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EP:「金色と潮騒」

Prologue.


 あの滲むような夕陽も、

雪の積もった港も、 

金色の波も、

誰も乗せず、

来ては去っていく船も、

そこに郷愁はなく、

灼きついているのは、

掴めぬ手のひらの上の

虚しさだけ。

望郷は、

幼き日の

母の胸の温もりだけ。



──────────────────────

1.ロザリオと天使


 首から下げたロザリオの真珠色の珠を指の腹で触る。

鈍い乳白色の光沢。

空に薄く溶ける雲みたいだ。

少し力を入れて捏ねるようにすると、その丸さがわかる。

宗門はこれが何から出来ているのかよく知らなかった。

多分真珠ではない。

ともかくわからないが、

その丸みを触っているとなんだか穏やかな心地になるのだった。

波のない海のような、雨の降らない雲間からたまに見える太陽のような、雨上がりのゆるやかな空気のような、そういうものをぼんやり眺めている時の気持ちだ。

一仕事する前、一人の夜に、何もない時間に、それを触るのが、最早、癖のようなものであった。



 テナントが1つか2つしか入っていないオンボロビルの非常階段から、相変わらず灰色の空を見上げる。

下を見て、人が来なさそうだと、確認する。

粉っぽい路地は決して汚らしいわけではなく、

ただ閑散と、静かだった。


階段を降りる。

最後の数段だけ早足になるのは何故だろうか。

ダダダ、と革靴の裏に、金属を踏み締めた感触が残る。


舗道に飛び出すと、潮の香りがふっと鼻を撫でた。

特段海に近い街だというわけではないのに。

思い出したかのように顔を少し上に上げると、

雲が広がっていた。

白に近い灰色の空。


誰かの香水の残り香か、

何かの香りをそう感じたのか。

都会は色々な香りがするから。

もう一度スン、と鼻で息を吸ってみても、

もう潮の香りは消えていた。


この空の色は、遠く、灰色の海を思い出させる。

向こうに、逆さ塔の先端が霞んで見える。

あの塔の鐘の音を聞くと、

何故だか全然、ちっとも似ていないのに、

港の船の出航の合図を思い出す。

物理的な距離があるからだろうか、

それとも遠く、焦点が合わないまま見ているから、

ぼやけた景色が、思い出させるのだろうか。

これは所謂ホームシックというやつなのか、

あの田舎に帰りたい、とまだ自分が思っているのか、

あの場所を懐かしいのか、自分は。

そんな風に思う瞬間が、たまにある。



 「オイ、オイ!シモン、シモン!

もしも〜し、聞こえてる?」

ザザッ、と軽いノイズが走ったあと、

インカムから作ノ助が聞こえて、

ぼやけていた輪郭線が街の形にまとまる。


「おぁ…おう!バッチリじゃ!」

御前の下手な鼻歌も聞こえとるぞ、と冗談混じりに言うと

歌ってねぇよ!てかオレ超美声なんで、ソレ幻聴だから、と同じ軽口で返される。

作ノ助がフン、と笑うのと同時に、

宗門もクク、と肩で笑った。


「お楽しみ中悪いんやけど。そろそろそっちに追い込むで。」

澁川さんから連絡きた、とインカム越しにアキラの声が聞こえる。

薄氷のようだ。

静かで硬質な声に、

宗門の中で、どこかが少し引き締まる。

彼はちょうど西側から此方へ北上してきているはずだった。



「了解。じゃ、まぁ、派手にいこうぜ。」

作ノ助の冗談も低くなるのがわかる。

きっと彼の瞳は今、獲物を追う狐のように光ったはずだ。

宗門はインカムを指で軽く二度叩いた。

これは了解の合図。



非常階段の影に身を戻し、見上げる。

逆さ塔のてっぺんは雲に埋もれてみえないが、

影がさっきよりも少しだけ濃い気がした。

白灰色の空にまだ天使は現れない。

滑空する羽音すら聞こえない。

キィ、と硝子を引っ掻くような不快な鳴き声もない。

だが、来ているというのだから、そうなのだろう。

首なしの天使の羽は屈折率に歪みを生じさせるから、

姿が眩んだり、えらく反射したり、あーだかこーだかなんだったか、かつて上司が説明していたから、それかもしれない。

ともかく宗門は、自分よりも優れた作ノ助の目を、

アキラの戦闘経験を信じていた。




 「タイミングはオレが取る。」

「作ノ助、そっち位置、見えとるよな。」

「バッチリ。」

「ウサギはオレってワケ。

ほんじゃ、まあルート頼むわ、シモンセ〜ンセ。」

アキラの短い確認に、

作ノ助は長い足を折りたたんで屈伸する。


天使に見えるよう、囮としてわざと屋上に姿を晒すのだ。

作ノ助がおびき寄せ、アキラが限界まで追い詰める。

天使が罠にかかり次第、

作ノ助は宗門の確保した道によって逃れ、アキラがとどめを刺すといった算段だ。

アキラが途中、先回りをするためのルートも既に、

宗門が確保している筈だ。


天使に向かってブンブンと手を振って、オ〜イ!などと声を出してみる。

こんな姿、上司の百鵙屋が見たら「茶化けんじゃねえぞ。」と小言を言ったかもしれないが、

生憎彼は今は此処におらず、

彼の“視界“の外に作ノ助は居た。


わざとらしい挙動を、

天使が見逃すはずかなく、

何も無かったような午後のたゆんだ空気が一変、

猛スピードでやってくる白い塊がある。

石膏のような羽を震わせて、閃光めいた、

天使が落ちてくる。


外殻は崩れかけた石像のようにひび割れたところもあって、

石像だったらとうに朽ちているはずだが、ひび割れた隙間からは脈打つものがちゃんと見える。

落雷のような異様な速さと鋭さがあった。


「来た来た。」

頼むぞ、相棒と口笛をヒュウと吹き走り始める。

『まかせて、坊や』と女とも男ともつかない声がしたと

思うと、ふ、と脚が軽くなり、加速する。

足跡に残るマリーゴールドの香り。

着いておいで、と言わんばかりにちらちらと

花びらを残して走る。

作ノ助の契約する《死の運命(curse)》、《死者の日(La Calavera)》によって、強化された肉体は疲れを知らない。

走れば走るほど、振るえば振るうほど、身体は軽く、

心地良くなって、高揚感に包まれる。

全てが研ぎ澄まされていく。

全てが溶かされていく。

ふん、と鼻歌を歌いたくなるくらい、気分がよい。


「作ノ助、"乗り"すぎたらあかんで。」

アキラにそう言われなければ、このままステップを踏んで、

踊りだしてしまうところだった。

全ては《La Calavera》(死の運命)の影響。

あまり“乗り"すぎると、このまま花と共に、

多福感に包まれたまま、死に至る。

そういう契約と代償なのだ。

文字通り、常に死と隣り合わせ。

それがG.O.A.Tであること。

それが首なし天使狩りであることだ──。



 作ノ助が走り出したのを確認し、宗門は路地の影へと身をひそめる。

このあたりの地形は頭に入っている。

何処にどの向きで、

ビルがあり、路地があり、錆びた看板の隙間、

複雑に交錯する電線、住居と店舗が斜めに積層されたような

建物達があるか。

人通りが少なく、視界が分断され、空も開けていない。

都市の狭間にひっそりと息づく、"罠“に最適な地形。


「シモン!!!頼むわ。」


ガンッ、キンッ、ガッッッ、ガンッッッッ


作ノ助の声と同時に、革靴の足音が迫る。

一拍遅れて、羽音と金属を裂くような擦過音。

繰り返される打撃音から首なしの天使の重みがわかる。

首なしの天使の肌は、硬く、重く、それらが猛烈なスピードで体当たりをしてくるとなると、まず生身の人間では耐えられない。トラックに激突されるようなものだ。

《死の運命》の契約と加護(気まぐれ)がなければ、

全身の骨は砕け、脳は揺さぶられ、肺は縮み、死んでしまうだろう。

つまり囮になれるのは《死の運命》の契約者だけ。

しかも肉体強化の能力を授けられた者でなければならない。

だから、作ノ助なのだ。

だからこれは作ノ助の役目なのだ。


《死の運命》との契約がない宗門や、肉体強化系ではないアキラには任せられない、自分がやらなければならない──。


「くッ、ははッ!」

打撃が重くて、真っ直ぐに走るのがキツい。

速度を保とうとすればするほど、天使との摩擦が起こり、痛い。

肺いっぱいに空気が入って、吐く前にまた息を吸ってしまい、呼吸するのがしんどい。

地面を踏む足の裏が、地を蹴り上げる脹脛が、高く速く動かすふとももが、人体の限界ならもう超えてるはずだ。

汗が吹き出してきて、止まらない。

なのに、何故か笑いが込み上げてきて、

笑っている。

今この瞬間にでも死にそうだ!と思いながら笑っている。

絶対ヤバいとわかっていながら、楽しくてしょうがない、

パーティーをしてるみたいだ!誰かの楽しいお祝いにキスを贈りたい。



 作ノ助の笑い声がインカムから聞こえる。

唾を飲み込み、急く気持ちを抑える。

かなり"ハイ"になってきている。

早く囮役から外させたいが、計画を崩すわけにはいかない。

1分、1秒でも早めることはできない。

死地を駆ける友を前にして、

指示出しを耐えている時、それが一番堪えた。




「…アキラ、三叉路を右じゃ。ラーメン屋があるじゃろ。

その横を通って坂に抜けるんじゃ。」

「ああ。」


「作ノ助は、ビルを右側に1個ずつズレえ。ほいで眼科の看板見えたら下に降りて速度はそのまま。」

「あはは、了解!」


人影が、右へ左へ、下へ、移動するイメージをする。

まだ姿は見えてはいない。

雲の流れは鈍く、何層にもなった鉛色の雲は魚の分厚い鱗のようだった。



「アキラ、左。作ノ助は右に行った後左。下降りて、3秒待て。アキラは薬局の隣のビル、ああ、そこじゃ。鍵は空いとるから突っ切れ。」

脳内に描いた地図を照らし合わせながら指示を出し続ける。

1つの路地を間違えても、1つの角を間違えても、タイミングは崩れてしまう。

耳から聞こえる二人の足音、衝撃音、息遣い、大体の早さとペース、後ろから聞こえる鉄道や街頭の音、そういうものを1つずつ1つずつ拾ってはピースを嵌め込むように、トランプのカードを積み立てるように、イメージを重ね、再構築していく。

《死の運命》と契約していない宗門は前線には立てない。

逃げ足の早さを買った上司が宗門に与えたのはナビゲーターとしての役割だった。


『いいですか、シモンくん。誰一人として欠けることのない退路、これを築ければ、貴方の"逃げ癖"も立派な武器となります。」

そう言われたのは2年目になろうとしていた頃だったか。

それから退路作りのために、フラフラと"散歩"してみたり、

地図や地形のデータとにらめっこしたりした。

勿論、一緒に行動する班員やメンバーのステータスもコンディションも細かくチェックしている。

親友二人に関しては、飯を何回噛むかもわかる。


この街はチェス盤で、

プレイヤーはシモンで、チェスピースはアキラと作ノ助。

シモンの指示通りに二人は動く。

アレコレ考えている暇はない、信じて動く、それだけだ。




「0.8秒後、踏切に電車が通る。」

カンカンカンカンカン


「そこで一瞬隙が出来たら、」

電車が横切ったのを背中で感じる。


「右側にスナックがあるから、そこ前の陰でやり過ごせ。」

まだ開いていないスナックの看板が仕舞い込まれた物陰に、身を寄せる。

数回息を吐き、吸い、深呼吸をする。

すう、…はあ、すう、はあ、すー、はー…、と滑らかに空気が喉を通り、

肺を満たしては消えていく。

乱打された早鐘のようだった心音は、トクッ、トクッと正常に近いリズムで脈打っている。

額に滲んだ汗をバンダナで拭う。

「…はーー、……ちょっとノらせすぎなんじゃねーの、カラベラ」

玉のような汗を吸ったバンダナを、気持ちわり、と思いながら額の上に戻す。

結び目の両端を引いて、締め直して。

こめかみあたりの布地を左右にぐっぐっと、手のひらでずり上げて整える。


『あら、ゴメンナサイ。戦って(ダンスして)汗を流す坊ヤがチャーミングでセクシーだからアタシ、トバしすぎちゃったワ♡』


クスクスと笑う(とはいえ表情はないのだが) 骸骨が、すぅ、と音もなく現れる。

男のようにも女のようにも聞こえる声。

オレンジの花飾りと派手な化粧が施されているから、

見た目は女のようにも見える。

とはいえ、本来《死の運命》には性別はない筈だから、そう見えるだけだが。


「…ったく、ニンゲンは脆いんすから、テイチョーに扱ってくださいよ。」

『ウフッ、気をつけるわネ。』

心なしか嬉しそうな返事をして、頭骨はまた消える。

それを見届けてからつま先を地面に打ちつけて、足首を捻る。

矢ッ張り少しふくらはぎに張りがある気がする。

空を見上げると、灰白色の雲が流れていくのが見えた。

ふー、ともう一度息を大きく吐いて、「ッし、やるか…」と

己ち気合いを入れ直す。

あともう少し。

塔の方を見やった。



 …


チカッ


チカッ、チカッ

白い光の破片を目の端が捉える。

「……、見えた。」

「作ノ助ッ!」


宗門の声に、作ノ助が即座に反応する。

脚に力を入れて、地面を押して、押し出された身体を

反対の脚で支えて、蹴り上げる。

重かったふくらはぎも、また、軽くなる。

風と共に薫るマリーゴールドの花が、

天の偽御使がキラキラと輝くたびに、ヒラヒラと舞っていく。


物陰から出て複雑な路地を真っ直ぐに走り抜ける。

首なしの天使は物凄い速さで追いかけてくる。

周りなど見えてはいない。

鼠を目の前にした猫、兎を前にした狐。


追う音は四肢の衝突ではなく、

肉が風を切る音。

風圧が砂塵や屑を巻き込み、古びた窓ガラス達を震わせる。

天使に目玉はないが、存在したならきっとギラギラと

血走し、危険な輝きを宿していただろう。

そう思うと頸がチリチリと焦げ付くような感覚に襲われた。


 「アキラ、上がれ!!」

宗門の声に応じ、アキラも動き出す。

宗門のナビによって、大幅に経路を短縮できた。

──もう、敵は目前だ。


階段を駆け上がる。

ガンガンガンガン、と金属を踏む音が鳴り響き、靴底が軋む。


「頼むで、ヤング」

上がる呼吸の狭間、願うように呟いた声に、

答えたのか群青色の頭骨がボヤリ、浮かぶ。


『わかった。』

静かな頷きと共に、

胸のほぼ中央、心臓が締め上げられたような痛みに襲われる。

チカッ、と目の前が眩み、

頭の深いところに砂嵐めいた痺れを感じる。

瞬間、呼吸が詰まる。

喉がなり、グッと音が出かける。

けれど、一瞬のことだ。


『大丈夫。まだ君は死なない。アキラ。』

ボソ、と脳内に響く声に、荒く息を吸い込む。


 《死の運命》──「curse No.13《若者と死》(too young to die)」。

通称・ヤングより強化された心臓は、大きく膨らみ、

新鮮な血液を全身に行き渡らせる。

作ノ助ほどではないが、走って階段を登りきるぐらいは出来るはずだ。


微かに熱を帯びた血流が脚に力を戻す。

ダンッッッと一段を踏み鳴らす。

反響音が骨を震わせる。

視界が晴れ、思考が冴え渡っていく。

あとは高く、高く、より高く昇るだけ──。

屋上へと続く、ドアを目指した。




 曲がり角を疾走しながら、

言われたまま路地裏に入る。

ゴミ箱やら剥がれかけのポスターやらが風圧で吹き飛ばされていく。

汗がボタボタボタッ、と地面に落ちては黒いシミをつくる。


はっ、はあ、はあ、はあ、はあ──。

荒い息が耳の奥で反響する。

もうすぐそこだ。

敵も、ゴールも。

いく先に灰色の塀が見える。

行き止まり─、でも宗門のナビは合っているはずだ。

いや、合ってなくては困る。


天使の羽か爪が自分を掠めるのが早いか、逃げ切るのが早いか。

目の端に黒い逆さまの塔が見える。

空が灰色だ。

ケツに鋭い何かが掠った気がして、冷たい予感が脳裏をかすめる。

余計なことは考えるな。嗚呼、と頭を振り、前を見据える。


──いつまで走んだよ。


 

「作ノ助!登れ!上じゃ!!」

宗門の声が二重になって聞こえてバッと上を向く。

目を彷徨わせ、捉えた人影。

宗門だ。

非常階段の3階あたり。

向こうも此方を見ている。


「つっても3階って無理言い過ぎ、ッだろって!」

廃ビルの壁を蹴り上げ、塀の上に手を掛ける。

指先に力を入れて、身体を引き上げる。

爪の先が白くなる。

ふッ、と息を吐いて、一度塀壁に触れた足を折りたたみ、

伸ばす。蹴り上げる。限界まで。筋が痛くなるまで。

天使が迫ってくる。

羽音が鼓膜を震わせる。

キーン 、と耳鳴り。



「手ェ!!!」

そう言われて咄嗟に伸ばした腕ごと掴まれる。

思い切り引っ張られ、一瞬、重量からの解放を感じる。


迫る天使の羽が、斜めに絡み合った電線に引っかかる。

猥雑に電線が張り巡らされた路地裏に天使が捕らわれた。

ジタバタと手足を動かし踠き暴れる姿にゾッと本能的な恐怖と嫌悪を憶える。


ギッ、ギッ、ギィ、ギィ!!!

怪鳥のような呻き声と共に、一本、また一本と千切れた電線が小さな閃光を上げ、地面に叩きつけられる。

拘束が緩まるほどに、暴れ狂う姿は、本当に仮にも天使と呼称されるのが正しいのか、と疑うほどに凶暴で醜悪だ。



「アキラ!!!!」


引き上げられ、地面に足を着こうとせん瞬間、

宗門が叫び、

頭上から影が降ってくる。

宗門の声に重なる蒼黒い影とアステリズムの輝き。


「応。」


アキラの声がして、

線が、天使に一直線に突撃する。

ギラッと反射する黒色。

天使の首の中心と、背中、羽と羽の間を同時に突き刺す。

重みに負けた身体が拘束を突き破り、

青白い閃光が弾け飛ぶ。



「…ッ、キャァァァァーーーー!!!」



天使の喉から、女の悲鳴にも似た、

空を切り裂くような音が漏れて、消える。

天使の最期はいつだって、胸を軋ませるような、

痛みを感じる音がする。


大理石のような身体が破裂する。

灰銀色の粉を撒き散らすように崩れていく。

その残骸はキラキラと雲母のように光って、

美しさすら憶えて魅入ってしまうほどだ。

しかしそれも風に攫われて跡形もなくなる。

羽だけを残して。



はぁ、はぁ、はぁ


誰の吐息かわからない。

灰色を溶かしたような路地裏に息遣いだけが響いている。

いつのまにか握りしめていたらしい、ロザリオが熱を持っていた。

同じように頭の中心から目の奥にかけてじんわりと熱く、

血の流れを感じる。

ザザー、と波が引くような音が聞こえた気がした。


「…や〜、お見事。」

ピュウ、と掠れた口笛と共に、作ノ助に肩を抱かれ、

軽く揺すられて、漸く感覚が戻ってくる。

ドッと緊張が緩んで、はぁ、と息を吐いた。

肉体の重さが一気に足の先にやってきて、

足裏に力を入れて踏ん張る。

でなければ、尻餅をついて後ろに転んでしまいそうだった。


「…ほんま、慣れんなあ。」と

はは、っと眉を下げ、笑いながら

ワイシャツの襟元をパタパタと煽った。

じっとりとかいた汗を冷やしたい。


作ノ助もあち"ー、と柵にもたれながら、ネクタイを緩める。

その間にも、アキラは無言で羽の残骸を細かく砕き、

砂の山を作っては風に溶かしていた。

ザクッザクッという砕音を無言で聞いていた。




 「や〜ナイス誘導、オレもう駄目かと思ったわ〜」

ひと段落して、階段を降りる。

3人の目線が同じ高さになる。


「作ノ助、御前タイミングズレたやろ。

もうちょい遅かったら死んでたで。」

「いやまあそれは〜……信頼?」

アキラの小声に作ノ助が緩い態度で返す。

作ノ助のいい加減さにアキラが眉をピクリと動かす。



「信頼してたなら、次からはもっと指示通り動けや。」

「まァまァ、もうええじゃろ、終わったし。…はぁ〜〜、終わった……」

「本当本当、あ〜あ、お疲れってことでいいだろ。」

アキラを嗜めながら、宗門はロザリオの珠に触れる。

アキちゃん真面目すぎ、と肩を組まれ、アキラの口元がへの字になる。

まだ納得はいっていないという表情だ。

けれど、何を言っても無駄だと悟ったのか、それ以上言及することはなかった。


「…煙草吸いてぇ。」

「…わしも。」

「…オレも。」

そういって各々、シャツの胸元から、スラックスの尻ポケットから、上着の内側から愛飲している煙草を取り出す。


「ン 。」


作ノ助がライターに火を灯し、それを3人で分け合う。

BIGのオレンジのライター。

貼られたラメのパンダのステッカーが、今日はやけに愛嬌があるように見える。


煙を大きく吸い込み、肺の中を満たす。

あ〜〜、コレコレ、とその場にいる

皆が思っているに違いなかった。

灰色の空を見上げ、紫煙を吐き出す。

先程まで頭の中に張り詰めていた計画も、緊張も、全てが

曖昧になって溶けていく。

ふー、と抜けた白い3筋の線は、混ざり合って虚空に消える。

天使を葬った後の、余熱を3人で冷まし合っていた。

ザー、ザザー、と潮騒の音が穏やかに引いていく気がした。





──────────────────────

2.華金


 チラリ、と時計を見ては、

あと5分、と頭の中でカウントをする。


「今回はよかったものの、もう少し余裕というものを、」


あと4分。


「で、でもぉ〜、間に合ったんじゃし、被害も0でオールオッケー!てことに、」

「シモンくん、被害が出なかったらOKではないんですよ!常に万が一、その先、のリスクも考えてプランは作る必要があるんです。」


あと3分。


2分。


1。


0。


カチ、と針が12のところに重なって、

逆さ塔の鐘が鳴る。


ゴウン、ゴウウン……

ゴウン、ゴウウウウン…


低く湿った金属の反響音が、

灰色の街を震わせ、空に滲んでいく。


「ほら!定時!定時ですけぇ、わしゃ帰ります!お疲れ様でした!!!」


声を張り上げながら、椅子を軽く蹴って立ち上がる。

その勢いで、ちょうど哀歌川(あいかわ)の小言を遮るようにして。


「ちょっと、もう──」

不満げな視線がこちらを追いかけてくるが、

もうPCの電源は落としてあるし、

やることは、全部終わっている。

小言以上の文句は、出ないはずだ。

そもそもその小言だっていつものものだ。

だからこれでいい。

許してくれ、と片手を挙げると、しょうがないといった

ため息が返ってきた。


今日は金曜。華金。

絶対に飲みに行かなくてはならない。

これはもう、天命であるから絶対だ。

しかも今日は天使を一体倒した。

もうこれは神が飲みに行けと言ってるに違いない。

一週間の疲れを命の水(酒)で洗い流すのだ。

それが、この街で健やかに生き延びるための作法なのだ。


SNSチャットで先程送った誘いには

既に「了解。」「OKです!」と書いたうさぎとパンダのスタンプが付いていたのを確認している。

矢ッ張り持つべきものは友達(ダチ)じゃな、と笑みを浮かべながら、友のありがたみを実感する。


現場に向かう時とは正反対に、足取りは軽やかに、

心も晴れる。

嫌なことは全部酒に流してしまえばいい、

そうして1日でも生き長らえればいい。

そんな思いで宗門は、ふん、と小機嫌の良い鼻歌を歌うのだった。


──────────────────────

3.潮風


 濃紺の暖簾をくぐり、やってきたのは

郷土風の料理を多く出す居酒屋。

カウンターの向こうから大将の「いらっしゃい!」という威勢のいい声が飛ぶ。

湯気を含んだ熱いおしぼりが手に乗せられる。

此処では季節に関係なく、いつもおしぼりが熱いのがいい。


瀬戸内海から届く新鮮な魚がウリの店で、壁には「小イワシ刺」「がんす天」「焼き牡蠣」「なめろう」など、郷土色の強い品書きが並ぶ。

酒も、広島や山口の地酒が中心。

冷でも燗でも揃っているのがうれしい。


「とりあえずナマ三つ」と頼んでテーブル席につき、

手を拭きながらメニューに目をやる。


奥の調理場から、刃がまな板を叩く音や、揚げ物を油に入れて上げた時のじゅわ、という音が聞こえてきて空腹の口内に唾が湧いてきた。

すでに出来上がっている団体客の、わはは、という笑い声も心地がいい。



「この魚ウマ!?何、小イワシ!」

「ん〜!美味いのう」

「…。」


「牡蠣!すげ〜デカ笑!」

「でっか。」

「立派じゃのう!」


「あ、これ美味い。これ好きな味。」

「この酸っぱさがええなあ」

「…」 

テンションが高く、いつも以上にペラペラと話す作之助と、アキラは余程気に入ったのだろうか、声を出さず箸を口元に運んでは酒を煽っている。

頼んだジョッキはすでに空に近く、

次は何を飲もうか、物色している目だ。

そんな二人を横目に見て、

シモンは、この友人達を連れてきてよかったと思った。

どうせ飲むなら、その美味さをわかる奴らと

味わいたい。

酒が体に染み渡る。


「兄ちゃん!あんた廣島の出じゃろ!イントネーションがそうじゃ!」

料理を運んできた店主が親しげな様子で話しかけてくる。少し日に焼けた肌に、白い歯が映えた。


「おお!そうですわ。西ん方です。」

同じく、同郷の香りを感じたのか、

料理の乗った皿を受け取りながら、宗門も笑顔で応える。

青い模様のついた角皿の上、穴子を中に入れただし巻き玉子が艶々と輝いていた。

皿と皿の間にこんがりと揚がったがんすと、琥珀色の油に沈んだ牡蠣のオイル漬けも並ぶ。

牡蠣の油膜のついた、どぷん、とした身に

くぁ〜、こいつも美味そうじゃ、と感嘆の声が出た。


「そりゃあ奇遇じゃのう!こっちの兄さんもそうじゃって、今!なあ」

そういって、ほら、と店主が示したカウンターの席の先。

飴色の天板の、川の流れのような曲線に沿って目をやる。

ライトを鈍く反射するダブルモンク。

すら、と組んだ脚の長いこと。

居酒屋だというのに、少し光沢のある生地のスーツジャケットの前をきっちり閉めている。

黒いワイシャツは一見、ホスト風にも見えるのだが、

着ている本人の身体付きや座り方に垣間見える品のようなものから、不思議と歓楽街の香りはしなかった。

睫毛に縁取られた、金色の瞳と目が合う。


「やあ。」


「「あ」」

作ノ助とアキラの声が重なる。


シモンの目が大きく見開いたのと同時に、

スローモーションのように、口も丸く開いていく。

八重歯がチラリと見えて、

そのあとに、ドカンと、

腹の底から出たのであろう叫声が店内に響いたのだった。

「あっ、あ、あっ、兄貴ィ〜〜!!?!」


To be continued


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