一 大儒の死(一)
仲春二月も終わりに近づき、うららかな陽射しが降り注いでいる。安正の邸は、京洛のちょうど中心辺り、錦小路通りにある。狭い上に雨漏りもするあばら屋ではあるが、小さいながら庭があり、安正は狭いなりにも工夫をし、石を配し、草花を植えては楽しんでいた。
「仁斎が先日から患うておるそうだ。聞いておるか」
深く張った根を苦労して掘り起こしている新七に、安正は声をかけた。
仁斎―――伊藤源佐は、堀川で儒を講じて生計をたてている。八十歳近い老人だが、病に伏せる数日前にも精力的に講釈などを行っていた。
「はい。痰の病とやら承りました」
新七は鍬をぐいと引いて土を抉り、それから安正を見た。
「よいことです。痰だの咳だので苦しんでおれば、余計な事も言わんでしょう」
新七は再び、鍬を打ち込む。
「しかし、普通に病などで死なせるのは悔しいですな。どうか誰が見ても天罰と判るようにくたばってもらいたいものです」
弟子の心底憎々しげな口調に、安正は笑った。
仁斎は儒学では正統とされる朱子の経典解釈を斥け、自分こそが孔孟―――孔子と孟子―――の精髄を掴んだと高唱する。思い上がりも甚だしいが、その学の新奇さと、仁斎のもつ柔和で親しみやすい、それでいて身に備わった不思議な品格は多くの信奉者を生み、恐らく今、京でもっとも声望の高い儒者だと思われた。
正学―――朱子の学を奉じる者たちはそれを苦々しく、憎悪の気持ちさえ抱いて眺めている。
安正は弟子から少し離れ、薔薇の枝に鋏を入れた。
「惕斎どのは仁斎早う死ね、道の害じゃと死ぬまで言うておられた」
中村惕斎は三年前に亡くなった。声望を二分していた仁斎とは同世代だ。大儒が次々と鬼籍に入っていく。京のこの先はどうなってゆくのだろう。