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「――――……というわけなんだ」
ソファに深く座り、項垂れながら話をする俺。
「……はぁぁぁ」
そして俺の対面に座り、深く深く溜め息を吐いたのが、俺の父であるエルヴァン・オルト・ライルバッハ侯爵。
もう40を超えた年齢だが、見た目はまだ30代前半で通りそうな若々しい容姿をしている。
俺と同じ藍色の瞳に呆れを滲ませ、父上はソファに座り直した。
「珍しくお前が重々しい表情を出しているかと思えば……はぁぁ」
「まぁまぁ」
また溜息を吐いた父上の隣には、楽し気に笑みを浮かべた母上であるアクア・ライルバッハ侯爵夫人。
父上と同じ年齢でありながら、18の息子がいるとは思えない美貌。父上の容姿よりも更に若く見える20代後半の外見は、未だに社交界では男の目を奪って止まないと評判だ(ザック談)。
「兄上は何故そうも……バカなのです?」
そして失礼極まりない言葉を吐いたのが、俺の隣に座る妹のヴァ―ジア。
どこで育て方を間違ったのか、侯爵令嬢ながら常に剣を携え暇あらば鍛錬をする、茶会よりも試合を嬉々として開催する脳筋令嬢になってしまった。
今もソファの横には剣が立てかけられていて、俺が帰って来た時も庭で素振りをしていた。
とりあえず、汗はちゃんと拭いて欲しい。
魔法でヴァ―ジアの汗を飛ばし綺麗にしてやると、ささっとヴァ―ジア付きのメイドが髪と整え出した。
黙っていれば侯爵令嬢として恥ずかしくない、母似の完璧な美貌を持っているのに、残念過ぎる。
「うるさいぞヴァ―ジア……バカって言った奴がバカなんだぞぉ…………」
「あの兄上がそんな子供のような返ししかできないなんて……今日が命日でしょうか。母上」
「あらあら、そうなるとヴァ―ジアが家を継ぐことになるわね」
「兄上、死ぬならせめて跡継ぎを作ってからでお願いします」
「はっはっは、今その後継ぎを作る相手に振られそう……いや、もう振られているのか? 前途多難だな、はっはっは!」
駄目だ、この家族。誰も親身になっちゃくれない。
「まぁ、しかし。オリヴィア嬢の言い分も気になるところだ。ライアンがオリヴィア嬢に対して、失礼なことをするとは思えないな」
一頻り笑ったところで、ようやく父上が真面目な顔になった。
「もちろんだ」
こんなにも愛しているオリヴィアに、俺が嫌がるようなことをするはずもない。
「うーん……私が最後に会ったのは、半年前の夜会だったかしら。その時の彼女は、特にライアンを嫌っているようには見えなかったわ」
「ぐはっ」
「アクア、今のライアンに『嫌い』という言葉は致命傷だよ」
「あらあら、ごめんなさいね」
嘘だ、あの顔はわざと言った顔だ。可愛らしくコロコロと笑う姿に騙されてはいけない。
隣の父上のニヤケ顔が全てを物語っている。
だが、そうか。母上から見ても、半年前のオリヴィアからそういった感情は感じ取れなかったのか。
確かに、ここ最近になってからオリヴィアと過ごす時間が減った。それも、彼女が避けるような形で……。
「ちょっと兄上、無表情でいきなり泣き出さないでください。気持ち悪い」
この愚妹の物言いはどうにかならないものか。
昔は「兄上、かっこいい!」とキラキラした瞳で言っていたというのに。
「まぁ、もしかしたらレイン侯爵が何か聞いているかもしれない。私の方から尋ねてみようじゃないか」
「お願いします、父上……」
* * * * * *
それから2日後。父上がレイン侯爵からの手紙を預かって来た。
受け取り、思わず唾を飲む俺。
「さて、どうなるかな~?」
「ねぇねぇ、何て書いてあるの?」
「ほら兄上、早く開けてください」
そんな俺を囲み野次馬丸出しな我が家族。
俺に先に読ませるような気遣いがあるわけもなく、堂々と後ろから覗き込んでいる。
駄目だ、この家族。誰も親身になっちゃくれない。本当に。
しかし、今はそんな駄目な家族よりも大事な案件があるのだ。
恐る恐る封筒を開き、中から1枚の手紙を取り出す。
『ライアン君へ
エルヴァンから話を聞いたよ。どうやらオリヴィアに婚約破棄を求められたそうじゃないか?
実をいうと、私もオリヴィアからその話を持ち掛けられてね。てっきり喧嘩でもしたのかなって思っていたんだけど、違うようだね。
その話をしたのが、2カ月ほど前だったかな。その頃からオリヴィアはたまに、どこか悩んでいるような雰囲気があった。
私から尋ねても、何でもない、と笑って誤魔化されてしまっているところだ。
なので、ライアン君には悪いが、私としても娘の心を図りかねている。
もし本当にオリヴィアが、心から君との婚約を破棄したいと願っているのなら、私としては、それでも良いかと思っているよ。
もちろん、君がオリヴィアを心から好いていることも知っているからね。
だから、敢えて言おうじゃないか。
後は、若い者同士で。
ハーベスト・ビーン・レイン』
「違うっ! 『後は、若い者同士で』は今じゃない!!!」
今は大人の権力を使う時だ。
むしろ今使わずしていつ使うというのか。
床に膝をつき両手をつく俺から手紙を奪い取った父上たちが、面白そうに意見を交わしている。
「どうでしょう、母上。やはりこれは、脈なしというやつですか?」
「まぁまぁ、駄目よヴァ―ジア。まだ決まったわけじゃないのよ」
「そうだよ。まだトドメを刺されていないからね、脈はあるよ」
それは脈違いだ。何故、俺の脈を止めるほうになる。そういう脈なしじゃないだろ。
「ぐはっ! 自分の思考が傷を抉った……」
オリヴィアが……オリヴィアがぁ…………俺に脈なしなんてぇ……。
「ちょっと兄上、無表情で泣かないでくださいと言ったではないですか」
「そう言いながら俺の上に座るんじゃない……」
兄の上に座る侯爵令嬢がいるか。
妹の椅子になったままの俺の眼前に、スッと1枚のハンカチが差し出された。
顔だけ上げると、そこには我が侯爵家の良心、執事長がいた。
「坊ちゃま、こちらをどうぞ」
「ありがとう、爺……」
「いえいえ。お顔、お拭きします」
「すまない……」
我が侯爵家の良心である執事長。通称、爺。
俺の上に座る愚妹とそれをニヤニヤと眺める両親は諫めない、ちょっと天然な良心である。