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アルバート王子とザックは頼りにならない。
家族もレイン侯爵も頼りになりそうにない。
となると、もはや自分でどうにかするしかないわけで。
「……違う、この日じゃない…………この日も特に……」
自室に戻った俺は、机に向かいとあるノートを捲っていた。
何を隠そう、我が日記である。
これは俺がオリヴィアと出逢った頃から毎日、その日にあった事――というより、その日にあったオリヴィアとの出来事を綴っている。
悲しいことに一日オリヴィアと会えなかった日などは、たった一言「特になし」としか書かれていない。当然だな。
……あぁ、この時期は確か、大魔法の練習の為に王都を離れる必要があって、2週間ほどオリヴィアに会えなかった時だ。
そこには「オリヴィアに会いたいオリヴィアに会いたいオリヴィアに会いたいオリヴィア(以下略)」と、みっちりぎっしり書かれていた。しかも全体的にインクが滲んでいる。
改めて読み返すと正気を疑うが、この時の俺は確かに正気ではなかったので、間違ってはいない。
泣きながら書いたからな。
などとオリヴィアとの思い出を振り返りながら日記を読み返し続けるが、オリヴィアとの間に問題があった出来事など見当たらない。
そもそも、俺はオリヴィアと喧嘩をしたことがない。
議論や討論というものはすれど、口論になったことなど一度もないのだ。
……まぁ、俺もオリヴィアもそう口数が多いほうではないので、口論に発展しないということはあるだろうが。
オリヴィアと共に過ごす時間は、大抵が静かにお茶を飲んだり、互いに好きな本を読んだり、勉強を教え合ったりだ。
俺はオリヴィアと一緒の空間にいて、その美しい姿を視界に収めているだけで最高に幸福なので、無理に会話をしようとは思わない。
オリヴィアもあまり会話は得意ではないとのことで、婚約を結んだ始めの頃に「一緒に好きに過ごす」と決めたのだ。
それでも、ふとした時に合わさる視線に、照れたように少し頬を赤く染めるオリヴィアが何とも……何とも……。
……コホン。
そういった具合に、オリヴィアとの時間は大事にしてきた。
侯爵家の人間として、常に彼女優先というわけにはいかないこともあったとはいえ、それは彼女も理解してくれていたと思う。
オリヴィアが好みそうな舞台などがあれば、確実に最高の席を予約したし、ファンだという作家の作品にはサインを貰いに行ったりもした。
贈り物だって貴賤に拘らず、彼女が好む物を日頃からプレゼントしている。
彼女の頼み事を断った試しもない。
もちろん、今回の頼み以外は、だが。
いや待て。そもそも、本当にオリヴィアは俺との婚約破棄を望んでいるのか?
心から、彼女の意思で?
レイン侯爵に覚えがないというからには可能性は低いだろうが……もしや、誰かに脅されている、とか?
俺が狙いかオリヴィア自身が狙いかは分からないが、高位貴族との結婚は注目されるし希望者も多い。
この国は恋愛結婚に寛容なので、例えば、侯爵令嬢と男爵子息でも、本人たちの強い希望があれば結婚することも可能なのだ。
もちろん、家のことを考え、結婚にも益を求める貴族が多いのは他国と変わらないだろうが、恋愛結婚に白い目で見られるということは少ない。
政略結婚を予定していたが、「運命の人を見つけた!」と恋愛結婚に急遽切り替えるような者もたまにいるくらいだ。
それを利用し、オリヴィアに対して脅迫でもしている輩がいるのかもしれない。
高位貴族――伯爵以上では、現在、婚約者の決まっていない子息は2人。
グラムス伯爵家長男ヴァーノ。
ヴェルディ侯爵家次男リンスハルト。
しかし、この2人は幼い頃から付き合いのある友人でもある。
どちらも俺がどれだけオリヴィアを好いているか知っているし、心から応援してくれている。
確かに、オリヴィアはとても美しく魅力的な女性だ。近くにいれば、思わず心奪われてしまうかもしれない。
だとしても、ヴァーノとリンスハルトが俺を裏切るとは思えない。
となると、政略結婚では相手にされない、男爵、子爵の横槍。
横恋慕によるものか、家長による政略かは分からないが…………。
もし本当に、そんなことを仕出かしている輩がいたとしたら、思わず手が出てしまうかもしれない。
そう。高位殲滅魔法を宿した手が。
『ちょっと兄上ー! 魔力が漏れてますがー⁉』
屋敷の庭から鍛錬中らしき愚妹の声が聞こえるが、気にしてはいられない。
これは俺の、今後の人生がかかっている問題なのだ。