1 急変した日常
新連載です。よろしくお願いします。
一部不快なシーンがありますのでご注意ください。
海の近くにある小さな村――ドワテ村。
夫と息子と暮らす我が家は、なだらかな斜面の中腹にある。
水平線に夕陽が沈むと、家々の窓から漏れる淡い明かりが暗闇の中に灯る。
今日も無事に一日が終わろうとしている、そんな風景に心が癒される。
「ママン! パパンは、ばんごはんまでにはかえってくるんだよね?」
ママン! ああ、そう呼ばれる度にキュンキュンする。
私の可愛い息子、ダニエル。
来月で四歳になるダニエルは、もうしっかりしゃべれるようになった。
成長は嬉しいけれど、「たべりゅ」「おいち」と言っていた頃が可愛いかった。
「ママン?」
「うふふ。そうね。もうすぐ帰って来るはずよ」
夫のエイダンは、村の男たち数人と一緒に、隣の町まで生活用品の買い出しに出かけた。
昨日出発したから、いつも通りなら今日の夕方には帰ってくるはずなのに……。
遅いわね。
「お腹空いたなら先に食べる?」
「ううん! パパンがかえってくるまでまつ!」
「そう? ダニエルはパパンが大好きなのね」
「うん! あ、でも、ママンだってだいすきだよ」
まだ子どもなのに、親を気遣うなんて!
「ありがとう」
思わず抱きしめて柔らかい金髪に頬を埋める。
この宝物が、いつまでも輝きを失わずにいられますようにと祈っていると、ドアが激しくノックされた。
「マリラ! いるんだろ?」
隣のおばさんの声だ。
「はい」
「どうされたのですか?」と言いながらドアを開けると、夫と一緒に買い出しに行っていた男たちが青い顔で立っていた。
「帰って来たんですね! エイダンは?」
「……」
「……」
「あの……エイダンはどこですか?」
項垂れる男たちの代わりにおばさんが答えてくれた。
「いいかい、マリラ。落ち着いて聞くんだよ。渓谷を渡る橋がね、古くなっているのは分かっていたんだけど、その橋がね――」
……嫌だ。
その続きは聞いちゃいけない気がする。
「おばさん――」
「渡り切る前に橋が落ちてしまったんだって。馬車は渡れたんだけど、しんがりを守っていたエイダンが――」
嘘よ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。
「この二人がエイダンが落ちて行くのを見たって。あの深さじゃ、もう――」
「そ、そんな」
あのエイダンが?
「愛している」と、いつも笑っていた優しいエイダンが?
……死んだと言うの?
「マリラ。大丈夫かい? 少し横になるといいよ」
おばさんは何を言っているの?
横になってどうなるの?
「ママン! パパンがかえってきたの?」
あぁぁダニエル!
「ダニエル。こっちにおいで。ダニエル。うっ。うぅぅ」
「ママン! どうしたの? ないているの? どうして? だれがママンをいじめたの?」
「うぅぅ」
◇◇◇ ◇◇◇
村人たちが総出で夫を埋葬してくれた。
なんてあっけない別れだろう。
ダニエルには、「パパンは遠いところに行ったからもう会えない」と言ったけれど、四歳ではまだ理解は無理だ。
周囲もいつもと違うのに、「パパン、はやくかえってこないかなぁ」と不満そうにしている。
「それで、マリラ。これからどうするんだい? 何か当てはあるのかい?」
隣のおばさんに聞かれたけれど、そんなものあるはずがない。
私にはエイダンだけだったから。
「少し――考えてみます」
「そ、そうだね」
自分のことすら覚えていない空っぽの私を拾って世話を焼いてくれたのがエイダンだった。
この村で生まれ育ったエイダンと違い、私は五年前に流れ着いた得体の知れないよそ者。
エイダンがいなくなった今、村人たちは、五年前のあの頃と同じような顔で私を見ている。
もう――ここにはいられないのかもしれない。
◇◇◇ ◇◇◇
その日の夜のこと。
「パパンがやくそくをやぶった」とぐずるダニエルをようやく寝かしつけ、エイダンが眠っているはずのベッドに腰をかけて、ぼうっとしていた時だった。
「コホン。アルマ。ちょっといいかな?」
村長の声だ。
こんな夜更けに訪ねて来るなんて非常識だわ。
しかも、エイダンの埋葬を済ませた夜に。
それでも相手は村長だ。
逆らえる訳がない。
「はい。今、開けます」
ドアを開けると、酒を飲んでいるのか、赤ら顔の村長がギラギラとした目つきで、粘っこい視線を私の体に這わせてきた。
「なあ、マリラ。これからのことだが、私が相談に乗ってやってもいいんだぞ?」
「え?」
「分かっているだろう? ほら。悪いようにはしない。いひひ」
村長はそう言うと、突然私の両腕を掴んで引き寄せた。
酒臭い息が顔にかかって気持ち悪い。
「何をするんですか! やめてください!」
腕を振り解こうとするけれど、でっぷりと太った大男の力にかなうはずがない。
「いひひひ」
村長が舌を出して私の頬を舐めた。
「いやぁー‼︎」
必死に抵抗するあまり、物が倒れたり落ちたりしたらしく、ダニエルの、「ママン?」という眠たそうな声が聞こえた。
ダニエルにこんな恥ずかしい姿を見られるなんて耐えられない!
そう思って必死に逃げようとしても、村長の手を振り解けない。
「ママン? なにしているの?」
来ちゃだめ。来ないで!
「あぁん? ガキか。あっちに行ってろ!」
「ママン? だいじょうぶ?」
「だ、大丈夫だから、部屋に戻りなさい」
「ママン?」
「出てけって言ったのが聞こえないか!」
「子どもに向かって怒鳴らないで」
「お前が言うことを聞かねーからだろーが」
「痛い」
この男――女を痛めつけるのが趣味だったの?
私の腕が折れてもいいと思っているようだ。
「ママンをはなせっ!」
……え?
ダニエルが両手で村長を押した。
見慣れたいつもの微笑ましい押し方だ。
幼な子が「えいっ」と押したところでびくともしないはず――だった。
それなのに、村長は勢いよく吹っ飛んで、壁にぶつかってから床に転がった。
見れば、ダニエルの両手が白く光っている……‼︎
……知ってる……魔法だ‼︎
……いけない‼︎ 見られたらマズい‼︎
慌てて魔法をかき消した。
え? どうして、私にそんなことができるの?
どうして魔法って分かったの?
「ママン……」
自分の身に何が起こったのか分からないダニエルが、目に涙を溜めている。
「あぁ大丈夫よ。大丈夫よ。ダニエル。こっちにいらっしゃい」
あなたが無事ならいいのよ。
あなたの体温を感じるだけで幸せな気持ちになるわ。
「お――前――ガキの――くせに。よくも――よくも――」
ノロノロと立ち上がった村長は、床に唾を吐いて喚き散らした。
「クソがっ。お前みたいなよそ者が、ままごとしながら食っていけてたのは俺のお陰だろうがっ。この、クソどもがっ」
村長は壁をドンと叩くと不敵に笑った。
「出て行け。この家の所有者は俺だ! 貸したのはエイダンだ。お前じゃない。お前にはもう貸さない。明日の朝までに出て行かないと村の男たちに追い出させるからな!」
村長はそれだけ言うと家を出て行った。
「ママン。ぼくのせいなの?」
「まあ、違うわ。村長が間違っているのよ。でもおバカさんだから自分が間違っているって分からないの」
「そうなの?」
「ええ。それよりも早く寝ましょう。明日は早起きしなきゃいけないから」
「うん」
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