12-17. キャンプ村モニターのバイト(17)~居眠りと朝ごはん~
「あー…… あったかい…… 気持ちいい……」
濃厚な湯気に覆われた部屋で、俺は今、白くて丸い小石の中に埋もれている。
朝風呂ならぬ、朝岩盤浴…… いや、朝岩塩浴。
朝早くまだ暗い森は、少し寒く感じるほどだったから、身体もけっこう冷えていたようだ。
こうして温泉にやってきて、夜明け前の星空を露天風呂で楽しんだ後に、暖かくて薄暗い部屋でじんわり温かい石に埋もれていると…… ずっとこのままでいたくなるな。
それに…… 夜そんなに寝てないから当然といえば当然だけど…… すごく眠くなってきて…… ああもう…… 気持ちい……
「なんと、平和そのものだなー!?」
「お姉ちゃん、かわいぃぃ……」
「癒されるね」
「まったく…… 腹立つほどの間抜け面ですね。仕方のない……」
「をんをんっ、をんっ♪」
NPCたちとチロルの声が聞こえたような気がしたけど、もう目を開けることが、できない……。
…………………………
……………………
………………
………… 「お姉ちゃん、起きて! 起きて!」
「……んん? なんだ、まだ眠…… あっ!」
――― そういえば、日の出を観るんだった!
幼い子供の声と、小さな手がユサユサと揺すぶってきたのに、慌てて目を開けると、ミシェルの大きな緑色の目とぶつかった。
テントの中だ。
「…… あれ、いつの間に? 温泉は?」
「お姉ちゃん寝ちゃったから、テントに運んだんだよ、ボクたちで」
温泉で寝たら仮ログアウトするはずだけど…… 本気で眠ってしまってたから、そうならなかった、ということか。
「私がお運びしました」
ジョナスがじろりとミシェルをにらんだ。
「私の背でもグッスリでしたよ。全く鈍いことこの上ない……」
「私も運んであげたかったんだけど…… ジョナスがどうしても許してくれなくてね」
「王子の背にヨダレをつけるわけには、参りませんから」
「ええ!?」
慌ててジョナスの背中を確認すると、確かに一部がじっとり湿っている……
「ごめん! 本当にごめん! お許しください、魔王様!」
「クリーニング代、5,000マルです」
「お支払いしますっ…… ミシェルからバイト代出たら」
「…… 来週、王城周辺の芝刈りでけっこうです」
「へ……?」
「それで帳消しにする、という意味ですが何か?」
察しの悪い、とタメイキをついてみせるジョナスだが……
「なんで、そんなに優しいの? ジョナスなら普通、慰謝料も含めて3万マルで手を打ちます、とか言いそうじゃん!」
「………… そうしても、いいんですよ?」
「いえいえいえいえ。嘘です。有り難く芝刈りさせていただきます。ごめんなさい」
エルリック王子が柔らかい笑顔で 「よろしく頼むよ。バイトの後のお茶は用意しておくから」 と言ってくれたところで、テントの入り口が開き、香ばしいパンの匂いと共にサクラが顔を覗かせた。
「おはようございます、ヴェリノさん。朝ごはんできましたよ」
「ををををっ…… 今、ハートがズキュンってなった……!」
可愛い女の子からの 『朝ごはん』 の破壊力、ハンパないな!
「おっ、エリザ! おはよう!」
「おそよう、ヴェリノ」
「…… って言うほど遅くないだろ。でも支度ありがとな! それ、めちゃくちゃ美味そう!」
テントの外に出ると、既に焚き火が2箇所で燃えていた。
『円形』 の薪の上ではお湯がシュンシュン沸いて、隣に乗せたフライパンではウィンナーがジュージューと良い音を立てている。
で、『並列』 の焚き火ではエリザが、何かをひっくり返しては焼いていた…… 串の刺さったパン、みたいに見える。
バターと小麦の焼ける良い匂いがふんわり漂ってくるのが、たまらないな。
「それは、串焼きパン。夜のうちに仕込んでおいたパン種を、串に巻きつけて焼き上げる…… ほらよ」
イヅナがウィンナーの脇で手早く少量の野菜を炒めて、皿に取り分けながら説明してくれた。
「すごいな、イヅナが準備してくれたのか! ……めちゃくちゃ尊敬するぅ!」
「まっ、それほどでも、あるけどなっ」
パンが焼き上がり、サクラがコーヒーを入れてくれて、朝ごはんが始まった。
午前 5時。
空の端っこがほんの少し明るくなった、と思ったら、あっという間に薄い赤に染まる。目の上の方は夜空の紺色で、そこから下に向けて、徐々にオレンジ色になっていくグラデーション…… すっごくキレイだなぁ!
で、ここで気づいたことが、ひとつ。
「雲! ほら、下が一面雲だぞ!」
「それは 『雲海』 っていうんですよ、お姉ちゃん」
「へぇ…… すごいなぁ…… なんというか……」
「神秘的、ですね」
「そう、それだ、サクラ」
太陽が遠くの山陰から、2mmほど顔を出した。その光で、雲海がまた、ちょっとだけ明るくなって…… 黒い波の中に、金色の波が一筋、できる。
太陽が姿を現すほどに、空の端っこの金色も、雲の上の金色も広がっていく……。
「…… きれい」
エリザが、ぽつりと呟く声が聞こえた。
太陽がすっかりと昇って空が澄んだ青色に、雲が柔らかな白の波に変わるまで、俺たちは、パンとコーヒーの香りの中で飽きずに景色を眺め続けた。
「うっわー! パンふかふか! コーヒーも美味い! イヅナもエリザもサクラもすごい! ありがとっ!」
「そうだろ!」
「ふっ…… あたくしにかかれば、串刺しのパンを焼くなど、何でもなくってよ!」 (意訳:我ながら上手にやけて嬉しい)
「ほんと、パンもコーヒーもすごく美味しいですよね。この景色のせいでしょうか」
「いやいや、景色のおかげもだけど、やっぱりあんたらのおかげだって!」
朝陽と澄んだ空気の中、足元に広がる雲海を見ながら食べる朝ごはんは、『最高』 以外の何物でもなかった。
「…… 今度、王立自然公園のレストランにも足元をスモークが覆う演出を検討しようかな」
「それは、王子。質の悪いパクりでお客様を幻滅させるだけかと存じますが」
「いやいや、エルリックはここを誉めてるんだろ、ジョナス!?」
そう。さっきから、『すごい』 『最高』 とか言ってるんだけど、そんなんじゃ全然、誉めきれてないんだよな。
いつもは賑やかなガイド犬たちも、よほど感動しているのか、今は静かにこの光景を眺めている…… 「をんっ♪」
【ちなみに、リアルでは雲海の発生は気象条件等により、最も発生しやすいのは空気の冷えやすい秋~春にかけてですが、いつでも見えるわけではありませんwwww】
――― その注釈、要るの!?
パンとコーヒーをお代わりして、ゆっくり朝食をとり終わった頃には、雲は晴れて下界が見えるようになっていた。
続く山並みもその間を流れる川も、俺たちが住んでる街も、キラキラ光る小さな海も…… 昨日も見た風景だけど、見飽きるってことは全然ない。
「この後は牧場に行く予定ですけど、それで大丈夫ですか?」
「おうっ、もちろん」 「ふっ…… 仕方ないから付き合って差し上げるわ!」 「楽しみです」
ミシェルの確認に俺たちは口々に答え、朝9時に集合する約束をして、いったん仮ログアウトした。
――― 牧場、どんな所なんだろうな? 楽しみだーーー!