帰国
「吉報! 吉報! インパレトー帝国との友好条約締結!」
―彼が、帰ってくる。
お兄様とシリル様とよく遊んだ、公爵家の森。森を抜けた先にある花畑が、私はお気に入りだった。
「やっぱりここにいらしたんですね」
「……シリル様」
「帰ってきました。任務も果たしました。抱きしめてもいいですか?」
こくりとうなずくと、本当にうれしそうに笑ってくれた。比較的細身とはいえ、シリル様の腕は男の人のそれだ。丸田ガラス細工に触れるようにやさしく抱きしめられて、ドキドキしていたから気づかなかった。-唇に、あたたかなかなものが触れた。
「ああ、そんなに真っ赤になって。僕のかわいいマリー」
最初は触れるだけだったのに、徐々に深く、長くなっていって。受け止めきれずに倒れこむと、覆いかぶさってくる大好きな人。視界一杯がシリル様になって、何度も何度もキスをした。今までの分を埋めるかのように。
「……ちょっと、こんなところで発情しないでちょうだい!」
憤怒の形相で立っていたのはメイドのエメだった。
「大体、求婚はこれからなんでしょ! それまでは―いいえ婚姻を結ぶまでは、お嬢様に指一本触れないでくれる?」
シリル様を忌々しげににらみつけた後、エメは私のもとに駆け寄って心配そうな顔をした。
「これから使節団の慰労会が王城でございますので、ご準備を」
「え? 私も出るの?」
「もちろんです。お嬢様は必ずご出席なさるようにとのことです」
◇
「インパレトーでは危険な目に遭いませんでしたか?」
「心配しすぎだよ。緊張状態にあるとはいえ、かの国の皇帝ミハイル陛下は温厚な方。それも、賢明であらせられる。友好のための使者を襲ったりすれば即開戦になることぐらいわかる」
「インパレトーでも友好を望んでいたのかもしれないな。皇后のエカテリーナ陛下の祖父君は、長く続いたセリースとインパレトーの戦いを止めた方だと聞いているし」
お兄様の補足に、シリル様はにっこり笑った。
「その噂の皇后陛下だけど―ミハイル陛下が愛妻家だってこと、知ってた?」
「まあ、初めて知りました。素敵ですわね」
「ずっと追いかけてやっと捕まえた大事な大事な奥さんなんだって。-実はね、ミハイル陛下とは好きな女性談義で盛り上がったんだ」
「え!?」
「ふふっ。ミハイル陛下が僕を信用してくれた一因は、君の話をしたこともあると思うよ」
「なっ……! そう言っていただけるのは光栄ですが……!」
羞恥に悶える私の髪をひと房掬い、そこに口づけられた。
「ところで、いつまで敬語を使うの?」
息遣いがわかるほどに近くに寄られ、顔が真っ赤になるのが分かった。
「馬車の中でイチャつくな。危ないだろ」
「ジョゼフ様は黙っててください。なあ、マリ―。『兄様』って呼ばれるのは困るけど、それ以外は昔に戻してくれないか?」
ますます距離が近づいて、このままだとキスされそうだ。お兄様の前でさすがにそれは恥ずかしすぎる。それに、エメもいるのだ。さっきからすごい目でシリル様をにらんでいるけど。
「……わかったから、離れて、シリル様」
「二人の時は『様』もいらない」
「……今は二人じゃないもの」
「あの二人は空気のようなものだから。さ、マリー」
「わかった! わかったから、シリル!」
軽く悲鳴を上げると、ようやく離れてくれた。……紳士としての距離を保ってくれていた今まででもあんなに好きだったのに、こんなに積極的になられたら私の心臓は保たないかもしれない。
◇
「子爵。お元気そうですわね」
「公爵夫人こそ」
会場に入るなり、流暢なセリース語で話しかけてきた藍色の髪の美しい女性に、シリル様もまたセリース語で返した。
「そちらの方は、ルモワーヌ伯にその妹姫でしょうか」
「たしかに。ルモワーヌ伯ジョゼフ=エリー=デュ=アグレアーブルでございます、公爵夫人」
「妹のマリー・テレーズ=クリステル=デュ=アグレアーブルでございます。お目にかかれてうれしゅう存じます」
優雅なカーテシーを披露すると、公爵夫人はにっこりと笑った。
「はじめまして。わたくしはマルガリータ=オリガ=カンテミール。今回は友好の使者として来国いたしましたの」
「そうなのですね。あなたさまにオートウィユブール神の祝福がございますように」
マルガリータ=オリガ=カンテミールはただの公爵夫人ではない。彼女はエカテリーナ皇后の母の実家・ニコラエヴナ侯爵家の長女で、皇后の従姉妹にあたる。さらに夫のカンテミール公爵は帝国の外交を担っており、彼女もその妻として諸外国に顔が広い。
「うふふ。皇后さまに聞いていた通り、かわいらしい方」
「え?」
「子爵は皇帝陛下に、アグレアーブル嬢、あなたのお話をしたことはお聞きになりました?」
「え、ええ……」
「わたくしが皇后さまとお茶会をしていた時に、皇帝陛下がいらっしゃって、そのお話をなさったのよ。子爵は真摯な恋をなさっているのだなと感動いたしましたの」
「……」
「皇帝陛下も懐かしく思われたのね。わたくしも夫とのことを思い出して、あたたかな気持ちになれましたから、お礼を言いたかったんですの。ありがとう存じますわ」
「いえ……。その、不躾ですが、そのお話はどこまで広がってらっしゃるのでしょうか……?」
皇帝、皇后、公爵夫人。最低この3人には知られてしまっているわけだが。
「まあ、照れていらっしゃるの? 恥ずかしがることはありませんわ」
曖昧に誤魔化された。なんということだ。問いただそうとすると、「もうそろそろ開会でしょうから、わたくしは夫のところに戻りますわね」と逃げられた。
「これより、インパレトーとの友好の使節団慰労及び、国交締結の祝賀会を実施する! 国王陛下のおなり!」
続けて王后陛下、王太子殿下、そしてご婚約者のジュルベーズ様、それから弟王子や妹王女の御方々やその婚約者の方々が入場した。
陛下の前でカンテミール公爵や公爵夫人、使節の方々が敬礼をした。カンテミール公爵は他の使者とは一線を画す、際立った異彩の美貌を放っている。砂漠の国の王女だという母親から容姿を受け継いでいるらしく、浅黒い肌と妖艶な容貌は大陸では見かけないものだ。
「陛下からの書状でございます。セリースとインパレトーの友好が、永遠のものにならんことを」
「我が友インパレトーの貴人よ。貴国とよしみを通じえたことをうれしく思う」
公爵たちがさがると、陛下のよく通る大きな声が会場中に響き渡った。
「友好を結べたのは、使節団の精力的な活動に寄与するところが大きい。ご苦労であった、使節団。特にシリル=フィリップ=デュ=モーペルテュイには朕から褒美を与えよう」
「それでは、ヴェルニエ公爵ご令嬢、マリー・テレーズ様を娶らせていただきたく」
「許す」
陛下の侍従らしき男性が、シリル様に白いバラの花束を渡した。
「マリー。ずっと慕っていました。僕の妻になってくれ」
「はい、シリル様」
―求婚は白いバラにしてね
―もちろん。真っ白なバラの花束を持って、君に結婚を申し込むよ
あんな昔のことを覚えていた。
私が花束を受け取ると、会場は拍手に包まれた。涙目でシリル様に向かってほほ笑むと、彼も微笑み返してくれた。




