第三章:その一
「うおっ!?」
眼前の牙が残すところあと5センチ弱!やばいこのままじゃほんとにぽっくり逝ってらサヨウナラそしてコンニチワ黄泉の国な状態になっちまう!と軽く、且つ重くパニックに落ちた俺が目を閉じようとしたその直前、俺の足が誰かに引っ張られたわけでもないのに独りでに後ろへとバックステップを踏み、少し視線が下に下がったかと思いきや、今度は急激な速度で浮上、そして現在に至るわけだ。
だが5メートル程浮いたところでだんだんと速度が落ちていき、そして止まった俺の体が起こした次の動作は落下行動だった。
下を見るとさっきまで眼前に迫っていた牙の持ち主だと思われるやつがこちらを見上げているのだが、なんといってもそのでかさ!大きめのワゴン車よりも二回り程でかいってそれは、もう何に対してかは考える暇がないので思いつかないがとりあえず卑怯だ。
そいつは俺に向かってまた口を縦に開き、喉を震わせた、はずなのだが、何故か音が聞こえない。
それすら考える暇もなくまた勝手に俺の体がいきなり肘を下に突き出し、体を横にした体勢に変わって、もう何が何だかさっぱりわからない。
俺の体はそのままぐんぐんと速度をあげて落下していき、どんどん近づく怪物が口を開ききる前に、突き出した肘をそいつの眉間に叩き込んだ。
ガコッという鈍い音と怪物の悲鳴が同時に響いたと思ったら、すぐ静かになった怪物はそのままその巨大な体を横に倒した。
俺が地面に降り立ったのと同タイミングで怪物が倒れやがるもんだから、でっかい地震の主要動みたいな揺れが俺を襲い、俺、転倒。
俺は地面に尻をついたまま目の前で白目を剥いている毛だらけの巨躯の持つよく見るとマントヒヒみたいな顔をした怪物をぼーっと眺めていたのだが、この放心状態はあまりにも突然理解不能なことが起きたあとの思考回路停止状態のことを指し、だんだんと思考能力が復活してきた俺は自分が今とんでもないことに巻き込まれていたことをようやく実感した。
昨日といい今日といい、高校生という一般的な肩書きを持つこの職業はこんなにエキサイティングなものだったのか?それとも俺だけの特別出血大サービスなのか?前者だとしたら俺は一刻も早くこの肩書きを捨てたいが、後者だとしたらこの奇奇怪怪なサービスをくれやがった野郎を相手に裁判を起こしてやる。
他にも考えることは山ほどあったのだが、ビッグマントヒヒの背中の上を見た途端、俺の思考回路は再び停止状態に入った。
毛だらけの背中の上に、体は人間、手・足・首・顔が狼に似た奴、ようは服から出てる部分が全て狼のような奴が、肩膝をついた状態で俺のことを見ていた。
そいつはその金色に光る目を訝しげに細めたあと、俺に向かって跳ねた…ってはぁ!?なぜ!?まさかこいつも俺を食おうと!?などと脳内で文字の羅列を展開しているうちに、狼男は俺の前にいかにも身軽そうに着地し俺にグッと顔を近づけ、その前に飛び出した口をゆっくり開いた。
やばい!食われる!そう思った俺は両手を交差させるようにして自分の身を守ろうとしたのだが、またもや目を瞑る直前、狼男は予想した行動とは違う行動をとった。
「一般市民に見られちゃいけねぇんだ。てめぇも来い」
言い終わると狼男は不意に俺の手を掴み…って痛い!痛いから!力入れすぎ!そんな俺の悲痛の叫びは完全無視のまま逆の手でビッグマントヒヒの鼻を鷲掴みにし、再び口を開いた。
狼男が発したのは聞き取れないほど早口の言葉の数々。そして最後に、
「クロス」
全体にかかった時間は4秒ほどであろうか。突如視界に写る全ての像が歪み、だんだんとそれは強くなっていった。その歪みは先程俺に向かって突っ込んできたビッグマントヒヒが飛び出してきたあの歪みに似ていたのだが、今回はその規模が違い、なんと視界に写るもの全てだ。これはもう驚く気すら失くさせる。
歪みが強くなっていくにつれ、今まであった住宅街の風景は形を崩し、色を混濁させ、そして最後には真っ暗闇の中に俺はいた。もちろん手は強く握られたままである。
再び狼男の超絶超人早口言葉が聞こえ、そして最後に、
「カタストロフ」
言葉と同時に亀裂が入る音が耳に届く。あたりを見渡せば黒一色の視界に白いひびが入っており、そして広がっていく。たまごの殻が割れるのを内側から見てる感じだ。
ピキッパキッと音をたてながら亀裂が俺らを遠くから包み込むように前にも後ろにも左右にも上下にも、見渡す限りに広がり、そして次の瞬間。
―――パリンッ
と鳴ったかどうかは定かではないのだが、まさにそんな音を立ててそうな感じでスローモーションに闇が剥がれ落ちていく。
鳴ったかどうか分からないと言うのも、さっきビッグマントヒヒが吠えた時と同様に、そのときだけ音が何も聞こえなくなったからだ。
音と言うキーワードから連想してふとあるものを思い出した俺は、空いている方の手で自分の耳を触ろうとしたのだが、そのとき目の前を通過しようとした自分の手を見て愕然とした。
俺の手は緑色の輝きを纏っていた。
まさか、と自分の体を一通り見てみると、予想通りと言うか何というか、やはり全身が緑光を纏っていた。
思い返してみれば、さっきビッグマントヒヒの攻撃を避けたときも、俺の動いた後に緑色の光が軌跡を辿っていたような気がする。
当然、トランス状態で身体能力二倍だぜ!なんてRPGめいた冗談を考えられるほど今の俺の脳の許容ゲージはその他もろもろの懸案事項のおかげで余っておらず、残り少ない脳の思考可能部分をフル稼働して真面目に考えたところ、某の言っていた【外さない方が身のため】というのは、まさにこれのことを指していたんじゃないかという結論に至った。
もしあの時、もしくはあの後この粘着ピアスを外していたら、今の俺は美味しく頂けない肉の塊と化していただろう(もちろん食用肉と比較して、という意味だ)。いやはや、運命と言うのは時に残酷だが、時に至福であるようだ。
しかし、そうなるとあのマントヒヒと対峙したときに俺の体を動かしたのはこのピアスと言うことか。瑠璃の言うことを肯定するわけじゃないが、今までの行動言動から推測し、某を未来人と仮定すると、このピアスはおそらく某猫型ロボットがよく使う秘密道具のようなものであるわけだから、日本の未来にそうとうな期待をかけても落ち込むことは無さそうだ。
俺が全身緑色発光体となっている自分の体から目を離すと、
―――カチャ
と今度はしっかり音が聞こえ、最後の一片が剥がれ消えたところだった。
最後の一片が剥がれると、真っ白だった視界にだんだんと色が浮かんできた。そしてそれらが段々と鮮明になっていくにつれ、俺は自分の目を疑った。
視界に写る色と形が完全なものとなったとき、俺が立っていたのは、それこそRPGの世界のような町の大通りの中央だった。
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