アネモネ サクセション
ープロローグー
月が異常に綺麗だった。
僕たちは外食を済まし、
少し寄り道をしながら帰っていた。
ほろ酔いの彼女の横顔には街灯の光が反射して、眩しかった。
僕はタイミングを見計らいながら婚約指輪を握っている。
ー01ー
「ウイルス離婚ってご存知ですか?」
「いいえ、何でしょう?」
「今日本中が自粛モード、つまりリモート勤務になってる訳ですよね?
それが原因で離婚も流行っているみたいですよ?」
「なるほど、言われてみると共働きのご夫婦さんにこの環境は窮屈かもしれませんね。」
ニュースキャスターが楽しそうに僕たちの話をしている。
僕とユウちゃんは交際して6年。
数ヶ月前に婚約指輪を渡し、婚約証明書は交わせたものの、未だ入籍はできていない。
急いで同棲を選んだ僕達の選択が間違っていたのだろうか、
初期費用60万家賃12万弱で作り上げたこの穏やかな環境を、
今は画面越しの上司たちが容赦無く会議を進めている。
それは徐々にストレスへと変わり果て、そして崩壊した。
会議が終わった時だろうか、ひと段落を終えたユウちゃんが僕の元へ襲来。
「あのさ。」
「なに?」
僕は聞く。
しかし確実と言っていいほど彼女の声は不機嫌なもので、
この後の展開はすでに読めていた。
「リモートは仕方ないけどさ、その会話の音どうにかならない?」
ヘビのような目でユウちゃんが言う。
僕は獲物のようだ。
「どうにかって?」
恐る恐る僕は聞く。
「例えばヘッドフォンするなりさ、私仕事できないじゃん!」
「ああごめん、気づかなかった。次からする。」
早くこの会話から逃れたかった。
「あ、あとマオくん自身の声も下げてね。」
食い気味にユウちゃんが言う。
「いや、それは無理じゃない?」
「何で?声抑えるぐらいいけるっしょ?」
言葉から生えた鋭いトゲがチクチクと胸に当たる。
「僕だって仕事してんだよ?遊んでる訳じゃないんだし。それに音でかいの、そんなにだめ?」
気が付けば僕も限界を超えていた。
「私も仕事してるんだからさー。正直マオくんの声、気が散るんだよね。」
「それ言い出すと僕も同じだよ!」
「じゃあ別々に暮らす?」
「いや、そうゆうことじゃなくてさ。」
「わかった。じゃあ別れよう!」
ユウちゃんが僕たちの終わりを告げる。
初めての事だった。
「何でそうなる訳!?」
口論は幾度となく部屋の中を飛び交う。
「その声!その声が嫌なの!!
もう無理!あーーもう無理!!」
異常なくらい猛毒なヘビだった。
「わかったよ。好きにしろ!」
僕は豪快にドアを閉め、風呂場へ向かった。
動揺と葛藤が治らない中、脱衣所では堂々とした洗濯機が待ち構えている。
いつもの景色ではあったがその日だけはクライマックスのラスボスに見えた。
僕はそいつに衣服を投げ捨て、43度のバスタブへ飛び込むように、そぉっと入った。
一息つく。
どんなに腹が立っても身体をひたす湯は良かった。
老人のような変化を遂げたしゅわしゅわの両手でお湯を掬って顔を洗う。
頬から流れ落ちる液体と共に邪気が静かに姿を消した。
「ちょっと言いすぎたなぁ・・・」
体を拭いた後、ユウちゃんがプレゼントしてくれた
可愛らしい花柄のパンツを履き彼女のいる部屋へ向かった。
ユウちゃんは静かにバラエティ番組を見ている。
「さっきは言いすぎた。ごめん。やっぱり君が好きだ。」
彼女の後頭部に優しく謝罪した。
「ううん。私もどうかしてた。私も好きだよ。」
泣き疲れたのか、振り向いた彼女の目は腫れていた。
「これからはもっとユウちゃんの事も考えるよ。」
「・・・ありがと。」
真っ赤に熟れたトマトのような顔色でユウちゃんが言った。
さっきまでヘビと獲物の関係が嘘のようだった。
僕はそっと引き出しを開け、深い眠りにつこうとしていた婚約届に手を差し伸べる。
「ねえ知ってる?」
早くもバイタリティーを取り戻したユウちゃんが口を開く。
「何が?」
引き出しをパタンと閉める。
慌てたのか驚いたのか、その時の感情は曖昧だった。
「その柄、よく見ると1つの花しか描かれてないんだよ。」
ユウちゃんが僕のパンツに指を指しながら言った。
「本当だ。気づかなかった。」
「アネモネって言ってね。私一番好きなの。
マオくんに似合うとも思ってた。」
ユウちゃんはいつも不意に植物を買って来る。
エアープランツ・クワズイモ・チューリップと種類は様々だった。
しかし、一番好きなものがあると言うことは今まで知らなかった。
そしてどうゆう事か。アネモネは我が家に一輪とも無かった。
「あ!!!!」
不意に彼女が雄叫びをあげる。
「どうした?」
「・・ごめん。」
顔色が変わった。
「あの、婚約指輪・・・・捨てちゃった。」
一瞬意味がわからなかった。
彼女の行動がトリッキーすぎて
コンヤクユビワと言うコンニャクのような食材を捨てたのかと思った。
でも違う。ユウちゃんが捨てたのは紛れもなく婚約指輪だ。
「・・・・は?どうゆう事?」
「さっき、なんか思いっきりムカついちゃって、我を忘れてつい・・。」
「え、嘘でしょ。嘘よね?」
僕は崩れ落ちる膝を全力で支える。
「あ、でも大丈夫!
ついさっき、ちょうどマオくんがお風呂に入っている時だからまだゴミ箱に。」
言い忘れていたが彼女は少し天然だ。
「何だよそれ、早く言ってよ。」
ホッとした顔で台所に向かうが、間も無くゾッとする。
「ゴミ・・・変えてんじゃん。」
パンッ「あ、そっか!」
手を叩いたその音は部屋中響いた。
「いっぱいだったからゴミ置き場に持って行ったんだった。」
「えー。」
僕は呆れながらも少し笑っていた。
行動と発言が彼女らしく、何の違和感もなく状況を受け入れた。
「ごめーん!!」
合わさった手をそのまま利用した彼女の笑顔がカニの腹に見えた。
「わかった。もう婚約指輪の事は忘れよう!」
和解をした矢先、喧嘩はしたくない。
一刻も早く気持ちを入れ替え、流れを変えようとしていた。
「だめだよ!ゴミ置場に行こう!私あれ宝物だもん!!」
迷宮。宝物なら捨てないで欲しいものだ。
しかしよく考えてみればこの行き当たりばったりの思考は
表現家として天才かもしれない。僕は長所ととらえるようにした。
「マオくんも着いて来てー!」
いつの間にか玄関に移動していたユウちゃんが僕を招く。
犯した罪を持ち前の明るさで誤魔化す彼女の姿は成功者の目をしていた。
僕はズボンを履き何も言わず共に向かう。
4・・3・・2・・1
エレベーターが階数を示す。
会話はないが不思議なことではない。エレベーターの中はこういうものだ。
扉が開いた時ゴミ置場が少し見えた。
回収日前日というわけかゴミストッカーの蓋が閉まりきれていない事を確認する。
しぶとい戦いになるだろう覚悟を決めた。
共同玄関の先にあるアスファルトが戦場に見えたが、兵士は1人もいない。
僕は初めて自粛モードに感謝する。
しかし街灯の少ない住宅街の暗闇が間もなく僕たちの視界を奪った。
「どれよっ!!」
動揺した僕の言葉にオネエが宿る。
「大丈夫!多分まだ上の方のやつだから。」
ユウちゃんは躊躇なくゴミ袋を開け、手を突っ込んだ。
引き下がることのできない状況、
少し潔癖症の僕は、大きく息を吸い彼女に続いた。
宝くじ、エロ本、キャバクラの名刺・・
数多くのゴミが姿を現した。
他人の生活や情報はこうも簡単に手に入るのか。
僕は恐怖と、ほんの少し興味を覚える。
見ず知らずの人の所有地をブルドーザーで突っ込むような気分だ。
罪悪感を大きく上回った僕は心の中で悪魔と契約をかわそうとしていた。
悪の者として完全に化けてしまう前に素早くゴミ袋の蓋を閉じその戦いは死守できた。
休む間も無く婚約指輪捜索大冒険第2章が幕を開ける。
今回は見覚えのある結び目だった。
紐だろうがゴミ袋だろうが、何でも蝶々結びにするのがユウちゃんの癖だ。
ずっと気にはなっていたが、害はなかった為指摘もしなかった。
しかし役に立つ日が来るとも思っていなかった。
浦島太郎が玉手箱を開ける速度で結び目を解いた。
輝く何かが奪われた視界を取り戻す。
「あ・・あった!!!!」
僕は婚約指輪を手に取り思わず大声をあげた。
しかし彼女の反応はなかった。
「ねえ。・・・マオくん。」
少し落ち着いた声のユウちゃんが僕の目の前に手を差し伸べた。
「これ。」
僕は目を疑った。
「・・・私も、見つけちゃった。」
ユウちゃんの手のひらには僕が探していたものとは全く異なる
高価な婚約指輪が光っていた。
一瞬マジックを披露されたのように思えた。
「これ、なに?・・どうゆう事?」
今起きている出来事に頭がついていかなかった。
「いや、ね?ほら。ゴミ袋あさってたじゃん?
それでマオくんが婚約指輪見つけて、私も見つけた。」
覚えたての言葉を並べたようなあどけない説明だった。
「ん〜?」
僕とユウちゃんは自然と首を傾げたあと少し黙り込む。
首の角度がシンクロしていた。
「これ誰かの婚約指輪って事?」
徐々に理解して来た。
「そうだろうね〜。」
峠を越えたのかユウちゃんはずっと冷静だった。
「・・・それ、どうする気?」
少し嫌な予感がする。
この後ユウちゃんが何を言い出すか
なんとなく予想はついていた。そして見事に的中する。
「決まってるでしょ!!持ち主探して返しましょう!!!」
ユウちゃんは手を挙げながらそう言った。
ウルトラマンに変身するようだった。
天然なのか、お人好しなのか、
ユウちゃんの発言と行動はいつもノストラダムスの大予言を超えていた。
ここはゴミ置場。僕達は静かにその場を去った。
そして2つの婚約指輪を持ち帰った僕たちの壮絶な会議が始まろうとしていた。
「とりあえず、婚約指輪見つかって良かったです。」
申し訳なさそうにユウちゃんが言う。
もう1つの婚約指輪で頭がいっぱいだった為
僕は『本物』の婚約指輪の事を忘れていた。
「そうだね。・・・・で、どうしよか?それ。」
僕は本題に入る。
ユウちゃんは、『じゃない方』の婚約指輪を手にとり眺める。
「さっきは持ち主探すって言ったけど、実はもう誰かはもうわかってるんだよね。」
僕はユウちゃんが超能力的な何かを持っているのか、少しワクワクした。
「え、なんで?」
目を輝かせ飛びつくように問いかける。
「これが出て来たゴミ袋調べたら住所も名前もすぐにわかった。」
「ああ、そうかその手があったか。」
盲点。部屋中探したがポケットに入っていた。そんな感じだ。
犯罪スレスレの彼女の行動は心なしか筋も通っていた。
「でもどう返そうかなって感じ。今考え中。」
「いや、その事なんだけどさ、僕的には返さない方がいいのかな〜って・・」
僕はユウちゃんが暴走する前にブレーキを踏んだ。
「え、なんで?」
「いや、普通に考えてさ、人の恋愛事情に首突っ込むのはどうかな〜って。しかも赤の他人がだよ?」
「え〜、せっかく楽しい展開になって来たと思ったのに!!
それに私たちみたいに小さな喧嘩かもしれないじゃ〜ん!!」
テーブルの下でユウちゃんの足が微かに当たる。
「いやいや婚約指輪捨てるって相当な何かがあったんだよきっと!
それに小さな喧嘩だった場合、自分たちでなんとかするでしょ?僕達みたいに。」
「でもほら。私も捨てたよ?」
ドヤ顔のユウちゃんが言う。
「いや、ユウちゃんの行動は異例だよ。普通じゃない。」
「え、、そうなの?」
「そうだよ!」
6年も交際を続けるといつの間にか彼女の極上な天然っぷりには慣れてきていた。
「ん〜〜・・。」
ユウちゃんはとても落ち着かない様子。僕は返事を待った。
「でもダメだ!やっぱり返したい。1%にかけたい!!」
一体何のパーセンテージなのかわからないが今は何を言っても聞かなそうだー。
僕は彼女の電車に乗ることにした。
「わかった。じゃあそうしよう。その代わり慎重にね。
見ず知らずの人に婚約指輪を返すことはそう簡単な話じゃない。」
「うん。そうだね!ありがとうマオくん!」
僕達は会議を終わらせ、寝室へ。
こうして序章の一日が終わるのだった。
ー02ー
目覚ましが鳴らなかった。今日は休日だ。
僕とユウちゃんは朝食を済ませ
コーヒーを満喫しながら”例の計画”を練っていた。
「えーっと。まず、どこの誰って?」
微糖のコーピーを飲みながら僕は言う。
「ちょっと待ってね今調べる。えっと世田谷区のー・・」
ユウちゃんはそう言いながら携帯で住所を調べ出した。
「あ!あそこじゃん!公園の向かいの!」
飛びかかるように画面を近づけるユウちゃん。
ネットで調べられたマップが自宅からの距離を『徒歩1分』と示していた。
「あー、あの茶色いマンションね!」
「部屋の番号はね、204号室。名前は岡部多恵さん。相手の方はわからなけど。」
昨日ゴミ袋から入手した宛名の書いた封筒を読みながら言った。
「いや、十分だよ。なんとかなるんじゃない?」
少し反対気味だった僕が、いつしか楽しくなっていた。
「でさ、タエちゃんにどうやって渡す?」
夢みる少女の眼差しでユウちゃんが言う。
「タエちゃん?」
「そう!この方が親しみやすいじゃん!もしかしたら夫婦として今後仲良くなってくかもしれないし!」
何故かユウちゃんは『じゃない方』婚約指輪の持ち主に対して
今でも円満にやっていると思わんばかりの様子だった。
僕はよんどころない気持ちをため息に込める。
「どうぞお好きに。でも本人の前ではちゃんとしてね。」
「はい!」
自衛隊のような覇気のある彼女の返事で話は振り出しに戻る。
「でも急に行くのはやめておこう。本当に深刻な理由かもしれないし。」
「例えば?」
「婚約者が死んだとか・・多恵さんには別の恋人がいて・・とか?」
「あ〜確かに。それもそうだ!
じゃあどんな人なのか調べるところからだね!」
ユウちゃんは以外にもすんなり納得してくれた。
こうして僕たちは岡部多恵の情報を集める事となる。
マンションを調査。ポストを覗き見る。双眼鏡を使って盗撮。
これらは全て犯罪の匂いがした為不採用となった。
その結果、僕の『ご近所さんに色々聞き回ろう。』
と言う計画は最終選考まで残ったが自粛モードが原因で惜しくも敗退。
最終的にユウちゃんの『直接会って渡そう』が勝利を勝ち取った。
そしてそれはすぐに実行される。
僕は車を出しユウちゃんと2人で目的のマンションの前へ。
そこには『ここどうぞ』と言わんばかりに完璧な角度のパーキングエリアが存在していた。
午前中無料。
僕たちは大きな看板に会釈しながらお言葉に甘えた。
早速張り込み捜査が開始される。
刑事ドラマが大好きな僕の気持ちは松田優作の域に達していた。
「出てこないねー。」
退屈そうなユウちゃんが携帯をいじりながら言う。
僕の気持ちが凡人の心を取り戻す。
「そう簡単にいかないよ。このやり方も正しいのかどうか。」
早くも心が折れ出した。
僕は密かにこのまま海までドライブしようとプランを立て直そうとしていた。
「あ!!」
忘れ物を思い出したかのようにユウちゃんが叫ぶ。
「てかさー今自粛じゃん!出てくるわけないよ!」
「うん。僕もそう思ったけど、買い物ぐらいはするでしょ。」
期待の言葉で場をつなぐ。しかし僕の本心が限界を迎えようとしていた。
「アマゾンかもしれないよ?ウーバーイーツかも!」
”いよいよここまでか”
僕は何も言わず、サイドブレーキを引き海へ向かおうとした。
止められるものなら止めてみろ。それほどの強い意志だった。
しかし彼女は何も言わず遠くを見ている。目線は岡部多恵のマンションだった。
204号室の扉がゆっくりと開く。
「あ!タエちゃん出てきたよマオくん!!」
ユウちゃんが僕の肩を高速で7回叩いた。
僕は静かにサイドブレーキをかける。
「はいはい!見えてるから大丈夫だって!」
ほんの一瞬、僕たちは付き合い始めた頃の高校生に戻っていた。
「あれ、でも男の人だね。タエちゃんっててっきり女性かと。」
言う通り、出て来たのは中年男性。
綺麗にアイロンがかけられた紺色のジャケットを羽織り、ゆっくりとエレベーターへ向かっている。
彼の少し強面な姿に圧倒され僕は辞退を考えた。
「そうだね。で、どうする?声かけ・・」
「追跡ー!」
ユウちゃんは僕の言葉が届く間も無く、助手席を降り彼の後を小走りでつけていった。
「ちょっと・・ユウちゃん。」
僕は慌てながらも慎重に車を降り、追いかけた。
彼女は背後の僕を配慮する様子は全くなく、ただただひたすら尾行を続ける。
中年男性は僕たちが向かったことのない方向へ歩いて行く。
冒険心のない僕はこの道を知らない。
知っていたとしてもおそらく行き止まりだろうと思い、引き返すの姿が目に浮かんだ。
「どこへ行くんだろう。」
真剣な顔でユウちゃんが言う。
あちらこちらと建造物を確認しながら進む彼女もこの道を知らない様子だった。
「ひょっとしてヤクザの事務所とか・・」
僕はおもわず自分で発した僅かな可能性に怯える。
よくよく考えてみれば簡単に婚約指輪を捨てるような男だ。
悪人に決まってる。
男は愛人であった岡部多恵を殺害し証拠隠滅の為に婚約指輪を捨てた。
その証拠を僕達が今突き止めようとしている。
あの曲がり角を曲がった途端、隠し持っていたナイフで襲いかかって来るだろう。
その時僕らはどう逃げる。最悪の場合のシナリオはひとつ足りとも存在しなかった。
彼にとって自粛中は好都合、閑散としたこの住宅街で住民を派手に殺そうが目撃者は1人もいない。
恐ろしい推理が僕の全身を震わせている頃中年男性が角を曲がった。
「あ、いけない!」
中年男性を見失いかけたユウちゃんが思い掛け無いスピードで走って行く。
僕は身体中の冷や汗を振り払い全力で彼女を追いかける。
1歩2歩3歩4歩、鼓動と共に恐々と曲がり角まで向かった。
するとそこには盛大なスーパーストアが厳かに立ち誇っていた。
来店する中年男性の姿。左手で軽やかにカゴを掴む姿は何度か行き慣れている様子だった。
「へーこんな所にスーパーあったんだー!!」
僕たちは中年男性の追跡を後回しにして大型スーパーに心を震わせていた。
「マオくん見て見て!この玉ねぎ大きくて超安い!!しかも掴み放題だって!!」
「本当だ!品揃えも豊富だなー。こんなのも売ってる。」
僕は安売りの電子レンジを眺めながら感心する。
「これは岡部多恵に感謝しないとねー!」
「ユウちゃん声大きいよ!」
「あ、ごめん。」
僕たちはちらりとターゲットの中年男性を見た。
こっちを見ているような気がしたが目の前のバターを手に取り去って行った。
気づかれた気付いていないの瀬戸際な反応。僕達は警戒を強めた。
「(小声)で、どうしようか。どう話しかける?」
「(小声)それなんだよねー。。」
忍び足で店頭へ移動し再び作戦会議をした。
人は二種類の人間に別れる。デジタル派かアナログ派か。
そして僕はアナログ派。メモ等簡単なものは極力筆記を心がけていた。
肩からぶら下げていた小さなポーチを開け中からスケジュール帳を取り出す。
岡部多恵と合流してから
その1、そのまま真正面から話しかける。
その2、袋、カバンにこっそり入れ戻す。
その3、人間性に危険を感じた場合。家のポストに置いておく。
「ユウちゃんはどれがいい?」
僕は聞く。
「1でしょ!
2はなんかスリをしてるみたいだし、
3は一度捨ててるんだから手にしてもまた捨てるよ!」
即答。ユウちゃんの言葉は正論だった。
「・・わかった。ふう、、よし!それで。」
ここは男の僕が話しかる。そう思い覚悟を決め大きく深呼吸をした。
「あの。」
中年男性の声が僕らに向けられる。
とても優しくて弱々しい声だった。
「多恵をご存知なんですか?」
中年男性が言う。
とても落ち着いた表情が不意に優しくも見え、僕は緊張の糸が切れた。
そしてこの一言で彼は岡部多恵ではない事がわかった。
「あ、いえ、あの、どうしてですか?」
「さっき岡部多恵っておっしゃっていましたよね?」
やはりあの時に気づかれていた。
睨むようにユウちゃんを見たが彼女は自分の事だとわかっていない様子。
しかしこの中年男性は話が通じそうな方で一先ず安心した。
「あの、この婚約指輪、あなたのですよね?」
流れは自然だった。
「あれ、おかしいな。確か、捨てたはず。」
中年男性はかなり不思議そうな顔をしている。
彼の顔が惚けているように見えたのか万引きGメンが現行犯を捕まえたと
勘違いした店内がざわつき出した。
「え・・なに?何ですか?」
中年男性が取り囲む人間たちに歯向かう。
「僕たち拾ったんです。その、ゴミ置場で。」
僕はあえて大きめな声で言った。
店内は万引き騒動ではないとわかり通常を取り戻す。
不満げな顔をしていた中年男性が、優しい表情に戻った。
「とりあえず、今は自粛中です。良ければ僕の家に。」
警戒心もなく中年男性は僕とユウちゃんを家まで案内してくれた。
道のりは事細かく把握していたがそれは言えなかった。
見覚えのある風景が着々と蘇り僕達の安全は確保される。
横断歩道を横切るとパーキングエリアに駐車中の僕の車が
お帰りなさい。と言っていた。
エレベーターで二階に上がり僕達が監視していた204号室へ。
「あ、どうぞ。」
部屋の中は意外にも綺麗だった。彼は僕達の前にスリッパを並べる。
女性の匂いや面影はない。
「すいません、失礼します。」
「お邪魔しまーす!!」
僕とユウちゃんはゆっくりと彼が並べたスリッパを履く。
少し長い廊下を進んだ後、リビングが見えた。
ソファーと机とテレビ、家具はかなり少なくシンプルな空間だった。
「適当に座ってください。」
僕達の緊張をほぐしながらキッチンへ向かう中年男性。
「あ、ありがとうございます。」
僕はユウちゃんをソファの左側に座らせてから座った。
「お茶?お水?・・コーヒーもあるけど。」
終尾の言葉だけ明らかにニュアンスが変わった。
手間をかけるのが嫌なのか心の声がキッチンの方から聞こえる。
「水で、大丈夫です。」
「あ、私お茶!」
遠慮がちな僕達は無意識に彼の要望に応えてあげていた。
ユウちゃんの能天気な声が場を少し和ませる。
食器の音がしばらく続いた後、中年男性がオーダーメニューと共にやってくる。
「よいしょっと。」
向かいの1人用ソファーに腰掛け僕たちの前に飲み物を配る。
「それで、君たちはなんでゴミ置場にいたの?
ただゴミを捨てに行ったわけじゃないよね?
僕の婚約指輪の存在にどうして気づいたの?」
質問攻めの彼は不機嫌だった。
自分に置き換えた時それはごく当たり前の事で、きっと僕自身もこういった態度をとるだろう。
彼の言葉や感情に違和感はなかった。
「怒らないで聞いてください。」
僕たちは全てを話した。
その中には精一杯の謝罪も含めていた。
「なるほどね〜・・。捨ててもダメか。これも運命。」
中年男性は僕たちの非現実的な出来事を
疑うことなくすんなり受け入れてくれた。
それは奇妙なぐらいスムーズだった。
「あの、聞いていいですか?」
「どうぞ。」
中年男性は会話の隙を見計らってタバコに火を付ける。
「岡部多恵さんって・・」
この先は中年男性に委ねた。
卑怯なやり方だと思ったがこの作戦は僕達にとって
デメリットはなく慎重かつ冷静な判断だと自分で論賛した。
「あぁ・・。なんて言うんだろう。元恋人ってところかな。」
忘れようとしていた最愛の相手を僕たちが
思い出させてしまったのか彼は悲しげな顔をしていた。
「あ、・・すいません。」
僕は反射的に謝ってしまう。
「いやいや、いいんだ。」
中年男性は少し笑いながら半分以上も残っているタバコを消し始めた。
この時僕は、婚約指輪を捨てるまでの経緯を話してくれると確信した。
「大林マコトと言います。岡部多恵とは交際して1年でした。
僕は結婚を決めてたんですが、彼女はそうじゃなかった。
婚約指輪を渡す前に家を飛び出してしまって・・・まあ無理もないか。」
「無理もない?」
僕は気になる点だけ掘り下げた。
彼は敬遠する事なく優しく答え始める。
「うん。僕は今58歳なんだけどね。彼女はまだ28歳で。
遺産狙いとか周りに色々言われてたみたいで。年の差はプレッシャー感じるよね。
だからもういらないよ。その指輪。」
吹っ切れた顔で大林さんが席を立とうとした。
「それ、本当にフラれてます?」
ユウちゃんが静かに反論する。
彼女のコップの中は微かに減っていた。
「ちょっとユウちゃん!」
僕はこれから始まるユウちゃんの説得を一刻も早く阻止して
この場を立ち去る方向に進めたかったが、もう手遅れだった。
「別れたい。って言われたわけじゃないんですよね?
まだ見込みありますよ。ひょっとしたら大林さんが迎えに来てくれるのを待ってるかも。
女ってそうゆうものです。だから頑張りましょう!探しましょう!タエちゃん!
なんなら私たちも一緒に探します!ね。マオくん!」
前半はなんとなく予測がついていたが最後の言葉は遥か先をいっていた。
「それ本気で言ってる?」
これは否定の言葉ではない。この時はもう色々と諦め始めていた。
ドンブラコドンブラコと揺られながら流れる僕の先に滝がある。
その情景が的確な表現だ。どうしようもない。手の施しようがない。
「嘘でこんな事は言わない!」
僕は静かに白旗を立てる。
「ありがとう。君たちは優しいね。」
大林さんのつぶらな瞳から小さな希望を感じた。
そしてそれは僕の左側にも溢れている。
僕とユウちゃんは大林さんの元恋人、岡部多恵を探す事となった。
ー03ー
程よい高さの建物が寛大な空を窮屈させる中
ラジオから流れる気前の良い音楽が車内を明るくさせていた。
助手席にはユウちゃんがスヤスヤと休息をとり
バックミラーには大林さんのこめかみがチラリチラリと見え隠れしていた。
「懐かしいなぁ。」
車内を制していたRCサクセションに大林さんが喰らいつく。
呼びかけるような気持ちで言ったのだろうが僕にはしっかり聞こえた。
「好きなんですか?清志郎。」
僕は好奇心で大林さんに餌を巻いてみた。
「ああ〜、曲によるかな?
昔ね、清志郎の展示会に言ったことあるんだよ。
彼、絵も上手でね。少し変わってるかもしれないけど
僕は曲より先に絵から入ってるタイプのファンだから。」
「へ〜、そうなんですね。清志郎、絵も描いてたのは知らなかったです。」
「かっこいいよ!彼の絵。中でも自画像が好きかな。
何というかシワの感じが何処と無くゴッホに似てるんだよね。」
子供のように楽しく話す年配の彼の純粋な姿は男のロマンそのものだった。
僕は彼に敬意を表して少し心を開く事にした。
「音楽もやって絵も描いて、大変ですね。」
「いやいや意外と多いんだよ!音楽とアート両方やってる人。
確かフレディ・マーキュリーも描いてたんじゃないかな。」
「詳しいんですね。」
盛り上がりかけた会話が僕の嘘偽りない一言によって幕を閉じた。
彼が急に黙り込む。侘しさが車内を埋め尽くし始めた。
「多恵さん見つかると良いですね。」
辺りの公園やデパート、色々あたった後だった。
僕は本題に入る。
「色々手伝ってもらって本当申し訳ない。
ただここまでやってもらって言うのも何なんだが、
消去法で最後1つだけ確認したい場所がある。」
「どこです?」
言おうか言わまいか何度も衝突を繰り返している大林さんに向かって余力を振り絞った。
「気持ちはわかります。僕も大林さんならもうとっくに諦めている。」
彼の葛はまだまだ治らない。僕は必死で言葉を繋ぐ。
「でも、ユウちゃんも言ってたし、未練があるなら行くだけでも行ってみましょう!!
ヨリが戻ればラッキー。無理なら現状維持。よく考えてみれば今より落ちることはありません!
だから元気出してください。」
らしくない言葉で大林さんを励ます。
そこには心なしかユウちゃんの魂らしきものが宿っていたのかもしれない。
「あの、山なんだよね。」
ちゃんと話す事を神に誓った顔をして大林さんが話し出した。
「山・・?どこのです?」
「ここから車で1時間弱の所。大丈夫?無理しないでね。」
後ろめたさが浸透した甘い声だった。
僕はたまたま通りがかったコンビニに車を寄せながら
バックを利用して灰になりかけている大林さんを裸眼でしっかりと見ながら強く答える。
「大丈夫!明日も休みなんで。その山へ行きましょう!
なのでもう少し、詳しく良いですか?」
「ありがとう。感謝するよ。」
内心瀕死状態だった大林さんが息を吹き返す。
「高尾山って言ってね。多恵の実家がその山奥にあるんだよ。きっとそこにいる。」
「そうゆう事でしたか。
あの、今更ですが多恵さんが出て行ってから連絡はしなかったんですか?」
素朴な疑問がふと頭によぎり、僕は何も考えないまま気が付けば聞いていた。
「・・携帯持ってないんだよね。僕。」
この一言によって
人としての愛情すら感じ出して来た大林さんに対し再び疑惑が蘇った。
20歳以上離れた恋人。芸術が好き。携帯を持たない。山奥。
小学生の頃だろうか、僕は一つの番組に目を焼き付けていた。
それは実在したある人殺しについてのドキュメンタリー番組。
彼は武器を持たず、手袋のみで襲いかかる通称ビックフットと呼ばれる化け物だった。
そして彼には彼のルールがあり、一つは居場所がバレないように携帯は持たない。
もう一つは必ず圏外の山奥で殺害する。と言う事だった。
彼の犯罪は完璧とまで言われていたが、ある失態を気に呆気なく逮捕。
後日彼の家を調べた所、そこには人間離れした美しくも完成度の高い絵画が20枚以上発見された。
最終的に彼の絵は芸術界で高い評価を受け、フランスの大きな美術館で今でも展示されている。
との言うオチだった。
その後ビックフットがどうなったのかもわからなければ、そもそも自体作り話かもしれない。
ただあの頃の僕の純粋な『怖いもの見たさ』の好奇心が今も尚映像として焼き付いているのだった。
「あの、大林さんお仕事は?」
僕は自然な流れで事情聴取を始めた。
「自営業ってところかな。」
「へ〜、大変ですね。どうゆう系のお仕事ですか?」
恐怖に怯えながらもできる限り情報を集めたい。
「コンサル系だよ。印刷会社の。」
質問の詰めが甘かったか、なかなか先に進まない。
「喉乾いたー!!!」
助手席で眠りについていたユウちゃんが大きなアクビと共に目を覚ます。
思わず僕は会話を中断し、挨拶程度の言葉を彼女に向けた。
「結構寝てたね。」
「うん。スッキリ!」
彼女は何も知らない。僕も彼女が見ていた夢を知らない。
「僕、何か買ってくる。」
何気ない顔を精一杯演じながら車を降り、目の前にあるコンビニ店内へ身を隠した。
「いらっしゃいませー。」
茶髪の大学生店員が人質かもしれない僕を元気よく出迎える。
オドオドと歩く僕の不審な行動は運悪くもコンビニ店内に著しく馴染んでいた。
驚くほど店員に無視された。僕はドリンクコーナーへ向かう。
”サイコパス”
この言葉が過ぎった。
BOSSの缶コーヒーを3本手に取りレジへ向かう。
一点一点ジャンを通している間、窓から見える車内の楽しそうな二人が
店内のエロ雑誌と重なった。
息苦しさが残るまま車に戻る。
自由に生きられる猛獣が自ら檻の中に入る気分だった。
「あ、ごめん。僕トイレ。。」
既に脱いでいた上着を置いて入れ替わる様に大林さんがトイレへ向かった。
自粛中で世界中の人間管理に余裕ができたのか
神様は僕たちをしっかり見てくれている。
ご機嫌なままユウちゃんは鼻歌を歌いながら缶コーヒーを飲んでいる。
「あのさ、大林さんの事なんだけど。」
ユウちゃんが缶コーヒーを持ったまま小さな眉毛を上げ、こっちを向く。
「もしかすると、ヤバい人かも。。」
「なんで?」
あどけない僕の様子と動揺した言葉に何か察したのか
ユウちゃんがゆっくりと缶コーヒーを置く。
「うん。携帯持ってないって言うんだよね。
その他にも色々怪しくて。
ひょっとして山奥に連れて行って僕たちを殺して埋めるんじゃ・・・。」
根拠もなければ確信もない僕のただの暴走した妄想話を
現実で起きているかのようなリアリティある表現で暴露した。
「はははは!!!!なにそれ?」
ユウちゃんは驚くほどに怖がらなかった。
決してホラーやオカルト好きではないが
昔から怖いもの知らずの彼女に今回ばかりは不満を覚えた。
「いやあくまで可能性としてだよ?
本当にただの一途なオジさん。かもしれないし。」
「大丈夫だよ!良い人だって!大林さんの目を見ればわかるもん。」
軽はずみなユウちゃんの言葉は意外にも鋭かった。
確かに彼女の言う通り、大林さんが嘘をついているようには到底思えない。
少なくともRCサクセションが流れた時の忌野清志郎の話は、中途半端な気持ちではなかった。
ただ気持ちが暴走しすぎたのかもしれない。
今客観視できているのは僕ではなく彼女の方だ。
僕はしっかりとユウちゃんの意見も取り入れる事にした。
大林さんが戻ってきた。用を足した後のスッキリした顔をしている。
「よし!タエちゃんの所に向かいますか!!」
陽気な言葉でシートベルトを装着するユウちゃんが、
物語の冒頭で命を落とす雑魚キャラに見える。
「ちょっと待って、忘れ物!思い出した。」
念には念を込めて僕は少し乱暴な運転でひとまず自宅へ向かう。
ーーーーーー
「ちょっと待ってて!すぐ戻る!」
自宅マンションに着いた頃の事だ。
道中、すれ違った自動車やバイクは数えれる程度で僕はスピード落とす事なく到着した。
丁寧に車を停めた後、ユウちゃんと大林さんを車に残し急いで部屋へ向かう。
玄関の2重の鍵を開け。行き先は寝室。僕の体重によってヒシヒシと築年数が軋む。
ベッドから手を伸ばせば届くだろう絶妙な距離の引き出しを開け真っ黒な護身用のスタンガンを入手。
「これだけで大丈夫か・・。」
金属バットも考えたがあまりに大きすぎると隠すことができない。
「山奥なんでクマが出た時の為に」
と言う最高の言い訳も思い付いたが、大林さんが例のビックフットだった場合、
自分の正体がバレたと僕たちを警戒し、山までにより良い殺人方法を考え出すに違いない。
何よりユウちゃんの危険性が増す。彼女だけは失いたくない。
掴みかけたバットを傘立てに戻し、自然な顔を整えで車まで戻った。
ビニール袋に入れたスタンガンをこっそり助手席の引き出しに入れる。
自然な動きだったと思う。ユウちゃんはビニール袋を少し開き中身を確認する。
そして少し笑う。
続けてバックミラー越しで大林さんを確認。
ご近所の金持ちマダムが散歩に連れ出しているトイプードルに向かってニッコリと笑っていた。
気付いてないどころか、気にもしていない様子だった。
「すいません。遅くなりました。」
「いや、全然大丈夫だよ。」
大林さんが忘れ物の詳細を聞いてこない。これは非常に幸運だった。
そして再び僕はアクセルを踏んだ。
この街に住んでからか高速道路以外で車の少ない状況はなかったかもしれない。
ゴールド免許の僕はランクが下がらないようスピードメーターを小まめにチェックする。
しかし街の安全を守る警察すらもその姿をくらませていた。
「そう言えばタエちゃんってどんな人なんですか?」
会話のない中ユウちゃんが突っ込んだ。
”知ってどうする?”そう思ったが個人的に大林さんを怪しんでいる現状、
これは案外メリットのある質問だ。やはり僕の愛する彼女は天然ながら天才だった。
「かわいいよー!優しくてね。僕には勿体無いくらいだった。
そうだ、写真もあるんだ。一応持ってきた。」
大林さんはシワ一つない紺色ジャケットの内ポケットに手を潜めた。
銃か!右足に力が入りスピードメーターがほんの一瞬規定速度を上回る。
「ほれ。これ!」
再び現れた手には1枚の写真が握られていた。
「わあ!綺麗!素敵な人!!」
「そうだろ?しかも料理も上手なんだよ。」
ユウちゃんと大林さんが盛り上がる。
「マオくんも見て見て!!」
そう言ってユウちゃんは写真を僕の視界に入るよう向けてくれた。
窓際に立つ胸元がパックリと開いたブラウス姿の女性。
極細く開いた窓から入ってきているであろう波風が写真越しからも大胆に伝わってくる。
光が反射したような真っ白な左肩はカーテンに覆われ、
右肩は華やかな色の下着の紐がうっすらと見えていた。
清楚で穏やかそうな大人っぽい女性、圧巻だった。
これはかなり失礼な話なのだが確かに大林さんにはもったいないほどとても美しかった。
『岡部多恵は存在している』。何よりその事実が大林さんの疑いを少しだけ晴らしたのだった。
”あ〜退屈だな〜暇だな〜”
”あれ?らしくないじゃん、どうしたの?”
”全然客こねーもん!俺そろそろ立ってるのも疲れてきた。”
”まあまあ、これが俺たちの仕事なんだし、もうちょっと頑張ろうよ。”
”はいはいわかりましたよ。”
飛び交う車、すり抜けていくバイク。いつものような景色とは打って変わり、
自粛モードの日本は静かなものだった。
障害物に気を張らなくなった運転が続いたせいか、僕は左右に並んだ建造物達に
アテレコをするほど退屈になっていた。
「あ。車止めて!」
大林さんが声を張ったのは目的の高尾山のふもとに着いた時の事。
岡部多恵の存在を知った直後、ビックフット疑惑を投げ捨てた僕は既に半分旅行気分になっていた。
「どうしたんです?」
車を停めた後、僕は言う。
「これ以上車で行けないんだよ。だからここに停めて、歩いていきましょう。」
「ここカフェですよね?停めて大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫!今ここやってないから。」
僕は自発的に駐車するよう大林さんに仕向けるられる。
精神世界ではしっかり『失礼します。お借りします。』と言いマナーを守ったつもりだったが
僕の良心は誰にも届いていないだろう。
大林さんが早速車から降り、ユウちゃんと僕は貴重品の入った小さなポーチを持って車を降りる。
念のためのスタンガンが少し重かった。
「どうもありがとう。」
大林さんがガソリン代に少し色を付けた金額を丁寧に封筒に入れようとしていた。
「あ、大丈夫です。なんか僕たちも割と楽しかったんで、それ何かに使ってください。」
僕は若干人懐こい態度で断る。しかしこれは遠慮ではなく本心だった。
「山歩くの久々だねーマオくん!私すでに旅行気分だわ!」
逞しいユウちゃんの華奢な腕が何の迷いもなく僕に絡みつく。
「そう言えばこういう所しばらく来てなかったな。」
目の前に広がる寛大な山の景色に僕はいたく感動していた。
「そりゃそうでしょ!マオくん山嫌いだもんね!」
「いや、嫌いとかそう言うんじゃ・・」
否定しつつもユウちゃんの憎たらしいこの一言が
忘れかけていた僕の過去を蘇らせた。
ー04ー
隅までビッシリと書かれた方程式を二つの黒板消しで繊細かつ巧みな技で消す僕は高校3年生だった。
人間付き合いが得意では無かった僕は教室の一番後ろで仲良く話し混んでいる女子3人組の1人、
白瀬優に密かに想いを寄せていた。今でいうユウちゃんだ。
何気ない1日が幾度となく続き、真面目な僕は3年間で彼女と8回しか会話をしたことがない。
そんな正確な回数を覚えれるわけがないと思う人も多いだろう。
しかし断言できる。圧倒的に少ない数だからこそ今になってもしっかり覚えている。
腑に落ちない人の為に念のため伝えておくが
内容は消しゴム落として『ありがとう』。肩がぶつかって『ごめんなさい』。
そう言ったのが8回だ。
「キャンプ?」
「そう!何人か誘ってさ。山でキャンプしようよ。
高校最後の夏休みなんだし思い出作りたいっしょ。」
クラスメイトの手塚勇気がキャンプに誘ってくれた。
僕は彼の事を”てっちゃん”と呼んでいた。
あまりクラスに馴染めていない僕を当たり前のように誘ってくれたのが純粋に嬉しかった。
言い忘れていたがてっちゃんはいいやつだ。
不良だろうとガリ勉だろうと、どんな奴にも偏見を持たず自分のスタイルを貫いていた。
てっちゃんは僕のこと、数ある友達のうちの1人にすぎなかっただろうが、
僕にはたった1人の友達だった。心から尊敬している。
そういえばこの前、住宅街にてっちゃんの選挙ポスターが貼られていたのを見た。
きっとてっちゃんはあの頃のままだ。僕は彼に投票しようと思っている。
失礼、話を教室に戻す。
「あ、それからさ、ついでに相談したいことがあるんだけどちょっといいかな。」
「いいよ。なに?」
てっちゃんが困りながら僕の耳元で言った。
「屋上、来て。」
小声でそう言い去っていく。僕はお風呂嫌いの子供がやるように心の中で10秒数えてから向かった。
絶妙な時間差のおかげで教室内で僕を怪しむ人間は1人もいない。
僕はしれっと屋上に向かうことに成功した。
「どうしたの?」
外は少し肌寒く、誰が置いたのかわからない教室の机と椅子が
棺桶のようなムードを放ち不気味に備えられていた。。
「卒業旅行でお願いがあって、」
「いいよ。何でも言って。」
「おれさ・・あの、村井のことが好きでさ。」
村井というのは村井梨花の事で、いつも白瀬優と一緒にいる3人組の1人だった。
彼女もてっちゃん同様唯一向こうから話しかけてくれる女子だ。
てっちゃんはいい奴だけではなく女を見る目もあった。
「でさ、今回のキャンプで告白しようと思ってる。」
てっちゃんの目は本気だ。
他人の恋愛話を聞くのは初めてだったが僕は自分の事のように嬉しくなった。
「すごくいいと思うよ。でも何で僕にそんな事?」
「いや、ウワサってすぐ広まるじゃん。
あ、だから友達少ないマオを選んだんじゃないよ?
なんつうかマオなら誰にも言わなそうだし、言う友達もいなさそうだし。
あ、ごめん。」
好きな人を暴露したのが原因なのかあたふたするてっちゃんに
若干の無礼を感じつつ友達がいないのは事実。仏と成り彼を許そう。
「それで、どうするの?何かプランがあって僕を呼び出したんでしょ?」
てっちゃんは嬉しそうに何かを企んでいた。
そして単純且つ大胆な計画を聞かされる。
人を見た目で判断してはならない。その訳を一つの述べよう僕は偉大なる晴れ男だ。
学校の行事や家族旅行、親戚のおじさんの葬式までも全てが快晴だった。
この事実は僕の家族しか知らない。一度でいいからクラスメイトにお礼を言われたいものだ。
そしてキャンプ当日。案の定、朝の天気予報士が雲ひとつない快晴と断言していた。
僕は前夜にまとめた荷物を背負い清々しい顔で現地に向かう。
「よし!全員揃ったな!」
腰に手を当てたてっちゃんが言う。
堂々とした彼の佇まいは海賊の船長といったところだろう
クラスで唯一、場を仕切っても嫌われない人材だった。
男女12人。もちろんそこには村井梨花と白瀬優の姿もあった。
想いを寄せる女性が今目の前にいる。
しかしこの時は12人という圧倒的大人数が僕の心拍数を高め
小心者の肝っ玉をさらに縮こめるのだった。
「あ、そうそう!今回カレー対決するから。チーム戦で!」
張り切りモードのてっちゃんが大きなくじ箱をリュックから取り出す。
何も驚くことはない。急な出来事ではあったが僕は一足先に知らされているのだから。
「何だよそれ〜!聞いてねえし〜!」
駄々をこねるクラスメイトたちは反面、ホームルームで文化祭の模擬店を
決める時のように楽しくも見えた。
3年間、着々と作り上げられてきた男女の絆は思っている以上に深かく見応えのあるものだ。
「そんなこと言うなよ〜!これ徹夜で作ったんだよ?」
自慢げに話すてっちゃん。
丸坊主で少し筋肉質な彼が僕にはシンバルを持った猿のオモチャに見えた。
そして何事もなくくじ引きがスタートする。
「あ、Aだ!!」
「私も〜!」
ゆっくりとチームが決まって行く中、白瀬優の番になった。
屋上で話したてっちゃんの計画はこうだ。4人1チームで3組に別れカレー対決を開催。
てっちゃんのチームに村井梨花、僕ともう1人の4人チームになるようイカサマをする。
そして対決が始まりカレーを作りながら自然と2人ずつに別れる。と言うシンプルなものだった。
僕は協力する代わりに残りの1人は白瀬優にしてほしいと頼んだ。
この要望と共にてっちゃんは僕が白瀬優に想いを寄せていた事を知った。
「よーし!!」
白瀬優が腕をまくりあげ、勢いよく箱に手を突っ込んだ。
「これだー!!えーと・・・B!!」
白瀬優はまだ誰もいないBチームを引いた。
トリックは簡単。くじを引く用の穴とは別でもう一つの穴を作る。
てっちゃん専用の穴だ。てっちゃんはくじ箱を持ちながら別の手でBのカードをこっそりと隠し持つ。
当然箱の中身はAかC。そして村井梨花、てっちゃん、僕、白瀬優の時だけ
ごっそりと中身を入れ替える。作戦は順調だ。僕はくじの真相を知りつつもかなり緊張していた。
そしてくじ箱を持ったてっちゃんが僕に近づく。
「大丈夫!うまくいった。」
小声でそう言ったのが聞こえた。
「・・引くね。」
僕は何気ない顔で箱に手を入れた。
てっちゃんはクスクスと笑っている。
カレー対決が始まった。
Aチームは男子3人と女子1人。
Cチームは男子1人と女子3人。
そしてBチームはてっちゃんと村井梨花、僕と白瀬優。
作戦は大成功だった。
チームが決まった時、ペアとなった村井梨花と白瀬優は
ボーリングでストライクを取った時のように無邪気に両手でハイタッチを何度も繰り返していた。
その横で僕とてっちゃんは戦友の如く熱いハンドシェークを交わす。
「作戦成功したね。てっちゃん!」
玉ねぎの皮を手で向きながら僕はてっちゃんにささやく。
「おう。でも本番はここから。この後も一応考えてきたんだ。
マオは俺の言う通り動いてくれれば大丈夫。」
ウインクでてっちゃんが答える。
順調に事が進んでいるせいか、いつも以上に爽やかなてっちゃんではあったが
そのウインク姿は可愛いアニメキャラとは程遠い、不気味なものでもあった。
「あ、やばいマイ包丁宿に忘れた!白瀬ごめん取って来て!」
白瀬優が少し手隙になった瞬間を見計らっててっちゃんが仕掛ける。
「良いけど。でもこれじゃダメなの?」
予め用意されてた包丁を当たり前のように指さす。
具材、まな板、包丁、鍋。
カレー作りに必要なもの全てが用意されているこのキャンプ場に何一つ落ち度はなかった。
「ダメダメ!マイ包丁の方が肉綺麗に切れるんだよ。料理人の息子なめんなよ!」
ジャガイモの皮を剥きながら楽しげにてっちゃんが言う。
僕は彼の実家が中華料理屋だった事をふと思い出す。
頼まれた白瀬優は買い物に出かけるような顔でゆっくりをエプロンを脱ぐ。
束ねた髪をおろした時、微かに花の匂いが漂った。
「あ、でもちょっと遠いんだった。ごめんマオも着いてってあげて!」
かなりベタだがてっちゃんらしいやり方で誰も疑問に思わなかった。
ましてや僕が白瀬優に密かに想いを寄せてる事も。
「はーい!行こっか!マオくん!!」
9回目の会話だった。初めて彼女が僕の名前を呼んだ。
ああそうか、彼女は僕のことマオくんって呼ぶのか。
嬉しくもあったが恥ずかしさの方が上回っていた。
「うん。」
震えた声で僕が答える。
しかしてっちゃんのナイスアシストのおかげで僕にも最大のチャンスが早くも訪れた。
恵まれすぎている。よくよく考えてみればてっちゃんが白瀬優ではなく
村井梨花を好きになっていたからこうも順調に事が進んでいるわけで、
もしあの時屋上で発表された名前が白瀬優だったら僕はどう対応していたのだろう。
『僕も好きだから協力できない』と言えたのだろうか。
何も言わずただただ本心を隠しながらてっちゃんに協力している映像が浮かぶ。
隣で歩く白瀬優を眺めながら僕はありもしない現実を想像して劣等感に押し潰されていた。
「マオくんってさ、あまり話したことないよね!」
土の底から溢れ出す樹木の根っこをまたぎ、小さな川を飛び越え、
若さがあるとはいえ大自然が作り出した険しい道のりを
体育で使用する程度のスニーカーで進むのはなかなか過酷なものだった。
森林の中どこで見つけたのかわからない枝をビシバシと振り払いながら白瀬優が言う。
毎週楽しみにしていたピグマリオと言うアニメの主人公。
小国ルーンのクルト王子のように彼女が逞しく見えた。
その物語は実母ガラティアが妖女メデューサの仕業によって石化し、
悪の魔法を解くために冒険に出るといった王道な展開だった。
子供心を鷲掴みにされた僕は毎週録画するほど夢中になっていたが、
あろうことかピグマリオは徐々に人気が衰え、メデューサ城の前まで
たどり着いた絶頂の時に呆気なく打ち切りになりクルト王子はテレビ界から姿を消したのだった。
それが10年以上の時を経て今、僕の横で新たな旅に出ようとしている。
きっとあの後見事に妖女メデューサを撃退し、平和を取り戻したのだろう。
「どんな子が好きなの?彼女は?」
僕を見た彼女が小国ルーンのクルト王子ではなくクラスメイトの白瀬優だと再確認する。
「あ、え、どうだろ。明るい人かな?彼女はいない。」
不意打ちすぎたのか、オリジナリティーのない言葉で返す。
「明るい人?変な回答。」
クスっと笑う彼女がいた。
嫌われないように慎重に丁寧にを心がけた僕のコメントが
思いの外白瀬優には響いたのか僕と彼女の距離が静かに近づく。
「変かな?白瀬はどうゆう人が好みなの?その・・彼氏とか、いるの?」
僕は驚くほどハッキリと聞き返していた。
もしも彼女が話題を変えられたら、僕は一生彼女の事情を一生聞く事ができない。
そう思った焦りが僕を動かしたのだ。
「私? 私はー・・・」
考え込む白瀬優。そして黙り込む。
「あ、あの言いたくなかったら無理に言わなくても。」
十分考慮した結果、
先程の流暢な言葉が嘘だったかのように僕はよそよそしい態度をとってしまう。
それはおよそ瞬きの速度で垢抜けない二刀流黒板消し野郎に退化しきっていた。
いわゆる調子に乗ってしまったのだ。
優しくて穏やかな白瀬優とは言え『お前如きが私の恋愛事情に入ってくるな』と思ったに違いない。
僕は素直に謝ってこのまま会話から辞退しようと
恐る恐る彼女の顔を見るがどう言うことか白瀬優は笑っていた。
「じゃあ暗い人!彼氏はぁ・・内緒。」
そう言って人差し指を人中に置く。
「じゃあって。何それ?」
からかわれたような、しかし悪意は感じなかった。
彼氏は内緒の部分だけが、少し喉に突っかかるが『いる』と決まったわけではない。
際どいニュアンスではあったが一旦ここは吉と捉えよう。
そして僕は今、自分でも驚くほど自然に彼女と話をしている。
今何回目の会話だろう。3年間地道に数えていた僕らの交流の
記念すべき10回目は知らず知らずの内に流れていた。
それほど凄まじい出来事が起こっていると言うことだ。
その後も順調に会話が弾み、あっという間に宿に着いてしまう。
僕はてっちゃんから渡された鍵でドアを開け、例の包丁を探した。
宿の中は22度に設定されたエアコンが風力を保っている。
「涼しー!」
そう言いながらも彼女は両手をクロスしながら背中を丸めた。
体温を遥かに下回った部屋の温度が針を刺すように体を痛めつけているのだ。
しかし彼女は『涼しい』と強がった。
おそらく僕が『寒い』、『涼しい』どちらを感じでいても良いように
どちらとも取れる万能な『涼しい』と言う言葉を選んでくれたのだ。
僕は白瀬優の瞬時な神対応に敬意をはらい、内緒で温度を3度上げ最善を尽くした。
気付かず彼女は少し長い髪をそっと耳にかけ部屋の奥にあるオカちゃんのリュックの元まで進んでいった。
「え〜っと・・・あ!あった!!あったよ!マオくん!」
瞬く間に包丁を見つけ彼女が振り向く。
「良かった。じゃあ戻ろうか。」
僕はこの隅々まで考え抜かれたてっちゃん計画に
まんまとハマり続ける白瀬優が可愛らしくて仕方なかった。
それはそうとてっちゃんは上手くやっているのだろうか。
急に彼の事が気になり出した僕は早くみんなの元に帰るよう仕向けた。
靴を履き、ドアを開けた瞬間だっただろうか、
快適な部屋の温度から一気に灼熱が襲いかかり僕は気を失った。
ーーーーーー
白瀬優が僕に手紙を書いてきてくれた。
薄ピンクの封筒の中で綺麗に折りたたまれたラブレターだ。
クラスメイトがウジャウジャと教室を埋め尽くす中、
大胆にその手紙は渡されようとしていた。
隙を見計らった男子達が獲物を
横取りするハイエナのように取り上げる。
普通ここで女子は泣くものだ。
しかし白瀬優は『読めるものなら読んでみろ!』と堂々としていた。
取り上げた1人の男子が歯向かうように手紙を読もうとするが
その手紙から大きな魔物が召喚され、
彼らはあとカケラもなく灰となった。
気が付けば僕はベッドの上で横たわっていた。
目の前には見た事のない木造たちが一本一本丁寧に立ち並んでいて
僕はすぐにキャンプ場の宿の中だと認識した。
さっき見ていたのは夢。ファンタジー漫画1ページ目のような
得体の知れない内容だったが、どこか懐かしく見覚えがあるような気がした。
しかし記憶は曖昧だ。
「あ、良かった。目覚ました!マオ大丈夫か?」
心配そうに僕を見るてっちゃん。
オデコにはひんやりと冷たいタオルが乗っていた。
「てっちゃん?あ。あれ・・どうなったの?僕。」
僕は徐々に意識を取り戻す。
「ヒ・ン・ケ・ツ!
まぁこの山奥で酸素が薄かったのもちょっとあるみたいだけど。
なんかごめんな。企画したの俺なのにマオが倒れて全然対応できなかった。」
「いや、それは全然大丈夫だよ!これ、ありがとう。」
僕はオデコのタオルに手を置く。
「いや、それも違うんだ。っていうかマオお前すごいな!どうやって白瀬とあそこまで距離詰めたんだよ!」
「何が?」
「いや、マオが倒れたーって、白瀬が俺に連絡してきてよ、
急いでみんなでここまで運んでから、ずーっと白瀬が看病してたんだよ。
キャンプ場のスタッフがお客さんで良くある貧血だから大丈夫です。
って言ってんのに『ダメです。目を覚ますまでここにいます!』っつってさ。」
「そっか・・白瀬が。」
僕はお礼を言おうと辺りを見渡す。
「今ちょうど水汲みに行ってる。白瀬、マオの為に今でも汗だくになってんだよ。お前がちょっと羨ましいよ。」
僕はこの一言で忘れかけていた事を思い出す。
羨ましいと言うくらいだから決して良い結果ではないのも薄々気づいていたが
てっちゃんと裏で手を組んでいた僕には聞く権利があった。
「あの、村井とどうだった?」
「・・・完敗だよ。フラれた。」
「そうか。」
僕はここで話を終わらせようとしたが
まだ発散しきれてないのか詳細を話し出してくれた。
「マオと白瀬がさ、俺の包丁取りに行ってくれたじゃん?
それで俺と村井も、2人の空間が出来たから話しかけに行ったの、
そしたらさ、俺の言葉なんてまったく上の空。
遠くを見ながら『わたしAチームが良かったな〜。』って。そりゃないよ。」
涙を飲むてっちゃんの声は震えていた。
「そっか・・。」
どう言葉を返したら良いかわからないまま
バケツいっぱいに水を汲んできた白瀬が戻ってきた。
「あ、マオくん?目覚ましたんだ!」
泣きじゃくった顔で僕の元へ飛び込んできた。
「良かった〜良かった〜!」
連続ドラマの結末がしっかりとハッピーエンドで幕を閉じたように泣きながら喜んでくれた。
この行動が愛情ではないにしろ白瀬の真っ直ぐな性格に改めて愛を覚える。
「じゃ、俺ちょっと熊殺してくるわ!」
面白おかしい言葉で僕と白瀬にひと笑いとった後、立ち上がる。
「お前ら2人きりだからっていやらしい事すんなよ〜?」
精一杯元気に振る舞うてっちゃんの背中はしっかりとフラれた男の形をしていた。
僕と白瀬優の2人だけの空間が蘇る。
しかし宿に包丁を取りに行った時とは打って変わってぎこちない。
「あの・・タオル、ありがとう。」
「ううん!大丈夫!」
緊張に押し殺されないよう白瀬優は必要以上に声を張る。
しかしそれが裏目に出たのか彼女はずっとそわそわしている。
「・・・あの、高校卒業しても、たまには会ってくれますか?」
気がつくと僕は丁寧な言葉遣いで精一杯の告白をしていた。
どうせ後半年で高校生活が終わるのだ、フラれたって構わない。
と思ったのか、もしくはてっちゃんの話を聞いた後だから
ある程度フラれることに免疫がついてしまったのか、
今まで地道に積み重ねてきた白瀬優への執着心を放棄していた僕は、
貧血の力を借りて我を忘れていた。
君に想いを寄せていたことが予想外だったのか白瀬優は驚嘆する。
「・・・美術の時間覚えてる?」
彼女が話題を変えた。
僕の恋は呆気なく静かに終わりを迎えようとしていた。
「いつの?」
感情が崩壊したまま僕は彼女の質問に質問で返した。
「ほら、デッサンの日。」
デッサンの日なんていくらでもあったが、
おそらく彼女の言う『デッサンの日』の目星はついてた。
その日は僕がひっそりとカウントを取っていた
”白瀬優との8回の会話”の日にも入らなければ、
目が合ったりとかそう言った日でもない。
しかしあの日、間違いなく僕たちは繋がっていた。
授業内容は各々好きな花を買ってきて、それをデッサンすると言うものだった。
僕は母が買ってきてくれた蓮華の花をモデルにして黙々と下描きを繰り返す。
向かいの遠くでは背筋をピンと張った白瀬優も授業に参加していた。花は知らないものだった。
3時間。長丁場な授業が終わり、間も無く美術教室の奥の壁に張り出される。
その中には一際目立つ一輪の花が威風堂堂と飾られていた。
僕のだった。周りが衰えているのか、僕が優れているのかはわからないが
美術の先生からは大絶賛。満点を頂いたのだ。
しかし表彰される僕の周りには誰も集まらず。その少し離れた先で場が盛り上がっていた。
「何これ〜!」
ゲラゲラを笑い転げるクラスメイトたち、どうやら白瀬優の作品に食いついているようだ。
名前の知らない花と、その奥には切磋琢磨な様子でデッサンに励む僕まで描かれていた。
付け加えるなら僕の方により時間をかけて、花は2〜30分と言ったところだ。
「ごめーん!時間余っちゃって!」
誤魔化す白瀬優の姿。
「いや、全然まだまだ花描けるじゃん!」
「花薄すぎー!あとどうでも良いけど、マオ上手すぎー!」
まだまだガヤがおさまらないクラスメイトたち。
僕は心底不快な気持ちになって教室を飛び出した。と言う日だった。
「覚えてる。忘れるわけないだろ。」
正直な所少し忘れかけていたが彼女の揚げ足をとるように、
あえて不愉快な表情を作り、目の前の白瀬優に物申した。
「ごめんなさい。」
あの日の謝罪なのか、先程の僕の些細な告白の返事なのかわからなかった。
どちらにしろもう済んだ事。どうでも良かった。
「あの日あんな感じになると思ってなくて、あの後私マオくん追いかけたんだよ。
でもどこにもいなくて、ずっと謝りたかった。本当に、本当にごめんなさい!!」
自分の為なのか僕の為なのか白瀬優は泣いていた。
女が泣くのは卑怯だが僕は彼女が今一番言われたい言葉を知っている。
「良いよ。もう気にしてない。
それにあの日は男子トイレに逃げたんだ。僕も情けないよ。」
「でもね、わかって、ほしい、事も、あって・・・。」
まだ涙が止まらない中、呼吸の合間合間を利用して彼女は話す。
僕はその必死な行動を妨げる事はせず聞いてあげる姿勢をとった。
「あの、あのね。あの日、私がデッサンした花、アネモネって言うの。それが私の返事です。」
一瞬何を言っているのか理解できずやや戸惑ったが、
この言葉は僕の先程の些細な告白の返事だと徐々にわかってきた。
「その・・花言葉、あるんだ。調べて見て。ちょっと恥ずかしいけど。」
落ち着きを取り戻してきた白瀬優がうつむきながら言う。
僕はゆっくり携帯を取り出し、『アネモネ花言葉』と検索。
すると画面一番上には凛凛しく鮮やかなものが表示された。
「あなたを愛します」
彼女はあの日、僕へのラブレターを誰にも気づかれない方法で大胆に描いていた。
そしてそれはクラスメイトに対して
『読めるものなら読んでみろ!』と言うメッセージもこもっていたのだ。
思い返せばあの日の彼女は堂々としていた。
さっき僕が見ていた不気味な夢が、どこか懐かし思えたのはこうゆう事か。
彼女の気持ちは、無意識にも僕の心にしっかり届いていた。
大学受験合格、子供が産まれる、
人生経験の薄い僕はそう言ったものと比べる事はまだできないが
おそらくそれ同等、いやそれ以上の喜びだった。
「じゃあ、これからも仲良くしてくれるの?」
「当たり前じゃない!こちらこそ。これからもよろしくね!」
体内の涙を出し切った白瀬優がポケットから携帯を取り出し
僕たちは連絡先を交換した。
心が張り裂けそうだった。
そして僕たちは何度かデートを重ねる。
果たして僕たちは付き合っているのか、まだ付き合っていないのか
あの日の僕の曖昧な告白のせいで関係ははっきりしていなかった。
4度目のデート、僕は改めてしっかりと告白をした。
その時の白瀬優の返事はYES or NOではなく
「マオくん体弱いもんね!私がしっかり体力つけてあげる!!!」
だった。
変わった返答ではあったがその言葉はとても温かかった。
恋愛テレビドラマが意外にも大好きだった僕は密かにこの告白を
『101回目の告白』と命名。
もちろんこれにはあの”8回の会話”を尊重した意味もこもっている。
キャンプの日を、そしてこの『101回目の告白』を僕は一生忘れないだろう。
何にせよ僕たちの恋はこうして始まった訳だが、
あの日貧血になり周りに色々迷惑をかけたのも事実。
以降今でも登山やハードな運動は避けながら過ごしている。
インドアな僕にはその方が性に合ってた。
ここからは余談なのだが、後に村井梨花の事を白瀬優から聞いた。
彼女はやはりあの日のキャンプにいたAチームの五十嵐学と言う男子に想いを寄せていた。
少し不良で意地悪なイケメン五十嵐学は女子から大人気で、クラス一のモテ男だった。
僕はそいつがあまり好きではなく、同様に白瀬優も好きではないと言っていた。
女を見る目があるてっちゃんではあったが、村井梨花に男を見る目がなかったと言うのが
てっちゃんの恋の結末だった。
ー05ー
「あ!マオくんユウちゃん!!」
大林さんが戻ってくる。
登山道から少し外れた森林だろうか、植物を一房もぎ取って何処からともなく帰って来たところだ。
「これ知ってる?」
息を切らし、ご自慢の紺のジャケットは脇と背中の部分が黒く滲んでいた。
差し出して来た右手にはタツノオトシゴを逆さにした様な、 論理的に言うと
いびつな形をした山菜が、小走りの際制御できなかったであろう握力によって怯んでいた。
「いえ。なんです?これ?」
「コゴミって言ってね。この辺りで採れるんだよ!
天ぷらにしても美味しいし。血液もサラサラになるんだよ〜。」
「へ〜すごーい!!!」
天ぷらと言うワードに惹かれたのか、
料理好きのユウちゃんの心を大林さんが掴んだコゴミが掴んだ。
”この人は本当に元恋人に会いに行くのだろうか。”
緊張感のない彼に対し、改めて疑惑を抱く。
「この辺りね、他にも色んな山菜も取れるし
その食材に伴った調理方法もあるんだけど・・・」
「えー教えてください!マオくんメモって!」
ユウちゃんがまんまと大林さんの罠にハマる。
馴れ馴れしくユウちゃんに語る彼の姿を見て、黙って部屋を出て言った
岡部多恵の気持ちが何となくわかるような気がした。
「え?あ、うん。」
僕は言われるがままスケジュール帳を取り出し、嫌々メモを取った。
大林さんに対し若干の嫉妬を覚えたのか、調理方法は右から左へ流れるよう内容は覚える事もせず、
この時一瞬ポーチの中のスタンガンが目に入り、思い切って僕から仕掛けてやろうとも思ったがやめた。
大林さんのうんちくがしばらく続いた後、今は僕の横で口笛を吹きながらゆっくりと歩いている。
全く理解しきれない彼の妙な行動が例のビックフットを思い出させる。
今もしここで殺されたら誰か僕たちを見つけてくれるのだろうか。
山を登り始めてから1時間は経過している。
「なんか・・ご機嫌ですね。」
僕はひっそりとポーチの中に手を忍ばせながら彼の行動の真相を確かめる。
「ああ、ごめんね!でもね、山登りには口笛が一番なんだよ。」
「楽しくなるからですか?」
「うん。それもあるんだけどね!なんか疲れにくいと言うか呼吸が整うんだよね。
あとゆっくり歩くのも大事。マオくんもどう?」
おっしゃっている情報が正しいのかどうかはわからないが筋は通っていた。
しかし僕は口笛を吹きながらゆっくり登る登山家を未だかつて見たことがない。
「いえ、結構です。」
30年の時が経ち僕たちが大林さんくらいの年齢になった時、
そして山を登る日が訪れれば改めて参考にさせてもらうとしよう。
丁重にお断りした僕は少し前を歩くユウちゃんと登ることを決意した。
「あ、マオくんだ。久々の山登り楽しいね!」
隣に並んだ僕を見ながら言う。疲れている様子も無く涼し気な表情だった。
言われてみればあの時のキャンプとは異なって今回の山登りは然程険しくない気がした。
前回が中級者向けだとすれば今回は初級者向けといった感じだろう。
過酷だと思っていた山登りは公園を散歩するようなもので
若干の手強さは感じつつも案外余裕なものだった。
「あ、ごめんこっちこっち。」
最後尾の大林さんがルートを変えて進み出す。僕たちは後を追う。
あろうことかそこは人間が作ったであろう安全安心な道から一気に獣道へと変わっていた。
やはり大林さんは僕が恐れていたビックフットなのだろうか。
僕の中で善人悪人の瀬戸際を行ったり来たりしていた
彼との頭脳戦が今、クライマックスを迎えようとしている。
先頭を歩く大林さんが足を止め、きょろきょろと人気がいない事を確認する。
「・・・どうしました?」
「うん!ここなら大丈夫だ。」
この言葉を聞いた時にはもう遅かった。彼は悪人。殺人鬼ビックフットだ。
大林さんが勢いよく振り向き襲いかかってくる。
わかっていた事ではあるが、いざ勝負!となると体の震えが止まらない。
忍ばせていたスタンガンの事を完全に忘れてしまっていた僕は慌てて逃げ出す。
「マオくんこっち!」
ユウちゃんが僕の手を引っ張り誘導する。
「やっぱり僕の言った通りじゃないか!大林さんは殺人鬼だ。」
「うん!ごめん!」
必死で逃げた。
大林さんはざっくばらんなけもの道を何の躊躇もなく華麗な動きで向かってくる。
そのスピードは僕たちに足元を見る余裕すら与えてくれない。
「いた!」
先導するユウちゃんが足を挫く。
「ユウちゃん!」
しゃがみこんだ彼女を抱き抱え人生を終える覚悟を決めた。
”嗚呼、人生短かったけどそれなりに楽しかったなー。”
死ぬ前は思い出が走馬灯のように駆け巡ると聞いたことはあるが、
それはあくまで病人や交通事故の話で、これから間も無く殺されるであろう僕の場合
自ら思い出を走馬灯のように駆け巡らせていたのが正しい表現だ。
すぐに追いついてきた魔の手が僕たちの前で大きく上がる。
「がおー!」
変な顔をする大林さん。僕が変な顔と解釈したわけではない。
大林さんが自発的に変な顔をやろうとしているのが的確な表現だ。
テレビでよく見るベテラン芸人が超絶にスベっている光景に見えたが、
実際も超絶にスベっていた。ただ今回は一般人だというところが唯一の救いだろう。
「え?」
僕とユウちゃんは声を合わせる。
「ごめんごめん!これドッキリ。」
息を切らせながら大林さんが言った。
テレビ番組でもなければ、カメラがあるわけでもない。
こんなデメリットしかないイタズラをどうして彼は平気で行えるのか。
馬鹿馬鹿しい大の大人の姿に言葉を失った。
「もー。足挫いたじゃないですかー!」
嬉しそうにユウちゃんが立ち上がる。軽傷のようだ。
「本当にごめんね!なんかさ、多恵の事考えると緊張が収まらなくて
気を紛らわせようとついイタズラしちゃった。」
「イタズラの域超えてますよ。心臓に悪い。
ユウちゃんが大きな怪我だったらどうしてたんですか!」
僕は年齢がはるか上の大人に滅多にない激怒を見せた。
「すまない。やり過ぎた。」
大林さんは反省していた。
「・・でもまあ、良かったじゃん?私はほら。全然、大・丈・夫!」
楽しかった時を取り戻そうとユウちゃんが豪快に足を振りながらリズムを刻む。
「・・多恵さんの家、向かいましょうか。」
怒りの炎はまだ消えていなかったが、楽しみたいユウちゃんの気持ちを尊重し
長く脱線していたレールを元に戻した。
「いや、さっき走ったおかげでもう着いたよ。あれ。」
大林さんが指差した先には
木造二階建ての古民家が堂々と建っていた。
ユウちゃんの言う通り確かに少しだけ楽しかった時間が
一瞬にして緊張感に押しつぶされた。
外には入念に洗い込まれた純白の洗濯物たちが
スギ林の隙間を抜けてきた鋭い気流によって女性の髪の様に揺れていた。
「あ、いいよ。私しまって来る。お母さん休んでて!」
かよわい声の持ち主が玄関の奥の方から聞こえる。
旅館のような上品な扉がスッと開き、長い黒髪を1つに縛った若い女性が
洗濯物を放り込むであろう大きなカゴを持って姿を現した。
写真の女性。透き通るほどとても綺麗な方だった。
「多恵!!!」
僕たちの横で大林さんが叫ぶ。
それはただ感情のまま、後先を考えていない行動だった。
「・・マコトさん?」
女性は目をそらし、辛い表情を見せる。
「君を、迎えにきた。」
岡部多恵の気持ちはまだ僕のまま、
そう感じざるを得ないほど自惚れた言葉だった。
しかしながら大林さんの岡部多恵に対する情熱が
心なしか僕たちの心を熱くした。
「綺麗な人ー。タエちゃん初めて見た。」
ユウちゃんが当たり前のことを隣で言う。
「いや、そりゃそうでしょ。」
僕は笑いながら言い返す。
彼女のこの言葉に深い意味が隠されている事を僕はまだ知らない。
大林さんが岡部多恵の元へ走っていく。
とても良い表情をしている。
走り行く彼の背中に差し込む太陽の光が重なり合って、
それは誇り高き勇者の姿だった。
「よし!!めでたしめでたし。
と言う事で私たちは帰りますか!!」
多恵さんに興味津々だったユウちゃんが言ったのはかなり意外だった。
「あれ、ここからなんじゃないの?僕たちの仕事。ふたりのヨリ戻させるんだよね?」
「うん、そう思ってたんだけど、マオくんはあれ見てどう思う?」
大林さんと岡部多恵の様子を確認する。
距離が少しある為会話までは聞こえないが、二人は見つめ合って笑っていた。
「なるほど、出る幕なしってことね。」
「そうゆうこと。」
遠くの方で大林さんと多恵さんが僕たちに会釈する。
その背後に構える木造二階建ての古民家が結婚式場に見えたのだった。
僕たちは静かに山を下る。
「なんか懐かしいね。二人で山歩くの。」
ユウちゃんが嬉しそうに言う。
「そうだね、あの日はあの日で色々合ったけど、なんだかんだ楽しかったな。」
「うん。マオくんは死んでたけどね!」
「死んではないよ!気を失っただけ。」
少しじゃれ合いながら僕たちはクスッと笑う。
「あ、そういやこの前てっちゃんから手紙来てたね!あれ何だったの?」
「あ、あれね、結婚式の招待状。てっちゃん結婚するんだって。」
「え!嘘?誰と?私知ってる人?」
「いや、知らないよ。会社で知り合ったって言ってた。少し年上だって。」
「そっか!良かった良かった!で、マオくん行くの?」
「もちろん。僕たちのお礼もちゃんと言いたいし!」
「そうだね!よろしく言っといて!で、いつ?」
「今週末。」
「え!もうすぐじゃん言ってよ!」
「いや、別に言わなくても良いかなーって。」
「てっちゃんは特別!私たちの恋のキューピットだよ?」
「そうだね、そうだった。ごめん。」
てっちゃんが結婚式の招待状を出してくれたおかげで
この山下りの時間を甘酸っぱい高校生活の思い出話で埋め尽くしてくれた。
てっちゃん。本当に掛け替えのない存在だ。
「あ、そういや村井さん元気してる?」
「ああ梨花?ん〜あんまり連絡取ってないんだよね。
あ、そうそう今だから言える話なんだけどさ、
梨花、卒業式に五十嵐に告白して少しの間だけ付き合ってたんだよ。」
「え、そうなの?」
「うん!でもそれから五十嵐に洗脳されたのか、どんどん悪い意味で垢抜けちゃって、
クラブとか行くような女の子になっちゃってさ。そこからあんまり、連絡取ってないかな。」
「そっか、まあ色々あるよね。」
会話が弾んだせいか、山登りとは違ってあっという間にふもとまで辿り着いていた。
夕日が照らす寛大な空の下、僕の車だけがポツンと寂しげに立っていた。
「あー疲れた。」
ユウちゃんが大きく伸びをしながら車に乗る。
人探しに疲れきったのか助手席に座るとあっとゆう間に
睡眠に入る事に成功していた。無理もない。
僕たちは山を登って降ったのだから。
まあ何はともあれ婚約指輪の持ち主を探すと言う
無茶な発想から始まった小さな冒険は意外にあっけなく幕を閉じた。
色々あったが、警戒を強めていた大林さんは結局のところ
サイコパスではなく純粋で一途な、少し変なオジさんなだけだった。
それが一番ホッとした。
二人の今後がどうなって行くのかも気になるが、それはそれで。
これ以上首を突っ込むのも、考えるのも無しにしよう。
とにかく何も起きなくて本当に良かった。
安全運転を心がけながら静かに自宅へ向かっている時、
トゥルル・・・トゥルル・・・
と、僕の携帯電話が鳴った。
馴れた手つきで車に繋ぎ通話を始める。
「もしもし。」
「あ、マオ?久しぶり!」
てっちゃんだった。ちょくちょく連絡は取っていたものの
こうやって電話で話をするのは久方ぶりだった。
「どうした?」
「うん、ちょっとお願いがあって。」
てっちゃんは僕にいつもお願い事をする。
「いいよ。言ってみ。」
僕はあの頃と同じように優しい言葉で投げ返す。
「うん。実はさ、今週の結婚式のスピーチをマオにお願いしたいんだ。」
「は?何で?てっちゃん友達多いでしょ?それに僕そうゆうの超苦手だよ?」
「うん、知ってる。でもさ、正直言うと俺案外友達少ないんだよ。
それにマオがどんな事を言ってくれるのか聞きたいんだ。」
「・・てっちゃんそれ本気で言ってます?」
動揺した僕はなぜか敬語になってしまう。
「本気!よろしく!」
プツ
「あ、ちょっと・・!」
電話が切れた。
トゥルル・・・トゥルル・・・
再び携帯携帯が鳴る。
先ほどのてっちゃんとの通話は電波が悪かったんだと判断し、迷わず出る。
「もしもし。」
「あ、お疲れさま!」
上司だった。
僕は絶妙に声色を変える。
「どうしました?」
「うん、来週から通常勤務に戻ったから会社に来てもらっていい?」
「あ、はい。わかりました。」
「じゃあそう言うことで、よろしく!」
電話が切れる。
通常勤務。この事をきっかけに僕は真実を知り始めていく。
ー06ー
日本から徐々にウイルスが消え始めてきたものの、まだまだ油断はできない。
出社する企業も増えて来たが、マスク着用は今でも絶対条件だ。
「おはようございます。」
オフィスカジュアルで我が社を訪れた僕がこの言葉を発したのは久しぶりの事だった。
当然、挨拶は返してくれるもののチラホラと不愉快になるような嫌な視線を感じた。
2ヶ月間、ユウちゃん以外の人と会っていなかったからだと思った。
しかし何か違う。僕はこうゆうのに非常に敏感なのだ。
何事なく僕はデスクに座り、いたたまれない気持ちを押し殺して仕事を始める。
「おはよ!マオっちゃん!」
「あ、おはよ。」
早速同期の坂上くんが僕の肩を叩き声をかけてくれた。
社交的な彼は何とも親しみ深い性格で僕は心を開いていた。
そして彼の事を心の中では『てっちゃん2号』と呼んでいる。
「あのさ。みんな僕の話してるよね?」
小声で訪ねる。
「ああ、してるしてる!だってクレイジーすぎんじゃん!」
「え、何が?」
「いや何がって、マオっちゃん婚約者いるのに出会い系アプリやってるってどうゆう事よ!」
「・・・は?」
僕は頭をフル回転したが心当たりは全くなかった。
そもそも僕には最愛のユウちゃんがいる。
出会い系アプリなんて以ての外。必要ないものだ。
「え、なんてアプリ!?」
僕は慌てて携帯を開く。こういった遠隔操作の攻撃は、
イジメや嫌がらせよりはるかに絶望的で恐怖を与える。
どう言った理由なのかは知らないが良心でない限り、できればやらないでほしい。
右往左往した僕の状態を見ててっちゃん2号が気を使い詳細を語る。
「いや、俺もよく知らないよ?
なんかそのアプリ、社内で女子を中心に流行ってんだって。
それで一人の子がマオっちゃんを見つけたんだってよ。」
「なんだよそれ?
最近のアプリだったらセキュリティとかしっかりしてるだろ?
偽物なんか作れるわけ・・」
「だから俺も知らないって!
でも女子の情報って回覧板みたいにすぐまわってくんじゃん?
でも証拠はあるよ、ほら!」
てっちゃん2号が差し出した携帯には出会い系アプリの画面が写っていた。
アカウント画像には僕のプライベート写真が貼られ名前や生年月日が怖いほど僕と一致していた。
「これ誰かからまわってきたスクショだからこれ以上見れないんだよな〜。もっと見たいのにな〜・・」
スライドできない静止画面の上を何度も指で流しながら
ブツブツ文句を言っているてっちゃん2号。
僕は犯人探しをしようと周りを見渡した。
「あ、でももう消えてるみたいよ?
アカウント!だから安心しろって!
それからこれは誰かのイタズラだったってみんなに伝えとくわ。」
「・・・サンキュ。」
僕は腑に落ちないまま大きなため息をついた。
しかし一体誰が何のために。
ーーーーーー
あれは確か翌日だっただろうか
てっちゃん2号の伝達のおかげで昨日の視線が嘘のようになくなっていた。
『女子の情報は回覧板のようにすぐまわる』
と言う表現が的確すぎて僕は感心しながら喫煙所でタバコを吸うてっちゃん2号に親指を立てた。
それに気づいたてっちゃん2号はヒップホッパーのように、トントンと拳を自分の胸に当て
やってやったぜの表情を見せる。
この時の感情は沸騰しかけたお湯の火を止めた時の安心感に似ていた。
出社初日は身体が重たかったが、二日目になると早くも感覚を取り戻していた。
そしていつも通りの1日が始まる。
安心した僕は本領発揮と言うのだろうかしなやかな動きであっという間に仕事を終える。
「お疲れ様。」
「あ、お疲れ様です!」
帰り際の上司が声をかけてきた。
「あ、明日なんだけどさ、ちょっと営業ついてきてほしいんだ。大丈夫?
定時にはあがれると思うけど。」
「あ、はい。ちょっと確認しますね。」
僕はスケジュール帳で確認する。
パラパラとめくっていく中、ほんの一瞬落書きが描かれているようなページを目にする。
気にはなったが今は明日の予定の確認が最優先だ。
「あ、はい、大丈夫です。」
「ありがとう!じゃあよろしく。」
「お疲れ様です!」
ゆっくりと出口に向かって歩いていく上司の姿を最後まで見届けた後、スケジュール帳を再び開く。
「あ、これか。」
落書きの正体は大林さんのうんちくページだった。
あの時嫌々メモをとったせいか、自分とは思えないほどの汚い字と
どうしようもないイラストたちがそのページを埋め尽くしていた。
書くことに精一杯だった僕は内容を全く覚えていなかったが
よくよく読んでみるとそれはしっかりとした内容で、
普段自炊しない男子でも簡単に作れそうな料理が書かれていた。
帰り道、 モチベーションが上がった僕は大林さん追跡の際、偶然発見することができた
例の大型スーパーストアに寄っていた。
店頭に重ねられたカゴを抜き取り、メモを確認しながらゆっくりと必要な食材を選ぶ。
あの頃より少し客は多かった。コツコツと、地道ではあるが、
ゆっくりと再生していく日本の姿がそこに存在していた。
僕はこの国民たちと手を繋ぎ共に戦っていこうと誓う。
自分に酔いしれ始めていた僕はすぐさま我に返り、大林さんのメモに書かれた食材を探し始めた。
しかしそれらはほとんど野菜売り場が制していて、僕の大冒険はスーパーに入って6歩で完結した。
悲しんでいる暇はない。僕はメモに書かれた食材をゆっくり手に取った。
それは驚くほどに低カロリーで、体にも気を使ったものばかりだった。
「大林さん、すごいな。一体何者なんだ。」
ボソッと恥ずかしげもなく独り言を言う。
感心した僕はご機嫌になったのかユウちゃんに電話した。
「あ、もしもし?さっき買い物済ましたからもうすぐ家帰るね。
それとさ、、僕今日ご飯作ってみるよ。」
「え、ほんと?どうしたの急に?」
「いや、いつも任してばっかりだからたまにはと思ってさ。」
「嬉しい!楽しみにしてるね!」
僕は普段から想う感謝の気持ちを込めた。
ユウちゃんはかなり喜んでくれているようだ。
「それじゃあ、また後でね。」
そう言って電話を切ろうとした瞬間、
遠くの方で見覚えのある紺のジャケットが目に入った。
大林さんだ。既に会計を済ませたであろう食材をレジ袋の中に入れている所だった。
「あ!!おおばや・・」
思わず声をかけようとしたが、彼の様子が変だった。
いや正確に言うと彼は至って正常で、その正常な姿に違和感を感じたのかもしれない。
”携帯電話”を持っていた。
そしてそこに岡部多恵の姿はなかった。
「ん?マオくん?・・どした?」
極小のスピーカー越しから電話を切り忘れていたユウちゃんの声がする。
「いや、なんでもない。じゃ、帰るね!」
僕は慌てるように電話を切った。
そして何も目撃していないと自分に言い聞かせながら帰宅した。
「ただいま。」
「あ、、おかえりー!」
何も知らないユウちゃんが風呂場を掃除をしてくれていた。
「あ、掃除ありがとう。ご飯作るね。」
僕はエプロンを装着して早速台所へ向かう。何を隠そう形から入るタイプなのだ。
包丁を取り出しまな板を置いた時だろうか
電子レンジの横に並んだ炊飯器がゴポゴポと煙を吹いているのが目に入った。
「あ、お米は炊いといたからー!!」
気の利くユウちゃんの声が風呂場から聞こえる。
なんて良い声なんだ。嗚呼、愛してる。
「ありがとう。」
僕はメモを取り出し、料理に励んだ。
ガスのスイッチを入れる。小さな炎が僕の前でメラメラと力強く燃え出しているが
流石の僕でも湯を沸かしたりする事はある。なんてことないさ。
しかし問題はここからだ。第2工程目にして早くも野菜を切ると言う難問にぶち当たる。
思い返せばキャンプの日、貧血で倒れたのは結果良かったのかもしれない。
もしあのまま戻っていても、先端恐怖症で包丁を持つことが難しい僕に何が出来ていたであろう。
調理台の前で何もせずただ突っ立っている姿を見て、悪気のない『ちょっとどいて』が僕を傷つけたに違いない。
おまけにユウちゃんとは驚くほど距離が近づいた。そういえばあの山の名前はなんだったっけ。
また行ってみたいな。今度はユウちゃんと二人きりで・・・。
ザクッザクッザクッザクッ
有ろう事か古き良き時代を懐かしんでいる間に野菜は切り終わっていた。
それはただ手順通りに進めていた訳なのだが、
メモの横に小さく『切り方なんて大雑把でいい。』と
気の利いた一言が添えられていた為、自分のスタイルを貫くことが出来た。
こうして命がけで切り終えた食材は沸騰した鍋の中へ。
味付けは味噌、醤油、塩とシンプルなものだった。
無茶苦茶な形をしていた食材たちも煮込み続ければふやけていき案外料理らしくなるものだ。
料理は完成。あっという間だった。
「ユウちゃん、ご飯出来たよ。」
「え、うそ?早すぎない?」
驚いたユウちゃんが台所に来る。
「うん。美味しそう!・・でもこれだけ?」
ユウちゃんが笑いながらそう言った。
沸騰した鍋の味噌汁が泡を吹いていた。
「・・確かに。あ、これただの味噌汁だ。」
気付いた僕は申し訳ない気持ちでゆっくりメモを見せる。
「あ、大林さんのメモだ!なつかしー!これ見て作ってたんだね!なるほど。偉い!」
僕の頭を撫でる。
ユウちゃんは夜ご飯を楽しみにしていたはずなのに僕が一生懸命作ったものが
たった一品のサイドメニューしかなかった事実を怒る事なくただただ喜び、褒めてくれた。
「マオくん大丈夫!こんな時こそ冷凍食品だ!」
そう言ってユウちゃんは冷凍庫を開け、
パン屋で昼食を選びにきたOLのように親指と人指し指で顎を挟みどれにしようかと考える。
几帳面なユウちゃんは冷凍庫の中身を全て把握している。
「よし!これでいこう!」
そう言って奥から冷凍された鮭を取り出し、手際よくムニエルを作ってくれた。
僕の味噌汁よりはるかに早く完成させた。
「どう?美味しい?」
「うん。とっても。」
ユウちゃんは喜ぶ。聞き返すように味噌汁の感想も頂きたかったが
ユウちゃんのムニエルが絶品すぎた為、味噌汁という小規模な僕の料理は土俵にすら上がれず
質問するのは恐れ多かった。
「この味噌汁めっちゃ美味しい!ねえ!また作ってよ。私これ大好きだ!」
ムニエルの感想を頂いた以上自分も言わないと無礼に値すると思ったのだろう。
ユウちゃんから言ってくれた。しかしどんな動機であろうと嬉しかった。
ユウちゃんの言葉より『美味しい』と言ってくれた気持ちが僕を響かせた。
「ありがとう。また作るね。」
ー07ー
僕と上司は車で営業にまわっている。
「最近どう?彼女と順調?」
上司が聞く。
僕は会社の中で目立っている方では決してないのだが
以前携帯を床に落としてしまった際、ふと開いたロック画面がユウちゃんだった為、
それをたまたま拾った同僚が『マオにとんでもなく可愛い彼女がいる』と周りに広めた。
それが社内で一気に話題となり僕はいつの間にか勝ち組寄りのチームに歓迎されていた。
出世の理由はかなり滅茶苦茶なものだったが、別に成績が悪かったわけでもない。
遅かれ早かれ今のポジションまでは上がれていただろう。
恋愛といい仕事といい僕は本当に恵まれている。
この気持ちは忘れずに今もこれからも周りには謙虚でいようと心がけている。
「はい。順調ですよ。」
僕は答えた。
「いいなー、俺結婚しちゃったもんなー。」
「結婚いいじゃないですか!何か不満でも?」
「いや、結婚はいいよ!正確には結婚までは良かった!
なんかさ、子供できたりすると、今まで合っていた価値観なんか無意味だったんだーって思ってさ。」
「どうゆう事です?」
「例えばよ?家事の価値観、趣味の価値観色々あるじゃん?
それは俺ら夫婦でも驚くほどピッタリ合ってたよ?
でも子供が産まれた途端今までに無かった子育ての価値観が増えるの。
わかる?それが合わなかったらもう一巻の終わりよ。」
「あ〜なるほど。」
話し合いでそこは解決できないものなのだろうか。
上司の話に納得したではないが、結婚そして子育てまで経験している人生の先輩として
彼の意見も大事に聞いておこうと思った。
ポケットから携帯電話が鳴る。
「あ。プライベートなやつ?別にいいよ出てもらって。」
運転中の上司が優しい言葉をかけてくれる。
「あ、ありがとうございます。でもメールなんで大丈夫です。」
ユウちゃんからのメールだった。
『マオくんお疲れ!
さっきスーパーで、たまたま大林さんと会って
タエちゃんの事聞いちゃった!
ヨリ戻ったんだって!良かったね!
で、お礼も言いたいから今晩4人でご飯どうですか?
って誘われた!いくよね?勝手にオッケーしちゃった!』
昨日スーパーで見かけた携帯電話を持った大林さんは見間違い、
もしくは、岡部多恵がヨリを戻す条件として持たしたのだろう。
少しホッとした。
『ヨリ戻したんだ。良かった。じゃあ今日は急いで帰るね。』
「誰からの連絡?」
「あ、すいません彼女です。なんか今日晩御飯一緒にどう?的なやつです。」
「お。良いじゃん!よし!飛ばしますか!」
上司がアクセルを強く踏む。『飛ばしますか』の中には
早く仕事を終わらせて彼女の元へ行って来い!という熱いメッセージも込められていて
有り難かった。
「すいません。ありがとうございます。」
「いいのいいの!俺も早く帰って子供の顔見たいし。」
上司は運転に集中する。
ギリギリ高速違反に入らない華麗なる運転のおかげで僕は早く帰宅する事ができた。
「ただいま。」
「あーくそ!あ、マオくんおかえり!」
家に帰るとパソコンと向き合いながら少しイライラしているユウちゃんがいた。
「あーだめだ!!全然仕事終わらない!!」
ユウちゃんの会社は未だリモート勤務だった。
予定を組んだ日に限って残業といった様子。
誰しもが経験した事だろう腹立たしい気持ちは僕にもよくわかった。
「・・大丈夫?大林さんとの時間そろそろだよね?今日やめとこうか?」
「いや!だめだめ!!タエちゃんどんな人か気になるし!もうちょい頑張ってみる。」
「そっか。頑張って。」
冷蔵庫のルイボスティーをコップに注ぎユウちゃんのパソコンの横にそっと置く。
僕が今の彼女にできることといえばこれくらいだ。
「ありがと。」
残業に腹立ってはいたものの僕の気遣いには笑顔で答えてくれた。
5分が過ぎた頃だろうか、彼女の気が散らないよう僕は音がならない読書を選び静かにしていた。
しかしユウちゃんの決断は以外にも早かった。
「ん〜・・でもだめだな。こりゃ終わりそうにない。
ごめん。申し訳ないけどマオくんだけで行ってきて!」
「そっか・・でも、それなら断ろうよ。別日で良くない?」
正直、物知りな大林さんは嫌いじゃないが決して気が合う方ではない。
それにあの高尾山で仕掛けられたドッキリを完全に許したわけでもなかった。
「いやだめ!大林さんの幸せっぷりとタエちゃんがどんな人か見てきてよ!
それに大林さんの連絡先を知らないから断るにしろ行かないと。これは任務です!」
ユウちゃんは軽傷とはいえ怪我をさせられた大林さんの事を
嫌いにならず、それどころか興味すら抱いていた。
彼に対する執着心はどこから湧いてきているんだろう。
そして僕はいつもユウちゃんの圧力には勝てないのだ。
「わかったよ。じゃあ行ってくる。」
「うん!よろしく!」
ユウちゃんの見送りの言葉を最後に、気持ちが晴れないまま僕は家を出た。
街灯の光が丸く縮こまった背中を嘲笑っていた。
「あ、明日てっちゃんの結婚式だ。しかもスピーチ頼まれたんだった。」
ふと明日の予定を思い出した僕は大林さんと岡部多恵に挨拶だけして早く帰ろうと思った。
そしてあっという間に大林さんの家に着く。まあ徒歩1分弱なのだから当然だ。
しかしあれからまだ3日しか経っていないというのに、
大林さんのマンションを見たのはかなり久しぶりに感じる。
「あ。いらっしゃい!久しぶりだね。って言っても3日ぶりか!どうぞ上がって上がって!!」
元気な大林さんが出迎えてきた。
あの山登りの日が色々あり過ぎて、僕と同じく久しぶりに会った気持ちになっていた。
「お邪魔します。」
あらかじめ青とピンクのスリッパが用意されていた。僕は男の子っぽい方の青を選び履く。
「あれ、ユウちゃんは?」
物欲しそうに僕の後ろを見渡す。
「なんか仕事が終わらないみたいで。すいません僕だけ来ました。」
「そっか〜残念・・・でもいっか!3人で楽しみましょう。」
「すいません。」
残念そうにピンクのスリッパをしまう大林さん。
甲子園で負けた高校球児が球場の砂を集めているようだった。僕はリビングへ向かう。
そこには4人前の上等そうなお寿司とサラダが置かれていた。
僕の陰謀 『挨拶だけしてすぐに帰ろう』 が今ここで消滅した。
「あ、初めまして。・・・じゃないか、
高尾山でちょっとだけお会いしましたよね。遠目でしたけど。」
キッチンからエプロンをした女性が挨拶をしに出てくる。岡部多恵だ。
声は細く優しいものだった。
「こんばんは。そうですね、あの時はどうも。」
グツグツと鍋が沸騰。
「あ、いけない!」
慌てた様子でキッチンへ引き返す。
ひたむきに大根を煮込む彼女の姿は家庭的で温かいものを感じた。
「マオくん座って座って!今日は僕と多恵の復縁パーティーだ!」
僕をソファーへ誘導する大林さんはすでにくつろぎながらお酒を少したしなんでいた。
「いやあ、あの時は本当にありがとう。それからごめんね。」
「いえ、もう大丈夫です。」
ガソリン代を払わず車を走らせてくれた事か、一緒に山奥まで同行してくれた事か
大林さんが謝る理由は山ほどあったが謝り方のニュアンスからして
おそらくあのドッキリだと解釈した僕は『もう』を付け加え返答した。
「多恵、いい女でしょ?」
「そうですね。」
「ちょっとマコトさん!それ言わせてますよ!」
キッチンの奥から岡部多恵の声だけ聞こえる。
「よしできた!ちゃんとしゅんでるかな。」
完成したであろう料理を彼女が嬉しそうに持ってくる。
大根の煮付けといった至ってシンプルなものではあったが
花形に切られた小さな人参が添えてあったりと色々手間をかけた一品だ。
「よかったらどうぞ。」
「あ、じゃあいただきます。」
一口サイズを箸で掴み口まで運ぶ。
すると大根は一瞬にして口の中でとろけ出し、あっという間に喉の奥へ。
生き残った出し汁は舌に浸透し、それが後味へと変わりゆく。
大袈裟かもしれないがとんでもない美味しさだ。
「これ、すごく美味しいです!」
「本当!嬉しい!」
手を合わせ喜ぶ岡部多恵。
初めての味わったものというよりはユウちゃんや母の作ったものに近かったのか、
岡部多恵の手料理は僕の舌にとても合っていた。
しかしわざわざそれを言う必要ないと思った。
「そう言えばマオくんって、女の子みたいな名前ですね。」
岡部多恵が僕に興味を示す。
「母がどうしても女の子が欲しかったみたいで、
名前もマオって決めてたんですが僕が生まれちゃって、
せめて名前だけでも!ってそのままマオになりました。変ですよね?」
「いえ!私その名前好きです!可愛いけど男の子っぽくもあって。」
お世辞を言うのが上手なタイプ、少しユウちゃんに似ている。
「どうも、ありがとうございます。」
僕は素直に嬉しかった。この場にもしユウちゃんがいたら間違いなく嫉妬していただろう。
「趣味とかあるんですか?」
岡部多恵のスイッチが入った。
「映画、よく観るかな。」
「へ〜例えば?」
「『ひなぎく』とか分かります?」
「え〜!!私も!チェコの映画ですよね!初めて出会いました!!」
会話から逃れようと少しマニアックなものを言ったつもりがまさかの意気投合。
一気に距離が縮んでしまった。
「私、あの映画の裸の胸を蝶の標本で隠すシーンが好きで。」
「マリエですよね?」
岡部多恵の少し外れた感性に僕が付け加える。
「マリエ?何ですかそれ?」
「あ、主人公の女性の名前です。」
「え、マリエって言うんですか?あの金髪ヘアーの子。もう1人は?」
「マリエです。」
「え、2人ともマリエ?」
「そうなんです。変わってますよね?もう滅茶苦茶で。
でも僕はあの映画のそこが好きなんです。」
「そこって、どこですか?名前が一緒な所ですか?」
「ある意味そうかも。多恵さんみたいに『ひなぎく』が凄い好きと言う方でも
主人公の名前すら知らなかったですよね?あの映画、登場人物の名前なんてきっとどうでもいいんです。
それって凄い事だなって。もし僕が作者だったら名前考えるのに1週間はかかると思う。」
「あー・・なるほど!そんなの考えた事もなかったです。」
岡部多恵はおそらく何度も見たであろう『ひなぎく』の
今まで気づかなかった新しい発見をしたような喜びを見せる。
そして気づいた頃には、僕も楽しくなっていた。
「あとあれ、初代ガーリー映画って紹介されてるけど、あの映画の良さってそこじゃないと思いません?
昔友達に勧めた時、『こんな女の子みたいな映画見るのかよ!』ってバカにされた事あって。」
「ひどーい!その人絶対さわりでしか見てないですよ!
あれは戦争を訴えた名作です!でも『ひなぎく』のキャッチコピーも変えるべきですよね。」
違和感を感じるほど岡部多恵と波長が合った。
いつの間にか無意識に、ふたりの世界に入り込んでしまっていた僕はもう1人の存在に気付く。
彼は子供のようにいじけた顔をしていた。
「あ、すいません。」
僕はなぜか謝罪した。
しかし謝ったと言うことは実際に岡部多恵と意気投合していた事を認めたようなものだ。
「いやいや、良いんだよ!僕、トイレ。」
大人気ないと感じたのか、強がった言葉を放り投げ大林さんはトイレへ向かった。
僕は加害者とは言え大林さんの気持ちが痛いほどわかる。
もし大林さんがユウちゃんと楽しくおしゃべりしていると嫌なものだ。
「僕、帰ります。」
岡部多恵に伝え、席を立った。
「またご飯でも。」
「そうですね。今度こそ4人で。」
トイレに入っている大林さんに壁越しで別れの挨拶をした。
1人の空間になって心の整理がついたのか、邪魔者が帰ってくれるから嬉しいのか
返事はいつもの無邪気な大林さんの声に戻っていた。
ーーーーーー
今度改めて大林さんに謝ろう。いや、それは逆効果か。
今回の事は無かったことに、そして次から岡部多恵とは距離を取れば良い話。
妙に気が合う彼女とは話し出すと止まらない。
まあそもそも次があるのかもわかったもんじゃない。
僕は脳内反省会を開きながら夜道を歩く。
「あ、おかえり!どうだった?」
家に着くと仕事を終えたユウちゃんが玄関まで走って迎えに来た。
毎日ユウちゃんを見ている訳だが、この日はいつも以上に安心した。
「うん。まあ、普通に楽しかったよ。お寿司ご馳走になった。」
「えー!!!!いいなー!」
駄々をこねるようにユウちゃんが小さく飛び跳ねた。
「今度は4人でいこう。」
「うん!!!で、どうだった?」
「え?さっき言ったじゃん。楽しかったって。」
「そっちじゃなくて、タエちゃんだよ!可愛かった?いい人だった?」
「ああ、うん。素敵な人だったよ。印象も良かった。
手料理も美味しかったなーユウちゃんほどじゃないけど。」
ユウちゃんの顔が赤らんだ。
僕の発した言葉が彼女の胸に響いたのは何となく伝わったが、
さっき僕は何を言ったのか自分では全く覚えていなかった。
「そうなんだぁ、何食べたの?」
「大根の煮付け。」
「さすが!私の思った通りだ!」
「・・何が?」
「ん?いや・・・大林さん女見る目あるんだろうな〜って
何となく感じていたからやっぱり思った通りだってね。」
ゆうちゃんが何かを誤魔化そうとした事に深い意味を感じてはいなかったが、
ここで感じるべきだったのかもしれない。
「あ!明日てっちゃんの結婚式だ!」
「うん。そうだね!楽しんでね。」
「いやそうじゃなくて、スピーチ頼まれたんだよ。」
「は?・・・マオくんぜったい無理じゃん!」
僕を見下すようにユウちゃんが笑う。
「どうしよう。ねえ、どうしよう。」
「方法、一つだけあるよ!マオくんにぴったりなやつ」
「何?教えて!」
企み顔でユウちゃんがゆっくりと近寄り僕のなで肩をポンっと叩く。
「私に任せなさい!」
そう言ってユウちゃんはすぐ様歯を磨き、寝室へ向かう。
「ん?任せるってどうゆう事?」
「まあまあいいからいいから!マオくんも今日は疲れたでしょ?ほれ!」
ご機嫌なユウちゃんが布団を広げ僕を誘導する。
むず痒くなるようなモヤモヤを感じつつ、ユウちゃんの言う通り布団に寝そべる。
お酒を飲んだからか、その日はグッスリ寝る事が出来た。
翌日、僕は背広を着て、結婚式の支度をしていた。
「ユウちゃん、昨日言ってた僕のスピーチの件。本当に大丈夫だよね?何か策があるんだよね?」
気持ちを焦らせながら僕はネクタイを締める。
「大丈夫!はい。これ」!
ユウちゃんが僕に紙の入った封筒を渡してきた。
「何これ?」
「ん。何って、スピーチの原稿!これ読んだら大丈夫だから。」
「・・・今ちょっと見てもいい?」
「ダメダメ!」
僕は封筒から中身を取り出そうとするがユウちゃんは必死で阻止する。
「何で?読むの僕なんだから練習しないと。」
「ダメなものはダメ!一回読んじゃうと本番になって感情込もんないでしょ?
初めて見たものをその場で読むからいいんだよ。」
「そうかなぁ。」
「そうだよ!」
ダメ一点張りのユウちゃんに僕は言い返せなかった。
「わかった。行ってくる。」
「うん。気をつけてね!」
僕はタクシーを拾い結婚式場へ向かう。
タクシー内でこっそり見てやろうかと企んだが彼女を信じてやれないのは彼氏失格だと
勝手に自分で作り上げた彼氏ルールに反すると思いその気持ちは押し殺す。
誰も損しないが、誰も得しない。ただの自己満足の話だ。
数十分後、式場に到着する。
「おう!マオじゃん。久しぶり!」
高校の時のクラスメイトだ。しかしどうした事か名前を思い出せない。
「あ、久しぶり。」
僕は自信なさげな声で挨拶をする。
するとトイレから出て来た女子が僕の目の前にいる名無しのクラスメイトに挨拶をしにやって来た。
村井梨花だ。
「あ!ハルトじゃん元気?」
「おう久しぶり!」
そうだ彼の名前はハルトだ。僕同様クラスにあまり馴染めていないタイプであまり印象的ではなかった。
「あ、村井さん久しぶり。」
僕は流れで村井梨花に挨拶をした。
「あれ、キミ誰だっけ?」
僕を覚えていないのか。あんなに話しかけてくれたのに。
明るい髪色で派手な衣装、中学の時とても良い印象だった村井梨花は
不謹慎極まりない女に変わり果てていた。
「今日良い男いるかなぁ?」
真っ赤なストールを両手で軽く添えながら辺りを見渡す村井梨花。
”てっちゃん、彼女とは付き合わなくて正解だったよ。”
僕は本日の主役にテレパシーを送った。
「それでは新郎新婦、入場です!」
早くもスピーチのことで頭がいっぱいになっていた僕の体内時計は恐ろしいほど最速で、
入場してきたてっちゃんと花嫁に、さほど感動せず、準備に準備を重ね、
やっとこさ形となった彼らの努力に対し申し訳なかった。
しかしそんな中一つだけ思ったことがある。
てっちゃんの花嫁は高校の時の村井梨花にどことなく似ていたという事だ。
彼女はきっと高校の村井梨花のまま大人になったタイプだろう。2人は幸せそうだ。
その後も結婚式は順調に進められ、知らず知らずにスピーチの時間がやってきた。
僕はゆっくりとマイクの前に立つ。そしてユウちゃんが渡してくれた封筒を手に取り、
深呼吸をしてから紙を開いた。しかしそこには思いもよらない言葉が一行だけ書かれていた。
『大丈夫!当たって砕けろだ!頑張れマオくん! ユウ』
「・・・えー。」
僕の心の声をマイクが拾う。異変に気付いた周りが徐々にざわつき出した。
やはり彼氏ルールに反しようがタクシーの中で見るべくだった。どうしよう。
ユウちゃんに怒りすら感じたが、僕のスピーチを彼女に任せっきりにした僕にも責任はあった。
「マオ?どうした・・大丈夫か?」
隣に座るタキシード姿のてっちゃんが小声で呼びかける。
「うん。大丈夫。」
僕はゆっくりと紙を封筒にしまい、ユウちゃんの『当たって砕けろだ』に身をまかせることを決意した。
「あ、えっと、勇気くん、ヒロミさんご結婚おめでとうございます。
僕はてっちゃん、あ・・・勇気くんの高校のその・・・友達です。」
「知ってるよ!」
僕のスピーチに早くもヤジが飛ぶ。
「あ、ごめんなさい。」
僕の謎の謝罪に周りはクスクスと笑い出す。
この場から逃げたくなったが、今逃げてしまうと僕は一生あの頃のままだ。
ユウちゃんはこの場にいないが、彼女にかっこいい所を見せるつもりで頑張ろう。
彼氏としてではなく一人の男として。僕は再び闘志を燃やした。
「あ、あの!僕は勇気くんの友達です!」
勢いよく大声を発してしまったせいか、驚いた観客たちが黙り込む。
良い機会だ。このまま話を続けるとしよう。
「勇気くんの苗字は手塚って言って、僕は『てっちゃん』って呼んでます。
なので今からいつもの呼び方にします。えっと、てっちゃんは先日急に僕に電話をしてきて、
スピーチやってくれって言ってきました。なので今ここに立っているわけで・・・」
要所要所言葉が途切れそうになるが僕は意地でも話を続けた。
「僕は高校から全然冴えなくて友達も少なかったです。
でも、それでも学校に行けてたのはてっちゃんが毎日話しかけてくれたおかげだと思います。
僕が、初めて好きになった子を打ち明けたのもてっちゃんです。
てっちゃんは誰にも話さず僕のプライバシーを必死で守り通してくれました。
えっと・・・その、てっちゃんはあまり記憶にないかもしれませんが、初めて僕に声をかけてくれた時の内容、僕は今でも忘れません。それは『お前、マオって言うんだ。かっこいいな。俺の勇気と交換しようぜ。』でした。」
観客席からクスッと笑う声が聞こえる。
「僕は小学校、中学校と、『マオ』と言う名前だけでいじめられた事があります。1度や2度ではありません。
だからずっと僕は自分の名前が嫌いでした。・・・・でも、高校3年になって、急に話しかけてくれたこのてっちゃんの一言で、僕は救われたのです。何年もイジメられてたのに、たった一人の同級生に、それも一瞬で救われた。・・・・言葉は重いです。それは良い意味でも悪い意味でも。僕は両方知っています。てっちゃんも絶対両方わかってると思います。そしてお嫁さんも。」
僕は初対面の花嫁に軽く会釈した。それに彼女は笑顔で答える。
「未婚の僕が言うのも何ですが、結婚ってきっと大変で・・・これから思い掛け無い試練がいっぱい出てくると思います。でもきっと、そんな時だからこそ『良い言葉』が救ってくれると思います。あの頃の僕のように。なので二人は大丈夫です。どんな壁も二人で乗り越え、素敵な愛を育んでください。末長くお幸せに。マオ」
僕のスピーチが終わったかどうかの確認だろうか、しばらく沈黙が続く。
そして一人の拍手に手引きされるよう大勢の拍手が一気に覆いかぶさった。
その中には涙を流す子も。僕は心臓が飛び出そうなくらい気持ちが湧き上がった。
そしてスピーチが終わったのだ。本当にホッとした。
この後の事はあまり覚えていないが、二次会の時、てっちゃんにこっそり『どうして僕にスピーチを頼んだの?』と聞いた。するとてっちゃんは『マオももうすぐ結婚するかなと思って、もしそうだったら自分の事のように話してくれると思ったんだよ。』と言ってくれた。
確かにあの時はてっちゃんに向けて話していたつもりだったが、よくよく考えてみれば自分に言い聞かせていたのかもしれない。スラスラと話せていたのが何よりの証拠だ。僕はまたてっちゃんに救われた。
ー08ー
「よし!行こっか!マオくん」
「は?行くって、どこに?」
「良いから良いから!着いてきて!」
結婚式の翌日、ユウちゃんが僕をどこかへ連れて行こうとしていた。
「ちょっと待って。支度する。」
「ああ、良いよその格好で。どうせ向こうで着替えるから。」
「何?コスプレ大会でも行くの?」
「バカ!早く行くよ。」
ユウちゃんは僕の手を引っ張り、車まで誘導する。
そして助手席に座り住所を入力。覚えていないのか携帯で場所を確認しながら入力していた。
「はい!ここ。レッツゴー!」
片手でシートベルトを器用に閉め、もう片方の手は勢いよく拳を前に突き出す。
僕にサプライズでもしてくれるのだろうか、少し楽しみにしながら僕は向かった。
「あのさーマオくん、昔私とスポーツジム行ったの覚えてる?」
「あ、うん。」
『スポーツジム』嫌なワードだ。あれは2年ぐらい前だろうか、今後の事を考えてこれから通おうと、ユウちゃんと1度だけ行ったことがある。しかしトレーナーと利用者の人数に圧倒された僕は通うのをやめた。その後何度かユウちゃんに誘われたが僕は嫌がり続け、挙げ句の果てにはユウちゃんも通わなくなった。少し罪悪感が残る話ではあるが、そこまで重要視するほどのエピソードでもない。いつの間にか僕は忘れていた。
「え、どうゆうこと?」
不安に思い、車を道路の隅に寄せようとする。
「あ、ちがうちがう!ジムに行くんじゃないの!だから安心して!」
焦る彼女の言葉に嘘は感じられず、再び車道へ引き返す。
「んー、でも体力つけるって意味では変わらないかな、もっと楽しいところだけど。」
「そんな都合の良い場所ある?遊園地かプールしか浮かばないけど。」
「それがあるんです!あったんです!」
名探偵が犯人の証拠を見つけたような言葉遣い。
自信満々で話す彼女の目は少年漫画で大活躍する主人公と同じ目をしていた。
「あ、そこそこ!駐車場もあるからそのまま停めれるよ!」
そして僕らが向かっていた場所に到着する。その看板にはお洒落な文字で『マウントン』と書かれていた。おそらく“またがる”を意味したマウントと、“山”を意味したマウンテンを混ぜた造語だろう。
自画自賛するのも何だが、勘が鋭い僕は何をするところかすぐにわかった。
「あー、なるほど。ボルダリングね。」
「そーゆーこと。」
彼女は良いアイデアでしょと言わんばかりの有頂天な表情で相槌を打つ。
「いらっしゃいませ!あ、
白瀬さんこんにちは!」
店内に入ると、受付のトレーナーが挨拶をしてきた。
彼が着ていたピンク色のポロシャツは筋肉によってピッタリと体のラインを表していた。
「こんにちは!この前言ってた彼氏連れてきました。」
「ユウちゃん、ここ初めてじゃないの?」
僕は耳元でこっそり訪ねる。
「うん!って言っても今日でまだ2回目なんだけど。ここね、一コマずつ別れててマンツーマンで教えてくれるの。だから今の時間私たちしかいないんだよ!しかもトレーナーも男の人しかいないからマオくんでも通えるかなって!」
「そりゃどうも。」
トレーナーが目の前にやってくる。
「よし!では早速やりましょうか!2人とも更衣室ございますのでお使いください。」
「よろしくお願いいたします!マオくん。はい。」
ユウちゃんがスポーツウェアを渡してくる。2年前のジムの時に1度だけ着たやつだった。僕にバレないようこっそり引き出しから抜いたのだろう。彼女の作戦は成功だ。やる気満々のユウちゃんが小走りで更衣室へ向かう。しかし僕は早くもやる気を失くしかけていた。
「よし、では早速!奥の部屋に行ってやってみましょうか!」
着替えが終わった僕たちにトレーナーが呼び掛ける。背筋が伸びた姿勢、厚い胸板、まさに男が憧れる体型だ。
奥の部屋には高い天井にうねうねと複雑な形をした壁があり、そこにカラフルなかりん糖のような石が何十個と張り付いていた。それは体を鍛えるようなメタリックな機械ではなく、アウトレットパークなどで見かけたまさに遊具だった。
「では登ってみてください。まずはホールド、掴んで下さい。」
トレーナーが僕の体に命綱を巻き付ける。
ホールド・・・この石の名前か。僕は登ることより1つ物を覚えた事に達成感を得た。しかしユウちゃんが早く登ってと急かしている表情が背後からひしひしと感じとられる。
「はい。」
僕はホールドを掴む。
「よし、じゃあそのまま登っちゃって下さい!」
よし、ここは勢いよく足をかけ一気にかけ上がろう。
「はい、じゃあ今度左手を黄色いホールドに、右手を赤いホールドに。」
「え?」
とっさに付け加えられたルールに僕は戸惑いを隠しきれない。
「マオくん、ボルダリングって思ってるより大変でしょ?知らないルールもあって、でも楽しくない?」
ユウちゃんの声が後ろから聞こえた。彼女が言う楽しいは、比べる相手にもよるが、相手が遊園地やテレビゲームならばさほど楽しくはない。しかしジムが相手ならば確かに楽しいかもしれない。
終わりが見えないトレーニング等と比べると、はっきりとゴールが目視できていてそれがモチベーションへと繋いでくれているのだろうか。僕は必死にルールを守りながら再び登る。
「うん。いい感じ。」
その後ユウちゃんも登っていたが、僕同様まだまだ初心者の彼女は半分を登った辺りで『だめだ!』と言い諦めていた。命綱によってゆっくりと降りてくるユウちゃんが無様で可愛かった。僕は笑っていた。
ボルダリングは確かに少し楽しかったのだろうあっという間に終わったのだった。
「どうだった?マオくん!」
車の中でユウちゃんが聞く。
「うん。ちょっと楽しかった。これなら通えそうかな。料金も安かったし。」
そう言うと助手席のユウちゃんは泣いていた。
「うれしい!これから頑張ろうね!」
「いや、泣くほどじゃないでしょ?」
この時、彼女はただ嬉しくて泣いているのだと思い違和感すら感じなかった。
それが僕の一番の過ちだった。
ー09ー
「明日祝日だね。どっか行く?」
「いや、家でゆっくりしよ。」
「ん。そっか。」
夜の食卓、スーパーで購入したアジの刺身を食べるユウちゃんが
少し素っ気なく感じられたのはあれから3日目の事だった。
「僕、ゴミ捨ててくるね。」
食べ終わった食器を片付けたあと、僕は生ものと一緒にゴミをまとめる。
「あ、ありがとう!」
ユウちゃんのお礼を後にし、
僕は片手に1つずつゴミ袋を持ってゴミ置場へ向かった。
あそこに向かうのはあの日ぶりかも知れない。
「あ、マオくん。こんにちは。」
ゴミ置場につくと聞き覚えのある声が僕を呼び掛ける。
振り向くとそこには部屋着姿のラフな格好をした岡部多恵がいた。
「あ、この前はどうも。」
「いえいえこちらこそ。」
ゴミを捨ててすぐその場を去ろうとしたが、
か弱い声が僕を呼び止める。
「あの、彼のことで相談事があって、今度二人で会ってくれませんか?」
「彼って、大林さんですか?」
「はい・・ほんの少しの時間で大丈夫です。」
また指輪を捨てるような事が起きたのだろうか。
僕は少し悩んだがそれ以上に興味が上回った。
「少しだけなら大丈夫です。その代わり、この事僕の彼女にも伝えていいですか?
彼女じゃない女性と二人で会うのは少し罪悪感が。」
「もちろんです!ありがとうございます。では、今夜8時に駅前の喫茶店で。」
そう言って岡部多恵は小走りで去っていった。
彼女の動きにシンクロしてひと回りふた回りと大きいサンダルがパンパンとリズムを取っていた。
ーーーーーー
「多恵さんとご飯?」
「うん。さっきばったり会って誘われた。もしかしたら大林さんと上手くいってないのかも。」
「そりゃあ大変だ!」
そういってユウちゃんは机に置かれた携帯電話を開く。
「あ・・・連絡先知らないんだった!」
僕はかなり焦る彼女の様子を見て楽しんでいる。
しかし心なしかいつも以上にソワソワしていた。
「でもさ、今マオくんちょっと臭いよ?」
「は?」
想定外。ヘビー級のダメ出しが不意に飛んできた。
ユウちゃんが近づき僕の首元をクンクンと野良犬のように嗅ぐ。
「うん。ちょっと臭い!
ゴミ置場に行ったからじゃない?お風呂入ってから行った方がいいよ!」
「本当?そうかな。」
僕は襟元を嗅いだ。が、何も臭わなかった。
「自分じゃわからないもんだよ。はい!」
そう言ってバスタオルとパンツを渡してきた。
僕は風呂を入らざる終えなかった。
ーーーーーー
約束通り、僕は岡部多恵と喫茶店に来ていた。
窓際の席、彼女は先ほどのラフな部屋着とは打って変わって、
白いブラウスにロングコートのような形のカーディガンを羽織っていた。
「あの、それで相談って?」
僕はコーヒーを飲みながら彼女に尋ねる。
口に付けた瞬間、苦さが伝わり少しだけ砂糖を足した。
「あの、私の事、どう見えます?」
僕の質問を岡部多恵は変わった質問で返して来た。
のちにこの質問が大林さんとの問題に繋がると思い疑問は抱かず、
僕はそのまま素直に答える。
「どうって。綺麗だと思いますよ。清潔感もあって素敵です。」
彼女は少し照れた顔をした。
ただ褒められたかっただけなのか、
とっさに出たこの褒め言葉が会話を終わらせようとしていた。
「あの、大林さん・・どうかしたんですか?」
僕は再び本題に戻った。
「何もないです。」
「何もない?夫婦円満って事ですか?」
「いえ、そうじゃなくて、夫婦でも無ければ、恋人でもないんです。
ごめんなさい・・・私これ以上嘘つけない!!」
岡部多恵は急に泣き出した。
彼女の言葉の理由はどうであれ、今この状況、僕が彼女を泣かしたように見られている。
一刻も早く打破しなければ。
「あの、え?大丈夫・・。」
ガシャン!!
岡部多恵を慰めようとした僕の右手がコップの取手に当たり
苦いコーヒーが机いっぱいに広がる。
「ユウさん、でしたっけ?
大事にしてあげてくださいね!」
涙を飲みながら彼女は慌てて財布から1000円札を出し、去って行った。
「あ!多恵さん!ちょ・・」
追いかけようともしたのだが、追いかけたところで僕に何ができるのだろうか。
大林さんと彼女は“何もない”関係。
疑問は多かったがおそらく喧嘩か何かで先ほど別れ、
もう関係すら持ちたくない程、岡部多恵が大林さんに愛想を尽かした。
そんなよくある恋愛話だと解釈した。しかしこれには僕の存在が大きく絡んでいたのだ。
真相をしらない僕は静かに席に座り、お手拭きで机をふいた。
ーーーーーー
「ユウちゃん、これどうゆう事だと思う?」
帰宅した僕はさっきの出来事をユウちゃんに話していた。
「うん!恋だな!恋!!マオくんに恋しちゃったんだよ!」
「・・は?」
またユウちゃんは突拍子もない事を。と思ったのだが彼女の顔は少し本気のようだった。
「おそらくだよ?
この前の食事でタエちゃんはマオくんのことが好きになっちゃって、
その事を大林さんに告げた。で、最近別れた。とかじゃない?」
「いやいやちょっと無理やりすぎない?
多恵さんそんな簡単に心変わりするような人には見えないけど。」
「でも普通に考えたらそうでしょ?」
ありえないと思ったが、言われてみればありえなくもない話。
正論を述べるユウちゃんはかなり冷静だ。
「仮にだよ?仮にそうだとして、ユウちゃんは嫌じゃないの?」
「ん〜・・マオくん次第かな。私はマオくん信じてるから大丈夫!
愛情も感じてるし!」
大統領同士のように僕の手を強く握った後、ユウちゃんは洗面台へ向かった。
“なんか、違和感を感じるんだよな。”
そう思った瞬間、
ドン!!
大きな物が落ちるような音がした。
驚いた僕は音のなる方へ向かう。
「・・・ユウちゃん?」
そこには洗面台で倒れているユウちゃんがいた。
僕の言葉には全く反応がなかった。
ー08ー
「びっくりさせてごめんね〜。」
病院のベッドで笑うユウちゃん。顔色は良かった。
「ほんとだよ。心臓止まるかと思った。原因は何だったの?」
お見舞いに来た僕はホッとしたのか、ユウちゃんに呆れ顔で話していた。
「働きすぎだって!!笑えるよね。」
「まあ無理もないよ。最近残業続きだったでしょ?で、いつ退院できるの?」
「ん〜いつだろ、しばらく安静にって言われたから
3週間から1ヶ月ぐらいだと思う。ねえ私いなくて寂しい?」
ユウちゃんが意地悪な表情で僕に微笑む。
「そりゃ寂しいよ。でもまあ頑張る。料理もちょっと覚えたし。」
「そっか!応援してる!」
「ありがとう。でもユウちゃんも無理しないでね。今は患者さんなんだから安静に。」
「了解しました!」
敬礼し笑顔を見せる。それはいつものユウちゃんの無邪気な姿だった。
「・・・あ、」
彼女が一点に集中した目線で何かを思い出した。
「どうした?」
「ごめんマオくん、1つだけお願いしても良い?」
「もちろん。どした?」
「本、持って来てほしいんだよね。」
「本?何の?」
「文庫本。実家にあるやつ。」
「いいけど、実家千葉だよね?買ってこようか?なんてタイトル?」
「いや、それがタイトル覚えてないんだよね。小説のタイトルって複雑じゃん?
あと何冊か持って来てほしい。この入院生活、おそらく『やる事ない』が一番の敵になりそうだし。」
「わかった。じゃあユウちゃんの実家に行って取ってくるよ。」
「ありがとう!じゃあお母さんに連絡入れとくね!」
「うん。じゃあね。」
こうして僕は病院を出てユウちゃんの実家の千葉へ向かうこととなった。
ーーーーーー
高速道路に入ったのは久々のことだ。
最近はほとんどユウちゃんと共にしていたせいか
僕一人しかいない車内の空間が新鮮で少し懐かしくも思えた。
ユウちゃんの実家へ行くのは何年ぶりだろうか。
付き合いたての時に一度訪れたのを覚えている。
その時はユウちゃんの母親が夕食を作ってくれて、確か野菜が多くトッピングされたスープカレー。
味付けはユウちゃんの手料理にとても似ていた。
テレビの上の棚にはユウちゃんの父親の写真が飾られ、その前にはお供え物が置かれていた。
それを見た僕はユウちゃんに父親がいない事を聞かずして認識した。
高速道路の変わらない景色の中、集中力を奪おうとする無音を妨げる為、僕はすかさずラジオをつけた。
するとグッドタイミングで心地の良いサウンドが流れていて、
疎外感が一気になくなり救われた。
父親の好きなフォーククルセダーズだ。
「悲しくて悲しくて〜とて〜もや〜りきれない」
父の影響でギターを始め、初めて弾けるようになったのがこの曲だった。たった1人の車内という環境にリンクしたのか昔を思い出したのかはわからないが、気がつけば僕は歌っていた。
そして高速道路を抜けてから40分。
「目的地周辺です。」
住宅街に入ったナビがカタコトの案内を終える。
僕は近くのパーキングエリアに車を停め、ユウちゃんの家へ向かった。
「いらっしゃいマオくん。元気してた?」
久しぶりに会ったユウちゃんの母親は以前と変わらず
僕を包み込むような優しい声をしていた。
「ご無沙汰してます。あの、ユウさんの文庫本取りに伺いました。」
「そうよね!ユウから聞いてるわ。さ、あがってあがって!」
早速ユウちゃん母が部屋の奥へと案内してくれた。
「えっと、たしかこの辺りかしら。」
棚を探るユウちゃん母。
その足元には、大きなアルバムが異様な存在感を放ち僕を誘っているように見えた。
「あの、これちょっと見て良いですか?」
「ええ!もちろん良いわよ!」
僕はずっと興味があったユウちゃんの過去をそっと覗く。
そこには幼い頃のユウちゃんがいろんな衣装をまとい、様々なポージングをとっていた。
「可愛いですね〜!これいつぐらいですか?」
「確か4才ぐらいかしら。初めて水族館に行ったのよ〜。
ユウちゃん魚が怖くて泣いちゃって、もう大変だったんだから。」
僕が呼び止めてしまったせいか、ユウちゃん母が文庫本探しを中断し、アルバムに夢中になる。
掃除や洗濯、おそらく家事全般の作業を妨げるほどの力がこのアルバムにはあるのだろう。
「へ〜弱虫だったんですね。今じゃ考えれないな〜。」
僕は癒されながら次のページをめくった。
そして僕は背中が凍り付くほどの恐怖を味わう。
「あれ・・」
左端に貼られていた写真。
小学校高学年くらいだろうか少し大人になったユウちゃんと
仲良さそうに腕を組む男性が写っていた。
「これ、ユウちゃんと・・・大林さん?」
僕と出会う遥か昔からユウちゃんは大林さんと知り合いだった。
ユウちゃん母は僕の反応に気付き何かを悟ったのか、素早くアルバムを取り上げる。
「どうゆう事ですか?僕、この男性の方、知ってます。」
ユウちゃん母は黙り込む。明らかに何かを隠している様子だ。
「・・・あの、何か隠してますよね?」
諦めず突き止める。
するとユウちゃん母は申し訳なさそうにゆっくりと口を開いた。
「・・伯父よ。ユウちゃんの。」
「伯父?」
「私たち母子家庭じゃない?
ユウちゃんが小さい頃にお父さんが亡くなって
そこからずっとユウちゃんと二人暮らしで。」
「はい、それは知ってます。」
「それでね。私の弟が独身ってのもあって、すっごいユウちゃんを可愛がってくれてね、
本当に助かったわー。まるで父親みたいな存在だった。」
「あの、伯父さんのお名前は?」
「正隆よ。広村正隆。」
大林マコトは偽名だった。
しかし何故僕に隠す必要があったのだろうか。
いや、隠していただけではない。
ユウちゃんと大林さんはずっと嘘をついていた。
何かが動き出そうとしている。嫌な予感がした。
「あ、あの、失礼します!」
僕は適当に棚から三冊の文庫本を手に取り家を飛び出した。
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病室につくと外を眺めるユウちゃんがいた。
寂しげな表情。背後の僕の存在にまだ気づいていないようだ。
彼女の膝の上に実家から取ってきた三冊の本を投げるように置いた。
一番上の小説『うたかたの日々』がユウちゃんの膝の上で笑っているように見える。
気づいた彼女がゆっくりと僕を見る。
「あ、マオくん!ありがとう!」
ユウちゃんがいつもと違う、心が笑っていない作り笑顔がすぐに伝わった。
「・・・どうゆう事?
ユウちゃんの昔のアルバムに大林さんが写っていた。」
真相はまだわからないがおそらくこれは良い話ではないのだろう。
しかし覚悟ができていたのか、僕は自然に話し出すことができた。
ユウちゃんはコツンと握った拳を自分の頭に手を当てて、綺麗な歯を見せ微笑んだ。
「もうバレてしまったか。」
「ユウちゃん僕に何か隠してるよね。ちゃんと話して。」
そうするとユウちゃんは何も言わずリモコンでテレビを付ける。
17時丁度、ニュース番組が始まった。
話題は相変わらず巨大ウイルスについてだったが、内容は初めて聞くものだった。
「えー、本日、巨大ウイルスについて新たな情報が入ってきました。
このウイルスは痛み、苦しみは少ないものの、
感染してたった4ヶ月で命を落とすほどの危険性がある事がわかりました。
そしてもう1つ、今回のウイルスは”異性には全く感染しない”という事も判明しました。
えーこれについてどう思いますかー・・・」
ニュースキャスターが深刻な表情で話している。
「・・・何、これ?」
僕の質問に対して、ユウちゃんがようやく口を開いた。
「ちょうど今日発表なんだって。」
「どうゆう事?」
「・・・もうすぐ4ヶ月目なの。私。」
言葉を失った。
「・・嘘でしょ?いつもの冗談だよね?」
僕は問う。
「それが本当なんだよな〜。」
死ぬことが怖くないのか、寂しい顔を見せたくないのか、
ユウちゃんは笑って答える。
「・・でも、ニュースの情報。今日発表なんでしょ?なんでユウちゃんが知ってるの。」
「感染者はみんな知ってるよ、この情報。
発表が今日なだけでずっと前から私はわかってた。」
現実を受け入れれないまま僕はゆっくりと座る。
「特に『異性に感染しない』は極秘秘密。
この情報が広まると国民の警戒心が弱くなるからってずっとオフレコにしてたらしいけど。
恋人や家族のいる感染者には特別に教えてくれるの。異性なら一緒にいられるからね!」
僕はゆっくりと頭を回転させる。
「そうゆうことか。それで毎回多恵さんと会わないようにしてたんだね。」
「そうゆう事!すごいでしょ?私の計画!」
無邪気に笑うユウちゃんの笑顔が眩しかった。
無力な自分を押し殺すように僕は必死で盛り上げる。
「毎日!!毎日来るようにするよ!きっと大丈夫だよ!」
僕は泣かなかった。というより泣けなかった。
弱音を吐いちゃダメだ。ただそう思った。
「うん!ありがと。私も最期まで頑張る!」
ユウちゃんが”最期まで”というワードが僕の胸を締め付けた。
ー09ー
無心に時が経った。こんな経験は初めてかも知れない。
気が付けば僕はすでに家に着き、電気を付けずに泣いていた。
枕に顔を押し付け、声にならない声を叫んでいた。
今までおかしな点は山ほどあったはずなのに
ユウちゃんの感染に何一つ気づけなかった自分が何より情けなかった。
”ユウちゃんはもうすぐ死ぬのか?”
この家からユウちゃんが消える。
触れることも会話すらもできなくなる。
それはもうどうする事もできない。
僕はゆっくりとユウちゃんが死ぬのを待つことしか。
泣き疲れたのか、喉が水分が消滅し新たな水を求めに台所へ向かう。
「うう・・・。」
手に力が入らないが蛇口は辛うじてひねれた。
しかしコップを持つ事が出来ない。
僕は再び崩れ落ちた。
「なんで・・・なんで・・」
額を自ら何度も壁に打ち付ける。
しかしそれが心の落ち着かせには繋がらず、僕は唸っていた。
「あ、そうだ大林さん。」
見えもしない希望を求め大林さんの家に向かった。
何か閃いたわけではない。
大林さんがユウちゃんの伯父だという事実にしがみ付き、
僕は子供ながら大人の彼を頼ろうとしたのかも知れない。
全速力で走った。そのおかげだろうか数十秒で彼の家へ到着した。
「大林さん!!あ。違う。お、、伯父さん!!!」
僕は玄関のドアを叩き、インターフォンを何度も押した。
無音。人の気配すら感じなかった。
ドアの隙間から吹き抜ける風が妙に鋭く
鍵がかかっていない感覚が全身に伝わった。
僕はゆっくりとドアノブを引く。
その部屋は”空き部屋”になっていた。
「・・・そんな。」
呆然とした。
思いも寄らぬ事だったのか、
結果的に空き部屋のなってくれてたおかげで僕の暴走は収まり、
ゆっくりと落ち着いて帰宅することが出来た。
「指輪・・山登り・・多恵さん・・」
歩きながら僕は歌を歌うように過去の出来事を振り返っていた。
「・・・ん。多恵さん。」
僕は足を止める。
どうしてユウちゃんと大林さんは僕に内緒でこんな事をしたのか。
そして岡部多恵の謎。彼女の存在に引っかかるのだ。彼女が何者か未だ分からない。
「・・・あ、ひょっとして。」
僕は大林さんばかりに気がいっていたが、本当の目的は彼女なのか。
そしてユウちゃんの何気ない一言を思い出し、結論にたどり着いた。
“すごいでしょ?私の計画!!”
ーーーーーー
「どうしたの?」
お見舞いに来た僕の浮かない顔を見てユウちゃんが言う。
この状況、元気な顔の方が異常だと思うが僕は正直に答えた。
「・・・あの時拾った婚約指輪、大林さんの物じゃなくてユウちゃんのだよね。」
ユウちゃんは黙った。僕は話を続ける。
「大林さんと出会って多恵さんと出会って、
『僕と多恵さんが恋をする。』
その為の婚約指輪だったんでしょ。」
「・・・よくわかったね。いつ気付いた?」
感心した表情で僕を見る。
「気付いたのは昨日。
でも山奥で多恵さんを見た時からなんとなく違和感は感じてた。」
「あら。可愛いから?」
ユウちゃんが笑いながら僕をからかう。
デリカシーのかけらも無い。
「そうじゃないよ。大林さんといい多恵さんといい、
家から出てくるタイミングがバッチリだった。
まるで誰かが『もういいよ。』って言っているみたいだ。
ユウちゃんが連絡してたんでしょ?大林さんも多恵ちゃんも。」
「すごい。探偵みたいだね!」
「ちなみに大林さんが山奥で襲ってきたあれは何?あの人のアドリブ?」
僕は面白おかしく素朴に感じていた事を聞いた。
「あ〜。あれ、あれも私。」
「は?どうゆう事?」
「いやマオくんがさ。伯父さんの事を人殺しかもって疑ってたじゃん?
それでスタンガン取りに行ってる時かな。車の中で私がお願いした。
せっかくだからマオくんちょっと驚かせたいって。
伯父さんもそうゆう事好きだからすぐ引き受けてくれたよ。」
「何だよそれ。」
少し場が和んだ。
「ね、それよりさ!私の足挫いた感じ、上手じゃなかった?」
「はいはい。上手上手。」
僕たちは久しぶりに笑い合った気がした。
「・・・ねえユウちゃん。」
僕は改めて本題に戻る。
僕の真面目な表情を読み取ってくれたのか
ユウちゃんも真剣な表情で僕の目を見る。
「なんでこんな事するの?」
するとユウちゃんが一滴の涙を流す。
「だって・・・私死ぬかもしれないんだよ?
マオくんに新しい恋をして欲しかったの。幸せになって欲しかったの。」
今まで我慢していた何かが解放したのだろう
僕も耐えきれなくなった。
「なんだよそれ。全部おかしいよ!
そもそもあの多恵さんはどこの誰だよ!」
辛い気持ちを押し殺し僕も負けずに言い返す。
「・・・出会い系アプリ。」
「・・は?」
「内緒でマオくんのパソコンでアカウント作って、ピッタリ会う人探したの。
そしたらタエちゃんから連絡が来た。私もこの人なら!って思った。」
”多恵さんと波長があったのはそう言うことか。出会い系アプリの噂も”
不幸中の幸いといったところだろうか。犯人がユウちゃんであった事に少し安心した。
「でもさ、こんな計画を多恵さんが簡単に引き受けるわけないでしょ?」
「そうだよ!だから毎日毎日。説得するのに1ヶ月以上かかったんだから!
伯父さんすごく頑張ってくれたんだよ。私も何度もタエちゃんに電話した。」
「なんだよそれ・・勝手に僕の恋人決めるな!」
彼女の気持ちが分からないことはないが僕は純粋に腹が立った。
ユウちゃんは少し黙り落ち着く。
「私が婚約指輪捨てる前、覚えてる?」
「覚えてるよ。」
「ほんとはね、あの喧嘩で本当に別れるつもりだったんだよ。
でもマオくん。謝ってくれたじゃん?好きだって言ってくれた。
あれ、すっごい嬉しかったんだよね。」
僕は心が痒くなった。
「ユウちゃんの気持ちはわかった。悪気がないことも。
でも、多恵さんとは付き合わない。ごめん。」
僕はそう言って病室を抜け出した。
ユウちゃんの病室を出るとある男が待ち構えていた。
"大林さん"が定着しているが、ユウちゃんの彼氏である以上今は伯父さんと呼ぶべきか。
緊張感が一気に身体中を走り回る。
「・・・伯父さんだったんですね。」
「嘘をついて本当にすまなかった。」
真実をずっと隠し通していた僕に対する罪悪感と、
彼女の命があと少しという受け入れれない現実に押しつぶされ伯父さんの目は相当悲しいものだった。
何も言わず僕達が届けた婚約指輪を差し出す。
「これ。マオくんから多恵さんに渡してくれないか。君たちの交際をユウが心から願っている。」
岡部多恵の事を『さん』付けで、ユウちゃんの事を『呼び捨て』で呼んだ。
これが本当の大林さんの姿。言葉に全く違和感を感じない。
「・・・ユウちゃんから事情は聞きました。というより問い詰めたって感じですけど。
それとこれは受け取れません。
僕が愛しているのは多恵さんではなくユウちゃ・・ユウさんです。」
僕の言葉を聞き伯父さんは心底がっかりした様子だったが、
消えかかった闘志を再び燃やしある名刺と共に無理やり僕のポケットに入れる。
「こ・・今夜18時!ここのレストランで多恵さんが待ってます。
どうか!どうかお願いします!」
病院のロビーの中、伯父さんは僕に土下座をする。
「あ・・・あの、伯父さん。ちょっと、ここ病院なんで。」
伯父さんの急な行動に僕は対応できず優しく囁くという無難な手段を選んでしまった。
目立った行為はどうも苦手だ。一刻も早くこの状況から免れようと僕なりに必死になったのだ。
「すいません。でも、お願いします!失礼します。」
興奮が収まった伯父さんは立ち上がると一目散に走って去っっていった。
「あ・・伯父さん!」
追いかける隙もないほどに速かった。
ーーーーーー
ポケットの中の名刺に書かれたレストランへ向かう。
これは伯父さんの思うツボかもしれない。
しかし全てを終わらせる為にも僕は行かなくてはならなかった。
「ここか。」
たどり着いたレストランの外観はとてもゴージャスで、何も考えずに向かってしまった僕のカジュアルな格好は
おそらく、まま子扱いにされるだろう。しかしそんな事はもはやどうでも良かった。
「いらっしゃいませ。ご予約の方ですか?」
僕を出迎えにきた店員は、ジェルで髪型をびっちりと固め
首元には蝶ネクタイが喉仏に届くほどの高さで飾られていた。
「あ、どうだろう。おそらくしてると思います。すいません。」
「かしこまりました。お連れ様お待ちでございますのでご案内いたします。」
僕の曖昧な返事かつ挙動不審な行動を悟ってくれたのか、
店員は焦ることなく状況を理解し彼女の元へ案内してくれた。
遠くに岡部多恵の姿が見える。
レストランの雰囲気に合わせたのか、それともお嫁にもらいに来たのか
数時間かけたであろうこまめなメイクに上等な赤いドレスを纏っていた。
「あ、多恵さん、どうも。」
「マオくん。こんばんは。」
彼女は意外に明るい様子だった。このひと時を楽しもうとしている様子だ。
「あの、元気でした?この前ちょっとびっくりしちゃって。」
僕はすぐに本題には入らず彼女と話すことにした。
「ああ。あれ、ごめんなさい。でも、もう知ってるんですよね?」
「はい、その事なんですけど。」
僕は婚約指輪を返そうとポケットに手を突っ込む。
「おまたせしました。こちら前菜のトリュフとブッフサレでございます。」
誰かが指示を出しているかのような悪い間でウエイトレスが謎のメニューと共に現れる。
「美味しそう!」
岡部多恵がOLの顔を見せる。
「マオくん。あの、とりあえず今は食事楽しみませんか?
正隆さんが先に支払ってくれてるから値段も気にしなくて良いですよ。」
僕に気を使ってくれたのか、彼女の言葉に暖かい優しさを感じた。
「そうですね。わかりました。」
よくよく考えてみれば彼女に罪は全くない。
むしろ魅力的でしかも僕に好意まで持ってくれた方だ。
愛情ではないが、彼女の気持ちも大事にしてあげたい。
少しだけ、この数時間だけは彼女に捧げよう。
僕はフォークとナイフを手に取り、楽しく食事をとる事を選んだ。
「ありがとうございます。」
僕の心境もわかってくれているのだろう彼女は僕にお礼を言う。
何度も聞いたことのあるシンプルな言葉だが、この日のこの言葉は申し訳なさと優しさと気遣いが深く混ざり合った一生分の"ありがとう"に聞こえた。
月が異常に綺麗だった。
僕たちは外食を済まし、
少し寄り道をしながら帰っていた。
ほろ酔いの彼女の横顔には街灯の光が反射して、眩しかった。
僕はタイミングを見計らいながら婚約指輪を握っている。
「多恵さん・・。」
僕は謝って交際を断ろうとした。
「大丈夫です。わかってます。」
多恵さんがそう言った後、続けて話し出した。
「普通に考えておかしいですよね。
恋人の恋人探すなんて。引き受けた私も私ですけど。」
「わかってくれて良かったです。」
僕はホッとした。
「でも、ユウさんすごいですね。」
「なんで?」
僕は多恵さんの顔を見た。
「普通に考えてすごくないですか?自分が死ぬかもってなったら
『残りの人生何をしたいか』って思いませんか?
でもユウさんは『残りの人生何をさせてあげたいか』
って思ったって事でしょ。これってすごい愛だと私思うんです。」
この言葉が僕の
モヤモヤしていた違和感を吹き飛ばした。
「多恵さん。ごめん!
あ、あの本当に色々、今までありがとう!」
僕は彼女に、
二度と会うことの無い人に告げる言葉で別れようとした。
「マオくん!!」
多恵さんが呼び止める。
振り向くと彼女の横にはタクシーが待ち構えていた。
「あ、、ほんと、何から何までありがとう!!元気で!」
「うん。マオくんも元気で!」
タクシーが進み出す。
ー10ー
ユウちゃんの目的は本当に
僕と多恵さんを結婚まで導く事だったのだろうか。
”残りの人生何をさせてあげたいか”
多恵さんが教えてくれた。
これが本当なら、恋人を探すようなひねくれたものじゃなく
もっと純粋でまっすぐなものがあるはずだ。
「あ、すいませんここで大丈夫です!」
タクシーが目的地周辺に着き、僕は飛び出した。
エレベーターがいつも以上にゆっくり感じる。
靴のまま部屋に上がり
ユウちゃんの机や引き出しを調べ尽くした。
踊りまわったひじがユウちゃんのパソコンに命中し
スリープ状態が目を覚ました。
目を細めながらパソコンを眺める。
そこには1つのフォルダだけが存在していた。
『マオくん計画』
僕はゆっくりとマウスを押した。
ーーーーーー
私がいなくなってもマオくんが生きていけるために
●近所の大型スーパーを教えたい。
※きっとマオくん知らないから
●山に慣れてほしい。
※山から見る景色は絶景だ!きっとこれからパワーをくれる
●健康な料理を作れるようになってほしい。
※マオくんにはいつまでも元気でいてほしい!
●体力をつけてほしい。
※ジムが苦手なんだよな〜良い方法あるかな?
●(できれば)新しいパートナーを見つけてほしい。
※とても辛いし、多分無理だろうけど。
やっぱりマオくんには幸せになってほしい
ーーーーーー
「なんだよこれ、スーパーぐらい普通に言えよ。」
ユウちゃんの純粋な愛情が身体中を熱くした。
"僕と多恵さんの結婚"
これはユウちゃんの計画にとってごく一部に過ぎない。
山で倒れたりするような弱い体の為。全ては僕の”健康”の為だった。
涙が止まらなかった。
ふと告白した時の返事を思い出した。
「マオくん体弱いもんね!
私がしっかり体力つけてあげる!!!」
あの言葉をユウちゃんは今でも図太く貫いていたのだ。
僕は、
ユウちゃんに『何をさせたい』・・?
その時、
病院から電話がかかってきた。
僕は出なかった。
もう無理かもしれない。
死んだかもしれない。
絶望との葛藤が僕の脳ミソを顫動させる。
感情の落とし所がない事を知りながらも僕は
引き出しの中の婚姻届を掴んで家を飛び出した。
再び無音になった僕達の部屋の中では
ユウちゃんのパソコンは大胆に閃光を放っている。
そこには『マオくん計画』のその先が記されていた。
ーーーーーー
1月
味覚、嗅覚がなくなった。
少し体にも違和感を感じた。
病院に行って検査してもらった。
私は感染者だった。
辛い。マオくんともっと一緒にいたい。
死にたくない。
2月
私は覚悟を決めた。
せめてマオくんに、
私がいなくなっても大丈夫なように。
計画を立てることにした。
3月
色々考えたが、
この計画を私一人で実行するのは不可能だ。
そう思い伯父さんに電話して協力してもらいことにした。
伯父さんは「わかった!僕に任せろ!」
と泣きながら言ってくれた。嬉しかった。
4月
4ヶ月目がやってきた。
いよいよ計画実行だ。
計画当日、時は来た。
婚約指輪を捨てる為、マオくんと喧嘩した。
キッカケはなんでもよかった。
マオくんがお風呂に入っている時、指輪を捨てた。
決めていたことだけど涙が止まらなかった。
必死でマオくんと指輪を探した。
とは言っても必死だったのはマオくんだけだ。
でもその姿に愛を感じて嬉しかった。
私はポケットにしまっていたもう1つの指輪をマオくんに渡した。
車の中で伯父さんが出て来てくれるのをマオくんと待った。
メールで伯父さんに「出て来ていいよ。」の一言だけ送る。
難しいことではなかった。
私と伯父さんで何度も下見した山に3人で登った。
その山は健康な山菜が採れる上、頂上までもすぐだった。
私が調べたお手軽料理や、貧血になりにくい方法など
しっかり暗記してくれていた伯父さんが心強かった。
嫌な顔をしながらメモを取るマオくんが少し可愛かった。
マオくんが少し料理に目覚め出した。
作戦成功と言った感じだろうか、嬉しい反面
マオくんが離れていきそうな気がして寂しかった。
4人で食事の約束をした。とは言ってもこれも計画の1つだ。
実際私は行かず、マオくんと多恵さんが近づくための計画。
そして多恵さんから「素敵な方ですね。」と連絡が来た。
ある日マオくんがゴミを出しに行っている時、
多恵さんから連絡が来た。
「マオくんに本当のことを言いたいです。
2人で会う事を許してくだい。ごめんなさい。」
と言う内容だ。私は慌ててマオくんをお風呂へ。
そして多恵さんに電話した。
「お願いします!」を泣きながら連呼した。
多恵さんはわかってくれた。
それとマオくんの体は全く臭くなんかないよ。
マオくんを実家に誘導したのが間違いだった。
思いの外早くバレてしまった。
でもマオくんは多恵さんとは交際しないと言った。
ちょっと嬉しかった。
伯父さんから連絡が来た。
「指輪、渡せたよ。ちょっと無理やりだったけど。」
今頃マオくんと多恵さんは2人で食事をしている。
私が奮発して買った婚約指輪を持って。
プロポーズ、してくれてるといいな。
これはわがままだけど最期にマオくんに会いたかった。
どうか元気で。ユウ
ーエピローグー
「一時は20000人以上の感染者を出した巨大ウイルスでしたが、
つい先日特効薬ができ、感染者は現在40人以下に激減しました。」
「本当にびっくりですよね!良かったです!」
「特効薬の中には山で採れる『コゴミ』と言う山菜も入ってるみたいですよ!」
「その『コゴミ』とは一体どの様な物なんでしょうー・・・」
ニュースキャスターが楽しそうに僕たちの話をしている。
僕は台所で味噌汁を作っていた。
「あ!!ごめんマオくん!!バスタオル忘れたー!!」
風呂場から元気な彼女の声。
「はーい。」
僕はバスタオルを持って脱衣所へ。
「ここ置いとくね。」
「ありがとー!!!」
洗濯機の上に置いた瞬間、僕の薬指がひっそり光った。