第四章:その六
「さて」
と言って、某が俺に顔を向けてくる。現在の立ち位置は、まだ茜空は残っているものの、もう見えなくなってしまった夕日から順に、某、バイク、俺である。あぁ、男の子も入れれば某、バイク、俺(手だけ)、男の子、俺だな。
男の子をずっと抱えているせいで腕がきついが、気を失っている年齢約幼稚園児を地面に寝かせて話をするというのは、俺だって人の子。罪悪感というものが、俺の腕を拘束してくるってわけで、降ろせない状態にあるわけだが、でもきついもんはきつい。
どうにかして、地に伏せさせるわけでもなく、この両腕からチビ助を解放させる手立てはないだろうか、と考えたところで思いつくのは、手ぶらのニコニコ仏様。なんだが強烈な既視感を感じたが、ここは敢えて故意的に無視し、それでは某さん。アンサ〜〜チェック。
「……はぁ。進さん、そのネタ、すでに八回目です。では僕も、八回目の質問に対して八回目の説明に入りますが、そろそろいい加減諦めてください。僕はその子とは極力関わってはいけないんです。今こうしているのも危ないくらいなんです。触れる、さらには抱くなどもっての他です。駄目なものは駄目なんです。理解していただけましたか?」
くっ……! 諦めねぇ、諦めねぇぞ!!
「もういいです。分かってるものとして話を進めます」
一度溜息をついた某は、バイクのサドルを、掌を軽く乗せるように叩き、
「帰りはこのバイクは使いません。というか使えません」
意義あり! どう考えてもガソリン残量を表すメーターはまだ半分も減ってないし、どこにも目立った傷は見当たらない。明らかに使用可能ですが? それを何故使用しないと?お答え頂きたいですね、検事さん。
「今度の舞台はバラエティクイズ番組ではなく、法廷ですか……。それにしても、全く、この弁護士は、人のことを思いやる心っていうのを持ち合わせていないのでしょうか」
なんだなんだ、随分挑戦的な態度だな。俺は悪役弁護士か?
「当たり前です。人の健康状態を気にしない人間など、悪役そのものです。進さん、あなたはこの気絶していて、さらに体力もなかなか失っている男の子を、直風が冷たく、バランスも悪いバイクなんぞに乗せて、元来た道を数十分走って、それで果たしてこの男の子が何事も無く健康を害することは無い、などと言い切れるのですか?」
うっ……それは……。
「分かったのなら話を進めさせてください。今この子の両親は、ここから歩いて八時間ほどのところにある病院にいます。半自動移動物体が使えない今、僕たちに残された手は歩くことだけです」
は、八時間て……。
「安心してください。そんな長時間歩き続けていては、この子の前に僕らが倒れてしまいます。少しづつ休憩は入れていく予定です」
それにしたって八時間は長くないか? 今から休憩無しで歩き続けたとしても、到着時刻は夜中の一時を回る。それに休憩も入れたら、軽く丑三つ時はいきそうだ。夜中だぞ? 健全な一般高校生男児ならとっくにゴートゥーベッドしてる時間だぞ? やってられるか。
「いいえ、やって頂きます。あなたがいなくて、どうやって男の子を病院まで連れて行けばいいんですか?」
だからそれはさっきから言っているように、
「ですから、それは成りえないことです。あぁもう、仕方ありませんね。納得していただけないのなら、歩きながらその訳を話します。ですから、進さん」
そう言って某は本日二度目の真剣な眼で俺を見てくる。くそ、この状況から逃げれる要素すら見つからない。もうどうしようもないのか。
「進さん、そろそろ行きましょう。時間は有限です」
そう言って、某は踵を返し、山道を下り始めた。……っておや?
「某」
俺は某を呼び止める。
「なんでしょう?」
対する某は振り返る。
なんでしょうっておまえ、こんな高級そうなバイクを、こんな山の中に放置する気か? おまえの家がどれほどの大富豪かは知らんが、バイクの使い捨てというのはどうかと思うぞ。良く考えてみれば、おまえがいかにも嫌いそうな環境破壊にもつながるわけだし。
「あぁ、そのことですか。いえ、まぁ、持つものは持ちましたし、それにこのバイクは、バイクであってバイクでない、といいますか」
片手を顎につけ、悩むようなポーズを取った某の肩には、いつのまにかリュックサックが下がっている。荷物を持ったというのは本当らしい。
「まぁ少し歩いてみればその答えが分かります。ですから、まずは進みましょう」
そういって某は一度微笑むと、再び踵を返し歩き始めた。
ち、もう呼び止めることができるような用件が思いつかない。妥協なのか?ここに来て妥協なのか?くっ、ここで諦めるわけには、
「はぁぁ……」
だが、そんな心とは裏腹に、体の方はすでに妥協を認めていたらしく、それは溜息という形で現れて、俺の心にまで妥協を認めさせやがった。
あぁ、くそ、もう八時間だろうが拉致蜜柑だろうがなんだってんだ。人命救助も感動の再開も、全部俺が手伝ってやろうじゃねぇか。
俺は一度、腕の中の男の子の気持ちよさそうな寝顔を見たあと、先行する某を追いかけた。
しばらく歩き、ちょうど山を降りたところで、不意に某が足を止めた。なんだなんだ、一体どうした。
「来ましたね」
「来た、って一体何が来」
たんだ? と言おうとした矢先、俺の左耳の横を何かが、ゴゥ!!、なんて音を立てながら通り過ぎていったのだが、その距離おそらくミリ単位! ちょっと、ちょっと耳に掠りましたよ!? あと俺が、もう少し左にずれていたら、俺の耳、いや、俺の頭はどうなっていたことやら、考えただけで鳥肌が立ってくる。
それにしても、今の物体は一体なんだ? まさかさっきのスーツのやつらがもう起きて……!? だとしたらそれはまずい! 某、これは急がないとまず……え?
俺が、意見を途中で止めたのも無理はない、と思ってほしい。俺は某に自分の考えを伝えるべく、某の方を向いたのだが、なんとそこには誰もいない。まさか、今の一瞬で連れ去られたかと思い、周囲を見渡すと、思いのほか近くにいたらしく、某はさっきまで立っていたところを軸に、そのまま仰向けで倒れていた。
ただ倒れていただけなら、撃たれたのかと心配し、すぐにその安否を確認するところなのだが、どうやらそういうわけではないらしい。その根拠は、仰向けになった某の顔が、いつもの柔和な笑顔だということと、その某が抱くように、仰向けになった某の胸のあたりに、何やら小動物チックな動きをする何かがいるということだ。
小動物チックなそれは、尻尾らしきものをぶんぶん振っているのだが、何か違和感を覚える。生物であって生物でないような、よく分からないがそんな感じだ。
某は懐いてくるそれを抱いたまま起き上がる。そして、
「進さん、それは何だ、と言いたげな眼ですね。ふふ、でも進さん、あなたはこれを何回も見ているはずです」
そういって某は胸に抱くそれの顔をこちらに見せてくる。あぁ、なるほど。どうりで違和感を覚えたわけだ。
正面を向いたそれの顔は、決して動物のものではなかった。角ばった表皮と銀色に輝く頬や額、眼にあたるとこには、まるでモザイクで眼を隠すときのように黒い太めのラインがあり、そこには赤い丸がふたつ浮かんでいる。つまり、それは機械だったわけだ。
だが、全体的に小型犬を想像させるそれの動きは、もう実際の犬のそれと何ら違いはなく、本当に生きてるように見えるだから、一瞬生物かと思い違えるのも仕方ないだろう。
いやしかし、それが今のアイボのような犬型ロボットだということは確かに分かったのだが、何回も見ているとなると話は別だ。俺はそんなもんを見た覚えがない。
「本当にそうですか? ほんの数時間前にはこれの背中の上にも乗っていたじゃありませんか」
乗っていた?俺はそんな小さいものの上に乗った覚えは……いや、なるほど、そういうことか。
「ふふふ、種明かしは僕がしましょうか? それともあなたが謎解きますか?」
任せろ。つまり種明かしはこうだ。その機械犬の正体は、さっきまで俺らが乗っていた白塗りバイク、とこういうことだろう?
「ご名答です。これは変形型機殻獣の“どっぐりちゃん”です。僕は裏ルートから易々と手に入れましたが、普通は在庫品切れが続出するほどの人気なんですよ。僕らの時代では」
なるほど、現代人と比べて、未来人の技術は凄まじく向上しているようだが、ネーミングセンスは恐ろしく後退しているらしい。それにしてもどっぐりちゃんって……発音の母音から一瞬、教室で夜、二人の生徒が紙と十円玉を用意して、虚空に質問すると、二人で指を乗せた十円玉が勝手に動き出す、というあの心霊ゲームを思い出してしまったではないか。
「失礼ですね。どっぐりちゃんの名前の由来は、“びっくり”するほどかわいい“どっぐ”から来てるんです。そんな、霊感が強い人がやっちゃうと悪霊呼び出しちゃうような遊びと同じにしないでください」
……やはり未来人はネーミングセンスがどうかしてるのだろう、と心の中でうなづくことで、ここは妥協。
「とはいえ、進さん。本当はもっと前から、あなたはこれを眼にしています」
そういうと某は、どっぐりちゃんを自分の左手首に乗せ、そして、
「どっぐりちゃん、ウォッチモードです」
某がそういうと、どっぐりちゃんは一度、わんっ!、と吼え、いきなり全身を某の左手首に巻きつかせた。
巻きついた直後にどっぐりちゃんの背中が開き、そこに体が畳み込まれていくようにしてどっぐりちゃんはどんどん細くなっていく。
さらに折り畳まるようにして今度は薄くなると、そこに現れたのは、俺が無理やり過去に連れていかれたときに見た、あのデジタル時計だった。
「普段はこの状態です。進さんも、何度かお世話になっていますよね?」
お世話になったも何も、そこに映し出されるデジタル算用数字を見てから、俺は珍妙な事件に多々巻き込まれるようになったと言っても過言ではない。
「先ほど、裏ルートで、と僕は言いましたが、実は裏でもなんでもないんです」
突然そんなことを言い出した某の顔を見ると、なんだか久しぶりに卒業アルバムを見て過去を思い出してる、疲労困憊の中年サラリーマンのような表情をしている。
「製作者が製作物を自ら買う必要なんてありませんしね。作ったものをそのまま自分のものにしてしまえばいいということです。懐かしいですね。これを作り始めたのもかれこれ4・5年前のことです」
4・5年前……って、11・12歳のときじゃねぇか! いくら未来とはいえ、そこまで知能指数が上がってるわけがない!
「そのとおりです。未来とはいえ、人間自体はさほど変わっていません」
じゃぁおまえは俺に嘘をついたのか?
「嘘ではありません。そして、付け加えるなら、それは非情な真実です」
すると某は田圃へと続く道を一瞥し、
「まずは歩きだしましょう。僕らの時間は有限です。そう、今の僕と、あなたにとっては」
某は、何やら意味ありげな笑みを一瞬俺に向けて放つと、再び踵を返し、田圃の中へと歩き始めた。
今の言葉と笑みに、何か意味があることは間違いないだろう。だが、この状況下、再び歩き始めた某を呼び止めて問いかけようとは思えず、とりあえず今は前に進もうと考えた俺は、腕の中の男の子を抱きなおし、そのとき男の子が、今にも消え入りそうな声で呟いた、かあさん、という言葉をしっかりと耳に入れ、そよ風で稲の苗が靡く田圃道へと歩き始めた。
「その男の子のこれからを話しましょう」
俺が追いつくと、某は前を向いたまま、急にこんなことを言い出した。
「ですがその前に、その男の子の両親の姓を教えておきましょう。彼らの姓は……」
某は一度沈黙し、
「……彼らの姓は、“某”です」
静かな、しかししっかりとした声でそう言った。
それにしても、某、なんて姓はそうそうたくさんいるものじゃない。となると、導かれる答えは一つしかない。そうだろう? 某。
「えぇ、そうです。この男の子の両親は僕と血縁関係にあたる人達。いわば先祖といったところです」
おまえがこの男の子を助けに行ったのは、それが理由か?
「はい。ご先祖様の辛い顔を見るのは嫌ですからね」
そういって某は一度空を見て、そして溜息をつく。その表情は両眉を下げているもので、眼はどこか遠くを見ている。
だが、その表情には、単に先祖を思いやる気持ちだけではなく、何か他の意味も含まれているような気がしてならない。直感的にだが、そう感じたのは事実だ。それは何か聞いてみようかとも思ったが、なんせ相手は某だ。自分から言おうとしない限り、例え金一封を添えても言うことはないだろう。
それに、今回はなんだか、そのことについて話してくれるような気がする。これも直感的なものなのだが、とにかく今は某の話を聞くことにしよう。
某は、上を向いていた顔を元の角度に戻すと、
「その男の子は、このあと、僕らがちゃんと病院に送り届けることよって両親と再会します。その後、再びあのスーツの男達に狙われるようなことは無く、平和な人生を送っていきます。そのときが来るまではね」
某は、握る拳に力を込める。
「そのときとは、彼の両親はすでに他界し、配偶者と共に暮らしながら迎えた還暦のころ。だいたい60歳あたりです。そのとある日に、彼は突然失踪します。彼の配偶者は警察に届出するなどして、彼の行方を捜しますが、見つかった手がかりといえば、彼がその日履いていた革靴の片方のみ。結局彼はそのまま発見されることなく、警察は捜査を中途断念。配偶者は悲しみのあまり、病にかかり、その後他界。全ては悲しみに包まれたままこの物語は終わりを告げたように思えましたが、実は続きがあります。そもそも、失踪した彼が見つからなかったのは何故なのか?答えは簡単です。彼はあの日、突如体が変化し、5歳のころの体に戻ったからです」
戻った?
「はい。全身の皺はなくなり、背も縮み、顔は童顔に変わり、見た目はどこからどうみてもただの5歳児です。彼は自分に何が起きたのかさっぱり分からず、だがこの姿では帰って話してみても信じてはもらえないだろうと思い、悩んだあげく、一人寂しく生きていくことを決意します」
なんで突然そんな体が若返ったんだ?
「彼がその理由に気付くのは二回目の身体退行のときです。彼は原因は何だろうかと考え、自分の体が変わる60歳と、そして始まりの5歳のときに何かがあったと推測。さらに考えを突き詰め、原因は5歳のときのあの事件にあるのではないか、と答えに至ります。突然スーツの男達に連れ去られ、体に妙なものを入れられた、あの事件にね」
某は悔しそうな表情になり、
「そのことに気付いた彼は、すでに両親を亡くし、愛する者も亡くし、自分を知る人すらいなくなった現状を見つめ、まるで自分は深い森の中の忘れ去られた一本の樹木のようだと考え、そして自分の名を変えます。“祐一”から“一樹”とね」
何!? それじゃまさか……!
「そのあたりはご想像にお任せします。その後、彼はどうにかして、自分をこんな風にした、あのスーツの男達に復讐したいと考え、そのためだけに研究を重ね、そして遂に開発に成功します。時間遡行を可能とする機械をね」
某は握っていた拳から力を抜くと、
「その後は言わずもがなというやつでしょう。それよりもただ先を行くことだけを考えましょう」
そう言ったっきり、某は黙りこくってしまった。
だが、そのあとにきた沈黙に、かなりの息苦しさを覚えた俺は、某に尋ねる。
「じゃぁ、なんでおまえはこの男の子を助けなかったんだ?」
某は振り向くことはなく、少しの間を空けてから、
「……一つ、時間遡行に関する知識を教えましょう。時間遡行するものが、過去の自分と出会ってしまうと、そこで人生の歯車のようなものが狂います。定められていた運命から脱線する、といったところでしょうか。普通に暮らしていた場合、奇々怪々な出来事に遭遇することなどはそうそうありませんが、先で述べたようなことをすると、むしろそちらの方が多くなります。日常から非日常へ。常識から非常識へ。ちょうど今のあなたのような状況ですよ、進さん」
いや待て、俺がそれに当てはまるやつってことなのか? 確かに俺は、非常識や非日常を体験しまくってるのは事実だが、じゃぁ俺は今までに未来の自分に会ったことがあるのか、と聞かれても、そんなのはまったく記憶にない。
「それはそのうち思い出すはずです。具体的にいつかは言えませんが、近いうちに訪れます。まぁとにかく、今は病院に向かって歩くことだけを考えましょう」
某は、まるでこの会話をさっさと終わらしたいような態度を取ると、歩調を速めた。
俺は、少し距離を置いてから元の速さに戻った某の背中を見つめつつ、某の過去と、自分の過去に対して、前者には何ともいえない感覚を、後者には記憶に対する疑問を覚えながら、その距離を縮めようとはせず、ただただ現状維持のまま田圃道を歩いていった。
まわりでは、そよ風が、田圃の稲の苗を一定方向に揺らしていた。
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