花束の贈り主
「キイラ、今年も届いたわよ」
お母さまに呼ばれて見に行くと、オレンジ色のカーネーションの花束を手にしたお母さまが、どこに飾ろうか思案しているところだった。
「あら、花の妖精さん?」
「そうみたいよ。今年の花束も素敵ね。一体誰が贈ってくださっているのかしら」
お母さまは頬に手を当てて首をコテンと傾げた。
毎年私の誕生日になると、贈り主が書かれてない花束が家に届けられるのだ。
去年はピンクのガーベラ、一昨年はデイジー。その前の年は……。何だっけ。
とにかく、私はその見知らぬ贈り主を「花の妖精さん」、あるいはただ「妖精さん」と呼んでいた。
でも、私はひそかに花の贈り主に心当たりがあった。それは、婚約者のユージーンだ。
ユージーンとは政略結婚で婚約した関係だ。
誕生日プレゼントを渡してくれることはないが、毎年おめでとうとお祝いの言葉を贈ってくれる。
婚約しているのに誕生日プレゼントがないのは、毎年花を贈ってくれているからだと私はにらんでいた。
名前を書かないのはきっと照れ隠しなのね。
そう考えた私は、毎年妖精さんからのお花の感想をユージーンに教えてあげることにしていた。
今年送られてきたカーネーションは、オレンジ色の花びらが鮮やかではつらつとした印象でかわいらしい。
今年も感想を伝えてあげなきゃ。
来週にユージーンも出席するパーティーがあるから、そこで伝えられるわ。
「キイラ。見損なったぞ」
なかなかユージーンが見つからずパーティー会場でケーキに舌鼓を打っていた私は、突然名前を呼ばれて渋々ケーキがのったお皿を置いた。
声の主は誰かと周囲を見渡すと、探していたユージーンだった。
隣には金色の巻毛が可愛らしい令嬢が寄り添って怯えたような表情を浮かべている。
ああ、あの子が噂のハンナさんですか。
最近、婚約者である私の耳にもユージーンが別の女の子を連れ歩いているという噂が届いていた。
1ヶ月前くらいだっただろうか。噂を聞いた私は、すぐにユージーンに苦言を呈したのだ。
「ユージーン、政略結婚で私のことを愛する気持ちがないのは理解しています。お互い様ですから。それでもいずれ結婚して夫婦となるのですから、関係を良好に保つ努力をしていただけませんか?」
それに対するユージーンの反応に、私はため息をつかずにはいられなかった。
「何のことだ? ああ、ハンナのことか。ハンナは、いずれ別の女と結婚しなければならない僕の立場を理解してなお寄り添ってくれている心優しい子だ。彼女のことを悪くいうのは俺が許さない。そうだ、お前も恋人を作るといい。許可してやるぞ」
「そうです。ハンナさんのことです。そのハンナさんとのお付き合いを控えてほしいと婚約者である私からお願いしているのですが、聞き届けてはいただけないのですか? 度が過ぎるようならあなたのご両親にお伝えしなければなりませんよ」
ユージーンは私を鋭い目でにらみつけた。
「ハンナと強引に引き離そうとしても、そうはいかないぞ。お前も俺のことが好きで嫉妬でもしているのかもしれないが、諦めろ」
にやりと傲慢に笑う彼に、私はもう何も言う気になれなかった。
いずれはこのユージーンと結婚して夫婦になるのだという不幸な事実に打ちのめされた。
だが、彼は誕生日に花を贈ってくれるのだから、歩み寄ることはできるはずだ。
そう思いつつも、友人が婚約者とのほほえましいエピソードを披露するたびに内心うらやましくてしかたがなかった。
「おい、聞いてるのか、キイラ」
そんなことを考えていた私は、ユージーンに名前を呼ばれてはっと意識をユージーンに戻した。
「何でしょうか」
ユージーンに問い返すと、剣呑な表情で詰め寄られて足がすくんだ。
何が起こっているんだと周囲を取り囲んでいる人の中には知り合いもいるが、助け舟を出す気はなさそうだ。
「キイラ、お前との婚約は破棄させてもらう」
何ですって?
「り、理由をお聞かせいただけますか?」
ユージーンは隣に立つハンナさんの肩を抱き寄せた。
「お前、ハンナを階段から突き落としたらしいな」
「はい?」
いきなり身に覚えのないことを言われてぽかんとした。
「そんな暴力的で陰湿なことをする女と結婚することはできない。俺も子爵家を継がなければならない身だからな。代わりに、このハンナと結婚することにした。彼女ならば子爵夫人として俺をしっかりと支えてくれるはずだ」
ハンナさんと結婚?
い、一旦そのことは置いておいて、とりあえず冤罪をなんとかしなければ。
「い、いいえ。そんなことはしていません。ハンナさんとはこれが初対面ですし」
慌てて弁解すると、ユージーンは勝ち誇ったように腕を組んだ。
「動揺したな。図星をつかれたんだろう。ハンナが泣きながら訴えてくれたんだ。それなりの処分は受けてもらうぞ」
ええ……。私は顔をしかめた。
「大体、お前は毎年毎年誕生日になると花束が送られてきたとかいう自慢ばかりするからな。どうせ恋人からの贈り物か何かだろう。贈り物をしない俺への当てつけか? うっとうしくて嫌だったんだ」
私は目を見開いた。
妖精さんはユージーンではなかったのね。
毎年良かれと思って感想を言っていたのは間違っていたみたい。
……というか、彼、今婚約者の誕生日に贈り物をするという礼儀すらもわきまえていないことを大々的に発表してしまったわけだけれど、大丈夫なのかな。
ユージーンは演説を気持ちよさそうに続けている。
「将来子爵夫人となっても俺を支える気がこれっぽっちもないのが丸わかりだ。花束の贈り主と結婚したらどうだ? 社交界には居場所はないだろうが、愛する男と添い遂げられるんだから本望だろう」
勝手な想像をふくらませているようだ。
ユージーンが妖精さんではなかったことが分かり、情もなくなった私は、していないことをしていないと証明するためにはどうすればいいのかと悩み始めた。
そうだ。
「ハンナさんにお伺いしたいのですが、それはいつのことですか? 私には身に覚えがありませんので、人違いだと思うのですが」
「え、ええと、それは……」
ハンナさんは、戸惑ったように目を泳がせた。
「そ、そんなに強く言われたら、怖いです」
ハンナさんは震えながら助けを求めるようにユージーンにすがりついた。
「ユージーン様、キイラさんを見ると突き落とされて階段から転がり落ちたことを思い出して震えが止まらないのです。あちらで休んできてもいいですか。キイラさんのことはユージーン様にお任せしますので」
ユージーンは豊満な胸をお持ちのハンナさんに腕にすがりつかれて嬉しそうな表情を浮かべた。
私は自分の胸を見た。
うん、足元まで視界良好。遮るものは何もない。
しかし、デレデレしていたユージーンのハンナさんへの返答は、ハンナさんの期待していたようなものではなかった。
「トラウマになってしまったんだな。かわいそうに。でも、いつのことだったかは教えてくれないか。キイラを罪に問うのに必要なんだ。それだけ教えてくれれば、いくらでも休んでいて大丈夫だから」
ハンナさんは顔をひきつらせた。
だって、嘘だもんね。日時を聞かれても困るよね。
「ちょ、ちょうど1週間前です!」
1週間前?
私は首を傾げた。
「本当に、その日ですか? 場所は?」
「はい! 間違いありません。場所は王都の中心部にある教会の前の階段です」
自信ありげに胸を張るハンナさんに、私は冷静に事実を告げた。
「あの、やはり人違いだと思います」
「この期に及んでまだ言い逃れをする気か!」
目をつりあげて怒鳴ってくるユージーンに、私は肩を揺らした。
「いいえ。その日は私の誕生日でしたから。パーティーを開いて友人と話していましたし、パーティーの後は家族と過ごしていました。ユージーンは来てくれませんでしたけど」
「は? 誕生日?」
ユージーンはきょとんとした。婚約者の誕生日を忘れていたようだ。
周囲がざわめいた。
一応礼儀として招待は送ったんだけどな。出席とも欠席ともお返事をいただけなかったから、困ったのよね。
「そういうわけなので、人違いです」
用は済んだと思って立ち去ろうとすると、ユージーン様に呼び止められた。
「待て。パーティーの合間とか前後とか、抜け出す時間があったはずだ、絶対に。ハンナが嘘をつくはずがない」
「そうだとしても、ハンナさんのおっしゃっている階段までかなりの距離がありますので、往復する時間はないと思います。必要であれば家族や友人に証言していただくことも可能ですので。婚約破棄、承りました」
ドレスのスカートの裾をつまんで一礼をして今度こそその場を離れようとすると、肩に誰かの手がポンと置かれた。
周囲から黄色い悲鳴が上がる。
手の主を見ると、そこには顔が良くて性格も良くてモテるのになぜか婚約者がいないと評判の伯爵令息、アルベルト様が立っていた。
慌てて挨拶をすると、アルベルト様はにこりとした。
「キイラ嬢。婚約破棄されたならば、次の結婚相手を探すのだろう。その結婚候補の一覧に私の名前を加えてくれないか?」
私は絶句した。
視界の端で令嬢が何人か気絶するのが見えた。
「ええと、アルベルト様にそのような提案をしていただけるほど力のある実家ではないのですが……」
おずおずと告げると、アルベルト様は片眉をつりあげた。
「そこの元婚約者が言っていたじゃないか。花束の贈り主と結婚すればいいって」
はい?
「私がその贈り主だよ」
あのモテモテの伯爵令息様が?
花の妖精さん?
「元婚約者に自慢するほど喜んでくれていたんだね。嬉しいよ。今年のオレンジ色のカーネーションはどうだった?」
今年届いた花の種類を知っているのは、私の家族と使用人、そして贈り主だけだ。まだ誰にも言っていないから。
どうやら彼は本当に妖精さんのようだった。
婚約破棄に本物の妖精さんに、と衝撃的なことが重なった私はすうっと意識が遠くなるのを感じた。
気を失う直前、誰かに支えられた気がした。
気がつくと、自室のベッドで寝ていた。
しばらくぼんやりとしてようやく最後の記憶を探り当てた私は、ガバリと起き上がった。
その時、枕元のサイドテーブルの上の紙が目に入った。
手に取って目を通すと、それはアルベルト様の書き置きで「明日の午後に訪問する」と書いてあった。
どうやら、あの記憶は夢ではなかったらしい。
必然的に、婚約破棄も実際にあったことになるわけで……。
考えると頭が痛い。ひとまず寝て、明日考えることにしよう。
現実逃避することを決め込んだ私は、ベッドに再びもぐりこんだ。
翌日。
昨日何があったのか詳しく教えてほしいと言うお父さまに、ユージーンに婚約破棄されたこと、ハンナさんのこと、アルベルト様のことを話した。
娘が婚約破棄されたと言うのに慌てる様子のないお父さまは、「そんな男と結婚しないで済んで良かったな。政略で婚約を結んでしまって申し訳なかった」と頭を下げた。
「いいえ、私がユージーンと尊重し合える関係になれるようにもっと努力すれば良かったのです。申し訳ないのですが、新たな縁談を探していただけませんか?」
首を横に振ってお父さまにお願いすると、お父さまはのほほんとした様子で言った。
「ああ、縁談に関してはそこまで心配しなくてもいいだろう」
どう言う意味だろうか。私はお父さまに聞いてみようとしたが、その時「お嬢さま、お客さまがいらっしゃいましたよ」と使用人に声をかけられてお父さまの部屋を出た。
お客さまというのはアルベルト様のことだった。アルベルト様は書き置きで予告していた通り本当に私に会いに来たのだ。
お母さまはアルベルト様に驚くことなくすんなりと迎え入れた。
アルベルト様と向かい合った私は、緊張で手が震えた。
雲の上の人のように思っていた方と向き合っているのだから、当然だろう。
「昨日は大変だったな。きちんと眠れたか?」
婚約破棄された私を気遣う言葉。
その時、私はハッと思い至った。
昨日、そういえば気絶したんだった。どのようにして家まで帰ってきたのだろうか。
まさか。
「あの、もしかして昨日、私が気絶した後……」
アルベルト様は困ったように眉尻を下げた。
「ああ、俺が抱き上げて馬車まで運んだ。意識を取り戻しそうになかったからな。申し訳ない」
やっぱり! 冷や汗が止まらない。伯爵令息様になんてことをさせてしまったのだろう。
「アルベルト様のお手をわずらわせてしまったなんて……! 本当に、大変申し訳ありませんでした!」
立ち上がって深々と頭を下げると、アルベルト様は慌てたように私の顔を上げさせた。
「気にするな。俺が望んでしたことだ。他の男には触れさせたくなかった」
私はアルベルト様の言葉の意味を理解できず、ポカンと口を開けた。
それに、今、俺って言わなかった? 昨日は私って言ってたけど。
「あの、俺って……」
「ん? ああ。普段は礼儀正しく私と言うようにしているんだが、一人称が私だと距離を感じるだろ? キイラ嬢を口説くのに、それでは困るからな。普段通り、俺と言うことにした。私の方が良ければそうするが」
く、口説く!?
男性からそのようなことをされたことがない私は顔をボッと赤くした。
婚約者のユージーンとは恋人関係ではなかったし。
「顔、赤いな。かわいい。そんな反応をしてもらえると言うことは、婚約についても色良いお返事を期待してもいいのかな」
色気たっぷりに微笑むアルベルト様に、頭がくらくらする。
婚約。そういえば、昨日そんなお話をしていた気が……。
昨日の記憶をなんとか思い出したものの、私なんかがなぜアルベルト様に婚約を申し込んでいただけたのだろうかという疑問がむくむくと湧き上がった。
「あの、どうして私なんかと……」
私の疑問を受け止めたアルベルト様は、ふむ、と腕を組んだ。
「昔、君よりも少し歳上で、汚れてこの家の門の近くでうずくまっていた子どもを家に迎え入れた記憶はないか?」
アルベルト様の言葉を聞いて、記憶の中の何かが引っ掛かった。
考え込む私を見ながら、アルベルト様は話を続けた。
「それが、俺だ。君は俺を強引に風呂に入れて、家族と喧嘩して家出してきた俺の話を聞いて、一緒に遊んでくれた」
急に記憶がよみがえった。汚れたお兄さんがむすっとした顔で木の下に座り込んでいて、あまりに汚れていたものだからお風呂に放り込んだのだ。
「アル……?」
記憶と一緒に思い出した呼び名を口にすると、アルベルト様は嬉しそうに笑った。
「思い出してくれたんだな。そう。アルだ」
アルベルト様と会ったことがあると分かって少し気楽になった私は、ピンと正していた姿勢を少し緩めた。
アルベルト様は話を続けた。
「君に家に帰るよう説得されて家に帰ってから、君のことが忘れられなくなった。あの短時間で恋をしていたんだな。何回か遊びに行って、仲良くなったら婚約を申し込もうと思っていたんだが……」
アルベルト様は肩を落とした。
「なかなか両親に君と婚約したいということを言い出せず、悠長にしている間に君に婚約者ができたというわけだ」
「そういえば、アルと出会った時はまだユージーンと婚約していなかったように思います」
何も言わずに聞いているのも気まずくなって口を挟んだ。
アルベルト様はそんな私に眉尻を下げて微笑んだ。
「君が婚約者と幸せになれるならそれでいいと思ったんだが……。申し訳ないが彼にあまり良い噂は聞かなかった。一方で、誰かと話して笑っている君や他人に親切にしている君をたまに見かけるたびに、恋する想いはつのった」
私は口をハクハクとさせた。恋、なんて言葉は私とは無縁だと思っていたから。
「自己満足として、毎年花束を贈っていた。気に入ってもらえたのなら嬉しい」
「ア、アルベルト様が花の妖精さんだったんですね」
アルベルト様は目を丸くした。
何か言わなければという思いから、変なことを言ってしまったのかもしれない。
「花の妖精?」
「あ、その、名前を名乗らずに花だけを届けてくださるものだから、勝手に妖精さんとお呼びしてて」
子どもっぽいところを見せてしまった。余計なこと言わなければよかったのに。私のバカ!
その時、アルベルト様がプハッと吹き出した。
今度は私が目を丸くする番だった。
「妖精か。喜んでもらえていたようで何よりだ。今年のカーネーションも玄関に飾ってくれていただろう」
「毎年、場所は少しずつ違いますが玄関に飾っていますので。とても立派な花束ですから」
私は顔を赤くした。
そんな私に追いうちをかけるようにアルベルト様はずいっと身を乗り出して私に近づいた。
整った顔に至近距離で見つめられて、私はさらに赤面した。
「そこで、だ。花の妖精は婚約を結びたい相手がいるんだが、どう思う?」
この人は自身の顔の破壊力を知っているにちがいない。
「え、ええと、両親の意向もありますので」
2人きりの空間にはもう耐えられない。
ひとまず両親のことを口実にこの状況から抜け出そうとすると、アルベルト様はにっこりと笑った。
「ちなみに、ご両親の許可は既にいただいている。あとは君が顔を縦に振るだけだ。好きだ、キイラ。結婚してくれないか?」
どうやら外堀は埋められていたらしい。
私が耐えきれずに婚約を承諾するのに、さほど時間はかからなかった。
半ば強引に決まった婚約ではあったが、アルは恋愛に慣れていない私に根気よく付き合って交流を重ねてくれて、いつの間にか私も恋に落ちていた。
今となっては、婚約を破棄してくれたユージーンには感謝している。
ユージーンはアルの家ににらまれて社交界では居場所がなくなり、子爵家を継ぐのはユージーンの弟ということになったらしい。さらに、後継ぎではなくなったことでハンナさんにも捨てられてしまったらしい。
ユージーンを捨てたハンナさんは、既に噂になっていて嫁ぎ先がなく、泣く泣く実家で今も暮らしているらしい。
アルは私を愛してくれて、私もアルを愛している。
両想いの婚約者がいて、最高に幸せだ。
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