エピローグ
「マリー……とても綺麗よ」
「お母様」
お母様は眦に涙を浮かべ、総レースのハンカチでそれを拭った。
「幸せになりなさい。まあ、相手がシリルなら心配いらないかしら?」
「光栄でございます、奥様。……しかし、よく閣下がお許しくださったものです」
「シリルだからよ。他の男だったら、許さなかったと思うわ」
お母様がアグレアーブル家に嫁いで一番に仲良くなったのが、伯爵夫人だったらしい。愛する人と結婚できるうえに、昔から私を慈しんでくれたク伯爵夫人をお義母さまと呼べるなんて、私は本当に恵まれていると思う。
「伯爵夫人……。言え、お義母さま」
「お嬢さま」
「私のことはマリーと。ふつつか者ですが、どうか末永くよろしくお願いします」
「わたくしの方こそ。どうか息子を、よろしくお願いいたします」
優しく微笑んでくれたお義母さまに、泣いてしまいそうになる。……だめだ、化粧が崩れてしまう。
「お嬢様。そろそろ入場の時間です」
「エメ」
エメはこれからも、伯爵家のメイドとして仕えてくれるらしい。彼女と別れるのは寂しいので、正直安堵した。
「お手をどうぞ、お姫様」
「何をらしくないことをなさっているのですか、お兄様」
「妹の結婚式ぐらいお姫様扱いしてやろうという兄の心遣いだ。ありがたく受け取れ」
偉そうにふんぞり返ったお兄様の横で、去年お兄様と結婚したフェリシテ様―いや、お義姉さまが苦笑いを浮かべていた。
「父上のところまでエスコートしてやる」
「それはどうも」
淑女をエスコートするとは思えないエセ紳士には、棒読みで返してやった。いつかお義姉さまに、愛想をつかされなければいいのだけど。
「困ります、ジョゼフ様。ジョゼフ様には早く席についていただかなければ」
心底困ったように、お兄様の騎士が苦言を呈した。「冗談だよ」とお兄様は肩をすくめ、お義姉さまを丁寧にエスコートしていった。この扱いの差は何だ。
「マリー・テレーズ」
地を震わせるかのような、重厚な低音。この声の持ち主を、間違えるはずがない。
「お父様」
「公爵閣下」
騎士は拝礼し、その場を去った。お父様が差し出した手を取り、その太い腕に手を添えて歩き出す。想えば、お父様にエスコートされるのは初めてだ。パーティーではお兄様か、シリル様がエスコートしてくださっていたから。多分これが、最初で最後のエスコートだろう。
「マリー・テレーズ」
「なんでしょうか、お父様」
「モーペルテュイ家は並みいる分家の中でも重要な家だ。その家の夫人として、しっかり励め」
また「励め」か。娘の結婚式に、嘘でも「幸せに」とは言えないのか。……結婚すれば、お父様とはあまり会わなくなる。最初で最後のエスコートだし、人生最初の反抗でもしてやるか。
「ええ。私、幸せになります」
挑戦的に見上げてやると、お父様は一瞬眉をひそめたあとわずかに口角を上げた。え、この人今笑った? 微妙すぎてわかんなかったんだけど。それ以前にお父様が笑ったところなんて見たことないし。
会場に入ると、笑顔のお客様たちがこちらを見てくれていた。王太子殿下に、二年前に王太子妃となられたジュルベーズ様。お義姉さまの兄である、アドルフ様。そのご両親である、侯爵夫妻。社交界で親しくしている貴族令嬢たち。シリル様のご友人たち。最前列には、お母様、お義父さま、お義母さま、お兄様、お義姉さま。
「マリー」
お父様は客席に戻り、代わりにシリル様が手を取ってくれた。
「新郎シリル=フィリップ=デュ=モーペルテュイ、あなたはマリー・テレーズ=クリステル=デュ=アグレアーブルを病めるときも健やかなるときも、富めるときも貧しきときも、妻として愛し敬い慈しむ事を誓いますか?」
「はい、誓います」
「新婦マリー・テレーズ=クリステル=デュ=アグレアーブル、あなたはシリル=フィリップ=デュ=モーペルテュイを病めるときも健やかなるときも、富めるときも貧しきときも、妻として愛し敬い慈しむ事を誓いますか?」
「はい、誓います」
「それでは、誓いの口づけを」
シリル様は、少しかがんでキスをくれた。今までで一番優しくて、甘い口づけだった。
「天にましますオートウィユブール神が、二人の婚姻をお認めになった。二人の道に幸多からんことを」
途端に、割れんばかりの拍手が起きた。
春が始まるこの季節―私は、大好きな人の妻になれたのだ。
◇
「……そういえば、どうしてお父様はこの婚姻を承諾なさったのかしら?」
そんなものすごく今更なことを思ったのは約三年後、結婚式の翌朝。いろいろ致した後である。体が重くて動けない私に蜂蜜入りのミルクを渡し、シリル様が答えてくれた。
「君を他家に嫁がせるよりも、僕と結婚させて、アグレアーブルへ生涯の忠誠を誓わせた方がメリットがあると判断されたみたいだ。閣下は僕の能力を買ってくださっているし」
「でもあなたはお兄様の親友だし、もともと忠義深いでしょう?」
「僕、マリーとほかの男が結婚したら出家するって言ってたから」
「えっ!?」
伯爵家の後継の座と次期公爵の側近の地位は弟に譲り、俗世を捨て山にこもるつもりだったらしい。兄が顔を青くするのが目に浮かぶようだ。
「まあ、過ぎたことはいいじゃないか」
「えっ、ちょっ、何するの!? 布団をはいだら体が……」
「昨日隅々まで見たのに、何を今更照れてるんだ?」
「だって昨日は暗かったから……」
「大丈夫。暗かろうが何だろうが、君の可愛い体はすべて目に焼き付けたから。さあ、第三ラウンドといこうか。昨日は二回目の途中で君が気絶してしまったからな」
そろそろ朝ごはんの時間だ。エメが呼びに来るだろう。
「心配しないでくれ。昼間で部屋には誰も近づかないよう命じてある」
「んんっ! しりる、」
三年で数えきれないほどのキスをした。大人のキスも、たくさんした。だけど激しい情熱を込めたこのキスになれる予感は、全然しない。
「僕の可愛い奥さん」
きっとたくさんのキスを、これからもするだろう。それ以上のことも。
「私の大好きな旦那さま」
小声だったけど、シリル様にはしっかり聞こえていたらしい。彼は嬉しそうに微笑むと、口づけをより一層深くした。
モーペルテュイ家の朝は、ほかの家より少しだけ情熱的に過ぎてゆく。




