第五章:その二
更新が遅くなりました。すべてはあの冬休みの宿題とかいう名の邪鬼のせいです。がんばって終わらせたんでこれからは通常どおり更新していきます。
一言で言えば気まずかった。
あのあと電車の中でも俺たちの間に会話はなく、どうしたものかと考えていたのだが、ときどき瑠璃が、
「ねぇ進」
と言い出すもんだから、何だと返事をしてやれば、
「……うぅん、やっぱりなんでもないわ。気にしないで」
と返事が返ってくるパターンの会話と言えない会話が数回あったのが結局のところだ。
何かを決心したような顔で話し掛けられ、そして思い詰めた表情に変わったあと、諦めたように溜息混じりでの『気にしないで』。どんなに鈍感なやつだってこいつが何かを思い悩んでいることは、この場に立ち会えば十中八九、いや十中十超などと即席四字熟語が作れるくらいに察しが付く。こんな状況の場合、ちょっと気の利く奴ならば、お悩み相談承りますいらっしゃいませーくらいのことは考えるだろう。
実は俺もそんなお節介野郎共のメンバーの一人なため、瑠璃にその悩みを話してみろよと催促してみたのだが、
「…………」
別に言葉が通じない訳ではなく、本当に聞こえてないのか無視してるのか、俯いたままあるいは外の景色を見たまま返事のへの字すらも遣そうとしない。ビデオレターじゃないんだから反応くらいしやがれ。くっ、なんだこの敗北感は。
何もすることがないと時間というのは長く感じるものらしいのだが、どんなものだって必ず終わりは来るらしく、沈黙を保ちながら案の定電車はわが町の駅のホームで停車した。改札を抜ければあとは右と左に別れまた明日である。別にこれ以上一緒にいる理由もなく、俺たちはやはり無言のまま定石に従い、それぞれの家路に着いた。
何かを忘れていることなど全く思いつきもしないまま、瑠璃が何を悩んでいたのかだけを考えながら玄関を開けると、それと同時に母さんのニードロップが俺の眉間を打ち抜いたのは、まぁ深く考えれば言うまでもない。弁解に励んだものの、怒鳴ったり瞳をうるうるさせたりしてころころと表情を変える母さんを見るのは実は微妙に面白かった。それ以上のいたたまれなさとやるせなさを感じていたのも事実だが。
翌日、教室に入った俺を見つけるや否や、それまで読んでいた『頭のいい人が読む本』などというナルシストにもほどがあるというかそれ書いたやつふざけてんのかといいたくなるハードカバーの本を、音を鳴らせて閉じて俺を無表情に睨みつける野郎がいた。ナルシストと言っただけで考えが至るような、言わば自尊心の塊のような男、その名も張祐樹である。
何事かと思いながら目線を合わせていると、
「間抜け面提げてないで早く来たまえ。貴様のような腐れ凡人と長時間目線を合わせていては、この高貴な私の瞳が黄金色の輝きを放たなくなってしまう恐れがある。有り得ない話だがね」
俺はお前の脳髄が有り得ないと思うぞ。
「凡人の戯れ言にいちいち反応してる暇はない。いいから早く来たまえ」
こっちこそ色んな意味での超人の妄言に付き合ってる暇はないのだが、ここで反発してもおそらくやつはまた妙ちくりんな発言をしてくるに違いない。無視してもきっとそうだ。一体どうしたものやら。
しかしまぁ、メガネナルシストの呼び出しを断る明確な理由は俺にはない。それに某が言うにはこいつは一応一般人の部類に分類されるらしい。奇怪な出来事の予約発言ではないだろう。それに何よりあの黒ぶちメガネの中から覗く鋭い眼が実に不快だ。ここは仕方ない、どうしても自分のとこまで来て欲しくて仕方がない我が侭ガキンチョの為に、俺が少し大人になってやるとするか。
「ふん、やっと来たか。どうやら最近の凡人はたかが5メートルほどの距離なのに机が配列してあるだけでどう進めばいいのかわからなくなるらしいな。昆虫以下だ。まぁそんなことはどうでもいい」
そういって張は机の中から徐に一枚の紙を取り出し、
「さて本題に入るぞミニマム脳みそ。とは言っても用件はひとつなのだが、まぁそんなことも今はどうだっていい。この文字の羅列をどこかで見た記憶はあるかね?」
見れば紙の上には『subjugation S T.P-1』と書いてある。と、おや?これはたしか……。
「見たことがあるのかね?」
……いや、よく食べる食パンの袋に書いてある言葉に似てただけだ。見たことはないぞ。
「そうか。ならばもう用はない。即刻に立ち去りたまえ」
そう言って張は再びあの頭のおかしい本を読み始めた。もう俺のことなど本当にどうでもいいらしく、チラリとすらこっちを見てこない。俺はそんな張を一度無表情に睨みつけたあと、歩を進めて自分の席に着いた。
俺は椅子に座り、窓の外、青い空の中、疎らな雲が右から左へ流れていくのを眺める。眺めながらも、俺はその景色を見てるわけではない。俺が見てるのは頭の中にある先ほど張に見せられた文字だ。
実はさっき嘘を吐いた。俺にはあの英語のスペルやら文字やらを、食パンの袋などではなくしっかりと見た記憶がある。
それは一昨日某とリトル某を助けに行ったときだ。スーツの男達を全員地に伏せさせ、リトル某に繋がっていたチューブを切ったあと、そのチューブの出発点にあたる機械にあの文字の羅列を俺は見ている。
張にそれを伝えなかったのにはいくつか訳がある。もっとも大きな理由はただ単に張に反抗したかっただけなのだが、だがそれ以前のもっと根底の部分には某が関係している。
工場の帰り道で某は自分の過去を、宛も他人の事のように話してきた。だがそれはおそらく他に口外して欲しくないという気持ちの表れだろう。普段笑顔しか表情を見せないあいつが、あの時だけはその鉄仮面を脱いで真剣な表情になったり、さらには顔を苦痛に歪めていたりもしたことからも、そう推測できる。
他人の個人情報に関わり、さらにはその本人が伝え広まることを望んでいないのなら、それを口外することはすべきではない、と無意識のうちに俺の心が俺の脳にそう語りかけていた。だから俺は張に嘘を吐いたのだ。
俺は視線を空から教室内へと戻す。ぐるっと見回すとなんとまだ瑠璃が来ていないではないか。昨日のあれがよほど精神に対してきつかったのだろうか。当事者ではないためその気持ちは分かるようで分からないが。
結局そのまま瑠璃が来る前に朝のショートホームルームが始まり、そしてその日瑠璃が学校に顔を出すことは無かった。
放課後、谷川が、
「適当に動きやすそうな格好に着替えてもっかい学校に来い。急げよ」
となんだかだるそうな表情で言ってきた。なんだろうかと疑問に思いつつも、帰宅後なるべく急いで準備して学校に向かったところ、谷川はすでに昇降口前ど真ん中で意図が全くつかめない堂々たる腕組み仁王立ちをしていた。なんだか見ていて恥ずかしい。
だが谷川は俺が来たことに気付くと、何を血迷ったか突然狼化して俺の許まで駆けてきやがった。誰か人が見てたらどう説明するつもりだ。
「てめぇが遅すぎっからだこの野郎。おら、行くぞ」
行くってどこに……あ。
「簡単に説明すんぞ」
景色が歪む。どうやら谷川は例の早口言葉をすでに終了させていたらしい。
「じじいからの呼び出しらしい」
歪む景色はその色を段々と暗く変えていく。もうすでにまわりにあったものがなんなのか判別がつかなくなっている。
「詳しいことまでは知らねぇが、なんだかでっけぇイーターがこっちの世界に来ちまった可能性があんだってよ。で、今回のはその討伐のための会議みたいなもんだ」
そのままの動きで谷川が『クロス』と言ったころには、すでにあたりは真っ暗だった。
「まぁとにかくいけば分からぁ。よし」
そういって谷川は超人的な早口言葉を始める。そして、
「カタストロフ」
闇が崩れ始める。いくら二度目とはいえ、それが非日常的で実に幻想的なことはまったく変わらなかった。
気付けばまわりはすでに前来たときと同じ風景だった。商店街のようなストリートのはるか先に城が見える。谷川の言うじじいというのはおそらくあの王様らしき人であり、またその人の呼び出しというなら目的地はたぶんあそこだ。
「ちっ、前よりやや遠めについちったか。まぁいい、進、行くぞ」
いつの間にか人間の姿に戻っていた谷川が歩き出す。俺もその背中に続いて歩き始めた。
このころの俺はまだ自分がそのイーターを見たことがあることに気付いていなかった。
そろそろ新年ですが、これからもよろしくお願いします。2007年になってから読んだ方、明けましておめでとうございます。