第19話 8月1日。土曜日。あおいおじさん、という人_2
綿のハンカチで6回額を拭った後、おじさんの古民家カフェに到着した。入り口には"Welcome" の 看板が立てられていて、駐車場には何台もの車が停まっていた。初めて日の光の下で見るカフェの外観は、木のぬくもりが強調されているようで、強いこだわりと手入れが感じられた。
カフェの軒先の日陰で、首筋に浮かぶ汗を綿のハンカチで拭う。久々の運動で上がった息が落ち着くのを待ち、額に張り付く前髪を手短に整える。大きく深呼吸をして、古めかしい木製のドアに手をかけた。
「いらっしゃいませ。あら、ハナちゃん。こんにちは。今日はひとり?」
あおいおじさんは、明るくてよく話す人だった。そして、社交的な気遣いができる人だった。夜とは違って数名のお客さんがいることに戸惑い、入り口に立ち尽くす私に、笑顔で駆け寄ってくれる優しい人だった。
「は、はい。母は仕事なので、その、私だけで伺いました」
「えー、何で敬語なの? いつもみたいに、適当に話してくれて構わないのに」
緊張した私は、かしこまって縮こまる。おじさんは高らかに笑いながら、反応の鈍い私をカウンターに誘導した。おじさんは私が座る席の椅子を引き、お冷やとメニューをカウンターに置いた。
「何にする?」おじさんは私の後ろに立ち、一緒にメニューを覗きこんで首を傾げる。「ハナちゃん、いまお腹減ってるの?」
「いや、その、減ってないです。じゃあ、ジンジャーエールと、プリンで」
外国語の文字にカタカナのルビがふられたメニューの大半は、ほとんど理解ができなかった。結局いつものドリンクと、無難なデザートを注文する。
「どうやってきたの? バス?」おじさんはメモ帳みたいなものに注文を速記しながら、私の日傘に目を向ける。「もしかして、徒歩?」
「うん。こっちのバスの乗り方とか、路線とか、よく分からなかったから」
もごもごとそう言って、私は外国語だらけのメニューに目を落とす。
「へー、すごい! 今日はすごく暑かったよね。熱中症とかにはなってない?」
「たぶん大丈夫、です」
「ハナちゃん、先生と同じで行動力があるね。さすが親子だ。歩くとすごく遠いのに、見た目によらず男前だね」
おじさんは柔和な笑顔を浮かべ、私の頭を軽く撫でた。おじさんは、ママの家を知っているのだ、と思った。
すいませーん、と中年の女性の声があおいおじさんを呼ぶ。
今行きまーす、とおじさんが愛想よく答える。
「他のお客さんも対応しないといけないから、寂しくなっちゃうけど、ちょっと待っててね」
私にそう言い残して、おじさんは私以外の人の注文を取りに向かった。
テーブル席の主婦が芸能人の噂話をし、ソファー席の若いカップルが次の旅行先を決めている。和やかな空間のわずかな隙間を埋めるように、小さな音量で陽気なジャズが流れる。
私はカウンター席で背筋を伸ばして座り、壁にかかった風景画の数々や、注文をとったり配膳をしたりする笑顔のおじさんを見ながら、プリンをスプーンですくった。
それからは、特に何も予定がない日、つまりはほとんど毎日、おじさんのカフェに通うようになった。
子供に対して対等な友達のような態度で接する大人、
現実にもたまにいる。