第二章:その四
春の日差しと言うのはなんとも快い睡魔を脳内に降臨させ、授業に集中しようとしている純粋な生徒達ですらその魔の手を防ぐことができないときがあるのだから末恐ろしい。そんな姿の見えない魔との永遠かとも思われる戦いを戦い抜いて、ノートを閉じて一息ついた今の時間は12時50分、そう、学校生活の中で唯一、羽を広げて堂々と長時間休息を取ることのできる、俗に言う"昼休み"の到来である。
よくがんばった、俺。何回も負けそうになった中、よくぞ耐え続けた。ノートの真ん中くらいからの字が、まるでミミズがのた打ち回ったようになっているが、それは戦いの痕跡であり、断じて言うが、決してパタリと夢の中にGOしたわけではないのであしからず。
背伸びをしてもう一息ついた俺は天井を見た。所々傷が付いたり黒ずんでいたりするのを見ると、この学校が無駄に長い歴史を踏んできたのだなぁと思わされる。
それと同時に朝の出来事を思い出した。
あのあと韋駄天に負けず劣らずの速さで階段を駆け下り左に曲がって突き当たりの教室の前まで来た俺は、一度深呼吸した後ドアを開こうとしたのだが、何やら中が騒がしい。
瞬時にその原因を二つ程考え、意を決したにも関わらず静かにドアを開けた俺の目に飛び込んで来た、数人のビクッとした表情と、お構いなしに笑い声をあげたりしながら喋っている数組のグループがいると言う光景を認識・分析した結果、あぁ、まだ先生は来てなかったか、と安堵の息をつき、俺は自分の席についた。
そんな出来事も、もう4時間半前の事なのであって、徐々に時間の流れを早く感じつつあるのは、15年生きた証と言ったところであろうか。
視線を床と水平になるまでもどしたところで、体内から空腹を知らせる鳴き声が聞こえた。さて、飯を食うとするか。
インスタント食品の宝石箱や〜、とどこかのグルメリポーターが言いそうな弁当を半分ほど空にしたとき、目の前を肩に鞄を背負った奴が通り過ぎようとしたのだが、ちょっと待て、鞄?まだ下校には二時限ほど早いはずだ、となると、と考えたところで早退と言う二文字の漢字が俺の頭の中を横スクロールしていった。
入学二日目から早退するなんてどこのどいつだ?と自分も似たような事をしたのにも関わらず、目線を上げてみると、意外や意外、昨日知り合った万年健康児そうな男、谷川だった。
熱でも出したのか?
「ちげーよ、俺んちのじじいが倒れたんだと」
なるほど、それで早退か。大変だな。
「まったくだ。通学中に出動命令はできるだけ止めろっつったのにあの野郎」
出動命令?
「いや、こっちの話だ、気にすんな。じゃあ急ぐからじゃあな」
そう言って谷川は廊下を走って行った。
呼び出しの事を面白い言い方で表現するやつだなぁと思いつつ、時計を見たらなんと残り時間が少ないではないか!急いで食わねば!俺は箸に力を込め、残り半分ほどのインスタント軍団を口にかき込んだ。
このときの俺はそういえば瑠璃がいないと言う事を大して気にしなかった。
程なくして瑠璃は帰ってきたのだが、なんだか疲れたような表情をしていた。まあ気にする必要はあるまい。むしろ嬉しいくらいだ。あの状態なら爆裂未来人話をする気にもなれないだろう。うむ、平和が一番だ。
睡魔との戦い午後の部で見事完敗を期したせいもあってか、あっという間に帰りのショートホームルーム終了の時間になったため、のんびりと帰りの支度をしていたのだが、ふと昨日この時間帯何があったかを思い出し、まさかと思いつつ教室内をキョロキョロと見回した俺の目に予想した人物の姿が写らなかったため、本日二度目の安堵の息を今日の疲れと苛立ちと睡魔に負けた敗北感と一緒に全部アメリカ西海岸くらいまでぶっ飛ばすようなつもりで吐いた。
もちろん校門の影にそいつが隠れて待っているなんて、どんなベタなラブコメだってもうちょいマシな展開を作るだろう、みたいなことは起こりうるわけがなく、また俺にとってやつはラブコメとは地球の裏側に行けてしまうくらい遠い存在なため、絶対に起こって欲しくない。
そんな思いを今回は神様も聞き入れてくれたようで、スムーズに帰宅の家路につくことができた。
俺の家は高校からさほど遠くはなく、自転車を買いに行くのは面倒だ、と母さんに言われたのもあってか、登下校をそれぞれ20分程かけて遊歩している。
そして今はだいたい中間地点、住宅街の中を絶賛行進中だ。
珍しく何も起きないで(とは言っても何か起きたのは昨日だけなのだが)オリジナル通学路を徒歩逆走しているうちに、耳につけている謎ピアスの存在をすっかり忘れてしまっていた俺は、突然目の前に現れた怪奇現象に出会った途端、全身の身の毛がよだつのを感じた。
すぐ目の前で蜃気楼ともスライムとも呼べるような物体とは呼べない物体が蠢いていた。
それは地面に垂直で浮かんでいる平面体のようで、直径2メートル程の円状物体。かといって物体とは言えない気がするのは、その色彩がこの先に続く住宅街と酷似しているからである。
つまりそれは透明なのだ。そしてよくファンタジーの世界で使われる言葉を引用して表現すれば、空間が歪んでいるのだ。
おいおいおいおい、なんだこれは。こんな現象今まで見たことも聞いたこともない。ハッキリ言って俺、今大パニック。
どうする?逃げ出すべきか?でもここ通らないとかなり遠回りになるんだよなぁ……って違う違う違う!何を考えているんだ俺!きっとこれは触れたり近づいたりこのまま止まったりしてたらぐわっ!って包み込まれて気がついたらファンタジーな物語スタートかぽっくり逝ってらサヨウナラ〜な展開が待ち受けているんだ違いない!きっとそうに違いない!なら残る選択肢は一つ!
「逃げるが勝ち!!」
俺は踵を返し走り出そうと後ろ足をアスファルトに踏み込んだ、が、その瞬間。
「グギギャガラガアァァア!!?」
耳をつんざくような悲鳴ともとれるような雄叫びが聞こえ、身を竦ませた俺は即座に後ろに振り返った。
長い牙を上下に二本ずつ生やし、人一人丸ごと飲み込めそうなくらい縦に大きく開いた猛獣類と思われる口が眼前に迫っていた。
スローテンポな小説ですが、これからもよろしくお願いします。評価お待ちしています。