっと、アレクが口を開く。ぽつぽつと、一言一言を、弱々しげに紡いでくる。
「……レオが、舞踏会に出たくないのは、ひょっとして」
可愛らしくも凛々しげな、真剣な顔付きで、いよいよ意を決したように、アレクは問い掛けてきた。
が、俺は次の言葉を聞いて、一瞬思考停止する羽目になった。
「……『そっちの趣味』だからですか」
――そっちの趣味。
まず、それが何を指しているのかが判らなかった。
「……ちょっと待て。そっちがどっちか判らない。まず何でそういう謎の発想に至ったのか、順序立てて説明してくれ」
取り敢えず経緯を聞けば何か判るかも知れないと、ついでに説明の間に冷静になろうと、俺はアレクに説明を要求した。
が、アレクの説明を聞いている内に、俺は逆に頭が痛くなった。
「舞踏会だと、来賓として参加する場合、異性と踊らなければなりませんよね。それに、レオは正装するのも嫌だと言ってましたよね。だから異性に興味が無い、つまり……そういう事に、なるのかなって」
「おいちょっと待てアレクお前」
これは酷い。
「どうしてそうなった」
「説明はしたじゃないですか」
質問には答えたぞと言わんばかりに軽く唇を尖らせて睨んでくるアレク。おいおいおいおい。
「いや、だって想像してみろよ。似合わんだろ俺が舞踏会で正装して踊ってるとか」
「何言ってるんですか。レオは自分で頓着してないだけです。素材は良いんだから似合わない筈無いです。賭けても良いです。……まあ、確かに過度な露出は避けて貰いたいところですけども」
「想像するんじゃない馬鹿!」
大真面目に大ボケをかましたかと思ったら次の瞬間に大真面目にこっ恥ずかしい事を言うのはやめて欲しい。これ以上部屋明るくしなくて本当に良かったと今心底思う。絶対俺今顔真っ赤だ。
まあこれはアレクの意思なんで奴に助けられたと……いや人を赤面させてるのも奴だった。
「……それとも」
不意に、アレクの声が、変声してないなりに、低くなる。
「……レオにとって、僕は。『異性として』意識する存在じゃないと、……そういう、事ですか」
その言葉に、また俺の思考が白く塗り潰されて、止まる。
判らない。アレクは、何を言っているのか。
「レオは、……レオノーラは!」
――レオノーラ。
それを、俺の名前を呼んだものなのだと、レオという愛称でも略称でもない、俺の名前をそのまま呼んだものに、何も間違いはないのだと、頭で理解するのに、俺は数秒を要した。
「偶に期待させるような動揺を見せたりして、でも普段は素っ気なくて、その癖いい年して他の男に現を抜かすような素振りも全然見えなくて、でも舞踏会で踊るのは嫌だって言う。……だから同性の方が、……女性の方が良いのかなんて思ったのに、それも否定する」
「いや、だってそもそも別にダンスしたくないって事がイコール異性嫌いって事に直結するわけじゃないだろ……って、え、アレク?」
そうだ、未だに俺はアレクの言葉で、意図が判らないところがある。
まるで、アレクが俺に片想いしているようだと。
これは、俺の自惚れなのだろうか。
成就の見込みが無い想いが生み出した、幻聴か。
「だったら、レオノーラは……これだけ長い事、一緒にいるのに。……僕の事は最初から、異性としては見られないって、事ですか」
すぐ隣にいるから、僅かな灯りでもアレクの表情が、判る。
判るから、余計に、判らない。
「……何で、泣きそうな顔してるんだよ」
「……ッ!!」
アレクの表情が、一層歪んで――息が、詰まる。
まず手首が動かなくなった。アレクの両手が、俺のそれをソファーの背もたれに縫い付けるようにして、押し付けていた。その時には俺の膝の両脇に、アレクの左右それぞれの膝が降りてきていた。そして、それらの全てを俺の頭が理解するよりずっと、早くの事だった。
口が。……違う。
唇だ。
塞がれていたのは、口そのものではなくて。
ただの、唇だけ。
なのに、全然口が動かせなくて。ただそれだけで、呼吸さえも酷く苦しくて。
やけに至近距離にあるアレクの顔が、より俺の側に近付いてくるのに比例して、俺の頭がソファーの背もたれに沈む。俺の顔が一層仰のいていく。容赦無くそうさせられる。それが自然であるように、当然のように。
ああ、これって。え、でも、何で。
何で、アレクが俺にキスするの。
「……は」
何で、離した顔がそんなに息苦しそうなのに。
何で、ねえ。判らないよ、アレク。
俺は、お前が、お前の気持ちが、判らないよ。
「……これでも、僕は。……レオノーラにとって、ただの子供なんですか……っ」
なあ、アレク。
「……何で、こんな」
「……ああ、判りました。鈍感なんですね、レオノーラは」
呆れたように、それでも、どうしてか切なげに、瞳を僅か、潤ませて、アレクは言う。疲れ切ったように、俺の額に自分のそれを委ねながら。
「僕は、貴女に親愛の情なんて、感じてないんです。そんなもの、とっくに形を変えてしまった。……ねえ、レオノーラ。……好きです、愛してるんです。……貴女の事が、好きなんです。髪に触れるくらいじゃ、頭を撫でて貰うだけじゃ、全然足りない。手も繋ぎたいし抱き締めたい。キスもしたいしそれ以上の事も。……もう、子供の愛情じゃないんです。成長するんです。したんです。……ねえ、レオノーラ。レオノーラ……」
名前を呼ばれる度に、何故か麻痺したように頭がぼんやりした。
もう夜だってのに、ぼやけて消える白昼夢のように。
「我儘は、言いたくないから……言いません。受け入れて欲しいなんて、言いません。言えません。レオノーラの意思を、尊重したいから。……だけど、せめて。……判って、ください。伝わって、ください……」
泣き出しそうに震える声。
ああ、そうか。
ようやっと俺は、理解する。
やっと、答えが判ったよ。
アレクが判らなかったのは、俺の中で、アレクはこうだと決めつけていたからなんだ。
背は伸びても顔が変わっていないから、穏やかで真面目で大人びた性格も変わらなかったから。
もっと奥深くのところで、変わっていた事に、気付いてやれなかった。
(「……そう、だったのか。……アレク」)
判ろうとしてなかった相手に、戸惑っていたんだな。俺達、お互いに。
ああでも、成長したとは言ってもやっぱ俺のが大人だな。其処は、ちょっと安心した。
「……なあ、アレク。今からちょっとしたクイズをしようか」
「レオノーラ、僕は真剣に……」
ムキになって抗議しようとするアレクの唇を、いつの間にか拘束の緩んでいた右手で、その人差し指で、窘めるように押さえてやる。やっぱり子供だな。
それだけであっさりと押し黙ったアレクに、俺は思わずニヤリと笑ってしまう。まあ、意趣返しにもならないだろ、このくらいは。
そんなわけだから今度は俺の話も聞いてけよ、アレク。
判ってないのは、お互い様だったんだから。
「……実は、俺には好きな奴がいるんだが、さて、誰だと思う?」
目を丸くするアレクに目配せして、更に追い打ちを掛けてやる。
俺だけ驚かされててばっかりなのは、ちょっと不公平だろ。
「答えは俺の目に映ってるから、割と簡単だと思うけど」
次の瞬間には俺は、一層目を丸くしたアレクにソファーに押し倒されていた。
……まさか俺より理性値低いとは思わなかったぞ、お前。
-Fin-
薔薇と見せかけて普通だという。
あと、作中で殆ど触れてないアレクの心情について蛇足な補足をば。
(レオことレオノーラ視点なので生じた弊害です)
まず、アレクがやたらレオと舞踏会に行きたがった理由。
アレクはアレクで、レオに意識されてないと思っていたので、
舞踏会でレオと踊って、それで吹っ切ろうと思っていたようです。
仮にレオが承諾してたとして本当に諦め切れてたかは、本編の
彼の暴走を見る限り、謎ではありますが。
続いてアレクの親愛がいつから恋愛に変わってたか。
これは、アレク本人にも判らないようです。
アレクは最初、単純な親切心からまだ息があったレオを救出。
そのまま流れで相棒になって、居心地の良さからそれに甘んじて
いましたが、月日を重ねる内ふとした瞬間にぎゅーしたいなーとか
ちゅーしたいなーとか思った事が少なからずあったようです。
で、これは親愛ではおかしい、と。
なのでいつから、という明確な時期は判らないとの事。
因みにレオの動揺は読み取れても、両想いの証だと気付けなかった
のは、レオの言ったように先入観と、一応まだ少年なので、複雑な
女心が判らなかった、というのが大方の理由でした。
(レオが必死で誤魔化してたというのもありますが)
さて、蛇足はこの辺りで。
暇潰しの一助となったなら、光栄に存じます。