公爵令嬢の恋
初恋は、叶わないものだという。私はそれを、身をもって知っている。
◇
「ルモワーヌ伯爵ジョゼフ=エリー=デュ=アグレアーブル様、並びにヴェルニエ公爵ご令嬢マリー・テレーズ=クリステル=デュ=アグレアーブル様、ご来場!」
お兄様にエスコートされ夜会の会場入りをすると、ご令嬢方の視線が集まるのを感じた。視線がレーザービームなら、私は今頃黒焦げだ。
お兄様にはれっきとした婚約者のフェリシテ様がいるが、フェリシテ様は最近体調を崩しがちで寝込むことが多い。パートナーの代わりを私が務めているというわけ。
「ジョゼフ、マリー嬢」
「ごきげんよう、ジョゼフ様、マリー様」
「王国の若き太陽、王太子殿下。ご息災のようで何よりでございます。今宵のジュルベーズ嬢は一段とお美しいですね」
「ええ、羨ましい限りですわ。王太子殿下とお二人で並んでいると、まるで一対の絵画のようですもの」
声をかけて来た王太子殿下とその婚約者のジュルベーズ様に、お兄様に続いてにっこり応対する。
「ありがとう、マリー様。でも、絵画のようといえばあなたたちの方ではなくて?」
「ああ、そうだね。二人が並んでいると宗教画のような神聖さすら感じると、私の側近も言っていた」
美形の両親から生まれた私とお兄様は、当然かなりの美形だ。『アグレアーブルの美形兄妹』と巷で呼ばれていることも知っている。でも、相思相愛の婚約者とイチャイチャラブラブでいらっしゃるジュルベーズ様と、エスコート役がお兄様の私では大きな隔たりがある。
「ありがたいお言葉ですが、妹と並んで絵画のようだと言われても微妙なところですね。なあ、マリー」
「まったくですわね」
揃って顰め面になった私達に、お二人は破顔した。
「心配するな。フェリシテ嬢と並んでも絵画みたいだそうだ。要は顔が良ければいいんだよ」
「もうちょっとオブラートに包んでください」
「大体お前も悪い。マリー嬢に男を寄せ付けないから、アグレアーブル家の跡取りはシスコンだって噂が立つんだ」
「失礼な。俺はただ、マリーに声をかけてきた男ににっこり微笑んでるだけです。きわめて友好的な態度ではありませんか」
「それだけで十分すぎるぐらいですわよ」
そうでしょうね。ウィン・ウィンの関係で結ばれた政略結婚がしたい私としては、他の殿方が来ても面倒臭いだけだから助かってるんだけど。
アグレアーブル家は国内指折りの大貴族だ。建国王の三人の弟を家祖とする『三花』の一つ。
武を司るシュテルン家。
政を司るアグレアーブル家。
議を司るシュヴァリエ家。
ジュルベーズ様はシュテルン家の娘で、生まれたその瞬間に二つ歳上の王太子殿下の正妃ーいずれは王后となることが義務付けられた。同じ最高位貴族の娘として、ジュルベーズ様とは幼い頃から交流があったけど、その頃から必死に努力を重ねていることを知っている。
そして私も、いずれは家のための婚姻を結ぶだろう。……できるなら、相手は『アグレアーブル家の娘』を見ている人がいい。『マリー・テレーズ』は愛さないで。『アグレアーブル家の娘』として、結婚した殿方の『政略結婚の妻』として相手に尽くすことができても、『マリー・テレーズ』として愛することは出来ないから。
「シュヴァリエ家の息子達が来たみたいだ。それでは、また」
「ごきげんよう」
「またお会い出来るのを楽しみにしております。殿下、ジュルベーズ嬢」
「ごきげんよう、殿下、ジュルベーズ様」
王太子殿下とジュルベーズ様が見えなくなるのを見送ると、お兄様の乳兄弟、そして私にとっても幼馴染であるシリル様が近づいて来た。
「シリル」
「どうも、ジョゼフ様。マリー様、今日のドレスはローズクォーツ色なんですね。とてもお似合いですよ」
「ありがとうございます、シリル様」
「お前、俺とマリーのその扱いの差をどうにかしろよ……」
「普段の行動を省みて下さい」
気安い仲であるお兄様とシリル様の掛け合いに、思わず笑いが零れる。そうすると、シリル様がこちらを見て微笑んだ。
……不意打ちで、そんなに優しく笑わないで。頬が赤くなるのを抑えるのだって、大変なんだから。
「あちらにマリー様のお好きなブリオッシュがございましたよ。ご令嬢方が、今回のブリオッシュは特別美味しいと話しておりました」
「まあ、ぜひ食べてみたいですわ」
「それでは、あちらに参りますか? ジョゼフ様はどうされます?」
「俺はシガールームに行くよ」
お兄様はハイエナのごとき令嬢たちから逃れるために夜会に来て必要最低限の挨拶を済ませた後は、シガールームに引っ込んでカードゲームに興じているらしい。
「シリル、マリーを頼んだぞ」
「お任せください」
お兄様を二人で見送った後、差し出された手を取ってお菓子のテーブルに向かった。
「ブリオッシュの他にも、マリー様が好きそうなお菓子がいくつかありました。フィナンシェもお好きでしたよね?」
「ええ、大好きですわ」
テーブルの上には、ブリオッシュ、フィナンシェ、マカロン、フォンダン・オ・ショコラ、クレーム・ブリュレ、シュー・ア・ラ・クレームなどをはじめとした、美味しそうなお菓子がズラリ。
「たくさんありすぎて迷ってしまいます。何かおすすめはないのでしょうか」
「近くにいた貴婦人方はブリオッシュとフィナンシェとクレーム・ブリュレが美味しいと話していましたよ?」
シリル様(の近くにいた貴婦人たち)を信じて三つのお菓子を取る。うん、貴婦人たちの舌にハズレなし。三つとも至福の味だ。おいし〜い。
「マリー様、ダンスのお相手を願えますか?」
「喜んで」
オーケストラの演奏に合わせて、ステップを踏む。シリル様に誘われたのは体が密着するワルツだった。まずい。こんなにくっついていたら心臓の鼓動が聞こえてしまうかもしれない。
エメラルドの瞳が、私の目を覗き込んできた。
そんなに切なそうな顔をしないで。
そんな瞳で見つめないで。
あなたの気持ちに応えることはできないのに。
「きゃあ、シリル様よ」
「クレティエン伯の跡取りの?」
「そうよ。お相手は……ヴェルニエ公のご令嬢ね」
「たしかシリル様はジョゼフ様の乳兄弟でいらっしゃるのよね」
「ああ、だから一緒に踊っていらっしゃるのね」
「そりゃそうじゃない。シリル様はとっても素敵な方だけど、『三花』の令嬢を娶れる家格じゃないもの」
「じゃあ、そういう仲じゃないのね。良かった!」
「そうね。あの方はきっとどこかの王族に嫁がれるわよ」
……そう。私は誇り高きアグレアーブルの娘。いずれはどこかの王族か高位貴族に嫁ぐだろう。アグレアーブルのために。家のために。政略のために。
シリル様は伯爵家の子息。しかも彼は分家の息子で、母親はお兄様の乳母。元々アグレアーブルとの結びつきも強い。政略結婚の旨みはほとんどない。いくら胸を焦がしても、それは変わりようのない事実。
きっとシリル様以外の殿方と、私は婚姻を結ぶ。婚姻を結べば、その方に尽くす。けど、それまでは許して。叶わぬ恋に溺れる、愚かな女でいさせて。