16-6. 期末考査と勉強会(3)
「いいかい?」
向かい合わせで、体温が感じられるくらいの距離でエルリック王子のおでこが近い。
「これはまず、1/xをX、1/yをYとおいて……」
「ふむふむ」
「方程式を解いて、先にXとYを求めたら、あとは簡単だよっ、お姉ちゃん」
ミシェルが俺の膝の上に座って見上げてくる。この丸っこい感触と、もちっと柔らかい体温が、思考力をようしゃなく溶かしにかかってきてて、数学の問題解くのにはものすごく向かないんだけど……
とりあえず解き方を暗記しちゃえば、あとはなんとかなるよね!
「よし、覚えた!」
「じゃあ、応用問題いくよっ、お姉ちゃん」
「あと5問解いたら、御褒美にしようか」
「お姉ちゃんに顔寄せすぎだよ、王子!」
「あら、あなたったらまだ、そんなところやってるのね、ヴェリノ。おーっほっほっほっ」
「エルリック王子、もっとヴェリノさんに密着できます? スチル撮りますから」
「こうかい?」
「ひゃっ…… いきなりすぎてびっくりするよ!」
勉強しようとしても、エリザが悪役令嬢らしく絡んできてくれるし、サクラはサクラで勉強よりスチルを撮るほうが重要みたいだし……
「だめっ、お姉ちゃんはボクの!」
「いいだろう、ね、ミシェル。私だってたまにはヴェリノを独占したいんだよ」
「だーーーめーーーー!」
エルリックの顔が俺に近づいてくるたびに、ミシェルが腕を伸ばして押し返すし。
「はい、ヴェリノ、あーん」
「ん?」
「ちょっとストップ! イイ感じです…… はい、いいですよ」
「んっ…… んまぃ! …… とろけりゅううう」
「オレもくれよ、エルリック!」
「どうぞ、イヅナ。はい、あ……」
「いや自分で食うから…… ってサクラ、どうした? …… あーそっか…… すまん王子、オレにもあーんしてくれ!」
「いいよ、はい……」
「いいです! 素敵です! ついでにミシェルさんにもお願いします。イヅナさん、ミシェルさんを抱っこしてあげてください…… 」
勉強の合間にエルリック王子がチョコレートを食べさせてくれて、それをまたサクラがスチルにとってくれようとするしで。
俺は悟った。
勉強会、意外と勉強、進まない!
「でも、やっぱり楽しいなー!」
「とか言ってないで、さっさと問題解いたらどうかしら?」
「わかってるって! お茶会のがもっと楽しみだもんな、エリザ」
「そんなんじゃないわよ! 食いしんぼうはあなただけでしょ、ヴェリノ」
「うん、それは否定しない…… よっし、終わった!」
「わーい! 御褒美だねっ、お姉ちゃん♪」
「をんをんをんをんっ♪」
俺が万歳すると、ミシェルも一緒に万歳して、ついでにチロルと踊ってくれた…… 文句なくかわいい。
「エイちゃんも、いいよね? 御褒美!」
胸元の呪いの、じゃなくて、叡知の首飾りにも確認する。ドクロが青く光った…… OKだな。
「やったぁ! エイちゃんありがとう!」
「じゃあ準備するね!」
ミシェルが言い終わるのとほぼ同時に、メイドさんタイプのNPCが 「失礼します」 とやってきた。
「お茶とお菓子のご用意ができました」
「早っ…… お茶、ここじゃないの?」
「ふっふーん」
ミシェルが胸を張る。
「まだまだ、お姉ちゃんに見せたい部屋があるからねっ」
「そのお部屋は一面、ヴェリノさんのスチルで埋まってるんでしょうか」
「うん、ボクひとりのときは、そうしてるよっ♪」
サクラのすごい発想に、サラリと気になる合わせかたをして、ミシェルは俺の腕を引っ張った。
「じゃ、きてきてー! はやく!」
みんなでエレベーターに乗って、1つ下の4階に降りた。
5階はだだっ広いカフェ風のワンルームだったけど、こっちはいくつかの部屋に別れているんだな。
「ここだよ!」
ミシェルが前に立つと、自動で左右に扉が開いた。中には……
「飛んでる!? …… で、なんで、そこにいんの?」
部屋の真ん中に、草原みたいな色のふわふわしたラグ。その上には、いくつもの大きなクッションに囲まれた低めのテーブル。上にはコーヒーと紅茶のポットに、たくさんのお菓子。
で、ラグの下は、すっごい小さく、ルーンブルクの街並みや山が見えてる。周囲の壁は、太陽の光にかがやいているような青空と雲。
まるで、空飛ぶじゅうたん (ちゃぶ台つき) みたいだ!
「VR映像室だよっ、お姉ちゃん。リモコンひとつで、空の上にも海底にも、火山の中にだってできるよ」
「すごいなー! できるのはわかるけど、すごい!」
「私にも、こういうのは珍しいよ。VR映像システムの部屋を個人宅に持てるのはミシェルのタイプだけだからね」
エルリック王子が本当に珍しそうに足元の景色を見下ろし、サクラが興味津々、って感じでミシェルにたずねた。
「それで、ひとりのときはヴェリノさんのお膝の上に乗ってる感のある映像を……?」
「えへ。じゃ、特別にちょっとだけ」
ミシェルが指を鳴らすと、あっという間に、全体の映像が切り替わった。
「でかすぎて逆にわかりにくいよ、これ!」
全体的に、でかい制服が広がってる感じにしか見えない。天井には、俺のアゴとおぼしきものがみえる。ときどき向きが変わって、鼻とかも見えてるな。あと床のほうの一部は…… スカートから出てる俺の太ももか……
「慣れたら、すっごいお姉ちゃんに包まれてる感があるよっ。こう、壁にクッション寄せて座るとね、癒されるんだから」
「…… な…… なんとっ…… 破廉恥な」
何やら怒ってるっぽい低音の声が、部屋の中央から聞こえた。
「ハレンチっていうほうが、ハレンチなんだからね! もういいよっ。お姉ちゃんのお膝抱っこ映像は、ボクだけのだもん」
べーっ、と赤い舌を出しながら、ミシェルが部屋の映像を切り替えた。今度は、周囲が瞬かない星、足元が青い地球…… 宇宙空間だ。
「…… というか、そろそろ」
エリザが扇を広げ、口元にあてた。微妙な斜め上からな目線は、部屋の中央に注がれている。
「どなたか、聞いてあげたらどうかしら?」
「そうだな」
宇宙にぽっかり浮かんだ、ちゃぶ台付きラグの隣に立つ人影に向かって、俺は改めて声をかけた。
「おーい、ジョナス! なんでそこにいんの?」