皇太子
お茶会を終えて戻ってくると、シリル様とかち合った。
「……なんですか、その花束は」
「殿下から頂いたんです」
ピンク系統の花でまとめられた可愛らしいブーケ。私が好きな花ばかりだ。「アドルフから昨日、運が良ければ君に会えるかもしれないと聞いて、準備しておいたんだ。会えて良かった」とはにかむ殿下からのプレゼントを拒むことができるはずがない。
「ピンクのバラにガーベラ、カーネーション、ダリア、チューリップ。マリー様の好きな花ばかりですね」
いつも優しい瞳は、背筋が凍るほどに冷たかった。
ーピンクのバラの花言葉は、『恋の誓い』なんだ。ずっと君を好きでいる約束。ああ、ほら似合う。やっぱりマリーは可愛いな。ピンクのバラには『可愛らしさ』っていう意味もあるんだ。
ー『熱愛』。ピンクのガーベラの花言葉。君のことが好きなんだ。
ーたまには母上に赤以外のカーネーションを贈ってみたい? じゃあ、ピンクにしてみたら? 『感謝の心』『上品』って意味があるんだ。
ーはい、ダリア。花言葉は『感謝』。ダリアにはネガティブなイメージもあるけど、そっちじゃないからな。ん? どうしたんだ、恥ずかしがって。もう小さくないんだから、ぎゅっとされるのは恥ずかしい? 僕は君が大きくなっても、ずっと抱きしめていたいんだけど。
ーちょっとピンクのチューリップを摘んで来たんだ。花言葉は『誠実な愛』。君以外はいらない。
私がバラを、ガーベラを、カーネーションを、ダリアを、チューリップを好きなのは、あなたとの思い出が詰まっているからなのに。
「どうして受け取ったのです? 第一、なぜ皇太子殿下のお誘いを受けたのです。殿下のお気持ちに応えるつもりなのですか。殿下のことを、好きになったのですか?」
「……それをあなたが、お尋ねになるのですか」
冷たい瞳や声よりも、その質問こそが耐えられなかった。たとえそうなったとしても、あなたにだけはそれを言われたくない。胸がズキズキと痛んで、視界が滲んだ。
「っ……! マリー、泣かないでくれ……」
「泣いてなんか、いません……!」
「泣いてるじゃないか」
昔の呼称に戻して悲痛そうな声で請われ、ますます涙が零れる。……この人にこんな顔をさせているのは私なのだ。
幼い頃のようにハンカチで涙を拭われると、昔のように抱きつきたくなる衝動に駆られる。
ーシリル兄様、ぎゅっとして!
ー甘えん坊だなぁ、僕の可愛いマリー。僕やジョゼフ以外の男に抱きついちゃだめだぞ。
ーどうして?
ーだって、マリーは僕のお嫁さんになってくれるんだろ? だったら、僕以外の男はだめ。ジョゼフは兄だから許すけど。
ずっとこの人の腕の中にいられたなら、どんなにか幸せだっただろう。けどそれは、甘い夢に過ぎないのだ。
◇
「シリル様がインパレトー帝国に!? どういうことですの!?」
西の大国インパレトー。宗教も文化も、肌の色も何もかもが違う異民族の国。
「シリルはインパレトーへの使節団の代表になったんだよ」
「ですが、インパレトーと我が国は長いこと犬猿の仲ではありませんか」
一応休戦はしているものの、二国の仲は最悪だ。使節に行けば殺されてもおかしくない。
「その仲をどうにかするために行くんだよ」
「なぜシリル様が死地に赴くような真似をしないといけないのですか。私、王太子殿下に面会を頼んで来ます」
「待て。インパレトー行きはシリルの希望だ」
「はあっ!? なんでまた……」
「そんなの自分で聞けよ」
意地悪なお兄様に少しイラッとしておざなりな挨拶で執務室を出た私には、お兄様の一人言は聞こえなかった。
「バカな妹だ。あいつが無茶をする理由なんて、ひとつしかないじゃないか」
◇
「シリル様っ!」
「マリー様。どうなさったのですか?」
「どうしたもこうしたもありません! なぜインパレトーに……」
ダークブラウンの髪を風にそよがせて、シリル様は困ったように微笑んだ。
「ジョゼフ様からお聞きになったんですね。ー実は、公爵閣下がもしインパレトーと友好条約を結ぶことができれば、マリー様を娶ることを許すと約束してくださったんですよ」
がん、と頭を殴られたような心地になった。何か熱いものがこみ上げてくるが、言葉にならない。
「どうして私のためにそこまでなさるのですか?」
「え?」
「気持ちに折り合いをつけて、他の女性を娶れば良いだけの話でしょう。なぜそこまで……」
言いながら、自分の言葉に傷ついた。本当は、私以外がシリル様の隣に並んでなどほしくない。
「あなたのことが好きだからです」
「……」
「あなたでないと駄目なんです」
シリル様はニッコリ笑って、「無事締結できれば、求婚を受け入れてくださいね」と囁いて、その場を去った。
出立の日、私は彼に鷹の刺繍入りのハンカチを贈った。鷹は神の使いだ。私はそこまで敬虔な信者ではないけど、今は藁にでも縋りたかった。
「どうか……どうかご無事で」
「必ず戻りますよ。だからそんな顔をなさらないでください。マリー様は笑顔が一番可愛いんですから」
◇
「マリー嬢?」
「っ! すみません、殿下」
シリル様が出発してからというものの部屋に籠りがちになった私を心配してか、お兄様が私をジュルベーズ様付きの侍女に任命してくれた。
王城に仕える女性使用人は侍女、メイド、下女の三種類。他にも女官だとか騎士だとかいるけど、彼女たちは使用人とは別枠だ。
侍女は貴族女性のみ、メイドは中流階級の娘だったり、貴族が後見についていたりと身元がしっかりした女性でなければなれない。メイドは侍女のように直接王族の御世話をすることはないが、掃除などで王族の部屋に入るからだ。下女は労働者階級で、王族が出入りしないところの雑務を引き受ける。
侍女にも二種類いて、主人の身の回りの世話をする侍女と、本当にただの話し相手の侍女がいる。後者は完全に行儀見習いで、公爵家でも有力な家の娘しかなれず、生活費は全部実家持ち。そりゃそうだ。ただの話し相手をいちいち雇っていたら国のお金がなくなる。
「王城暮らしはどう、マリー様」
「ジュルベーズ様、私のことはマリーとお呼びください。今のあなたは私の主人なのですから」
「はいはい。それでどうなの?」
「予想はしていましたが、見えない一線を感じますね」
ただの話し相手の侍女は現在私しかいない。とはいえ、他の侍女たちとも顔を合わせる機会はある。そう、機会だけなら。だけど、ジュルベーズ様のお世話をする侍女は王太子殿下が直々に選んだ有能な方ばかり。行儀見習いで来ている高位貴族の令嬢はいない。
ジュルベーズ様が気楽に過ごせるように、と侍女は同じ年回りの方ばかりだけど、一番身分が高い方で伯爵家。あとは子爵家か男爵家なのだ。当然、公爵令嬢である私はビビられている。……寂しい。
「仕方ないわ。あなたは王后陛下や王女殿下の次に高貴な身分なのだから」
「ジュルべーズ様もいらっしゃるではないですか」
「あら。わたくしもまだ、公爵令嬢の身分よ?」
「半年後には王太子妃になられるでしょう?」
半年後、王太子殿下とジュルべーズ様の結婚式がある。政略結婚ではあるが、王太子とジュルべーズは仲睦まじい、どこからどう見ても相思相愛のラブラブカップル。二人とも指折り数えてその日を待っていることを、私は知っている。
「そうだね。愛しいきみがようやく私のものになってくれると思うと、夜も眠れなくなりそうだ」
「まあ、クロヴィス様。わたくし、ずっと前からあなただけのジュルべーズでしてよ?」
「それでも、公爵邸に帰るきみを見送らなければならないことは身を切るほどに辛いんだよ。きみの寝顔と共に迎える朝は、どれほど素晴らしいことだろうね」
「あら、わたくしがあなたよりお寝坊さんだと?」
「それではどちらが早く起きられるか勝負しようか。私としては、きみにモーニングティーを入れてあげたいから、絶対に負ける気はないけどね」
目の前で特大の砂糖を吐かれ、私はわりとゲッソリした気分になった。不敬を恐れずに言うならば、この二人は王国一のバカップル。さすがに公の場では取り繕っているけれど、こういうプライベートでは所構わず砂糖テロで周囲にダメージを与えるのだ。同席していたエドワード殿下も、うんざりした顔をしていた。
「モーニングティーを入れるのは侍女の仕事だ、クロヴィス。天下の王太子が妃に尽くしてどうする」
心底呆れたようなエドワード殿下を、王太子殿下は一笑に付した。
「そんなもの、ジュルべーズが喜んでくれる幸せに比べれば些末なものだ。私は頭の先っちょから足の爪先まで、ジュルべーズのものなのだから」
「恥ずかしいですわ、クロヴィス様」
「照れてないで、その可愛い顔を私にもっとよく見せてくれないか、私の愛しいお姫様」
「クロヴィス様……」
「ジュルべーズ……」
これは完全に二人の世界に入ってしまったな。侍女や騎士たちは完全に表情を消している。あ、あの騎士、遠恋中の恋人がいるんじゃなかったっけ? これは配置ミスだな。この二人の近くには遠恋中の恋人がいる人間は配属してはならない、という暗黙のルールがあるというのに。なぜなら、恋人に会いたくなって辞職してしまうから。
しかし、モーニングティーか……。朝一番に入れてもらう紅茶。それを入れてくれるのが旦那様で、それがシリル様だったら、どんなに-
「シリルのことを考えているのだろう?」
「!!」
顔が火照ったのがわかった。英邁と誉れ高き王太子殿下には、私の考えなどお見通しらしい。隣のジュルべーズ様も、微笑ましげに顔をゆるめている。
恥ずかしさと同時に感じたのは、純粋な驚きだった。王太子殿下はアドルフ様と一緒になって、ずっと私とエドワード殿下をくっつけようとしていたから。そのエドワード殿下の前でシリル様の名前を出すなんて。
「そんなに驚いた顔をしないで? わたくしもクロヴィス様もアドルフ様も、シリル様とあなたの気持ちには気づいていたのよ」
「だが、公爵が許さないだろうことはわかっていた。それならば自分に惚れている男と一緒になった方が良いかと思って、エドワードを応援していたんだ」
「でもね、今回のシリル様を見て気持ちが変わったのよ。『たとえ命を落としたとしても、あの方が他の男と寄り添うところを見るなど耐えられないのです』って言いきられてしまったもの」
シリル様のことは、よくわかっていると思っていた。幼馴染として長くそばに居たし、ずっと目で追っていたから。……とんだ思い上がりだ。彼がどんな気持ちで愛してると言ったのか、私は何もわかってはいなかった。
-あなたが好きだからです。
あの日の言葉を思い出し熱くなった頬を押さえていると、隣から深いため息が聞こえてきた。
「薄々わかってはいたけど、ここまでつけ込む隙がないとはね」
「エドワード殿下……」
「もちろん、私も知っていたよ? でも、君とモーペルテュイ卿だと少し家格に差があるから、何とかなるかなって思ってたんだ。私は帝国の皇太子で、君は友好国の公爵令嬢。君との婚姻を反対する者はほとんどいないだろうしね」
肩をすくめて、なんでもなさそうにふるまうのはエドワード殿下のやさしさ。忘れてはいけない、胸に刻み込め。
「せめて、ちゃんと振ってほしいな。そうすれば諦められるから」
「……殿下のお気持ち、とてもうれしかったです。だけど、ごめんなさい。私はシリル様が好きなんです」
少しだけ泣きそうな顔でくしゃりと笑ったエドワード殿下は、今までで一番小さく見えた。




