2 蘇った記憶の欠片
再びダニエルを寝かしつけ、家を出る支度を始めた。
村長をあそこまで怒らせたのだ。彼は絶対に撤回しないだろう。村人たちも庇ってくれるとは思えない。
「はぁ。出て行くといってもどこに行ったらいいのか……。ダニエルと一緒なら馬車を使う必要があるし……」
本当にどうしたらいいんだろう。
記憶のない私には、身寄りがいるのかどうかさえ分からない。
不意に、エイダンの声が脳内に蘇った。
『もし俺に万が一のことがあったら、この引き出しを開けて見てほしい』
あの時は、「そんな不吉なことを言わないで」って怒ったっけ……。
それに、すぐに開けようとしたら止めらたんだったわ。
あの人……何をしまっておいたのかしら?
寝室にあるチェストの一番下の引き出しを開けると、見たことのないトランクが入っていた。
トランクを取り出して蓋を開けると、中身は布で包まれていた。
そして一番上には、「マリラへ」と書いてある手紙があった。
「あぁ……エイダンの字だわ……」
たまらず開けて読み始めた。
『マリラ。この手紙を読んでいるということは、俺に何かあったんだな。きっと君を泣かせてしまったんだろうな。不甲斐ない自分が許せないよ。万が一に備えて蓄えを残しておきたかったが、それもままならないままだ。つくづく頼りにならない夫だよな』
そんなことないっ!
私がこの村で過ごした五年間は、本当に幸せだったもの。
全部エイダンのお陰なのに――。
そんな風に言わないでほしい。
『マリラ――マリラというのは、俺が君に付けた名前だ。君が気に入ってくれて嬉しかったけれど、やはり本当の名前を思い出すべきだと思う。君を海辺で見つけた時は、どこかから死体が流れ着いたのかと思ったよ。それほどに君は傷だらけだった。君が記憶を失っていると分かって驚いたけれど、傷を見れば納得したよ。もしかしたら何かの手がかりになるかと思って、君が着ていた服と、意識がないのに握って離さなかった物を保管しておいた。トランクは君と一緒に浜辺に打ち上げられていたから、君が持っていた物だと思う。これらを見たら、君の記憶が戻って村を出て行くんじゃないかと思い、ずっと渡せずにいたんだ。隠していてすまない。もし君が村を出て行くのなら、君が握っていたソレが頼りになるはずだ。君の幸せを祈っている。どうか俺の分まで幸せに生きてくれ』
……エイダン。あぁ……エイダン‼︎
生きて私の側にいてほしかった。ずっと一緒にいたかったのに‼︎
過去の記憶なんて、あなたに会う前の記憶なんていらないのに。
そんなもの一生思い出さなくていいのに。
「どうしよう。いっそ開けずに捨ててしまおうかしら。今思い出しても、ここに来た時の私は、他人に親切にしてもらえるような、いい人間じゃなかったもの」
エイダンがあれこれと面倒を見てくれて、たくさん話しかけてくれたのに、お礼を言うどころか一言もしゃべらなかった。
よく見捨てずに世話をしてくれたものだわ。
本当にお人好しなんだから。
……それでも。
ダニエルのために、もし利用価値のある物があるなら持っておきたい。
服や小物を見たくらいで記憶が蘇るとも思えないし。
布を解いてみると、赤茶けた汚れがシミになっている服が出てきた。
相当ひどい怪我をしていたみたい。
……え?
ボロボロだけど、生地自体はすごい上物だわ。
デザインも装飾も、とても平民の着るものじゃない――どういうこと?
まさか――貴族?
うっ。痛い。痛い。痛い。
頭が締め付けられるように痛い。
貴族――貴族――貴族‼︎
突然知らない記憶が流れ込んできた。
私の知らない私の顔。知らない人たち。知らない世界。
あぁぁ…………私は…………赤谷しおん。
赤谷しおん‼︎
そうだ‼︎ 思い出した‼︎
私、異世界に転生したって驚いたんだった。
前世はコミュ障故に、管理職にもなれずに四十歳を迎えたお局平社員だった。
ランチもいつも一人で食べていた。
ええと確か、下っ端の貴族の家に転生したような?
あれ? それからどうなったんだっけ?
いやいや。それよりも!
友達もいない、人との交友が苦手な私が、結婚して子どもを産んだ!?
えーー‼︎
異世界で人生をやり直して陽キャになったの?!
でも――五年間の確かな記憶がある。
それに、ダニエルのことを思うだけで喜びが溢れてくる。
……あ。
ダニエルに、『パパン』『ママン』と呼ばせていたのは、前世の西洋への憧れみたいな潜在意識の仕業かもしれない。
金髪碧眼の赤ちゃんを見て、我慢できなかったんだ……。
エイダンも、『そんな呼ばせ方は聞いたことがない』と苦笑いしていたのにね。
彼を押し切ってまで呼ばせていたなんて、前世の拗らせのせいかも……恥ずかしい。
村の人たちも変に思うはずだわ。
私、ただでさえ身元不明の得体の知れない人間だったのにね。はぁ。
でも、異世界転生者なのは分かったけれど、肝心のこの異世界で生きた記憶がない。
どうしたものかしら。
「そういえば、私が握りしめていた物って何かしら?」
エイダンは何かの助けになるだろうって書いていたけれど。
服の下から、皮の小袋と金貨が一枚出てきた。
「すごい! 金貨を持っていたなんて――あら?」
金貨だと思ったコインは、よく見ると両面にたくさんの文字が刻まれていた。
貨幣は皆、同じ顔が刻まれているはず。
金貨や銀貨は見たことがないけれど、こんな風に文字が刻まれているはずがない。
「じゃあ、何なの? 本当に私の持ち物なの? だいたい、何て書いてあるの?」
小さな文字はどうやら呪文のようだ――は?
呪文て? どうして呪文だと思ったの?
私は呪文を知っているの?
「……うっ」
また頭が痛くなった。
頭の中で知らない老婆が何か言っている……。
『馬鹿だね、お前は』
『ブックマーク追加』と下にある☆☆☆☆☆評価をよろしくお願いします!




