兎耳の女
「高希。その弁当は椛と愛理の所に置いてきたらどうだ?」
ゾンビが現れて大体3日。
まだ探索班が来ていない未探索エリアに存在するコンビニを今から調べようというのに、私に手を引かれた高希は引かれてない方の手で弁当を大事に抱えている。
いくらコンビニの正面がガラス張りで中にゾンビがいない事が分かっているといっても緊張感が無さ過ぎじゃないか?
「もしかして冗談を言ってるのかレベッカは? この大切な弁当を椛という卑しい男の前に置いてしまったら、半分は食べられるのが目に見えているだろ?」
私の名前を呼び捨てにした高希はやれやれと首を振る。
この男、私をなめているのか?
今すぐ右手に持っている槍、『残光』で突いてやろうかと思いながらも私は年長者の余裕でそれを堪える。
自分より3つも年下の男に本気でいらつくなんてのはクールじゃないからな。
「弁当を持っているせいで咄嗟の事に対応できなくなっても知らないからな。行くぞ」
コンビニの自動ドアは電気が止まっているので手動で開け、中に入る。
もしかしたら開いていないとも思ったがそれは杞憂だったみたいだな。
「うっ、なんだこの臭いは?」
反射的に左手で鼻と口を抑える。
中に入ってすぐに外に出たいと考えてしまうほど中は異臭に支配されていた。
ゾンビのような人間が腐ったような匂いとはまた違う、まるで沢山の生ごみが詰められた袋を破いてそこらに撒き散らした時のような臭いだ。
「生ごみを電子レンジでチンした時と同じ臭いだな。電気がついてないってことは冷蔵庫とかも止まっていて、それで食べ物が腐ったのかもしれないな」
後から続いて入って来た高希が苦い表情をする。
どのような理由で高希は生ごみを電子レンジで温めなければならなかったのかはこの際置いておくとしよう。
「ゾンビが発生してまだそんなに日にちは経っていないぞ。ゾンビが発生してそれと同時に電気が止まったと仮定しても、そんなに早く食べ物が腐るものだろうか?」
「そんなこと聞かれても俺が分かる訳ないだろ」
そう言いながら高希は私を差し置いてコンビニの奥へと進んで行く。
いけない。私とした事があまりの臭いに動きを止めてしまっていた。
コンビニを調べる時間はクレアさんが戻ってくるまで、つまり30分程という僅かな時間しかないのだ。
別にクレアさんが戻ってきた後もコンビニ内に使えるものが無いか調べてもいいのだろうが、出来ればそれは避けたい。
クレアさんは言わば私の上司。
上司に頼まれた仕事を速やかかつ的確に終わらせていれば覚えもいいだろう。
それにクレアさんは『カール傭兵団』の団長様でもある。
せっかくこの班という『小隊』で同じメンバーになれたのだ。ここは仲良くなって損は無いはず。
そうしてもし私がクレアさんに気にいってもらえたのならば、『人類最終永続機関』で記録係などパッとしない役職からクレアさん経由で『カール傭兵団』に引きぬきという形で抜けられるかもしれない。
クレアさんからの引きぬきと言うことは、勿論それなりのポストが与えられるはず。
なにせ団長様が私を欲しいといって下さるのだ。まさか今の記録係のような誰でもできる役職には就かせないだろう。
クレアさんを除いたら殆ど男しかいない『カール傭兵団』なのだ。もしかしたら女というアドバンテージも作用してクレアさんの右腕、副団長なんてのも夢ではないはず……!
傭兵団の女団長と女副団長か……。
なんとかっこいい響き!
男達がひしめく中不敵な笑みでそれらを華麗に操る花のような2人の女性、それはまるで18世紀のカリブ海に実在したという女海賊『メアリ・リード』と『アン・ ボニー』のようではないか!!
ほえー! 捗ってキター!!
「おいレベッカ。匂いの正体ってこれの事じゃないか? ……レベッカ?」
なんだうるさいな。
こっちは今最高に楽しい時を過ごしているのだから邪魔しないでほしいのだが……。
……っていや違う違う!
今は未来を夢想している場合ではなくコンビニを調べなければならないのだった!!
「すまない。すこし捗っていた」
高希という私の生着替えを覗いてきたドスケベに現実に戻されたのは癪だが、まぁここは素直に謝ってやろう。
「はかどって? まぁどういう意味かは分からないけどとりあえずこれを見てみろよ」
高希はコンビニのレジカウンターに当たるところを指さす。
そこには所狭しと皿が並べられ、その上には料理らしきものとメモが飾られている。
「なんだこれは……? 『オススメの自信作カルボナーラ』?」
メモの一枚を手に取りそこに書かれている文字を読む。
料理の方はすでに腐りかけのようで、高希のいう生ごみを電子レンジで温めた臭いがこれらに近付いたことにより一層強くなった。
「ここにある料理は出来たてって訳じゃなさそうだな。こっちのメモは『今迄で最高の出来のナポリタン』だってよ。あと『ここ数年で1番のペペロンチーノ』もあるな」
「まさか、レジカウンターにあるもの全部が料理なのか?」
「そうみたいだ。奥のレジには『冷え切った関係の親子丼』と『負け続けたカツ丼』ってのがある。……なんでパスタ系は自信に満ち溢れているのに丼系はこんなにもネガティブなんだ?」
「疑問に思うのはそこじゃないだろう高希。いったい誰がこんな無意味なことをしたのかを考えるべきだ」
「いやまぁ確かにそうだけど、レジにこうやって沢山並べられた料理の全てにこうしたメモが書かれているのを見ると無意味の一言で片づけるのは可哀想と言うか、全部読んであげたくなるというか……」
レジカウンターは狭いが、それでも料理で埋め尽くそうとするならばかなりの量がいる。
しかも注視してみればレジ付近には落ちた料理も散見される。
ゾンビが溢れているこの時代にここまで食べ物を無駄にするというのはもはや犯罪の域だ。
私は何か言い訳をするようにブツブツと言っている高希を無視して奥にある食品コーナーを確認する。
「食品が殆ど持ちだされているな。残っている数少ないものも開けられてそのまま放置か。虫がたかっている事から、開けられたのは最近ではないようだ」
案の定というべきか。
どうやら誰かが食品を持ちだしたらしい。
まぁ幸い私達がいる学校にはまだまだ食料はある。
ここは食品だけでなく他のコーナーも一通り調べるべきだな。
「おい高希……」
一緒にコンビニを調べているはずの高希に声をかけ、私は声を無くす。
高希は何故か先程の料理メモを読むことに必死な様子で、一切レジカウンター前から動いていなかったのだ。
……駄目だなアイツ。
アイツに手伝ってもらうなぞ逆に効率が落ちそうだ。ここは1人で調べるか。
私は高希に失望しながらも与えられた仕事に取り組む。
見た所、雑誌コーナーは殆ど無事で文具コーナーも無事。
助かったことに生理用品コーナーも無事なようだ。
だがカップラーメンやスナック系の菓子類は少しだけ残っているが酒にいたってはおつまみ類も含めて1つも残っていない。
スイーツ系・コンビニ弁当系も同様だ。
残るは……レジの反対側にある飲料ケースを調べれば終わりだな。
「ほう。飲料は食品と違って結構残っているのか。だがこの量は私たちでは持ち運べそうにないから学校に戻った際に『物資調達班』にここの場所を教えておかねばなるまい」
よし。あとは私達が持ち運んでも邪魔にならないようなものや役に立つようなものをピックアップしてクレアさんに報告するだけだ。
まぁまぁちゃんと仕事はできた方だろう。
あとこのコンビニで調べていないのはトイレだけだが……。
まぁ一応確認だけはしておくか。
「……あっ」
トイレは何処だろうかと見渡した時、私の目に『STAFF ONLY』という文字が書かれた扉が隅にあるのが飛び込んできた。
しまった!!
バックルームを確認していなかった!!
危なくクレアさんに適切ではない報告をしてしまうところだった!
コンビニなどの販売店や小売店には裏に倉庫みたいな場所があり、そこに従業員の休憩スペースや売り場に出していない商品在庫を置いているということを失念していた……。
クレアさんが戻ってくるまで時間もない。急いで調べなくては。
『STAFF ONLY』と書かれた扉を急いでくぐる。
中はさらに薄暗くなっており、段ボールや何やら青や緑といったカラフルな箱に沢山の商品が詰め込まれているのが見える。
売り場の商品は軒並み持ち出されていたが、裏にあった商品は無事だったようだな。
よしよし。収穫大だ。これは褒められるべき仕事ぶりではないだろうか?
そうしてクレアさんに完璧な報告をして褒められる私を幻視していると、コンプレックスと言っても良い頭上の大きな兎耳が異音を察知した。
誰かが話すような声。
その方向を見ると沢山の段ボールに隠されるように2階に繋がる階段があった。
……なるほど、従業員のロッカーや休憩室が見当たらないと思ったら2階が存在していたのか。
私は静かに階段を上る。
話声がしたということはゾンビではないはずだが、警戒するに越したことは無い。
そしてかすかに私の兎耳に聞こえていた声は階段を上るにつれて大きくなり、『休憩室』と書かれた扉の前に来るとその声質までわかるようになった。
声は女性のようで、『大丈夫』『落ち着いて』『新作だから』という言葉が相手を安心させるような穏やかな口調で聞こえてくる。
私は控えめに扉をノックした。
するとピタリと声は止む。
しかし物音はするので隠れているにしてはいささか幼稚だ。
「安心してくれ。私はあなた達を保護しに来た者だ」
「……保護?……。……わかりました。少し待って下さい」
私の言葉に女性の声はそう返事をする。
そして中から小さくはない音が何度かした後、『休憩室』の扉は開いた。
「えっと……、あなたは?」
中からは気弱そうな女性が何故か大きめのフライパンを両手で大事そうに持って出てくる。
ピンク色のエプロンをしており、頭には三角巾をしていた。
変わった私服だな。いや、ここはコンビニだから従業員の制服の可能性もあるのか?
それにしても、何だこの怖気の走るような臭いは?
なぜこの女性はこんな匂いのする部屋にいるにもかかわらず普通の精神状態でいられるのだろうか?
「……私は『人類最終永続機関』第0班所属、名を『レベッカ』と言う。貴様達を保護しに来た」
「? 人類……なんですか? あとあなた外国人さん? 髪の毛が銀色? だけど日本語がお上手……え? 兎耳?」
「混乱するのは分かるが落ち着いてくれ。怪しいものではないのだ」
「えっ……と、鏡とか御覧なられます? なかなか怪しい人物が映りますよ?」
「ほう。こんな状況でも冗談が言えるとは日本人はやはり豪胆だな。しかし今はそれに付き合っている程私は暇では無い。話声が聞こえたということは他にも誰か人がいるのであろう? 一緒に下に来てはくれないか?」
「……わかりました。ですが彼は今少し動けない状態でして」
「動けないだと? なにか怪我でもしているのか?」
「いえ、そう言うわけではないのですが」
気弱そうな女性はそう言うと両手で大切そうに持つフライパンをギュっと握る。
ふむ。この様子だと何かわけありのようだな。
「わかった。とにかくその彼とやらの状態を確認させてもらっても良いだろうか?」
「確認……ですか?」
「あぁ。なに。悪いようにはしないさ」
私は怯えるような目をする女性を安心させるべく優しくそう言い微笑む。
紗希が言っていたが、微笑みと言うのは存外バカに出来ないほどの安心感を相手に提供してくれるそうだ。
「……わかりました。どうぞ、こちらへ」
紗希の言葉は正しかったらしく女性は私の微笑みを見て何かを逡巡した後、覚悟を決めたかのような表情をし私を休憩室の中へと手招いた。
中は下の荒らされた状態とは真逆に綺麗にされており、部屋の中心にテーブルと椅子が置かれていた。
窓があるおかげか室内もあまり暗くなく、奥にはいくつかのロッカーが置いてあるのを確認出来た。
それと、流し台や小型のカセットコンロが隅にあるのがみえ、どうやら料理を作っていたらしくカセットコンロの上には小さな鍋のようなものが置かれ何かがグツグツと沸騰している。
「彼はあちらのロッカーの陰にいます」
女性の言う通り、奥のロッカーの陰からは絶え間なく音が聞こえる。
私はどのような状態なのか即座に確認するべくロッカーの陰をのぞいた。
「……!? おい貴様これはっ」
あまりの惨状にその『彼』からは目が離せずそのまま女性に問いかける。
だが、気弱な女性の返事を聞くよりも先に、私は目の前が真っ暗になった。




